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東京都美術館でボッティチェリ展を見た。メディチ家のころとサヴォナローラのころの作風の違いもうかがえる

2016年01月24日 | よしなしごと

2016.1.24  2016 初期ルネサンスの巨匠「ボッティチェリ展」を見る /2016.1記

 2004年のイタリアツアーでフィレンツェのウフィツィ美術館を見学し、ボッティチェリの「プリマベーラ」「ビーナスの誕生」に引き込まれた記憶がある。
 ボッティチェリはフィレンツェ生まれ、初期ルネサンスの巨匠で、「プリマベーラ」「ビーナスの誕生」は代表作といえ、繊細で柔らかな描写、明るい色調、バランスの取れた構図、絵に隠された謎解きなどに引きつけられた。
 そのボッティチェリの展覧会が上野の東京都美術館で1月16日から始まった。「プリマベーラ」「ビーナスの誕生」は門外不出だろうが、かなりの名作が展示されるらしい。
 加えて、東京都美術館の企画展・特別展にはシルバーデーが設けられていて、65才以上は無料になる。1月は22日がシルバーデーなので、雪が残る寒いなか、勇んで出かけた。
 総展示数は78で、第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ、第2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師、第3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術、第4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ、に分けて展示されていた。フィリッポ・リッピはボッティチェリの師匠である。フィリッピーノ・リッピはフィリッポ・リッピが50のころの息子で、父亡き後、ボッティチェリを師として絵を修業した。フィリッポ・リッピの影響を受けたボッティチェリ、その影響を受けたフィリッピーノ・リッピとなるから、第2章→第3章→第4章の流れは分かりやすい。

 もう一つのポイントは、ボッティチェリ始め、リッピ親子、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリなどが、そのころフィレンツェを実質支配していたメディチ家の庇護を受けていた。
 ところが、メディチ家の衰退とともに、ドミニコ会修道士のサヴォナローラが神権政治を展開し、ボッティチェリはその影響を受けて、絵が偏向していく。
 この変化も見どころである。

 入館早々、「ラーマ家の東方三博士の礼拝」が展示されている。ボッティチェリ30才のころの作品で、繊細な描写、明るい色調、バランスの取れた構図などにボッティチェリらしさがうかがえる。三博士など集まった人々にメディチ家の面々が描かれていて、ボッティチェリとメディチ家の結びつきも読み取れる。

 第3章にあたるボッティチェリの展示室には「アペレスの誹謗」が展示されている。ボッティチェリ50才のころの作品で、このころはメディチ家に代わりサヴォナローラが神権政治を展開していた。
 サヴォナローラの影響を受けたためか、「プリマベーラ」「ビーナス誕生」のような柔和さ、明るさ、甘美さが影を潜めてしまったように感じた。

 詳しくはホームページを参照されたいが、機会があれば、ぜひ東京都美術館へ出かけ、ボッティチェリを実感されることをおすすめする。


 

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