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気がつけばふるさと離れて34年

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薩摩藩英国留学生 & 長州ファイブ

2015-07-19 14:55:57 | 日記

ドイツではまた暑さがぶり返しましたが今日は久しぶりに涼風で気持ち良い一日になっています。

猛暑で頭痛や不眠を訴える人が多くなっていると伝えられています。

今夏は私もよく鎮痛剤を服用しました。

熱帯夜で寝苦しい夜はエアコンが恋しくなりました。

あまりよく寝付かれないときはアプリの「聴くNews」で日本のニュースを聴いていました。

この間の夜は「列島リレーニュース」で鹿児島から「薩摩藩英国留学生」のことを報じていました。

今年は1865年7月に薩摩藩の19名の若者がイギリスに留学してから150周年の記念の年ということで

鹿児島県から19名の若者が今日7月19日から29日までの10日間、イギリスを訪れるのだそうです。

1865年の7月にロンドンに到着した薩摩藩の若者は世話役をしていた英国人から長州藩の若者が

1年も前からイギリスで学んでいることを聞き驚いたということです。

この長州の若者たちが映画「長州ファイブ」で有名な5人です。

この5人は留学後、それぞれ明治政府の要人として日本の発展に大きく貢献することになります。

井上馨(初代外務大臣)

伊藤博文(初代内閣総理大臣)

山尾庸三(工業の父)

井上勝 (鉄道の父)

遠藤謹助(造幣の父)

中でも松田龍平が演じる山尾庸三がこの映画の主人公になっています。

山尾は帰国後、東大工学部の前身となる工学寮を創立して「技術立国」日本を牽引する技術者の育成に貢献します。

現在の霞が関の構想を練ったのも山尾でした。

1872年 新橋ー横浜間の鉄道建設にも大きく関与しました。

でも私は彼が留学後、日本で聾唖協会の設立に尽力した点に感動しました。

山尾はグラスゴーの造船所で働く人々の中に「手話」を使う人を見て心を動かされ聾唖教育に眼を向けたということです。



実は伯母の孫が聾唖者です。

当時、田舎でご家族はかなりつらい思いをされたようです。

でも今では東京で新聞社のグラフィック部で活躍しています。

ひとりでエジプトやパリに旅行したり、オートバイで東京から里帰りしては伯母やご両親をはらはらさせています。

山尾さんが始めた聾唖教育に特に感銘を受けたのはこの伯母の孫のことがあったからです。

チカチャン、今後のさらなる活躍を期待していますヨ。


 

犬の幸せ

2015-07-17 15:17:44 | 日記


我が家から歩いて20分ほどの林の中にある「犬の訓練所」です。

「ドイツ・シェパード協会」が運営していますが、別にシェパード犬だけではなく他の犬も訓練を受けています。

見ていると犬の中にも「やる気」のある犬とそうでない犬がいて、まさに人間社会と同じような光景です。

写真ではちょっとわかりにくいのですが「赤い板」はシーソーです。

このシーソーは犬たちの間では不人気で多くが途中で引き返します。

多分「てっぺん」でバッタンと倒れるのが嫌なのだと思います(私だってイヤです)。

さて今日の本題です。

ドイツでも学校の夏休みシーズンです。

ただ連邦制をとっているドイツでは各連邦州が教育・文化高権を持っているため各州によって夏休み時期が違い、

学校の休暇時期として手帳に明記されています。



子供たちにとっては楽しい夏休みですが、ペットにとっては受難の時期にもなっています。

休暇旅行先でペットの宿泊を拒否していたり、預け先が見つからなかった場合、ペット・ホテルのコストを節約するために

休暇時期になると捨てられるペットの数が増えるのです。

子供が親を選べないのと同様に、ペットは飼い主を選べません。

最後まで手厚く愛されるペットもいれば、旅行に連れて行けないからと捨てられてしまうペットもいます。

昔、実家で飼っていた柴犬のバリーは幸せだったのかなぁと思い出しています。



弟が欲しくて飼い始めたので名前も弟がつけました。

ジャック・ロンドンの「野生の叫び」の犬のようにバックとつけようと思ったらしいのですが、

呼びにくいということでバリーになりました。

血統書がついていて本来の名前は「勝丸号」でした。

時々「カツマルゴー」と呼ぶと昔、呼ばれていた記憶が呼び起されるのか、ちょっと首をかしげるのが可愛かったです。

多分、15-16歳位まで長生きしたと記憶していますが、

バリーの晩年には私も二人の弟も家を離れてしまっていたので病気がちだった両親はあまり散歩に連れていけなかったと

後で話していました。

死んだときはなきがらを入れたリュックサックを父が背負って、母と近くの山に行って埋めてきたと言っていました。

両親同様、晩年のバリーのそばにいてあげられなかったことをとてもすまなく思うことがあります。


パリ風チキンカレー

2015-07-16 15:29:49 | グルメ
レパートリーの少ない我が家の食卓にのる機会が多いのが「パリ風チキンカレー」です。

正確には「鶏のパリ風カレークリーム煮」で新聞に掲載されたレシピです。





調理する度に不思議に思うのは「どこがパリ風なのか?」ということです。

「パリのカフェで定番のひと皿」ということだそうですが、パリのカフェやビストロでお目にかかったことはありません。

材料は骨付き鶏肉の他にトマト、玉ねぎなどで、香辛料はカレーの他に生姜とにんにくです。

最後に生クリームで仕上げるところがちょっとパリ風なのかもしれません。

そういえばドイツ人の友人に教えてもらった「フランスの田舎風スープ」でも鶏肉、トマト、玉ねぎ、カレー粉、生クリームを使います。

ただこのスープにはさらに小エビが入ることと、隠し味に「お醤油」が使われるのがかなり異色の「フランス風」といえます。

お料理に「○○風」とつくのは地元特有の調理法と私は理解しています。

例えば「タコのガリシア風」です。

これはスペイン・ガリシア地方のタコ料理で、ゆでて、切って、パプリカとオリーブオイルをかけるだけの簡単な料理です。

冷たいガリシア地方の海で捕れる新鮮なタコで食べるのが一番美味しいのですが、

ドイツの我が家ではのぞむべくもなく(だいたい蛸そのものが近くのスーパーでは売られていません

昨年マディラ島で購入してきた缶詰(ポルトガル産ですが)を後生大事に保管しています。

 


時事ひとりごと ー 10 (ギリシャ債務問題 & 風刺画)

2015-07-15 15:36:42 | 時事ひとりごと
この間、ユーロ圏首脳会議でギリシャに第3回目の財政援助を行うにあたって出された「財政改革案」を巡って

ギリシャ議会は今日中に一部法制化しなくてはいけません。

これには税制や年金制度の改革などが含まれますが、果たして議会で承認されるのか、

また法制化された後、本当に施行されるのかなど疑問が残ります。

この間、国民投票で「NO」とされたのとほぼ同じ「財政緊縮案」に対して今度は「YES」だなんて

ギリシャ政府への信頼感は失われてしまいました。

今回の財政援助も一時的な効果しかもたらさないだろうというのが大方の見方です。

新聞の風刺画にもそれが表れています。



ベットに横たわっている患者がギリシャで、ノルウェーの画家ムンクの「叫び」の模倣です。

部屋のドアから覗いているのはメルケル首相とあとひとりはユーログループのダイセルブルーム議長でしょうか。

「まあこれで患者を3年間でもおとなしくさせておけたら、しめたものだけどね」などと話しています。

今回の財政援助は当座の「鎮静剤」というようにとらえているみたいです。

ところでこの風刺画を描いたのはSAKURAIという人です。

日本の苗字のような気もするのですが、日本人ではないと、いつか調べたことがあるという友人が語っていました。

それにしても国際通貨基金へはデフォルトだったのに、日本へは償還した、ギリシャは相手を選ぶのか - などと報道されました。

これは20年前に発行した円建て外国債券「サムライ債」が7月14日に償還(返済)されたことを指しています。

でも1995年7月に発行された200億円分の債務は2012年のギリシャへの財政支援で債務が削減され、

結局117億円の返済だったということですから、20日に返済期限が迫っている欧州中央銀行向けの

357億ユーロ(4800億円)に比べると、まさに「ピーナッツ?」というところかもしれません。

そうですあの「ロッキード事件」では100万円を「ピーナッツ」と隠語で数えていましたね。


奇跡の子

2015-07-14 16:43:23 | 日記

昔「奇跡の人」という映画が話題を呼んだことがありました。

三重苦のヘレン・ケラーが家庭教師のサリヴァンと共に障害を克服する実話です。

ですから今朝の地方紙の付録版に載った「奇跡の子」というタイトルを見て障害を克服して成長する子供のことかなと思いました。



でも今年2歳になる「リアちゃん」の奇跡はこの子がお母さんの乳癌手術後、

抗がん剤による再発予防治療中に宿り、出産予定日より5週間早く何の障害もなく生まれてきたことです。

お母さんは手術後、18週間に亘る化学療法、その後4週間の放射線療法を受けることになっていました。

ですから放射線療法が始まった頃の吐き気や体重増加なども一般的な抗がん剤や炎症を抑えるコルチゾンの副作用と思っていたそうです。

そのため妊娠後29週目に始めておなかに赤ちゃんが宿っていることに気付いたのだそうです。

すぐに放射線の照射は中止されましたが、その時点では赤ちゃんが無事に生まれてくるかどうかの保証は

産婦人科医でさえわからなかったといいます。

でも中絶することはできないくらい胎児は成長していたし超音波での診断で異常は見つかりませんでした。

お母さんはその時44歳の高齢であったこともあり帝王切開が予定されていました。

でも予定より5週間早く陣痛が始まり2013年の1月20日に無事に元気な女の子が生まれたのです。

妊娠が早い時期にわかっていたら多分、中絶していたでしょうねーとお母さんは話しています。

抗がん剤治療中にもかかわらず元気に生まれてきたこと、何より妊娠の症状を抗がん剤の副作用と思って、中絶不可能な時期まで

妊娠がわからなかったことーなど、リアちゃんの誕生は本当に奇跡だといえます。



これからも元気に育ってね。