気がつけばふるさと離れて34年

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セイシェル旅行記 - 2 (ラ・ディーグ島)

2015-12-26 18:16:13 | 旅行
昨日からプララン島の東6kmの所に位置するラ・ディ–グ島に来ています。

プララン島からフェリーで15分程です。

35年前にセイシェルを訪れた時もプララン島と共にラ・ディ–グ島も訪れました。

当時、島には車が一台しかなく、その車の所有者は宿泊していたチョッピーのバンガローというホテルのオーナーでした。けれども島で唯一の自動車を所有するというのがステータスシンボルでオーナー自身は車の運転をしたことがなかったので、夫が運転してあげて自動車が動くことを証明してあげました。

当時、島内の唯一の交通手段は沖縄の竹富島のようなオックス・カート(牛車)しかありませんでしたが、
現在は観光客用に1-2台あるだけです。
絵葉書の写真です。


昨夜は夕陽が見られましたが、このあと強い風雨が吹き荒れました。


今日はアンス・スール・ジャルダンという島で最も美しいといわれるビーチに行きました。
地元の人が「恋人岩」とよんでいる大きな花崗岩が海沿いに連なっています。


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セイシェル旅行記 - 1 ( プララン島)

2015-12-22 10:48:53 | 旅行
4日前からセイシェルのプララン島に滞在しています。

セイシェルはインド洋のマダカスカルの東北に位置する諸島でほぼ100の島が点在しています。

プララン島は首都があるマヘ島に次いで2番目に大きな島です。

フランクフルト空港からほぼ9時間の飛行でマヘ島に到着、その後12人乗りの小型機で15分飛行して
島に着きます。

赤道直下に位置しているので、日中は毎日30度前後、湿度も高く、到着直後は2人とも
軽い熱射病と脱水症状で一度だけ泳いだ後は部屋でダラダラと過ごしました。

ホテルの歓迎のハイビスカスと庭、海の写真です。




プララン島で有名なのはココ・デ・メール(海のココナッツ)と呼ばれる双子ヤシの実です。

プララン島と隣のチュリューズ島でしか自生していません。

このヤシの実は昔はインド洋の国々に流れ着いた物しか知られていなく、そのため「海のココナッツ」と
呼ばれるようになりました。
モルディブでは神聖な実として王たちへの特別な贈り物とされていたそうです。
とても大きなヤシの実で直径が50cm程、重さは25kgもあります。
このヤシの木が生えている森は世界遺産に登録されています。
とにかく形がとてもユニークなのです。



最後に綺麗な夕陽の浜辺と毎朝、エサをねだりに来る赤い鳥(名前はわかりません)の
写真です。



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暫くブログお休みです(多分) & 幸せの貯金箱

2015-12-16 14:55:15 | 日記
今年は暖冬とかで「多分ホワイトクリスマスにはならないでしょう」とこのところドイツのテレビの天気予報で述べています。

質実剛健、合理的なドイツ人もクリスマスだけはロマンチックに雪で覆われたホワイトクリスマスを願っているのかなぁと思ったことです。

我が家もクリスマスの4週間前から始まる「待降節(アドベント)」になると一応「アドベンツ・クランツ」を飾ります。

本当は4本のローソクを立てて、アドベントになる度にローソクに火を灯していって4本のローソクに火が灯ったところで

「クリスマス」ということになるのですが、我が家はクリスマスシーズンはいつも避寒旅行に出かけてしまうので、いつも

「簡易アドベンツ・クランツ」です。でも毎日、食事時にはローソクを灯して少しだけクリスマスの訪れを感じています。



私の住んでいる所は村といってもよいほど小さな田舎町なので都会のようなイルミネーションはありませんが、町のお店はそれなりに

クリスマス風に明かりをつけてアレンジしています。



ドイツではクリスマスに七面鳥ではなくて「ガチョウ」が食卓にのります。

以前は頑張って、近くの農家で新鮮な(?)鵞鳥を予約して3時間位オーブンで焼いたこともありましたが、

今は「あの頃はよくやったなぁ」と自分を褒めるだけです

先日、近くのレストランに「鵞鳥」を食べに行ったら、「予約してないと」と言われ結局、いつものお魚料理にしました。

前菜はスモークサーモン、この地方の名産ライベクーヘン(すりおろしたジャガイモを揚げたもの)がいつも付きます。



メインは「イシビラメ」、ほうれん草が付いて何ともヘルシーな鵞鳥の代わりのディナーでした。



明後日から4週間、セーシェルとレユニオンに出かけるので(多分)ブログは暫くアップできないかと思います。

本当は以下のテーマでアップしたいなぁと思ってはいたのですが。

‐(読書)カズオ・イシグロ 「忘れられた巨人」
‐ 書道のお稽古とドイツ人の生徒
‐ 友人夫妻のクルーズ船で3度目の世界一周旅行‐今度は日本へも寄港

旅行準備とクリスマスカードのことで忙しかったのは確かですが、ブログをアップできなかったのは

16年前の病気が再発したお友達のことがあって気持ちがブログの方に向かわなかったからです。

現在は退院して化学療法に専念していますが、昨日は白血球数が減少してしまったため今後3週間は化学療法はお休みして、

来年からまた再開することになっています。

ご主人は認知症の症状が進み現在施設に入所されています。

彼女は自分の病気のことよりも、いかにして毎日ご主人のもとを訪れるかということを考えているようです。

先日、彼女と一緒にご主人が入居されているホームを訪れてきました。

彼女を見ていると「幸せの貯金箱」ということを考えます。

多分、人は幸せな時間が多ければ多いほど「幸せのエネルギー」を心のどこかに貯金しているのではないでしょうか。

そして辛くなったときには貯金箱から少しずつ「幸せエネルギー」を出して、あまり落ち込まないようにしているのではないかと思うのです。

この間も治療が続行できないと聞いたときにはがっかりしたそうですが、お医者様から「とにかくしっかり食べて太りなさい」と言われたそうで

電話で「牛肉を買ってきたので、今日の昼はしゃぶしゃぶを食べて元気になるつもり」と語っていました。

我が家でも丁度その日は「豚しゃぶ」の予定だったので、我が家は「プロレタリアしゃぶネ」と言って二人で笑ったことでした。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。



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ダーチャと日本の強制収容所

2015-12-09 17:16:20 | 読書
友人からお借りした本です。

明日、お返ししなくてはならないので急いで読後感を簡単に記します。



筆者の望月紀子さんはイタリア文学の翻訳者です。

ダーチャというのはダーチャ・マライーニというイタリアの作家・詩人・劇作家で、ノーベル文学賞候補に挙がったこともあります。

ダーチャは民俗学者の父フォスコ・マライーニとともに戦前一家で来日し、2歳から9歳までを日本で過ごしました。

終戦までの約2年間、愛知県天白村にあった松坂屋デパートの社員保養所「天白寮」を接収した抑留所に収容されました。

歴史の授業で学んだ日独伊の三国同盟が記憶にあったので、始めは「何故、同盟国イタリアの人々が収容所へ?」と疑問に思いました。

この本で初めて知ったのですが、当時ファシズム大評議会で独裁者ムッソリーニが罷免され、新政権は1943年9月8日に連合軍との休戦を発表したのだそうです。

そして日独伊三国同盟から離脱したためにイタリアは日本にとって一挙に友邦国から敵国に、それで在留イタリア人は敵国人になったのです。

しかし、その時、罷免され幽閉されていたムッソリーニは早くも9月12日にはドイツ軍に救助され、ドイツの傀儡政府サロー共和国が樹立されたのです。
日本政府は9月27日に早速新政府を承認しました。

在日イタリア人にはこのファシスト新政府への宣誓が求められたのですが、それを拒否した人々が収容所に送られたのです。

日本を裏切った以前の同盟国の人々に対して特高の取り締まりは特に厳しく、収容所での待遇はとても苛酷だったようです。

食糧はほとんど配給されず、飢えのためゴミ箱を漁っては果物の皮などを食べたりもしたそうです。

ダーチャの母親トパーツァはシチリア島の貴族の出身で宮殿で優雅に暮らしてきました。

日本に来た当初は同盟国の留学生ということで待遇も良く、確かに北海道で夫がアイヌ研究をしていた頃は北海道の寒さに驚いたようですが、

後に京都に滞在した折は京都の美しい四季の風景に感動し、冬は志賀高原でスキー、夏は軽井沢で避暑という暮らしをしていたのですから、

天白村の収容所生活は本当に大変だったようです。

ダーチャにとっても辛い収容所暮らしだったことでしょう。

特高の目を盗んで食べ物を運んできてくれた親切な農家の方々もいたということが

日本人の読者にとっては少し慰めになります。



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枯菊

2015-12-07 15:33:17 | 日記
日毎に冬の薄暗い空模様になってきました。

寒さにめげず頑張って咲いてくれていた「日本小菊」も枯花が目立ってきたので

先日の日曜日、夫が全て刈ってしまいました。

「ビフォー」‐ 可憐な花が随分長いこと咲いて楽しませてくれました。


「アフター」‐ あまりにもすっきりしすぎて少し物足りないなぁ、でもチューリップの球根を植えたので来年春が楽しみです。


残っていた菊の小花を花瓶に入れて余韻を楽しんでいます。



高浜虚子に「枯菊に尚ほ色といふもの存す」という句がありますが、

明日の句会で「枯菊」という言葉を使って気の利いた句を作りたいのですが、何しろこの乏しい感性ではねぇ
コメント (2)
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