気がつけばふるさと離れて34年

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【祝】商業衛星打ち上げ成功 & ロケット博士

2015-11-28 14:14:58 | 日記


我が家の日本小菊、寒さにめげず頑張っています。

先日、カナダの通信放送衛星を載せたJAXAのH2Aロケット29号機が打ち上げに成功しました。

糸川博士が1955年にペンシルロケットの水平発射実験を行ってから丁度、60年目で日本は国産ロケットで

商業衛星市場に参入することになりました。

糸川秀夫教授は日本の「ロケット開発の父」と呼ばれていますが、

欧米におけるロケット技術開発の指導者のひとりが「ヴェルナー・フォン・ブラウン」(1912年ー1977年)です。

ドイツ人のフォン・ブラウン博士はロケット技術の専門家として第二次世界大戦中、ナチス・ドイツのために軍需用のロケット開発に取り組んでいました。

1945年5月、ドイツは連合国軍に敗北することが確実となり、

フォン・ブラウン博士はペーネミュンデのロケット研究施設に居た研究・開発スタッフ500人をアメリカ軍に投降するため、

偽装書類で盗んだ列車で連れ出しました。

その後、フォン・ブラウンとロケット専門家たちはアメリカに移送され、戦後のアメリカの宇宙開発に大きく貢献するのです。

アメリカでフォン・ブラウンの最大の仕事は宇宙飛行士を月に運べる大型のサターンロケットの開発でした。

フォン・ブラウンの夢であった「人類が月面を踏む手助けをすること」はアポロ11号の月面着陸で実現されます。

当時は商業衛星という考えはなく、多大な費用がかかる大型のサターンロケット開発を疑問視する議員も少なくなかったそうです。

それでアメリカ議会の公聴会で「サターン・ロケット開発の意義」をフォン・ブラウンは述べることになります。

議員のひとりから「何故、これほどの費用をかけて月に向かうのかね? 月で何を捜そうとしているのか?」という質問への

フォン・ブラウンの答えがふるっています。

彼は間髪入れず、”The Russians!"と答えたのです。

米ソ冷戦中の当時、宇宙開発でも両国は凌ぎを削っていたので、「ロシア人に先を越されてはなるものか」という意気込みだったのだと

思います。

数年前、ドイツのテレビドキュメンタリーでこの公聴会の様子が放映され、沈着冷静にこのような警句を発した

フォン・ブラウン先生の映像は今でも記憶に残っています。

アインシュタイン先生が相対性理論の説明に「恋人との時間と熱いストーブに座る時間」を用いたり、

フォン・ブラウン先生の「月でロシア人捜し」といい、このような科学者の突飛なユーモアが私は好きです。

それから私事になりますが(というかブログ自体、全て私事を綴ることなのでこのような説明自体不要かとは思いますが、

全く別の話題になるのでーご了承を)、昨日は我が家の結婚記念日でした。

配偶者は毎年、薔薇の花を用意してくれるのですが、今年は特に綺麗な薔薇でしたので写真を載せたいと思います。

実は結婚当初は年数に応じて薔薇の花も増えていったのですが、10年を過ぎる頃から「ラッキーセブン」ということで

いつも7本になっています。







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Google Doodle & アインシュタイン

2015-11-26 16:01:48 | 日記
検索エンジンGoogleに時折、現れるDoodleを楽しみにしています。

これは祝日や記念日などその日にあわせたデザインにGoogleを変更したロゴです。

11月24日は「ルーシー発見から41年」ということで以下の写真のようなドゥードル・ロゴが表現されていました。
(スクリーン・ショットするのを忘れたので実際のロゴとは違います)。

 

ルーシーとは1974年11月24日にエチオピア北東部で発見された318年前の化石人骨につけられた名前です。

類人猿に近い脳容量と人類に近い直立二足歩行を行っていた痕跡を示す人骨という点で重要だということです。

この発見を祝して研究者チームがお祭り騒ぎをしていた時に流れていたのがビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ」だったため

この化石人骨をルーシーと名付けたのだそうです。(以上、ウィキペディアからの引用です)

翌11月25日の新聞に「アインシュタインの一般相対性理論から100年」というタイトルの記事が掲載されたので

その日のグーグルではこれに関連したドゥードル・ロゴが表現されているのではと思いましたが、いつものグーグル・ロゴでした。

アインシュタイン生誕124周年記念のドゥードル・ロゴがあるようなので以下に載せます。

ドゥードル・アーカイブから拝借しました。



アインシュタイン博士は1915年11月25日にプロイセン科学アカデミーで「一般相対性理論」を発表したということです。

聴衆の反応があまり芳しくなかったのは理論をよく理解できなかったことと、当時は第一次世界大戦中でこのような物理学の新しい理論に

注目する人は少なかったのがあまり注目を集めなかった理由だとされています。

10年前に発表された「特殊相対性理論」はあの有名な方式( E = mc2)と共にセンセーションを巻き起こしたのだそうですが。

「相対性理論」にまつわる愉快なエピソードがあります。

かなりしつこく「相対性理論はわからない」と連発する人に対してアインシュタイン先生は
以下のようにユーモアたっぷりに答えたそうです。

「恋人と一緒に過ごす2時間は1分位に感じるでしょう? 
それに対して熱いストーブに一分でも座ろうものなら2時間も熱いところにいたように感じるでしょう?
相対的とはそんなことですよ」

ところで相対性理論では「時間の遅れ」という現象を予言しています。

特殊相対性理論ではある速度で動いている観測者の時計の進み方は、それより遅い速度か静止している観測者の時計よりも進み方が

遅くなることが予言され、実験的に確認されている‐ということです。

これももちろんウィキペディアからの引用です。

私はこのような知識はもちあわせていませんからネ

ところが家の同居人は大学時代物理学の授業で相対性理論もかじったことがあるようで、

この「時間の遅れ」を自分の都合の良いように言い訳として使うのでイヤーな気分です

この間も、約束した時間に約束したことをしてくれなかったので文句を言ったら

「まぁ、そんなにむきにならないで、アインシュタイン博士も言ってるだろう、時間は遅れるって」

と、とぼけた答えがかえってきました
 
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ミャンマー & ジョージ・オーウェル

2015-11-24 15:52:42 | 旅行


急に寒くなりました。

夕方、雪も降りだしました → 「初雪」です!

でも花壇のクリスマスローズは寒さにめげず、元気一杯に美しい白い花を咲かせています。

この間、ミャンマーで総選挙が行われ、ミャンマーの様子が報道されました。

ミャンマーには2002年と2005年に訪れました。

ミャンマーには広大な平原に仏教遺跡が林立するバガンや丘に大小さまざまな無数の白いパゴダが建つサガインなど

幻想的な光景の観光地が多くあります。

インレー湖もまた訪れたいところです。

今日は仏教国ミャンマーの二つの寺院の写真を載せたいと思います。

二葉ともネットから拝借しました。

まずヤンゴンのシュエダゴォンパゴダです。


それから黄金の岩と呼ばれるチャイティーヨーパゴダです。

チャイティーヨー山の山頂直下の大岩の上の岩が金箔でおおわれています。
ミャンマー屈指の巡礼地で巡礼者が岩に金箔を貼りつけたためこのような黄金の岩になりました。
但し岩に女性は近づくことができず、今でも女人禁制です。
岩の上に小さな仏塔があるのですが、この中に納められている仏陀の頭髪が岩のバランスを保っているといわれています。

ヤンゴン市内の歩道でジョージ・オーウェル著「ビルマの日々」が売られていたので購入しました。
(紙質も悪く、印刷状態もあまり良くなかったので読後、捨ててしまい手元に残っていません)。

オーウェルの本は監視管理社会を描いた「1984年」や出世作となった「動物農場」などがあります。

大学時代に英文学の授業で確か「1984年」を読んだような記憶がありますが、内容はほとんど覚えていません。

「ビルマの日々」は1934年に出版されたオーウェルの処女作です。

オーウェルは1903年にイギリス植民地時代のインドで生まれます。

1922年にビルマのマンダレーでインド警察の訓練所に入所し、その後5年間各地で勤務することになります。

ビルマ時代の体験をもとにして書かれたのが「ビルマの日々」です。

帝国主義下のビルマで現地人を見下すイギリス人社会や現地人の文化に理解を示すがためにイギリス人社会から孤立してしまう

人物が描かれています。

ちなみに以前はビルマと呼ばれていたこの国の名称は1989年に軍事政権が英語表現ではないビルマ語の「ミャンマー」を正当な

表記としてから使われなくなっていますが、私にはやはり「ビルマ」の方がなじみますね。

最後にミャンマーで私たちを案内してくれたガイドと私の写真を載せます。

あいかわらず顔にシャドーがかけられないので拡大しないでくださいね。

これまで世界の色々な観光地でガイドさんに案内してもらいましたが、このガイドさんが一番良かったです。

私の「心の妹」としてこの写真はいつも手帳に挟んでいます。

お笑いは私の足に貼られているサロンパスです。

ミャンマーの寺院では靴下も脱いで裸足にならないといけません。

前日、捻挫した箇所に湿布薬を貼ったまま写真におさまってしまいました

それから私はこれまでたった一度だけですが「ちょっとアウンサンスーチーさんに似ている」と言われたことがあります

そのことを話した友人には「エーッ! まさか」とせせら笑いされてしまいましたが

でも言われたことは確かですからネ






 
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絵文字で詐欺? & 「スモンビー」

2015-11-21 17:10:00 | 日記
絵文字が好きです。



ブログを作成したり、iPad miniを使うようになってようやく絵文字を挿入することのオモシロサを知ったので

絵文字洗礼(?)が遅かったためか結構はまっています。

「還暦過ぎたオバサンが絵文字なんて子供っぽい」と思われようが構いません。

それで今朝のテレビのニュースで

Betrug mit Emojis (絵文字で詐欺)


というタイトルを見て思わず注視してしまいました。

これは「ワッツアップメッセンジャー・アプリケーション」で「動く絵文字が無料で使用できます」という宣伝文句に騙されて

ダウンロードすると、結局有料で週12€(約1500円)も支払わされる羽目になるというものです。

「ワッツアップ」はラインのように「既読(Read)」の表示もなく、すぐ読まなくても友達から仲間はずれになる心配もないというので

ドイツの若者の間でも使用者が増えています。

それに「絵文字」もこのところ益々人気が高まっています。

「絵文字発祥の国」日本の若者の間ではもうブームは去ったのではないでしょうか?

ニュースのタイトルを見て、やはりドイツ語だなぁと思ったのはEmojiに複数を表す「s」が付いていたことです。

それでアナウンサーの発音は「イモゥージーズ」と聞こえ、はじめ良くわかりませんでした。

それでは今度は「スモンビー」は何でしょうか?

これはSMOMBIEと記されます。

「スマホ」と「ゾンビ」(Zombie)の合成語で

「スマホ」に熱中するあまりゾンビ(死体のまま蘇った人間)のようにフラフラと歩く人物を揶揄する若者用語です。

この間、地元の新聞の「子供のための辞書」のところに掲載されていました。

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英語は女を変える

2015-11-19 17:48:43 | 読書


数日前の素晴らしい夕焼けです。

でも翌日は期待したほどの好天気ではありませんでした。

10日間ほどブログはご無沙汰していました。

16年前の病気が再発して入院した友人も退院し、気にかかっていた(私にとっては)大仕事も無事終了したので

久しぶりのブログアップです。

私の名刺には(一応)通訳翻訳士と記されていますが、仕事の量としては通訳の方が多くなっています。

適切な訳語や訳文を模索しながらの翻訳は結構心地よい作業ですが、

終日家に引きこもっての作業よりは、出かけて行く通訳業の方がどちらかというと好きです。

通訳も逐次と同時もお引き受けしていますが、同時通訳の回数はそれほど多くありません。

同時通訳は通常2人、ないしは3人でブースに入って行います。

ひとりで同時通訳をするのは「ウィスパリング」といって講演会やセミナーなどのおひとりの参加者の耳元でささやくように

通訳をする場合です。

ブースではヘッドフォーンを通して流れてくる話者の音声を訳していきます。

集中力が必要なのでせいぜい15分から20分程度で交代します。

訳していない時も休むわけにはいきません。

正確さが要求される数字や名前などをわきでメモしていかなくてはならないからです。

今回の私にとっての気がかりな同時通訳は実働時間が短いということと、主催者側の予算の関係でひとりで仕事を

しなくてはならなかったからです。

それに主催者側の担当者が通訳業務に関してあまり理解していない方で

「通訳者は資料なしでもなんでも訳せる」と思っていたようで当初は「挨拶原稿も資料もありません」ということでした。

でもこれまでの経験から、確かにドイツの方はご挨拶はフリーで話されることが多いけれども、

日本の方はいつもしっかり原稿を用意されているので、仕事の数日前に一応、確認のためにご挨拶原稿と資料が

ないかどうか尋ねたら → あるじゃないですか!

逐次でも、特に同時通訳の場合、通訳に挨拶や講演原稿が渡っていず、スピーカーが原稿を読み上げるというケースは

通訳者にとっては悪夢です。

今回もぎりぎり事前にご挨拶原稿を入手できて本当に良かったです。そうでなければ冷や汗ものでした。

「このような言葉を独訳するのは大変だろうなぁ」と思っていた言葉、あの「一億総活躍社会」が原稿に記載されていたからです。

それに「新3本の矢」とか「以前の3本の矢」とかもありました。

それからPowerPointで作成された大量の資料も前日、届きました。

ま、当日渡されるよりも良かったのですけれどね。

ちなみにブースに入っていると「恐怖の投げ込み」ということもあります。

当日になってスピーカーが講演内容に変更をいれたとかで、変更資料がブースに「変更でーす」と届く場合です。

今回はそれにブースも通訳用のヘッドフォーンも用意されていませんでした!

これはコスト節約というよりも担当者が同時通訳をする際に必要なものとの認識がなかったためです。

会場に早めに到着したので技術の人と交渉して通訳用のヘッドフォーンだけは用意してもらいました。

でも一応、無事終了して安堵しています。

難しそうな仕事を引き受けたことを後悔する場合に手を取るのは次の本です。



1992年発行ですから、23年前の本です。

日英会議通訳の第一線で活躍されている方おふたりの共著です。

その中で「仕事を重ねて心がまえも蓄積していくうちに、ある日、これまではやりたくても恐ろしくてとても引き受ける自信などなかった仕事を、なぜか引き受けてしまった、というような経験をします」

という文章があります。

今回の仕事は私にとってそのような仕事でした。

といってもこの文章を書かれた同時通訳者の篠田顕子さんの場合は「1988年の米大統領選挙」のテレビ同通ですから

私とはレベルが全く違いますが、でもひとりで通訳をし、間違いを指摘してくれるブースメイトはいないという点では同じでした。

彼女はそんな時「自分に根っこからできそうにないことを無意識がすすめるはずがない」と

そういう仕事を引き受けたのは根底に「自分への自信」が潜んでいるということを指摘します。

この箇所で、私などは少し「勇気」づけられるのですが、でも次のような文章もあるのです。

「反対に力はないのに、それを忘れて、谷底に落ちてしまうという悲劇もあります」

とりとめなく、仕事のことなどを綴りました。

長い文にお付き合いくださりありがとうございます。



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