気がつけばふるさと離れて34年

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ふるさとの二人の詩人

2015-02-24 11:32:15 | 読書


今日2月24日は母の命日です。

私が国際結婚したことで母との間がぎくしゃくしてしまい、
里帰りする度に母との間に小さな軋轢が生じ気持ちが沈んでしまったことが何度かありました。

そんな時、近くの天神山に散歩に出かけました。

山といってもせいぜい20分ほどで頂上(?)の神社にたどり着けます。

そこには石川啄木の歌碑があります。

「愁ひ来て丘にのぼれば名も知らぬ鳥啄ばめり赤き茨の実」という歌です。

この短歌は中学3年生の時に暗誦させられました。

担任だった国語教師の遠藤八重子先生がどこか短歌の結社に属しておられ授業の終了時に全員起立させられて朗詠させられたのです。

中学の授業の数少ない思い出のうちのひとつです。

父が亡くなったのも12月上旬の寒い日でした。

国際電話で知らせを受けて即、航空券を手配しましたが納棺には間に合いませんでした。

成田空港から電車で最寄の駅に着いたのは深夜で、雪道は危ないというのでいとこが二人で迎えに来てくれました。

そこから実家までは種山高原を通って行きます。

種山高原は宮沢賢治の詩で「種山が原」と記されているところで、夏には星座の森での「スターウォッチング」でにぎわいます。

当時は種山高原で星のことなど考える心の余裕はありませんでしたが今はあの高原で夜空の星を眺めながら宮沢賢治の「星めぐりの歌」を唱ってみたいなあと思います。

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのおくちのかたち
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ
小熊のひたいの うえは
そらのめぐりの めあて

日本にいたころはふるさとの二人の詩人のことなどあまり考えたことはありませんでした。

「十五の心」というお菓子のCMで出てきた「不来方のお城の空にねころびて空に吸われし十五の心」の歌が思い出に残っているくらいです。

でもふるさとを離れてみるとやっぱりこのふたりの詩人は私の人生のいたるところに秘かに存在していたのだと感じます。



長い文章になりました。最後までお付き合いくださった方々ありがとうございます。



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格差社会 & ハワイのホームレス

2015-02-22 16:29:19 | 日記

ピケティの「21世紀の資本」が日本では話題になっているようです。

今回もハンティントンの「文明の衝突」のようにメディアの広告キャンペーンに踊らされてみんなが購入してしまったような気がします。

「毎日が忙しい」といっている人々が600ページもある経済書を読む時間があるのかなあという疑問と、発売後すぐに「ピケティの入門書」が売り出されたのもアヤシイ。 

「21世紀の資本」はアメリカでは話題になったようですが、ドイツではそれほど話題にはなりませんでした。
 
でも日本同様、ドイツでも「格差社会」のことは「高齢者の貧困」と共によく話題になっています。

ドイツの場合、富裕層と貧困層の格差が拡がっていることも確かですが、低所得者が増えていることが問題になっています。

それは年金受給額が少ない高齢者であったり、シングルマザーの子供たち、あるいは外国からの難民だったりします。

それに比べて富裕層の所得と財産は益々増え続けるという日本と同じような社会現象があらわれています。

アメリカも同様なようで「ITバブル崩壊」後、特に貧困者、ホームレスの人が増えているのだとか。

そしてハワイでホームレスが増えているのだそうです。

「ハワイのホームレス」は特にオアフ島のワイキキ・ビーチ周辺で目にしました。

以前、ワイキキに滞在した時には見かけなかったのにゴミ箱を漁る人たちに至るところで遭遇しました。

特にロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンターがあるあたりでファッショナブルな人たちに交じってゴミ箱を覗いている中高年の人たちの姿は異様でした。

日本人のホームレスもいるようでABCストアという日本人ツーリストが多いスーパーの入り口で私も「お金めぐんでくれませんか」と日本語で話しかけられた時には驚いてしまいました。

ハワイにホームレスが増えている理由としては、
‐一年中気候が温暖で公園や浜辺でテントなしで野宿しても寒くないこと
‐観光客が多いので食べ残しの食品にいつもありつけること
‐ビーチに設置しているシャワーをいつも使えること
などが挙げられています。



ワイキキビーチからの夕日です。




 
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ケルンのカーニバル & 日本のお祭り

2015-02-19 15:24:40 | 日記

この間の月曜日はここラインラント地方のカーニバルが最高潮に達するローゼンモンターク(バラの月曜日)でした。



カーニバルの季節は11月11日に始まり「灰の水曜日」に終わります。

カーニバルというとヴェニスやブラジル・リオのカーニバルが有名ですが、ここケルンのカーニバルもおよそ100万人の観光客が訪れるといわれています。

ケルンのカーニバルの特徴はお祭りの衣装に軍服があることです。これはナポレオン軍にケルンが占領された時代があり、その頃の仏軍を揶揄ったものだといわれています。

大がかりな山車が60台以上も市内を練り歩き、チョコレートや花束がばらまかれ、それを集めるのはなかなか楽しいものですが、「お祭り」はやっぱり
日本のお祭りが好きです。以前見物した青森の「ねぷた」とか秋田の「竿灯」、京都の「葵祭り」ー もう一度訪れたいです。

今年はお天気に恵まれ晴天下のローゼンモンタークでしたがそれでも日中の気温は5度前後、寒さの中、震えながらの「お祭り見物」よりも、私は浴衣を着ての「七夕」や「盆踊り」が懐かしいです。

先日、ドイツのテレビで原発事故後、はじめて開かれた「相馬野馬追」の様子が映し出されていましたが、いまだに震災と原発事故からの復興があまり進んでない地域の人たちの伝統のお祭りの維持にかける熱気が伝わり感動しました。

いつかゆっくりと日本に一時帰国して色々なお祭りを見物するのが願いです。

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時事ひとりごと - 7 (タフな独首相 & いねむり)

2015-02-15 15:03:59 | 時事ひとりごと

政治家は本当にタフでないと務まらないと思います。

特に先週のドイツのメルケル首相のスケジュールを見ると、よくこれで倒れなかったものだと思う位です。

昔の「キッシンジャー外交」を彷彿とさせるように各国を飛び回るメルケル首相の記事が先日掲載されていました。



2月5日(木)から2月12日(木)の一週間にめまぐるしく移動しています。

1.2月5日、キエフでオランド仏大統領と共にウクライナ平和交渉
2.2月6日、ベルリンでイラク首相と会談
3.2月6日、モスクワで平和交渉のための準備会談
4.2月7日、ミュンヘンで国際安全保障会議に出席
5.2月8+9日、ワシントンでオバマ大統領並びに世界銀行の代表者と会談
6.2月9日、オタワでカナダの首相と会談
7.2月11日、ベルリンで閣議後、フォンヴァイツゼッカー元大統領の国葬に出席
8.2月11+12日、ミンスクでウクライナ停戦協定のための4か国首脳会談(16時間)
9.2月12日、ブリュッセルでEU首脳理事会

2月12日のEU首脳理事会ではオランド仏大統領には疲労の影がみえ記者会見では言い間違えや「ギリシャとエジプト」を取り違えたりしました。

でも余裕のメルケル首相は「今週はまだ終わったわけではありません」と言い、記者団をおどろかせました。

以前、「どうしてそのようにハードなスケジュールをこなせるのですか?」との問いに

「ラクダが水分を体内に貯蔵するように私もエネルギーを貯蔵して小出し(?)にできるの」

とユーモアを交えて答えていたことがありました。

「それでは睡眠を貯蔵することは可能か?」というタイトルの記事も掲載されていました。

一日あたり必要な睡眠時間は各人により違うようですが一般には8時間だそうです。

ナポレオンやトーマス・エジソンは短時間の睡眠でも十分だったようですが、

文豪ゲーテや相対性理論のアインシュタインは何と一日12時間も睡眠をとり、それでもあのように偉大な業績を残したのだとか。

ただ睡眠不足は人間の体に悪影響を与えるので、この記事の執筆者、「ドイツ睡眠協会」の副理事テア・ヘロルドさんは
「パワーナップ」を勧めています。「パワーナップ」は昼寝よりも短い15-30分の短い仮眠のことで、時間あたりに対する睡眠の効用を最大化する睡眠法とされています。

ヘロルドさんは「日本にはパワーナップに相当する言葉があり、それはINEMURIと呼ばれている」と語っています。

そのうち”INEMURI”も国際語になるかもしれませんネ


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ゲルハルト・リヒターの絵が55億円!

2015-02-13 15:13:54 | 日記

昨日「リヒターの一枚の絵が4100万ユーロで落札」というタイトルの記事がケルンで発行されている地方紙のトップに掲載されました。


リヒター氏はケルン在住でケルン市の名誉市民にもなっているのでトップに掲載されたのだと思います。
ケルンの大聖堂にもリヒター氏のステンドグラスがあります。

4100万ユーロって日本円に換算すると55億円ではないですか

でも画伯は自分の絵がこれほど高額で取引されていることを「馬鹿げたことだ」と思っているのだろうなあと想像したことでした。

2011年の秋に「ろうそく」の絵がやはりロンドンで1200万ユーロで落札された時も「信じられない」という感想をもらしていましたから。

今から10年前になりますが日本の美術雑誌の方々とケルンのリヒター氏のアトリエを訪れお話しを伺ったことがあります。

お仕事をご紹介して下さったのは以前、東京で「通訳集中講座」に参加した時知り合いになったKさんです。

彼女はその頃からすでに会議通訳者として仕事されており別に受講する必要はなかったのですが、何故か参加され、トレーニングで一緒にブースに入った時など色々助けていただきました。

現在はドイツの首相や大統領が来日したりベルリン・フィルやドイツのオペラが来日公演するときの通訳を務め日独通訳のトップグループのひとりとして活躍しています。

私はそれまでどちらかというと行政関係の仕事が多く、美術関係は初めてだったので基礎知識から学ばなくてはなりませんでした。ちょうど隣町のデュッセルドルフでリヒターの大回顧展が開かれていたのでそこでカタログと邦訳された「写真論・絵画論」を購入して勉強しました。

300ページもあるドイツ語の大冊をよく読破したものです(マ、絵がかなりのページ掲載されていたことも確かですが)

以前から画伯とお付き合いがある画廊の方が「インタビュー嫌いで気難しいこともある」とおっしゃっていたのですが、訪問時は機嫌良く真摯にこちらの質問に答えてくださいました。
美術雑誌に掲載されたアトリエの写真です。


アトリエには10点ほどの絵が整然と並んでいて画伯は「何枚かはまだ途中で、何枚かは完成している」と言われたのですが、居合わせた誰一人として「どれが完成作品?」かはわかりませんでした。抽象画は難しいです

それにしても掲載誌を手にとる度に「エッ、こんな難しいことを私は通訳していたのかスゴイなあ」と自分のことながら感心してしまいます。この時の仕事は通訳歴の中でも金字塔のひとつで、ご紹介してくれたKさんに感謝しています。

でも「過去の栄光?」をこのように懐かしく思い出すなんてやはり私もかなり「退職モード」になってきたことを痛感します。
色々理由をつけて仕事を断る私は通訳仲間のひとりから「有閑マダム」などと呼ばれてしまいました



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