今朝の新聞は昨日行われた東部ドイツ、テューリンゲン州の州議会選挙の結果を報じていました。
現政権の左派政党と極右のAfD(ドイツのための選択肢)が躍進し、メルケル首相の連立与党キリスト教民衆同盟は前回の選挙を12%以上支持率が下がり、第三勢力になってしまいました。
来年の連邦議会選挙はどうなるか気になります。
この選挙結果について色々述べられていますが、私はやはり東西ドイツ国民の意識の違いではないかと思っています。
30年前にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されたとはいってもあいかわらず格差はあります。
確かに当時、東西ドイツには国境があり、東ドイツには言論の自由はなかったとはいっても、当時の東ドイツでは失業率はゼロ(東ドイツの憲法には国民全てに労働の場を与えるということが唄われていたらしいです→確かめたわけではないのですが)、全ての幼児は幼稚園に入ることができました。西側への旅行はできませんでしたが、社会主義国の東欧諸国や場合によってはカリブ海のキューバへの旅行も認められていました。
もしかすると当時の東ドイツの状況は「そんなに悪いものではなかった」と思う人々がかなり多くいて、当時の東ドイツの独裁政党SED(社会主義統一党)の後継政党である左派政党に一票を投じたのかもしれません。
極右のAfD(ドイツのための選択肢)に投じた人々はやはり現在の難民政策に不満を抱いている人なのではないかと思います。
以前(30年以上前)東ドイツでは外国人を目にすることはほとんどありませんでした。
外国人といえばやはり社会主義国の北朝鮮とかベトナムの留学生、あるいは医療技術が優れたキューバのお医者さんもいたかもしれません。
そして数年前から多くの難民の姿を目にするようになり違和感を抱いたとしても不思議ではありません。
外国人ということでは従来から外国人労働者を受け入れてきた西側のドイツ人は比較的違和感が少なかったとは思いますが、それでも多くの難民を受け入れ、そしてその難民の何人かが罪を犯してしまうとやはり難民に対して不信感を抱いてしまいます。
1949年5月に当時西側の戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス)の管理下におかれていた西ドイツがドイツ連邦共和国の成立を宣言し、それに対抗する形で同じ年の10月にソ連の管理地域だった東ドイツがドイツ民主共和国を宣言したので、東西ドイツの分断期間は40年間です。
今年はベルリンの壁崩壊から30年の記念の年ですが、東西ドイツの人々の意識格差が埋まるまでにはもしかするとあと10年は必要なのかもしれません。