気がつけばふるさと離れて34年

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「外交官」の仕事

2016-03-29 16:20:07 | 日記

ドイツ語で水仙のことは「Narzisse」といいます。

でもこれは「スイセン属」全てを指し、「ラッパズイセン」については別に「Osterglocke(復活祭の鐘)」と呼ばれています。

いつも復活祭の頃に開花するのでこのように命名されたということです。

我が家でもたった一輪だけ復活祭に合わせて咲き始めました。あいかわらずあまりお天気が良くなくちょっと寒そうです。



先日、古い本ですが「外交官」について記された本を再読しました。



この本を書棚の奥から探し出したのは、先日の朝日新聞デジタルで昨年亡くなった外交官の一周年の追悼記事を読んだからです。

昨年の3月20日に心不全のため49歳で亡くなった外交官・松田誠さんを悼む記事でした。

松田さんが外務省の人事課にいらした折、2009年に入省することが内々定した28名の学生たちに宛てた文章は

外務省では今でも語り継がれている檄文として有名だということです。

「敢(あ)えて言うが、諸君は多数の志望者の中から選ばれた、どこに出しても恥ずかしくない立派な人材である。採用にかかわった我々は、外務省の幹部に対し、他省庁に対し、またひいては国民に対し、我々が選んだ君たち28名を誇ることができる」

「くじけそうになったとき」この「檄文」に励まされた人も多かったそうです。

A4判いっぱいに書かれたこのメッセージをいつか機会があったら読んでみたいものです。

外務省に入省後、国内勤務を経て語学研修のため海外に赴く前の壮行会で松田さんは外務官の卵たちに対して次のように語りかけたということです。

「外務省では、何度か一生に残る仕事ができる。俺の場合は、ふたつある。ひとつは、日朝平壌宣言にかかわったこと。もうひとつはおまえたちを採用したことだ」

このような素晴らしい上司に巡り合えた2009年組はやはり幸せな入省者といえるでしょう。

私は大使館や総領事館の仕事のお手伝いをした関係で何度か外交官の方々と接したことがあります。

大変なお仕事をなさっているということはここで紹介した「外交官」を読むとよくわかります。

それに比べて→国会議員や大臣は(全てがそうだというわけではないと思いますが)優秀な官僚の時間を浪費させるような言動が多いと思います。

少なくともドイツで大臣に任命された人は就任インタビューでは現状分析や問題を澱みなく答えられます。

日本のように「これから勉強します」、あるいは「勉強不足」などと自分の能力のなさをさらけ出すような人はいません。

それから国会の委員会で各所管省の局長に答弁させるなど考えられません。

また国会議員のいわゆる「先生」にも礼儀作法を知らない方が時折いらっしゃいます。

何度か国会議員の先生のアテンドで苦労した折、「一体国会議員の仕事ってどういうものだろう」と興味を持ち、購入したのが以下の本です。



国会議員の先生に関するエピソードはまたいつかの機会に綴ってみたいと思います。
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「エンゲル係数」雑感 & 無知

2016-03-27 15:03:25 | 日記

今日は復活祭の日曜日。

森の散歩に行きました。久しぶりに行ったらイチリンソウが咲き始めていました。

まもなくこの辺りはイチリンソウが一面に咲いて白い絨毯を敷き詰めたようになります。



日頃愛読している「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」の欄で「エンゲル係数」のことに触れていました。

以前はエンゲル係数の値が高いほど生活水準は低いとかいわれていたけれど、

現在はグルメ文化や「食べる」ことの周辺(食器など)にお金をかけることが多くなり、

生活水準とは関係ない、いわゆる「超エンゲル係数」が高くなっている、というような内容でした。

それで私が思ったのは自分の「無知」のことです。

我が家から車で一時間ほどの所にヴッパータールという町があります。

この町の有名人としては舞踏家のピナ・バウシュなどがいますが、ドイツの人にとってはフリードリッヒ・エンゲルスが生まれたところとして

知られており、「エンゲルス・ハウス」などがあります。

私は数年前までこのヴッパータール出身のエンゲルスさんがあの「エンゲル係数」の学者だと勘違いしていました。

でも「エンゲル係数」の方の経済学者は苗字の末に「S(エス)」のないエルンスト・エンゲルさんなのです。

フリードリッヒ・エンゲルスの方は終生カール・マルクスの誠実な友人として知られ「共産党宣言」などの共著者としても

知られていますから、私はてっきりあの「エンゲル係数」もこの人がと思いこんでしまっていたのですね。

でもドイツ人で「エンゲル係数」のことを知っている人はいないので、不思議だなぁとは思っていたのです。

「エンゲル係数」は特に日本でよく知られているようですね。

この理由は立花隆著の「天皇と東大」に記述されているそうです。

ネットで検索していたら三浦さんという方のブログにその記載がありました。

h.hatena.ne.jp/kmiura/20060405

それによりますと

・・・・統計学を学ぶためにミュンヘン大学に留学していた高野岩三郎が1900年(明治33年)に「エンゲル文庫」を買い入れ、

それを元に後に東大の経済学図書館が設立され、その結果「エンゲルの法則」が翻訳され「エンゲル係数」が日本に広まっていった。

ということのようです。

最近、再読した小池龍之介著「しない生活」の以下の文章を思い出したことでした。

・・・・脳は「このことを自分はもう知っている」と判断したものに対しては情報を大胆に省略する癖をもっている。これは仏教で「無知」と呼ばれる煩悩に相当する。

私など「煩悩の塊」だなぁと苦笑してしまいました。

田中美知太郎先生も「常識の立場」で同様のことを述べられています。

・・・多くの人が知っていることは、実際はただそう思っているだけで、何も知ってはいないのだというようなことである場合が少なくない。

これも「耳の痛い」お言葉です。



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宮本輝著「青が散る」 & 大学生活

2016-03-25 15:39:34 | 読書
今頃になって、何故1982年出版のこの小説を読みたいと思ったのかよくわかりません。



iBooksで試し読みしたのですが、電子版での読書より、やはり一時帰国の時に文庫本を購入してこようと思い、

YouTubeで1983年のテレビドラマがアップされているのを見つけ13回、この間視聴しました。

だから「読書カテゴリー」に入れてありますが、実際に本を読んだわけではありません。

宮本さんの作品では落馬骨折して乗馬をあきらめた後に手にした「優駿」が記憶に残っている位です。



動画視聴した「青が散る」は大学生活、特に体育会のテニス部が描かれていたのでとても興味深かったです。

新設大学でテニスコートなどなかったために自分たちでコートを造成して、ローラーを引いて地ならしするシーンでは

そういえば私たちもローラー引きをしたことなど思い出しました。

「青が散る」の第4回では「合ハイ(合同ハイキング)」に参加した女子大生が「J大とかT大の女の子はチヤホヤされていた」と

ボヤく場面があり、思わず笑ってしまいましたヨ。

私も大学一年の時にテニス部の仲間と練習をさぼって「合ハイ」に参加したのがバレて先輩から大目玉をもらったことがあるのです。

私たちは「チヤホヤ」された記憶は全然ありませんけどね。

今、大学生活をふりかえってみると、「もっと真面目に勉強すれば良かったナァ」という思いはあります。

でも「大学生活は楽しかった」といえるのはやはり友人に恵まれていたからだと思うし、友人たちには感謝しています。

一時帰国で会えるのを楽しみにしています。


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桃始笑 & 樹木葬

2016-03-20 10:10:35 | 日記

毎年この時期に5年前に亡くなった友人のお墓参りに行きます。

ご葬儀は1月だったのですが、寒いので春の訪れが感じられる3月頃に友人と彼女のお嬢さんの家族に墓参の声をかけます。

彼女は我が家の近くにある樹木葬の森で眠っています。

一年に一度だけ訪れるのですが、今年は昨年に比べて仏像を置いてあるお墓が目立ちました。




お墓に備えるお花の購入担当は私です。

友人はとても春の訪れと桜の開花を待ち望みながら亡くなったので、ご葬儀の時も供花は桜の枝と思ったのですが、時期的に難しくて

結局「木瓜」になりました。

これが真っ赤な緋木瓜ではなく、紅と白が混じった更紗木瓜だったようで全体として桜色になりました。

それでご葬儀の司会をされたドイツ人も木瓜の枝を「桜」と皆さんに紹介していました。

今年は花屋さんで桜の枝があったので、皆さんに「今年は桜の枝をお供えできそうです」とお伝えしたのですが、

これは私の勘違いで「桃の花」でした。


「あなたはいつもソソッカシイからネ」と樹木葬の森で眠る彼女に笑われるわね、と友人と話したことでした。

そういえばお墓を訪れたのは季節の暦の七十二候の第八候「桃始笑(ももはじめてさく)」‐桃の花が開き始める時期でした。



この季節手帖の第八候には次のような素敵な文章があります。

『昔は、花が咲くことを「花笑み」といいました。花のように笑うことも「花笑み」といいます。
 
 桃が笑って、人も笑って・・・・。 これが長寿の秘訣なのかもしれませんね』

その時のことを詠んだこの間の句会に提出した句が好評でした。

里山の花守となり友眠る
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映画 「フクシマ・モナムール」

2016-03-13 13:35:13 | 日記

日本での公開は未定のようですが、ドイツでは3月10日からドイツ人女流監督ドリス・ドリエの「フクシマ・モナムール」が公開中です。



心に傷を持つ若いドイツ人女性が福島を訪れ、震災で弟子を亡くした年配の芸者と心を通わせていく物語で今年2月のベルリン映画祭では

2部門で受賞しました。

年配の芸者を桃井かおりさんが演じています。

この年配の芸者のモデルになったのは岩手県釜石市で「釜石最後の芸者」といわれた故・伊藤艶子さんだということです。

震災の日も艶子さんはお座敷の予約が入っていたそうですが、あの日の津波で生活は一変してしまいました。

艶子さんは高台に避難して無事でしたが、家に置いてあった商売道具の三味線は流されてしまいました。

その後、「仮設住宅で暮らす芸者」の話を聞いた八王子の芸者めぐみさんが艶子さんに三味線を贈ったことから二人の交流が始まります。

そしてめぐみさんの依頼で艶子さんが自分の芸をめぐみさんや八王子の芸者さんに教えるようになります。

「芸は津波で流されない」という素敵なモットーの元、釜石と八王子芸者の交流が行われたのです。

こんなエピソードからドリス・ドリエ監督が着想を得て映画作成になったのだそうです。

映画の完成を見ずに、艶子さんは今年1月仮設住宅で89歳の芸者人生を閉じました。

昨年春、南相馬市の仮設住宅や被災した民家で撮影が行われました。



後ろに立つサングラスの女性が監督で真ん中に座っているのが主演女優のロザリー・トーマスさんです。

ロザリーさんのインタビュー記事を先日読みましたが、中で印象に残っているのは以下の言葉です。

「原発の近くに位置する南相馬の自然の風景が素晴らしくで感動した。6週間の撮影中、小規模な地震を何度か体験した。原発を推進する日本政府が理解できない」

高浜原発の運転停止を命じる大津地方裁判所の決定をロザリーさんにも伝えたいです。

映画鑑賞には来週行く予定です。

今、丁度、桃井かおりさんのデビュー作品ともいえるテレビドラマ「前略おふくろ様」をYouTubeで動画視聴しています。

ショーケンを困らせる「海ちゃん」、とても可愛いです。

そういえば2005年のやはり芸者を扱ったアメリカ映画「SAYURI」で桃井かおりさんは芸者ではなく置屋のおかみさんを演じていたのを思い出しました。
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