気がつけばふるさと離れて34年

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一時帰国 2015 - 1(京都)

2015-05-23 21:32:19 | 日記


菜の花が咲き始めた新緑のドイツを離れて今日はもう7日目です。

関空から「はるか」で京都まで行き駅前のホテルに4泊して久しぶりの京都見物をしました。


東寺では「両界曼荼羅図」を鑑賞しました。
五重塔も特別に公開されていましたが、
塔の「耐震建築」に驚きました。


伏見稲荷大社には始めて訪れます。
何でも外国人旅行者の人気ナンバー1なのだそうです。
麓は大混雑でしたが、山頂付近にひっそりと並べられているミニ鳥居が風情があってよかったです。



清水坂は修学旅行生と外国人旅行客で身動きが取れないぐらいでした。
陸前高田の7万本の松のうち津波で流された後、浜に打ち上げられた松の木を使って作成された仏像が清水坂に鎮座していたので拝んできました。




仁和寺では御室八十八カ所を2時間ほどでまわりました。
四国ではせいぜい10カ所くらいしか行けなかったと思います。



京都観光の終わりに「化野念仏寺」にも行きました。
天龍寺近辺の竹林も訪れましたが、念仏寺裏の竹林道の方が
人もあまりいなくて静かで良かったです。

この後、比叡山に行き、延暦寺会館に宿泊しました。
今日は名古屋に滞在しています。
明日は瀬戸経由で下呂温泉にいきます。
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乗馬 & 競馬

2015-05-15 12:16:22 | 日記
先日、森の散歩をした折、昔通っていた乗馬クラブの近くを通りました。

二人仲良く並んで乗馬している姿を目にしたら、とても懐かしい気持ちになりました。


乗馬教室には9年程通っていました。

ドイツに来てすぐに夫の勧めで通い始めました。

優しくて賢い馬と共に行動するのがとても心地よかったのを覚えています。

ただ賢い馬は私が初心者だとすぐに「見抜いて(?)」あまりこちらの思い通りに走ってくれなかったのには困りましたが

例えば四角い馬場の角のところは省略してマルく回るとか、森に行くと勝手に進んで草を食んでしまうとかです。

自分の馬がなかったので常に同じ馬で練習するわけにはいきませんでしたが一番多く乗った馬はブラッキー(といっても白馬だったのですが)です。

ブラッキーは跳躍が好きで馬場に跳躍練習用のバーを見つけるとすぐにそっちの方に向かって跳躍するので大変でした。

でもブラッキーの癖は知っていたので「跳躍」の態勢はいつもとっていたので問題はなかったのですが、

モン・シェリの場合は並足練習をしていたのに不意にギャロップをしてしまい落馬してしまいました。

11月のとても寒い日だったので馬の方も少し動きたかったのかなあと思います。

寒くて私の体もこちこちになっており、落馬して背骨を圧迫骨折してしまいました。

落馬後、夫から乗馬は禁止されたのですが、馬への愛着は捨てきれず「競馬」に行くようになりました。

始めは二人とも馬券の買い方がわからなくて何となく「名前」とかパドックで馬を見て馬券を買っていました。

夫など始めパドックで「歯が丈夫な馬が駿馬」とか言ってしきりに歯を見ようとしていたけれど、でもそれって農耕馬だったらあてはまるのかもしれないけれど、
サラブレッドでも歯はそれほど重要なのかなぁ

でもそのうち、競馬新聞とか下馬評をもとに馬券を少額ずつ購入していたら総額でマイナスになることはありませんでした。

それで「競馬で負けたことはないのですヨ」なんて豪語しております

この時期日本に行くといつも「日本ダービー」があるので楽しみです。去年の新聞広告も大切にとっています。


最後に落馬してもけがをしない「ロバ」に乗っている姿を一枚(ギリシャのパロス島です)。となりの写真はスキッパー(?)の私。


昨日、今日と2日続けてのブログアップは始めてです。
後は4-5日後、京都からブログアップできたら良いなぁ
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キリスト昇天の日 & 父の日

2015-05-14 14:35:33 | 日記
今日は「キリスト昇天の日」で祝日です。

「父の日」はアメリカや日本では6月の第3日曜日ですが、ドイツでは「キリスト昇天の日」が「父の日」です。

久しぶりに森の散歩に出かけました。


「父の日」に森の散歩に出かけるとよく手押し車や馬車にビールを積んだ「お父さん」達の「飲み会」グループに遭遇します。

昨年は見かけたのですが、今年は見当たりませんでした。

このところお天気も良いのでドライブに出かけたのかもしれません。

ネットで見つけた写真を例として貼り付けます。


「父の日」ということで16年前に他界した実家の父のことを思いました。

生前、もっと父に色々なことを聞いておけばよかったなぁと思います。

特に日本の冠婚葬祭のしきたりのことなどです。父は何故かよく知っていたのです。

それから「屋号」のことも父に聞いておきたかったことのひとつです。

田舎では親戚の家はほとんど屋号で呼ばれていました。

今、思い出すだけでも江尻(えじり)、小向(こむかい)、新屋(にいや)、菅生(すごう)、舞領(もうりょう)などがあげられます。

ちなみに私の実家は江尻別家(えじりべっか)でした。

昔ながらの地名や屋号が使われなくなってきたのは残念な気がします。
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日本デー(デユッセルドルフ) & 外国人の漢字名

2015-05-12 15:14:43 | 日記
時折、アプリの「聴くNews」で「列島リレーニュース」を聴いています。

先日は青森からミラノで開催中の万博の「日本デー」で出展する「ねぷた」の出荷が行われたというニュースを聴きました。

私が住む町から車で45分ほどのデュッセルドルフでも毎年5月末に「日本デー」が催されます。



愛読しているブログの花水木さんも以前デュッセルドルフにお住まいでしたが「日本デー」は2002年から開催ということですの多分ご覧にならなかったと思います。

ここ10数年の間に「日本デー」のプログラムも色々かわってきました。

以前は「生け花」とか「書道」、「着物」など日本の伝統芸能に重点が置かれていましたが最近は「マンガ」や「コスプレ」を目当てに訪れるドイツ人が多くなっています。



昔も今も変わらないのは夜11時半からの「花火大会」です。
(多分)大曲市から専門の花火師さんがいらして「本物」の日本の花火がライン川で打ち上げられます。


それから「書道」のデモンストレーションもあいかわらず人気があるのは、ドイツ人が自分の名前を漢字で書いてもらえるからです。

ドイツ語名を漢字で書く場合、単に発音で漢字をあてはめるか、あるいはドイツ語名の意味を邦訳して漢字に書くか2つ方法があります。

例えば以前、仕事をしていたドイツ海外放送局の日本語課の課長さんはクラウス・アルテンドルフさんとおっしゃいました。

お名前のクラウスさんは発音通り「蔵臼」との漢字名でしたが、苗字のアルテンドルフは邦訳すると「古い村」ということで「古村」となりました。

古村蔵臼さん、結構悪くないですよね。

先日お伺いした書道のお稽古では先生がお弟子さんのマルティーナさんを漢字名で記していらっしゃいました。

こちらは単に発音通り、それに「R」を表現する漢字はないので結局「真智菜」(マチナ)ということになりましたが、でもこれも悪くないですね。

ちなみに夫の名前を漢字で記すとしたら意味から「狼行」か「狼歩」になります。
 

コメント (2)
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画家が描いた母親の肖像画

2015-05-09 17:02:32 | 日記

我が家のテラスにある花壇の最後のチューリップ。
今年はとても大きな花が開きました。

「母の日特集」の一環として地元紙に「画家が描いた母親の肖像画」の記事が掲載されました。
有名な画家ばかりなので作風から誰のお母様かわかるかと思います(「解答」は写真の後で)。


ゴッホが35歳の時に昔、実家で自分が眺めていた母親の記憶をもとに描いた作品だそうです。
(アメリカ、ロスアンゼルス、ノートン・サイモン美術館)


右側で娘のピアノ演奏に耳を傾けながら縫い物をしているのがセザンヌのおかあさんです。
息子の画家としての成功を信じて疑わなかった母親のことをセザンヌはとても愛していたそうで、
母親が亡くなったとき「ポールほど泣き崩れたものはいなかった」と後に友人は語っています。
(ロシア、エルミタージュ美術館)


ゴーギャンはお母さんの若い頃の写真をいつも持ち歩いていたそうで、その写真をもとに描かれた肖像画です。
ペルー生まれのスペイン系の美女だったお母さんにゴーギャンはいつも魅かれていたそうです。
(ドイツ、シュトゥットガルト、州立美術館)


上はマネ、下段左はトゥールーズ=ロートレック、右はアルブレヒト・デューラーのお母さんたちです。
(マネの作品はボストンのイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館、ロートレックの作品はフランス、アルビのロートレック美術館、
 デユーラーの作品はベルリン州立美術館、プロイセン文化財団の所蔵です)



この画家の名前がすぐわかった方は「美術通」です(私はわかりませんでした)。
マネの絵画のモデルとしても知られる19世紀印象派の女性画家ベルト・モリゾです。
当時、画家の世界は男性中心でしたが、ベルト・モリゾが画家として成功を収めたのはお母さんのサポートによるところが大きかったとされています。
左は画家のお姉さんエドマです。
(アメリカ、ワシントン、ナショナルギャラリー)

日本の画家が描いた母親の肖像画もいつか機会があったらみたいものです。
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