気がつけばふるさと離れて34年

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マクドナルド•ハウス

2023-10-30 07:20:17 | 日記
タイトルからハンバーガーのお店を思い浮かべてしまいますが、
ここは難病の子供とその家族を支援する小児病院に隣接する宿泊施設です。
1974年アメリカのフィラデルフィアに第一号が開設され、現在は世界45の国と地域に377ヶ所のハウスが設けられています。
ロナルド•マクドナルド基金が運営資金の大部分を出資していることから、
日本以外の国ではロナルド•マクドナルド•ハウスと呼ばれています。
日本では1974年にマクドナルドが初めて進出した時に日本人が発音しやすいように
ロナルドではなくドナルド・マクドナルド表記になったことと、
運営上の方針なのか地域名+ハウス(例えばさっぽろハウスとかせんだいハウスなど)で呼ばれており、
日本全国に11の施設があります。
ドイツには22ヶ所にあり、南西ドイツ・テュービンゲンの宿泊施設に友人が滞在しています。


(画像はHPからお借りしました)

友人の8歳のお孫さんが先日肝臓移植手術を受け長期入院になりそうなので、
娘さんともう一人の幼いお孫さんと共にこの施設に滞在しているのです。
3食付きで大人一人一泊20ユーロ(約3000円)、低所得者の宿泊費は無料だそうです。

今は手術直後でなかなか大変なようですが、
先日52年ぶりに再会したアメリカの友人も肝臓移植後ライン河クルーズするまでに快復したことを話したら、
少し勇気づけられたと語っていました。

アメリカの友人はケルンで会った時に自宅に残してきた2匹の猫のことを心配していました。
お隣さんにお世話は頼んでいたということですが、
以前長期家を留守にしていた時に家中のカーテンをボロボロに破ったことがあったそうなのです。
今回は悪さをせず大人しくお留守番をしてくれていたようで2匹のお茶目な写真を送ってくれました。







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52年ぶりの再会

2023-10-20 18:08:00 | 日記
アメリカのハイスクール時代の友人がライン河クルーズでケルンに寄港するというので会ってきました。
アメリカには何度か行っているのですが主に西海岸で、彼女が住んでいる東海岸を訪れた時には会えなかったので、
何と52年ぶりの再会です。
3年前にもセーヌ川クルーズでパリで会う予定でしたが、彼女の肝臓の具合が急に悪くなり移植手術を受けなくてはなりませんでした。
術後の経過も良好で再会出来てとても嬉しかったです。
待ち合わせは船が停泊している近くにあるチョコレート博物館です。



ランチは1999年のケルンサミットの時当時のクリントン大統領や小渕首相も食事をしたレストランにいきました。
入り口の壁にその時のメンバーとメニューの絵が掛かっています。



注文したケルン風料理です。


ソーセージ入りポテトスープ



Reibekuchen(ポテトのパンケーキ)とスモークサーモン

あとラインラント地方の酢漬けのビーフ(Sauerbraten)アップルソースも頼んだのですが、
私はあまり好きではなく注文しなかったので写真はありません。
でも酸味とアップルソースの甘味、それにレーズン入りグレイビーも美味しかったと好評でした。

今日は生憎の雨が降っていたのですが、レストランを出たら雨がやんでいたのでライン河沿いを歩いて船まで二人を送りました。



Janet、また元気で会いましょうね。









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ギリシャ旅行記 – ④ (パロス島)

2023-10-08 18:26:00 | 旅行
明日パロス島を離れてアテネに行きます。
アテネでの滞在は1日だけで考古学博物館や古代アゴラを訪れ、翌日ドイツに戻ります。
ギリシャ旅行記の最終回はドイツに戻ってから記そうと思っていましたが、
帰宅後は色々と忙しくなりそうなので、明日出発の荷造りも済んだところで今日記事をアップします。

パロス島でも鄙びた漁村や海辺の教会に癒されました。




島の先端にある教会では洗礼式が行われていました。





若い綺麗なお母さんでした。
ツーリストにも記念の手作りのブレスレットが配られました→大切にします。





この島でもタコやカタクチイワシのフライ、ウニのスパゲッティも美味しかったです。








パロス島には知り合いが一昨年別荘を建てました。
彼らは9月に滞在していたので、私たちとは行き違いでした。
一応訪れたという証拠写真を撮っておきました(^O^)。









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ギリシャ旅行記 - ③ (ミロス島 - 2)

2023-10-05 14:15:00 | 旅行



今日はミロス島滞在の最終日です。
明日フェリーでパロス島に向かい3日間滞在します。
その後アテネ経由でドイツに戻ります。
パロス島のレポートは帰宅後にアップします。
今日はミロス島のレポート2回目として、80年前にこの島に滞在し、
今でも「ドイツの良いお医者さん」として島民に語り継がれているドイツ人医師Dr.Hans Löberについて記します。



島の鉱山博物館のショップで購入した博士の手紙をおさめた本です。
ミロス島は種々の鉱石が豊富で今でも採掘され世界中に輸出されています。
滞在しているホテル前のビーチでも硫黄や鉄分を含んだカラフルな鉱石の層が見られます。





Löber博士は第二次大戦中、1943年から1944年まで約一年半、ドイツ軍野戦病院の外科医師として島に滞在しました。
その時負傷したドイツ軍兵士だけではなく、島民200人の手術をして治療を施しました。
ベルリンの同僚から眼科手術の解説書や器具も送ってもらい、専門外の白内障の手術も行いました。
失明してもう孫の顔は見られないと諦めていた85歳のおばあちゃんは手術後また見えるようになり、
神のご加護とばかり喜んだそうです。
島民は治療費の代わりに大量の果物や卵を博士のところに届けました。
卵の何個かは孵化して博士の庭は多くのニワトリが毎日新鮮な卵を産んでくれたそうです。
またその頃島で猛威をふるっていたマラリアの防疫対策もベルリンの専門教授に相談しながら行いました。

島民から愛されていたLöber博士でしたが1944年12月5日にミロス島の隣キモロス島で活動していたパルチザンにより射殺されてしまいます。
射殺される一年前博士がキモロス島を訪れた時の写真と一週間前に訪れた時に撮った現在の写真です。




博士の死後1週間後お父さんの顔を見ることなく生まれた息子さんも後に医師となり(外科医ではなく精神科)お母さんと共にケルンで暮らしています。
二人は博士の死後、50年後の1994年博士が滞在していたミロス島を訪れることにしました。
初めドイツ占領軍の一員として滞在していた博士の家族を島民ははたして受け入れてくれるだろうかと二人は少し不安だったようです。
でもあの「ドイツの良いお医者さん」の家族が島にいることを伝え聞いた島民が次々と二人のところに駆けつけて、
当時の思い出話を語ってくれ大変な歓待を受けたということです。

島に滞在中、博士は毎週日曜日にドイツの家族や親類に向けて「回覧手紙」を送っていて、その数は57通にも及びます。
私が購入したのは博士の死後70年経ってこの57通の手紙をおさめ出版された本です。
出版費用のほとんどは3歳の時博士の手術のおかげで足を切断せずにすんだという島民が出資しました。

ホテルの快適なプールサイドでこの長いブログ記事をアップします。
最後までお読みくださりありがとうございます。










コメント (2)
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