気がつけばふるさと離れて34年

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今井信吾著 「宿題の絵日記」

2017-11-27 15:00:32 | 読書



この本の情報を得たのが新聞だったか、あるいはどなたかのブログだったか今となっては定かではないのですが、是非一度読んでみたいと思っていました。

日本文化会館の図書館の蔵書目録にはなかったので、先月日本在住の友人に来年の和風カレンダーなどと共に購入+郵送をお願いしました。

「宿題の絵日記」というタイトルから多くの方は小学校の夏休み中の宿題としての日記を思われるかもしれませんが、この本の絵日記は

難聴で聾学校の幼稚部に通うお嬢さんのために画家であるお父様が描かれた絵日記です。

あとがきで当時、今井さんのお嬢さん麗(うらら)ちゃんの担任だった聾学校の先生が記されているように、

家庭での絵日記は聴覚に障害のある子供たちが、家庭や学校で言語を獲得していくために重要な手がかりとなるのだそうです。

たまたま絵日記を担当されるお父様が画家だったということもあり、当時のお嬢さんの様子がよくわかるとても心に沁みる絵日記になっています。

この本に興味を抱いたのは叔母のお孫さんが難聴で、多分今井うららさんと同じ聾学校に通ったのではないかと思われるからです。

普通、難聴の人のコミュニケーション手段は手話ということになりますが、この聾学校の場合には手話を使わずにことばを話す教育をします。

生徒は特別の補聴器をつけ、独特の読唇術を身につけていきます。

だんだんと遠くからでも、真横からでも唇の動きだけで話していることを読めるようになるということです。

それを証明するひとつのエピソードとしてテレビの野球中継を視聴していたうららちゃんがピッチャーの調子が悪かった時、長嶋監督の「ヤバイヨ、ヤバイヨー」というつぶやいた唇の動きを読み取ったのだそうです。そして次の瞬間、そのピッチャーはホームランを打たれてしまったのだとか。

お父さんの今井さんがあとがきでも記されているように、この学校の生徒の中には遠くから家族ぐるみで引っ越してくる方々もおられるとのことです。

叔母のお孫さん一家もそうでした。田舎には聾学校はなく、たまたま父親の会社が東京に支社があったため家族と共に叔母も子守として数年間東京暮らしをしました。

難聴のお孫さんはその後、普通の中学校に入学しましたが、午後はいつも専任の先生から補習を受けていたそうです。

その後、筑波の難聴者専門の聾学校に通い、大学も卒業して、今は新聞社のグラフィック部で活躍しています。

中学では一般の生徒と一緒に授業を受けて、別にいじめにもあわなかったようですが、高校では自分と同じように難聴者がいる環境で

「とても気楽に友人と付き合えて楽しい」という手紙が届いた時、それまで彼女が耐えてきた人生を思い、読んで涙がとまらなかったと後に叔母が語っていました。

この絵日記の主人公のうららさんは今、3人のお子さんのお母さんです。

叔母のお孫さんのチカちゃんはまだ独身です。ご両親やおばあちゃんは心配しているようですが、精神的にもしっかりしているのでこのままひとりでも大丈夫だと私は思っています。
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書き初め

2017-11-22 16:42:18 | 日記

三年ほど前から書道のお稽古に行っています。

月に一度か二度、旅行に出かけたりするとひと月ご無沙汰することもありますし、家でもほとんど練習しないので、上達はのぞむべくもないのですが、

一応、楷書、行書、草書の基本はひととおり学び、現在は変体仮名、それに「贈り物の上書き」というのも練習しています。

「贈り物の上書き」は書道検定試験一級のお手本のひとつだということで、お稽古仲間のおひとりが練習されているのをみて、別に試験を受けるつもりなど毛頭ないのですが、少し興味があり練習してみることにしました。



いやぁー、難しくてとても私の手には負えないと痛感しているところです。

「御歳暮」など読めませんでしたヨ。

それに草書で「御」の字の書き順がよくわかりません

でも今後、絶対に書くことはないであろう「贈り物の上書き」を練習しながら、「古き良き日本のしきたり」に郷愁を覚えたことでした。

先日、お稽古にお伺いした折、先生から来年一月の「書き初め会」のお話しがありました。

書き初めなんて小学校以来だから(中学での記憶はありません)まさにウン十年ぶりです。

我が家ではいつもクリスマスからお正月は南の暖かい地区へ避寒に行ってしまうので、これまで「書き初め」のことなどには思い至りませんでした。

書き初めでもし大きな文字を書きたいのだったら、先生の大筆をお貸ししてくださるそうで、色々な大筆と共に、先生のコレクションを一部、拝見することができました。

筆の部分には馬の毛だけではなく、鳥の羽も使われていたり、竹筆は初めて見ました。



先生は夏に一時帰国なさった折、ご自分でもお持ちだったというのを忘れて購入された大筆があり、誰か必要だったら「譲りますよ」とおっしゃってくださったのですが、何しろ大筆を使えるだけの技量がねぇ

「書き初め」用の文字を考えておくように言われたので、以下の本を引っ張り出してきました。


気に入った言葉は「日々是好日」と以下の言葉です。



石飛博光先生の書ですが、とても心惹かれる書体です。
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アメリカ・ハワイ日系社会の歴史と言語文化

2017-11-12 10:09:42 | 読書

一週間ぶりのブログアップです。

それほど仕事で忙しかったというわけではなく、ブログに記したいテーマもあったのですが、何となくブログを記す時間を見つけられなかっただけです。夕方、夕食の準備を始めなくてはならないと思い始めて「アッ、今日もアップできなかった。まぁ、明日でも良いか」と思いながらズルズルと一週間が過ぎてしまったわけです

この一週間、世の中(?)はすっかり秋の風情が深まっていました。
昼食の準備中、思わず見惚れてしまうくらいの綺麗な黄葉で、ノーメーク普段着サンダル履きで外に出て撮った写真です。

(誰にも会わなくて良かったぁ

一週間中に何冊か読んだ中で一番印象に残った本です。


この間ケルンの日本文化会館の図書館で借りました。

ハワイの日系社会に興味を抱いたのは数年前ハワイを旅行した折、日系人初のアメリカ上下両院議員ダニエル・イノウエ氏に関するドキュメンタリーを視聴したからです。

ダニエル・イノウエ氏だけではなくハワイで他国からの移民よりも高い評価を受けている(私の愛国的感想なのかもしれませんが)ようなハワイの日系人とはどのようなものだろうと思ったのです。

この本は2013年9月に行われたシンポジウム「海を渡った日本語」を基本構想としてまとめられています。

ですから日本からハワイへ渡った移民の歴史というよりは日本語の変遷に焦点があてられています。

ただ第2章でハワイ移住史の概略が記されています。
サトウキビ農園での労働力不足により1885年から日本政府主導でハワイへの移民が開始されるのですが、20世紀に入ってから日本からの移民が急増し1924年の「排日移民法」が発令されるまでほぼ20万人の日本人がハワイへ移住しました。

その後、日本人の主な移住先はブラジルなどの南米に移ります。

ハワイの日系人の中には第二次大戦中、日本軍や日本国民向け終戦に向けたプロパガンダ活動に従事した人もいます。
対日本軍への軍事戦略のひとつとして「日本語習得」があり、軍隊にも日本語学校が設置されました。ドナルド・キーンさんもアメリカ海軍の日本語学校出身者のおひとりです。

アメリカ本土と同じく大戦中はハワイにも「敵国」の日本人を収容する施設がありました。
ただ1940年代初め、日系人の人口はハワイ全州の40%をも占めていたため、その全ての日系人を隔離するとなるとハワイ経済がなりたたなくなり費用も莫大になってしまうので、抑留者は1200名から1500名ほどで、アメリカ政府が日本への忠誠心が強いとみなした人々でした(仏教や神道の聖職者、日本語新聞の編集者、領事代理、日系社会のリーダーなど)


最後に、ハワイへの移住者は広島・山口両県の出身者が圧倒的に多かったのだそうで、そのため
「ハワイの日本語」には中国地方の方言が強く見られ、英語の語句が頻繁に混じるのが特徴だそうです。

(例)ミーのボーイはのお、今ジャッパンに行っとる。




コメント (2)
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小川糸著 「ツバキ文具店」

2017-11-04 22:32:54 | 読書
久しぶりに素敵な本と出会いました。

この間、ケルンの日本文化会館の図書館で借りてきた一冊です。


鎌倉で代書屋を営むようになった若い女性のお話です。

今春、NHKのドラマ10で放映されたので視聴された方もいらっしゃるでしょう。


小説を読んだ後、私も動画を視聴しました。
普通、本の読後でテレビを見ると落胆することが多いのですが、今回はとても良い出来で、脚本家に拍手です。
主役の多部未華子さんの演技もとても良かったです。
お気に入りの女優さんになりました。

本で良かったのは代書屋さんの手書きの手紙が掲載されていることです。
最初に登場する猿のペット「権之助」君へのお悔やみが興味深かったですね。


このような不祝儀文をしたためる時は墨は右回りではなく左回りに磨るなど、筆記用具や紙の種類に関しても色々学びました。

押花を羊皮紙に貼り付けた便箋も綺麗でしたね。

綺麗な文字を書きたいと思ったことでした。

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