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この本の情報を得たのが新聞だったか、あるいはどなたかのブログだったか今となっては定かではないのですが、是非一度読んでみたいと思っていました。
日本文化会館の図書館の蔵書目録にはなかったので、先月日本在住の友人に来年の和風カレンダーなどと共に購入+郵送をお願いしました。
「宿題の絵日記」というタイトルから多くの方は小学校の夏休み中の宿題としての日記を思われるかもしれませんが、この本の絵日記は
難聴で聾学校の幼稚部に通うお嬢さんのために画家であるお父様が描かれた絵日記です。
あとがきで当時、今井さんのお嬢さん麗(うらら)ちゃんの担任だった聾学校の先生が記されているように、
家庭での絵日記は聴覚に障害のある子供たちが、家庭や学校で言語を獲得していくために重要な手がかりとなるのだそうです。
たまたま絵日記を担当されるお父様が画家だったということもあり、当時のお嬢さんの様子がよくわかるとても心に沁みる絵日記になっています。
この本に興味を抱いたのは叔母のお孫さんが難聴で、多分今井うららさんと同じ聾学校に通ったのではないかと思われるからです。
普通、難聴の人のコミュニケーション手段は手話ということになりますが、この聾学校の場合には手話を使わずにことばを話す教育をします。
生徒は特別の補聴器をつけ、独特の読唇術を身につけていきます。
だんだんと遠くからでも、真横からでも唇の動きだけで話していることを読めるようになるということです。
それを証明するひとつのエピソードとしてテレビの野球中継を視聴していたうららちゃんがピッチャーの調子が悪かった時、長嶋監督の「ヤバイヨ、ヤバイヨー」というつぶやいた唇の動きを読み取ったのだそうです。そして次の瞬間、そのピッチャーはホームランを打たれてしまったのだとか。
お父さんの今井さんがあとがきでも記されているように、この学校の生徒の中には遠くから家族ぐるみで引っ越してくる方々もおられるとのことです。
叔母のお孫さん一家もそうでした。田舎には聾学校はなく、たまたま父親の会社が東京に支社があったため家族と共に叔母も子守として数年間東京暮らしをしました。
難聴のお孫さんはその後、普通の中学校に入学しましたが、午後はいつも専任の先生から補習を受けていたそうです。
その後、筑波の難聴者専門の聾学校に通い、大学も卒業して、今は新聞社のグラフィック部で活躍しています。
中学では一般の生徒と一緒に授業を受けて、別にいじめにもあわなかったようですが、高校では自分と同じように難聴者がいる環境で
「とても気楽に友人と付き合えて楽しい」という手紙が届いた時、それまで彼女が耐えてきた人生を思い、読んで涙がとまらなかったと後に叔母が語っていました。
この絵日記の主人公のうららさんは今、3人のお子さんのお母さんです。
叔母のお孫さんのチカちゃんはまだ独身です。ご両親やおばあちゃんは心配しているようですが、精神的にもしっかりしているのでこのままひとりでも大丈夫だと私は思っています。