気がつけばふるさと離れて34年

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時事ひとりごと − 22 ( 核兵器禁止 と 核兵器廃絶 )

2016-10-31 17:51:36 | 時事ひとりごと
先頃 (10月27日)、国連総会第一委員会(軍縮・国際安全保障問題)は核兵器禁止条約について交渉する国連の会議を来年に召集するとした決議案を圧倒的な賛成多数で採択しました。

賛成は123ヶ国、反対は38ヶ国、棄権は16ヶ国でした。

反対したのは核保有国の米国、英国、フランス、ロシアなどといわゆる「核の傘」に入っている
日本、韓国、ドイツなどです。

このことについてドイツのメディアはほとんど報じていませんでした。


それにしても唯一の「被爆国」である日本が反対したことには首を傾げざるを得ません。

この決議はオーストリアが主導しました。
オーストリアの国連大使は「核兵器の非人道性を訴えてきたNGOなど市民社会にとっての成功だ」と採択後の会見で述べました。
この活動団体としては特に広島・長崎の被爆者団体があるでしょう。
唯一の被爆国として日本は、米国からの圧力があったのかもしれませんが、少なくとも反対ではなく
棄権すべきだったのではないでしょうか。

この決議案とは別に、日本は「核兵器廃絶決議案」を主導し、これも採択されました。
この決議案には核保有国(中国とロシアを除く)も賛成しています。
両決議案の違いはわかりませんが、日本のこのような態度を疑問視する声も上がっています。

世界は核廃絶に向かっているという事実を認識し、そして唯一の被爆国としての責務を果たしてくれることを願っています。
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仏教と日本文化

2016-10-29 11:12:40 | 日記
隣町のデュッセルドルフには1988年に日本のお寺(浄土真宗)「恵光寺」が建てられました。

1993年以来、隣接する「恵光センター」では日本の仏教と文化の紹介をしています。
 
先日訪れたら丁度、美しい紅葉でした。





私は久しぶりに「歎異抄講座」を受講しました。


その後は「座禅」が行われたようです。
ドイツの方が多く参加されています。

(パンフレットからの写真なので少しぼやけています)

「恵光センター」ではこの間、私が通っている書道教室の先生が個展を開かれました。
展示作品の中では「花」と「酔」の書が好きでした。
「酔」はワインをお飲みになって少し「ほろ酔い」加減でお書きになったということでした



あまり訪れる機会は多くないのですが、近くに日本のお寺があるのはやはり嬉しいです。

以前、少し元気がなさそうに見えた私に対して、

「ドイツには日本の教会がないからね」と知り合いのマーク君が優しく慰めようとしてくれたことなどを

思い出します。



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「ぜんざい」化粧品?

2016-10-24 11:47:29 | 日記
お化粧品にはあまりお金をかけない主義です。

まぁ、高い化粧品を使用してもオオモトがかわらないことには効果はあまり期待できないですからねぇ

でも唯一の例外があります。

Kanebo社のリップクリームです。

この会社は日本では以前「白斑」などでネガティブなイメージがまだ残っているかもしれませんが、

こちらではSENSAIというシリーズで売り出されています。

お値段的にもシャネルやディオールと同等で高級化粧品に入っています。

SENSAIシリーズは日本を始めアジア地域では販売されていないと思います。
Made in Japanですが、本社はパリになっています。

ここのリップクリームをここ数年使用しています。

これまで色々なメーカーの品を使用しましたが、乾燥するドイツではすぐ唇がカサカサになりヒビ割れていました。

でもこのリップクリームを使用するようになってからカサカサ唇が解消されました。




それに箱の中に入っている添付書の宣伝文も悪くありません。
「肌に厳しい環境のもとでも、うるおいを保ちつづけていた、生糸を紡ぐ女性たちの掌。そこからヒントを得て、辿り着いた最高品質の・・・」

どうです?こういう文章にオバサンはつい魅かれてしまうのをカネボー宣伝広告部の方々は良くご存じのようです。

ちなみにこのような文章は他の言語の宣伝文では記されていません。

ブランド名のSENSAIは日本語の「繊細」に由来すると思うのですが、化粧品売り場のドイツ人の店員が発音すると

ぜんざい になってしまいとても「せんさい」な響きにはなりません

それにしてもかなりの「上げ底包装」です。



それなのに結構なお値段で毎回購入する時はまさに「清水の舞台から」の気持ちです。




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秋の日に思うこと ー 「死んでも元気でね」

2016-10-23 12:12:53 | 日記
我が家の前にある林(ありがたい借景!)が急に色付いてきました。



毎年、秋口に鉢植えの小菊を購入します。
今年はトリコロールにしました。



昨日、知人が昏睡状態でもうお元気になられる見込みのないことを知りました。
数日前お見舞いに行かれた方がお名前をお呼びしたら少しは目を動かされたそうですが、
その後は反応がないそうです。

間もなく彼岸に旅立つかもしれない方に想いを馳せているうちに以下のブログの記事が思い出されました。

「モーばあちゃんの自由帳」です。
モーおばあちゃんは18年前から二人のお孫さんを育ててらっしゃいます。
下のお孫さんが生まれた直後、お母さんが亡くなってしまったので、お二人を引き取られておじいちゃんと育児に奮闘されているのです。

ある時、下のお孫さんの引き出しを整理していたら、彼女が小学校の低学年の時に書いたと思われる
お母さん宛の手紙が見つかったそうです。
そこには
「ままへ、かりんより、・・・…しんでもげんきでね」
と書かれていたそうです。

手紙はすぐにお孫さんに取り上げられてしまったので、他に何が書かれてあったのかはわからないそうですが、

「死んでも元気でね」はとても良い言葉だと思います。

旅立ちの日が近づきつつある知人にも贈りたいと思います。
「Kさん、死んでもお元気で!」
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トリーア旅行記-2(カール・マルクスの生家)

2016-10-19 15:34:49 | 旅行

「資本論」や「共産党宣言」などで知られるカール・マルクスは1818年5月5日にトリーアのこの家で生まれました。



あまり目立たない家なので入口の表示板でようやく生家だということがわかります。



私は35年前にも一度、ここを訪れたことがあります。

当時通っていたドイツ語学校の日本人の仲間と一緒でした。

おひとり日本の大学の政治経済学の先生がいらして「尊敬するマルクス先生の生家」への訪問ということで、普段はラフな格好で授業を受けていたのに
その日だけはネクタイ着用のスーツ姿だったのが印象に残っています。

彼以外の参加者(私も含めて)はもちろん普段通りの服装でした。

35年前に訪れた時のことで記憶に残っているのは直筆の書簡や幼い頃の写真や家族の写真がガラスケースに収めらていたこと位です。
確か「資本論」の初版本などもあり、大学の先生が感慨深く、眺めていた姿は覚えています。

この35年間で中は大きく改修されてしまっていました。
入口でマルクス先生が訪問者を睥睨されています。


展示されている資料でマルクスはボン大学やベルリン大学で勉強したのち、イエナ大学で哲学の博士号を取得したことや、
ケルンの「ライン新聞」で編集長として仕事をしたことなどを知りました。

社会主義関連の歴史や資料も多く展示されていましたが、何しろ予備知識が皆無なのであまり興味も湧きませんでした。

以前は日本語訳の本も展示されていたような気がするのですが、現在は中国語の本しかありませんでした。


そういえば近年は中国からの訪問者が急増しているそうで案内板も独語、英語、中国語の表示でした。

2年後の2018年はマルクス生誕200年ということで大規模な展示が予定されているということですから、
また多くの中国人訪問者で賑わうことでしょう。

トリーアのみならず、私の住むケルンにも中国からの観光客が大勢きて買い物をするらしく、
WMFというキッチン用品のお店では最近、中国人の店員が働き始めたという記事が昨日の地元紙に掲載されていました。




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