この小説は書籍ではなく芥川賞受賞作が掲載された文藝春秋で読みました。
再読しようと思ったのは、ドイツを拠点に作家活動を行う多和田葉子さんと石沢麻依さんのトークイベントがYouTubeで視聴できると最近友人が教えてくれてからです。
「ドイツと日本のはざまにて」と題されたトークイベントは日独交流160周年記念行事の一環として2021年に行われました。
当時はコロナ禍だった事もあり、ドイツ人の翻訳者(日本語がとても流暢)が司会するオンラインでのトークイベントでした。
多和田さんには一度お目にかかったことがありますが、日独の膨大な語彙の持ち主で間断なく会話ができる人と、石沢さんのように(インタビューなどの印象ですが)沈思黙考型で言葉を選びながら話す対照的な二人の直接の対談ではなかったのでトークイベント自体はあまり印象に残るものではありませんでした。
それで再読した石沢さんの著作ですが今回も完読するのに苦労しました。
初めて飛んだ時は特に理解できない箇所があまりにも多くて読後感を記すまでには至らなかったのだと思います。
語り手は博士論文を書くためドイツのゲッティンゲンに暮らす美術史研究家。
そこへ東日本大震災時石巻で被災して行方不明のままの野宮(幽霊)が訪ねてくる。
野宮の目的のひとつは寺田寅彦に会うこと。
物理学者で名随筆家の寺田寅彦(1878-1935年)は1910年から11年にかけての4ヶ月間この街に滞在していたことが夏目漱石への書簡の「ゲッティンゲンから」に記されているそうです。
ということで日本とドイツ、過去から現在、生存している者たちと
彼岸の人物との対話という複雑さに加え、メタファー(比喩表現)満載でかなり読みにくいです。
ただ今回は時間がかかりましたが精読して読了したのは、
文藝春秋の「東日本大震災で生き残った者の罪悪感を文学として昇華」という紹介文のように、
震災の部外者である自分と真摯に向き合いたかったからなのかも知れません。
タイトルにある「貝」はホタテ貝のことです。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブ大聖堂はエルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三代巡礼地の一つです。
中世巡礼者にとって聖人ヤコブを象徴する(聖人の帽子がホタテ貝の形をしていたそうです)ホタテ貝には通行手形の意味があったそうです。
巡礼地への道はヨーロッパ中にあり、ホタテ貝が目印になっています。
我が家の近くにもあります。
小説にはゲッティンゲンにあるPlanetenweg(惑星の小径)が頻繁に登場します。
街中に太陽系の惑星オブジェが縮小された比率で配置されています。
物語の最後では語り手、野宮、寺田寅彦とドイツ人の友人たちが惑星から外されてしまった冥王星のオブジェを目指す場面が登場します。
石沢さんによると巡礼とはある場所へ祈りを込めて向かうことだそうですから、
この冥王星オブジェへの道も巡礼ということになるのでしょう。
ゲッティンゲンへは何度か訪れたのですが「惑星の小径」のことは知りませんでした。
いつか是非訪れたいです。