6月26日付「朝日新聞デジタル」で在独ジャーナリスト熊谷徹さんの
「脱原子力を選択したドイツの現状と課題」を大変興味深く読みました。
2011年の大震災・原発事故後、ドイツが「脱原発」を決定するまでの経緯と
再生可能エネルギー推進の課題などが非常にわかりやすくまとめられていました。
原発から排出される「核廃棄物」の最終処理については触れられていないのは残念ですが、
ドイツの原発をめぐる現状を知るにはとても良い記事だと思います。
中で印象に残ったのは以下の文章です。
「(脱原発に関してメルケル首相は)原子力のプロよりも、市民の意見を尊重した。
これは、ドイツ人の民主主義に関する考え方が日本とは異なることを浮き彫りにしている。」
これは「脱原発」を政府決定する前に原子力技術のプロからの意見とともに、「倫理委員会」を設置して委員会の提案を優先したことに関しての言及です。
福島の事故後、ドイツでは原子炉安全委員会が原発の安全性について検証し、「ドイツの原発には、停電と洪水について、福島第一原発よりも高い安全性が講じられている」と述べ、「原発をただちに止めなくてはならないという技術的な理由はない」という結論に達したのです。
しかしメルケル首相は同時に哲学者、社会学者、教会関係者17人からなる「倫理委員会」を設置して長期的なエネルギー政策についての提言を求めました。
「倫理委員会」は原発の抱えるリスクを完全に除去することはできないということと、「原子炉事故の被害を除去するのに多額の費用がかかることを考えれば、同じ費用を太陽光や風力エネルギーの拡大にあてるほうが賢明だ」と指摘したのです。
熊谷さんは日本では原発再稼働決定に関して、一般市民の意見よりも政治家や原発のプロの考えが尊重されていると指摘しているのだと思います。
でも民主主義 - 「デモクラティア」はギリシア語のデーモス(民衆)とクラティア(権力)であり権力の主体が民衆であることを考えると
今の日本は単に「民主主義に関する考え方」がドイツと異なっているというよりも、民主主義から「乖離」して「専制政治」の様相を呈している思うのは考えすぎでしょうか、
「専制政治」はブリタニカ国際大百科事典によると
政治権力が特定の人物または特定の集団に集中し、その権力を抑制しうる政治勢力が事実上存在せず、国家統治がもっぱら恣意的に行われる
政治形態
だということです。
憲法学者の意見をないがしろにしてすすめられている「安全保障法制」の議論などみていると「専制政治」という言葉が頭をよぎりますが
これについて述べる前に「集団的自衛権」について私なりにもう少し「勉強(?)」しなくてはなりません。