島民参加型の作品もある

2013-10-31 01:19:08 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その10

小豆島は「醤の郷」辺りの作品紹介。

<つぎつぎきんつぎ>


お皿や湯飲みなどの食器を「金つぎ」という陶磁器を修復する技法でつなぎ合わせた作品。


<小豆島町コミュニティアートプロジェクト>


島民350人が芸術家に負けない作品を作ろうと結集した。
8万個のたれ瓶に塩水で薄めた10種の濃度の醤油を詰め、グラデーションの壁を立てた。


<Umaki camp>


現地スタッフの若者と話ながら歩き入った作品番号082。
そこでは地元のお母さん達がソーメンと昆布茶、黒豆や柿といったスイーツを振舞ってくれた。
おいしかった。
とてもほっこりした時間。
そのコミュニケーションが作品だった。
写真はそこの敷地でお昼寝中の「庄平」くん。年齢不詳。


<オリーブのリーゼント>


オリーブ畑にオリーブな体型のリーゼント野郎がいた。


<おおきな曲面のある小屋>


なめらかな曲線の壁が印象的な建物。
トイレである。
恒久設置の作品。

しょうゆ色

2013-10-30 00:55:21 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その9

小豆島は言わずと知れた醤油造りの盛んな地である。
醤の郷(ひしおのさと)と呼ばれる醤油の醸造所が集中している地域があり、その近くの作品鑑賞と合わせ、醸造所見学もさせてもらった。



古くからある醸造所の木造の建物は何故かみな黒い。
醤油色だ。
広大な敷地に工場と言う方が良い大手もあれば、醸造所と言う言葉のイメージ通りの小さな所まで、歩く先歩く先で黒い建物を見かけた。



どこでも変わらないのは醸造所が近くなるとぷんと醤油になりかけの(発酵中の?)大豆の匂いが香ること。
醸造所内部を見学させてくれたのは、歴史ある小さな醤油屋さん。



ガイドブックに載っていたので存在を知って訪れたのだが、それは他の人も同じことで、芸術祭の作品からは少し離れた所にあるのに、芸術祭を見に来たと思われる観光客が頻繁にやってきていた。



他の方々と一緒にもろみ蔵に入る。
と、木製の大きな桶が並んでいた。
お酒の醸造所と同じ様な感じかと思っていたが、桶は麹菌に分厚く覆われていた。
蔵の中の空気には菌がいっぱい漂い、彼らが醤油を醸してくれるんだそうな。



蔵の外では袋に詰めたもろみが重石をかけられ醤油が絞られてる最中。
その横で利き酒ならぬ利き醤油をさせてくれる。
醤油は飲む訳にいかないので、指に付けて舐めるのだが。
説明いただいた商品の違いを感じ取ろうとする、が。
???分からないー。



ちょうど我が家の醤油がなくなりかけだったので、ひとつ購入。
そして最近の観光地のお約束。
ここでは醤油スイーツ。



靴先の秋

2013-10-29 00:17:59 | Weblog
週末は風が強いものの良いお天気だった。
青い空に誘われて、山里散策へ。
写真撮影で日がな一日を過ごした。

台風の名残の風が山の木々をざわめかせ、林中で音だけ聴いていると冬を思い起こさせた。
が、木々の間から差す傾いた日差しは秋らしい透明度。
秋真っ只中にいるんだ。

今年の秋は短く、残暑を終えて早くも冬の気候に移ろうとしているらしい。
日向と日陰で温度差の激しい山里に、背中と首筋が真逆の感覚でその通りだと伝えてくる。

そんな意見を頭の片隅で受け取りつつ、被写体を求め歩いた。
登山時の撮影と違い、時間の制約はない。
気になる奴を見つけたら、心行くまで撮影に時間を費やした。

<秋の化身>


<くれない>


<ニット帽>

折詰の背景

2013-10-25 00:02:46 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その7

お弁当が美味しかった理由は食べた場所のせいもある。



お弁当を買ったお店のすぐ前に鳥居があり、その奥がなんだか賑やかだ。
鳥居の前に受付が設けられ、座るお父さんが 「今日は歌舞伎があるよ。無料だよ。」 と前を通る我々観光客に声をかけていた。
そう言えばガイドブックにその日、農村歌舞伎が行われると書いてあった。
ここのことか。
お弁当を持ってどこで食べようかと周りを見回していたらそのお父さん、「桟敷で食べてもいいよ。」 と声をかけてくれたので、ありがたく入らせてもらった。



歌舞伎が始まるのは夕方からのようで、ほぼ準備の整った舞台周りを係りの人がボチボチと残りの準備を進めている。
桟敷には茣蓙が敷かれ、その内のひとつに座らせてもらった。
農村歌舞伎って名前からすると地元の人が舞うのだろうか。
ガイドブックを読み直すと、中山農村歌舞伎保存会という活動があるらしい。
見てみたくもあるが作品鑑賞予定がまだあるので諦める。
辺りに漂うお祭りの上気した雰囲気をお弁当に乗せ、いただいた。



舞台小屋は茅葺屋根で歴史ある造り。
会場は手造り感いっぱいだが、本格的な歌舞伎舞台である。
横の小屋に過去の舞台の写真が飾ってあったが、炎の演出が見事に捉えられ迫力いっぱいに写されていた。
今回の旅では本島と小豆島のこの中山地区、その隣の肥土山地区に歴史ある芝居小屋や歌舞伎舞台を見た。
今は現代アートの舞台だが、昔から芸能活動の盛んな土地だったんだなと知った。



昭和の匂い +α

2013-10-24 00:23:34 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その6

芸術祭ではお昼ご飯をどう食べるかが悩みどころのひとつ。
小豆島でのお昼は農村部にある作品を見学する時間帯に重なった。
中山地区にある「小豆島の光」という作品を見た後、予定していたお店に向かう。
この時は食べる所がなくて困るのでなく、良さげなお店がひとつだけあるが故に人が集中し行列ができて困ったのだった。
待ち時間がもったいない。
島スープと同じ事態は避けたいのだが、そうもいかず。

<向かったお店>


魅力的な店内に魅力的なメニュー。
待ってでも食べたい人がいっぱい。
折角の機会だからねえ。
どうしたものかと入口をにらんでいたら、行列を無視して入った人がお弁当らしきものを持って出てきた。
ははあ、お弁当なら並ばなくても手に入るようだ。
行列の横からお店に入り、店員さんに聞くとはたしてお弁当は待たずに購入可能だった。

<ハンバーガーも棚田のおにぎり定食も旨そうだ>


お弁当のお値段は1,200円也。
ちょっと高いな。
しかし、みかんに小さな水筒に入ったお茶付き。
おお、懐かしい。
プラスチックの器の匂いが移ったお茶の味を思い出した。
郷愁に駆られご購入。

<折詰>


んー、美味しそうでしょう。
ごはんもおかずもぎっしりと詰められて、食べ応えあり。
ばらんは手造りだった。
冷たくても美味しく食べられる味付け。
折詰弁当はかくあるべしというごはんの硬さが泣けた。
予想外に楽しい昼食となった。
こんなことがあるから旅はいい。

遺体の臓腑

2013-10-23 00:05:30 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その5

今回の芸術祭の作品で最も楽しみにしていたもののひとつが高見島の「板持(いたもち)廃村再生プロジェクト」。
数年前に住む人のいなくなった板持集落でもって廃村の姿を提示するというもの。
廃村「再生」プロジェクトなんて名前なんで、廃村を見せつつ生まれ変わらせる為の方策を提案する作品なのかと思った。
が、見学後ガイドブックの作品説明を読み直せば、「廃村の姿を提示する」とだけある。
見せるだけなのか。
確かに見せてもらった。



私は遺構や廃墟に惹かれる。
滅びのイメージが好きなわけでなく、年月を経たものの佇まいが好きだからだ。
出来立てピカピカの新製品も綺麗で美しいが、打ち捨てられ錆び付いた三輪車も魅力的。
大事に使い込みやれてきた道具や建物には、大量生産された工業製品であっても、ひとつひとつそれぞれに積み重ねられてきた歴史が伺え、個性的だ。
廃墟はその歴史の最終形の現在進行形だ。



板持集落は高見島の北東、港からだいぶ離れた所にある。
海岸線を辿る道路の終着点からコンクリートと石の階段で上る山の斜面に集落はあった。
笹と竹林の中を一本道が通り、その左右に人が住まなくなって蜘蛛の巣が張り、草に埋もれ、崩れ果てた民家があった。
建物はまったく手が加えられていないが、枯葉が覆っていたと見て取れる村道は綺麗に掃除されていた。
住む人のいなくなった家々は、外から眺める分にはこれまでの私の廃墟のイメージと変わらず、魅力的な被写体だった。
しかし、集落の最上段、敷地を囲む土壁のある家は内部を公開していた。
それは「廃墟」の意味を知らしめるものだった。



玄関を入ると土間があり、その正面に台所、右手に居間。
台所には歪んだ床の上に食器棚やテーブルが傾いてあり、茶碗や布巾が生活していた時のまま放置されていた。
居間の床は腐り落ちてひどい有り様だ。
外観には嬉々としてカメラを向けた私だが、屋内の有り様はとても撮影する気にならなかった。
炊飯器やテレビなどの電化製品がそのまま残されて、生活感を残しているが故にその変貌ぶりが凄まじい。
到底人の住める環境では無い。
備品に色は残っていたはずだが、黒く変色した壁や畳の印象が強く、思い出す室内のイメージは真っ黒だ。



確かに「廃村の姿を提示する」ことだけでも意味があるのだろう。
こうして提示しなければ廃墟の何たるかを知らない市井の我々の認識を変えるには至らないだろうから。
廃村となるという事はどういうことなのか。
それを明々白々と明らかにすることから始めないとならないのだろう。



作品出品者は「板持廃村再生プロジェクト実行部隊」という。
「廃村の姿を提示する」ことの次の「再生」をどう実行するのだろう。
次の会期にそれを見せてくれるのだろうか。
楽しみにしておく。


フォア順クロスが…

2013-10-21 21:49:00 | テニス


芸術祭のお話は今日はお休み。
テニスで遊んだ週末を挟んだので、プレー中の気付きを覚書。

ずいぶんと身体が固くなった。
関節の稼動範囲が思った以上に狭まっている。
フォアハンドストロークは右利きの場合、右下から左上に引き上げる動作となる。
腰より低いボールに対してはなんの問題もないが、腰より高くなるとこれがいけない。
自然体では振り出しの位置より上に振り抜けないのだ。
ゆっくりとスイングして筋の固まり具合を確認してみると、フォロースルーから腕が上がりにくくなる。
高い位置ほど苦しいが、程度に差はあるものの他の高さでも左側へ右腕を引きつける動作が苦しい。
フォアのスライスやボレーが上手く打てなくなったのはここにも原因がありそう。
左上に引きつける事を意識してスイングするようにしないとボールがみんなネットする。

逆クロスへ打つのは楽なので、やはり左への引きつけが出来ていないのだ。

これに関連するのだろうがフォアストロークでは、右足から左足に重心を移しつつ腰を回し肩を回し腕がついて来るように、つまりは正しくスイングしないと思うようにボールが返らない。
サーブでは肘先行でラケットを引っ張るように意識。
叩き込もうと腕に力が入るとサーブもストロークも途端にコントロール不能になる。
若い頃は今よりスイングがバラバラだった筈だが こんな制御不能感はなかった。
正しくスイングできていなくても関節の軟らかさで調整が効いたのだろう。
それができなくなってるんだ。
悲しいことよのう。

まあ固くはあるもの理想のスイングができない訳ではない。
考え方を変えて、正しいスイング方法を覚えるチャンスと捉えよう。
ストレッチして筋を伸ばし、素振りして動きを覚えるのだ。


螺旋

2013-10-20 07:17:34 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その4

高見島はその昔、除虫菊の栽培が盛んだったそう。
菊の花を摘み取り乾燥させて粉砕し、粉末を練り固め蚊取り線香としたそうな。
天日乾燥させていたので、雨が降り出すと取り込みが大変。
そんな時は小学生も授業を差し置いて駆り出され作業を手伝ったそう。
除虫菊を収穫していた畑は今は林になってしまったらしい。

瀬戸内の小島は今、過疎の問題に直面していると思うが、ここだけでなく他の島も業種は違えども昔は栄えていたんだよな。
私の知っているところでは、犬島は銅の精錬で数千人を養っていたとか。
昔は日本全国津々浦々なんらかの産業で潤っていたんだな。
公害とか労働条件の問題はあったのかもしれないけど。
なんで現在は景気のいい町が片寄ってしまっているのだろう。

人手を要する仕事がなくなってきたからか。
コンピュータや機械や人工物ではもたらせない、人手でしかできない仕事を見いだせれば、地方もまた元気になれるに違いない。
栄枯盛衰。
ぐるりと回ればその逆も然り。
また日本全国元気になれるよう、考えてみよう。

<除虫菊の家/高見島>



発案者は誰だ?

2013-10-19 00:13:19 | その他旅行き
『 瀬戸内国際芸術祭2013 』 のお話 その3

芸術祭がなければ今回訪れた島に来る事は無かっただろう。
前にも書いたが、これって面白いことだなと改めて思う。
小豆島を訪れる確率は観光地でもあるから少し高いかもしれないが、本島や高見島を訪れる確率はほぼ皆無だったと思う。
それがこうしていいお天気の下歩いている。

<漆喰・鏝絵かんばんプロジェクト/本島>


この希少性は例えて言うなら、東京で知り合った恋人二人の実家が、例えば東北と九州の地方都市で、結婚するのに親御さんに挨拶に行くため訪れたみたいな、一生に一度あるかないかという機会なのでは。
この例の場合、その後帰省等で度々訪れる事になるのだろうけど。

<作品「耳鳴り」のある来迎寺からの眺め/本島>


あるいは新たな趣味に目覚め、それまで縁遠かった場所が身近になったとか。
山に興味が無ければまず剱岳に登頂する事はない。
それが百名山のピークハンターに何故かなってしまい(なんじゃそりゃ)、となったら剱岳山頂は必ず訪れねばならない場所となる。
無理矢理な例えだな。

<崩壊と再生の中で/本島>


島以外でも同様に訪れる事はなかっただろう施設として港もある。
今回利用したのは児島観光港、本島港、高見港、多度津港 、高松港、土庄港、福田港、姫路港。
高松港以外は初めて。
中でも児島観光港と多度津港は四国を旅すれば近くを何度も通るが、港湾施設利用の可能性はとても低かった。
こんな機会が無ければ利用する事は無いだろう。
やっぱり不思議だ。

<Vertrek「出航」/本島>


コンビニなんてない本島や高見島の常に海を感じる静かな道を歩き、巡り合わせの不思議を思った。