霞ヶ浦緑地公園の夜

2024-06-29 18:09:15 |  鉄分山盛り、三重の路
霞ヶ浦駅から歩いて20分くらいだろうか、JRの線路と国道23号を越えると工場地帯はもうすぐ。
地図を見ると海岸沿いに霞ヶ浦緑地公園が南北に長くある。
四日市コンビナートは海を挟んだその対岸の埋立地だ。







公園の敷地に入ると右手に競輪場があって、その誘導路を横に見つつ海へと近づく。
ヨットの係留場というか駐船場というかがあり、その右手の建物は屋内テニスコートのようだ。
後で見にいこう。
左手の小さな川岸を突端まで進むと工場の建物は目の前だ。
公園のその辺りは街灯もなく、日はとっぷりと暮れてどんどん暗くなっていく。
釣り人が一人とたまに散歩やジョギングする人が通過していくくらい。





三脚を立てて対岸の景色を撮り始めた。
持っていたイメージと違っていて、工場内の照明はもっと明るいものと思っていた。
こうした工場夜景のキラキラした写真を見たことがあるが、あれは相当光と色を乗せてるんだなということが分かった。
だんだんと風が冷たく感じられるようになり、長袖のシャツを着込む。
一箇所からだと撮影に変化の付けようが無くなってきた。
公園に入った時見かけて気になった右手の大きな建物に行ってみることにする。



途中、屋内テニスコートを覗くととても広く、コートの番号を見たら13とあった。
すごい面数だな。
スクールもあるのかコーチらしき人が生徒を相手に形式練習するのをしばし眺める。
屋外のコートもあるようだがこちらは工事中のようだった。





気になった大きな建物は四日市ドームというものだった。
見かけはドームというより巨大な体育館という感じ。
当然閉まっていて中がどうなっているかは窺い知れず。
ドームの海側にも通路があり、そこには人がいっぱいいた。
なんでこっちは賑わっているのだろうと不思議だったが、ドームの横に大きな駐車場があるからという事が後から分かった。
若者が多く、カップルや友達同士で工場の夜景を見ている。
散歩したり、ベンチでおしゃべりしたり、芝生の上でくつろいでいる家族連れもいる。





その向こうにはナイター設備付きの野球場があり、照明が点いていたので見に行ってみた。
近づいても声も打球音も聞こえず、もう終わっちゃったのかなとグラウンドの中が見えるところに行くと、まさに試合中だった。
なんで音が聞こえないのだろうと耳を澄ますと、微かに声も打球音も発しているのだった。
その時になって周りをコンビナートから流れてくる操業音が包んでいることに気付いた。
通奏低音的に騒音が充満していたようで、近くで話す人の声は聞こえるが、遠くの音は霞みがかったようにボヤけてしまっていたのだ。
なんか不思議な感じ。
野球場は三つもあって、ここは大きなスポーツ公園だったのね。
土曜日でもあり、みんな休日の夜を楽しんでいた。





さて、そろそろ帰ろうと野球場の裏手から公園を出ようと歩きだしたのだが、出口が分からない。
駐車場への車の導入路はあるのだが、あそこを歩いたらまずいよなあ。
ドームの方へと戻りつつ様子を伺うが、そちらもやはり車の出入口が立体交差して国道に繋がっているだけのようだ。
スマホ地図を見ても歩行者出口はその辺りになさそう。
ドーム横の駐車場は明るいから、一般客?以外にも、走り屋まではいかない車好きの若者たちが、自慢のクルマを止めてたむろしてたり。
そうなるよなあと思い歩いていると競輪場の横にまで来てしまった。
公園を南側から出て、帰りの電車は一駅四日市駅側の駅から乗れないかと思っていたが、この辺りに出口はなさそう。
諦めて公園に入った入口まで戻ることにした。
競輪場横にも駐車場はあるが、暗いからかこちらには人はいない。
近所に住む人でなければ、ここは車で遊びにくる所ということだな。
公園を出て、やってきた時にも渡った国道23号の歩道橋のてっぺんで、そう得心した。






夜遊びの足 - 近鉄名古屋線

2024-06-27 06:26:57 |  鉄分山盛り、三重の路
ホテルの部屋に荷物を置き一休み。
とても疲れたが今日のお遊び予定はまだ終わらない。
夜の工場地帯を撮りに行くのだ。
日の暮れるのが進むのを少し待ち、足腰に鞭打って再び出発。
近鉄四日市駅へ向かう。







近鉄四日市駅の駅前は繁華街。
大きな商店街がいくつもあった。
近鉄四日市駅には四日市あすなろう鉄道の四日市駅もある。
このローカル路線に乗る旅程も検討したが、時間が足りず対象から外した。
また機会を作って乗りに来たいものだ。





近鉄四日市駅から名古屋方面へ3駅、霞ヶ浦駅で下車。
ここから東の方の海へ向かって歩く。
遠くに見える煙突の煙はこちらにたなびいていて、なんとなく変な匂いがする。
途中JR関西本線の線路を越える。



夕暮れはどんどん深まり、到着するころにはすっかり暗くなっていた。
そこは霞ヶ浦緑地公園というところで、夜の公園なんて誰もいないから不用心だろうなという予想を覆し、場所によっては人がたくさんくつろいでいて平和だった。
でもそのお話しは次回記事で。









工場他の見学を終えて、霞ヶ浦駅へと戻った。
うーん、歩いた歩いた。
近鉄四日市駅に戻る電車を待つ間、ベンチにへたばった。
ぼんやりした頭で今日を振り返る。
それにしてもよく遊んだな。
なかなかの強行軍だった。
ホテルに帰ったら、たぶん10時だ。
明日に疲れが残りませんように。




亀山駅と四日市駅 - JR東海関西本線

2024-06-25 06:28:01 |  鉄分山盛り、三重の路
亀山駅はJR東海の管轄のようで、跨線橋のJRの文字がオレンジ色だった。
JR西日本の紫色の気動車とJR東海のオレンジラインの電車の両方が見られて楽しい。
紀勢本線の起点でもあるし、ホームにいるお客さんの数も多くなった。







電車の増結作業を見学。
その電車は普通電車で、後から入線する快速電車があるようなのでそれを待つ。



ここからの電車は名古屋行きである。
目指すは今日の宿泊先である四日市駅。
乗車すると車内はガラガラ。
さすがに疲れ、座席に座ってしまった。
ふう。



車窓はこれまでの田舎の景色から住宅街の眺めへと移っていく。
四日市駅が近づくと、海側の遠くに赤白の煙突が見え始めた。
コンビナートが近づいてきたのだ。
線路のすぐ横も工場や倉庫の敷地が続くようになる。









四日市駅のホームの隣は貨物の留置線が広がっていた。
コンテナ以外にタンク車なんかもたくさん待機している。
珍しい光景にしばしホームに残り撮影。



ところで、四日市駅からは伊勢鉄道伊勢線を走る列車が出ている。
降りたホーム後方が切り欠かれていて、単コロ気動車が止まっていた。
四日市駅と津駅を結んでいる。
この路線にはJRも乗り入れていて、津駅より南に行くのに亀山駅を経由するより短距離だから、紀勢本線の特急や参宮線に入る快速が走っているらしい。







この日の宿は四日市駅と近鉄四日市駅の間にあるビジネスホテル。
駅を出ると広い通りの左右にビルの立ち並ぶビジネス街だった。
歩道は何やら工事中。
疲れた足腰にもう少し頑張ってもらってホテルに到着。
チェックインした。








長いホームが寂しい - JR西日本関西本線

2024-06-23 18:32:27 |  鉄分山盛り、三重の路
伊賀鉄道と接続する伊賀上野駅。
次に乗るJR線の列車発車時刻まで間があったので、一度駅を出てみた。
駅前はだだっ広く、小さなお店がいくつかあるくらい。
住宅の密度も高くなく、駅舎の立派さと比べると哀愁を感じる景色である。



駅舎は明治だか大正だかの建物で、その時代の国鉄の駅はどこもこんなだったなあと、どこかで見た昔のモノクロ写真の面影と重ね見る。
券売機で切符を購入。
次は四日市へ向かう。
改札してもらいホームへ。







昔は特急列車も止まったのだろう。
長いホームががらんとして寂しい。
やってきた列車は亀山行きの単コロ気動車。
意外と乗客は多くて、座席は半分くらい埋まっていた。
それなりに利用されていて少し安心。



後方の運転席横のスペースを確保して、また立ったまま乗車。
さすがに疲れてきた。
それでも席に座れば何も撮れなくなってしまうので頑張って立っていた。







線路はずっと農地や山の中を行く。
駅間が長い。
同じような車窓が一度だけ目を引く変化を見せる。
柘植駅が滋賀から来る草津線の接続駅なのだ。
草津線は電化区間。
昔大阪梅田を中心に東西を結んで走っていた新快速車両がちょうどやって来たところだった。



亀山駅までの途中駅は伊賀上野駅と同じく古い駅舎のところが多い。
ホームも広く長い。
どこかで途中下車することも考えたが、次の列車までの時間を持て余しそうでやめてしまった。





沿線に建物が少し多くなり、インターチェンジらしい構造物をくぐる。
地図で見ると東名阪道の亀山ICだった。
そこから終着の亀山駅はすぐ。
関西本線のJR西日本とJR東海の境界駅である。
ここで乗り換え。




新天地商店街

2024-06-21 06:27:06 |  鉄分山盛り、三重の路
伊賀上野の町でお昼を迎え、コンビニがあったので惣菜パンと甘いパンを買った。
電車を待ちながら食べようと上野市駅の方に歩いて行くと、駅前ロータリーの向こうに古そうな商店街があるのを見つけた。





近づいてみると古色蒼然としたゲート。
これはシャッター街に違いないとワクワクして入ってみた。











しかし案に相違して営業しているお店が多い。
閉まってるお店も営業時間外だからであるようで、ほぼほぼどのお店もやっているよう。
アーケードの下の店舗は古い建物で、外から見たイメージどおり。
昔から営業を続けているらしいお店もあるが、多くの店が店内をリノベートして今風の造りにしている。
これはいいなあ。







建物が古くなったからと建て替えて新しい商店街にされるより、古い見かけでも快適かつ機能的に今のサービスを提供してもらえるなら、そちらの方が味があって自分好み。
家の近くにこんな商店街があったら度々利用して応援したいところだ。



商店街の奥行きはそんなになく、往復してどんなお店があるのか観察した。
洋服屋?、カフェ、うどん屋、スイーツのお店、揚げパン屋、ヘアサロン、洋風居酒屋、といったところ。



揚げパン屋さんのカレーパンが美味しそうだったので、コンビニで買った惣菜パンの賞味期限が明後日なのを確認し、このお昼はカレーパンを食べる事にした。
飲み物も扱っていて、店先に小さなテーブルのあるプチカフェ的お店。
お店の人にそこで食べるか聞かれたが、食べ歩きします、と答えて商店街を後にした。
早速かぶりついたカレーパンは、甘口で奥行きのあるおいしさ。
上野市駅に着くまでに食べ切ってしまった。




伊賀上野の町

2024-06-19 06:29:33 |  鉄分山盛り、三重の路
伊賀鉄道の桑町駅を降り、上野市駅まで沿線を歩いた。
昭和の建築と思われる家々が微妙に真っ直ぐでない道に並びいい感じ。
車で通ると対向車とすれ違うのに気を使う道である。









住む人がいなくなり取り壊されたのか、家一軒分の空き地がポツポツとある。
草はあまり生えていないから、更地になってそんなに時間は経っていないのだろうか。
大阪の自宅近くも空き地が目立ち始めた。
どこも一緒なのだなあ。









桑町駅は無人駅だったが、次の茅町駅には駅員さんがいた。
駅舎は外見そんなに古くないのかと近づくと、そうでもない。
なかなか風情ある待合室が覗けた。





茅町駅の北には寺町通りという寺社の並ぶ通りがあった。
綺麗に整備された広い通りだ。
立派なお堂を持つお寺さんばかり。
観光寺ではなさそうだから門から中を覗き見るに留める。





寺町通りの終わる小さな交差点で左を向くと、こちらは何やら古そうな築地が見えた。
近づいてみると神社であるよう。
なかなか立派な神社だ。
壁に沿って行くと奉賛願いの看板に上野天神宮と名があった。







正面に回ると牛が臥せた像があって、菅原道真公を祀る神社のようだ。
ご挨拶していく事にした。
楼門や境内を囲う築地は年代を感じさせるが、拝殿は新しく建てられたもののようだ。





その辺りから通りはお店の並ぶ商業地へと入っていく。
商店の並ぶとても長い通りを外れて上野市駅の方へ向かう。
遠くに伊賀上野城が見えた。
当時のお城が残っているのでなく、建て替えられたものらしいので、遠くから眺めるまでとした。
お城のある上野公園の入口に伊賀焼のお店を見つけたので行ってみたが定休日。
残念。



こんな感じで特に当てもなく街歩きを楽しんだ。
古くからある町なら、重要伝統的建造物群保存地区でなくても面白く歩けるものだ。
もはや昭和の建物ですら自分にとっては歴史的建造物だなあと最近思うのである。




くノ一の目力 - 伊賀鉄道伊賀線

2024-06-17 06:29:17 |  鉄分山盛り、三重の路
伊賀神戸(いがかんべ)駅で降りたのは二人。
ここからは伊賀鉄道というローカル線でJRとの接続駅である伊賀上野駅を目指す。
途中、どこかで下車して上野の町を歩く。
ここは市町村合併で伊賀市になったが、昔は上野市で、上野の町という表現が自分にはしっくりくる。





ここまで乗ってきたのが各停だったからか接続は良くなく、駅舎やその他撮影する時間が取れてありがたい。
ホームに戻って待つこと数分、構内にある踏切が音立ててバーを降ろした。
やってきたのは忍者の絵が描かれた車両。
なかなかのインパクトである。





2両連結。
乗客は地元の高校生ら数人と一般客数人。
車掌さんが乗っていて、出発すると検札に回っていた。
自分はICカードで乗車したのでそれを見せると、手に収まる携帯機器で入場の記録確認をしていた。
ワンマン運転のはずなのにこの電車は特別なのかなと思ってたら、途中駅で降りてしまった。
不正乗車がないか列車を渡り歩いてチェックする形態なんだろう。





車両は東急電車のお古である。
スピードをあまり出さないからだと思うが乗り心地はふわふわした感じ。
車内はロングシートとクロスシートの混合形。
これまでずっと立っていたので、クロスシートに座って足腰を休めた。
車窓はのどかな田園風景である。



しばらく座っていたが運転席後ろの前面展望の得られるかぶりつき位置が空いたのでまたのこのこ出て行く。
この路線と並行してある道路は車で下道を走って帰省するのに時々使う道である。
その時電車が走っているのを見ることはほとんどない。
運行本数は30分に1本くらいなのに巡りあわせが悪いようだ。
見覚えのある踏切やガソリンスタンドを見送る。





だんだんと住宅が多くなり、市街地に入ると名阪国道をくぐる。
その先の桑町駅で下車した。
そこからいつも通過してしまう町を歩いてみた。
その様子は次回記事で。
二駅飛ばして上野市駅から再度乗車したので、今回はそのまま伊賀線の様子を紹介する。



上野市駅はその愛称の方の「忍者市駅」の表記の方が大きい。
香川県の「うどん県」みたいなもんだな。
駅は忍者グッズや人形なんかでいっぱいだった。



上野市駅からはピンク色の忍者列車だった。
こちらの路線のお客さんは少なくガラガラで、車内が撮影しやすい。
車内も忍者でいっぱいである。







伊賀上野駅へ向かう沿線は市街地から離れ、田園風景がまた広がるようになる。
伊賀上野駅はJRの駅で、歴史ある駅舎だ。
伊賀鉄道はその片隅を使用させてもらってる感じ。



でもホームを結ぶ跨線橋では、忍者達が伊賀鉄道のホームを案内しまくりである。
迷いようもなく辿り着ける。




電遅のおかげ - 近鉄大阪線

2024-06-15 21:43:48 |  鉄分山盛り、三重の路
三重県への進入ルートは近鉄にした。
鶴橋駅から大阪線で伊賀神戸駅へと向かうべく、伊勢中川行きの急行の時刻を事前に調べ自宅を出発。
最寄駅で予定より一本早い電車に乗れ、これは余裕をもって鶴橋駅に着くなと思っていたら遅れが発生。
梅田に着いた時には15分の遅れになっていた。





環状線に乗り換え、鶴橋駅に到着したら乗りたい急行は出て行ってしまった後だ。
幸先悪いなあと次の名張行きの急行を待つことになった。
伊賀神戸駅に行くには名張駅で各駅停車に乗り換えが必要だ。
まあいい。
急ぐ旅でなし。





鶴橋駅で時間ができたので、ホームの前の方に行って撮影し時間を潰した。
興に乗ってきたところでふと後ろを見ると、名張行きの急行がすでに入線していた。
おっとっと。
危なく乗り過ごすところだったが無事先頭車両に乗車。
車内はちょうどロングシートの座席が埋まるくらいの混み様。





大阪線は実家に帰省する際利用する路線なのでなにも珍しいところはない。
しかしいつも特急に乗るので、前方の眺めは目新しく、複々線を走り布施駅手前で奈良線と大阪線が上下に分かれるのを見て喜んだりした。
ただ前方の窓が高いところに小さくあるタイプの車両だったから視界はすこぶる悪く、だんだん車内が空き出して座れるようになっても立って眺めていた。
右に左に動け、ドア窓からの眺めをいろいろ撮れるのでフットワークが軽く、調子に乗ってずっと立っていた。
当然疲れて後になって腰にきたのだけど。





途中の長谷寺駅や室生口大野駅なんかで次々にお客さんは降りて行き、前方の窓の下の座席に座るお客さんもいなくなった。
ようやく進行方向の写真を撮影。





到着した名張駅には車両基地があった。
ここでも乗り換えの青山町行き各駅停車がくるまで撮影。
伊賀神戸駅への到着は遅れたが、鶴橋駅と名張駅で予定外の撮影ができたから、最初の電車遅延は悪かったのか良かったのかよく分からない出来事になった。




三重の旅、序章

2024-06-13 06:24:56 |  鉄分山盛り、三重の路
ゴールデンウィークに旅行ができなくて、旅に出たい思いが募っていた。
連れが友達と遊びに行く週末に、こちらも一人旅の予定を組み込んだ。
一泊する予定で行き先を検討。
一泊するなら少し遠くまで行けるから、それなりに離れた旅先を過去の自分なら設定してきた。
でもそうすると行き帰りの移動時間で旅程の半分近くの時間を使用してしまい、いつしかそのことがもったいなく感じるようになった。
行きたい先が事前に決まっているならそれも仕方ないが、今回はまず旅する事が目的。
なので比較的近場でかつ移動も楽しめる内容を検討。
日帰りでも遊びに行ける距離で探した。
選んだのは我が出身地の三重県。
移動で通過したことはあるが、じっくり観光したことはない地を渡り歩くのだ。



観光と書いたが、今回は乗り鉄撮り鉄、あと工場萌えメインに降りた駅付近を歩いただけ。
一般的な観光旅行で行く先はほぼ皆無である。
どうなることかと期待半分不安半分で出掛けたが、結果大満足な旅となった。
しばし旅先のお話で記事を埋めたい。