雨の小湊鉄道線

2017-02-28 00:15:44 | その他旅行き
房総横断乗車券で行く途中下車の旅(一)

毎日仕事に行くのと同じ時刻の電車に乗って出発した。
総武快速線から内房線に入り五井駅で下車。
平日朝の出勤時間帯だったが、下り列車だったのでうまく座ることができた。
皆様お仕事ご苦労様です。
私はお休みです。

五井駅の跨線橋では昨年来た時とたぶん同じお母さんがお弁当を売っていた。
今回は「房総ちらし」なるものを買って、同じく跨線橋上にある小湊鉄道の改札で切符を購入。
切符は房総横断乗車券にした。
これは割引料金で小湊鉄道といすみ鉄道を通しで乗れるもの。
途中下車できるが一方通行で後戻りはできない。
一日フリーの乗車券にしようかどうしようか迷ったが、行ったり来たりする時間はなかろうと判断。

階段を下りたホームではこれまた前来た時と同じく、カラカラとエンジン音を響かせてキハ200型気動車が待っていた。
何度見てもいいもんですなあ。
今回は彼らが主役である。
各所でその郷愁を誘う姿をカメラに収めた。

<列車交換>


<2両連結>


<雨に煙る>


<上総山田駅>


<安全確認>


<天候回復>


<梅の季節>


<終着駅>



代休の利用法

2017-02-26 20:11:25 | その他旅行き
房総横断乗車券で行く途中下車の旅(序)

休日出勤の代休を二日続けて取得。
よおし、泊りがけでローカル線を撮影に行こう。
一泊二日で行くにちょうどよい所がある。
いすみ鉄道である。
房総半島の外側にあり、神奈川からだと微妙に遠い。
日帰りだとじっくり撮影する時間が取れないのだ。
今回は二日使えるからいい機会。
昨年高滝駅まで行った隣り合わせる小湊鉄道も一緒に撮ろう。
一日目は小湊鉄道メイン、二日目はいすみ鉄道メインの撮影旅行とした。



ただ、天気予報は最悪。
一日目は北を進む低気圧から伸びる前線が関東地方を通過するその日。
二日目は冬型気圧配置で寒くなるんだって。
このところの日々の行い、悪かったようだ。
最近の天気予報の精度はとても高くって、外れることなく予報通りの天候の下、頑張って撮影してきた。
つうことで、記事はしばらくほぼほぼ鉄道写真ばかりっす。


夏場が危険

2017-02-21 00:19:38 | お酒
今、はまってしまいそうなのが、昼ビール。
遊びに出掛けた休日の昼下がり、雰囲気のよいカフェでサンドイッチをかじり、飲み物にビールを合わせる悦楽を覚えてしまった。

昼食をお店でとる場合、サンドイッチとかハンバーガーを好んで選択してしまう。
なんかお休みの日の昼食な感じがするではないか。
飲み物はほぼホットコーヒー。
シングルオリジンだとベスト。
ところが先日入ったお店は、メニューにちょいと変わったビールが載ってて、味見したくてコーヒーから浮気してしまった。
ただ「ビール」とだけ書いてあったら注文しなかったろう。

出てきた小瓶のビールは紹介文どおり濃口で、味わいながら飲むタイプ。
サンドイッチを食べつつ、時々グラスを口に運ぶ。
夜飲みではまずあり得ない組み合わせだ。
サンドされた具材とビールの苦味がなかなか合うではないか。
小瓶一本で充分満足できた。
きっと酔うために飲んだのでなく、ドリンクの一種として味わったからだな。

昼間っからお酒を飲むなんて、アル中のおっさんにイメージが直結する。
真面目な私は 不良社会人のする行為だからと、したこと無いとは決して言わないが、避けてきた方だ。
これからは度々飲んでしまいそう。
いけない道に足を踏み入れてしまった。
今のところ明るい内からベロベロに酔いたいとは思わないから大丈夫そうだが、いつまた気が変わるか知れない。
昼間っからアルコールの匂いをプンプンさせた、だらしないおっさんにならないよう注意注意。




腹の空き具合

2017-02-16 22:01:21 | Weblog
毎日まずまず遅い時間に仕事を終えて帰宅するわけだ。
疲れて空腹。
なんだけど、これらの「感じ方」が毎日「場所」により極端に振れる。
「時刻」ではなく。
少し早く仕事が終わっても、思い切り遅くなってもこの傾向は変わらない。
毎日必ず同じなので不思議に思うようになった。

まず、会社から駅までは結構距離があるのに比較的平気である。
仕事が終わった解放感もあるのだろうが、淡々と足を運ぶだけ。
寒さに何も考えられないか、今日の仕事を振り返るか、次のお休みの予定を考えるか、何にせよ気持ちは比較的ニュートラルで腹の空き加減、身体の疲れ加減にあまり意識は向かわない。

ところが電車に乗って駅を降り、夕食を買った後、家まで歩くのが辛い。
歩く距離は会社から駅までより、駅から家までの方が短いのに。
疲れが増すほど長く電車に乗る訳でも無い。
なのに、お腹が空いている事に意識が行って、早く家に着かないかとそればかり頭に浮かぶ。
家が遠い、脚が重い、ただもうひたすらひもじい。
ひもじくて哀しくなる、はは。
なんでかな。

数日、どこに違いがあるのか考えて、ようやく気付いた。
会社から駅までと駅から家までで精神状態が変わってたのだ。
駅を降りて夕食を買うという行為が間に挟まっていた。

駅前のスーパーに入るとカゴを取り、まず向かうのは惣菜コーナーだ。
身体の欲する栄養素に心の耳を傾け、食べたい惣菜を決める。
歩を進めつつ、翌朝のパンはなくなってないか、リンゴはまだあったか思い出し、必要な食べ物をカゴに移す。
もう頭の中は食べることでいっぱいである。
会計を済まし外に出、手に加わったレジ袋の重みを感じ、おあずけ状態で家路を辿らねばならない。
そりゃ空腹感が増すわな。

いやあ理由が分かって良かった。
分かっても家までの道が辛いのは変えられないけど。




雛の吊るし飾り展

2017-02-15 00:01:06 |  神奈川県全市町村探訪
菜の花をウォッチしたあと、もらったパンフレットにあった「雛の吊るし飾り展」を見に行くことにした。
これは「菜の花ウォッチング」のイベント期間中、二宮町内で展示場所を替えつつ行われていて、私が行った時は川勾(かわわ)神社というところで展示されていた。
町営第1駐車場から車で20分ほど。
地元の人なら裏道を抜けて、10分くらいで行けるのだろう。
少し山あいに入ったところに神社はあった。



トイレ付きの10台くらい入る駐車場に車を止めさせてもらい、境内へと向かう。
入口の石段と鳥居、藁葺きの門がなかなか雰囲気を出してる所だ。
境内は砂利が敷かれ参道は石の道。
入って左に御輿の収められた庫があり、このイベントがあるからなのか扉が開かれ、御輿を見ることができた。
こういった装飾を見ると日光東照宮を思い出す。



次の左の建物に普通の雛人形が飾られてたけど、それには食指は延びず、本殿に見える吊るし雛へと脚は向かう。
結構な数が吊るされていた。
本殿内のお祓いとかしてもらう?スペースがメインの展示場所だったが、入りきらない飾りは外にも溢れて吊るされていた。
小さな雛人形が吊るされているのかと思ったがそればかりでなく、鞠やさるぼぼみたいな人形が、きらびやかな織物の端切れで形作られ、それぞれの創意工夫が素晴らしかった。







ふと目を留めた武者人形?の糸で表した表情がかわいくて、見惚れてしまった。
配置の妙を得た感性と、まさにその位置に縫い付けられる手指の技が必要だ。
器用だなあ。
どういった方々が作られているのか分からないが、たぶん趣味で楽しまれているのだろう。
私も趣味の腕を上げたいものだと刺激を受けた。




菜の花ウォッチング

2017-02-14 00:13:28 |  神奈川県全市町村探訪
神奈川県全市町村探訪、今回訪れたのは二宮町。
私の知ってる町で位置を説明すると、厚木の向こう小田原の手前になる。
相模湾に面した湘南の地である。
うーん、こんな名前の町があったんだ。
二宮町にある吾妻山の山頂広場に早咲きの菜の花を6万本咲かせてるとのことで、春を感じに行ってきた。
前日の関東地方は積雪のひどい西日本や北日本ほどでは無いにしても雪の舞う極寒の日だった。
引き続く雪の予報に厚着をして出掛けたが、幸いにして寒さは緩み、お昼前後は暖かく過ごせた。



二宮駅から少し離れた町営第1駐車場に車を止める。
駐車料は一日500円。
二宮町はこの菜の花開花期間で「菜の花ウォッチング」という観光イベントを開催。
駐車場ではパンフレットが配られ、会場までの行き方を係りの人が丁寧に教えてくれた。
たぶん駅でも同じ対応をしているのだろう。
パンフレットはカラー印刷した綺麗なもので、地図と町のお店の場所が印され分かり易い。



駐車場から駅までの道には商店街があり活気があった。
イベントの無い時期も変わらないのだろうか。
周辺の大きな市に吸収合併されずに独立していられるのだから、元気な町なのだろう。
駅前にある町民会館の体育館?に、こじんまりと臨時出店された地場産のお店でお弁当とお茶を買い、山へと上り始めた。
登り口は駅からすぐなので、電車で来てもなんの不便もない。
要所に案内の人がいるので迷いようもなく、途中に臨時のお店も出店してたりとまさに町をあげてのイベントだ。



コンクリートの階段を登って行くと、早くも眺めが良くなってくる。
海岸がすぐ近くなので、海が見下ろせるのだ。
吾妻山は標高130m程で、山全体が公園として整備されているよう。
今は冬枯れているが、アジサイやサクラの木があったので、他の花の季節も楽しめそうである。
シバザクラやコスモスも咲かせるらしい。



途中にある浅間神社への階段がいい感じで伸びていたので、写真を撮らせてもらう挨拶にお参りし、さらに登っていくと程なく山頂。
山頂は芝生の広場になっていて、その西側の斜面に菜の花畑はあった。
イベント期間終了直前だったので、菜の花も見頃を過ぎてしまってるかなと予想したが、なんのまだまだ、茎の先端の花がちょうど咲く頃合いで、真っ黄っ黄のお花畑が広がっていた。
お花畑には入れず、広場から眺め観賞する。



そして菜の花の向こうには雪を被った真っ白な富士山がそびえている。
朝の出発が遅くなったので雲がかかってしまっていたが、このお天気なら午前中はきれいに見えただろうなあ。
しかしその日の眺めで一番目を惹いたのは相模湾だった。
お天気よく晴天だったからか、海は空の色を映して真っ青だった。
太陽の下の海原はギラギラと反射して眩しい。
菜の花の黄色と海の青のコントラストが際立っていた。
ちょうどお昼時になったので、麓の町民会館で買った盛り沢山なお弁当を食べつつ、クッキリとした眺めを楽しんだ。



菜の花の向こう側に冬枯れた茶色い木が並んでいたのだが、あれはたぶん桜の木で、花が咲いたら今度は桜色と富士山、あるいは相模湾とコラボした眺めが楽しめる訳だ。
桜だと霞んだ背景の方が似合うのかな。
それから、広場には名前の分からぬ立派な木が一本枝を広げ立っていて、やたらフォトジェニックだった。


アリトル遠出願望

2017-02-11 00:01:37 | Weblog
最近はひと月旅に出ないとムラムラしてくる。
前にも書いた気がする。
もう旅中毒にかかってるな。
同じような週末を繰り返していると落ち着かない。
ソワソワしてくる。

1月初めに宮城へ小旅行したから、泊りがけで無くていい。
ずいぶんと散財しちゃったし。
日帰りで少し遠出するくらいで。
寒波襲来中の日本列島、震えながらだろうが春を見つけに行くぞ。




そうだったのか

2017-02-08 23:51:49 | 自転車
自転車ネタはご無沙汰。
とは言え乗ってない訳でなく、話題が無いだけ。
自転車に乗る頻度としては以前より圧倒的に多くなった一年であった。
ほぼ毎週のようにテニススクール通学に使用し、脚力はある程度回復したと思っている。
通学を開始した当初は必死になって登っていた坂道も、今では余裕をもって登れるように。

余裕をもって?
んー確かにそうなのだが、今のままでいいのだろうか。
たかだか片道30分程度の道を走れるようになったからといって、昔の脚力を取り戻したとは思えない。
昔は峠に走りに出れば、毎回いっぱいいっぱい脚を使って走っていたように思う。
冬でも汗だくになった。
比べて今はどうなのか。
さして汗もかかずに楽々乗って、ちょっとした上り坂が登れるようになったといい気でいる。
今の状態をキープするにはいいが、昔のようにヒルクライムできるような脚で無いことは確かだ。

今の環境では峠を攻めに行くのは難しいので、通学路で鍛えるしかない。
ってことで気持ちを入れ替え、先週末は脚に負荷を与えるようにして走ってみた。
その負荷の与え方だが、昔ケイデンス高く乗ることがどうのという言葉を聞いた事がある。
ケイデンスは時間当りの回転数の事だとは知っているが、それが高いとどうなのか、低いとどうなのかと言うことは知らなかった。

いつも平坦な道はニュートラルなギアで回転数高めで走り、上り坂は坂を登るには重めのギアでゆっくりグリグリ踏み込んでいた。
どれだけギアを軽くせず坂道を登れるかが脚の出来具合いだ、なんて思っていたから。
試しに平坦な道と同じくらいの回転数で上り坂を登ってみた。
当然ギアはかるかるで。
でもこれがなかなか、回転数を下げずに登り続けるのってしんどい。
脚にもくるけど心臓にもきた。
やっぱりこれくらい攻めないと体力増強にはならないよな。

後日、ケイデンスの高低について意味するところを調べてみた。
別に高いからいいというわけでなく、目的に応じて選択するものらしい。
大雑把に理解したところでは、重いギアでゆっくり回すのは力を使うので筋力が鍛えられ、逆に軽いギアで早く回すのは長距離走向けで心肺機能が鍛えられるらしい。
確かに速く回し続けたら息が上がったなあ。
でも脚にもきたぞ。

ふーむ。
なかなか奥が深い。
自転車の乗り方は結構知ってたつもりだけど、こんな初歩的(たぶん)な知識も知らず乗ってたんだから恥ずかしいものだ。
他にも知らない事がありそう。
これを機会に調べてみるかな。
いつになるか分からぬが、再び峠を攻める日のために、まずはケイデンスを使い分けてトレーニングしていこう。


<約0.07rpmらしい>



弾く糸と伝える糸

2017-02-07 23:10:49 | テニス
ストリングスがなかなか切れない。
ポリとナイロンのハイブリッドにしてから持ちがよくなった。
ポリは表面の滑りが良いというのがこんなところでも現れる。
滑りの悪かったナイロンどうしなら3ヶ月くらいでプッツリいってたのに、5ヶ月経ってようやく交わる部分の溝が深くなってきた。
もちろんナイロンの方が。
切れる前に交換が必要かと思ったけど、もう時間の問題だ。

最近テニスの好不調がハッキリしている。
いや、好不調という言葉は不適切だ。
ダメな時の身体の動かなさと言ったら無い。
さっきまで出来てたじゃない、という動きが数分置くとできなくなる、なんてことも。

歳をとると身体が動かなくなると言うが、体力的筋力的に不可能となる動き以外に、生理的神経的に不可能となる動きも大きな要素としてあるはずだ。
単に反射神経が悪くなるだけでなく、複雑な動きができなくなるのだ。
時に手足が思うように動いてくれないのは昔から感じていたことで、最たるものはフォアボレーだが、これは以前話題に上げたのを覚えているので今回は触れずにおく。
身体の各所と脳をつないでいる神経が途切れてしまうに違いない。



切れてしまったのではなく、一時的に経路のどこかが麻痺して情報伝達が滞る感じというのが正しいか。
網の目のように張り巡らされた神経網の何パーセントかの経路の接触が悪くなる感じ。
先日感じたのはサーブの時。
なんとなく、あっ切れちゃった、てのが分かり、そのあとはサーブの統合的な動きを最適化できなくなってしまった。
サーブのスイングは出来るのだが、トスしたボールを打つ位置が高かったり低かったり、ラケットダウンができなかったり、回転をかけたいのにフラットに当たったり。
はは。

反対にトスを上げる前に、あっこれはベストなスイングができるなと分かることもある。
そんな時は細かな事は気にせずブンと振れば、しならせた腕がラケットヘッドを加速させ、体重の乗ったサーブが相手コートに突き刺さることになる。
この感覚が不思議なんだなあ。
脳は操り人形の糸のように身体の各部と繋がっているという手応えを感じることができるのだろうか。

まあなんにせよ、こっちの糸はずっとずっと切れないでいて欲しいものである。


治しては割れ、治しては割れ

2017-02-06 23:09:25 | Weblog


この冬もあかぎれが痛い。
次から次へと生成されるぞ。
今年もきちきちと家事をこなしているからだろう。
水仕事というのは本当に手から脂分をとってしまうのだなあ。
頻繁にローションを塗布するのだが追いつかない。

それでも手の甲にできるあかぎれは抑え込めている方か。
できる場所が毎年違うのがおもしろい。
この冬は人差し指の側面親指側。
ここがよく乾く。
そして縦にぱっくりと開くのだ。
先週末に開いてしまった。

週末にできるとまずい。
ちょうど人差し指でラケットを支えるところなのだ。
お休みにテニスしたら当然ながら悪化した。
表皮だけ割れてたのが真皮まで達する割れ目に。
目を近づけて観察すると、うるうるしたコラーゲンが崩れているのが見える。
割れた箇所をグリップにグリグリ擦り付けてもあまり痛みを感じなかったのに、手を洗うと身体が固まるくらい盛大にしみてくれる。
この差はなんだ。