ブロッコリー - 東海道本線

2024-07-15 17:42:58 |  鉄分山盛り、三重の路
旅もいよいよ終わり。
最後の行程は東海道本線。
大垣駅から米原駅まで、JR東海の電車に乗る。
ホームにやってきた電車から乗客が降り、入れ替わりに乗車した。
ほとんどの乗客が降りてしまい、車内は空き空き。
二人がけのボックス席の並ぶ車両で、空いた席の窓側に座ろうとすると、座席と通路の境目に小さなぬいぐるみが落ちているのを発見した。
糸が付いていたので、カバンに吊り下げていたのが切れたのだろう。
拾ってもどこか置き場所がある訳でもなく、手の施し様がないので目の前にあって気にはなるが触らずにいた。



停車時間が長い列車で、そろそろ出発かなと思っていたら、前の扉から年の頃20代と思われる女の子が慌てた感じで乗ってきた。
出発に間に合ってよかったねえとそちらを見ると、視線を合わせる訳ではないがこちらに意識を向けてるような圧力を感じ、何だ?と思う。
すると通路を通り抜けつつぬいぐるみを拾って後ろの扉から出ていった。
ああ、彼女のだったのね。
ホームを前に歩いていく彼女のカバンには似たようなぬいぐるみがもう一つ揺れていた。
改札とかで落としたのに気がついたのだろう。
結構な時間が経過してたのに、よく探しにきたなあ。
よほどお気に入りのぬいぐるみだったのだろう。
まあ良かった。
私も気になる物体が目の前から消えて落ち着くことができた。
程なく列車は出発。
後から考えるに、彼女から感じた圧力はさっきまで彼女が座っていた席に私がいたので、ぬいぐるみが落ちていないか私に聞く面倒を思い浮かべたのだろう。
手前の通路に目当てのぬいぐるみがあってホッとしたに違いない。
触らずに置いておいて良かった。
で、あのぬいぐるみは何を模していたのだろう。
ブロッコリーだと思うのだが。



電車は進む。
この二日乗ってきたローカル線の揺れに身体が慣れていて、東海道本線の最新車両に乗るとそのあまりにもスムーズで揺れのない走行に感心した。
スピードを出しても全然揺れないから、どれだけ精緻に線路を敷いて振動制御装置を作り込んでいるのかと感心してしまう。
同じ感覚は在来線から新幹線に乗り換えた時によく感じるが、在来線の普通車両がその精度を持つ時代になってきたということか。



米原駅でJR西日本の新快速に乗り換え。
ちょっとしたお出かけで乗る電車なので帰ってきた感に包まれる。
昨日今日で乗った鉄道会社は6社と、路線数は9つ。
大阪から奈良、三重、岐阜、滋賀とざっくり左回りに足跡を残した。
今回も十分に楽しんだので疲れまくり、大満足したので、旅が終わった残念感は全く無し。
後は眠って帰ってきた。


大垣でも工場萌え

2024-07-13 09:02:04 |  鉄分山盛り、三重の路
西大垣駅の車庫は構内からあまり見えなかったので、外から眺められないかと北側に回ろうとした。
しかし工場の敷地が広く車庫からずいぶんと離れた場所で回り込むことになり、ただの踏切しか見えず。
残念。
辺りは街中の工場地帯で鑑賞対象を工場に変更することにした。



お腹は空いていなかったが、買ってあったあんパンを食べつつ歩く。
感じてなかったがエネルギー不足だったようで、食べ終わるとちょっと元気になって、身体の疲れも軽減した感じ。
甘いものの威力だなあ、歩き続けられそう。





工場はなかなか大きいのに間を縫う道路は狭い。
新しい工業団地ではなく昔からこの地で操業してきたのだと分かる。
だから建物も古くていい。
工場地帯に隣接して住宅地がある。
シームレスな感じで、こちらも古い民家やアパートが隣り合っていた。



養老鉄道は大垣から更に北へ揖斐駅まで伸びていて、そちらの路線の室駅の方へと歩く。
ある踏切を渡って少ししたら後ろで警報器が鳴り出したので、カメラを構えて電車を待った。
車がやってきて踏切手前に止まったので、まあ仕方ないなとカメラを構えていたら、その車がいきなりバックを始めて、私より後方まで下がってしまった。
電車がやってきて、障害物なしで撮影。
その車の運転手を見るとなんとも読めない表情をしている。
私がカメラを構えているのを見て、自分の車を撮られたくなかったのか、障害物なしで私に写真を撮らせたかったのか。
踏切があくと行ってしまった。



室駅は小さな無人駅。
乗車駅を証明する乗車票の発行機があった。
大垣行きの電車がすぐ来るなら、予定を変えてそれに乗って大垣駅へ行くのもいいな。
楽だし。
しかし時刻表を見るとあと20分くらいあった。
残念、元の予定通り歩こう。







沿線は静かな雰囲気の住宅街。
それでも遠く近く車の走行音などが聞こえてくるので、街の中心部にいる事が感じられる。
駅に近づくにつれビルが多くなる。
大垣駅は養老鉄道とJRの接続駅。
ここから先は再びJRである。




お土産とママチャリ - 養老鉄道養老線

2024-07-11 06:30:19 |  鉄分山盛り、三重の路
桑名駅でお土産とあんパンを買った。
なんでも桑名は東西文化圏の境目らしく、カレーに入れる肉が牛か豚か聞くと、だいたい半々なのだそう。
その情報の信憑性は確かめ様がないが、地理的にまあありそうな場所である。
話の種にお土産はカレー味のあられにした。



桑名駅から今度は養老鉄道で大垣へと向かう。
いま養老鉄道では近鉄と東急の旧車両が走っているらしい。
改札口に行くと赤色の電車が待っているのが見えた。
近鉄の方だった。
今度はどこか途中駅で降りるかなと、とりあえず養老駅までの切符を購入。



走り出して思ったのは、この二日で乗ったローカル路線で一番揺れない電車だなということ。
近鉄のお古とはいえ、車両はまだまだ新しいものだ。
自宅近くの幹線を走る電車とそう変わらない。
勝手ながらこうした旅では車両は古いほど面白く、今一つ自身の盛り上がりに欠ける。
前にヒロシが出ていたTV番組で「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」を見ていたら、キューバのどこかを訪れる回で、ぼっろボロの電車に乗っていた。
思わず画面を二度見した。
こんな車両が現役で運行しているというのが驚きのボロさで、安全性にたいそう不安があったがとても惹きつけられ、乗ってみたい?いや撮ってみたいと思ったものだ。



車中で養老駅の近くにある名所を調べてみる。
やはり養老の滝だよなと見てみると、駅から4kmも離れてるらしい。
往復2時間(写真撮ってたら3時間)をかける時間はもうないな。
養老駅はなかなか古い駅舎のようで、ドアから見える改札口がいい雰囲気だったが、足腰の疲れも取れておらず、お尻はシートに張り付いたまま。
乗り過ごして大垣まで行ってしまうことにした。



ある駅でママチャリと一緒におじさんが乗ってきた。
座席横でガチョンと脚を立てて席に座った。
サイクルトレインを運用している路線が各所にあるのは知っていたが、こうして実際に自転車を持ち込んでいるのを見るのは初めての気がする。
電車内に生の自転車があるってなかなか変な眺めである
なんとなく海外の電車でロードレーサーを袋に入れずに載せてる映像が頭にあった。
輪行できないママチャリのような自転車こそ、利用すべきサービスだよなあと腑に落ちた。





養老鉄道の車庫は西大垣駅にある。
大垣駅のひとつ手前の駅なので、そこで降りて一駅分沿線を歩くことにした。
車庫の眺めは残念ながら開けておらず、ホームの端から限定された範囲を撮れたのみ。
しかし西大垣駅の駅舎は古く、いい感じ。
駅員さんに切符を渡して乗り越し精算してもらった。




阿下喜駅と西桑名駅 - 三岐鉄道北勢線

2024-07-09 06:25:57 |  鉄分山盛り、三重の路
三岐線の東藤原駅から北勢線の阿下喜駅まで歩いて移動。
田んぼの中の道路を歩き、林を抜ける。
一枚目の写真は道路から覗いた脇道で、歩いたわけではない。







少しお腹が空いたので、昨日食べ残したコンビニの惣菜パンを食べながら歩く。
交通量のある国道を渡る時、後ろを振り返るとセメント工場はもうはるか遠く。
その辺りから再び住宅が広がり始める。
駅の周りは商業施設もあり開けている。



阿下喜駅には電車が待っていた。
パッと見読むことのできなかったサッカーチームのラッピング電車だ。
発車時刻を気にしつつホーム横に置かれた昔の電車車両を撮影、改札を抜けたのは出発の直前の時刻だった。





一番後ろの車両に乗って出発。
その日は三岐線の電車にほぼ座って乗っていたのに、昨日の疲れが出てきたのと、阿下喜駅まで歩いた疲れが重なって、途中下車する元気がなくなってしまった。
北勢線は以前に一度撮影目的で乗ったことがあり、その時沿線も歩いてガッツリ撮った覚えがあるので、今回はまあいいかとホケッと座っていた。





北勢線は762mm軌間のナローゲージで、車両の幅がとても狭い。
なかなかに古い車両で、走り出すときしみ音、振動音がすごい。
金属の打突音が渾然一体となって耳に届く。
モーター音が路面電車を思わせるが、それより少し高音成分が多いだろうか。
スピードの出る区間では盛大に揺れ、左右の揺れの大きいところでは車両間のドアが半分開き閉じる。
遊園地の乗り物に乗ってる気分で楽しんだ。
終着の西桑名駅までずっと乗り続けた。
今回の旅で一番淡白な乗車路線になった。






重厚長大なる - 三岐鉄道三岐線

2024-07-07 17:56:50 |  鉄分山盛り、三重の路
東藤原駅の手前、太平洋セメントの工場横を通過する時、今度はよく見えるよう左側のシートに座った。
行きがけにこんな眺めが見えると知った時は反対側のシートに座っており、こんなのが見えるのか、しまったな、と思った。
座席を移ろうかとも思ったが、移っている内に通り過ぎてしまうだろうとそのまま座っていたら、これがなかなか通り過ぎない。
こんなに長く見れるなら座席を移ったらよかった、またまたしまったな、と思ったが、また戻ってくるとき見ればいいと気がついた。
それくらい広い工場なのであった。





東藤原駅で降りると、側線がたくさん並び、工場の方へ続いている。
ホームからの眺めを撮ったあと、改札を出て工場の方へ歩いてみる。
踏切があるのだが、側線も横切っているので向こう岸が遠い。
保々駅で見た電気機関車のみの重連車両がここでも踏切のすぐ脇に留置されていた。
運ばれてきたばかりで、金属が冷えていくキンキンという音が時々聞こえる。
やはりその場所に留置する理由が分からない。
踏切を通る人に見てもらう為に置いてるようにしか思えないんだなあ。
ありがたく間近で堪能させてもらった。











工場の入口が遠くに見えるので近づいてみるが、門のところにカメラの絵が描いてあるのに気付いた。
前にどこかの工場の入口を通った時、構内撮影禁止、とか、構内はドライブレコーダー電源オフ、とか書かれた看板が出ているのを見た事を思い出した。
こうした工場って治安対策の為に構内の建物の配置といった情報は、関係者以外の知るところとならないよう注意しているらしいので、きっとあの絵も撮影禁止の貼り紙だろうと、変に見咎められないよう引き返すことにした。



さて三岐線の乗車はこの駅まで。
次は三岐線の東側にほぼ並行して走っている北勢線に乗車する。
北端の阿下喜駅まで30分くらいらしいので歩いて向かう。
別れ道まで三岐線沿線を歩いていると、白い貨車を引いた貨物列車が駅前の側線を何度も行ったり来たりして工場に入る線路に移す作業を行っていた。
なかなか面倒そうである。
毎回必要なら直通で入れるルートを設定できないものなのかなと思ったが、そう出来ない何かしらの理由があるのだろう。
駅の南にある踏切からその様子を遠望して、三岐線最後の撮影とした。














西藤原駅 - 三岐鉄道三岐線

2024-07-05 06:27:04 |  鉄分山盛り、三重の路
丹生川駅から西藤原駅へ向かう。
前方には藤原岳が聳えている。
福寿草が咲く山で、まだ若い頃登ったことがあるが、標高はさしてないのに累積標高差が大きい山で、ヘロヘロになって下ったのを思い出す。
途中、伊勢治田駅で列車交換の待ち合わせ。
この駅にも留置線がたくさんあって、この先にある太平洋セメントの貨車が止められていた。







東藤原駅を越えると太平洋セメントの工場横を通過した。
右側の車窓から巨大な工場が見えたのだが、左側のシートに座っていたので、窓越しにその存在を認知。
戻ってくる電車では工場側のシートに座ることにしよう。





西藤原駅は三岐線の終着駅。
ホーム横に昔の電気機関車や蒸気機関車が保存されていたので撮影。
その向こうには広場があって、子供たちを乗せて走る列車用の小さなゲージの線路が敷かれていた。
一度改札を出てみる。













外からみた西藤原駅は駅舎が汽車の形を模していてかわいい。
昔、藤原岳を登った時、ここに車で来た事がある。
屋外展示された機関車と桜の木を写真に撮ったはず。
今と展示のされ方が違っていたし、今の駅舎の記憶がないので、たぶんその後新しくなった駅舎なんだろう。



ホームに戻り、ここまで乗ってきた電車に再び乗り込む。
次の途中下車駅は東藤原駅である。
来る時に車窓から見た太平洋セメントの工場が隣接してある。
途中で遭遇した貨物列車はこのセメント会社のもので、東藤原駅から様子を伺おうと思っている。


貨車がいっぱい - 三岐鉄道三岐線

2024-07-03 06:29:39 |  鉄分山盛り、三重の路
次の途中下車駅は丹生川駅。
保々駅から5駅先である。
近鉄富田駅から離れるに連れ家は少なくなり、緑が多くなっていく。





丹生川駅で降りる目的は、貨物鉄道博物館を訪れるため。
ボランティア運営のため、毎月第一日曜日にしか開館しないということなので、最初は旅程から外していたのだが、外に展示している車両は見学可能ということなので行ってみることにした。







改札を出て左に行くと、三岐線の線路と平行して展示用の線路があり、その上に数両の様々な貨車が置かれていた。
その向こうに博物館の建物がある。
入口のシャッターは当然閉まっていた。
建物の横にも貨車が並んでいる
こちらには蒸気機関車の展示もあった。
開館日であれば、建物の中はもちろん貨車の中にも入れるらしい。











先日NHKのEテレで「沼にハマってきいてみた」という番組があり、そこで二人の鉄オタ高校生が出演していた。
ハマったモノは、一人は電気機関車、一人は貨車。
貨車の方の高校生はここのボランティアをやっていて、貨車を修理する様子が映されていた。
展示された黒い貨車に白い文字で車両形式が書かれていたが、手書きフォントっぽいものがあり、きっと彼らの手によるものだろう。





撮影していると、次の電車までまだ時間があるはずなのに踏切が鳴り始めた。
ドキッとしたが、こういう時は貨物列車がやってくる。
待っていたら保々駅で見たような編成の貨物列車が西藤原方面へ走っていった。
貨物列車の走る時刻を知る術を知らず、見れたらいいなと行き当たりばったりでやってきたが、二度も目にする事ができた。
なかなか頻繁に行き来しているようだ。






保々駅での幸運 - 三岐鉄道三岐線

2024-07-01 06:27:10 |  鉄分山盛り、三重の路
さて、旅は二日目。
この日は近鉄富田駅から出ている三岐鉄道三岐線に乗車する。
近鉄四日市駅から名古屋線で近鉄富田駅にやってきた。
接続ピッタリで、降りたホームに三岐線の電車が出発を待っていた。
しかし種々撮影したく、一本後の電車に乗ることにする。







電車を見送った後、一度改札を出て三岐鉄道の1日乗り放題パスを購入。
その日は終点の西藤原駅まで行く途中、各所で下車して駅付近を撮影予定。
再びホームに戻って電車を待った。







やってきた黄色い電車に乗車。
電車は狭軌の昔の車両である。
西武鉄道のお古らしい。
なかなかの年代物で、最近はローカル線に乗りに行っても比較的新しい車両が走ってたりするので、とっても貴重である。
長く走り続けて欲しいものだ。



一つ目の途中下車駅の保々駅が近づいてきた。
この駅横には車庫があるのでその様子を撮りたい。
車庫は駅の南側にあるようで、駅へと入っていく手前で沢山の車両が止まっているのが見えた。
電車だけでなく電気機関車が止まっているのが見え、おおっとテンションアップ。
車庫の建物も年代物でホームに降りると早速撮り始めた。
ホームの北側の留置線にはJRの車両が止められていて、今後はこの車両に置き換わっていくのかもしれない。













ホームの南端から撮れるだけ撮って、さてどうしようと頭を悩ます。
そこから見えるのは電車ばかりで、駅に入る手前で見えた電気機関車が撮りたい。
ピョッという甲高い汽笛が車庫の向こうから聞こえてきたりして私を誘う。
一度駅を出て車庫の南側に回れば見えるだろうかと考え、そうすると次の西藤原行きの電車には乗れないから、二本後の電車になってしまう。
それでも日頃見ることのない電気機関車の魅力には敵わず、駅を出て外から見に行くことにした。
しかしここで暁光が。
荷物を整えていたら遠くで走行音がし、そちらを見るとその電気機関車がこちらにやって来るではないか。
しかも重連である。
この好機を逃すまいと撮影していると、ホームの端で停車してくれた。
そして運転手さんは何かそこで作業するでもなくどこかへ行ったしまったのだ。
機関車はなんと目の前に置きっぱなし。
じっくり近くで細部を観察することができたのだ。





さらにそうして撮っていると背後からまた走行音が聞こえてきた。
振り返るとセメントタンク車を引っ張った貨物列車がやって来るではないか。
これが見たくてここに来たのだ。
心の中で快哉を叫びながら撮影。
一旦待機線に停車して、再び走り始め、走り去るまで見届ける事ができた。
駅外に出ていたら近くで見ることができなかったかもしれない。
なんともラッキーな巡り合わせだった。





駅から出る必要がなくなったので、その後やってきた電車に一本遅らせることなく乗れた。
後から考えても不思議なのが、車庫からやってきた機関車の行動である。
何のためにあそこに留置したのだろうか。
撮り鉄が来てるから撮らせてあげようと連れてきてくれたように思うのだが、さすがにそんな理由で機関車を動かしたりはしないよなあ。
そんな都合の良い想像を膨らましたりして、にんまりしたのだった。




霞ヶ浦緑地公園の夜

2024-06-29 18:09:15 |  鉄分山盛り、三重の路
霞ヶ浦駅から歩いて20分くらいだろうか、JRの線路と国道23号を越えると工場地帯はもうすぐ。
地図を見ると海岸沿いに霞ヶ浦緑地公園が南北に長くある。
四日市コンビナートは海を挟んだその対岸の埋立地だ。







公園の敷地に入ると右手に競輪場があって、その誘導路を横に見つつ海へと近づく。
ヨットの係留場というか駐船場というかがあり、その右手の建物は屋内テニスコートのようだ。
後で見にいこう。
左手の小さな川岸を突端まで進むと工場の建物は目の前だ。
公園のその辺りは街灯もなく、日はとっぷりと暮れてどんどん暗くなっていく。
釣り人が一人とたまに散歩やジョギングする人が通過していくくらい。





三脚を立てて対岸の景色を撮り始めた。
持っていたイメージと違っていて、工場内の照明はもっと明るいものと思っていた。
こうした工場夜景のキラキラした写真を見たことがあるが、あれは相当光と色を乗せてるんだなということが分かった。
だんだんと風が冷たく感じられるようになり、長袖のシャツを着込む。
一箇所からだと撮影に変化の付けようが無くなってきた。
公園に入った時見かけて気になった右手の大きな建物に行ってみることにする。



途中、屋内テニスコートを覗くととても広く、コートの番号を見たら13とあった。
すごい面数だな。
スクールもあるのかコーチらしき人が生徒を相手に形式練習するのをしばし眺める。
屋外のコートもあるようだがこちらは工事中のようだった。





気になった大きな建物は四日市ドームというものだった。
見かけはドームというより巨大な体育館という感じ。
当然閉まっていて中がどうなっているかは窺い知れず。
ドームの海側にも通路があり、そこには人がいっぱいいた。
なんでこっちは賑わっているのだろうと不思議だったが、ドームの横に大きな駐車場があるからという事が後から分かった。
若者が多く、カップルや友達同士で工場の夜景を見ている。
散歩したり、ベンチでおしゃべりしたり、芝生の上でくつろいでいる家族連れもいる。





その向こうにはナイター設備付きの野球場があり、照明が点いていたので見に行ってみた。
近づいても声も打球音も聞こえず、もう終わっちゃったのかなとグラウンドの中が見えるところに行くと、まさに試合中だった。
なんで音が聞こえないのだろうと耳を澄ますと、微かに声も打球音も発しているのだった。
その時になって周りをコンビナートから流れてくる操業音が包んでいることに気付いた。
通奏低音的に騒音が充満していたようで、近くで話す人の声は聞こえるが、遠くの音は霞みがかったようにボヤけてしまっていたのだ。
なんか不思議な感じ。
野球場は三つもあって、ここは大きなスポーツ公園だったのね。
土曜日でもあり、みんな休日の夜を楽しんでいた。





さて、そろそろ帰ろうと野球場の裏手から公園を出ようと歩きだしたのだが、出口が分からない。
駐車場への車の導入路はあるのだが、あそこを歩いたらまずいよなあ。
ドームの方へと戻りつつ様子を伺うが、そちらもやはり車の出入口が立体交差して国道に繋がっているだけのようだ。
スマホ地図を見ても歩行者出口はその辺りになさそう。
ドーム横の駐車場は明るいから、一般客?以外にも、走り屋まではいかない車好きの若者たちが、自慢のクルマを止めてたむろしてたり。
そうなるよなあと思い歩いていると競輪場の横にまで来てしまった。
公園を南側から出て、帰りの電車は一駅四日市駅側の駅から乗れないかと思っていたが、この辺りに出口はなさそう。
諦めて公園に入った入口まで戻ることにした。
競輪場横にも駐車場はあるが、暗いからかこちらには人はいない。
近所に住む人でなければ、ここは車で遊びにくる所ということだな。
公園を出て、やってきた時にも渡った国道23号の歩道橋のてっぺんで、そう得心した。






夜遊びの足 - 近鉄名古屋線

2024-06-27 06:26:57 |  鉄分山盛り、三重の路
ホテルの部屋に荷物を置き一休み。
とても疲れたが今日のお遊び予定はまだ終わらない。
夜の工場地帯を撮りに行くのだ。
日の暮れるのが進むのを少し待ち、足腰に鞭打って再び出発。
近鉄四日市駅へ向かう。







近鉄四日市駅の駅前は繁華街。
大きな商店街がいくつもあった。
近鉄四日市駅には四日市あすなろう鉄道の四日市駅もある。
このローカル路線に乗る旅程も検討したが、時間が足りず対象から外した。
また機会を作って乗りに来たいものだ。





近鉄四日市駅から名古屋方面へ3駅、霞ヶ浦駅で下車。
ここから東の方の海へ向かって歩く。
遠くに見える煙突の煙はこちらにたなびいていて、なんとなく変な匂いがする。
途中JR関西本線の線路を越える。



夕暮れはどんどん深まり、到着するころにはすっかり暗くなっていた。
そこは霞ヶ浦緑地公園というところで、夜の公園なんて誰もいないから不用心だろうなという予想を覆し、場所によっては人がたくさんくつろいでいて平和だった。
でもそのお話しは次回記事で。









工場他の見学を終えて、霞ヶ浦駅へと戻った。
うーん、歩いた歩いた。
近鉄四日市駅に戻る電車を待つ間、ベンチにへたばった。
ぼんやりした頭で今日を振り返る。
それにしてもよく遊んだな。
なかなかの強行軍だった。
ホテルに帰ったら、たぶん10時だ。
明日に疲れが残りませんように。