なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

なんてこったい...

2008年09月08日 | Hard time
 何なんだろうか...9月になり急に生活がダウン。何もかも空回りし始めた。毎日毎日ろくなことがない

 
 昨夜はダメ押し(まだまだ序の口かな)で今週末と来週末演奏予定だった福生『ハッピープレイス』が経営者の仲たがいが原因で突然閉店、ギグが2本飛んだ(ToT)
 生活にまともに響くサムは今必死で代わりの場所を探しているらしい。ZUYAもこの2本はギャラを期待していただけに痛すぎる...何が『ハッピー』だよ

 
 今朝は天気も良いので洗濯をたくさんして、ベッドのシーツまで洗った。これがお気に入りの肌ざわりだったのだがバルコニーのサクにかけて干したら錆が見事に色移りしてしまった...朝から凹む(><)
 
 
 久々にストレスが溜まりまくってて、アルコールも増えつつある...

 波が変わるまで、しばらくおとなしくしておこう...

 
 インラインスケートでもしに行こうかな

BIG DAVE MCLEAN の新作がまもなく...

2008年09月04日 | Music
Acoustic Blues

Stony Plain

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 日本では知る人ぞ知るカナダのブルースマン、Big Dave Mcleanの新作があと数日で届く。頼んだらカナダから送ってもらえるのだが今回は購入することにした


 1999年に人生を変えようと(そんなに大げさだったかな...)カナダに渡った。なぜカナダかと言うと当時まだ3つしか参加国がなかったワーキングホリデーで簡単に(一応抽選はあったのだが)ワーク・ビザを取ることができた。
長年イギリスに行きたかったZUYAはカナダはイギリスに似ているのでは...と独断で判断し太平洋を渡った。実際、カナダはまだエリザベス女王万歳の国であったのだが...


 ブルースはもともと黒人がアメリカ南部の各地プランテーション農場で奴隷のような労働を余儀なくさせられた結果生まれたものなのである(まれにアメリカには奴隷制度などなかったと言う白人至上主義の人もいるが...)。

 で、ZUYAも農場でこき使われて精神的にブルースに近づこうと思いカナダの大平原地帯のあるマニトバ州(州都ウィニペグ)を選んだのである。だいたいワーキングホリデーでカナダに行く人たちは西のバンクーバー、バンフ周辺、東のトロント周辺を選ぶのだがZUYAはあえて日本人の少なそうなマニトバ州にしたのだが、結局今や日本人はどこに行ってもいるのだ...
 
 初めてウィニペグ空港に降り立ちダウンタウンに入ったときは今までテレビ、映画、雑誌で見た海外の町のイメージとは随分違い、恐ろしく寂れた印象であった。
 ウィニペグは人口は70万人以上でカナダでは7番目の大都市(?)である。カナダの地図で見ると北アメリカ大陸のちょうどへそのようなところにあり、かつては大平原地帯の農業、輸送の大集積地であった。現在のウィニペグの写真を数枚お見せします

  

 数日この町に滞在してから農場に行こうと考え、先ずは2,3軒楽器屋をめぐりその中の一つ 『Mothers Music』 と言う所で 『TIMES CHANGE』 と言うクールなブルース・クラブがウィニペグにはあるぜと言われ早速行ってみた。

 『TIMES CHANGE』 はダウンタウンにあり住所も 『234 main st.』 と一応メインストリートにあるのだが当時は恐ろしく暗く怪しいエリアであった。ZUYAは単身乗り込むと店内には人が3人いた(キッチンにもう1人いたのだが)。やはり入るや否や 『何だ若いアジア人が入ってきやがったぜ』 的な目で見られたが臆せず 『俺は日本からブルースを聴きにやって来たんだけど、ここに来ればクールなブルースが聴けると聞いて来てやったぜ』 と当時のオーナー、Bobbyに話しかけた。すると驚いたことに 『それはグッドなタイミングだぜ。あそこに座っている2人がウィニペグじゃ最高にイカした2人だぜ。来な、紹介するぜ!』 と言われ紹介された店内にいたあとの2人がBig Dave McleanとRighteous Ikeであった。2人とはその後マブダチになるが、この瞬間ZUYAの人生は大きく変わりそして動いていくのである。

 最後に昨年カナダに帰った際のZUYAの『Welcome back party』での写真を数枚見せよう。一緒に写ってるのはDave、Ike、そしてChrisである

  

9月になり、いよいよ サム石原&Stonefield Band 本格始動。

2008年09月01日 | Music & Life 
 

 8月が終わり9月がやってきた。もう今年も3分の2が過ぎたがZUYAはいよいよ活動開始と言ったところだ。

6月にサム石原に出会い、彼のバンド 『Stonefield』 (stone=石、field=原っぱ)の一員となって早3ヶ月、いよいよ活動の場が広がる

 
 ZUYAも何枚か(が限界)CDを購入しカントリー・ミュージックと言うものを聴いてみた。コードの少ない割には曲の幅が広いのはブルースと同じか。つまりカントリー、ブルースと言うのはいわゆるルーツ・ミュージックであり、ロックであろうとポップスであろうとその中でテイストを出すことができるのだ。

 
 ZUYAが手こずったのは以外にも 『ベンディング(チョーキング)』 である。ブルースでも多用されるがカントリーの中ではコード感を損なわないようにチョーキングを入れる。 音楽に興味のない人にはさっぱりわからない説明だがそういううことなのだ(笑)。
 つまりブルースでは主に単音でベンドするのだが、カントリーではそれに和音を加えないといけないケースが多い。これは一般的に『スティール・ギター・リック』と言うのだがこれこそがカントリー・サウンドの決め手であるとZUYAは思う。

 さて逆に簡単にコツを掴めたのは『スライド・ギター(ボトルネック奏法)』である。本当はスティール・ギターがベストなのであるが、なにぶんZUYAはブルースマンでありカントリーマンになる気はないのでそれを買ってまでとは思わない。
 元々スライド・ギターは十八番であり、楽器を始めた時はベース・プレイヤーであったが20代前半にフェイセズのロン・ウッドのスライドを聴いた時に『これだ!』と閃きギターに転向。そんなわけもありスライド・ギターをカントリー・バンドの中でバンバン弾けるのは嬉しい。ZUYAのスライド・サウンドはサムが俺を気にいった理由の一つらしいが...

 
 
 さてさて、下の2枚の写真は今までもこのブログの中でもちらちらと写っているが改めて紹介しよう。

 
 '52 FENDER USA TELECASTERである。

1982年製。今からおよそ26年前のものだ。現在各楽器メーカーがいわゆるリイシューものをたくさん出しているがこれはそれらの先駆けとなったものである。まだカスタムショップもない時代で、しかも初回生産分。シリアル・ナンバーは『1416』である
 
 ZUYAが1999年にカナダに渡った時に手に入れた。元々あちらでテレキャスターを買おうと考えていたのでギターは持たずに日本を離れたのだがカナダ・ウィニペグの郊外にあった『ULTIMATE GUITAR WORKS』と言う小さいけれど良い楽器屋で$1500(当時13万円くらい)で購入した。
 まだカナダに行って数週間だったのでたどたどしい英語で必死に交渉したのを思い出す。しかも初めてバスで郊外に出た不安と期待でドキドキしていたなぁ。ダウンタウンからバスで30分位のところにあり 『本当にこんなところにギターショップがあるのか...?』 と不安になるような寂れたエリアにその店はあった(ある)。
 前の持ち主はコレクターだったようで中古とは思えない程の素晴らしいミント・コンディションで、カウンターのガラスのショーケースの中で飾られていた。店のオーナー、ブライアンは頑固そうなレスラー体形のおっさんで店に入るなり 『何だ、アジア人か...何しに来やがった』 的な目で見られたような気がする(笑)でもZUYAが日本から来たばかりでこちらで使うギターが欲しいんだと言ったらいろいろ教えてくれたなぁ。その後カナダに住んでる間、ZUYAのギターを何度もリペアもしてくれた。

 このギターのサウンドはまさにトゥワンギーでこのギターとなら心中しても良いくらい惚れ込んでいる。ウィニペグにいた時、ジャム・セッションに行くと多くのミュージシャン達がこのギターを使いたがったものだ

 このギターがこれからの『サム石原&Stonefield Band』で大活躍することになる


 写真の中に写っているボトルネック・バーも年季が入ってきた。短い方はもう15年以上の付き合いで元々1000円くらいのバーだと思うが、5、6年前にはバイト先の工場でカットして長さも完璧にした。しかしこれを無くしたら俺は...と最近と思うようになり先日3.000円もする新しいバーを購入。これはこれでなかなか良しである