New Life / Thad Jones & Mel Lewis
ラストアルバムというと何も亡くなった時ばかりではない。グループとしてのラストアルバムというのもある。しかし、グループを解散すること、そしてコンビを組んでいた相棒と別れることはジャズの世界では日常茶飯事だ。
しかし、MJQのようにグループ自体が長年続いていた時、仲の良いコンビが長年にわたって続いた時、さらにそのグループやコンビが大きくジャズ界に影響を与えた時・・・・そのラストアルバムは気になるものだ。何が原因で別れてしまったのかと?
サド・ジョーンズとメル・ルイスの双頭ビッグバンドも、1966年に編成されてから10年近く活動を続けていた。それも、世界中で話題になり、「ナンバーワンのモダンビッグバンド」として。最初はリハーサルバンドであったが、国内外のツアーも毎年のように長期間行われるようになり、まるでレギュラーオーケストラのような活動をするようになっていた。それに伴いメンバーの入れ替わりも多くなり、リーダーのメルとしてはそれも悩みであったようである。
そんな状況の中、サド・ジョーンズが突然バンドを去り、実質的にサド・メルのオーケストラが解散したのは78年のことだ。
それでは、「このオーケストラのラストレコーディングは?」というと、多分メジャーなアルバムとしては、AM / HORISONの“LIVE IN MUNICH”であろう。
このアルバムは1976年の秋、ドイツへの演奏旅行の時のライブなので、スタジオ録音というと。その前に発売された、75年から76年初頭にかけて録音された“New Life”であろう。
メンバーの入れ替わりが激しい時期でもあり、アルバム自体もメンバーの異なるいくつかのセッションの演奏の組み合わせになっている。
この“New Life”というアルバムは、サド・メルの生みの親ともいえる、ヴィレッジバンガードのオーナーMax Gordonへ捧げたアルバムとなっている。そして、同時に設立10年を迎えたサド・メルの次の10年の門出を記念する意味を込めて、”New Life”と命名された。
このアルバム制作に対する力の入れ方は、半端なものではない。2人にとって、そして関係者にとってこのアルバムが最後になってしまうとは夢にも思わなかったであろう。
アレンジは相変わらずサド・ジョーンズが中心的な役割を務めているが、新たに加入したCecil Bridgewater、そして古株のJerry Dodgionのアレンジも取り入れられている。
しかし、どちらのトーンもサド・ジョーンズのアレンジに似ている。知らず知らずの内に、サド・メルサウンドというものが築き上げられてきていたのかもしれない。
すでに、8ビートやファンキーなサウウンドを取り入れていたサド・メルであったが、このアルバムでは、今後はもっと新しいものを取り入れていくという意気込みを表明したものの。そのサウンドはひとつの完成されたものであり、特に、今までと大きく変化した訳ではなかった。
10年前、彼らが初めて聴衆を前にステージに立ったとき、オーケストラのレパートリーは11曲しかなかったそうだ。最初のステージで5曲を演奏し、セカンドステージで残りを演奏してしまうと、サードステージはまた同じ曲をやらねばならなかったそうだ。
しかし一方でオーケストラでありながら、アドリブの自由度が高く、複雑なアレンジをこなすかと思えば時にヘッドアレンジのようなシンプルなアンサンブルワークを見せるサド・メルの自由奔放な演奏はこうして生まれたのだった。
同じ曲でもその時の気分でソロをとるメンバーが入れ替わり、いったい何コーラス続くのか分からないような演奏スタイルが、ライブの時のサド・メルの特徴であった。
10年経って完成されたサド・メルのオーケストラは、このアルバムで次の10年に向けてスタート台に立ったのであったが・・・。
結果は、このアルバムが皮肉にも「ラストアルバム」になってしまった。
実は、プレーする方も聴く方も、サド・メルのオーケストラにロックやフュージョンのリズムを多用して更に進化することも、複雑なアレンジを極めるような演奏は望んでいなかったのかもしれない。
リーダーであり、アレンジャーでもあったサド・ジョーンズの心の中の葛藤はここの辺りにあったと想像できる。
かって、ジョーンズがベイシーのオーケストラに在籍していた時に、アレンジャーとしてはいくつかの斬新な曲を提供したが、結局難しすぎるとか、カラーに合わないという理由でベイシーには受け入れられなかった。
メル・ルイスという良きパートナーを得て、自分のオーケストラで、自分の好きなようにこれらの曲を演奏できるようになったが、最終的には自分のバンドでさえ、日常のコンサートではそのアレンジを持て余すようになってくるとは、彼は想像もしなかったかもしれない。
ジョーンズは、サド・メルを去った後ヨーロッパに渡り、いくつかのオーケストラで新たなチャレンジはしてみるものの、最後は、ベイシー亡き後のベイシーオーケストラのリーダーに舞い戻ったりした。
この頃、ジョーンズが、「バンドリーダーとしての自分」と「作編曲家としての自分」をどのように思っていたのか、益々興味が沸いてきた。
バンドリーダーとしても、アレンジャーとしても、もちろんプレーヤーとしても最も好きな一人なので。
Greeting And Salutation
Love And Harmony
Little Rascal On A Rock
Forever Lasting
Love To One Is One To Love
Thank You
Cherry Juice
Produced by John Snyder
Thad Jones (flh)
Al Porcino, Waymon Reed, Sinclair Acey, Cecil Bridgewater, Jon Faddis,Lew Soloff , Steve Furtado, Jim Bossy (tp)
Billy Campbell, Janice Robinson, John Mosca, Earl Mclntyre, Dave Talor, (tb)
Peter Gordon,Jim Buffington,Ray Along,Julius Watkins (fhr)
Don Butterfield (tuba)
Jerry Dodgion, Eddie Xiques (fl,ss,as)
Frank Foster, Greg Herbert ,Lou Marini (ts,fl,cl)
Pepper Adams (bs)
Roland Hanna , Walter Norris (p)
George Mraz ,Steve Gilmore (b)
Mel Lewis , Herb levelle (ds)
Leonard Gibbs(conga)
Barry Finnerly(g)
Recorded at A&R Studio , New York ,
On July 22 ,Dec.16,17 1975 , Jan.10 1976
ラストアルバムというと何も亡くなった時ばかりではない。グループとしてのラストアルバムというのもある。しかし、グループを解散すること、そしてコンビを組んでいた相棒と別れることはジャズの世界では日常茶飯事だ。
しかし、MJQのようにグループ自体が長年続いていた時、仲の良いコンビが長年にわたって続いた時、さらにそのグループやコンビが大きくジャズ界に影響を与えた時・・・・そのラストアルバムは気になるものだ。何が原因で別れてしまったのかと?
サド・ジョーンズとメル・ルイスの双頭ビッグバンドも、1966年に編成されてから10年近く活動を続けていた。それも、世界中で話題になり、「ナンバーワンのモダンビッグバンド」として。最初はリハーサルバンドであったが、国内外のツアーも毎年のように長期間行われるようになり、まるでレギュラーオーケストラのような活動をするようになっていた。それに伴いメンバーの入れ替わりも多くなり、リーダーのメルとしてはそれも悩みであったようである。
そんな状況の中、サド・ジョーンズが突然バンドを去り、実質的にサド・メルのオーケストラが解散したのは78年のことだ。
それでは、「このオーケストラのラストレコーディングは?」というと、多分メジャーなアルバムとしては、AM / HORISONの“LIVE IN MUNICH”であろう。
このアルバムは1976年の秋、ドイツへの演奏旅行の時のライブなので、スタジオ録音というと。その前に発売された、75年から76年初頭にかけて録音された“New Life”であろう。
メンバーの入れ替わりが激しい時期でもあり、アルバム自体もメンバーの異なるいくつかのセッションの演奏の組み合わせになっている。
この“New Life”というアルバムは、サド・メルの生みの親ともいえる、ヴィレッジバンガードのオーナーMax Gordonへ捧げたアルバムとなっている。そして、同時に設立10年を迎えたサド・メルの次の10年の門出を記念する意味を込めて、”New Life”と命名された。
このアルバム制作に対する力の入れ方は、半端なものではない。2人にとって、そして関係者にとってこのアルバムが最後になってしまうとは夢にも思わなかったであろう。
アレンジは相変わらずサド・ジョーンズが中心的な役割を務めているが、新たに加入したCecil Bridgewater、そして古株のJerry Dodgionのアレンジも取り入れられている。
しかし、どちらのトーンもサド・ジョーンズのアレンジに似ている。知らず知らずの内に、サド・メルサウンドというものが築き上げられてきていたのかもしれない。
すでに、8ビートやファンキーなサウウンドを取り入れていたサド・メルであったが、このアルバムでは、今後はもっと新しいものを取り入れていくという意気込みを表明したものの。そのサウンドはひとつの完成されたものであり、特に、今までと大きく変化した訳ではなかった。
10年前、彼らが初めて聴衆を前にステージに立ったとき、オーケストラのレパートリーは11曲しかなかったそうだ。最初のステージで5曲を演奏し、セカンドステージで残りを演奏してしまうと、サードステージはまた同じ曲をやらねばならなかったそうだ。
しかし一方でオーケストラでありながら、アドリブの自由度が高く、複雑なアレンジをこなすかと思えば時にヘッドアレンジのようなシンプルなアンサンブルワークを見せるサド・メルの自由奔放な演奏はこうして生まれたのだった。
同じ曲でもその時の気分でソロをとるメンバーが入れ替わり、いったい何コーラス続くのか分からないような演奏スタイルが、ライブの時のサド・メルの特徴であった。
10年経って完成されたサド・メルのオーケストラは、このアルバムで次の10年に向けてスタート台に立ったのであったが・・・。
結果は、このアルバムが皮肉にも「ラストアルバム」になってしまった。
実は、プレーする方も聴く方も、サド・メルのオーケストラにロックやフュージョンのリズムを多用して更に進化することも、複雑なアレンジを極めるような演奏は望んでいなかったのかもしれない。
リーダーであり、アレンジャーでもあったサド・ジョーンズの心の中の葛藤はここの辺りにあったと想像できる。
かって、ジョーンズがベイシーのオーケストラに在籍していた時に、アレンジャーとしてはいくつかの斬新な曲を提供したが、結局難しすぎるとか、カラーに合わないという理由でベイシーには受け入れられなかった。
メル・ルイスという良きパートナーを得て、自分のオーケストラで、自分の好きなようにこれらの曲を演奏できるようになったが、最終的には自分のバンドでさえ、日常のコンサートではそのアレンジを持て余すようになってくるとは、彼は想像もしなかったかもしれない。
ジョーンズは、サド・メルを去った後ヨーロッパに渡り、いくつかのオーケストラで新たなチャレンジはしてみるものの、最後は、ベイシー亡き後のベイシーオーケストラのリーダーに舞い戻ったりした。
この頃、ジョーンズが、「バンドリーダーとしての自分」と「作編曲家としての自分」をどのように思っていたのか、益々興味が沸いてきた。
バンドリーダーとしても、アレンジャーとしても、もちろんプレーヤーとしても最も好きな一人なので。
Greeting And Salutation
Love And Harmony
Little Rascal On A Rock
Forever Lasting
Love To One Is One To Love
Thank You
Cherry Juice
Produced by John Snyder
Thad Jones (flh)
Al Porcino, Waymon Reed, Sinclair Acey, Cecil Bridgewater, Jon Faddis,Lew Soloff , Steve Furtado, Jim Bossy (tp)
Billy Campbell, Janice Robinson, John Mosca, Earl Mclntyre, Dave Talor, (tb)
Peter Gordon,Jim Buffington,Ray Along,Julius Watkins (fhr)
Don Butterfield (tuba)
Jerry Dodgion, Eddie Xiques (fl,ss,as)
Frank Foster, Greg Herbert ,Lou Marini (ts,fl,cl)
Pepper Adams (bs)
Roland Hanna , Walter Norris (p)
George Mraz ,Steve Gilmore (b)
Mel Lewis , Herb levelle (ds)
Leonard Gibbs(conga)
Barry Finnerly(g)
Recorded at A&R Studio , New York ,
On July 22 ,Dec.16,17 1975 , Jan.10 1976