Stockholm Sweetnin’ / Americans In Sweden 1949-1954 Vol.2
QUINCYの本格的な活動は、ライオネル・ハンプトンのオーケストラにトランペット奏者そしてアレンジャーとして参加してからだ。
ハンプトンのオーケストラは、アフタービートのハンプトン独特の乗り。そして、その日の会場に合わせて聴衆を毎夜興奮の坩堝へと導く、根っからのエンターテイメントオーケストラだったらしい。
この辺りの状況は、自叙伝にも詳しく書かれている。
そこには、後の有名プレーヤーが大勢去来していた。アルグレイ、ファッツナバロ、ジジグライシス、ウェスモンゴメリー、そしてミンガスなどが。
クインシーが自己のBIG BANDを立ち上げた時の主要メンバーの一人、「ジェロームリチャードソン」も先輩の一人だった。そして、同じトランペットセクションで隣同士だったのが、クリフォードブラウン。そして、アートファーマーも。
マーキュリーのメリルのアルバムでも有名な、ブラウンとクインシーの出会いはこんな中で始まって、お互いに2人の音楽観の熟成が始まっていた。
人と人の出会いは色々あるが、同じ目標に向かって逆境の中をお互いに苦労しあうとその友人の絆は深いものになる。そして、お互いに無くてはならない関係になるのは何の世界でも同じものだ。
1953年、このハンプトンオーケストラがヨーロッパツアーに遠征した時、このブラウンとファーマーが地元のミュージシャンと共演した録音に、クインシーは曲とアレンジを提供している。クインシーの初期の仕事だ。
ハンプトンオーケストラではアルバイトは禁止。ハンプトンの妻が厳しく監視をしていたらしいが、スウェーデン滞在中に、夜中に宿を抜け出してこの録音は行われたそうだ。
そして、スウェーデンだけでなく、パリでも後に有名になるセッションがいくつか行われた。
流石に、隠れ録音もこれだけ派手にやれば自ずとハンプトンの妻の耳にも入ることとに。大喧嘩の末ヨーロッパツアー終了とともに、バンドメンバーが大挙去るということになる。
このハンプトンオーケストラが音楽的に居心地が悪かったことで、その反動として若手のメンバーがお互いに結束して、隠れて勝手きままな活動に精を出すことにつながったのかもしれない。
何が幸いするか分からないものだ。
クインシーと、ブラウンをはじめとする何人かのミュージシャンとの絆もこのツアーで起こった様々な体験を共有してで生まれたのであろう。
いずれにしても、Quincyにとってはじめてのヨーロッパ遠征とそこでの経験。後の活躍のはじめの一歩としても大事なツアーだったことは間違いない。
このスェーデンでの録音は、後にクインシーのバンドでもよく演奏されたStockholm Sweetin’をはじめとして、クインシーのオリジナル何曲か日の目を見ている。
クインシーの作品とアレンジとしては初期の作品だが、ヘッドアレンジ風の明快な編曲はクインシーサウンドそのもの。
ブラウンとファーマーのホットな演奏に引っ張られて地元のミュージシャンも軽快に、爽やかさが漂う演奏に仕上がっている。
1.Stockholm Sweetnin'
2.'Scuse These Blues ('Cuse These Blues)
3.'Scuse These Blues (alt. take)
4.Falling In Love With Love
5.Lover Come Back To Me
6.Lover Come Back To Me (alt. take)
Clifford Brown, Art Farmer (tp)
Ake Persson (tb)
Arne Domnerus (as, cl)
Lars Gullin (bars)
Bengt Hallberg (p)
Gunnar Johnson (b)
Jack Naren (d)
Quincy Jones (arr, dir)
Stockholm, Sweden, September 15, 1953
7.Pogo Stick
8.Liza
9.Jones Bones
10.Sometimes I'm Happy
Art Farmer (tp)
Jimmy Cleveland,Ake Persson (tb)
Arne Domnerus (cl, as)
Lars Gullin (bars)
Bengt Hallberg (p)
Simon Brehm (b)
Alan Dawson (d)
Quincy Jones (arr, dir)
Stockholm, Sweden, November 10, 1953
QUINCYの本格的な活動は、ライオネル・ハンプトンのオーケストラにトランペット奏者そしてアレンジャーとして参加してからだ。
ハンプトンのオーケストラは、アフタービートのハンプトン独特の乗り。そして、その日の会場に合わせて聴衆を毎夜興奮の坩堝へと導く、根っからのエンターテイメントオーケストラだったらしい。
この辺りの状況は、自叙伝にも詳しく書かれている。
そこには、後の有名プレーヤーが大勢去来していた。アルグレイ、ファッツナバロ、ジジグライシス、ウェスモンゴメリー、そしてミンガスなどが。
クインシーが自己のBIG BANDを立ち上げた時の主要メンバーの一人、「ジェロームリチャードソン」も先輩の一人だった。そして、同じトランペットセクションで隣同士だったのが、クリフォードブラウン。そして、アートファーマーも。
マーキュリーのメリルのアルバムでも有名な、ブラウンとクインシーの出会いはこんな中で始まって、お互いに2人の音楽観の熟成が始まっていた。
人と人の出会いは色々あるが、同じ目標に向かって逆境の中をお互いに苦労しあうとその友人の絆は深いものになる。そして、お互いに無くてはならない関係になるのは何の世界でも同じものだ。
1953年、このハンプトンオーケストラがヨーロッパツアーに遠征した時、このブラウンとファーマーが地元のミュージシャンと共演した録音に、クインシーは曲とアレンジを提供している。クインシーの初期の仕事だ。
ハンプトンオーケストラではアルバイトは禁止。ハンプトンの妻が厳しく監視をしていたらしいが、スウェーデン滞在中に、夜中に宿を抜け出してこの録音は行われたそうだ。
そして、スウェーデンだけでなく、パリでも後に有名になるセッションがいくつか行われた。
流石に、隠れ録音もこれだけ派手にやれば自ずとハンプトンの妻の耳にも入ることとに。大喧嘩の末ヨーロッパツアー終了とともに、バンドメンバーが大挙去るということになる。
このハンプトンオーケストラが音楽的に居心地が悪かったことで、その反動として若手のメンバーがお互いに結束して、隠れて勝手きままな活動に精を出すことにつながったのかもしれない。
何が幸いするか分からないものだ。
クインシーと、ブラウンをはじめとする何人かのミュージシャンとの絆もこのツアーで起こった様々な体験を共有してで生まれたのであろう。
いずれにしても、Quincyにとってはじめてのヨーロッパ遠征とそこでの経験。後の活躍のはじめの一歩としても大事なツアーだったことは間違いない。
このスェーデンでの録音は、後にクインシーのバンドでもよく演奏されたStockholm Sweetin’をはじめとして、クインシーのオリジナル何曲か日の目を見ている。
クインシーの作品とアレンジとしては初期の作品だが、ヘッドアレンジ風の明快な編曲はクインシーサウンドそのもの。
ブラウンとファーマーのホットな演奏に引っ張られて地元のミュージシャンも軽快に、爽やかさが漂う演奏に仕上がっている。
1.Stockholm Sweetnin'
2.'Scuse These Blues ('Cuse These Blues)
3.'Scuse These Blues (alt. take)
4.Falling In Love With Love
5.Lover Come Back To Me
6.Lover Come Back To Me (alt. take)
Clifford Brown, Art Farmer (tp)
Ake Persson (tb)
Arne Domnerus (as, cl)
Lars Gullin (bars)
Bengt Hallberg (p)
Gunnar Johnson (b)
Jack Naren (d)
Quincy Jones (arr, dir)
Stockholm, Sweden, September 15, 1953
7.Pogo Stick
8.Liza
9.Jones Bones
10.Sometimes I'm Happy
Art Farmer (tp)
Jimmy Cleveland,Ake Persson (tb)
Arne Domnerus (cl, as)
Lars Gullin (bars)
Bengt Hallberg (p)
Simon Brehm (b)
Alan Dawson (d)
Quincy Jones (arr, dir)
Stockholm, Sweden, November 10, 1953