A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

“DOWN HOME! ’A’ FLAT”

2007-05-14 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Jmmy Witherspoon at the MONTEREY

Woody Hermanオーケストラが熱演した第2回の1959年のモンタレージャズフェスティバル。
そのハーマンが出演した前日、西海岸のモンタレーでおなじみの霧が帯び状に漂いだし、初日の最後のステージが終ろうとしていた。

一瞬の静寂。
聴衆もステージがもう終わったのかなと思った瞬間、ステージにずんぐりとした威厳のある雰囲気の漂う男が現れると、ピアノを平手で2回叩いて、ピアノの椅子についていたアールハインズに“DOWN HOME! ’A’ FLAT”と叫んだ。
マイクロフォンをわし掴みにすると、6000人の聴衆を相手にブルースのレッスンを開始した。

ハインズのピアノトリオに、トランペットのロイエルドリッジ、テナーのコールマンホーキンズにベンウェブスター、トローンボーンのアービーグリーン、そして、クラリネットを手にしたウディーハーマンも舞台にあがって準備万端整っていた。
歌いだしたのは、「こてこて」のブルース歌手、Jimmy Witherspoon。
周りのざわめき、掛け声が妙にリアルに聞こえる。
舞台は完全に「ブルース」の世界に包まれ、同じJAZZとはいっても一味違う雰囲気が漂う。

その時まで何のリハーサルもなし。そしてプログラムも決まっていなかった。
始まる前に、ウィザースプーンは、「どうする?」と聞かれた。
彼は答えた、「気にするなよ。ベンとはいつもこんな調子でやっているし。アールはスイングするピアノだよ・・」と。

結局、このバンドが演奏を始めるのには、“DOWN HOME! ’A’ FLAT”だけが必要だったということだ。

JAZZの究極の楽しみ、オールスターでのジャムセッション。
それも、飾りっ気のない“ブルース”で。

ドラムには、ハーマンオーケストラに客演していたMel Lewisが座っていた。
スタンケントンオーケストラで長くプレーし、このときはロスに居を構えてスタジオミュージシャン生活。このブルースセッションには、少し場違いな感じがしないでもないが。
色々なセッションは経験していると思うが、こんなセッションは珍しかっただろう。

翌年Mel Lewisはロスを離れてニューヨークに向かう。Quincyがヨーロッパに旅立ったのに合わせるように。
ハーマンのオーケストラにウィザースプーンのステージ。このモンタレーでの演奏と経験が何か彼を思い立たせる原因になったのかもしれない。
もし、メルがニューヨークに行かなければ、サド・メルのオーケストラは生まれなかったのだ。

59年のマイナーレーベルの録音だが、妙に生々しいライブの音が印象的だ。
ライナーノーツには、録音機材を含めて詳細は録音データが記載されている。
レーベル名は「Hifi Jazz」。こんなレーベルもあったのだ。

LPからステレオの時代に、よい音へのこだわりが進化した頃だ。
おかげで、今でもこの時代の演奏を素晴らしい音で聞くことができる。
技術の進化とそれを使いこなして、その時代のJAZZを残してくれた先達に感謝しなければならない。

No Rollin’ Blues
Good Rockin’ Tonight
Big Fine Girl
Ain’t Nobody’s Business
When I Been Drinkin’

Jimmy Witherspoon (vol)
Roy Eldridge (tp)
Coleman Hawkins (ts)
Ben Webster (ts)
Urbie Green (tb)
Woody Herman(cl)
Earl Hines (p)
Vernon Alley (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded Live at the Monterey Jazz Festival, October 2,1959
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久々にテーナーを置いて、フルバンドのアレンジと指揮を。

2007-05-13 | MY FAVORITE ALBUM
Stockholm Sojourn / The International Jazz Orchestra under the direction of Benny Golson

ヨーロッパとJAZZの発展の関係は深い。
Quincyもそうであったが、特に「JAZZを育てた」という意味では、本家のアメリカよりもヨーロッパのJAZZファンの果たした役割は大きいように思う。
なぜか、アメリカのミュージシャンがヨーロッパに遠征した演奏を聴くと、自国ではできなかったことを思う存分楽しんでいたような気がしてならない。日本も一時、そのような時期があった。日本でプロデュースされたアルバムが数多く海を渡ったこともある。
自分は昨今の若いプレーヤー新しい演奏をあまり聴かないが、最近では、ヨーロッパの方が主役になっているように思えてならない。
音楽の世界でも、技術や経済面だけでなく、文化的な発展に対しても日本の社会貢献が世界的な視野で大事な時代なのだが。

その同じヨーロッパの中でも、国によってなんとなくカラーが出るから不思議だ。
実直な感じのドイツ、明るいイタリア、そして気が利いているフランス。
そして、Sweden とJazzというと、また特別な雰囲気がある。
白夜の北欧に相応しく、あまりとげとげしくない、柔らかな布に包まれたようなサウンド。
Quincyのスウェーデンでの録音も同じ雰囲気が漂っていた。

そんなイメージの演奏が収められたアルバムだ。
EVANSのWaltz for Debbyなどのスタンダードに、自作曲を含めて、「そのサウンド」がよく似合う曲が選定されている。

このアルバムの主役は、Benny Golson。
「ゴルソン節のテナー」だけでなく、作編曲でも有名だ。
60年代は、アレンジといっても自己の加わったJazztetなど、コンボ編成へのアレンジ提供が多かったが、ここでは久々のフルバンド編成。
通常の編成に加えて、ホルンやオーボエなどを加えているので、よりまろやかな音作りになっている。
Golsonの名曲、「I remember Clifford」も、このアルバム用のアレンジが行われている。
ただでさえ美しい曲が、生みの親によって、綺麗にお化粧を施されて絶世の美女に育てられている感じだ。

ゴルソンが、テナーを置いて、アレンジの美しさに専念した一枚だ。

STOCKHOLM SOJOURN
TRYST
ARE YOU REAL
GOODBYE
WALTZ FOR DEBBY
MY FOOLISH HEART
A SWEDISH VILLA
I REMENBER CLIFORD

Benny Bailey, Bertil Lovgren, Bengt-Arne Wallin (tp)
Grachan Moncur III, Ake Persson, Eje Thelin (tb)
Karl Nystrom, Bengt Olesson (frh)
Runo Ericson (euph)
Lars Sloglund (ob, ehr)
Arne Domnerus (cl, as)
Bjarne Nerem (ts)
Cecil Payne (bars)
Rune Falk (bars, cl)
Tosten Wennberg (sax, cl)
Roman Dylag (b)
Egil Johansen (d)
Benny Golson (arr)

Stockholm, Sweden & NYC, July 15-20, autumn 1964

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サドメルを去ったサドジョーンズは、ヨーロッパで。

2007-05-12 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
CARMEN McRAE and JOE WILLAMS IN CONCERT

MIDEMという国際見本市がある。
こんなものが行われているとは知らなかったが「国際音楽著作権見本市」。フランスのカンヌで開かれる年に一度の“音楽”の見本市だ。

グラミー賞のように、その年のNo.1を決めるのではなく、基本的には業界の人向けの商談会。メジャーなものからマイナーなものまでがやりとりされていることと思う。
その会場でコンサートが開かれている。
耳の肥えた人たちを相手にしたコンサート。普通の一般のファンを対象にしたコンサートとは少し聴衆が違う。
ジャンルは何であっても、きっとプロ中のプロのプレーが求められるのだろう。
新人であれば、世界に認めてもらうための登竜門になるはずだし。

1978年サド・メルのオーケストラを、永年連れ添ったMelに断りも無く退団したサドジョーンズはヨーロッパに渡っていた。

その翌年のMIDEMのコンサート。このステージの主役は、カーメンマクレーとジョーウイリアムス。
両ベテランがそれぞれ貫禄のステージを努めたが、そのバックのオーケストラを指揮したのがサドジョーンズ。地元のClaude Bollingのオーケストラを率いて、何曲かはアレンジも提供してる。

ジョー・ウィリアムスとサドは、50年代にはベイシーのバンド仲間。長い付き合いだろう。
サド・メルのオーケストラが誕生した時に、ジョーを招いたアルバムがある。
そこでは、ベイシーとは一味違ったサド・メル節を効かせたバックを提供している。
このコンサートで歌った、“It Don’t Mean a Thing If It Ain’t Got That Swing”は、その時と同じアレンジ
しかし、バックは、やはりサドメルの方が一枚上手。比べてみると凄さが分かる。

一方の、マクレーもライブは大得意。
訴えかけるようなマクレー節が、このコンサートでも聴衆を魅了する。
周りの要望で自らピアノを弾いた、Beautiful Friendshipは大サービス。
彼女の弾き語りは人一倍素晴らしい。
続くBye Bye Blackbirdはオーケストラのフルサウンドをバックにフィーバー。
オーケストラのアレンジは、これもサド・メルのオーケストラがR&Bの女王Ruth Brownを招いた時のアレンジと同じ。
これがまた絶妙にいい。

さらに、最後にはジョーとの競演で、Them there eyesを、ラグタイム風のピアノトリオをバックに。

アルバム全編、コンサートならではのバラエティーに富んだ展開になっていて素晴らしいコンサートだ。

Body And Soul
'Tis Autumn
Bye Bye Blackbird
 Carmen McRae
acc. by Thad Jones & Claude Bolling's Orch.
A Beautiful Friendship
  acc. by her own piano
Them There Eyes
vocal duet with Joe Williams, by Claude Bolling Trio

Work Song
Blues in My Heart
Just the Way You Are
It Don’t Mean a Thing If It Ain’t Got That Swing
Joe Williams
acc. by Thad Jones & Claude Bolling's Orch.

Recorded at "Theatre du Casino" Cannes, January 22, 1979

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結成から5年、完成の域に達したサド・メルの一枚は・・・

2007-05-11 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
CONSUMMAITION / THAD JONES & MEL LEWIS

はじめがあれば終わりがある。終わった先にはまた新しい世界が。
輪廻転生の世界ではないが、JAZZの世界はひとつの世界が終わると、また次の世界が現れる。
一人のミュージシャンの経歴を追うと、その生き様と「世界」の変化ががよく分かる。

サド・メルの誕生は、ニューヨークのグリニッジヴィレッジにある名門のJAZZクラブVillage Vanguard

中に入っていくとたいして広くない。こんなところにオーケストラが入るのかと思うようなスペースだ。



70年を超える歴史があり、ここで、BILL EVANSやSONNY ROLLINS など、幾多の歴史的な録音が行われている。
今もまだ健在だ。ドリンク込みで30ドル。料理は出さない。良心的な、JAZZを聴かせるためのクラブだ。まだまだ現役で生き続けている。

1965年に結成されたサドメルのバンドのスタートは、ここに、月曜日の夜にに集まったリハーサルバンドであった。
そのせいかライブのアルバムが多かったし、そのライブの演奏が実に特徴的だった。
メンバーはベテランに混じって若手も登用され、意図的かどうか分からないが白人と黒人のミュージシャンもうまくミックスされたこともあり、レギュラーバンドではない「混成バンド」のイメージがより強かった。
曲やアレンジもサドがベイシー在団時代から暖めていたものが主であったが、メンバーが持ち寄ったものもあり、アレンジもバラエティーーに富み、人も多士済々、内容も多種多様・・・・。
雑種の強みか、個性の組み合わせが斬新なバンドカラーを生み出し、すべての面で先進的であり、意欲的な取り組みをしていた。

結成から5年経った1970年、メンバーは創設当時から大分入れ替わっているが、その特徴あるサウンドはますます磨きがかかり、バンドとして完成の域に達してきていた。
何事もそうだが、日頃の努力の積み重ねである程度の完成度に達すると、次なるステージにステップアップするためにも何か区切りとなるきっかけが必要だ。
前年に久しぶりにスタジオで録音された、「Central Park North」に引き続き、このアルバムもじっくりスタジオ録音された一枚。

アルバムタイトルも「CONSUMMATION」。
そろそろ「結末・極致」に達してきた時期だったのかもしれない。

曲とアレンジはすべてサドジョーンズのオリジナル。
最初アレンジでも活躍していた、Bob Brookmeyerなどの姿はない。
その意味では、サドメルの共同作業の結果というよりは、サド・ジョーンズが目指していたオーケストラのひとつの姿の帰結がこのアルバムなのかもしれない。
その後、サドがバンドを離れ、Melがこのバンドを引き継いだ後は、Melのオーケストラは基本的に8ビートをやらなかった。
サド・メルという双頭バンドではあったが、微妙な意識のズレはこの頃から始まっていたのかもしれない。
もちろん表向きには、お互い何の不協和音を感じさせること無く、このアルバムでも最高の演奏を繰り広げているが。

いつもの編成に加えて、曲によってはギターやフレンチホルンを加えていつもより厚みあるアンサンブルワークを繰り広げている。
バラード、8ビート、ボサノバ、そして5/4拍子の変拍子など、手を変え、品を代え盛りだくさんの曲が並ぶ。
サドの特徴、爽やかなオーケストレーション、シンプルそうで複雑なハーモニーは、どの曲にも共通している。木管とブラスの絡ませ方がなんともいえず、背筋をぞくぞくさせるものがある。
きれいなものはとことん綺麗に。これはサドの基本コンセプトかもしれない。
中でも“Child is born”は、メロディーの素晴らしさも含めて親しみやすい曲。
色々なプレヤーに取り上げられるスタンダード曲になっている。好きな曲だ。
ひとつの区切りをつけたサドメルから、次はどのような「子供」が生まれたのであろうか。

ジャズのイラストを描いていた、Leo Meiersdorffのジャケットも秀逸。
お気に入りのジャケットの一枚。
ジャケ買いしても間違いなし。


Dedicaton 5:11
It Only Happens Every Time 3:05
Tiptoe 6:39
A Child Is Born 4:06
Us 3:34
Ahunk Ahunk 7:55
Fingers 10:36
Consummation 5:08
                                         
Thad Jones (flh)
Snooky Young,Marvin Stamm ,Danny Moore ,Al Porcino(tp)
Eddie Bert,Jimmy Knepper,Bennie Powell,Chiff Heather(tb)
Jerry Dodgion,Jerome Richardson(as))
Billy Harper,Eddie Daniels(ts),Joe Farrelle(ts)(A4,B1,B2)
Pepper Adams(bs),Rich Kamuca(bs)(B3)
Roland Hanna(p)
Richard Davis(b)
David Spinozza(g)
Mel Lewis(ds)

Jimmy Buffington(horn
Earl Chapin(horn
Howard Johnson(tuba)
Dick Berg(horn
Julius Watkins(horn)
except omit horns and tuba:(Tiptoe & It Only Happens Every Time)

Recorded Data 1970.1.20~28/5.25.
Recorded Place A&R Studio NYC
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アメリカンミュージックの原点は・・・?

2007-05-10 | CONCORD
SALUTES ROGERS & HART / RUBBY BRAFF and GEORGE BARNES QUARTET

アメリカンミュージックというものがあるのかどうか分からないが。
そもそもアメリカ自体が、色々な民族が集まって、色々な文化を持ち寄り、それをミックスしてある種人工的に作り上げた国。
深く伝統に根ざしたアメリカ音楽は存在しないが、何かルーツ、ジャンルを超えた共通点があるような気がしてならない。

JAZZはもちろんこのアメリカで生まれて育った音楽。ニューオリンズを発祥としてブルースに根ざした黒人音楽がその起源であるが。早い時点で、白人の好む明るいディキシーランドジャズに進化していった。
一方で、カントリー&ウェスタンや、ミュージカルや映画音楽に代表されるショー音楽、それらがスタンダードとなり、ロックンロールを生み、いわれるアメリカンPOPSの世界になっているのだろう。

これらに共通するのは、親しみのあるメロディーをリズミックに奏でるということかもしれない。このメロディーラインとリズムの絶妙なバランスと掛け合いのコンビネーションが命のような気がする。
素人解釈はこの位が限界。
きっとだれか研究家が取り組んでいるテーマだと思うので、そのうち紐解いてみよう。

Concordは、そんなアメリカンミュージックの趣を大事にした大人のJAZZのシリーズを、ある種のこだわりで出し続けていた。

Concord Jazz festivalで、「ガーシュインSONG BOOK」 に挑戦した、Ruby Braff とGeoorge Barnesのコンビは、リハーサルにすごく時間をかけるらしい。
アドリブよりもアンサンブルに重きをおいて。
それが、ドラムやピアノレスのリズムギターとベースをバックにして、絶妙なリズムとコンビネーションを生むのだろう。

74年のフェスティバル出演の後、3ヵ月後に今度はスタジオ録音でRichard RodgersとLorenz Hartのコンビの作品にチャレンジしている。
Paul Smithのピアノの後は、コルネットとギターのロジャースも粋なものだ。
このアルバムもMountain Greeneryからスタートする。
おなじみの曲ばかりであるが、ストレートに取り組みというよりは、2人のメロディーラインの崩し方はいずれも計算しつくされたもので、シンプルなJAZZであるが、JAZZでもないような独特な世界に取り込まれていく。

暗い地下室で一人でじっと聞くJAZZではなく、明るいテラスでワインを飲みながら楽しく聴くJAZZだ。
ハードバップもいいが、こんなJAZZもたまにはいい。

1 Mountain Greenery
2 Isn't It Romantic?
3 Blue Room
4 There's a Small Hotel
5 Thou Swell R
6 I Wish I Were in Love Again
7 Lover
8 You Took Advantage of Me
9 Spring Is Here
10 Lady Is a Tramp

Ruby Braff (cor)
George Barnes (g)
Wayne Wright (g)
Michael Moore (b)

Recorded A&R Studio in New York ,October,1974
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クインシーとブラウンの出会いはハンプトンのバンドであったが、・・・。

2007-05-09 | MY FAVORITE ALBUM
Stockholm Sweetnin’ / Americans In Sweden 1949-1954 Vol.2

QUINCYの本格的な活動は、ライオネル・ハンプトンのオーケストラにトランペット奏者そしてアレンジャーとして参加してからだ。
ハンプトンのオーケストラは、アフタービートのハンプトン独特の乗り。そして、その日の会場に合わせて聴衆を毎夜興奮の坩堝へと導く、根っからのエンターテイメントオーケストラだったらしい。

この辺りの状況は、自叙伝にも詳しく書かれている。

そこには、後の有名プレーヤーが大勢去来していた。アルグレイ、ファッツナバロ、ジジグライシス、ウェスモンゴメリー、そしてミンガスなどが。
クインシーが自己のBIG BANDを立ち上げた時の主要メンバーの一人、「ジェロームリチャードソン」も先輩の一人だった。そして、同じトランペットセクションで隣同士だったのが、クリフォードブラウン。そして、アートファーマーも。

マーキュリーのメリルのアルバムでも有名な、ブラウンとクインシーの出会いはこんな中で始まって、お互いに2人の音楽観の熟成が始まっていた。
人と人の出会いは色々あるが、同じ目標に向かって逆境の中をお互いに苦労しあうとその友人の絆は深いものになる。そして、お互いに無くてはならない関係になるのは何の世界でも同じものだ。

1953年、このハンプトンオーケストラがヨーロッパツアーに遠征した時、このブラウンとファーマーが地元のミュージシャンと共演した録音に、クインシーは曲とアレンジを提供している。クインシーの初期の仕事だ。

ハンプトンオーケストラではアルバイトは禁止。ハンプトンの妻が厳しく監視をしていたらしいが、スウェーデン滞在中に、夜中に宿を抜け出してこの録音は行われたそうだ。
そして、スウェーデンだけでなく、パリでも後に有名になるセッションがいくつか行われた。

流石に、隠れ録音もこれだけ派手にやれば自ずとハンプトンの妻の耳にも入ることとに。大喧嘩の末ヨーロッパツアー終了とともに、バンドメンバーが大挙去るということになる。
このハンプトンオーケストラが音楽的に居心地が悪かったことで、その反動として若手のメンバーがお互いに結束して、隠れて勝手きままな活動に精を出すことにつながったのかもしれない。
何が幸いするか分からないものだ。

クインシーと、ブラウンをはじめとする何人かのミュージシャンとの絆もこのツアーで起こった様々な体験を共有してで生まれたのであろう。
いずれにしても、Quincyにとってはじめてのヨーロッパ遠征とそこでの経験。後の活躍のはじめの一歩としても大事なツアーだったことは間違いない。

このスェーデンでの録音は、後にクインシーのバンドでもよく演奏されたStockholm Sweetin’をはじめとして、クインシーのオリジナル何曲か日の目を見ている。

クインシーの作品とアレンジとしては初期の作品だが、ヘッドアレンジ風の明快な編曲はクインシーサウンドそのもの。
ブラウンとファーマーのホットな演奏に引っ張られて地元のミュージシャンも軽快に、爽やかさが漂う演奏に仕上がっている。

1.Stockholm Sweetnin'
2.'Scuse These Blues ('Cuse These Blues)
3.'Scuse These Blues (alt. take)
4.Falling In Love With Love
5.Lover Come Back To Me
6.Lover Come Back To Me (alt. take)

Clifford Brown, Art Farmer (tp)
Ake Persson (tb)
Arne Domnerus (as, cl)
Lars Gullin (bars)
Bengt Hallberg (p)
Gunnar Johnson (b)
Jack Naren (d)
Quincy Jones (arr, dir)

Stockholm, Sweden, September 15, 1953

7.Pogo Stick
8.Liza
9.Jones Bones
10.Sometimes I'm Happy

Art Farmer (tp)
Jimmy Cleveland,Ake Persson (tb)
Arne Domnerus (cl, as)
Lars Gullin (bars)
Bengt Hallberg (p)
Simon Brehm (b)
Alan Dawson (d)
Quincy Jones (arr, dir)

Stockholm, Sweden, November 10, 1953

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いつものMJQも、たまにBIG BANDをバックにすると・・・

2007-05-08 | MY FAVORITE ALBUM
JAZZ DIALOGUE  / THE MODERN JAZZ QUARTET AND THE ALL-STAR JAZZ BAND

MJQの前身をたどると、そこにはDIZZY GILLESPIEのオーケストラで一緒にプレーした、ジョン、ジャクソン、そしてドラムのケニークラークにたどり着く。
51年にミルトジャクソンのカルテットを経て、MJQとしてスタートしたのが52年。
最後の録音が93年なので、40年以上同じメンバー、同じスタイルでプレーを続けたJAZZの世界では稀有なグループだ。

もっともこのグループを離れると、各メンバーは独自の活動をしていたのも、このグループが長続きした理由かもしれない。
ミルトジャクソンはよく言われたように、MJQを離れると俄然ソウルフルなプレーに転じた。ジョンルイスも、モンタレージャズフェスティバルの音楽監督を務めるなど、ピアノプレーヤーとして以外の活動も積極的に行っていた。

しかし、ひとたびMJQの演奏に戻ると独自の世界を維持し続けた。たまにゲストプレーヤーを加えた演奏を残しているが、そのプレーの本質は変わらない。
Laurindo Almeidaとの競演も、そうした一枚だった。

ミシェルルグランの豪華絢爛なアルバムに、MJQの有名曲「Django」のオーケストラ演奏があった。素材が良い曲だけに、色々な解釈の演奏を聴くのは楽しみだが、このルグランのアレンジも素晴らしいものである。

他にも、この曲の素材の良さをいかした演奏はいくつもあるが、本家本元のMJQのオーケストラ演奏となると、オリジナルのイメージが強すぎるので果たしてどんなものになるのか・・・?

その,MJQがBIG bandをバックにしたアルバムがこの一枚。
それまでMJQとして数多くのアルバムを残してきたが、Big bandをバックにしたアルバムはこれがはじめてだ。
MJQのスタイルが変わるのかどうかが興味津々である


ちょうど、Jazz Rockがはやり始めた頃の録音。
最初の一曲目に針を落とすと、エレキベースを入れて8ビートのMJQが始まる。これは同じMJQでもアプローチが違うかなと一瞬思うが。

2曲目のDjangoになると一転MJQそのもの。
オーケストラの分厚い音に支えられて、メンバーはソロプレーに専念できる。
いつもは、4人のお互いの対話であるが、このアルバムでは珠玉のMJQの名曲を素材に4人のプレーとオーケストラが次々と対話を始める。

ソロとアンサンブルの対話、これがBIG Band JAZZの醍醐味。
本当の“JAZZ DIALOGUE”だ。

バックのオーケストラは、65年当時のニューヨークの一流どころが勢揃い。
ちょうどサドメルが活動を開始した時期と同じ頃だ。実際に、この中の何人かは、サドメルの立ち上げにも加わっている。

BIG BANDは低迷期であったが、スタジオワークは活況を呈していたのかもしれない。

1. Home
2. Django
3. Never Knows
4. Animal Dance
5.Intima
6.The Golden Striker
7.Ralph's New Blues

Bernie Glow, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (tp)
Jimmy Cleveland, Tony Studd, Kai Winding (tb)
Charlie Mariano, Phil Woods (as) Richie Kamuca, Seldon Powell (ts)
Wally Kane (bars)
Milt Jackson (vib)
John Lewis (p)
Howard Collins (g)
Percy Heath (b)
Jimmy Lewis (el-b -1)
Connie Kay (d)

NYC, May 27, June 25,1965

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偽者は本物を越えられるか・・・?

2007-05-07 | MY FAVORITE ALBUM
The Stereophonic Sound Of WOODY HERMAN by THE MENBERS of the Woody Herman Orchestra

いつの世にも、そして何の世界でも「本物と偽者」論議は形を変えて続いている。
昨今のデジタル時代。偽者の中心はコピー問題、それを利用した「海賊版」話が中心となっている。
デジタルの世界は、コピーといっても中身はまったく同じだから、これまでのアナログ時代の偽者話とは、ひとつ性格を異にする事象なのかもしれない。
ところが、アナログの世界はどこまで精緻に真似ても本物とは違うもの。絵の真贋判定にしても偽札の世界にしても、本物と偽者の見分けがつくので、あくまでも経済がなりたっている。
これが本物とまったく同じものをアナログの世界でも作れるようになってしまうと、デジタルと同じ運命。
今の世界の経済原則そのものが崩れ去ってしまうかも・・・・・・。
いつの日か、そんな時が訪れるかもしれないが。

さて、JAZZの世界はせいぜい偽者といっても、ある有名プレーヤーや演奏の影響を受けて、そっくりに真似るところからのスタート。これもコピーとよく言うが。
これは偽者というよりは、偉大な演奏の影響を受けて育っていく過程。あまり、目くじらをたてて偽者論議の対象になるようなことではない。
特に、BIG BANDの世界では、アマチュアバンドの大部分が有名オーケストラのスコアをプレーするところからスタートする。
なかなか本物を越えるようなプレーにはいたらないし、本物を越えることはありえない。

Woody Hermanも永年バンドを維持していたが、ファーストハードから始まり、メンバーは時代とともに次々と変わっていった。
オーケストラの運営は、なかなか名プレーヤーをレギュラーメンバーとして雇い続けるのは経済的にも難しい。だから昔からオーケストラのツアーメンバーには、給料の安い若手ミュージシャンが集められ、彼らにとっては次のステージへの登竜門でもあってお互い切磋琢磨していた。

その昔、ハンプトンオーケストラに若くして参加したクインシーやクリフォードブラウンの給料は17ドルだったそうだ。今とは貨幣価値が違うとはいえ、薄給であったことは間違いない。

1959年のモンタレーへの出演。晴れの舞台にハーマンはレギュラーのツアーメンバーではなくオールスターメンバーで臨んだ。これもいつものレギュラーとは違うが、リーダーの意思も通じているひとつの「本物」の演奏だ。

ここに一枚のBIG BANDのアルバムがある。
メンバーは、有名なスタジオミュージシャン。ほとんどは、かっては有名オーケストラにも在籍していた名プレーヤーばかり。偽者ではない、「本物」のプレーヤーばかりだ。
選んだ曲は、Woody Hermanの有名曲とスコア。
そこに、リーダーのWoody Hermanの姿はまったく無い。
代役を務めるのは、クラリネットのジョンラポータ。
ほかのメンバーは、AL COHNを筆頭に一流のスタジオミュージシャンばかり。もちろんハーマンオーケストラのOBもたくさんいる。
演奏は、もちろん素晴らしい。下手をしたら、若手中心のツアーバンドよりも、年季の入った音を出しているかもしれない。
よく、リーダーが亡くなってから他のメンバーがバンドを引き継ぐことはあるが、存命中に、このようにまったく違うコピー版を作ってしまうとは恐れ入ったものだ。
このアルバムのシリーズは、ずらりと有名プレーヤーを集めて、有名バンドの曲を演奏しているらしい。他には持ち合わせていないが、どこかで見つけたら聴いてみたい。

はたして、このバンドは「偽者」なのだろうか?
「偽者」と片付けるには、出来がよい。中身的には、リーダーがいなくとも、このバンドも、もうひとつの「本物のハーマンオーケストラ」であることは間違い無いし。
きっと、ハーマンがこの演奏を聴いたらこのメンバーでツアーに出たいというかもしれない。

FOUR BROTHERS
BLUE FLAME
WILD ROOT
BIJOU
BLOWIN UP A STORM
WOODCHOPPERES BALL
NORTHWEST PASSAGE
APPLE HONEY
GOOSEY GANDER

John La Porte (cl,as)
Al Cohn,Joe Romano,Don Lamphere(ts)
Marty Flax (bs)
Danny Stiles,Berney Glow,Hal posey,Al Forte,Willie Thomas,Alvin Stewart (tp)
Frank Rehak ,Bill Byres ,Wayne Andre,Charley Henry(tb)
Eddie Costa (vib)
Bill Potts(p)
Jack Six(b)
Jim Cambell (ds)
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いつもの場所で、いつものメンバーで、いつもの演奏を・・・

2007-05-06 | CONCORD
AFTER YOU’VE GONE / Herb, Ray, "Sweets”, Plas, etc

ジャケットの表紙の絵を見ると、“Concord”と看板がかかった、小さな駅(?)にケースに入った楽器が置いてある。
このフェスティバルに最初に参加したミュージシャンは、西海岸の田舎町の小さな“懐メロコンサート”に、ちょっと出演してみようかといった気持ちだったのかもしれない。

1974年、そのConcord Jazz Festivalも6回目を迎え、アメリカ国内だけでなく、国際的にも有名になってきた。
「それも、Concordレコードが、アルバムを通じてフェスティバルの演奏の模様を提供してきたかもしれない」と、レコーディングプロデューサーのPhil Edwardsはライナーノーツに書いている。
確かにこのアルバムがなければ、コンサートを実際に聴きに行った人しか、この演奏を聴くことができなかったのだから。

ギターを中心として、めちゃくちゃにスイングする演奏、それも時にはギターを2本も3本も増やして。それで、大きなコンサート会場を一杯にしてしまう。
特に、目新しいことをやっているわけではないが、JAZZを長年演奏してきたベテラン達が、心の底からプレーを楽しんでいる。
Fusionが全盛期になってきている中、アルバム作りに懲って「聴かせる」音楽が主流になってきた時、なかなかそんな演奏には巡り会えない時代だった。
でも、そんなJAZZを聴いてみたいというファンは確実に増えていった。

一度ならず毎年毎年これでもかといように、このこだわりが続くと自ずと自己主張やその特色がはっきりしてくる。
オーナーのCarl Jeffersonも最初から「皆が聴きたいものを提供するだけ」と割り切っていたようだ。対象も、Teenagerは相手にせず。大人好みのものを。
Concordにとって、最初の「このこだわり」が大事だったのかも知れない。
聴く方も、「きっと今年は何か新たな企画があるのでは?」と、期待を膨らますようになってきたのではなからろうか。

物事うまく回転しだすと弾みがつく。
74年第6回の会場は、最初から行われていた会場のConcord boulevard park。この会場での最後のFestival。
翌年の75年からは、新たに丘の上につくられたパビリオンに移ることがすでに決まっていた。
Festival自体も確実にステップアップが約束されたようなものである。
Concordレコードもそれに呼応するように、スタジオでの新録音を積極的に行うようになって、次への飛躍が見えはじめていく。

このアルバムは、以前紹介したHEREB ELLIS & RAY BROWNの“Soft shoe”の続編。前作と5人のメンバーは同じ、すでに、この5人のプレーの呼吸はぴったり。
それに、新たにサックスのプラス・ジョンソンが加わっている。
基本的にスタジオワークが中心で、映画「Pink Panther」での演奏が有名だが、この出演がきっかけで、Concordの仲間達とのその後のプレーが聴ける。

スタンダードの、AFTER YOU’VE GONEからスターとするが、この全員のリズム感は最高。ドラムのハナが本領発揮といったところ。
George Dukeのピアノもますます磨きがかかる。スイング感がほかのメンバーとピッたりだ。
最後は、前作にもあったアップテンポのFlintstonesだが、“Ⅱ”になっている。
メロディーは同じだが、中身が進歩しているのかも?
Concordの次へのスタートに向けて、すべてが用意万端整った。

1 .After You've Gone :Layton, Creamer 7:55
2 .Mitch's Lament :Ellis 7:46
3 .Home Grown :Edison 5:52
4 .Mood Indigo :Bigard, Mills, Ellington 5:28
5 .Detour Ahead :Freigo, Carter, Ellis 6:22
6 .Fatty McSlatty :Brown 9:40
7 .Flintstones, No. 2 :Bryson, Shows, Goldberg 5:38

Harry ”Swwets” Edison (tp)
Herb Ellis (g)
George Duke (p)
Ray Brown (b)
Jake Hanna (ds)

Recorded live at Concord Jazz Festival ,August,1974 
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‘59年QUINCYがやっと自分のレギュラーBANDを立ち上げる、その前に・・・

2007-05-05 | MY FAVORITE ALBUM
THE BIRTH OF A BAND / QUINCY JONES

QUINCYにとっても、大きな転機となる一枚。
自分にとっても、BIG BAND好きになったきっかけになった一枚だ。
このアルバムをはじめて聴いたのは、このタイトル曲が、確か「イソノてるお」がやっていたラジオのJazz番組のテーマソングだったのがきっかけだった。

たぶん、後にサドメルを作った、サドジョーンズにとっても同じ気持ちだったのではないかと勝手に想像する。新しい時代の流れをうまく取り込み、シンプルで、きれいなアレンジ、木管やミュートのモダンな使い方が新しいBIG BANDの誕生を感じさせる。
ソロを大事にしたアレンジ、アンサンブルからソロが自然に湧き出るような全体の組み立て方が素晴らしい。
クインシーのこの作風が、サドジョーンズのアレンジにも引き継がれているような気がする。

有名なアルバムなので内容の紹介はさておき、自分の頭の中の整理を兼ねてQuincyの当時の状況を思い起こしてみると。

1958年19ヶ月にわたるヨーロッパから帰国した、QUINYはいよいよ自分のBANDを立ち上げることを決心する。しかし、レギュラーバンド、それもフルバンド編成を立ち上げるのはそう生易しいことではない。素人ながらに想像はつく。
その辺りのクインシー自身の心境を語った当時の雑誌記事が紹介されている。
一端を引用してみよう。

「バンドを結成したいと考えた主な理由のひとつは、優れたミュージシャンがレコーディングで集まるたびに、繰り返し味わされる残念な思いと欲求不満であった。こんなにいいメンバーが、そこにみんな揃っているのに。もしたった一ヶ月でも一緒に演奏できたらどんな素晴らしいことが起こるか目に見えているのに、その場限りで終わってしまうことなのである。」
これは、プレヤーのみならず、我々聴く側のJazzファンにとっても同じ思いである。

「よい、ミュージシャンを集めるには、最低2,3ヶ月の仕事があること、それがなければ声もかけられない、家を離れた長いツアーは家族の理解も必要だし。そもそもビッグバンド自体が多く存在しなくなっている中で、ビッグバンドでの演奏経験を持つミュージシャンを探すことすら難しい。」
当時の、ビッグバンド事情は、やはりそうであったのか。

「さらに重要なことは、ミュージシャンとしてのクリエーティビティーだけでなく、人間としても一人前である必要がある。この2つは不思議と両立しないことが多いが、自分のバンドのメンバーには協調性や社会性も心構えとして持ってほしい・・。麻薬をやっているなどは問題外。」
 BIG BANDはチームワークが重要。個性派が幅を利かすJazzの世界でも、BIG BANDは例外だろう。というよりは、誰にも愛されるクインシーは、自分と音楽を一緒にやるメンバーを自分も大事にして同じ価値観でプレーしたかったのだろう。

それに、実際にツアーが始まれば、レパートリーの充実、アレンジのバリエーション、仕事のブッキング、そして、給与の支払い・・・・と毎日の実務が。
バンドリーダーの苦労は並大抵ではないことがよく分かる。

Quincyは、このような自分の理想のBANDを編成する準備を進めながら、このアルバムを作った。
そのタイトルも「バンドの誕生」。
そのものズバリである。

最初のセッションは。年の明けた2月のタキシードジャンクション。
これは、小手調べといったところだろう。日本では、あのムードテナーで有名なサムテーラーがソロで参加している。

どのセッションを見ても、まさにオールスターメンバー。
ベイシーをはじめとして、色々なバンドで活躍してきた百戦錬磨の面々である。
レギュラーメンバー選びのオーディションと言う訳ではないと思うが、このセッションに参加したジェロームリチャードソンや、フィルウッズ、クラークテリーはそのまま中核となって翌年のあのヨーロッパツアーへ参加することになった。

このような経緯の中でのアルバム。「QUINCYのバンドの誕生」となった記念すべき一枚だ。

ちなみに、このアルバムのライナーノーツは、カウントベイシー。
皆が、新しいBANDが生まれるのを楽しみにしていた様子がよく分かる。
最後に、ベイシーが「このバンドのピアノの席が空いていたら、自分が参加したいとも」
まんざらお世辞とも思えない、Newバンド誕生への賛辞である。

この年の秋、Woody Hermanのオールスターバンドがモンタレーに出演していた頃、Quincyはバンドのメンバーの人選も最終段階を迎え、翌年のヨーロッパツアーに向けてのリハーサルに励んでいた。

●Tuxedo Junction

Harry "Sweets" Edison, Ernie Royal, Clark Terry, Joe Wilder (tp)
Billy Byers, Jimmy Cleveland, Urbie Green, Tom Mitchell (tb)
Jerome Richardson (fl, as, ts) Phil Woods (as) Budd Johnson, Sam "The Man" Taylor (ts)
Danny Bank (bars)
Moe Wechsler (p) Kenny Burrell (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (d)

Quincy Jones (arr, cond)
Fine Recording, NYC, February 9 & 10, 1959

●Moanin'
●Happy Faces

Harry "Sweets" Edison, Ernie Royal, Clark Terry, Joe Wilder (tp)
Jimmy Cleveland, Urbie Green, Quentin Jackson, Melba Liston (tb)
Julius Watkins (frh) Frank Wess, Phil Woods (as) Benny Golson, Jerome Richardson (ts)
Danny Bank (bars)
Patti Bown (p)
Kenny Burrell (g)
Milt Hinton (b)
Charlie Persip (d)
Quincy Jones (arr, cond)

Fine Recording, NYC, May 26, 1959

●Along Came Betty
●I Remember Clifford
●Whisper Not
●The Gypsy
●Tickle-Toe

Joe Newman (tp) Zoot Sims (ts) Sahib Shihab (bars) Sam Woodyard (d) replaces Edison, Richardson, Bank, Persip

Fine Recording, NYC, May 27 & 28, 1959

●A Change Of Pace
●The Birth Of A Band

Harry "Sweets" Edison (tp) Jerome Richardson (ts) Les Spann (g) Don Lamond (d) replaces Terry, Golson, Burrell, Woodyard

Fine Recording, NYC, June 16, 1959
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オーケストラの演奏の合間にいつものメンバーで気楽なセッション

2007-05-04 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
You made me love you / Thad Jones & Mel Lewis

サドメルのメンバーは、オーケストラを離れても一緒に演奏をすることが多い。ライブを楽しむこともあれば、レコーディングをすることも。
以前紹介したPepper AdamVillageVanguardのジャムセッションのアルバムもそんな一枚だった。
オーケストラで来日したときも、公演の合間をぬって何枚かのアルバムを残している。
先日のRoland HannaのDUOもそうした一枚。
74年の来日時の録音だった。

翌75年にも来日を果たしたサドメルは、今度は、リーダー同士でコンボ演奏を楽しんだ。
Thad Jonesはオーケストラではフリューゲルホーンをプレーすることが多かったが、ここではコルネット。
それに、なんとピアノやVocalも披露している。彼のピアノも初めて聴いた。これは愛嬌であるが、その位リラックスした仲間内の録音だ。

オーケストラを編成してからは、コンボでの演奏をなかなか聴く機会がないのを、カメラマンの阿部氏がサドに録音を働きかけたらしい。リーダー同士とはいうものの、最初はベースのジョージムラツとのデュオ、それにテナーのGregory Herbertを加えたトリオが面白いのではないかと、企画が行われていたらしい。
結果的にはMelも加わった4人編成だが、Melが入っても入らなくても本音は「大勢に影響なし」というのがプロデュースをした阿部氏の本音だったらしい。Melには内緒にして欲しいというコメントつきで。

いきなりAutumn Leaves。
トランペットでこの曲というと、すぐマイルスを思い浮かべてしまうだけに、これを超えるのが難しそうだが。
ところがアプローチがまったく違う。
ベースとのDuoでスタート。ミュート無しの、コルネットの特徴の多少輝いた音色。Herbertの図太いテナーが加わる。ドラムは控えめにピアノレスのプレー。
オーケストラ同様、サドのバラードは独自の世界を作り出す。
マイルスとはまったく別物の枯葉が完成。

オーケストラでも、もっぱらサドがフューチャーされるのはフリューゲルホーンのバラードプレー。この頃、サドはアップテンポよりスローが得意になっていたのかもしれない。

My Romanceはサドとジョージムラツとのduoが冴える。最後の「捧ぐるは愛のみ」。この曲でサドの歌が聴ける。これも「おまけ」だが、なかなかおまけがそのままアルバムになったものは少ない。

Melには悪いが、やはりこのアルバムは、サドを中心としたDuo&Trioアルバムといった方がいいだろう。アルバムの企画も最初の閃きが大事かもしれない。

AUTUMN LEAVES
MINA Take1
   Take2
MY ROMANCE
YOU MADE ME LOVE YOU
I CAN’T GIVE YOU ANYTHING BUT LOVE Take1
                      Take2

  Thad Jones (cornet,p,vol)
  Mel Lewis (ds)
  Gregory Herbert (ts)
  George Mratz (b)

Recorded on November 14,1975
Elec Record Studio,Tokyo.Japan
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五月になると「山は緑に」。新緑に映えるピアノトリオは・・・・・・

2007-05-03 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz Spotlight on Ellington and Rodgers / Paul Smith Trio

自分が高校生の頃、今のようにインターネットもなければIpodやDVDもない。日々の楽しみといえばもっぱらラジオの深夜放送。各局のパーソナリティーが毎晩競っていたが、その中に、大人っぽい雰囲気の「大村麻利子」が、軽い語り口とリクエストに応える短い番組があった。比較的JAZZもかかったのでよくリクエストを出して聴いたものだ。

その番組のテーマソングが「SONG IS ENDED」。ピアノのPAUL SMITHの演奏だった記憶がある。軽いタッチのピアノが気に入っていた。
カクテルピアノ風に演奏したかと思えば、饒舌にヘビーな演奏を聴かせてくれるピアニストの一人だ。エラのバックで有名だが普段はあまり前面に出ることはない。ひとたび前面に出てテクニックを披露すると、ピーターソン張りの演奏を繰り広げることもある。
とかくテクニックのあるピアニストは技に溺れる訳でもないとは思うが、心に訴える演奏とは程遠くなりがち。Smithも、その点を彼の奥さんに指摘されて、心のこもった「暖かい」バラード演奏ができるようになったそうだ。

ローランドハナのピアノを聴くと、“上手い”ピアノを聴きたくなって、この一枚を持ち出してきた。以前、このSmithのRichard RodgersのSong Bookのアルバムを紹介したが、その続編のようなアルバムだ。
同じRodgersの曲、それとEllingtonの曲が半分ずつ収められている。
Rodgersの曲が収められているB面の一曲目は「Mountain Greenery」。
新緑が映える今の季節にぴったりな曲だ。Jackie&Royのこの曲が実はお気に入りだ。

このアルバムは、LP時代の最後に流行った「Direct to disc」で録音された一枚。テープを介さないので、一発勝負でLPの片面分20分近くを一気に録音しなければならないので、録り直しや編集ができないライブレコーディングのようなもの。もっとも、レコードの歴史でテープレコーダーの無いSPの時代には皆こうして録音されたのだが。
さすがエラと一緒にLIVEの場数を踏んでいるSmith、こんな録音でも難なく一気に一発でこなしている。
最近ワープロで文章を書くと、ついつい「つぎはぎ」になることが多い。どうせ後で直せると思うと雑になる。手書きの時は一気に書いたものだが。結果的に、一気に書いた文章はやはり勢いが違うし論旨が明快だ。
テクノロジーの進化が、頭の構造を退化させているような気がしてならない。

DON’T GET AROUND MUCH ANYMORE
I GOT IT BAD AND THAT AIN’T GOOD
C JAM BLUES
MOUNTAIN GREENERY
HAVE YOU MET MISS JONES
FALLING IN LOVE WITH LOVE
THOU SWELL

Paul Smith (p)
Wilfred Middlebrooks (b)
Nick Martinis (ds)

Recorded in 1979

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東の舞台がNewportなら、西の舞台Montereyでも熱い演奏が・・・・・・

2007-05-02 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
WOODY HERMAN’S BIG NEW HERD AT THE MONTEREY JAZZ FESTIVAL

50年代の後半、ベイシーやエリントンなどの老舗のオーケストラはNewportのひのき舞台で完全復活。大喝采を浴びていた。白人オーケストラの多くがダンスバンドとなっていった中で、Woody Hermanは元気にモダンbig band Jazzにチャレンジしていた。

場所は、東海岸のNewportではなく、西海岸のMonterey Jazz Festival。
50年代も最後の年、1959年のステージに登場している。
このフェスティバルの音楽プロデューサーは、当時MJQのリーダーでもあったJohn Lewis。この年は、開催期間中ワークショップオーケストラとしてWoody Hermanオーケストラに様々なソロイストにサンスランシスコシンフォニーのメンバーなどを加えた特別編成のオーケストラが出演した。
いつものレギュラーバンドではないので、出演したミュージシャンも、ハードなリハーサルに明け暮れたそうだ。

ハーマンのオーケストラ自体も、豪華ゲストを加えた特別編成の「Swinging Festival Herd」で舞台に臨んだ。
Bill Chaseなどのレギュラーメンバーに加えて、Zoot Simsなど古巣に戻ったOB、さらに各セクションに当時の西海岸のべストと言えるメンバーを加えたオールスター編成だ。

ドラムには、サド・メルの一方のリーダーMel Lewisが座る。
彼の経歴からすると、Woody Hermanオーケストラにどこかで在籍してもおかしくなかったのだが、それまでハーマンのバンドに加わったことはなく、これが始めての参加だったらしい。
リーダーのWoody Hermanも、このままのメンバーでツアーに出たいと洩らしたほどの、豪華キャストのライブステージだ。

十八番のFour Brothersからスタートするが、アンサンブルといいソロといい、ハーマンオーケストラのこの時期のベストプレーだろう。
このモンタレーだけの演奏に終わってしまったのは残念である。
モンタレーの特徴の近くの飛行場の飛来する飛行機の音も、プレーヤーにとっては雑音だったかも知れないが、ライブの臨場感の効果音と捕らえれば歴史的な記録でもある。
もっとも軍用機は、フェスティバル開催中は飛行を遠慮したそうだが。

この年、1959年は、ヨーロッパから帰ったQuincy Jonesが素晴らしいオーケストラを率いて、5月に「The birth of a band」を録音して活動を本格化した年。ハーマンのオーケストラとは異なり短命ではあったが、このバンドもサドメルにつながる歴史の1ページには欠かせない。
新しいBigBandの胎動を感じさせる1959年だった。

Scoobie Doobie
Four Brothers
Like Some Blues Man
Monterey Apple Tree
The Magpie
Skylark

Conte Candoli, Bill Chase, Frank Huggins, Ray Linn, Al Porcino (tp)
Urbie Green, Bill Smiley, Si Zentner (tb)
Woody Herman (cl)
Don Lanphere (as, ts) Richie Kamuca, Bill Perkins, Zoot Sims (ts)
Med Flory (bars)
Victor Feldman (p, vib)
Charlie Byrd (g)
Monte Budwig (b)
Mel Lewis (d)

'Monterey Jazz Festival', Monterey, CA, October 3, 1959


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いい食材をただ集めても、美味い料理ができるとは限らないが・・・・

2007-05-01 | MY FAVORITE ALBUM
Michel Legrand Meets Miles Davis / Ben Webster / Hank Jones / Donald Byrd / Paul Chambers / John Coltrane・・・・・・・

Quincy Jonesがヨーロッパに渡っていた時、反対に一人のフランス人がニューヨークにやってきた。
その名は、Michel Legrand。
ピアニストとしても活躍している。Ray BrownとShelly Manneの共演はお気に入りのアルバムだ。

幼児の頃から音楽の基礎を学び、歌手の伴奏や、作編曲で、映画、ラジオやテレビの世界で活躍していたといっても、この時は弱冠26歳。JAZZを必ずしも専門にやっていた訳ではないし。
New Yorkにやってきた彼は、いきなりマイルスやコルトレーン、さらにエバンス、ハービーマン、ベンウェブスター、フィルウッズ、ジーンクイル、エディーコスタ、ポールチェンバース、・・・など総勢30人近く。ソロイストだけでなく、セッションプレーヤーも特に一流どころを選んだ。
何の後ろ盾があったのか知る由も無いが、何も実績のない者がいきなりやろうとしてもできることではない。
曲も、またJAZZの歴史を紐解くかのように、ビックスバイダーベック、サッチモとジョニードッツ、ジャンゴラインハルト、エリントンにベイシー、モンクにジョンルイスなどの名曲を新旧取り混ぜて11曲。
それぞれのプレーヤーはすでに一家を率いる大物達、曲はあまりにもオリジナルの印象が強すぎる名曲ばかり。
普通であれば、大物プレーヤーの顔色を伺いながら、恐る恐るアレンジを提供するのであろうが。

ところが、一曲目から主導権はルグラン。
ヨーロッパのエスプリを感じさせる独特のアレンジに、新旧の名曲が次々と新しい曲のように組み直されていく。随所にオリジナルのよさを生かした配慮もしながら。そして、どの曲もこのために集められたメインプレーヤーのソロのパートがちゃんと用意されている。それぞれの個性を生かした形で。マイルスも、ベンウェブスターも、自分の出番をわきまえた様に登場する。
ソロをもっと聴きたいのであれば、他のアルバムを聴けばいい。アルバム全体が、One&Onlyのミシェルルグランの世界だ。
アメリカの東西に分かれて競い合っていた、ハードバップとWest Coast以外に、もうひとつのJAZZがあった。

これだけの食材をいきなり集めても、コース料理としてもバランスよく全体がコーディネートされているのは並の料理人ではない。
ヨーロッパによく渡ったQuincyも、このようなサウンドを頭に描いていたのかもしれない。
2人の料理の仕方にはどこか共通点があるような気がする。

1. Wild Man Blues
2. 'Round About Midnight
3. The Jitterbug Waltz -
4. Django

Miles Davis (tp)
Herbie Mann (fl -1/3)
Jerome Richardson (cl, bars -1/3)
Phil Woods (as -1/3)
John Coltrane (ts -1/3)
Betty Glamann (harp)
Eddie Costa (vib)
Bill Evans (p)
Barry Galbraith (g)
Paul Chambers (b)
Kenny Dennis (d)

Michel Legrand (arr, cond)
NYC, June 25, 1958

5.Stompin' At The Savoy
6.A Night In Tunisia
7.In A Mist

Donald Byrd, Art Farmer, Ernie Royal, Joe Wilder (tp)
Jimmy Cleveland, Frank Rehak (tb)
Phil Woods (as)
Seldon Powell (ts)
Teo Macero (bars)
Don Elliott (vib)
Nat Pierce (p)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (d)

Michel Legrand (arr, cond)
NYC, June 30, 1958

8.Blue and Sentimental
9.Don’t Get Around Much Any More
10.Nuages
11.Rosetta

Frank Rehak,Billy Byas,Jimmy Cleveland,Eddie Bert(tb)
Ben Webster (ts)
Herbie Mann (fl)
hank Jones (p)
Major Holly (b)
George Duvivier (b)

Michel Legrand (arr, cond)
NYC, June 27, 1958

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