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上司の暴言による自殺の事例に思うこと

 日研化学の社員が、「給料泥棒」、「目障りだから消えてくれ」といった数重なる上司の暴言の後に自殺したケースについて、東京地裁は自殺を労災と認める判決を下した。

 何はともあれ、自殺に至ったことは、ご本人とご遺族に対してお気の毒と申し上げたい。自殺の原因の全てが分かるわけではないのだが、自殺することは普通ではない。特に、ご家族の苦しみは、想像するに余りある。

 さて、このケースで一番印象的なのは「給料泥棒」という台詞だ。正直なところ、私は、この言葉を何度か使ったことがある。部下や同僚にではなく、上司に、それも直接本人にに言っているはずだが、当時は(十年以上前だ)、まあ、強くはあるけれども、普通の表現だと思って使っていた。

 「給料泥棒!」と言うにも、気を遣わなければならない世の中なのかと思うと、窮屈な感じもするのだが、かつて、私があまりに無神経だったのかも知れないし、ともかく、どんな言葉でも、相手の様子を見て言うか言わないかを考えなければいけないのだということなのだろう。相手を追いつめる暴言が、場合によっては、手足を使った暴力以上に相手を傷つけることになる、ということは、良く分かる。言葉だけなら、許されるというものではない。

 ただ、近年、私は「給料泥棒」という言葉を、少なくとも誰かを非難する上で、直接使うことは無い。世の中を良く見ると、給料泥棒がそれほど悪いことだは思わなくなったからだ。

 給料泥棒とは、どのくらい盗むと泥棒なのだろうか。たとえば、年収500万円の社員が、400万円しか粗利を稼がなければ、泥棒なのだろうか。仮に、1000万円稼いだとすれば、それは、会社が「労働泥棒」を働いたことにならないのか。これらは、たぶん、どちらも「泥棒」呼ばわりするには不適当なのだろうと思う。どちらも、合意の上の契約の後に生じた事態だし、仕方がないではないか。

 ここで思うのは、社員は会社のために、貰っているもの以上に貢献しなければ「恥」だとする、会社への過剰な従属意識の弊害だ。会社は(正確には会社の誰か個人が、だが)、たかだか自分の都合と判断で人を雇っただけで、それが功を奏するか否かは、会社の問題だ。会社に多く貢いでいる社員が居てもいいし、逆に会社を喰い物にしている社員が居ても、それは普通のことではないだろうか。
 
 もちろん、同じ会社で働きの悪い社員に対して、同じ会社の別の社員が不利益を被ることはある。しかし、これは、不満なら、会社がその社員に対して減俸や解雇も含む条件の変更を行おうとすればいいことで、たかだか仕事のパフォーマンスが悪いことをもって、「泥棒」といった倫理的・人格的な非難が出来ると思うのは、会社に過剰に飼い慣らされた会社員たちの思い違いだろう。

 「会社なんて、べつに、偉いものではない」ということや、仕事だけが人間の価値ではないということを、皆で大らかに認める方が、多くの人が、健康的に、気分良く暮らすことにつながるのではなかろうか。

 「たかが会社のことだし・・・」と誰でも言えるような社会がいい。
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