山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

パリの夜「同時多発テロ」

2015-11-15 11:57:26 | モノローグ【エトセトラ】
 フランスのパリで11月13日夜(日本時間14日早朝)、中心部のコンサートホールや 北部のサッカー場などを標的とした同時多発テロ事件が起きた。死者は120人以上とみられる。過激派組織「イスラム国」が犯行声明を出した。(朝日新聞より)

 テロは何に対する仕返しなのだろうか。個人感情では計り知れない。
報道によればイスラムに対する差別ポスターや空爆などが挙げられている。
 9・11ニューヨークの同時多発テロより、今やテロは国境を超えた。つまり戦争なのだ。地球規模での内乱か。弾圧に抗してグローバルなテロが発生しているのか。
テロとの戦いに失敗した教訓は生かされるか。
 「暴力には暴力によって対応せよ。」・・・そうだろうか?余りにも子供じみていないか。
 日本では「戦争の放棄」が憲法で定められている。これはノーベル平和賞の候補にもなっている。
 このような時代だからこそ、日本としての主張はできる筈だが、集団的自衛権なる世界の戦争に加担する政府は自ら平和を放棄した道に進むことになり、米国との軍事同盟は明らかにパリのようにテロの標的になる。
 戦争は市民を巻き込む。無差別殺人が行われ、テロや戦争は犯罪であり市民はそれに立ち向かうことになるだろう。現実に「アベ政治はやめろ!」スローガンとデモ(民主運動)は大きなうねりとなった。
 反戦平和運動の重要性が高まった。
衝撃的なパリのニュースを知って、これは対岸の火事ではないと思う。

演出ノート【6】

2015-11-14 23:00:03 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【6】11月14日(土)

 遊べるところはないだろうか?と台本から目を逸らして役者を見ている。
 あるある!ところが悪乗りしてはならないことも大切。遊びにも意味がある。余裕がなければ遊べない。
 余裕だ。
 今のところ余裕はない。
 いつもそうだ。稽古の序盤は力みがあり動きも考えも硬くなる。
 そのまま舞台に上げる訳にはいかない。
 痛いのう。
 今日の稽古では「自分が思うようにやってみたら。」と提案した。
 演出を放棄した訳ではない。これからの稽古は役者とのキャッチボールを始めます。
 良い玉を投げて下さいよ。こっちも良い球を投げ返しましょう。
 と言っておきながら時々暴投します。
 これが遊びなのだ。ほいほいほい。
 帰り際に稽古場の受付の女史さんが、「台詞だけ聞いていたら、とても怖かったよ。」と感想を述べられた。
 そりゃ、座長=夢現(さかもとまり)が書いているのだもの。怖いよ。
 だが、その怖さの中に泣き笑いもあるから救われるでしょう。
 今日は稽古写真を撮り忘れたのでチラシを貼り付けます。

演出ノート【5】

2015-11-13 11:58:16 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【5】11月12日(木)

登場人物、音響や照明、会場整理係、受付などのスタッフまで区別なく「出演者」にした。
キャストスタッフはオールスターである。
しかも、登場人物はみんな「A」であり匿名であるが、固有名詞には犯罪名が付けられている。
 摸倣犯//昏睡強盗犯//誘拐監禁犯//器物破損犯などなど、思いつく限りの犯罪名が並ぶ。
 作・演出のところには「構成」が付け加えられた。
 実は寺山修司「レミング」と唐十郎「少女都市からの呼び声」を切り貼りしているのである。
 声優A子とはいかなる人物なのだろう?
 犯罪をデッチあげるとはどういうことだろう?
 ここに登場する人物たちは実在しているのだろうか?

 私は暗い演劇は好きではない。
 今から36年前の旗揚げ当初は、日本で2番目に暗い劇団だとこき下ろされたこともあるが、自分では「ただ明るさだけのアッパラパ~ではダメ!」と主張していた。
 悩み苦しむだけの劇はつまらない。それの中には滑稽さがある。滑稽さに恐怖や狂気を注入する。
 悲しい時に笑い出し、嬉しい時には歓喜の涙に代わる。怒りは希望に満ち溢れる。
 感情がストレートに表れず、歪む。歪みが現在を表す。
 いかにも複雑怪奇であるが、単純明快なことは
 劇は無罪であると言っておきます。

 稽古が終わって、遅い夜ご飯の時に、「この時代を例えるならば、猫ちゃんたちに癒されるね。」と実感した。現実社会では癒されないから、猫に癒しを求める時代になったのだと思う。

今年3回目の術前にて

2015-11-11 23:58:20 | 九州「劇」派2016
 はいはい、今日は入れ歯を忘れて白い巨塔に行きました。
 シリツ(空気が抜けて手術と言えません!)に向けての総合的な検査は3日続きます。
 問題がなければ11月23日から人工肛門を閉じるシリツのための入院になります。
 化学療法も今日が最終日になりました。思わず「それでは又、来ます。」と言ってしまったしまった島倉千代子。「もう来ないことを祈る。」と白衣の天使が笑って送り出してくれた。今度、化学療法室に入るとしたら癌の再発か転移が見つかった時だ。

 夜は九州「劇」派のワークショップだった。
 新宿梁山泊の「少女都市からの呼び声」公演ビデオを鑑賞しました。カッコ良かったね。ダイチャンさんは「感動した。」と言った。
 この劇を来年の10月にスペース早稲田演劇フェスティバル2016に持って行きます。
 今のところ、劇団夢桟敷(熊本)と劇団仮面工房(福岡)の連合チームだが、広く呼びかけます。即戦力を求めます。「我こそは」と手を上げてくれれば受け付けます。
 写真は仮面工房のカクさんとセキさん。
 次のワークショップは11月25日(水)です。

 明日からの(木)(金)(土)3日連チャンで夢桟敷「声優A子の犯罪」に取り組みます。

チラシ表

2015-11-10 18:46:13 | 声優A子の犯罪
劇団夢桟敷公演No.68「声優A子の犯罪」
作:さかもとまり//演出:山南純平
出演スタッフ
夢現//工藤慎平//海幸大介//太郎ピーチマンション//東田まなみ
賀久秀乃助(劇団仮面工房)
タカハシユウジ//肥後丸.//坂本咲希//KAREN//山南純平

2016年1月29(金)30日(土)31日(日)
熊本市中央区河原町2 ギャラリーADO

宣伝チラシは熊本で11月15日より配布されます。
宣伝美術 太郎PM&坂本咲希

Aの妄想は無罪である!
政府にとって危険な妄想や想像をすると逮捕される時代がやって来る。
世界中に設置された防犯カメラ=監視カメラによって犯人はでっち上げられる。
劇中劇の解体と構築の混沌から見えてくるものは、
それはお笑いとお涙頂戴。
ピープルAたちは倒れても立ち上がる「あきらめない!」不屈の魂で呼びかける。

無罪である!

第3回会議【計画】

2015-11-09 23:57:44 | ブラジル企画2017(準備)
月に1度のブラジル公演2018計画会議です。
1
来年の「ブラジルの日」計画案が出ました。未だ、決定ではないので内密に!
「酒に酔っ払ってペラペラ喋るんじゃないよ。」を確認する。
2
ネットを使って資金集め! Kスケさんが説明してくれた。いっそのこと、Kスケさんもスタッフとして参加されたらどうでしょう?ねぇ、一緒にどうだい?
仮面工房のカクさんもいるので、スケさんカクさんのコンビが出来上がる。
資金集めのシステムは理解できました。
3
イベント予算をどんぶりで打ち出した。先ずは支出をどんぶりで計算する。
丼勘定から現実的な計算ができるように調査しなければなりません。
エックス予算がある。プロの人とタッグを組みましょうよ。
4
ブラジルに挨拶を兼ねて年賀状を送ろう。もちろん、日本ー熊本在住の関係者へっ。
記念写真どりの件で盛り上がる。ふんふん。

という訳で、ブラジル公演に向けて制作や事務レベルでは動き出した。

鍋を囲んで

2015-11-08 23:45:41 | モノローグ【エトセトラ】
 劇団で鍋を囲む。
 仕事のため欠席のサキとクドシン、残念だったね。ひひひ、笑っちゃあいけない。
 タロー君の新居マンションの祝いも兼ねた。へっ、押しかけたのだった。
 独身男の部屋にしてはキレイだ。
 仮面工房のカクさんやセキさん、ダンサーのマミさんも参加した。
 セキさんは松茸を買ってきてくれる。松茸は妄想ではなく、現実となった。
 ノッペラボー!イヤイヤ、ブラボー!と叫ぶ。
 そのセキさん、次の用があると食べずに退席された。
 同時にタロー君とサキが担当している次回公演のチラシの原稿なども整い、予定より早く印刷にまわせそうだ。
 冬至前夜だが、夏日のように気温が上がった。汗をかきながらの鍋料理となった。
 ソウダさん(仮面工房)、確かに「少女都市からの呼び声」(新宿梁山泊公演)のVHSを受け取りました。ありがとうございます。

 くどいようだけど、
 7畳の部屋が松茸の匂いで充満しましたよ。
 松茸の香りは麻薬ですね。依存症になった。
 悪い時代になると逮捕されるでしょうね。
 そのうち、「贅沢は敵だ。」の国家的スローガンが掲げられるようになったら世の末期ステージ4です。

演出ノート【4】

2015-11-07 23:02:16 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【4】11月7日(土)

 ノッペラボー仮面を試作した。口でくわえて仮面を固定する。本番では美術担当が作るから、もっと見栄えは良くなる筈だ。
 集団でノッペラボーが立つと不気味である。
 待てよ、この光景は最近、見覚えがある。
 そうだ、沖縄の辺野古にやって来た東京の機動隊だ。
 白いマスクを覆ったノッペラボーたち。

 座長=夢現(さかもとまり)の書いた台本にはノッペラボーたちが並ぶことを暗示していると思った。発見である。
 歌舞伎や文楽などでは黒子がいる。
 この劇では白子である。影の中からしゃしゃり出てくる独裁者である。
 黒の背景に白は裏方ではなくなる。
 スタッフ、音響も照明も出演者のように見える。
 登場人物たちには固有名詞が与えられていない。全てなんとか犯のAである。

 世界は「A」で溢れ返る。


 劇団夢桟敷No.68公演 「声優A子の犯罪」

 構成脚本◎さかもとまり/構成演出◎山南純平
 2016年
■1月29日(金)19:00- 30日(土)15:00-//19:00 31日(日)14 :00-
■ギャラリーADO
熊本市中央区河原町2 問屋街
 【出演&スタッフ】
 夢現/工藤慎平/海幸大介/太郎ピーチマンション/山南純平
 東田まなみ/賀久秀之助(特別ゲスト・劇団仮面工房)
 坂本咲希+本田太郎(宣伝美術)/肥後丸.+邪ラビット(美術)
 ねんねこ舎(出版)他
■料金/前売2000円(当日2500円)学割1500円(当日2000円)
 (問)090-4581-5190 制作 yumesajiki@ybb.ne.jp

演出ノート【3】

2015-11-06 23:28:46 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【3】11月6日(金)

 演出的には劇中劇をカットで繰り返すことによって、「日常」と「劇という非日常」をボーダレスに出来れば面白いと思っている。
 これを意識することは計算である。計算できなくなるとボーダレスになるのではないか。そんな実験を稽古場でおこなっている。
 頭ではわかっているのだが、これは難しい。舞台に立っている限り、劇は劇なのだ。劇を前提に日常を表現する行為も演技に見えてしまう。
 逆に~ぃ、家庭であれ仕事先であれ、日常茶飯事の行為を演技だと意識する者は稀だと思う。
あるならば俳優という職業病だ。労災は効かない。正しい病気であり、こんなバカがいると周りの人たちは喜ぶ。
 病気と言えば聞こえは悪いが、修行と言えば立派に聞こえる。日常生活の中でも修行はできる。
 一見、劇から抜けきれない不幸なことのようにも思われるが、俳優の引き出しの中には様々な人格が潜んでいた方が幸福なのだ。自分を楽しめる。自分が楽しいことを他人=観客が楽しめるか。
 喜怒哀楽を武器とせよ。喜怒哀楽を観察せよ。

 明日の稽古ではノッペラボーの面を使うことにした。
 顔に表情はない。
 誰でもない。名前もない。誰でもある。複数の名前がある。
 Aの匿名が集合したり分散する。

(注)写真は飲んではならないもので遊んでいる記念写真をパチリ。手に持っているものは洗剤です。


 劇団夢桟敷No.68公演 「声優A子の犯罪」

 構成脚本◎さかもとまり/構成演出◎山南純平
 2016年
■1月29日(金)19:00- 30日(土)15:00-//19:00 31日(日)14 :00-
■ギャラリーADO
熊本市中央区河原町2 問屋街
 【出演&スタッフ】
 夢現/工藤慎平/海幸大介/太郎ピーチマンション/山南純平
 東田まなみ/賀久秀之助(特別ゲスト・劇団仮面工房)
 坂本咲希+本田太郎(宣伝美術)/ねんねこ舎(出版)
 肥後丸./KAREN/タカハシユウジ 他
■料金/前売2000円(当日2500円)学割1500円(当日2000円)
 (問)090-4581-5190 制作 yumesajiki@ybb.ne.jp

悪の力

2015-11-05 23:29:12 | モノローグ【エトセトラ】
 姜尚中(カン・サンジュン). Kang Sang-jungさんの本「悪の力」を一気に読み上げた。
 本書は「川崎市中1男子生徒殺害事件」「群馬大病院事件」「名古屋大女子学生殺人事件」「イスラム国の残虐非道」など第1章「悪意に満ちた世界」では、今現在を象徴する事件や犯罪、国家テロなど「悪」の不透明・理不尽、孤立を入口に論じられていた。
 第2章「悪とは何か」 第3章「なぜ悪は栄えるのか」 第4章「愛は悪の前に無力か」へとつづく。事件から聖書、文学、資本主義のシステムへと運ばれる。
 自分の言葉に置き換えると「悪」は「怪物」であり、一見、人間そのものの姿をしている。自身の内側にも怪物は在り、外側の「怪物」=現実の異様さ・異物を受け入れ難くなり、破壊衝動へと固まる。冷静になろう。
 だが、演劇の稽古場では声が大きくなる。最近は「怒っているのではないよ。」と付け加えるようになった。
 声が社会に届かない現実に怯えているのです。

 文学や聖書の知識に乏しい私でも、飢えた漂流者のように水や栄養を吸収した気分である。「悪」の法則を導き出す輪郭がぼんやりと理解できた。社会から孤立する恐怖や孤独から「悪」が生み出される。それは誰でもが共感できるものだと思ったからだ。
 演劇として犯罪を扱ってきた経験から「悪」のテーマがリンクする。「ぼんやり」は想像力を駆り立てる燃料にもなった。「知」に対する劣等生は「ぼんやり」から「鮮明」になっていくためには時間がかかる。それでいいのだ。時間をかけよう。「悪」と「正義」の関係が単純ではない。謎に満ちた迷路こそ興味が沸く。
 ここに「知」や想像力、音楽や美術、演劇などの社会との関わりが見えてくる。個に閉じこもるとどうなるのだろうか?

 一つ、気になることがある。
 姜さんは来年の1月から熊本県立劇場の館長になることが内定しているのだが、劇場や県庁に「嫌がれせ・脅迫じみた」攻撃があることも事実。ネットでも姜さんへの差別や偏見で訴えている者たちがいる。その者たちの正体は?
 在日を排除せよ!と訴えているヘイト集団か。
 ヒトラーがユダヤ人を迫害することによって民族の優位性で固まろうとする間違った民族主義が、ここ熊本でも無知として在ることが恥ずかしい。
 今月にも理事会で決定されるが、関係者には「嫌がらせ・脅迫」には応じないようにしてもらいたいものである。
 熊本の文化が問われている。

演出ノート【2】

2015-11-04 23:13:07 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【2】11月4日(水)

 余談だが、
 私は何故、演劇を「伝える」或いは「コミュニケーション」の方法として強調されるようになったのか疑問だった。違うだろう。それが方法や目的にはならないだろう。常々、思っていたことだ。
 最近、ある美術の男とお会いしてやっていることと言っていることが何も伝わってこないことに愕然としてしまったことがある。コミュニケーションが成立しないのだ。小説家志望然り。作品を読んでも「私の身のまわり」しか見えない。
 そんなに「私」を見て見て?なのだろうか。「私」を理解して欲しいための表現なのか。
 何か寂しさを感じると同時に「伝える」或いは「コミュニケーション」の強調を否定することも出来ない時代が今現在だと思うようにもなった。

 今日の稽古では、ここに登場する人物は「一体何者たちであろうか?」と考えることになった。
 ある男に言った。「チョビひげを生やしたらどうだろうか。」と提案した。つまり、落書きである。ヒトラーを想像出来ると提案した。
 ここに登場する人物たちは「ある男であり、ある女である。」という匿名ばかりだ。
 台詞は「本心」と「虚言」で構成されている。いかにも葛藤である。
 現実、支配層は「嘘つき」だとミエミエの恐ろしい政策を打ち出している。真実を隠そうとするのです。権力を握った少数派が多数を支配するために「嘘」を送り出す。ここで言う「嘘」とは「悪者」を想定すること。敵ですね。
 劇では「悪者」をデッチアゲル妄想の世界を浮かび上がらせることになる。
 台本にはこう書かれている。
 「暗闇の中、パソコンのディスプレーだけが青い光をはなっている。」と。
 肉体がない。・・・不在とは何だろうか。

 悩みや葛藤だけでは終わらないよ。
 台本の行間にはお笑いが隠されている。見える、見える。
 不幸な時代にも希望はあるのだ。
 今月の稽古は俳優たちの肉体探しに明け暮れることにしよう。

(注)ここに添付しているチラシ裏は只今製作中につきレイアウトなど変更はあります。今月の中旬には仕上がります。

 この演出ノートは途中経過を公開するためにあります。変化、進化、稽古での混沌を記録します。

文化の日「ぶんぶん!」

2015-11-03 21:36:54 | モノローグ【エトセトラ】
 今日は「文化の日」だった。日本国憲法が公布(1946年)された日でもあります。
 その祝で熊本浜線バイパスにある「にんじんハウス」で座長と二人でオムライスと山芋のお好み焼きを喰らって来ました。毎日が「食」文化の日みたいなものだ。ブラジルコーヒーで乾杯!
 日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に施行された祝日法で「文化の日」と定められた。
 ところで文化とは何でしょう?
 百科事典解説によれば
 【culture】
 人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い。

 ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面

 今や価値観は多様化されており、一億総活躍はお国の屁みたいなものだ。屁の文化は臭いぞ。一億総時代が来てはなりません。うんこと味噌を混ぜてはなりません。
 エセブンカが到来します。見分けることが大事です。平和と文化を邪魔だとする輩がいます。物言わぬ輩もいます。下から目線で言えば、立ちます!飢えたる者たちです。
 文と武は対立します。武は民を助けてはくれない。民を犠牲にして富を得ようとする強欲なものです。文は目先の損得勘定では動かない。民の中で生きているからです。
 文化の日に思ったのであります。

 ところで座長=夢現(さかもとまり)は連日「声優A子の犯罪」台本書きに追われています。これも、毎日が「文化の日」でありましょう。 
 
 
 
 


演出ノート【1】

2015-11-02 23:44:16 | 声優A子の犯罪
「声優A子の犯罪」演出ノート【1】11月2日(月)

 今日から本格的な次回公演のための稽古に入りました。
 「本格的な!」とは、公演に向けて具体的な「場面」「音」「明かり」「衣装」「道具」などを決めていく作業に入ったということです。
 稽古中は脇目もふらずに見ます。
 そうすると台本を読んでいるだけでは気づかないことが現れます。
 今日は客入れからオープニングのところを想定して進めてみました。
 例えば、寺山修司「観客席」では俳優がお客さんに対して「ここは私の席です。」と因縁をつけて劇が始まります。
 所謂、ハプニングです。
 スタッフ同士が揉めるところから始まるのはどうだろうか。
 つまりスタッフと俳優の区別がなくなる舞台を工作するのです。
 お客さんが昨日見た劇を開演前に全部語ってしまうのはどうだろうか。
 一見、ネタばらしであります。ネタがばれても劇は違う方向へ進むから何も問題はない。
 クドシンに女装のAではなく女になろう!と投げかけた。
 男が女を演じるのではなく、クドシンは女なのだ。
 劇が始まると何度も「カット!」の声がかかる。
 カットがあるたびに劇は中断される。
 オープニングから女優Aの歌、そして独房のやりとりに入った。
 何を犯したのかは見えない。見えるのは見えない筈の「もうひとりの私。」と話している。
 アクションによって「犯罪」を想像させること。
 実際は殺していないのに殺人が行われたかの様な有罪をデッチあげるためのプロローグである。
演出ノートは続きます。もう、心の中では劇は始まっています。稽古があるたびに、こころを開きます。これも劇だ。


劇団夢桟敷No.68公演 「声優A子の犯罪」

構成脚本◎さかもとまり/構成演出◎山南純平
◾2016年
1月29日(金)19:00- 30日(土)15:00-//19:00 31日(日)14:00-
◾ギャラリーADO
熊本市中央区河原町2問屋