■5月9日(月)
資本主義社会からドロップアウトした人間にとって「災害」は日常である。これは笑い話だ。笑われた。
今朝から遠くに離れた親戚や昔の友人から立て続けに電話が入った。テレビのニュースを見て涙が出ると言う。私はテレビが見れない状況にあるから、どう報道されているのかわからない。歯の抜けた爺さんがインタビューに答えて私とかぶったというのだ。笑わせてくれる。
心配してくれていることに、「おー、男おいどんは忘れられた人間ではないのだ。」と息が荒くなった。呼吸が激しくなる。言葉が詰まりロレツが回らなくなった。ムチウチか?首も自由に回らない。病院に行こう!
有難いことにお見舞金を頂いている。このお金は引っ越しのために使わせて頂くことにした。間違っても夜遊びには使うまい。演劇をやっていると夜遊びする時間はないのだから。ビンボーは目標のために時間もカネも無駄遣いをしなくなる。こころは健康になるから、どうだい、この地震をきっかけに人生を変えることにしたら?笑い話である。こんなことを言うと警戒される。
自分で選んだ人生を貫きましょうよ。電話の向こうから励まされた。
さて、引っ越しを具体化しよう。
1979年6月15日,東京の早稲田鶴巻町6畳一間で劇団は結成された。一部屋でよくもまあ、立ち上げたもんだ。区画整理で馬場下に引っ越した時も6畳一間だった。早稲田大学文学部の学生長屋だった。
あれから37年を迎える。1984年より劇団の拠点を熊本に移した。座長にとってはUターンであり、私にとってはJターンである。学生時代を熊本で過ごしていたから、ここが私にとっては青春の門であった。
まさか、震災を体験するとは思わなかった。
浮き草だね。今日から移転先を本格的に探し始めた。移転を決意するのに3週間もかけてしまったからスタートが遅れた。
コネやネット情報を見ながらこちらの条件を満たす物件をあたっている。家賃、立地、道具置き場を兼ねれる間取りなど、座長と夜遅くまで検討した。
今や6畳一間で生活と劇団の事務所なんて考えられないことだ。
間取りを見ながら使いやすい住み家を探している。
■5月10日(火)
朝から雨。天井のカビは太り続けている。目を閉じ、息を止めてカビキラーを噴射して拭き取った。
電話で不動産屋へ物件探し。「申し訳ありませんがありません。」
ありませんがありませんとは?どう解釈すれば良いのだろう。屁理屈でも絡みたくなる。
ありませんがありません?ふふふ、あるということだな!大人気ないことは言わなかった。
熊本市中心部近くに一戸建てを見つけた。神業だった。山都町には浜線バイパスで直行できる。稽古場や座長の職場にも近い。劇団の道具置き場 兼 事務所としても可能だ。明日の3時、物件を見に行くことにした。決まれば棚から牡丹餅だとしよう。地震に耐えた家だ。幽霊が出る家だとしたら、それをネタに名所にしてやろう。儲けてやる。家賃高し。負けん県。
浮かれた気持ちで、これまで連絡がつかなかったカタオさん(半壊状態の家)を訪ねて菊陽町に走った。
カタオさんとは1990年から2000年までの10年、障がい者アート支援活動「とっておきの芸術祭」事務局の仲間だった。脳梗塞で倒れたと聞いて心配でたまらなかった。二つ上の先輩、悪友。酒好き女好き。人吉出身のお人好し。家族ぐるみの付き合いだった。久しぶりに会えてテンションがあがる。キンちゃん ジュンちゃんのコンビ復活か。
元気で生きていた。家には住めなくなったから、いずれ人吉に戻る算段をしていた。
気晴らしに大王を食べに行こう!えっ?閻魔大王?いえいえ、熊本名物、天草大王のことだった。一度は絶滅した大きな地鶏のこと。養鶏場と古民家レストランを経営している大津町の地産地消の店。
残念!今日は定休日だった。
代わりにトンカツを食べた。帰りには自家栽培しているサラダ玉ねぎと人参を山ほどもらった。
ビタミンは体に良いど。感謝!分かち合いたい。
資本主義社会からドロップアウトした人間にとって「災害」は日常である。これは笑い話だ。笑われた。
今朝から遠くに離れた親戚や昔の友人から立て続けに電話が入った。テレビのニュースを見て涙が出ると言う。私はテレビが見れない状況にあるから、どう報道されているのかわからない。歯の抜けた爺さんがインタビューに答えて私とかぶったというのだ。笑わせてくれる。
心配してくれていることに、「おー、男おいどんは忘れられた人間ではないのだ。」と息が荒くなった。呼吸が激しくなる。言葉が詰まりロレツが回らなくなった。ムチウチか?首も自由に回らない。病院に行こう!
有難いことにお見舞金を頂いている。このお金は引っ越しのために使わせて頂くことにした。間違っても夜遊びには使うまい。演劇をやっていると夜遊びする時間はないのだから。ビンボーは目標のために時間もカネも無駄遣いをしなくなる。こころは健康になるから、どうだい、この地震をきっかけに人生を変えることにしたら?笑い話である。こんなことを言うと警戒される。
自分で選んだ人生を貫きましょうよ。電話の向こうから励まされた。
さて、引っ越しを具体化しよう。
1979年6月15日,東京の早稲田鶴巻町6畳一間で劇団は結成された。一部屋でよくもまあ、立ち上げたもんだ。区画整理で馬場下に引っ越した時も6畳一間だった。早稲田大学文学部の学生長屋だった。
あれから37年を迎える。1984年より劇団の拠点を熊本に移した。座長にとってはUターンであり、私にとってはJターンである。学生時代を熊本で過ごしていたから、ここが私にとっては青春の門であった。
まさか、震災を体験するとは思わなかった。
浮き草だね。今日から移転先を本格的に探し始めた。移転を決意するのに3週間もかけてしまったからスタートが遅れた。
コネやネット情報を見ながらこちらの条件を満たす物件をあたっている。家賃、立地、道具置き場を兼ねれる間取りなど、座長と夜遅くまで検討した。
今や6畳一間で生活と劇団の事務所なんて考えられないことだ。
間取りを見ながら使いやすい住み家を探している。
■5月10日(火)
朝から雨。天井のカビは太り続けている。目を閉じ、息を止めてカビキラーを噴射して拭き取った。
電話で不動産屋へ物件探し。「申し訳ありませんがありません。」
ありませんがありませんとは?どう解釈すれば良いのだろう。屁理屈でも絡みたくなる。
ありませんがありません?ふふふ、あるということだな!大人気ないことは言わなかった。
熊本市中心部近くに一戸建てを見つけた。神業だった。山都町には浜線バイパスで直行できる。稽古場や座長の職場にも近い。劇団の道具置き場 兼 事務所としても可能だ。明日の3時、物件を見に行くことにした。決まれば棚から牡丹餅だとしよう。地震に耐えた家だ。幽霊が出る家だとしたら、それをネタに名所にしてやろう。儲けてやる。家賃高し。負けん県。
浮かれた気持ちで、これまで連絡がつかなかったカタオさん(半壊状態の家)を訪ねて菊陽町に走った。
カタオさんとは1990年から2000年までの10年、障がい者アート支援活動「とっておきの芸術祭」事務局の仲間だった。脳梗塞で倒れたと聞いて心配でたまらなかった。二つ上の先輩、悪友。酒好き女好き。人吉出身のお人好し。家族ぐるみの付き合いだった。久しぶりに会えてテンションがあがる。キンちゃん ジュンちゃんのコンビ復活か。
元気で生きていた。家には住めなくなったから、いずれ人吉に戻る算段をしていた。
気晴らしに大王を食べに行こう!えっ?閻魔大王?いえいえ、熊本名物、天草大王のことだった。一度は絶滅した大きな地鶏のこと。養鶏場と古民家レストランを経営している大津町の地産地消の店。
残念!今日は定休日だった。
代わりにトンカツを食べた。帰りには自家栽培しているサラダ玉ねぎと人参を山ほどもらった。
ビタミンは体に良いど。感謝!分かち合いたい。