※4月29日に実施された劇団夢桟敷「演劇ワークショップ」つづきの記事です。
■「ことば=台詞」以上に感動を生み出す場面作りのために。
今回はテキストを使う。・・・いわゆる台本である。
「読んでいるだけでは劇にならない。」
これは「戯曲以上のものが舞台に現れてこないと演劇とは言えない!」
という、私たちの一貫した取り組み姿勢である。
役者体、肉体言語。
「劇を作る/演技すること。」のサブタイトルを付け加えた。
通常、物語には「起・承・転・結」を用いる。
漫画で言う「四コマ」のようなもの。
短編劇では「四コマ」で遊ぶこともある。
しかし、今回の構成は「四コマ」を無視する。
「起・承・転・結」がない。
だから、テキストを読んだだけでは「物語」が見えない。
こういう場合、<音>や<絵>を組み合わせることによって、感情のあり方を探る。
ハサミで切り取って糊でくっつける作業を繰り返す。・・・感情を切ったり張り合わせること。
この時点で「言っている意味がわからない。」と言われることがある。
今回の参加者(高校生、演劇部三名)は、首を傾げていた。
死んだら二度と立ち上がってはならない。
それが現実=リアルな世界である。
私はリアルではない現象を生み出さないと面白くない!と思っている。
だから、殺されても何度も起き上がり「もういっぺん!」と繰り返す場面を組み入れる。
殺す側は何度も殺す。
死なない。
生きているのか、死んでいるのかわからない演技を組み立てる。
見る側に何が見えてくるか。
これを演技者が想像する。
見る側は俳優の汗を見ているだけかも知れない。
この時に静かな曲を流すと、同じ演技が変わったように見える。
それを体験する。
高校生たちは「不思議な感覚に襲われた。」と言った。
つまり、感情が多面的に転がったのだ。
「ことば=台詞」から、演技することによって「身体」探しをしていたのである。
「物語」は身体の中にもある。
自分の中の他人。
繰り返すことによる「ローリング」。
二重人格。夢遊病。・・・
言わずとも、それが浮かび上がっていたのである。
つづく。
■「ことば=台詞」以上に感動を生み出す場面作りのために。
今回はテキストを使う。・・・いわゆる台本である。
「読んでいるだけでは劇にならない。」
これは「戯曲以上のものが舞台に現れてこないと演劇とは言えない!」
という、私たちの一貫した取り組み姿勢である。
役者体、肉体言語。
「劇を作る/演技すること。」のサブタイトルを付け加えた。
通常、物語には「起・承・転・結」を用いる。
漫画で言う「四コマ」のようなもの。
短編劇では「四コマ」で遊ぶこともある。
しかし、今回の構成は「四コマ」を無視する。
「起・承・転・結」がない。
だから、テキストを読んだだけでは「物語」が見えない。
こういう場合、<音>や<絵>を組み合わせることによって、感情のあり方を探る。
ハサミで切り取って糊でくっつける作業を繰り返す。・・・感情を切ったり張り合わせること。
この時点で「言っている意味がわからない。」と言われることがある。
今回の参加者(高校生、演劇部三名)は、首を傾げていた。
死んだら二度と立ち上がってはならない。
それが現実=リアルな世界である。
私はリアルではない現象を生み出さないと面白くない!と思っている。
だから、殺されても何度も起き上がり「もういっぺん!」と繰り返す場面を組み入れる。
殺す側は何度も殺す。
死なない。
生きているのか、死んでいるのかわからない演技を組み立てる。
見る側に何が見えてくるか。
これを演技者が想像する。
見る側は俳優の汗を見ているだけかも知れない。
この時に静かな曲を流すと、同じ演技が変わったように見える。
それを体験する。
高校生たちは「不思議な感覚に襲われた。」と言った。
つまり、感情が多面的に転がったのだ。
「ことば=台詞」から、演技することによって「身体」探しをしていたのである。
「物語」は身体の中にもある。
自分の中の他人。
繰り返すことによる「ローリング」。
二重人格。夢遊病。・・・
言わずとも、それが浮かび上がっていたのである。
つづく。