山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

連載【2】ワークショップ

2009-05-01 18:22:27 | 企画2009~2015
 ※4月29日に実施された劇団夢桟敷「演劇ワークショップ」つづきの記事です。

 ■「ことば=台詞」以上に感動を生み出す場面作りのために。

 今回はテキストを使う。・・・いわゆる台本である。
 「読んでいるだけでは劇にならない。」
 これは「戯曲以上のものが舞台に現れてこないと演劇とは言えない!」
 という、私たちの一貫した取り組み姿勢である。

 役者体、肉体言語。

 「劇を作る/演技すること。」のサブタイトルを付け加えた。
 通常、物語には「起・承・転・結」を用いる。
 漫画で言う「四コマ」のようなもの。
 短編劇では「四コマ」で遊ぶこともある。
 しかし、今回の構成は「四コマ」を無視する。
 「起・承・転・結」がない。
 だから、テキストを読んだだけでは「物語」が見えない。
 こういう場合、<音>や<絵>を組み合わせることによって、感情のあり方を探る。

 ハサミで切り取って糊でくっつける作業を繰り返す。・・・感情を切ったり張り合わせること。

 この時点で「言っている意味がわからない。」と言われることがある。
 今回の参加者(高校生、演劇部三名)は、首を傾げていた。

 死んだら二度と立ち上がってはならない。
 それが現実=リアルな世界である。
 私はリアルではない現象を生み出さないと面白くない!と思っている。
 だから、殺されても何度も起き上がり「もういっぺん!」と繰り返す場面を組み入れる。
 殺す側は何度も殺す。
 死なない。
 生きているのか、死んでいるのかわからない演技を組み立てる。

 見る側に何が見えてくるか。
 これを演技者が想像する。
 見る側は俳優の汗を見ているだけかも知れない。
 この時に静かな曲を流すと、同じ演技が変わったように見える。

 それを体験する。
 高校生たちは「不思議な感覚に襲われた。」と言った。
 つまり、感情が多面的に転がったのだ。

 「ことば=台詞」から、演技することによって「身体」探しをしていたのである。
 「物語」は身体の中にもある。
 自分の中の他人。
 繰り返すことによる「ローリング」。

 二重人格。夢遊病。・・・

 言わずとも、それが浮かび上がっていたのである。

 つづく。

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