山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

久々の笠戸丸メンバー

2009-03-22 23:52:25 | unit劇団「笠戸丸」
 帰国一ヶ月を過ぎてのブラジル公演「報告会」だった。
 会場は熊本市中央公民館。この公民館は熊本市では一番古いと聞いている。
 昨年末よりエレベーターが止まったままになっている。熊本市にエレベーターを保守する予算がないのか。又は公民館は熊本市から見捨てられているのだろうか。
 それにしても、白川公園の横にある公民館から眺める満開の桜は見応えがある。生憎の小雨模様で花見客はなし。

 ブラジル公演に際して、寄付をして下さった方々やポルトガル語の指導、公演を後押し(制作関係)してくれた方々に来てもらった。50名程度の参加があった。
 司会は座長。今回の「報告会」では2週間に渡るブラジル滞在記をビデオでご紹介することになった。編集は田中幸太。彼がトークで紹介する形となる。
 
 劇団員たちも上映の合間に一言ずつ感想や意見を入れた。・・・立派なことを言おうとしてスベル者。何が何だかわからなくなってパニクル者。感動して泣きそうになり顔面引きつる者。
 若い役者たちの口下手は見ていて頬ずりしたくなる。ちっとも偉そうなところがない。要領が悪いところが愛すべきところ。未だ20代そこそこ・・・。

 未知の可能性を秘めた者たちばかりでブラジルに行って来たのだ。

 この日で劇団笠戸丸は解散となった。
 ユニットとして立ち上げた時は「百年に一度の劇団」と銘打った。これはブラジル移民百周年にあやかって結成されたためである。
 解散は前提であったが、今後の継続的な見通しや、今後の目標も出てきた。

 暫く、事務的な引継ぎと新しく集団が出来るまでの活動は劇団夢桟敷がやることになる。
 新しい集団とは・・・。
 実は、9年後にブラジルのプロミッソン市で「移植百年」の公演の話もあるからである。
 視野を広げて国際交流の演劇企画集団として活動を追求することとした。

 これからだ。
 そういう気持ちがあるから「解散」を淋しいとは思わない空気が流れていた。
 報告会が終わって、若者たちは三次会、朝まで飲んだり歌ったりしていたらしい。

 夜中に帰り着くと下関の母(92歳)が脳内出血で入院したという電話が入っていた。
 次から次へと色々ある。