lizardbrain

だらだらぼちぼち

甲子園で黙祷した日

2010年07月07日 22時11分06秒 | 風景光景
時系列に沿って話を進めるべきなのはよくわかっているのだが、今回もまた話の順番が前後する羽目になってしまった。
ジェフ・ベックのライヴの前日、チケットが取れたので、甲子園球場での阪神戦を観戦する事にした。



今回は誰に誘われたわけでもなく、どこの取引先からの接待でもなく、ワタクシ単身でのナイター観戦であった。
虎軍ファンの本拠に単独で乗り込む事になってしまったので、いつものジャビットの着ぐるみを着用するのは断念した。
ワタクシにとって、球場でジャイアンツ戦を観戦できる機会は1年に1度あれば良い方で、去年は確か、1度も球場で観戦する事ができなかった。
かつては明晰だったワタクシの脳内メモリーも経年変化とともにその品質に劣化が見受けられるようになり、おぼつかなくなっていく記憶をたどってみると、前回の甲子園行きは2007年の5月だった。
そうか、3年も行っていなかったのか、甲子園には。
3年ぶりという事よりも別な意味で、この日は特別な日になってしまった。
チケットを手配した時点では、まさかこんな日にナイター観戦に出かける事になろうとは思いもしなかった。
この日、4月7日の早朝、くも膜下出血に倒れその後の経過が心配されていたジャイアンツの木村コーチが、たくさんのファンの祈りも空しく、亡くなってしまったのだ。



試合開始前には気付かなかったのだが、木村コーチの追悼のため、スコアボードには半旗が掲げられていた。

チケットを買うときに座席位置を選べなかったから仕方がないのだが、今回ワタクシが座った席は、最悪のロケーションだった。
レフトポールのほぼ真後ろの、アルプス席の3段目。
座席が低い位置にあったので、ずら~っと並んだ他の観客席が邪魔で、ネット越しに内野方向を見ようとしてもほとんど見えない。
人間の頭と背中しか見えない。
しかも、その大半が黄色と黒の虎模様の衣装やらをマスコットバットやらを身に着けている。
内野が見えないのでバッターボックス方向に目を移そうにも、目の前にあるレフトポールが邪魔で全く見えない。
意を決して立ち上がってしまえば、バッターボックスに立つ打者を見えない事はない。
だが、周囲は全員虎ファンであろうからして、気の弱いワタクシとしては、後ろの人の視界を遮ってまでして打者を見る事などできない。
唯一、視界を確保できるのはレフトやセンターの外野方向のみという、入場料の7割くらいは返金してもらいたいような気分になってしまう。
だが、ここは虎ファンの巣窟。
どんな些細な不平不満のひとつでも顔に出してしまうと、恐ろしい結果を招いてしまいそうで、あきらめるしかない。

試合開始前に場内アナウンスがあり、観客は立ち上がって黙祷する。
もちろんワタクシも黙祷。
後で知ったことだが、この日は、他のセパ10球団の全ての球場でも同じように試合前に黙祷がささげられたという。
甲子園でジャイアンツのコーチの死に対して静かに黙祷する虎ファン達を見て、ちょっと見直す。

          

巨軍の監督、コーチ、選手は全員がユニフォームの袖に喪章を付けての出場。
広島時代に木村コーチと一緒にプレーした金本選手や新井選手達も、喪章をつけていた。

途中、センター松本がダイビングキャッチを成功させた時は、ここがどこだかと言うことを忘れてしまい、思わず立ち上がって拍手してしまったのだが、どうしようもなく重たいゲームだった印象が強い。
その上、この日はとても寒くて、ラジオの実況によると、アルプス席あたりの体感温度は8度だという。
ずぶ濡れになるような雨量ではなかったが、一時は雨まで降り出したので、三宮のダイエーで買っておいたレインポンチョを着たまんま、雨が止んでも脱ぐことができないほどに寒くて仕方がなかった。

そうそう、三宮で中古CDショップを見つけたのは、この日の午後だった。

寒さの余りと、帰りの電車の大混雑を嫌って、巨軍がリードしている8回終了ともに甲子園を後にした。
絶対に落とせないゲームだったが、よくぞ勝ってくれたものだ。
観戦するワタクシなんぞよりも、選手達にはうんと重たいゲームに感じたに違いない。
試合開始前の守備練習のノック中に、去年まで現役だった若いコーチがくも膜下出血で倒れて、選手・観客の見つめる中で心臓マッサージを受けて救急搬送され、意識の戻らないまま亡くなってしまうなんて、決して、そんな事があって良いわけがない。
首脳陣、選手達に木村コーチが急逝したショックが残っていないわけがない。
今でも皆、それと戦いながらゲームに臨んでいるのだろう。
何としてでも勝ち残らなければならない、、、、、、、大きな重圧に負けずに、頑張って欲しいな