動物の生き残り戦略(1)-捕食者からの逃走と必須栄養素の確保-
前回まで,植物の不思議な世界,と題して3回にわたって,植物の生態について書きました。
その最後の記事(3)「植物の自衛戦略」では植物が身を守る戦略について書きました。
植物は,捕食者から逃げることができないので,毒(アルカロイド,ニコチン,フラボノイドなどの二次化合物)を葉や
果実に送って,被害を最小限に食い止めようとします。
これらの“毒”は,植物にとっては同時に病原体などから身を守る薬でもあります。これについては次回にゆずり,
今回は捕食者から逃げる方法と必須栄養素の確保について書きます。
まず捕食者から逃れる方法ですが,そのために,捕食者の存在をいち早く察知し,事前に逃走を図ります。
捕食者を察知するために,鋭い嗅覚,聴覚,皮膚感覚,遠くまで見通す視力などなど,五感を総動員します。
私は,ある種の「気」を感じる能力も,重要な役割を果たしているのではないかと考えています。
たとえば,目の前にいるハエを本当に叩きつぶそうとしてハエたたきを振り上げたときには,ハエはぱっと飛び去って
しまいます。
しかし,うるさくて追い払おうとするだけの時には,ハエはそれほどあわてません。
また,道に寝そべっているイヌやネコなども,本当に叩こうとすると,さっと逃げますが,そうでないときには,
人が至近距離に近づくまで悠然としています。
このような場面で,ハエやイヌやネコは「殺気」という「気」を感じているのではなかと考えざるを得ません。
人も本来は,このような「気」を感じる能力をもっていたはずです。
鈴木大拙は『禅の研究』の中で,昔の武士は,闇夜に後ろからいきなり斬りつけられても,武士たるものは,
その「殺気」を感知し,刀を少しでも抜いていなければならなかったそうです。
また家を出るとき,門の外に刺客が隠れていても,それを門の内側で事前に察知できなければ真の武士ではない,
と考えられていました。
人間も動物であり,遠い昔には同じような能力をもっていたにちがいありません。
しかし文明の利器は,「気」も含めて身体感覚で身を守る必要を不要にしてきたのだと思います。
さて,再び人間以外の動物の生き残り戦略について考えてみましょう。
物理的に危険から逃れる方法としては,体の形態や色を変える擬態によって捕食者から見えにくくすることがよく
知られています。
あるいは特殊な匂いを発散して,捕食者を遠ざける虫や動物もいます。
さらに,群れを組んで集団の威圧で肉食動物から身を守る草食動物もいます。
私は,オーストラリアの中央部で,野生化した30頭ほどのラクダが,子どもを中に入れて円陣を組み我々を威嚇
した場面に遭遇したことがあります。
これらは,捕食者から逃れる直接的な生き残り戦略といえます。
次に,動物が生命を維持し,病を癒すのに必要な物質をどのように手に入れるのかをみてみましょう。
これについて,「植物の自衛戦略」の記事でも引用した,シンディ・エンジェル『動物たちの自然健康法』(紀伊國屋書店
2003年)を手掛かりに考えてみます。
まず,通常の炭水化物,脂肪,タンパク質,ビタミンなどの基本的な栄養素は,植物が生産した一次代謝に必要な化合物
から,あるいはそれらを食べた動物から手に入れます。
そして,動物が必要とする銅,マンガン,亜鉛,セレン,クロムなどの微量金属,さらにはカルシウムやナトリウム
(通常は塩の形で)など,ミネラルは植物をとおして,あるいは直接に土などから取り入れています。
ここで大切なことは,これらの微量金属やミネラルは自然界において,動植物や土の間を循環しているという事実です。
ミネラルに関しては,興味深い動物の行動が観察されています。
カメはカルシウムが不足すると甲羅がゆるみ体調を崩してしまいます。身近にカルシウムを供給する植物や土がないとき,
カメはそれを求めて移動します。
たとえば,アメリカのアナホリガメはカルシウムを求めて長い旅をし,その埋蔵場所に着くと土を掘って,地下に閉じ込め
られたカルシウムを延々と食べます。
また,妊娠中や授乳中のラットは大量のカルシウムが必要になるので,それを含む食物を求めたり,ホルモンの分泌を変えて
カルシウムを摂取しやすくします。
シカの仲間は角が生え替わるときに大量のカルシウムとリン酸を必要とします。ヘラジカの場合,1日に何と400グラム
もの新たな角の組織を作ります。
通常の食物から必要量が得られない場合,自分の骨からカルシウムを回します。それでも必要量が満たされない場合,
地面に落ちている他のシカの角をかじって摂取します。
同じように,草食動物のラクダが地面に落ちていた野生のラクダの死骸を見つけると,頭骨をガリガリと食べたことも観察
されています。
同様の光景は,ヒツジについても観察されています。こうして動物はミネラルの再利用もしています。
カルシウム以外でも,銅が欠乏するとウシは免疫機能をそこない,細菌性の病気や寄生虫病にかかりやすくなるし,
セレンが不足すると家畜は病気にかかりやすくなるし,亜鉛不足はブタ,ラット,ヒツジで難産を引き起こします。
また,クロムは家畜のストレスを軽減し精神的安定にも関与しているようです。
動物たちはホルモンの調整で,これらの微量栄養素を正しい割合で摂っているようです。
銅についても興味深い話があります。ある生物学者は,ウシの群れが1本の樹の周りに群がって樹皮を食べたり舐めたりして
いる光景を目にして,近づいてみると,ウシたちはこの樹皮には1本の銅製の釘が埋め込まれていたことを確認しています。
動物が自然界から微量栄養素を求めることは日本でも広くみられます。
私は中学生の時,山岳部を作り,南アルプスの前衛の山々を歩き回りました。
当時は地図の見方も分からず,しばしば道に迷って苦労しました。その主な理由は「けもの道」に迷い込んでしまったことです。
「けもの道」とは,野生の動物たちが頻繁に歩くので,あたかも人工の道のようになっている道で,
それを進むと最後には「べと場」と呼ばれる土が露出した斜面に行き当たります。
「べと場」は上にふれた微量要素(塩などのミネラルと微量金属)を含む場所で,あらゆる種類の動物たちがそこの土を食べに
来ます。
以前,NHKのある番組は,「べと場」の土を上野動物園の動物の前に置いたところ,むしゃむしゃと食べ始めた様子をとらえ
ていました。
動物たちは,自分の健康を維持するに必要な栄養素の不足を感知する能力をもっていますが,人間はその能力が退化してしまって
いるので,それらの不足により病的な症状がでるまで分かりません。
見た面は立派に見える野菜などでも,今回書いたような微量栄養素が欠けていては,健康な食物とはいえません。
最近の日本人の健康が微妙に脅かされている原因は遠因には,微量栄養素の欠乏が関係しているのかも知れません。
微量栄養素と私たちの健康との関係については,分かっている部分もありますが,まだまだ未知の部分がたくさんあります。
これは,今後の医学の重要な課題です。
前回まで,植物の不思議な世界,と題して3回にわたって,植物の生態について書きました。
その最後の記事(3)「植物の自衛戦略」では植物が身を守る戦略について書きました。
植物は,捕食者から逃げることができないので,毒(アルカロイド,ニコチン,フラボノイドなどの二次化合物)を葉や
果実に送って,被害を最小限に食い止めようとします。
これらの“毒”は,植物にとっては同時に病原体などから身を守る薬でもあります。これについては次回にゆずり,
今回は捕食者から逃げる方法と必須栄養素の確保について書きます。
まず捕食者から逃れる方法ですが,そのために,捕食者の存在をいち早く察知し,事前に逃走を図ります。
捕食者を察知するために,鋭い嗅覚,聴覚,皮膚感覚,遠くまで見通す視力などなど,五感を総動員します。
私は,ある種の「気」を感じる能力も,重要な役割を果たしているのではないかと考えています。
たとえば,目の前にいるハエを本当に叩きつぶそうとしてハエたたきを振り上げたときには,ハエはぱっと飛び去って
しまいます。
しかし,うるさくて追い払おうとするだけの時には,ハエはそれほどあわてません。
また,道に寝そべっているイヌやネコなども,本当に叩こうとすると,さっと逃げますが,そうでないときには,
人が至近距離に近づくまで悠然としています。
このような場面で,ハエやイヌやネコは「殺気」という「気」を感じているのではなかと考えざるを得ません。
人も本来は,このような「気」を感じる能力をもっていたはずです。
鈴木大拙は『禅の研究』の中で,昔の武士は,闇夜に後ろからいきなり斬りつけられても,武士たるものは,
その「殺気」を感知し,刀を少しでも抜いていなければならなかったそうです。
また家を出るとき,門の外に刺客が隠れていても,それを門の内側で事前に察知できなければ真の武士ではない,
と考えられていました。
人間も動物であり,遠い昔には同じような能力をもっていたにちがいありません。
しかし文明の利器は,「気」も含めて身体感覚で身を守る必要を不要にしてきたのだと思います。
さて,再び人間以外の動物の生き残り戦略について考えてみましょう。
物理的に危険から逃れる方法としては,体の形態や色を変える擬態によって捕食者から見えにくくすることがよく
知られています。
あるいは特殊な匂いを発散して,捕食者を遠ざける虫や動物もいます。
さらに,群れを組んで集団の威圧で肉食動物から身を守る草食動物もいます。
私は,オーストラリアの中央部で,野生化した30頭ほどのラクダが,子どもを中に入れて円陣を組み我々を威嚇
した場面に遭遇したことがあります。
これらは,捕食者から逃れる直接的な生き残り戦略といえます。
次に,動物が生命を維持し,病を癒すのに必要な物質をどのように手に入れるのかをみてみましょう。
これについて,「植物の自衛戦略」の記事でも引用した,シンディ・エンジェル『動物たちの自然健康法』(紀伊國屋書店
2003年)を手掛かりに考えてみます。
まず,通常の炭水化物,脂肪,タンパク質,ビタミンなどの基本的な栄養素は,植物が生産した一次代謝に必要な化合物
から,あるいはそれらを食べた動物から手に入れます。
そして,動物が必要とする銅,マンガン,亜鉛,セレン,クロムなどの微量金属,さらにはカルシウムやナトリウム
(通常は塩の形で)など,ミネラルは植物をとおして,あるいは直接に土などから取り入れています。
ここで大切なことは,これらの微量金属やミネラルは自然界において,動植物や土の間を循環しているという事実です。
ミネラルに関しては,興味深い動物の行動が観察されています。
カメはカルシウムが不足すると甲羅がゆるみ体調を崩してしまいます。身近にカルシウムを供給する植物や土がないとき,
カメはそれを求めて移動します。
たとえば,アメリカのアナホリガメはカルシウムを求めて長い旅をし,その埋蔵場所に着くと土を掘って,地下に閉じ込め
られたカルシウムを延々と食べます。
また,妊娠中や授乳中のラットは大量のカルシウムが必要になるので,それを含む食物を求めたり,ホルモンの分泌を変えて
カルシウムを摂取しやすくします。
シカの仲間は角が生え替わるときに大量のカルシウムとリン酸を必要とします。ヘラジカの場合,1日に何と400グラム
もの新たな角の組織を作ります。
通常の食物から必要量が得られない場合,自分の骨からカルシウムを回します。それでも必要量が満たされない場合,
地面に落ちている他のシカの角をかじって摂取します。
同じように,草食動物のラクダが地面に落ちていた野生のラクダの死骸を見つけると,頭骨をガリガリと食べたことも観察
されています。
同様の光景は,ヒツジについても観察されています。こうして動物はミネラルの再利用もしています。
カルシウム以外でも,銅が欠乏するとウシは免疫機能をそこない,細菌性の病気や寄生虫病にかかりやすくなるし,
セレンが不足すると家畜は病気にかかりやすくなるし,亜鉛不足はブタ,ラット,ヒツジで難産を引き起こします。
また,クロムは家畜のストレスを軽減し精神的安定にも関与しているようです。
動物たちはホルモンの調整で,これらの微量栄養素を正しい割合で摂っているようです。
銅についても興味深い話があります。ある生物学者は,ウシの群れが1本の樹の周りに群がって樹皮を食べたり舐めたりして
いる光景を目にして,近づいてみると,ウシたちはこの樹皮には1本の銅製の釘が埋め込まれていたことを確認しています。
動物が自然界から微量栄養素を求めることは日本でも広くみられます。
私は中学生の時,山岳部を作り,南アルプスの前衛の山々を歩き回りました。
当時は地図の見方も分からず,しばしば道に迷って苦労しました。その主な理由は「けもの道」に迷い込んでしまったことです。
「けもの道」とは,野生の動物たちが頻繁に歩くので,あたかも人工の道のようになっている道で,
それを進むと最後には「べと場」と呼ばれる土が露出した斜面に行き当たります。
「べと場」は上にふれた微量要素(塩などのミネラルと微量金属)を含む場所で,あらゆる種類の動物たちがそこの土を食べに
来ます。
以前,NHKのある番組は,「べと場」の土を上野動物園の動物の前に置いたところ,むしゃむしゃと食べ始めた様子をとらえ
ていました。
動物たちは,自分の健康を維持するに必要な栄養素の不足を感知する能力をもっていますが,人間はその能力が退化してしまって
いるので,それらの不足により病的な症状がでるまで分かりません。
見た面は立派に見える野菜などでも,今回書いたような微量栄養素が欠けていては,健康な食物とはいえません。
最近の日本人の健康が微妙に脅かされている原因は遠因には,微量栄養素の欠乏が関係しているのかも知れません。
微量栄養素と私たちの健康との関係については,分かっている部分もありますが,まだまだ未知の部分がたくさんあります。
これは,今後の医学の重要な課題です。