大木昌の雑記帳

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「子宮頸がんワクチン」の定期接種化の問題点-有効性・副作用・費用-

2013-05-31 21:18:29 | 健康・医療
「子宮頸がんワクチン」の定期接種化の問題点-有効性・副作用・費用-


政府・厚生労働省は4月から,子宮頸がんで年間2700人ほどが死亡している現状にたいして有効であると考えられる
予防ワクチンの接種を,小学校6年生から高校生を対象に,自治体への補助も含めて定期接種(無料化)とすることを
決めました。

たとえば栃木県大田原市で今年の5月に実施された事例では,1人当たり4万5000円を全額市が負担して小学6年
の女子334人のうち,329人の希望者に集団接種を実施しました。

ここで,子宮頸がんとワクチンについて三つ確認しておきたいことがあります。

まず子宮頸がんは,性交渉によるヒトパピローマウイルス(HPV)への感染が原因とされており,厚労省はワクチン
接種によって予防できると考えています。

ただし,これは既に感染(必ずしも発病しているとは限りません)している場合には全く治療効果はありません。

したがって,まだ性行動に入る前の小学生から高校生までがワクチン接種の対象となります。

このため,上に示したように,接種は自治体の主導で学校単位の集団接種という形を取ることが多くなります。

この小学校の場合,98.5%の女子児童が接種を受けています。

二つは,子宮頸がんはワクチンを接種しなくても定期的に検診を受けることでほぼ100%予防が可能であることです。
これは厚労省も医師も一般に認めています。

以上を念頭において,ワクチン接種に関連した最近の動きをみてみましょう。

毎年,2700人から3000人が子宮頸がんで亡くなっていることを踏まえ,政府はワクチン接種でこれを減らすことが
できると考え定期接種を導入しました。

しかし,これまでにワクチン接種の副反応(副作用)であると考えられる2件の死亡および重症の事例を含む,
多くの被害者が発生しています。

こうした現実を背景として,ワクチン接種の被害者の保護者が中心となって組織された「全国子宮頸がんワクチン
被害者連絡会」は,厚生労働省にたいして,4月から定期接種(無料接種)を始めた子宮頸がんワクチン接種の
中止を求める嘆願書を提出しました。

これを受けて5月16日,子宮頸(けい)がんのワクチン接種後の健康被害が報告されている問題で,厚労省の
検討会は医療機関などから,報告されていない例も含めて実態調査を行うことを決定しました。

販売が開始された2009年12月から2013年3月末までに推定で,計340万人が接種を受け,副作用が認められ
たのは1926人(0.05%),このうち重篤なものは861人(0.025%)でした。(注1)

厚労省によると,製薬会社のグラクソ・スミスクライン製造のワクチンでは医療機関から1001件,製造販売会社
から704件,別の製薬会社(旧万有製薬)機関から1001件、製造販売会社から704件、別の製薬会社のMSD
(旧万有製薬)製造のワクチンは,医療機関から195件,製造販売会社から68件,接種後に何らかの異常な
反応があったとの報告がありました。

厚労省は,データが不足しているので,接種と副作用の因果関係は断定出来ないので調査は続けるが,定期接種
を中断する必要はない,という姿勢を貫いています。

私は,製薬会社と製造販売会社からの報告が本当かどうか,この点でも疑問をもっています。

『産経新聞』の電子版(2013年5月29日)は,ワクチンを接種することによって子宮頸がんを70%減少させる
ことが期待できること,「ワクチンで防げるがんは防ぎたい」という医師の声を引用しています。

つまり,ワクチンをしなくても定期検診さえしていれば,子宮頸がんはほぼ100%予防できるが,
この検診率が欧米先進国では60~80%であるのにたいして日本は20%に留まっていることが問題だ,
というのです。

ワクチン導入に積極的な人たちは,2006年にアメリカで承認されて以来,このワクチンは世界で100カ国以上で
使用され,既に1億人以上が接種していること,そして,それらの国では子宮頸がん病変の減少が認められている
ことなどを,主張の根拠としています。

しかし,こうした主張をそのまま受け容れるのは危険です。

子宮頸がんのワクチンが定期予防接種として認められた直後の3月28日,「生活の党」のはたともこ参議院議員
は薬剤師でもあり,その立場から厚生労働委員会の委員ではないのに特別にこの委員会での質疑を認められて質問
をしています。

この時の質疑応答の内容は新聞などであまり詳しく報道されていないので,重要な部分だけを引用しておきます。
なお,はた氏は自身のブログでさらに詳しい調査結果と解説をしているので,それも合わせて,ワクチンの定期接種
の問題点を要約しておきます。(注2)

まず,性活動をしている日本の女性の50%はHPVに感染しているが,そのうち90%は自然に排泄され自然
治癒しているので,何の症状ももたらさないことを厚労省も認めています。

次に,現在日本で認可されているワクチンはガーダシル(MSD社)とサーバリックス(グラクソ・スミソクラ
イン社)ですが,日本ではほとんどが後者です。

これらは16型と18型のウイルスに対してのみ有効である,という点が重要です。この二つは欧米に多いウイルス
のタイプですが,日本では52型と58型も高危険なウイルスです。

日本人の一般女性でHPVの16型に感染している人は0.5%,18型は0.2%です。うち,18型は日本では
自然治癒することが多いので,実際には,99.5%の人は感染していないウイルスのためのワクチン接種だった
ことになります。
厚労省も99.9%意味がないことを認めているようです。

しかも,万が一感染していても,発病する可能性はさらに低く,そして,たとえ持続的に感染して前駆病変が現れ
ても,適切に治療すれば100%治癒することは広く認められています。

ワクチンの問題は,その副作用にありますが,これについても現在使用されているワクチンにはかなり重大な問題
があります。

日本では医薬品として認可されるためには,その薬品の効果や有害性などを,人間に適用して確かめる「治験」が
義務づけられています。

主として日本で使われているグラクソ・スミスクライン社のサーリバックスについての治験は612例(年齢などは
不明)あり,そのうち99%に疼痛(筋肉注射時の疼痛だと思われる),発赤が88.2,腫脹が78.7%,
57.7%に疲労,その他,頭痛,吐き気,下痢などの胃腸症状,関節痛,発疹,発熱などの報告があります。

死亡例やショック・アナフラキシー様症状などの重篤なものについては,海外では報告がありますが,日本での
治験ではみられなかったために,「頻度不明」とされています。

『毎日新聞』(5月16日)に14才の被害者の保護者から寄せられた実例では,接種後に足や腕の痛みを訴え,
現在,歩行時には車椅子が必要となってしまい,今年の3月からは休学に追い込まれています。

他方のガーダルシアも危険がいっぱいで,アメリカ,オーストラリア,インド,韓国などでワクチン接種により
高頻度の重篤患者が発生しています。日本ではあまり普及していないガーダルシアを個人輸入で入手し使用して
いる日本人医師もいるようですが,非常に危険です。

これだけの問題がありながらも,本来欧米人に多く見られる16型,18型のウイルス用に開発されたワクチン
を日本の若年女子に定期接種を適用するのは,かなり問題です。

ワクチンが副作用をともなう危険をもっている上に,ワクチンの有効期限も不明なままです。一説には6~8年
と言われていますが,製薬会社はこれについて確かなことは言っていません。

さらに,ある意味で馬鹿げているのは,これらのワクチンの説明によれば,ワクチンは定期検診の代わりには
ならないから,かならず定期検診と併用することを謳っています。

定期検診をすればほぼ100%予防でき来ることがわかっているのに,なにもわざわざ危険を伴うワクチン接種
する意味は全くありません。

さらに私は,このワクチンを製造しているグラクソスミスクラインという会社(本社はイギリス)に,大きな
疑念をもっています。

この会社は,抗うつ剤としてよく使われる「パキシル」を製造販売していますが,パキシルが自殺の誘因となる
薬であるにもかかわらず不正販売促進したとの理由で訴えられ,2012年には医療訴訟の和解金としては全国史上
最高額の30億ドル(当時の為替レートで2400億円)を連邦政府と州政府に払っています。

さらに,この薬を売るためにホストの医師と「さくら」の被験者を使って宣伝させました。その際,その医師に
27万5000ドルのキックバックを支払ったこともあります。

また,未成年には使用できなことになっているこの抗うつ剤を,平気で販売していることもこの企業に対する
批判の対象になっています。

パキシルは,日本では何の批判もなくほとんど無制限に使用されています。そのため,2003年には310億円,
2005年には450億円,2007年には590億円を,たった一つの薬だけで売り上げています。(注3)

また,以前,インフルエンザの世界的流行が懸念されたとき,そのワクチンを提供したのもグラクソスミスク
ライン社で,それが日本に到着したときには下火になっていましたので,ほとんど使用しないまま,廃棄され
ました。

この時の金額は1400億円でしたが,同社は途中解約を認めず,日本は全額払いました。

私は,ほとんど効果がない,あるいは意味のない子宮頸がんワクチンを日本の厚労省なぜ集団接種させようとし
ているのか,とうてい理解出来ません。

健康上の問題に加えて,経済的にも大いに問題があります。冒頭に引用した栃木県の例では,1人当たり
ワクチン接種費用は4万5000円でした。このうちいくらがグラクソスミスクライン社に入るのかは分かりま
せんが,仮に3万円としても,既に340万人が接種しており,これだけでも1000億円を超えます。

さらに,これから厚労省は,小・中・高校で女子にたいする集団接種を公費で行おうとしています。これまで
グラクソスミスクラインがやってきたことを考えると,どうしてもこの会社も厚労省も信用できません。

実質的な効果がなく,反対に危険をはらんだワクチンに日本は莫大なお金をグラクソスミスクライン社に与える
ことになるのでしょうか?

医療の問題はいつも,「因果関係が確認できない」という言い方で歴代の政府は対応をごまかしてきました。
その結果,水俣病やサリドマイド禍で,多数の悲惨な被害者を出してきたのです。今回の子宮頸がんワクチン
の定期接種は是非止めるべきです。



(注1)これらの数値については,新聞や製薬会社,医療機関によって異なるが,次の新聞やインターネットサイトを参照されたい。
『毎日新聞』(2013年5月16日)
http://www.asahi.com/national/update/0516/TKY201305160077.html (『朝日新聞』電子版 2013/5/16)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1600X_W3A510C1CR0000/ (『日本経済新聞』 電子版 2013/5/29)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130529/bdy13052907530001-n2.htm (「産経新聞ニュース」 電子版 2013/5/29)

(注2)この時の質疑応答の映像は,http://memogoldentama2.blog.fc2.com/blog-entry-333.html 
(ブログ 「放射能・災害・経済関連ニュースメモ」2013/4/7 )に埋め込まれた You Tubeでみることができます。また,畑ともこ氏は氏のブログでさらに詳しく説明しています。
http://blog.goo.ne.jp/hatatomoko1966826/e/e20a38c2b991d514c59fcf958644094d.

(注3)パキシルの問題に関しては,さし当たり,
http://www.news-postseven.com/archives/20120806_132299.html (2013/05/31参照)
http://www.yakugai.gr.jp/inve/fileview.php?id=67 (2013/05/31 参照)

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安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(5)-憲法改正手続と「96条」の改変-

2013-05-27 10:14:00 | 政治
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(5)-憲法改正手続と「96条」の改変-


安倍首相は最近,憲法改正を直接口にしないで,しきりに憲法改正の手続きを定めた現行憲法第九章第九十六条の改正だけを強調するようになります。

これに追随するかのように,マスメディアも「96条」ばかりを扱うようになっています。まず,この手続きを定めた第九十六条第一項の全文を示しておきます。

    この憲法の改正は,各議員の総議員の三分の二以上の賛成で,国会が,これを発議し,国民に提案してその承認を経なければならない。
    この承認には,特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において,その過半数の賛成を必要とする。

これにたいして自民党の「憲法改革草案」では,第十章「改正」を設け,第一項で次のように規定しています。

    この憲法の改正は,衆議院又は参議院の発議により,両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が決議し,
    国民に提案してその承認を得なければならなない。この承認には,法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数
    の賛成を必要とする。

上の条文を比べてみればその差は明らかで,次の2点につきます。

第一点は,現行憲法では憲法改正の発議には両院の総議員の「三分の二以上」の賛成を必要とする,としているのに対して,「草案」では「過半数」と,
改正を発議するハードルが非常に低くなり,改正の発議を容易にしています。

第二点は,国民投票の結果,現行憲法では「その過半数」の賛成を必要とするとしているのに対して,「草案」では「有効投票の過半数」の賛成を
必要としています。

ここで問題は,「有効投票の過半数」という点です。つまり,「草案」では投票率とは関係なく,実際に投票した人の過半数があれば,憲法を改正
できることを明確にしているのです。

最近の国政選挙の投票率をみると40%台であることが珍しくありません。すると,全有権者の20%台の賛成でも憲法の改正が可能になって
しまうのです。

こんなに低い賛成で憲法という,国の骨格を規定する最高法規が変えられてしまうのはかなり危険なことです。

たとえば,今月26日に行われた小平市の住民投票で,投票率が50%に達しなかったため,今回の住民投票は無効とされました。

憲法の改正に当たっては,最低でも50%,個人的には70%から80%以上の投票率が必要だと考えています。

現行憲法では,この点を明確にしていないので,いざ本当に憲法改正の国民投票が行われるという事態になったときには,投票率の問題を再度検討
し直す余地を残しています。

以上の説明で,自民党の「草案」の狙いは明らかです。安倍首相は,本来の目的である「九条改正」を全面的に出すことなく,あくまでも,
その入り口である手続規定に当面の目標を限定しています。

これは,今年の7月に行われる参議院選をにらんで,あまりに刺激的な「九条改正」を正面に据えると,参議院選に不利になると考えているからです。

つまり,本性は隠してたままで参議院選を有利に闘おうとしています。

選挙が終わるまでは,とにかく経済の再建,デフレからの脱却と景気浮揚で行くべきだという判断です。

したがって,「九十六条」に限定しているのは,あくまでも選挙対策で,だまし討ちのような形になっています。

安倍首相は,なぜ発議の要件を「過半数」にハードルを下げるのかという質問に,説得力のある答えをしていません。

というのも,ただただ,憲法を変えたいという目的を現在では隠したままにしているので,どう答えても説得力がなく説明が嘘っぽくなるのは当然です。

安倍首相は,ドイツやフランスでもしばしば改憲をしているではないか,という外国の事例を持ち出しています。

しかし,ドイツやフランスが憲法を変えているのは,EU(欧州連合)という大きな枠組みを有効にするために,自分たちの国家主権を一部,
EUに譲るための改憲なのです。

言い換えれば,独・仏の場合,ナショナリズムとは逆に,EU(欧州連合)という大義のためにナショナリズムをできるだけ弱めてゆこうと
する改憲なのです。

これにたいして安倍氏の改憲は,ナショナリズムを強化するための改憲なのです。


もし,安倍首相がこの事実を知らなかったとすれば,本当に勉強不足だし,もし事実を知っていたとすれば国民を欺く言動です。


それは,自衛隊を正規の軍隊に改変し,「戦争の放棄」を事実上「放棄」して「自衛のためなら戦争ができる」ようにし,国民の自由を「公共及び公の秩序
に反しない限り認める」という縛りを設ける,という項目と一体となっています。

一言で言えば,安倍自民党の考えは,「国民があって国家がある」のではなく,「国家があって国民がある」,という極めて国家主義的な立場です。

自民党が目指す憲法というのは,国家が国民を統治するための統治手段ある,という基本姿勢がそこに貫かれています。

安倍自民党は,憲法とは国民が政治権力を監視し縛るための最高法規である,という「立憲主義」という立場と全く逆立ちしていることがよく分かります。

安倍氏は,「立憲主義」「立憲国家」こそが,幾度も戦争を繰り返して多大な犠牲を払ってきた世界の国々が到達した結論だったことを忘れています。

安倍氏が繰り返し語り,ポスターなどにも書かれている,「日本を取り戻す」という言葉の真意は,国家が国民を統治する国家主義的な日本を取り戻す,
ということに他なりません。

ところで,安倍氏の戦略は,ここにきて少し修正と再考を迫られています。

一つは,どうやら国民は九十六条の改正にあまり熱心ではないということがアンケート調査結果の数字に現れている事実です。つまり,現在では改正に
賛成よりも反対の方が多いのです。

二つは,政権与党を担うもう一方の勢力,公明党が憲法改正に慎重な態度を崩さないことです。

ごく最近では,今度の参議院選では,自民党と公明党は,この点に関して統一した見解をとらないことを表明しています。

三つは,自民党にとっての誤算です。「維新」が改憲に賛成しているので,勢いのある「維新」の当選者を加えれば,参議院でも過半数
は確実と読んでいました。

しかし,最近の「維新」の共同代表の橋下氏の「従軍慰安婦」に関する発言,沖縄の米軍への「風俗活用」のすすめ,などで,「維新」は国民から
強い批判を浴び,
かつての人気はすっかり落ち込んでしまいました。

しかも,「従軍慰安婦は必要」発言は,橋下氏の個人的な見解とは言えなくなった事情があります。といのも,もう一人の共同代表である石原氏も
橋下氏の発言を肯定しています。

こうなると,共同代表二人が「従軍慰安婦は必要」発言を肯定しているわけですから,これは,どのように言い訳しようが,二人の代表が辞任でも
しない限り,「維新」という政党の基本的な見解とみる他はないでしょう。

最後に,阿部自民党人気の生命線ともいえる「経済」分野で,異次元の金融緩和とそれによる円安,という劇薬がもたらした副作用が,予想された通り
,噴出しつつあることです。

輸入品価格の高騰(エネルギー,原材料,食糧の高騰),国債の下落による長期金利の上昇,株の乱高下などの副作用が,アベノミクスのプラス効果よりも
大きくなりつつあるのです。

これについては,別の機会に詳しく検討しようと思います。

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安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(4)-憲法第三章「国民の権利と義務」-

2013-05-22 22:15:55 | 政治
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(4)-憲法第三章「国民の権利と義務」-


憲法の第一章(天皇)と第二章(安全保障・戦争放棄)は,国家全体にかかわる規定ですが,「国民の権利と義務」を定めた第三章は,
私たち国民の一人一人の権利と義務に関わる重要な章です。

今回検討する第三章は,現行憲法も自民党の「改正草案」も,タイトルも同じで,条文の数も第十条から第四十条までと同じです。

しかし,それぞれの内容に大きな違いがあります。

まず,第十一条で,現行憲法も改正草案も,基本的人権は全ての国民に与えられることを宣言しています。

それに続く第十二条で,現行憲法は,
  
又,国民は,これを濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

と基本的人権を公共の福祉のために利用しなさい,と述べています。

これにたいして「草案」の第十二条は,
  
これを濫用してはならず,自由及び権利には責任が伴うことを自覚し,常に公共及び公の秩序に反してはならない。

と自由に伴う責任を強調しています。自由及び権利に責任および義務がともなうことは,わざわざ言わなくても分かり切ったことですが,それを敢えて
条文に加えたのは,続く文言とも密接に関連しています。

つまり,基本的人権を行使する場合,「公共及び公の秩序に反してはならない」という規定です。

全く同じ構造が,後で検討する,表現の自由(第二十一条)に関する条文にも登場します。

問題は,「公共及び公の秩序」に反しているかどうかを誰がどんな基準で判断するのか,と言う点です。

もし,時の権力(具体的には政府)が,ある言動を,「公の秩序に反している」と判断すれば,その言動をした人は憲法違反を問われることになります。

これは,建前として基本的人権を認めながら,それが時の権力(政府)の解釈によって,どうにも制限できることを意味しています。

次に,第十九条は,現行憲法で「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。」と端的に表現されています。

第十九条は,自由主義国家として,もっとも基本的な国民の権利を定めたものです。

これが「改正草案」では最後の部分が「侵してはならない」から「保障する」に変更されています。

ここはたんなる表現の違いのよう見えますが,微妙な視点の移し替えが行われています。

つまり,現行憲法では,たとえ国家といえども「侵してはならない」と,国民が国家にクギをさしている,という視点がはっきりと示されています。

これに対して「草案」では,「国が保障してやる」という,国家の視点に変わっているのです。

第十九条に続く第二十条は,思想及び良心の自由と関連して,信教の自由という,これもまた,国民の思想及び良心の自由を密接不可分の
基本的権利の規定です。

現行憲法では,信教の自由が保障されると同時に,
   
いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
   何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない。
   国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。
   
として,国の政治と宗教とは分離すべきである(政教分離),という近代国家の原則が述べられています。
「改正草案」では,最後のところを微妙に修正しています。つまり,
   
国及び地方自治体その他の公共団体は,特定の宗教のための教育その他の宗教活動をしてはならない。ただし,
社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては,この限りではない。

と,ただし書きが付け加えられています。ここで問題となるのは,どこまでが「社会的儀礼又は習俗的行為」なのかを,誰がどのような基準で
判断するのか,という点です。

靖国参拝なども「習俗的行為」に拡大解釈されるかもしれません。

結局,この判断も時の政治権力をもっている者の主観的な判断で決まる余地を残しています。

さて,「戦争放棄」と並んで,議論の対象となっているのが,「表現の自由」を規定した第二十一条です。

現行憲法では,

   集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。

と極めて端的に,無条件で表現の自由を認めています。

ここでは,一般に表現の自由が認められるという基本的な権利を述べているだけでなく,国民が時の権力にたいして抗議したり反論することが認め
られて初めて,民主国家の正統性が担保されることを確認しているのです。

ところが「改正草案」の第二十一条の第一項では,
   
集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は保障する。

として,現行憲法と同じですが,問題はその第二項です。
  
 前項の規定にかかわらず,公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い,並びにそれを目的として結社をすることは,認められない。

この第二項で,第一項の表現の自由は,簡単にひっくり返されてしまいます。

つまり,何が「公益」で何が「公の秩序」を害することになるのかは,どこにも基準が示されていないのです。

従って,これも,時の権力がかなり勝手に解釈できる,権力のさじ加減一つで決まるということになります。

たとえば,原発を無くせ,というデモを国会や首相官邸の周辺で行った場合,それが交通を妨げ,物音で周囲に迷惑をかける,という理由で
「公の秩序」を害すると判断される可能性もあるのです。

また,政府に都合が悪いことを書いたり放送したりすることが,「公の秩序を害する」と判断されるかも知れません。

ある自民党議員は,「そなんなことはまったく考えていない」と答えていました。しかし私は,別の面で,この規定には大きな不安を抱いています。

というのも,最近のマスメディアの姿勢には,無言の圧力を察知して,直接の圧力を受ける前に,自ら「自主規制」しているとしか思えないことが
多いからです。

私は,上の第二項には,露骨に「公益及び公の秩序」を害したという理由で取り締まる可能性を規定しているだけでなく,それをちらつかせる
ことによって,自主規制させ,結果として権力への批判を封じ込めるとする狙いがあるのではないか,という不安を感じています。

今回は,国民の権利についてしか検討できませんでした。この第三章には,「義務」についての諸規定がありますが,これについては,
別の機会に譲ることにします。

最後にもう一度強調しておきますが,この第三章について「改正草案」は,時の権力の解釈次第で,国民の権利をどうにでも制限する余地を残して
いて,私はこの点に大きな疑念と不安を感じます。

憲法改正論議の中で,いわゆる第九章「改正」の「九十六条」については,昨今の議論も踏まえて,後に検討したいと思います。

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安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(3)-「憲法改正草案」第一章「天皇」・第二章「安全保障」-

2013-05-17 05:26:39 | 政治
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(3)-「憲法改正草案」第一章「天皇」・
第二章「安全保障」-



「前文」に続く本編は,自民党の改革草案も現行憲法も,全11章から成っていますが,章のタイトルは同じものも異なるものもあります。

安倍首相が「戦後レジームからの脱却」の中心的課題としている具体的内容は,「前文」の理念に続く,これら本編の11章に現れています。

とりわけ,戦争放棄を謳った第二章の「憲法9条」は,現行憲法の象徴的存在ともなっており,それだけに,安倍首相及び自民党がもっとも変えたい
と考えている標的ともいえます。

今回は,第一章「天皇」と,第二章「安全保障」(「戦争放棄」)についてみてみます。まず,第一章から見てゆきましょう。

現行憲法では,第一条から第八条まで,全8条から成り,天皇を国民統合の象徴であり(第一条),天皇が行う全ての国事行為は,「内閣の助言と
承認を必要とし,その責任は内閣が負ふ」(第三条)としています。

この他,現行憲法では,国事行為に関する細かな規定(第四条~八条)からがあります。

これに対して「改革草案」は,全5条から成っており,その際だった特徴は,天皇をまず元首と位置づけ(第一条),その後で,申し訳程に「象徴」
であることが付け加えられています。

『スーパー大辞林』によれば,「元首」とは,「国際法上は,外に向かって国家を代表する資格をもつ国家機関。君主国では君主,共和国では大統領。
日本では戦前の旧憲法下の天皇」となっています。

「改革草案」でわざわざ「元首」という言葉を使ったのは,戦前の旧憲法への回帰を目指していることを示唆する意図があるからだと思われます。

そして,日章旗を国旗,国家を君が代と定め,これらを尊重しなければならない(第三条)としています。

全体の分量も「草案」は現行憲法の6分の1ほどしかありません。

続く第二章は,最も問題とされ,議論が多いる章で,現行憲法では「戦争の放棄」となっていますが,自民党の「草案」では「安全保障」となっています。

まず,現行憲法の第二章は第九条から一三条まで,全五条からなっています。このうち,最も有名な第九条は,次のように書かれています。ここは特に
重要なので全文を示しておきます。

    日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は行使は,
    国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
    前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

上記の表現から明らかなように,現行憲法では,国際平和主義を基本理念とし,日本は陸海空軍を持たず,国際紛争を解決する手段としては,
戦争を「永久に放棄する」と明確に戦争の放棄を規定しています。

もう一つ重要な点は,最後の部分で,「国の交戦権は,これを認めない」としている部分です。

ここは,国(具体的には国家権力を持っている政府)が勝手に戦争することを「国民」が認めないという宣言です。

次に,自民党「草案」の第二章をみてみましょう。第二章は九条5項から成っています。

この章のタイトルが「安全保障」となっていること分かるように,「戦争放棄」という縛りをはずしています。ここにこそ,自民党が狙う憲法改正
の中心課題があります。

第一項では,現行憲法と同様に,平和主義と,国権の発動としての戦争を放棄し,武力の行使は国際紛争を解決する手段としては「用いない」とし,
「永久に放棄する」という現行憲法と比べて,ずっとトーンダウンしています。

それでも,この部分だけをみると,現行憲法と変わりはないのですが,続く第二項で,ガラッと変わります。

この規定の直ぐ後に,「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。」と但し書きがあります。これにより,もし「自衛権の発動である」
と判断された場合には,武力の行使(戦争)も可能であることになります。

このように,最初に理念の部分では平和と戦争の放棄を謳っておきながら,次に,但し書きのような第二項で,最初の規定をひっくり返してしまう,
あるいは全く無効にしてしまうという,自民党お得意の手法が用いられています。

全く同じ手法は,国民の権利と義務を定めた第三章でも用いられます。

つまり,ある事態が「自衛権の発動」とみなされれば,武力の行使も戦争も可能になるのです。

しかも,この「自衛権の発動」であるかどうかは,もはや国民の手から離れて,時の政権をもつ国家権力が判断できるのです。

この点でも「改正草案」は,かなり危うい要素をはらんでいます。

続く九条の二(国防軍)で,さらに具体的に「自衛権の発動」を可能にする軍事力について規定しています。

  我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため,内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。(九条二の1)
  
これに続いて,国際的に協調して行われる活動も行うことができるとしています。(二の3)

ただ,この「国際的に協調して行われる活動」が国連軍としてなのか,イラク戦争の際にアメリカが中心となって編制された「多国籍軍」
の軍事行動を含まれるのかは,明記していません。

いずれにしても,この規定により集団的自衛権を行使する(たとえば安保条約に基づいてアメリカと共同で軍事行動をとる)ことが可能になります。

二項の4と5は国防軍の秘密保持にかんする罰則,裁判制度の規定となっています。

そして九条の三(領土の保全等)では,「国は,主権と独立を守るため,国民と協力して,領土,領海及び領空を保全し,その資源を確保
しなければならない」としています。

この規定では,「国が国民と協力して」という論理になっていて,あくまでも国(つまり政府)が主体となって,国民と協力して(つまり国民
を兵士として動員して)領土の保全し資源を確保しなければ「ならない」としています。

これらの条文により,領土の保全と資源の確保のため,国防軍により戦争ができることになります。

以上,第一章と第二章の要点を,現行憲法と自民党の「改正草案」とを比較しつつ検討してきましたが,この二章だけでも,安倍首相と
自民党が目指す方向がかなり明確になっています。

一つは,天皇を,現行憲法の「象徴」というより,「元首」として位置づけることです。

二つは,「戦争の放棄」という項目をはずし,内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍が「自衛権の発動」として,国際紛争を解決する
手段として軍事行動を取ることができることです。

三つは,特に条文に明記されているわけではありませんが,「改正草案」全体の姿勢として,国家権力が主体で,国民を上から見下す,
「上から目線」で書かれていて,国民の目線で書かれていはないことです。

「改革草案」は憲法を,国民が国家権力の暴走を監視・抑制する手段としてではなく,国家権力が国民を統治する手段として位置づけているのです。

このため自民党の「改正草案」は,全体に,主権が国民にあるというより国家権力にあるかのような印象を与えます。

次回は,国民の権利と義務について検討します。

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安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(2)-憲法改正草案「前文」-

2013-05-12 10:16:49 | 政治
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(2)-憲法改正草案「前文」-


憲法とは,国の法体系の頂点に立つ基本法で,全ての法律の根拠となる,いわば法律の中の法律,国家の骨格です。

この憲法を,自民党は何としても変更しようとしているのです。

自民党の「日本国憲法改正草案」(平成24年4月27日決定)はインターネット上で見ることができます。(注1)

このインターネットサイトでは,現行憲法と自民党の改正草案(以下,「草案」と略す)とが対照並記されているので,どこがどのように
変えようとしているのか,はっきり分かります。

日本国憲法は,「前文」と11章,計102条から成っています。調べれば簡単に分かることですが,一応,構成を示しておきます。

前文
第一章  天皇
第二章  安全保障
第三章  国民の権利及び義務
第四章  国会
第五章  内閣
第六章  司法
第七章  財政
第八章  地方自治
第九章  緊急事態
第十章  改正
第十一章 最高法規

ところで,憲法というのは,権力を持っている者(具体的には政府)が勝手な行動をし,国民を犠牲にしたり不利益を与えないよう,
国民が政府を監視するための法的な枠組です。

憲法に基づく国家制度が「立憲国家」で,日本をはじめ,現在では世界のほとんどの国が立憲国家となっています。

この観点からすると,現在自民党が目論んでいる憲法改正は,まったく逆立ちしていると思います。

今回の改正草案は,権力をもっている自民党政権が,国民を縛ろうとする本末転倒の動きです。

さらに言えば,現在の選挙実態は,1票の格差と言う観点からすると,裁判でもはっきりと判決が出ているように,違憲状態にあります。

国会を構成する国家議員は,この違憲状態によって選ばれた人たちです。

この違憲状態には目をつぶって根本的な解決を長年放置しておきながら,自民党は政権をとったら,国の基本を定める憲法を自分たちの
都合のいいように変えようとしているのです。

これは,ほとんどブラック・ユーモアにもならない「本末転倒」,まったく国民を馬鹿にした話だと思います。まずは,議員の定数是正
も含めて,違憲状態を根本的に解消すべきでしょう。

以上のように,二つの「本末転倒」に気づかないまま憲法改正の方向に突き進んでいます。

さて,以上の前提をおいたうえで,自民党の「草案」をみてみましょう。

憲法の最も重要な部分は「前文」です。ここは,日本という国家が,どのような理念のもとに存在し,どのような方向を目指しているか
を表現した,憲法の中核部分です。

まず,単純に文字数を比較してみると,現行憲法は642文字,改正草案は約半分の334文字です。

ここで,単に文字数だけを問題にしているのではありません。

現行憲法は,大切な事柄を,これだけの文字数を使って表現する必要があるからです。

まず,現行憲法から具体的にみてみましょう。

現行憲法の「前文」の第一段落では,「そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであり,その福利は国民がこれを享受する」という,
主権在民の原理が掲げられています。

同時に,「政府の行為によって再び戦争の災禍かがないようにすることを決意し」と続きます。つまり,政府が一方的に国民を戦争に追い込む
ような行動をとらないよう,国民は主権在民の原則にもとづいて政府を拘束する原理も述べられています。

この原則は,有名な第九条の「戦争の放棄」の規定につながってゆきます。

第二段落では,過去の戦争行為の反省にたって,「恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚する」
という平和主義が謳われています。

加えて「平和を維持し,先制と従属,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」
と書かれ,平和と人権尊重が不可分の理念であることが述べられています。

第三段落では,他国を尊重し,自国主権を維持し,他国と対等関係に立とうとする,国際平等主義が謳われています。

そして,大事なことは,これらの理念は,過去の国際社会のあり方の反省の上に立った,普遍的な原理であることが繰り返し述べられていることです。

次に,自民党の「草案」の「前文」をみてみましょう。

「前文」の冒頭第一段落で,日本は「長い歴史と固有の文化」をもち,「国民統合の象徴である天皇を戴く国家である」ことが述べられています。

最初に,日本は何をおいても「天皇を戴く国家である」ことが述べられているのが,現行憲法との大きな違いです。

ここに,「戦後レジームからの脱却」し,むしろ戦前のように,天皇を中心とした国家に戻したいという自民党の意図がはっきりと出ています。

しかも,上に示した構成でも分かるように,現行憲法でも草案でも,天皇の位置づけは,第一章「天皇」という章を設けているにもかかわらず,です。

第二段落では,日本は先の大戦から立ち直って「発展し,今や国際社会において重要な地位を占めており」と,戦争による疲弊を乗りこえて発展した
ことが,高らかに宣言されている。

こうした自信に基づいて,平和主義の下で諸外国との友好関係を推進する,という原則が述べられています。

第三段落は「日本国民は,国と郷土を誇と気概をもって守り,基本的人権を尊重するとともに,平和を尊び,和を尊び家族や社会全体が互いに助け
合って国家を形成する」という郷土愛をもち家族や社会が互いに助け合って・・・」と倫理道徳的な徳目が述べられています。

ここは,さらりと述べられていますが,幾つかの問題がすでに指摘されています。まず,郷土愛というのは,国民が自然な感情として自発的にもつ
ようになるもので,改めて憲法で押しつけがましく規定することではない,ということです。

しかも,郷土愛に基づき,それを「気概をもって守る」ことを要求しているのです。これは,後に触れる,自衛隊の「国防軍」への転換の伏線である
とも考えられます。

また,家族が互いに助け合って,というのも,個人の倫理観の問題であって,大きなお世話,わざわざ国家によって言われる筋合いではない,
というのが私の素直な印象です。

しかし,ここにも油断のならない意図が隠されています。

家族や社会が助け合いなさい,というのは,たとえば医療や老後の生活は国の社会保障に頼らず,国民がお互いに助け合って解決しなさいという
自己責任を押しつける布石ともとれます。

第四段落は,美しい国土と自然環境を守りつつ,活力ある経済活動通じて国を成長させること,「美しい国土を守ること」が述べられています。

最後の第五段落は,「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため,ここに憲法を制定する」と結んでいます。

草案を全体としてみると,天皇の存在,長い歴史郷土愛(美しい国土を守る),和を尊ぶこと,家族愛,国民相互の助け合いが強調されています。

ここに,戦前の伝統的日本に戻したい,という自民党の姿勢がはっきりでています。

文面には,三権分立の原則,世界の平和と言う言葉が申し訳程度にはめ込まれていますが,言葉だけが入れられていて,その意味内容や意義については,
まったく触れられていません。

この点,主権在民,人権,平和現行憲法について詳しく説明している現行憲法と大きくちがっています。

こうした,違いは,第一章から第十一章までの内容に具体的に示されています。これについては,次回に書こうと思います。



(注1)http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf.

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現代シンガポール事情-閑話休題-

2013-05-08 12:31:56 | 社会
現代シンガポール事情-閑話休題-


前回に引き続いて,憲法改正問題について書く予定でしたが,5月3~6日まで,教え子の結婚式に出席するためシンガポールに行ってきました。

そこで感じたさまざまな事柄を,印象が薄れないうちに,脈絡のない「シンガポール雑感」として書きたいと思います。

個人的な話になりますが,私がシンガポールを訪れるのは,30年以上も前のことです。どんな風に変わったのか,それを見るのが楽しみでもありました。

しかし,飛行機がシンガポールに近づくと,私の心と体に,遠い昔の恐怖の記憶がよみがえって緊張しました。

当時私はインドネシアのスマトラ島で,博士論文のためのフィールド調査をしていたのですが,ある問題のため,スマトラにいることができなくなり,急遽シンガポールへ逃げ込みました。

私が友人のアパートに転がり込んだ数時間後に,不明の人物らかその友人に電話がかかってきて,「そこにアキラ・オオキがいるはずだから電話口に出せ」と言ってきたのです。

私がインドネシア語で,「あんたは誰ですか 何の用件ですか」と何度聞き返しても,相手は何も答えず黙ったままじーっとしていました。

しばらくして電話を切ったのですが,私がここにいることがなぜ分かったのか,どうしても理解できず,私は心の底から恐怖を感じました。

あの時の,何とも言えない不気味な恐怖が,今回,ふいによみがえってきたのです。

シンガポールは,政治的実験の場ともいわれてきました。国家が国民を徹底的に管理する社会です。

国民は国によって監視され,犯罪には厳しい罰が加えられます。道路にゴミをポイ捨てするだけでも罰せられたり,
たとえばバスの運転手の態度が悪かったりして通報されると,直ぐに解雇されると言う話はよく聞きます。

その代わり,夜,女性が散歩していても余り危険はないと言われています。実際,深夜近くに女性が散歩しているのを見かけました。監視社会の功罪です。

次に,シンガポールの国際空港は「チャンギ空港」なのですが,この「チャンギ」という地名に,ドキッとしました。

チャンギは,戦時中に日本がシンガポールを占領していたとき,1万人もの捕虜を収容し,多数の死者を出した捕虜収容所のあった,
捕虜となった人たちにとっていわば怨念のこもった場所です。

東南アジアの歴史を専攻する私にとって,「チャンギ」は空港というより捕虜収容所としての認識の方が強く,その言葉には今でも心が痛む響きがあります。

さて,昔の記憶の話はこれくらいにして,このわずか4日に滞在期間に感じた,現代シンガポールについて書いてみます。

シンガポールは東京の環状線の内側の面積しかない土地に500万人の住民が住んでいる,超人口過密な都市国家です。

街は横に広がることはできないので,住宅もオフィスも商業施設も,ただひたすら上に上にと高層ビルへと伸びてゆきます。

こうして,街全体が高層ビルが密集するジャングルのような様相を呈することになります。

しかも,こうしたマンションやアパートの価格はとても高く,買うとなると「億ション」も珍しくありません。

当然,家賃も高く,私が見た日本人が住むアパートは,それほど広くない1LDKでしたが,それでも家賃は月24万円です。

この家賃は中よりやや高めのアパートのものではありますが,それにしても高いなと感じました。

シンガポールは,19世紀の初めにイギリス人のラッフルスが植民都市を拓いた当初から東西交易の中継港としての役割を担ってきました。

その役割は今でも変わっていませんが,現代では海の港に加えて空の港がハブ空港として大きな役割を果たすようになりました。

シンガポールには世界に輸出する製造業もなく,経済は中継貿易と金融,内外の企業の事業所がもたらす税収などが基盤となっています。

シンガポールは東西交易の中継点という経済的・地理的要衝に位置しているため,歴史的にさざまざな人種の人がここに住んでいました。

加えて,イギリス統治時代にインドや中国などから労働者を連れてきたり,イギリスやその他の国からの移住者を受け容れてきた多民族国家でもあります。

ここでは,主要な民俗である中国系の他,マレー系,インド系,アラブ系,中国以外のアジア系(日本,韓国,フィリピン,インドネシアなど)が,
そして意外と多くのヨーロッパ人が目に付きます。

シンガポールが若い国だと感じるのは,消費意欲が旺盛なことです。町のレストランも,スーパーマーケットも,
ショッピングモールも人,人,人で大にぎわいです。

まさに,文字通り人が押しかける,という状況です。1970年代の日本も,やはりこのように消費意欲が旺盛で,人々は争って物を買い,
高級レストランに押しかけました。

現在の日本では,もう必要な物はほとんど持っていて,安売りや催し物があっても人が押しかけるという光景は見ることはまれです。

良くも悪くも,日本はもう成熟した社会であることを実感します。その反面,シンガポールの国家としての若さとエネルギーがうらやましくも感じました。

街には車があふれていますが,その内実を知ると,複雑な気持ちになります。

新車は10年間は車検もなく乗れるのですが,10年でライセンスを更新しようとすると,車によって400~500万円も更新料(日本の車検料)を払わなければならないので,実際にはほとんどの所有者は廃車にしてしまうのだそうです。

したがって,車を持っていること自体が,裕福であることのステイタス・シンボルとなっています。

しかし,大部分の住民は高額の家賃も払えず,まして車を持つことができません。このような人たちがどんな家で,どんな暮らしをしているのか興味がありますが,今回の短い訪問ではとても,そこまでできませんでした。

最後に,結婚式に出た際に感じた時に感じた複雑な気持ちについて書いておきます。

私の教え子の結婚相手は年下の中国系の男性でした。そして,テーブルの私の両隣に座っていた30才くらいの日本人女性の一人も,
やはり中国系の男性と,もう一人はフィンランド人男性と結婚していました。

彼女たちは,シンガポールか,少なくとも外国に永住することを決意していました。

日本人女性と外国人男性との結婚と比べると,日本人男性が海外での永住を決意したうで外国人女性と結婚する事例は少ないのではないかと思われます。

私のゼミの卒業生でも,ここ10年ほどの間に4人の女性が国際結婚して海外に永住していますが,国際結婚して海外に永住している男性は1人だけです。

これだけの事例で一般化することはできませんが,日本人の若い女性の勇気と適応力につくづく感心しました。

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憲法改正と安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(1)-憲法改正の動きの背景-

2013-05-03 11:02:40 | 政治
憲法改正と安倍首相の「戦後レジームからの脱却」(1)-憲法改正の動きの背景-


最近マスメディアは,自民党が憲法改正の手続きを定めた96条の変更について頻繁に取り上げています。

96条の改定は,憲法の改正に対するハードルを下げ,より簡単に変更できるようにするためです。

ここで,なぜ,安倍首相と自民党は,憲法改正への動きを強めるようになったのかを考えてみる必要があます。

自民党は平成24年4月27日,「日本国憲法改正草案」を決定しました。これは,昨年の衆議院議員選挙の争点にはなりませんでしたが,
自民党の公約には入っていました。

ちなみに,「改正草案」という言葉は,いかにも正しいものに変える,というイメージがありますが,これはあくまでも自民党が「正しい」と考える,
という意味で,客観的には「改定」とすべきでしょう。ここでは,「草案」という言葉をつかうことにします。

安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を旗印に,歴代の自民党首相の中でも際だって憲法の改定の必要を強調し,これに向けて突進しています。

「草案」の中身を検討する前に,安倍首相が改憲にがむしゃらに突き進むなぜなのか,その背景を歴史的な経緯を含めて考えてみたいと思います。

安倍首相はこれまでも,「戦後レジームからの脱却」を唱えてきました。

安倍首相がいう「戦後レジーム」とは,敗戦後の占領下で導入された,さまざまな制度や法律,主義や理念などを指し,自民党も安倍首相も,
日本国憲法を,占領軍によって押しつけられたものと見なします。

新憲法には,財閥解体,農地改革(地主の土地を旧小作に配分する),学校教育制度などなど,多数の項目が含まれます。たに

日本の占領は,形式的には連合国と連合軍によって行われたことになっていますが,実態はアメリカ軍と政府によって実施されました。

占領の主たる狙いは,日本が二度と戦争を引き起こさないよう,その芽をつみ取ることにあったといえます。

その要点は,軍事力を保持させないことと,国民を戦争へ駆り立てることに寄与した「封建制」を打破し,民主化を進めることでした。
この中核ともなったのが,新たな憲法の制定でした。

こうして,連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で日本人により新憲法が作成され,昭和22年(1947年)5月3日に発布されました。

新憲法(「日本国憲法」)の基本理念は,平和主義と基本的人権の尊重を基調として,「立憲国家」を築くことにありました。

「立憲国家」というのは,憲法によって国民が権力者(権力を握っている政府や行政)の勝手な行動をさせない仕組みを持つ国家体制のことです。

王や独裁者が,勝手に権力をふるう王国政治や独裁制度とはここが根本的に違います。

自民党は,戦後の憲法は「押しつけ憲法」であり,自民党は日本人による「自主憲法」制定することを党是としてきました。

戦後の新憲法が,アメリカの自由主義・民主主義にたいする理想主義的な理念も影響が反映していたことは確かでしょう。

ここで,現行の日本国憲法を「押しつけ憲法」とみるかどうかは意見が分かれるところです。

しかし,経緯はどうあれ,そこに謳われている理念は,発布以来,日本人に広く受け容れられ,世界でも一定の評価を得てきました。

だからこそ,戦後65年以上も,事実上政権を担当してきた自民党も,具体的に憲法改正には乗り出せなかったのです。

最近のテレビや新聞で,改憲に関する報道は頻繁に行われていますが,現在という時代背景の中で,なぜ,
安倍首相が改憲に突っ走ろうとしているのかについては深く論じられていません。

改憲は安倍首相がづっと抱いてきた個人的な思い入れでもありますが,安倍氏が国会議員になって以来ずっと,
改憲のために具体的に草案の作成作業を続け,運動をしてきたわけではありません。

具体的な時期は分かりませんが,改憲への機運が本当に高まったのは,ここ5~10年ほどではないでしょか。

そこには,日本経済が長期の不況に喘いでいる状況にたいすして国民の間に自信の喪失と鬱屈した気分が蔓延していること,
そして,これがもたらす,国際社会において日本の地位が低下していることにたいして危機感を抱くようになったことがあると思われます。

まず,戦後日本の誇りの源泉は,その経済力でした。高度経済成長期を経て,長期にわたってGDP世界第二位の地位を維持してきました。

当時,海外に旅行で出かけた日本人が,まさに札束で横っ面をひっぱたくように,東南アジアで買い物する姿を目の当たりにして,
私は非常にショックを受けました。

しかし,「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われる経済の低迷のため,国民の生活は一向に豊かにならないどころか,
賃金はずっと下がり続けています。

これによって,経済的繁栄に裏打ちされた日本人の自信は,経済的衰退とともに大きく傷つき失われつつありました。

他方,日本の経済は年ごとに後発国に追いつかれ,ついに2010年,日本のGDPは中国に抜かれ,世界第二位から第三位へ転落してしまったのです。

この危機感は,一般国民よりもむしろ安倍氏をはじめ自民党や政治家に強かったのではないでしょうか。

日本とは逆に,順調な経済成長に裏付けられて,中国は日増しにその力を誇示するようになりました。

今から9年前の小泉政権時代,すでに中国船の尖閣諸島への進出は行われていたのです。

このころから,政府は中国の行動に強い警戒心を持つようになっていました。

それが,2010年以降になると中国はさらに頻繁に,そして大規模に尖閣列島周辺に出没するようになったのです。

同年9月には,中国漁船が日本の海上保安庁の船に激突した事件は映像が公開されたこともあって,記憶に新しい光景です。

そして,2012年には香港の漁船の船員が尖閣島へ上陸し,2013年になると,中国の海洋監視船が大規模かつ頻繁に領海を侵犯するなど,
尖閣をめぐる中国の行動はエスカレートの一途をたどっています。

このような動きに対して,2013年4月23日の予算委員会で安倍首相は,中国の漁民などが、「領海に入って上陸するといういかなる試みにも,
断固たる対処をすると当局に指示している」と述べ,さらに踏み込んで 「万が一、上陸するとなれば、強制排除するのは当然のことだ」
とも述べました。

ここには,中国の進出にたいする危機感がはっきりと表れています。

尖閣問題と並行して,竹島に韓国の大統領が上陸するなど,日本人の気持ちを逆なでする問題が発生発生しました。

こうした一連の出来事は,多くの日本人に,「中国けしからん」「韓国けしからん」といった,ある種の「ナショナリズム」を喚起したものと
思われます。

安倍首相は,領土問題をきっかけに日本人の間に芽生えた「ナショナリズム」の高陽を追い風に,この際,一気に改憲への道を走ろうとしている
ように見受けられます。

以上を要約すると,安倍首相と自民党が改憲に突き進んでいるのは,一方で経済が停滞して世界の中での地位の没落にたいする自信喪失と,
中国や韓国の経済成長を背景にした政治・軍事的な攻勢にたいする危機感と,それに対する対抗意識が主な背景ではないかと考えられます。

このような国内外の状況を背景に,安倍首相の言動は,一方で人気取りでもある景気(必ずしも「経済」ではない)を浮揚させて経済の立て
直しを図り,日本人が再び自信を取り戻し,他方で改憲により国家主義を強調し軍事的にも強い日本を構築しようとしているように見えます。

次回から何回かに分けて,自民党の「日本国憲法改正草案」の中身を検討したいと思います。

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日本農業の変遷と衰退-山下惣一『土と日本人』を手掛かりにして-

2013-05-01 10:02:28 | 食と農
日本農業の変遷と衰退-山下惣一『土と日本人』を手掛かりにして-


日本の農業がどれほど激しく衰退してきたかを知ることはそれほど難しいことではありません。

たとえば,農業に従事している人の人数の減少を見ただけでも,衰退の程度は分かります。

統計上,「農業のみに従事した人と,農業以外にも従事したが,農業の従事日数の方が多い者」の合計,
いわば基幹的農業従事者を「農業就業人口」と定義されています。

総人口の変化をみると,1960年の9250万人から2011年には1億2500万人へと35%増加しましたが,
農業就業人口は,1454万人から260万人,約六分の一へ激減してしまったのです。

このような激変をもたらした要因は幾つかありますが,主要なものは三つです。

一つは, 1970年から田んぼの作付け面積を減らすために「減反政策」を導入したことです。

これは,戦後の食糧難を解消するために,国を挙げて米の増産に邁進しましたが,1960年頃から,
米は次第に余り出しましたからでした。しかし,「減反政策」が農家の稲作への意欲を削ぐ大きな
きっかけとなりました。

二つは,戦後復興が一段落すると,都市の工業や商業に従事する労働力が大量に必要となり,農村
から都市へ,人口の大移動が起こったことです。

三つは,お米の消費が一貫して減少し続けてきたことです。米に代わって消費が伸びたのは小麦を
原料とするパン,パスタ,麺類などです。

これらの要因によって,日本の農業の中心的存在だった稲作が急速に衰退にむかったと考えられます。

しかし,こうした統計的,制度的な要因は事態の一端を示すにすぎません。

この衰退過程では質的な変化が生じていました。

その変化を,佐賀県で農業を営む山下氏の『土と日本人-農のゆくえを問う-』(NHKブックス498,
1986年)を手掛かりに考えてみたいと思います。

ちなみに,佐賀県は戦前から米の増産運動に力を入れ,昭和40年,41年には,反当たり収穫量が
日本一になったほど,官民挙げて米作りに熱心な県でした。

山下氏は,昭和11年(1936年)に佐賀嫌県の農家に生まれ,戦前の農業を祖父や父から学び,農業を
ずっと続けてきたベテランの農民です。

昭和59年(1984年),突如,それまで見たことも聞いたこともない異変が,彼と彼の地区の田んぼに
発生したのです。

「死米」が現れたのです。米は,水不足,栄養不足などで未熟なまま収穫期を迎えたり,害虫や病気
で黒く変色してしまうことがあります。特に未熟なまま成長が止まった米は粃(しいな)とよばれます。

しかし,「死米」とはそれとは違う,米の腹が白色化した米で山下氏は「死んだ米」と表現しています。

ただ,私には,「死米」についてこれ以上具体的には説明出来ません。

いずれにしても,「死米」は商品として出荷できない米となってしまいます。

彼は自分の田んぼの3割が「死米」になっていることを確認し,早速,同じ地区の田んぼの状況を調
べます。

そこで,彼の地区では,同様に「死米」が発生していたことが分かりました。

農業試験場,農協,農業改良普及所の三者が合同による死米現地調査班が調査に訪れます。

彼らの結論は,
①稲の出穂前に高温が続き,
②体内の水分の蒸発が異常に多かったこと,
③昼と夜の温度差がなかったため養分の消耗が激しかったこと,
④病気のため光合成能力が著しく低下したこと,
④高温・晴天の夏だったため水不足気味になり,農家は水を流さないで田に貯めておいたの
で水は昼間は熱湯と化し,根が正常の養分吸収ができなくなってしまったこと,

の四つが原因であったと結論しました。

つまり調査班の結論は,夏の間の高温という自然条件が「死米」の原因だとしたのです。

山下氏は,これらの要因が関係していたことは間違いないとしても,それだけではない,と直感します。

とういのも,高温で渇水気味の夏,これまで歴史的に何度もあったはずなのに,山下氏は「死米」が発生
したなどということは,先代からも聞いたことがなかったのです。

調査班は大規模,科学的,詳細かつ大がかりな調査したようですが,山下氏をはじめ地区の農民は,どう
してもその調査の結論に納得できませんでした。

山下氏は,佐賀県内の他の地域,さらには米所の新潟県などへも赴き,やはり死米は佐賀県の他の地域や
他県でも発生していたことを確認しました。

彼は,土に原因があるのではないか,と考え,まず,自分の田んぼの土を掘って調べました。

そこで,彼自身も驚くべき事実を目の当たりにします。

耕土(作土)と呼ばれる,根が栄養を吸収することができる層が12センチほどしかなく,その下に牛馬
で耕していた時代の「すき床」が若干残っていました。

その下には「グライ層」と呼ばれる,土壌中の水分が過剰なため酸素が不足し,微生物が住めない「死の土」
が地表近くにせり上がってきていたのです。

「死の土」では,微生物が生存できないため,有機物を入れても分解せず,植物の根が伸びてきても栄養を
吸収できません。

このため,イネの生育に必要な土の厚さは,せいぜい20センチほどしかないことが分かりました。

死米が発生した他の地域の土にも同様の現象が見られました。

彼はこれを,土作りを怠った結果,「自然界が発した危険信号」であると感じたのです。

農業の近代化という掛け声の下に高度成長期は,農家が競って機械化を進めていました。

耕耘機の使用は農家の労働を大幅に軽減したことは確かです。山下氏も丹念に耕耘機で耕していたつもり
でしたが,実は,耕されたのは牛馬で耕していた時より,浅かったことが分かりました。

山下氏ははっきりは書いていませんが,おそらく,化学肥料の大量投入も,「死んだ土」の上昇に関係して
いるのではないかとも思われます。

というのも,栄養が上から与えられると,稲は地中深く根を深く下ろさなくても栄誉をを吸収できるからです。

加えて,耕耘機,田植機,コンバインなど大型の重機が田んぼを縦横に走り回ることによって,表土はかき
回されますが,その重みで実は土を固く踏み固めてしまっているのです。

私は,これもまた,酸素不足で微生物が繁殖できない「死の土」の層を作る要因となっていったのではないか
と推測します。

こうして,田んぼの土が死んでゆき,「死米」が発生する状況を山下氏,はレイチェル・カーソンのひそみに
ならって,“ついに村にも「沈黙の春」がきた”,と表現しています。

山下氏は皮肉を込めて,専門知識をもった専門家を「有学識無経験者」,自分のように農業を実践している
人間を「無学識経験者」と呼んでいます。

この「死米」の原因に関して,私は「無学識経験者」の経験知と直感の方が正しいと思います。

原発事故の問題にしても,専門家と称する人たちの知識や判断の信頼性が大きく揺らいでいる今日,複雑で
未知の部分が多い自然界と生物界の生態系が絡み合う農業においては,「無学識経験者」の知恵は大いに
尊重すべきだと思います。

『土と日本人』についてここで紹介できたのは,ほんの一部にすぎません。

戦後の農業の特徴は,機械化,化学肥料,農薬の普及という物の面だけでなく,むしろ「百姓道」とも
いうべき,精神的な面が大きく変化したことです。

山下氏も奥さんと共に,以前は人間の糞尿から作った堆肥や牛糞を手でつかんで一握りずつ田畑に置いて
いった経験があります。

また,農家の人は,道ばたに落ちているわら草履でさえ拾って田んぼに入れました。

「切れたワラジとて粗末にするな。お米育てた親じゃもの」と彼の祖母はよく言っていたそうです。

最後に,一つだけ,嘘のような,実態に山下氏の村にあったエピソードを紹介しておきます。

戦後,予科練帰りの若者が農家の婿に入り,田んぼのあぜ道に立って小便をしていると,いきなり後ろから
棒が足を払いました。

なにごとかと振り返ると,舅が顔色を変え,目をむいて,「百姓があぜ道に小便をする精神でどうするか。
田んぼの中にしろ。大馬鹿者めが」と怒鳴ったそうです。

今は昔の「今昔物語」のような「百姓魂」の話です。

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