パンドラの箱を開けた安倍氏銃撃(1)―初期報道の異様さと違和感(その1)―
2022年7月8日午前11時半ごろ、奈良市内の近鉄大和西大寺駅前で参院選候補者
の応援演説をしていた安倍晋三元首相が銃によって殺害されました。
このニュースを耳にした時、このような事件がこの現代日本で実際に起こったと
ということに、衝撃を受けました。
そして、一体誰が(どんな人物が)、どんな目的でこの事件を実行したのか、と
いう疑問が直ぐに浮かびました。
普通に考えれば、安倍氏に個人的な何らかの恨みなり、政治的に強烈な反安倍感
情を抱いている人物の仕業、ということになります。
しかし事実が明らかになるにしたがい事件は思わぬ方向に広がってゆきました。
警察はその場で銃撃の実行犯として山上徹也容疑者(41)を逮捕しました。
銃撃、そして山上容疑者の逮捕、安倍氏の死までが、今回の事件の第一幕だとす
ると、それから、警察と政府とメディアの報道の内容が第二幕です。
警察当局によると、容疑者の山上哲也(41)は奈良市に住む職業不詳の人物で、手
製の銃で襲撃したようです。
警察によれば、これまでの調べに対し「元総理の政治信条への恨みではない」、そ
して「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思いねら
った」という趣旨の供述もしていた。
また、捜査関係者によると、この団体について「母親が団体にのめり込み、多額の
寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」という趣旨の話をしている
ということです(注1)。
この事件に関して、さまざまなコメントや解説が政府サイドやメディアから発信さ
れました。しかし、それらの中に筆者が違和感をもった点がいくつもありました。
事件が起こった翌日の7月9日、元テレビ朝日ニュースデスクの鎮目博道氏は、イ
ンターネット上で報道(特にテレビの)に関する違和感を4点挙げています。筆者
も鎮目氏と問題意識を共有しているので、以下にそれらを引用しつつ検討しよう(注2)。
なお以下の4点は、その後、日本の政界、特に自民党、警察、宗教団体との隠され
た問題を明らかにしたという意味で、パンドラの箱を開けてしまったと言えます。
(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのか
一つは、すでに本稿の最初に書いたように、事件直後にテレビ各局のニュースは警
察情報として、安倍元首相を銃撃した元自衛官・山上徹也容疑者は、その犯行動機
として「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある安倍元総理を狙
った」と供述していると発表しています。
しかし、なぜか警察はこの「宗教団体」の名前をなぜ明らかにしませんでした。こ
の点について鎮目氏は、テレビニュースの制作者として類推すると、考えられる可
能性はふたつあるという。
ひとつは「警察が団体名を発表しておらず、取材でも明らかになっていない」つま
り「テレビ局側も知らない」可能性だ。
供述は警察署の中でされているのだから、原則的に警察側からの情報がなければ宗
教団体が明らかになることはない。あとは容疑者の周辺を取材して、聞き込みから
関連のある宗教団体を割り出していくしかない。
もうひとつの可能性としては、テレビ局は宗教団体の名前をすでに知っているが、
なにがしかの配慮で報道していない場合。この場合、どういう配慮が働いている可
能性があるのか。
考えうるとすれば、局として「宗教団体側には何も責任がないから」ということに配
慮して、もう少し供述内容が明らかとなって宗教団体と犯行動機との関連性が深まる
まで様子をうかがっている可能性だろうか。
あるいは、「安倍元首相とその宗教団体との関係がはっきりしない」ということに配
慮している可能性だ。変にその宗教団体の名前を出すことによって「安倍元首相はあ
の宗教と関係があったのか」と思われてしまう可能性を恐れているのかもしれない。
しかし今回の場合、事件の犯行動機は「宗教団体への恨み」と報道されているから、
この団体の名前を明らかにし、またその宗教団体に取材をしなければ事件の真相解決
にはつながらない。そこにもし「配慮や忖度」が働いているとすれば、それは少しお
かしいのではないかということになる。
やはり本来であれば宗教団体の名前を明らかにし、宗教団体側の取材もきちんと行っ
てその内容も併せて報道し、もし安倍元首相とその宗教団体との関係が明らかでなけ
れば、その旨もきちんと報道すれば良いだけのことである。
大メディアが警察発表そのままに統一教会の名を伏せて容疑者の供述を報じていたこ
とは、その顕著な実例です。警察の政権に対する忖度をメディアまでが見倣う必要は
ない(コラムニストの田部康喜氏)(注3)。
ちなみに、インターネット上では、かなり早い段階から「特定の宗教団体」が「統一
協会」であることは暴露されていました。
(2)今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」(?)という問題
二つは、事件当日のテレビの特番では、「この事件は言論の自由を奪おうとするもの
だ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが多用されていたことです。
この事件への受け止めをインタビュー取材された政治家のみなさんがそう答えるのは至
極当然です。一般的に外形的に見れば、「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元
首相が殺害された」わけで、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦である
と言うことはできる。
しかし、鎮目氏は、スタジオにいるコメンテーターや解説委員など「伝える側」まで、
このフレーズを繰り返し述べていたのは、本当にそれで良いのだろうか、と疑問を呈し
ています。
もしこの事件の犯行動機が「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある
安倍元総理を狙った」ということならば、本当にそれは「言論の自由を奪おうとするこ
と」であり「民主主義への挑戦」なのか?というところがひとつ疑問として浮かぶ。
しかし、「宗教団体へ個人的な恨み」が犯行動機であれば、それは個人的な怨恨による
犯行だと言ったほうが適切かもしれない。だとすれば、安倍元首相を殺害するのはほぼ
「逆恨み」であると言って良いだろう。
ましてや、安倍元首相とその宗教団体にそれほど関係がなかったとすれば「安倍元首相は
は何の落ち度もなかったのに逆恨みで殺害された」ということになり、これはこれで断じ
て許されないが、果たして「言論の自由の封殺」や「民主主義への挑戦」だったのかとい
うと、それは、言い過ぎというものです。
この時点では「選挙期間真っ只中」であり、そういう意味では報道機関には冷静で公正な
政治に関する報道姿勢が望まれました。
動機がはっきり分からないこの段階で、局サイドまで「言論の自由と民主主義に対する許
し難い犯行だ」と断定してしまっているかのような報道姿勢は、冷静さを欠いていると言
わざるを得ません。
(3) 事件の報道時間が長すぎるのでは?
さらに、気になるのは昨日、事件の放送時間が長すぎはしなかっただろうか、ということ
です。テレビ東京を除く各局とも、ほぼ事件発生時から夕方のニュースそして深夜のニュ
ースが終わるくらいまで、すべて特番編成をしてこの事件について放送しましたが、それ
は適切だっただろうか。
確かに元首相の殺害事件であるから、ことの重大さから言えば当然特番を編成するのに十分
値するのは間違いない。しかし、報道特番を編成するにはその「重大性」とともに「更新さ
れる情報量」も考慮されなければならない。
ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」があります。
例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということがで
きる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。
あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷
者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編
成して伝える事項がたくさんある。
しかし、昨日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。
事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕さ
れていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては
「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。
「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間で
もあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、
それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況の
まとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。
しかし、テレビでは撃たれるシーンがこれでもか、というほど繰り返し流された。これだけ
で、ゴールデン・プライムタイムの時間を全て埋めなければならない。いくら、警察署や事
件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。
となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、
繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、
視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを
受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。
ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」があります。
例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということがで
きる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。
あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷
者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編
成して伝える事項がたくさんある。
しかし、8日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。
事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕さ
れていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては、
「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。
「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間で
もあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、
それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況の
まとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。
しかし、実際には同じ映像とコメントの繰り返しと、安倍氏の礼賛という内容になっていきま
した(以下、次回)。
2022年7月8日午前11時半ごろ、奈良市内の近鉄大和西大寺駅前で参院選候補者
の応援演説をしていた安倍晋三元首相が銃によって殺害されました。
このニュースを耳にした時、このような事件がこの現代日本で実際に起こったと
ということに、衝撃を受けました。
そして、一体誰が(どんな人物が)、どんな目的でこの事件を実行したのか、と
いう疑問が直ぐに浮かびました。
普通に考えれば、安倍氏に個人的な何らかの恨みなり、政治的に強烈な反安倍感
情を抱いている人物の仕業、ということになります。
しかし事実が明らかになるにしたがい事件は思わぬ方向に広がってゆきました。
警察はその場で銃撃の実行犯として山上徹也容疑者(41)を逮捕しました。
銃撃、そして山上容疑者の逮捕、安倍氏の死までが、今回の事件の第一幕だとす
ると、それから、警察と政府とメディアの報道の内容が第二幕です。
警察当局によると、容疑者の山上哲也(41)は奈良市に住む職業不詳の人物で、手
製の銃で襲撃したようです。
警察によれば、これまでの調べに対し「元総理の政治信条への恨みではない」、そ
して「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思いねら
った」という趣旨の供述もしていた。
また、捜査関係者によると、この団体について「母親が団体にのめり込み、多額の
寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」という趣旨の話をしている
ということです(注1)。
この事件に関して、さまざまなコメントや解説が政府サイドやメディアから発信さ
れました。しかし、それらの中に筆者が違和感をもった点がいくつもありました。
事件が起こった翌日の7月9日、元テレビ朝日ニュースデスクの鎮目博道氏は、イ
ンターネット上で報道(特にテレビの)に関する違和感を4点挙げています。筆者
も鎮目氏と問題意識を共有しているので、以下にそれらを引用しつつ検討しよう(注2)。
なお以下の4点は、その後、日本の政界、特に自民党、警察、宗教団体との隠され
た問題を明らかにしたという意味で、パンドラの箱を開けてしまったと言えます。
(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのか
一つは、すでに本稿の最初に書いたように、事件直後にテレビ各局のニュースは警
察情報として、安倍元首相を銃撃した元自衛官・山上徹也容疑者は、その犯行動機
として「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある安倍元総理を狙
った」と供述していると発表しています。
しかし、なぜか警察はこの「宗教団体」の名前をなぜ明らかにしませんでした。こ
の点について鎮目氏は、テレビニュースの制作者として類推すると、考えられる可
能性はふたつあるという。
ひとつは「警察が団体名を発表しておらず、取材でも明らかになっていない」つま
り「テレビ局側も知らない」可能性だ。
供述は警察署の中でされているのだから、原則的に警察側からの情報がなければ宗
教団体が明らかになることはない。あとは容疑者の周辺を取材して、聞き込みから
関連のある宗教団体を割り出していくしかない。
もうひとつの可能性としては、テレビ局は宗教団体の名前をすでに知っているが、
なにがしかの配慮で報道していない場合。この場合、どういう配慮が働いている可
能性があるのか。
考えうるとすれば、局として「宗教団体側には何も責任がないから」ということに配
慮して、もう少し供述内容が明らかとなって宗教団体と犯行動機との関連性が深まる
まで様子をうかがっている可能性だろうか。
あるいは、「安倍元首相とその宗教団体との関係がはっきりしない」ということに配
慮している可能性だ。変にその宗教団体の名前を出すことによって「安倍元首相はあ
の宗教と関係があったのか」と思われてしまう可能性を恐れているのかもしれない。
しかし今回の場合、事件の犯行動機は「宗教団体への恨み」と報道されているから、
この団体の名前を明らかにし、またその宗教団体に取材をしなければ事件の真相解決
にはつながらない。そこにもし「配慮や忖度」が働いているとすれば、それは少しお
かしいのではないかということになる。
やはり本来であれば宗教団体の名前を明らかにし、宗教団体側の取材もきちんと行っ
てその内容も併せて報道し、もし安倍元首相とその宗教団体との関係が明らかでなけ
れば、その旨もきちんと報道すれば良いだけのことである。
大メディアが警察発表そのままに統一教会の名を伏せて容疑者の供述を報じていたこ
とは、その顕著な実例です。警察の政権に対する忖度をメディアまでが見倣う必要は
ない(コラムニストの田部康喜氏)(注3)。
ちなみに、インターネット上では、かなり早い段階から「特定の宗教団体」が「統一
協会」であることは暴露されていました。
(2)今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」(?)という問題
二つは、事件当日のテレビの特番では、「この事件は言論の自由を奪おうとするもの
だ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが多用されていたことです。
この事件への受け止めをインタビュー取材された政治家のみなさんがそう答えるのは至
極当然です。一般的に外形的に見れば、「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元
首相が殺害された」わけで、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦である
と言うことはできる。
しかし、鎮目氏は、スタジオにいるコメンテーターや解説委員など「伝える側」まで、
このフレーズを繰り返し述べていたのは、本当にそれで良いのだろうか、と疑問を呈し
ています。
もしこの事件の犯行動機が「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある
安倍元総理を狙った」ということならば、本当にそれは「言論の自由を奪おうとするこ
と」であり「民主主義への挑戦」なのか?というところがひとつ疑問として浮かぶ。
しかし、「宗教団体へ個人的な恨み」が犯行動機であれば、それは個人的な怨恨による
犯行だと言ったほうが適切かもしれない。だとすれば、安倍元首相を殺害するのはほぼ
「逆恨み」であると言って良いだろう。
ましてや、安倍元首相とその宗教団体にそれほど関係がなかったとすれば「安倍元首相は
は何の落ち度もなかったのに逆恨みで殺害された」ということになり、これはこれで断じ
て許されないが、果たして「言論の自由の封殺」や「民主主義への挑戦」だったのかとい
うと、それは、言い過ぎというものです。
この時点では「選挙期間真っ只中」であり、そういう意味では報道機関には冷静で公正な
政治に関する報道姿勢が望まれました。
動機がはっきり分からないこの段階で、局サイドまで「言論の自由と民主主義に対する許
し難い犯行だ」と断定してしまっているかのような報道姿勢は、冷静さを欠いていると言
わざるを得ません。
(3) 事件の報道時間が長すぎるのでは?
さらに、気になるのは昨日、事件の放送時間が長すぎはしなかっただろうか、ということ
です。テレビ東京を除く各局とも、ほぼ事件発生時から夕方のニュースそして深夜のニュ
ースが終わるくらいまで、すべて特番編成をしてこの事件について放送しましたが、それ
は適切だっただろうか。
確かに元首相の殺害事件であるから、ことの重大さから言えば当然特番を編成するのに十分
値するのは間違いない。しかし、報道特番を編成するにはその「重大性」とともに「更新さ
れる情報量」も考慮されなければならない。
ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」があります。
例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということがで
きる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。
あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷
者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編
成して伝える事項がたくさんある。
しかし、昨日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。
事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕さ
れていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては
「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。
「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間で
もあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、
それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況の
まとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。
しかし、テレビでは撃たれるシーンがこれでもか、というほど繰り返し流された。これだけ
で、ゴールデン・プライムタイムの時間を全て埋めなければならない。いくら、警察署や事
件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。
となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、
繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、
視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを
受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。
ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」があります。
例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということがで
きる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。
あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷
者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編
成して伝える事項がたくさんある。
しかし、8日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。
事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕さ
れていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては、
「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。
「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間で
もあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、
それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況の
まとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。
しかし、実際には同じ映像とコメントの繰り返しと、安倍氏の礼賛という内容になっていきま
した(以下、次回)。