大木昌の雑記帳

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ターシャ・デューダーの自然観から学ぶ

2021-08-30 13:40:49 | 思想・文化
ターシャ・デューダーの自然観から学ぶ

もし私が、この人のような人生を送りたい、という人を一人だけ挙げてください、と、
問われたら、即座にターシャ・デューダーと答えるでしょう。

ターシャ・デューダー(Tasha Dudor 1915-2008)はアメリカのボストンで生まれ
ました。父は著名な飛行機やヨットの設計者で、母は肖像画家でした。

ターシャの家には、『トムソーやの冒険』で知られたマーク・トウェイン、日本の自
然愛好家の間でもファンが多い『森の生活』の作者、哲学者・随筆家のヘンリー・デ
イヴィット・ソロー、アインシュタイン、など当代一流の文化人や科学者が出入りし
ていました(注1)

彼女は23才で結婚し、4人の子どもをもうけますが、離婚し、57才の時にバーモ
ント州のマールボロに移り住み、以来、亡くなるまで愛犬のコーギー犬のメギーとと
もに暮らしました。

ターシャは絵本作家として世界的によく知られており、我が家にも、彼女の代表作の
一つ、『コーギビルの村祭り』という絵本があります。

ターシャのもう一つの顔は、庭作りの名手、自然愛好家です。私が、ターシャに強く
惹かれたのは、NHK(BS)で、『ターシャの庭』という番組を何回か放送し、そ
のうちの何回を録画してあります。

そうした映像の中で、私が特に強い印象をもったのは、ターシャの子どもや孫が集ま
って、みんなで手分けした1年分のローソクを1000本作るシーンです。

私にはこういうことは発想にもないので、かなりショックを受けました。しかし、お
そらくターシャにとっては、もっとも居心地が良い光なのでしょう。

かつて、ソローが家に出入りしていた影響を受けたのかも知れませんが、ターシャは
筋金入りの自然愛好家のようです。

それは、彼女の庭作りにも表れています。一度でもターシャの庭の映像を見たことが
ある人なら、分かると思いますが、よく手入れさたおよそ30万坪の敷地は、彼女の
好きな草花で埋め尽くされています。

この庭は、ターシャが30年以上もかけて作り上げてきたものです。そのために、彼
女は花の周りの“雑草”を1本1本丹念に抜いて花を守てきました。

しかし、ある時彼女は、こうした作業を止めてしまいます。その時の言葉に私は、自
然愛好家としてのターシャの真骨頂を感じました。

ターシャは次のように言います(ターシャの言葉そのままではなく、私の記憶にある
言葉です)
    今まで、自分の育てた花をまもるために“雑草”を抜いてきました。しかし、
    雑草の花もきれいでしょ。私は、もうこの庭を自然に返そうと思いました。

庭の草花をよく見ると背の高い“雑草”が、彼女が育ててきた草花に交じって勢いよく
育っており、花が咲いていました。

短い言葉の中に、彼女の自然に対する深い思いが込められていると感じました。

彼女にとって、自分が種を播き苗を植えて育てた草花も庭全体も、そこに生えている
のはまぎれもない、生きた“自然物”です。

しかし、それは、どこからか種が飛んできて自生した本物の自然の植物ではなく、人
間の手でそこに移植させられ、周囲のライバルである“雑草”を取り除いた完璧な“人工
物”だというのです。

こうして、今はもう、雑草が生え放題になっています。

“雑草”と言う言葉は、“余計な草”“あって欲しくない”と言う意味が込められています。
そこには、“差別”の意識があります。

考えてみれば、これは自然に対するずいぶん失礼な考え方です。“雑”かどうかは、人
間が勝手に決めたもので、自然界では全てが“真”で、“雑”なものなどありません。

“雑草”を他の花と比較するのではなく、自然に対する偏見を取り払い、素直に向き合
えば、全ての植物にはそれぞれの美しさがあることに気づき、感動できる、と言い
たいのでしょう。

自然を大切に考える環境保護主義のなかにも、何も手を付けないでそっとしておくべ
きだ、という考えと、ある程度人間が手を加えて“保護”する必要がある、という考え
があります。

ただ、どちらも重要な前提が抜けています。それは、人間がすでに元々の自然に手を
加えてしまっている場合、それがたとえ外見では“自然の森”に見えても、放置すれば
荒れてしまいます。その場合は、ずっと手を加え続ける必要があります。

ターシャは育てている植物の周りの草を抜き、肥料を与えて保護しています。こうし
て、人工物である庭を維持してきました。しかし、ある時、ついに、それを止めるこ
とを決意します。

おそらく、そのままにしておけば“雑草”が辺りを覆いつくしてしまうでしょう。なぜ
なら、自生している雑草は、その土地に合っている、その土地の生き物だからです。

しかし、他所から持ち込んだ草花は、その土地の土や気候や水はけ、日照に無理や
り合わせてゆかなければなりません。

こうしたことを見据えた上でターシャは、自分が丹精込めて作り上げた庭を “自然
に返す”言ったのだと思います。

ターシャは93才で亡くなるまでに80冊以上の本を出版し、ターシャの庭で過ご
しました。

ターシャはたくさんの名言を残しましたが、私がもっとも気にいっているものを一
つだけ書いておきます。

 “人生は短いから、不幸なっている暇なんてないのよ”

時には落ち込むことがありますが、そんな時、この短いけれど励ましてくれる、い
わば、人生の応援歌です。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
コーギビルの村祭りの開始です                                    まつりのおみやげ屋さん
  

ターシャ・デユーダー『コーギビルの村祭り』メディア・ファクトリー                   『コーギビルの村祭り』より

お気に入りの花畑 後の木組みはアサガオを這わせるため                     庭のハイブッシュブルーベリーを摘む 愛犬のコーギー メギーとともに                         
            

ターシャ・デューダー『ターシャの庭』より                           『ターシャの庭』より




















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































 





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「自宅療養」という名の「自宅放置」

2021-08-23 11:20:14 | 健康・医療
自宅療養」という名の「自宅放置」

新型コロナウイルスは、今や全国に広がり、政府は8月20日、新型コロナウイルス対策として
東京など6都府県に発令中の緊急事態宣言の対象地域に、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、
福岡の7府県を追加しました。

また、宮城、岡山、富山、岐阜、三重、これまで優等生だった山梨など10県には、「まん延防
止等重点措置」を適用しました。いずれも9月12にまでを一応の期限としています。

しかし、ほとんどの日本人は、こうした“手あかに汚れた”宣言では効果がない、と感じています。
実際、7月から東京には緊急事態宣言が発出されていますが、感染者は減るどころか増加の一途
をたどっています。

とりわけ首都圏、特に東京都における感染症は驚愕すべき増加ぶりです。
8月20日の東京都の新規感染者(陽性者)は5405人で過去2番目の多さで、1週間前の13
日の5773人よりはやや減少しているものの、依然として5000人台という高水準が続いてい
ます。これは、保健所などに報告された分だけです。

政府の感染症対策分科会委員長の尾身が言っているように、もし十分な数の検査を行えば、感染者
は報告された人数より数倍に増えるでしょう。
ちなみに、8月20日に1日のPCR検査数は日本全体で11万3000件ほどです。人口が日本
の約半分のイギリスは75万件ですから、人口比でいえば日本は150万件でようやくイギリス並
みになるのです。現在の日本の検査数がいかに少ないか分かると思います。

先進国(たとえばG7)ではPCR検査を何回でも無料でできますが、それができないのは先進国
の中では日本だけです。

悪く勘ぐれば、コロナ禍が始まって以来、政府と厚労省も一貫してPCRの検査を抑えてきました
が、国民に実態を知られたくなかたのではないか、と勘繰りたくなります。

現在、東京都では日々5000人という感染者が出ています。単純計算で毎週3万5000人ずつ
感染者が増えてゆくことになります。

こうした陽性患者はどうなったのでしょうか。8月20日の時点で自宅療養者は26,297人
(一週間前には21,723人)で、入院・療養調整中に人が12,488人(これも自宅待機の
人です)、計3万8600人ほどになります。(22日現在では4万人になっています)

これらの人の中には、本来なら当然入院しなければならない人もかなり含まれています。

新型コロナ感染症は二類に入っており、軽症者(肺炎の所見なし)は本来入院か専用の隔離施設か
ホテルのような場所で隔離、中等症のI(呼吸困難、肺炎の所見)と II(酸素投与が必要)は入
院、重症者(集中治療室に入室または人工呼吸器が必要)はもちろん入院となっています。

しかし現実には、軽症者は自宅療養、中等症者でも、よほどひどくなければ自宅療養か、入院調整
中のため家で待っているという状況にあります。

もちろん、ベッド数と医療従事者が十分に足りていれば、軽症者(無症状者も含めて)であれ感染
者は入院して隔離し、感染を防ぐことが原則です。

最近、テレビで実態が紹介されていますが、東京ではかなりの重症者でも医療にたどり着かないで、
自宅で生命の危機に怯えつつ不安の中に置いておかれます。

全ての感染者は保健所の監視下に置かれ、行動の指示や入院への手配などを待つことになるのです
が、実際には、感染者が多すぎて、保健所からの指示もないまま自宅に放置されている人たちがた
くさんいます。

東京や首都圏で、在宅治療を行う医師と巡り会えて何らかの医療的な措置を受けることができた人
は、本当に幸運な人です。

そのような医師の一人は、自分たちは使命感で、できる限りのことをするが、それでも全体からみ
ればほんの一部の人にしか関われない、ともどかしさを訴えていました。

そして、終わりの見えない感染の拡大に直面して、もう心が折れそうだ、とも言っていました。

東京都で自宅待機している人が4万人近くいることを考えると、もうこうした個人的な頑張りでは実
態の解決というわけにはゆきません。

上記の医師は、「自宅療養」とはことばだけで実態は「自宅放置」です、とも言っていました。また
別の医師は、オリンピックの閉会式の日に、“和服を着て旗を振っている人がいますね”(小池都知事
のことです)、とポツリと言って言葉が強く印象に残っています。

最近、千葉県で、周産期を迎えた妊婦(コロナウイルスに感染していた)が、入院先が見つからない
まま自宅で療養し、挙句の果てに自分で出産し、残念ながら子供は出生後の医療てきケアを受けるこ
とができなかったために亡くなってしまう、という悲劇が起きました。

医療関係者は、今のように感染者が増え続けてゆくと、さらに多くの人が、医療にたどり着けないま
ま「自宅療養」という名の「自宅放置」を余儀なくされる人が増えるだろうと、心配しています。

なぜ、このような事態に至ってしまったのでしょうか?要因はいくつかあります。

まず、客観的には、感染者数が予想を超えて急速に増えてしまったという状況があります。その背景
として、以前にも何回か書きましたが、昨年のGo To Travel と Go to Eat の二つが、首都圏だけでな
く、全国にウイルスをまき散らした、元凶だと思っています。

これをさらに悪化させのは、国民の多くが反対してきたオリンピック・パラリンピックを強行したた
め、国民間には、“オリンピックをやっているんだから”という気分的な“ゆるみ”を生んだことです。

加えて、1年にもおよぶ緊急事態宣言や蔓延防止等措置に国民は慣れっこになってしまい、“緊急性”を
感じなくなってしました。

それにしても、昨年の1月に日本に新型コロナウイルスが確認されてから、現在まで1年7カ月もあ
ったにも関わらず、感染の拡大への危機対応として政府は、施設(「野戦病院」的なものも含めて」、
ベッド数、スタッフの準備を真剣に行ってきませんでした。

さらに、菅首相はワクチン接種が進めば感染も収まり、世間の不満も和らぐだろうと、というワクチ
ン、「一本足打法」にしがみついています。

さらに、菅首相には、今は反対でもオリンピックが始まってしまえば、国民はみんな熱狂し、政権へ
の批判も収まり内閣支持率も上がるだろう、という根拠のない楽観論があったようです。

しかし、感染者の数はオリンピック開催期間中に激増し、こうした楽観論は吹っ飛んでしまい、全て
の対策が後手後手にまわっています。

そして、菅内閣の支持率は下がり続け、30%を下回る調査結果もあります。

国民の間には、オリンピックの開催そのものには、やって良かったという感想もありましたが、菅首
相が期待した政権浮揚にはつながりませんでした。国民は菅首相の目論見を見抜いているのです。

私がきにしているのは、菅首相が、オリンピック開催期間中で感染者が急速にふえていた8月2日、
閣僚会議を開き、突如、入院対象者を重症者に限定する方針を決めました。

これに対して、同席した閣僚からは、何の反対意見は出なかったようですが、このことが公になると、
事前に相談をされなかった、自民党議員から強い反発がでて、政府に撤回を求めました。

この措置について専門家の意見を聞いたのかという質問に、国会で答弁に立った田村厚労相は、“これ
はオペレーションの問題だから政府で決めさせていただきました”と開き直っていました。

しかし、自民党や国民の反発が強まると、田村厚労相は恥ずかしげもなく、“中等症の人は当然、入院
していただく“と、手のひらを返すように、答えました。無節操と首相への忖度が目に余ります。

菅首相は、軽症・中等症の人は(IもII)も原則として自宅療養にする、という原則を撤回していま
せん。

菅首相は、感染者を病院に入院させ、医療の監視の下で治療を行うことを放棄した、と開き直っている
としか思えません。

これからは、入院できずに「自宅療養」という名の「自宅放置」が増えてゆくことになります。5月に
大阪で感染爆発が起こった時、感染者の中で、病院にたどり着いたのは10人に1人だけでした。この
ため、自宅で亡くなった方が何人も出ました。現在の東京も同様かそれ以上悲惨な状況になるのではな
いか、ととても心配です。

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感染爆発と国民のプチ反乱?―「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」―

2021-08-15 08:40:51 | 健康・医療
感染爆発と国民のプチ反乱?
―「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」―

2021年8月13日、全国の新型コロナの新規陽性が初めて、2万人を超えました。まさに、
火事は首都圏だけでなく、全国に燃え広がり収拾不可能な状態です。

折しも、現在はお盆の最中でふるさとへの帰省と休暇を利用しての旅行の季節です。政府や
東京都は、できるだけ帰省を控えるよう訴えています。それに対してSNSには多くの大喜
利川柳が寄せられています。あるサイトには25の秀作が掲載されています(注1)。

副題に引用した「中止の考えはない。強い警戒心を持って帰省に望む」は、オリンピック中
止の考えはないかと問われて「強い警戒感を持ってオリンピックに臨む」と答えた菅首相の
返事に対する、国民の側からのユーモアと皮肉を込めた傑作の一つです。

このほかにも傑作は多数ありますが、私が特に気に入ったものを、このブログ記事の最後で
もう少し引用しまが、いずれにしても、これらは、意識しているか無意識かは別にして、菅
政権の無策と、オリンピックの強行開催、安心安全という言葉の乱発、検査体制の不備など
の諸要因がウイルスのまん延を許し、行動の自由を奪われた国民の恨みを込めた“プチ反乱”
の表現ではないかとだと私は感じています。

さて、新型ウイルスの拡散問題に戻りましょう。昨年、私たちは、欧米の感染者が何万人、
というニュースに接して、欧米は大変なことになってるなと、やや同情も含めて感じていま
した。

日本においても、1か月前の7月13日には、新規陽性者は2377人でしたから、この一
か月でやく10倍弱に激増したことになります。

とりわけ、東京都の感染者は7月13日にはわずかに830人だったのですが、8月13日
には過去最高の5773人へ約7倍に膨れ上がってしまいました。東京都のモニタリング会
議の議長は「制御不能」との言葉で表現しています。

これに伴って、東京を囲む埼玉・神奈川・千葉の三県へ、さらには全国に沁み出すように感
染が拡大しました。

政府は経済的な打撃を恐れて、東京都に緊急事態宣言を出すことを躊躇していましたが、つ
いに7月12日には4回目の緊急事態宣言を発出し、すでに適用されていた沖県県に対して
も8月22日まで(後に31日まで延長)実施されました。

冒頭で述べた、日本における感染爆発は突然起こったわけではなく、専門家の間では以前か
ら予想され、警告が発せられていました。

たとえばオリンピックの開催について議論されていたころ、政府寄りとみられている政府感
染症対策分科会会長の尾身氏は早くも6月2日に国会で「パンデミック下でのオリンピック
開催は普通はないわけです」とはっきりと警告していました。

国民の間でも、三分の二くらいがオリンピック中止か延期すべきとの意見が主流でした。

政府は、海外からの選手・関係者には、「バブル方式」(泡の中に包み込んで、外部の日本人
とは接触させない方法)を適用し、安心安全なオリンピックを開催(7月23~8月8日)す
る、と反対意見を突っぱねていました。

この時、菅首相も関係閣僚も、明らかに国民の目を問題の本質から意図的に目をそらそうとし
ているように思えます。

専門家や国民が恐れていたのは、参加選手の健康よりはむしろ,五輪のような大規模のお祭
りをやることによって、人びとの気持ちが緩んでしまい、感染が拡大することだったのです。

事実、その後の経過をみれば、予想通り、人びとの気持ちは緩み、“不要不急”の外出は減るど
ころか増え、感染者は急激に増えていったのです。

感染症の専門家はすでに、7月23日の開会式のころには東京都だけでも4000~5000
人、さらに8月中には1万人の新規陽性者が出ても不思議はない、と警告していました。実際、
オリンピック期間中に、新規の感染者はうなぎのぼりに増加しました。

政府は当初から、一方でオリンピックを精一杯盛り上げようと必死でしたが、他方で国民に対
してはて、不要不急の外出は避け、家でテレビ観戦して欲しい、と呼びかけていました。

政府は一方で、オリンピックという盛大なお祭りを強行しておきながら国民には外出の自粛を
要求することの矛盾を、素朴ながら強烈に突いたのは子どもたちでした。

楽しみにしていた運動会が中止となった6月の始め、子供たちは「運動会は中止なのにオリン
ピックはやるの?」という疑問を、を先生や親ぶつけました。

四回目の緊急事態宣言にも関わらず、“人流”(いやな言葉ですが)の減り方はごくわずかで、
新規陽性者の数は増え続けました。

政府や東京都は、飲食店への時短営業や酒類の提供中止を要請しましたが、多くお店は実際に
は営業を続けていました。

これは、政府の言うことを聞いていたら、店はつぶれてしまうという、ギリギリの立場に立た
された経営者のやむに已まれぬ生活防衛であり、十分な補償もしないで一方的に時短営業を要
請し酒類の提供をやめさせようとする政府に対する“反乱”でもあったのです。

店から締め出された若者は夜の街で若者は「路上飲み」を盛んに楽しんでいました。最後は警
察官まで動員して、注意していましたが、一旦は移動しても、すぐに戻ってきて「路上飲み」
を再開していました。

若者にしてみれば、自分たちの大切な青春と楽しみを奪ったのは政府の無策と矛盾した政策だ
との怒りが心の底にあったのだと思います。

同様の感情は、多くの大人も感じていたに違いありません。昨年の帰省や旅行を諦めた人たち
には、もう政府の言うことばかりを聞いていられない、という感情があったのでしょう。

また、政府が帰省や旅行の中止が呼びかけたにも関わらず、航空便の予約は昨年の同期をはる
かに上回っています。

日本人の多くはオリンピックで競技そのものには感動したものの、菅政権に対する支持率は、
菅首相の期待に反して30%を切ったことに現れています。

日本人このような背景をと、冒頭に示した大喜利川柳の意味が、いっそう鮮明になります。私
が特に気に入ったものを以下にいくつか紹介します。(ほとんどは菅首相の言葉に対して)

「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
「コロナに打ち勝った証として帰省する」
「『帰省するな』ではなく、『どうやったら帰省できるか』を皆さんで考えて、どうにか
 できるようにしてほしいと思います」
「我々は帰省の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言っ
てもなかなか通じづらいのではないか」(丸川大臣の言葉)
「帰省が感染拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
「(帰省について)政府は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
「帰省することで、緊急事態宣言下でも帰省できるということを世界に示したい」
「帰省に反対するのは反日的な人たち」
「実際帰省したら、帰省に反対していた国民もやっぱり帰省して良かったと言い出すに違
 いない。」
「予見できないアルマゲドンでもない限り帰省できる」(パウンドIOC委員)
「安全、安心な帰省を実現することにより、希望と勇気を政府の皆さまに届けられると考えている」
「(帰省の意義について)コロナ禍で分断された家族の間に絆を取り戻す大きな意義があ る」

こうして並べてみると、日本人のユーモアのセンスも捨てたものではない、と思います。


(注1)『よどきかく』https://yodokikaku.net/?p=46101 更新日:2021/8/12 公開日2021/8/4


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「日本の運命」―立花隆氏が言い残したかったこと―

2021-08-08 06:26:04 | 歴史
「日本の運命」―立花隆氏が言い残したかったこと―(注1)

「知の巨人」のニックネームをもつジャーナリスト立花隆氏(本名 橘 隆志)が2021年4月30日
に亡くなりました(享年80才)。

立花は1940年長崎で生まれ、2歳の時、教師をしていた父親とともに北京に渡りました。敗戦後の
1946年、引揚者として日本に戻ります。

東大仏文科を卒業し、東京大仏文科卒し、文芸春秋社を退社しフリーになった後の1974年、「田中
角栄研究 その金脈と人脈」を発表、故田中角栄首相の金権政治の実態を明らかにしました。

徹底した取材と緻密な分析を行う彼の手法は「ニュージャーナリズムの旗手」と呼ばれ、ジャーナ
リズム界に大きな影響を与えました。

その後も立花は日本を代表するジャーナリスト、評論家、ノンフィクション作家として活躍しまし
たが、彼が扱ったテーマは政治問題だけでなく、生物学、環境問題、医療、宇宙、経済、生命、哲
学、臨死体験など多岐にわたっており、何冊もの著書がベストセラーをなっており、文字通り「知
の巨人」と言えます。

私たちは彼が切り開いた知の世界は著書を通して知ることができますが、そうした仕事とは別に、
彼は日本の将来について思いを馳せていました。

2009年に札幌で行われたシンポジウムで彼は「日本の運命」について語っています。その一部は、
今年の6月にBS-TBSで放送された『報道1930』の中で紹介されています。

番組では立花が日本の運命をどのように考え、何を次世代に伝えるべきかについて語ったことを
アナウンサーが吹き替えて紹介し、同世代で彼と50年来の親交がある盟友、そしてこの札幌で
のシンポジウムに参加した作家の保坂正康氏が解説と補足を加えて紹介しています。

まず、立花隆は日本の現状と将来について次にように語っています。
    一言でいうと、ほとんど滅びるのが確実な状況にあります。おそらく日本人の大半の認
    識は、「かなり状況は悪いけれど 破滅までは行かないだろう」というものではないか
    と思いますが、けっしてそうではありません」。

    今を太平洋戦争の戦局にたとえてみましょう。とっくにミッドウェー海戦は終わってい
    ます。ガダルカナルからも撤退している。おそらく昭和17年(1942)が終わって18年、
    山本五十六長官が戦死する。そうした状況に比すべき大きな流れのなかにあります。

    日本はすでに負け戦の段階に完全に入っています。できる最善のことはダメージコント
    ロール。要するに敗北必死で相当の損害を受けることは確実ながら、被害を最小限にと
    どめる方策を考える段階にきている。いかに上手に負けて次の時代につなげるのかを考
    えることがいま、一番必要だろうと思います。

この発言の背景について保坂氏は番組の中で次のように補足し解説しており、それを示しておき
ます(カッコ内は私が補ったもの)。

資本主義は栄枯盛衰を繰り返してきた。オランダ、イギリス、アメリカと。その流れの中で日本
は何をすべきかを考えるべきだ。

日本は(これらの国々の中で)一番衰退の方向に向かっている国の在り方だ、と(立花は)言っ
ている。人口減、財政赤字、しかし最も強く言ったのは科学技術者の少なさ。科学技術者に対す
る日本人の後退的な意識。もともと日本人は職人がいて物を作っていた時代から変転していった
中で、その変転そのものが時代を壊している。そのことを理解した上で今の問題と向き合うべき
だと言った。

今の問題とは何か。それは私たち自身の中に持っている、本当に人間としての歴史を作ってゆく
ときの気構え、指導者がそれだけのなりの責任と自覚をもって政治を動かしているかということ
の責任、そういうことを具体的に言った。この時、漢字の読めない首相(麻生氏のこと?)の時
でしたが、こういう人が首相になるという事態の中に何があるのか、ということを考えましょう、
と言った。

保坂氏は続けて、立花の歴史認識について補足しています。

彼のなかには、この時代、日本はかなり衰退に向かっているという危機意識があり、同時に自分
と同じように戦後民主主義を作ってきた世代が世代的に役割と責任がある。

世代の役割を自覚しながら次の世代に託してゆこう。それは戦争体験の検証をきちんと伝えるこ
と、戦後民主主義のもっている長短を含めて伝えてゆくこと、なぜ戦前を批判するのかという強
い姿勢を明確にするということ。そういうことが彼の中にあったんだなあ、と思う。

なぜ戦前の指導者は、数字を見れば明らかに連合軍に劣っているのに戦争に突入したのか。それ
は数字のパラメータをいじって、アメリカと五分五分で行けるんだという自己充足感を(当時の
指導者が)もったから。そういうシステムや官僚的発想を克服しなければいけない、と彼は言っ
ている。戦争の反省とはそういうことだ、と彼は言っている。単なるヒューマニズムとは異なる
論点から戦争を批判している。

そして立花は、自分たちの世代がしなければならないこととして、
我々の世代は戦争体験をきちんと書き残すことだよね。ただ大事なことは、長崎、広島の原爆で
亡くなった方、戦争で亡くなった方、その遺族、そういう人たちがみんないなくなった時、日本
はどうなっているんだろう。

だれが語り継ぐのだろうか。経験者、体験者が一人もいなくなったら日本社会は空恐ろしいよね。
私たちは伝承する継承するということに関して、本当に体験者が一人もいなくなったとき、なん
だ昔話思い出話で終わってゆくという形で戦争が語られてゆくならば何の意味もない。

おそらく、現在の日本人の大部分は、日本は「先進国」で豊かな国だと思っているでしょう。しか
し、立花氏は、資本主義国の中で最も衰退の方向に向かっている、という危機意識が政治の指導者
にも国民にもないことに立花氏は強い危機感を感じています。

番組の司会者である松原氏は、以前、『ニュース23』の司会をしていた2011年12年ごろ立花氏に
出演してもらったことがあるそうです。その時立花氏が、強く言っていたのは、現在の日本の財政
赤字はローマ以来、それ以上ひどい借金があり、それをおそらく返せないだろう。それなのに、将
来世代に押し付けようと平然している。どうなってしまったんだこの国は、と嘆いていたそうです。

また、『報道1930』のコメンテータの堤 伸輔氏(TBS)は、立花氏が語った2009年以降、
人口減、財政赤字、基礎科学に対するお金がどんどん削れられていて、2009年よりどの項目もひど
くなっている、と指摘しています。

もうすぐ76回目の「敗戦記念日」がやってきます。当時は、意図的に数字をいじって、アメリカ
と五分五分で戦える、との結論をひねり出し、自己満足して戦争に突入してしまったことを、決し
て忘れることなく、深く心に刻むべきでしょう。

このほか、日本が科学技術、特に基礎科学の研究に力を入れてこなかったこともその通りで、現在
猛威を振るっているウイルスの基礎研究にしても、それにたいするワクチン研究も、国を挙げて研
究費と人材と投入してこなかったため、現在のパンデミックに対するワクチンも治療薬も全て外国
に依存しています。

また日本人のノーベル賞受賞者の多くは、受賞時にこそ日本に在住していますが、その研究は外国
(特にアメリカ)での研究の成果なのです。

現在、首都圏を感染爆発が起こっている状況にたいしても政府は、なぜ、このような状況になってし
まったかを、真剣に検証していません。

それだけでなく、都合の良い数字だけをつまみ食いして、あたかも事態は抑えられている、良い方向
に向かっているかのようなメッセージを発信し続けています。

不織布マスクの争奪戦でも後れを取って、ほとんど利用されなかった布マスクで代用したり、頼みの
ワクチンも4月に国民全部に行き渡る量を確保してある、と豪語しておきながら、実は、足りなくな
っている状態です。

この状況について私は以前、「ワクチン敗戦」と書きました。

そして、現在、欧米諸国やイスラエルでは3回目の接種のためのワクチンの争奪戦を繰り広げていま
すが、一周遅れの日本には、この争奪戦が終わった後にならないと回ってきそうにもありません。

オリンピックの開会式に向けて来日したファイザー社のCEOに菅首相は、ワクチンを前倒しで日本
に売ってくれるよう要請しましたが、承諾を得られませんでした。

こうした状況を総合的に考えると、立花が伝えたかったことが、今の日本にとってとても示唆に富む
内容であったことが分かります。

つまり立花は、今の日本はすでに、戦争でいえば「負け戦」の状況にあり、「滅びるのが確実な状況
にある」という危機意識と現状の実態を冷徹に認識する必要がある、それに対して我々がすべき最善
の策は、敗戦のダメージを最小にすることだ、と言っているのです。

このような言葉から、彼は極端な悲観論を語っているように聞こえますが、そうではなくて、こうし
た厳しい現実を直視した上で初めて、日本を再建する方法性が出てくる、と言いたいのだと私は理解
しました。

もし、現実から目を背けて、反省もなく明るい将来展望だけを追い求めるならば、立花が言うように、
日本は本当に滅びしまうでしょう。


(注1)今回の記事は、2021年6月28日放送の(BS-TBSの報道番組『報道1930』)のうち、立花
    隆のシンポジウムでの発言と、同世代の盟友、作家の保坂正康氏の解説と見解を整理したもの
    です。なお、2021年6月30日のNHK『クローズアップ現代』も立花氏が伝えたかったこと
    を紹介しています。

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オリンピック考(2)―感染爆発前夜の歓声と感動なき開会式―

2021-08-01 11:51:05 | スポーツ
オリンピック考(2)―感染爆発前夜の歓声と感動なき開会式―

2021年7月31日、ついに東京都だけで新型コロナウイルスの新規感染者が4000人
を超え、日本全体では1万人を超えました。

この惨状を前にして、改めてオリンピック開会式を考えると、そこに、絶望的なギャップ
と違和感を感じます。

一方で、IOC、日本政府、組織委員会はあの手この手でお祭りムードを盛り上げようと
必死でした。その陰で、ウイルスは着々と広がり、ついに7月31日の驚愕すべき数字と
なって、その正体を現したのです。

こんなことを考えながら、オリンピック開会式を振り返ってみたいと思います。

ところで、開会式が無観客であることは予め分かっていたので、歓声がないことは当然で
す。それにしても、本来、オリンピックの開会式というのは、全日程の中でも、ひときわ
感動を呼ぶはずのイベントです。

思えば、コロナ禍のため開催都市東京は緊急事態宣言下にあり、開会式を無観客で行わな
ければならないということ自体、本来この状況下でオリンピックを開催すべきではない、
ということの何よりの証拠で。

それでは、テレビの前で観ていた多くの人は、今回の開会式に感動したのでしょうか?私は
録画で観ましたが、残念ながら、全く感動しませんでした。その理由は後に述べるとして、
まず、吉見俊哉・東大大学院教授の開会式に関するコメントと紹介しておきます。
    2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。
    借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセ
    ージも欠けていた。状況がまるで違うのは百も承知だが、9年前のロンドン五輪開
    会式の華麗な演出と比較すれば、その落差は目を覆いたくなるほどだ(注1)。

総合的な評価はこのコメントに尽きますが、少し補足しておきたい点があります。まず、当
初は振付師のMIKIKO(3人組テクノポップユニット)がネオ東京とパンデミック下の東京の
今を重ねるものであったらしい。それが実現していれば、五輪開催の賛否はさておき、政治
や経済は劣化していても、文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせること
ができたであろう、吉見氏は述べっています(注1と同じ)。

しかも、当時は野村萬斎と椎名林檎という才気に満ちた面々が演出チームに加わっていまし
た。ところが、理由もなくのチームは3月には解散させられました。

代わって、電通出身の佐々木宏氏が責任者となるのですが、佐々木氏のプランがあるタレン
トを侮辱しているとの批判から辞任に追い込まれました。その後の演出担当者のゴタゴタに
ついては書きませんが、実際の開会式は本当に、借り物のつぎはぎでした。

上空に浮かぶドローンによる「地球」は中国での流行の後追いだし、世界のスターたちが歌
うジョン・レノンの「イマジン」に至っては、昨年3月、世界を励まそうと著名な歌手や俳優
がこの歌を動画でリレーした試みの二番煎じでしかないのです。

ついでに言うと、ドローンの「地球」はもともとMIKIKOのプランで、そのために何度もドイ
ツに何度も足を運んで研究したという。そのプランを佐々木氏たちが要領良く”いただいた”、
俗な言い方をすれば“パクった”のです。

この開会式関して、あるテレビの情報番組でデヴィ夫人が、160億円も使ってあの地味な開
会式しかできなかったことに失望した、また聖火台への点火に大坂なおみを使い、日本選手団
の旗手に八村塁を起用したのも、「多様性」を演出したかったのかも知れないが、あまりに薄
っぺらだ、と酷評していました。同感です。

ここには「混血=多様性」という、とても安直な発想が伺えます。

24日に放送されたTBS系情報番組『新・情報7daysニュースキャスター』にビートたけしが出演
し、番組冒頭から、「昨日の開会式、いや〜面白かったね」と振り返るかと思いきや「ずいぶん
寝ちゃいましたよ」と酷評。「金返してほしいですね。困ったねぇ」と言いつつ、「外国に恥ず
かしくて行けないよ」と、皮肉たっぷりに開会式を批判しました。

おそらく、新たな演出チームのメンバーは、なぜ「外国に恥ずかしくて行けない」のか分からな
いのではないでしょうか。

個人的な感想を言えば、日本が開発した人間ピクトグラムだけは十分に楽しめましたが、そのほ
かのオープニングのさまざまな演技や趣向にはほとんど感動しませんでした。

大会組織委員会の橋本聖子会長はあいさつで「今こそ、アスリートとスポーツの力を見せるとき。
その力こそが、人々に再び希望を取り戻し、世界を一つにすることができると信じている」と述
べました。

言ってみれば、こんな時の決まり文句で、どこにも心からの訴えとは感じませんでした。

また、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は「今日という日は希望の瞬間。この一体
感こそがパンデミックの暗いトンネルの先の光だ」と話しました。

橋本氏の「世界を一つに」とか、バッハ氏の「この一体感こそがパンデミックの暗いトンネルの
先の光だ」という言葉がとても嘘っぽく響きました。

こうした巨額の費用をかけた、無観客の開会式が行われている背後では、日々コロナの新規感染
者の増加、それも激増が続いていて、「トンネルの先の光」どころか、冒頭で書いたように、こ
の一週間後には開催地東京で4000人を超す感染爆発が起きているのです。

いつまでトンネルが続くのかと、多くの国民は不安を抱き、医療現場での医療従事者が危機感を
もって激務に耐えています。

そして、私が気になったのは、開会式のコンセプトで、日本語では「共感を通じた連帯」、英語
で「United by Emotion」となっていますが、最も大事なコンセプトがほとんど伝わってこなかっ
たことです。(ちなみに「共感」の表現としてemotion が適切かどうか英語の専門家に聞いて
いみたいです)

もっと深刻なのは、開会式の脈絡のなさでした。なぜ、唐突に「火消しと木遣り」が現れてパフ
ォーマンスをしたり、市川海老蔵さんがごく短時間現れて歌舞伎の所作を披露したのか、全く意
味が分かりません。

開会式当日の『東京新聞』(朝刊)を読むと、開会式を実行する組織の職員が、開会式のプログ
ラムを固めた後、「組織委や都の有力な関係者やJOCサイドから、唐突に有名人などの出演依
頼が下りてくる。部内では有力者ごとに「〇〇案件」とささやかれた、という内情を暴露してい
ました。

具体的には、『週刊文春』が早くも4月8日号で『 森・菅・小池の五輪開会式“口利きリスト” 』と
して既にすっぱ抜いていまいた。たとえば小池百合子都知事が「火消しと木遣りを演出に入れて。
絶対よ」と組織委側に要望を伝えていたという。

火消し団体の総元締めである『江戸消防記念会』はもともと自民系の団体だったが、2016年の都
知事選で江戸消防会の一支部が小池を支援しました。小池氏からすればこのときの「恩返し」で
あると。これが約4カ月前の記事なのです。

そして、実際の開会式でも「火消しと木遣り」の演技がありましたから『文春』の記事は正しか
ったことになります。

他に、森喜朗案件として市川海老蔵の名があり、『文春』はこちらも的中し、海老蔵氏が登場し
ました。海老蔵のファンである私には、こんな使い方をされたことが気の毒でたまりません。

こうした内情を知れば、開会式が、そのコンセプトで統一されていたのではなく、さまざまな横
やりで、ごちゃごちゃになって一貫性を書いていたことの理由がわかります(注2)。

それでは、今回の開会式を海外ではどう見たのでしょうか。

米主要メディアは始まる前から東京五輪は「完全な失敗に向かっている。『おもてなし』の心は
偏狭で内向きな外国人への警戒に変化した」(ワシントン・ポスト)、と酷評していた。

アメリカのインテリ若年層に圧倒的人気のあるニュースサイト「ザ・デイリー・ビースト」が東
京に派遣したエンターテインメント担当記者、ケビン・ファーロン氏の現地報告を紹介しよう。
とても的を射ています。
    人っ子一人いない観客に向かって言い放たれた(開会式の)メッセージは内向きで、は
    にかむような大言壮語だった。オリンピックは、嫌われ者のウイルスをまき散らすスー
    パースプレッダー(超感染拡散者)だ。オリンピックが、観客席は空っぽの国立競技場
    でこの夜デビューした。
    度肝を抜く華やかな花火が打ち上げられた。だが、その後に何が起こるのか。控えめな
    言い方をすれば、誰も五輪はやりたくなかったはずだ(つまり、一部の人間を除き、み
    な反対だった)。・・・
    だがこの夜の開会式を見ていて気づくのは、なぜこんなに慇懃な(Respectful)なのか、
    もっと言えば、なぜこんなにくだらない(Stupid)のか、ということだった(中略)。
    世論調査では日本国民の多くが東京五輪の中止か、再延長を望んでいた。観客がいない
    のになぜ世界中から集まった選手たちを歓迎し、祝福することができるのだろうか。
    家から出られないのに日本国民はどうやってグローバルなイベントを楽しめる特権を享
    受できるというのだろう。この競技場の記者席から見ていると東京五輪の開会式は気が
    滅入る(Depressing)だけだった(注3)。

また、イタリア紙ラ・スタンパは9日付で関係者を除き無観客で行われる開会式について「人気
(ひとけ)の無い通りを仮装した人たちが行進する、紙吹雪のないカーニバルのよう」と評して
います。これも事態を端的に表しています(注4)。

本当に、メッセージ性も一貫性もない、空しい開会式、というのが私の偽らざる印象でした。そ
して、その会場の外では、深く静かにウイルスがまん延しキバをむく準備をしていたのです。

これは、もうほとんどホラー映画の一場面です。


(注1)『毎日新聞』デジタル(2021年7月30日)https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/040/341000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210730
(注2)『文春オンライン』(7/27(火) 6:12) https://bunshun.jp/articles/-/47374)
(注3)JBpress 2021/07/25 06:00 https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin- 2020 。
(注4)『朝日新聞』デジタル 7/24(土) 6:00 https://www.asahi.com/articles/ASP7R6HZZP7RUHBI018.html?_requesturl=articles%2FASP7R6HZZP7RUHBI018.html&pn=12

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