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大木昌の雑記帳

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安保法案は無効化できます―カギは支持率と来年の参議院選―

2015-07-28 09:49:03 | 政治
安保法案は無効化できます―カギは来年の参議院選と支持率―

安倍政権は,安保関連法案を衆議院で強行採決までして通過させ,7月27日から参議院での審議に入りました。

憲法学者のほとんどは,法案は憲法違反の疑いが極めて高いと考えています。しかも,改憲という正規の方法をとらず,
まるで裏口入学のように,こっそりと解釈の変更で憲法の実質的な効力を葬ってしまおう,という立憲主義を根底から
否定する蛮行です。

いくら反対しても,現在の衆議院の議席数を考えれば,たとえ参議院で賛成を得られなくても,そして最悪でも「60日
ルール」を用いれば法案は,通ってしまうかもしれません。

それは,それで仕方ないかもしれませんが,たとえ法律が通っても,それで終わりではありません。

今すぐ,廃案にすることはできませんが,安保法案を実際に使用できなくする,言い換えると無効化する方法はあるのです。

7月26日,野田市「9条の会」主催で行われた,柳澤協二氏の講演会(野田市中央公民館)に出席し,まだまだできること,
やるべきことはある,と力強い勇気を与えられました。

柳澤氏は1970年,東大法学部を卒業し,同年防衛庁(当時)に入省し,2002年1月,防衛庁長官官房長,同年8月,防衛庁
防衛研究所所長を経て,2004~2009年,内閣官房副長官補を務めた後,退官し,2011年からはNPO法人,国際地政学研究
所理事長に就任しています。

この簡単な経歴からもわかるように,柳澤氏は,防衛庁の文官として40年間,エリート官僚の道を歩んできた,防衛に
関するエキスパートです。

合わせて,内閣官房副長官という政治の中枢にもいて,政策の立案や実施についても実務的な知識を豊富にもっています。

現役かつてイラク戦争の際には,自衛隊をイラクに送った経験も持っています。

こうした経験だけをみると,柳澤氏は,体制寄り(政府・自民党寄り)の人物との印象を持ちます。

しかし,今回の安倍政権の安保関連法案に対しては,その内容が法律的にも実際的にもあまりにもひどく,しかも非現実的
であり,日本を間違った方向に導いてしまう,という強い危機感から,安保関連法案に非常に強く反対し,講演や著作を通
じて,その問題点を指摘しています。

たとえば,安保関連法案に関して出版された,『亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(岩波書店,2014),
『亡国の集団的自衛権』(集英社新書,2015)『新安保法制は日本をどこに導くか』(かもがわ出版)などは,彼の経験に
基づく,非常に貴重な著作です。

これらの本で何が書かれているかは別の機会に譲るとして,彼の指摘の中で,私が最も勇気づけられたのは次の点でした。

つまり,私たちは,一旦,法案が通ってしまったら,それで終わりだと思いがちですが,そうではありません。

安保関連法案を現実に使わせない,無効化する方法もあるのです。それは,参議院で,国会承認を拒否することです。

たとえ,自衛隊が集団的自衛権の行使が法律で認められていたとしても,実際に自衛隊を派遣するためには,国会
承認
が必要です。

この国会承認は衆議院だけでなく参議院も同等の権利を持っており,しかも両院での承認が必要です。したがって,
もし参議院で否決されれば,派遣はできません。

なぜなら,法案の成立時には,「60日ルール」が適用可能で,たとえ参議院が否決しても,あるいは60日以内に議決
しなくても,再び衆議院に戻されて3分の2以上の賛成で可決できます。

ところが,この国会承認には「60日ルール」は適用されません。したがって,今回の安保関連法案があっても,実際に
自衛隊を動かすのはそれほど簡単ではありません。

そこで,非常に重要となるのが来年夏の参議選挙です,と柳澤氏は訴えていました。

まだ時間があるから,参議院選にむけて,少なくとも,現政権与党の議員を減らすこよう心がけましょう,と示唆していました。

これは,「戦争法案」である安保関連法案を無効化する,非常に重要なポイントだと思いました。

もう一つ,私は個人的に,選挙まで待たなくても,人々の内閣支持率を下げることも,政府に勝手なことをさせない大きな力
になると考えてきました。

安倍政権の支持率は,6月の調査と比べて,直近の7月18-19日の,日経新聞の調査でも,支持率は38%,不支持率は
50%を超えていました。支持率は6月と比べて10ポイント以上下がっています。

自民党の担当大臣の高村氏も官房長官の菅氏も「想定の範囲内」と言っています,支持率を気にする安倍首相も,内心では
相当,戦々恐々としているはずです。

私たちは,内閣支持に関するアンケートにでも当たらなければ,直接に支持率を下げることはできませんが,自分にできる範囲
で,周囲の人に戦争法案の危険性を語り合い勉強することは必要だと思います。

ところで,政府は,集団的自衛権の発動に先だって,「原則として」国会の事前承認を必要とするとは言っています。

しかし,緊急事態につき,事前の審議は間に合わない事態だから,事後承認にする,という詭弁を用いるでしょう。

また,政府は自衛隊を派遣する理由も目的も,すべて「秘密保護法」を口実として,一切,明かさないかもしれません。

しかし,もし,国民の代表である国会の事前の承認もなく,自衛隊派遣の理由も目的も明らかにしないで集団的自衛権
を行使(実際には戦闘行為を)したら,戦前の日本が満州,中国で経験したように,いつの間にか,日本は泥沼の戦争
にのめり込んでしまいます。

これには,さすがに国民の間にも,与党の中でさえ,反対が多いでしょうから,政府としても,国会を無視した軍事行動
を繰り返し発動できるわけではありません。

もっとも,来年の参院選の結果次第で,安倍政権がそのまま続くかどうかも分かりませんが・・・・・。

参議院選は来年の夏なので,政府は,多くの国民はバカだから,きっとそれまでには安保法案のことなど忘れている
だろう,と高をくくっています。

自民党の実行部は,国民をこの程度に見下いしているのですが,実に国民をバカにした話です。

おそらく,「アベノミクス」という目くらまし戦略が予想以上に効を奏し,高い支持率を得ることができたので,安保法案
もうまくゆくだろう,との驕りと慢心があるのでしょう。

ただし,柳澤氏は,人は怒りを長い間持ち続けるのは難しい,だから,すくなくとも来年の参議院選挙まで,この問題を
考え続け反対の声を上げ続けるる努力が必要です,とも言っていました。

もちろん,この問題は参議院選のあとも,日本という国が立憲主義国家であり,民主国家であり,さらに平和憲法をも
った誇り高い国であることを守ってゆくためには,これからもずっと続く長期の戦いになるので,その覚悟が必要で
あることも語っていました。

これらの崇高な理念は,何もしないでただ与えられることはありませんから,それが侵される危険があったら,反対の
声を上げる,不断の努力が長期間必要だということも再認識しました。

私は昨日(7月27日),若手弁護士が立ち上げた「憲法を考える千葉県若手弁護士の会」の第1回の「未来のための
憲法講座」に出席しました。

この日には,日弁連憲法対策本部副部長の伊東 真氏の講演がありました。伊東氏も,多くの著作や公演で,今回の
安保法制反対の活動をしています。

その彼も,今回の安保法制に対する戦いは,非常に長期間にわたる,ひょっとすると,30年,100年という単位で続け
る必要がある,と述べていました。

私たちは,なにげなく「戦後70年」という言葉を口にします。しかし,よくよく考えてみると,これは「最後に戦争をしたのは
70年前」,同時にそれは,「それ以後70年も戦争をしてこなかった」ということも意味しています。

アメリカのように,第二次世界大戦以後,今日までどこかで(20か所で)戦争をしてきたことを考えれば,日本がこれほど
長期に戦争で人を殺し,殺される経験をしてこなかったことは,とても誇れることです。

それには「憲法9条」が大きな柱となってきたことは確かですが,自民党も含めて国民的意志として,二度と戦争はしない,
という強い意志を持ち続け,努力もしてきたからこそ可能だったと思います。

実際,これまでも,自衛隊が戦争へ参加するよう,アメリカの強い要請が何度もありました。とりわけ中曽根首相時代には,
自衛隊を派遣しようとしまいしたが,ギリギリのところで世論と自民党内部の抵抗もあって,実現しませんでした。

こうした経緯については,柳澤氏が自身の体験も含めて豊富な事例を上に挙げた著作で示しています。

伊藤氏も,「戦後70年」とは言わず,「戦後100年,200年」という長期にわたって,戦争のない時代を伸ばしてゆく必要が
あることを訴えていました。

ただ,心配なのは,安倍首相のように戦争体験のない世代が,戦争の悲惨さ,虚しさを知らずに,「強い国」を目指そうとして
いることに危惧を感じる,とも語っています。

現在,憲法と立憲制を守れ,戦争法案反対,違憲立法反対の動きが性別,年代,地域を超えて広がっています。大学生が立
ち上げたSIELDsの呼びかけで,多くの大学生がデモに参加し,最近では高校性も声を上げ始めました。

これらは,近年にない国民的な動きと言っていいと思いますし,それはそれですごく重要だと思います。

しかし,柳澤氏の講演でも伊藤氏の講座でも強く感じたのは,こうした大枠での抗議活動と同時にもっと,具体的に,どこがどの
ように間違っているのか,おかしいのかを勉強する必要があるということです。

今さら,という感じはしますが,今回の安保関連法案がなぜ,違憲なのか,そして解釈改憲がなぜ立憲主義の否定になるのか,
などをもう一度しっかりと理解する必要があると思います。

憲法の条文をもう一度学び直すことも一つです。また,自民党が出している,集団的自衛権が行使できる15の事例が,一つ一つ
がいかに非現実的であり,憲法や自衛隊法に照らして無理があるかを理解することです。

柳澤氏は,上記の著作で,非常に分かり易く解説していますし,伊藤氏は,かなり具体的に法的な問題(少なくとも80~100,
あるいはそれ以上)があると言っています。

最後に,伊藤氏の講座でとても強く印象に残ったことばがあります。

政府は,先進国の中で集団駅自衛権を認めていないのは日本だけだ,だから日本も「普通の国」になるために,集団的自衛権を
認めるべきだ,といます。

他の国がこうだから,日本もそうなるべきだ,というのは理由にはなりません。

個人個人に個性があるように,国の形にも個性があっていいし,それを尊重すべきだ。

これは日本国憲法でも謳っている,個人の尊重の理念とも重なります。

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ある朝の,トマト(大,中,小),キュウリ,オクラの収穫。苗は大玉2本,中玉2本,ミニが1本です。


葉に隠れて見過ごしたキュウリが,巨大化してしまいました。これも1本の苗から,ある日1日で採れた分です。


ミニトマトは,干して,ドライトマトにします。これは冷凍して置くと,パスタやスープに1年中使えます。






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白井聡「永続敗戦論」を考える(2)―終わらない敗戦処理―

2015-07-22 04:39:08 | 政治
白井聡「永続敗戦論」を考える(2)―終わらない敗戦処理―

「敗戦」についての論考として,加藤典洋氏(以後敬称略)『敗戦後論』(注1)がよく知られており,発表された1995年当時,賛否両論,
広く議論を呼びました。

白井もこの著作に触れています。彼は,日本の戦後レジーム(特に平和憲法)が,端的な力(戦勝国のパワーポリティクス)―具体的
にはアメリカの力―を背景に強制的に与えられたという事情に,戦後日本が抱え込んだ「ねじれ」の根源があると解く加藤の問題提起
を評価しています(白井:43-50ページ)。

言い換えると,戦後の「平和と民主主義」は自力で勝ち取ったものではなく,敗戦時に世界が直面していた冷戦構造の中で,戦勝国
(具体的にはアメリカ)が,自分たちの都合の良いように日本に押し付けたものである,ということです。

加藤は,改憲派も護憲派も,この「ねじれ」を直視してこなかったことを指摘しており,白井は,現在も直視していないことが問題であ
ると述べています。

加藤の著作の全体的な評価については別の機会に譲るとして,白井の議論と関係が深い点だけを少し整理しておきます。

まず,加藤の「敗戦後論」と「ねじれ」とは不可分の関係があります。彼は,「戦後」を,たんなる「戦争が終わった後」ではなく,
「戦争に負けた後」という意味で「敗戦後」にこだわっています。

というのも,敗戦国は非常に複雑な感情と状況に追い込まれるからです。この点を加藤は著書の冒頭部分で次のように述べています。

    ヴェトナム戦争の傷は,一つにはその戦争が「正義」を標榜していたにもかかわらず,「義」のない戦争であった
    ことからきている。日本における先の戦争,第二次世界大戦も「義」のない戦争,侵略戦争だった。そのため,国
    と国民のためにと死んだ兵士たちの「死」,―「自由」のため,「アジア解放」のためとそのおり教えられた「義」を
    信じて戦場に向かった兵士の死―は,無意味となる。そしてそのことによってわたし達のものとなる「ねじれ」は,
    いまもわたし達に残るのである(加藤:10ページ)。

つまり加藤は,アメリカであれ日本であれ,「義」のない戦争に負けた国が背負うことになる,特殊な鬱屈した感情および状況もまた,
「ねじれ」と表現しているのです。

この文脈の中で加藤は,日本の戦後憲法に対する護憲派が出した,ある声明文を批判します。つまり,戦勝国と国際情勢によって押し
つけられたという事実に目をつぶり,「あたかも,この憲法をわたし達が自力で策定,保持したかに読み取れるように作文している」
と,(加藤:15-16ページ)。

この点では白井と加藤とは違いはありませんが,白井は加藤が「敗戦『後』論」という枠組みで論じているのは問題だ,と言います。

白井は,今日表面化してきたさまざまな出来事や問題は,「敗戦」そのものが決して過ぎ去らないという事態が続いていることから
発しており,「敗戦後」など実際には存在しない,と断じます。
    それは二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が
    永続化される一方で,敗戦そのものを認識において隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史
    認識・歴史的意識の構造が変化していない,という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。(白井:47ページ)  

つまり,現在の日本は,あらゆる面で敗戦当時と全く同様,アメリカの占領下にあり,対米従属の状態でいながら,大部分の日本人は,
「日本は戦争に負けた」という事実を隠そうとする歴史認識は変わっていない。白井は,この二重の意味で敗戦は続いていると言います。

この構造を白井は「永続敗戦」,それに基づく日本の政治体制を「戦後レジーム」と呼んでいます。

大部分の日本人は,日本が戦争に負けた事実は認めているとは思いますが,その事実を隠す,あるいは薄めようとする潜在意識がある
ことは確かでしょう。

白井の言葉を借りると,戦後,日本の政治を支配してきた保守勢力とは,「ことあるごとに『戦後民主主義』に対する不平を言い立て戦前
的価値観への共感を隠さない政治勢力」ということになります。

この政治勢力は,彼らの主観においては,大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けたのではない),「神州
不敗」の神話は生きているのです。

ただし,もし,日本が負けていないことを対外的に表すとしたら,アメリカによる対日処理を否定し,サンフランシスコ講和条約も,ポツダム
宣言の受諾を否定しなくてはなりません。

しかしそれは現実には不可能なので,彼らは一方で国内およびアジアに対しては敗戦を否定してみせることによって自らの「信念」を満足
させ,他方で,自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従(従属的姿勢)を続けるという,「いじましいマスターベート」
と化している。それだけでなく,彼らはそのような自らの姿に満足を覚えてきたのです(白井:48ページ)。

これは現在の安倍首相とそれを支える党内外の勢力の姿勢そのものであることがわかります。

アメリカに対する従属的姿勢は,アメリカの強い要請があった集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法案を,日本の国会に上程する
前にアメリカの議会で今年の夏までに法制化を完了させることを約束してしまった安倍首相の国民無視の言動にはっきり表れています。

他方で,日本がこれまで植民地支配をしたり,第二次世界大戦で多くの犠牲を強いたアジア諸国にたいしては,日本はあたかも戦争には負
けなかったかのようにふるまってきました。

日本がアジアに対してそのようにふるまうことができたのは,戦後日本の驚異的な経済発展があったからです。

実際,日本は「豊かな先進国」として,「貧しいアジアの開発途上国」にたいして経済援助を通じて日本の経済力をアジア諸国に見せつけて
きました。

この限りでは,確かに日本が敗戦国であることは覆い隠され,あるいは薄められていました。

しかし,戦勝国アメリカに対しては,基地を提供し,核兵器を含むアメリカの軍事力の下に組み込まれ,外交では常にアメリカの顔色をうかが
がい,経済的にはTPPへの参加,市場開放などの面でどこまでもアメリカに追随しています。。

しかし,こうした状況は近年,ほころびを見せ始めました。

これまで「貧しい」と見下してきた中国のGDPは2010年には日本に追いつき,現在では日本の3倍にも成長しています。これにたいして日本は
長期の経済的停滞に陥っています。

さらに他のアジア諸国の経済発展も目覚ましく,日本だけがアジアで唯一の豊かな国ではなくなりつつあります。軍事的にも中国は日本をしの
ぐ力を蓄えています。

他方で,アメリカの軍事的一極支配は財政的にも維持が困難になりつつあります。

こうした状況で,日本は再び「敗戦」という事実に直面します。それは,領土問題と第二次世界大戦で日本がアジア諸国に与えた犠牲に対する
歴史認識の問題です。

両者は不可分に結びついているのですが,ここでは「永続敗戦論」の観点から,そして現在進行中の安保関連保安とも関連する,領土問題に絞
って考えてみたいと思います。

日本は現在,三つの領土問題(尖閣諸島,竹島,北方領土)抱えています。

これらの領土問題は,どのように「永続敗戦」と関係しているのでしょうか。

白井は,領土問題を考える際,日本の無条件降伏をしたときに受諾した「ポツダム宣言」に繰り返し立ち戻らなければならない,と述べています。

「ポツダム宣言」は1945年7月26日にアメリカ,イギリス,中華民国,(のちにソ連が加わる)が日本に突きつけた降伏に関する最後通牒で,13
か条から成っており,その中で領土に関しては第八条で次のように規定しています。

     「カイロ」宣言の条項ハ履行セラルヘク又日本国の主権は本州,北海道,九州,四国並ニ吾等の決定する諸小島に局限セラルヘシ

つまり,日本が降伏を認め戦争を終結する場合,日本の主権が及ぶ範囲(つまり領土)は,本州,北海道,九州,四国,そして「吾等の決定する
諸小島」に局限されること,と規定されています。

ここで「吾等」とは英米中(ソ)を指し,主要四島以外の島の領土の帰属については,この四か国が決定することになっています。

日本はどれほど不満があっても,敗戦国であることを認め,とにかく「ポツダム宣言」を受諾して,初めて戦争を終結させることができたのです。

後に,アメリカを中心とした西側の連合国とは,サンフランシスコ講和条約によって領土問題もある程度決着されました。

以上の背景を前提として,まず中国との間で問題が生じている「尖閣諸島」の問題を考えてみましょう。

国際法の観点からすれば,日本には主要四島以外の島である「尖閣諸島」の領有権を主張する権利はありません。

日本政府は,サンフランシスコ講和条約によって日本が放棄すべき領土に「尖閣諸島」が入っていないことを根拠に,従来,尖閣諸島の領有権
を主張してきました。

しかし,この講和会議には中華民国(現中国政府)は参加を拒否されたので,中国側にとって,法的根拠は「ポツダム宣言」ということになります。
つまり,戦勝国である中国も領土の決定権を有しているのです。

白井は,「この原則を日本側が突き崩そうとするならば,論理的に言って,ポツダム宣言の受諾に遡りこれを否定しなければならない」が,「それ
は全連合国を敵に回して再び戦争状態に入ることを意味する」ので,それは空想的次元に属する,と述べています。

こうして,中国側からすれば,戦勝国である中国の,敗戦国である日本に対する権利は全く無視されていることになります。

同様の問題はソ連(現ロシア)との間に問題となっている北方四島についても,竹島についても言えますが,今回はこれ以上触れません。

ただし,以下のことだけは留意しておく必要があります。アメリカは戦後の日本の領土に関して意図的に曖昧にしておいたと考えられます。それに
よって,日本と中国・韓国・ソ連(ロシア)との間に緊張関係を作りだし,その脅威にたいして日本を擁護することを理由にアメリカは日本を従属状態
に置き,日本の負担で基地を提供・維持させ,そして巨額の武器を買わせることに成功しています。

この意味で,北方四島,尖閣諸島,竹島の帰属を曖昧にしておいたのは,アメリカがこっそり仕組んだ「罠」といえます。

戦後の保守勢力は,敗戦の事実を否定し続け,アメリカへの絶対的従属だけが日本の生きる道と考え,日米関係を強化する一方で,英米と同じく
戦勝国である中国とロシアの権利は拒否し続けています。

以上の観点から白井は,敗戦処理ができていないまま,日本の「敗戦」は永続化していると主張しています。


(注1)この論考は最初,『群像』(1995年1月号)で発表され,1997年に講談社から同名タイトルで出版された。

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風車とヒマワリ 今,ヒマワリは最盛期を迎えています


夏の花を代表するカンナの傍らで,早くも秋の花,コスモスがひっそりと咲いています。


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白井聡「永続敗戦論」を考える(1)―敗戦を認めない日本の支配層―

2015-07-16 14:06:22 | 政治
白井聡「永続敗戦論」を考える(1)―敗戦を認めない日本の支配層―

2015年7月15日,自民・公明の連立政権は,特別委員会において,安保関連法案(実際には10本の法案プラス1本の法案を,2本にまとめて
しまったもの)を強行採決してしまいました。

そして翌16日,衆議院の本会議で,野党欠席のまま採決されました。これで今国会で安保法案が成立することがほぼ確実となりました。

安保関連法案が,どこからみても憲法違反であることは,ほとんどの憲法学者が述べていますし,このブログでも4回にわたって書いてきました。

7月15日の特別委員会の答弁で,安倍首相自身が,今回の安保関連法案は国民の間で理解が進んでいないことをはっきり認めています。

また,委員会の議長を務めた浜田議員も,10本の法案を1つにまとめてしまったことには無理があり,分かりにくいことを認めています。

それにも拘わらず,安倍首相はしゃにむに強行採決に突き進みました。

その理由としていろいろ指摘されてきました。まず,自民党の悲願である憲法改定,とりわけ戦争の放棄を謳った九条を破棄しようとする強い意
志があったことは確かです。

また,尊敬する祖父の岸信介氏が1960年に国民の強い反対を押し切って安保条約の改定を行ったことを念頭に,祖父を超えようとする野心があ
ったことも,一つの理由かもしれません。

さらに,国会での審議を重ねれば重ねるほど,これらの法案の曖昧さと危険性が浮き彫りになってきているので,国会で絶対多数を占めている今
のうちに安保関連法案を成立させてしまおう,との認識があったこともじじつでしょう。

しかし,国民の八割が説明不足であると感じており,六割以上が,今国会で決めるべきではないとの認識をもっている法案を,敢て強引に成立させ
てしまおうとする背景には,別の理由もあったはずです。

その一つは,今年の四月にアメリカ議会で,安保関連法案を夏までに成立させる,と公約したことです。

議会での演説は,アメリカ議会での演説は大きな拍手をもって迎えられたようですが,それは当然です。

なぜなら,集団的自衛権の行使容認(それを実行可能にするのが,安保関連法案)は,日本がお金の面でも兵員の面でもアメリカの負担を軽くして
くれるからです。

安倍首相は,集団的自衛権行使によって,日本の抑止力が高まるという,一見,納得しやすい説明をしていますが,これは国民をだます欺瞞です。

なぜなら,集団的自衛権とは,日本が攻撃されなくても「日本と密接に関係する国」が第三国から攻撃を受けた場合,日本が攻撃されたとみなし,
その第三国を攻撃する権利のことです。

一応,その攻撃が日本の安全にとって重大は影響を与えることが予想される場合,という条件はついてはいますが,その判断はあくまでも時の
政府が総合的に判断するとなっており,どうにでも理由付けはできます。

ここで,「日本と密接に関係する国」とは,実質的にはアメリカを指しており(最近オーストラリアも加えられました),アメリカの抑止力は
高まるかも知れませんが,日本の抑止力が高まるとは言えません。

たとえば,アメリカが「イスラム国」との戦争状態にあり,中東でアメリカ軍が攻撃され,日本に参加の要請があれば,日本は自衛隊を送る
ことが,法的にはできます。

過去に,イラク戦争,アフガン戦争の際にも,アメリカ側から戦闘参加への強い要請があったようですが,政府は憲法九条を理由に,自衛隊の派遣
を断ることができました。

しかし,もし今国会で安保関連法案が可決成立されると,政府はアメリカの要請を断れないでしょう。

こうして考えてみれば,違憲の可能性が極めて高い安保関連法案は,なによりもアメリカの要請(実態は指示・命令に近い)に日本政府が応えた,
アメリカへの奉仕が第一の目的であると言えます。

2012年8月に出された,通称「アーミテージ・レポート」(注1)は日本に対する要請として,「改憲・憲法第9条の改正(集団的自衛権の行使)」,
「原発の推進」,「TPP交渉参加推進」,「中国との緊張の維持」などを指摘しており,現在はその通りの筋書きで日米関係が進行しています。

日本人から見ても,なぜ歴代の日本政府は,卑屈なまでのアメリカへの追従・従属姿勢を取り続けているのか不思議に見えます。

これは一部のアメリカ人からみても不思議に映るようです。たとえば,アメリカの著名な映画監督,オリバーストーン氏は2013年8月6日に広島で開催
された原水爆禁止世界大会でのスピーチで,日本はアメリカの衛星国(satellite state)であり,従属国(client state)である日本人はなぜこれに反対しな
いのか,と訴えています(注2)。不思議なことに,このスピーチの内容は,日本のマスメディアは完全に無視しています。

日本の実態は,アメリカの従属国あるいは属国であることを,白井聡『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版,2013年),それをきっかけに行われた対談本,白井聡・
内田樹『日本戦後史論』(徳間書店,2015年)での内田の発言などが,反論の余地もなく見事に解き明かしています。

この二著を読むと,なぜ日本の歴代の支配層(とりわけ自民党幹部)はアメリカに従属的な姿勢を貫いているかが良く分かります。

白井氏は,「永続敗戦」という,いささか挑戦的な言葉が誤解されるかもしれないので,対談本の方で改めて要約しています。以下,それをさらに要約して
示しておきます。
 
一九四五年に第二次世界大戦が終結し,日本にとっては敗北という形で終わった。この純然たる敗北,文句なしの負けを,戦後の日本はごまかしてきた。
これを「敗戦の否認」と呼ぶ。なぜ敗戦を否認しなければならなかったかというと,あの戦争を指導していた人たちが,戦後再び支配的な地位に留まるため
だった。彼らは間違った指導をしてきたのだから,本来ならそんな地位につけるはずがない。だから敗戦という事実をできる限りあやふやにしなければなら
なかった。
それが可能だったのは,アメリが望んだからだ。アメリカは,すでに始まっていた冷戦の中で,左翼(ソ連寄り)よりは元ファシスト(戦前の指導層)の方が望
ましいと考えていた。そこで,戦前の保守勢力が権力の座に留まっていることができた。

こうした背景で岸・佐藤政権,さらには彼らの後継者である安倍晋三などは,アメリカの認可のもとに政権を維持されてきたのだから,アメリカの要請を拒否
できるわけがない,というのが白井の論旨です。

以上を少し補足すると,戦争は終わったのではなく,国家の誤った政策のため,徹底的に,完膚無きまでに負けたのだ,ということを戦前・戦後の支配層は
どうしても認めたくないのです。

なぜなら,それを認めることは,間違った政策を国民に強制し,日本国民とアジアの人々に与えた命の犠牲と苦痛にたいして謝罪し,処罰されなければなら
ないからです。

強行採決直前の7月15日の安保特別委員会で野党議員から,第二次世界大戦は政府の誤った政策による侵略戦争であったという認識はあるか,と問わ
れて,安倍首相は最後まで誤りを認めませんでした。もし認めれば,戦前の支配層とその後継者である安倍首相はその責任を追及されるからです。

以前,国会で,共産党の議員から「ポツダム宣言」を読んだか,と聞かれた安倍首相は「つまびらかに読んではない」と答えました。

しかし,他ならぬ「戦後レジームの脱却」を唱える安倍首相が,その「戦後レジーム」の基になった「ポツダム宣言」を読んでいないとは,首相としての資質
を疑います。彼はきっと,日本の敗戦を明確に宣言した「ポツダム宣言」を読みたくないのでしょう。

「ポツダム宣言」は,戦勝国のイギリス,アメリカ,ロシア,中国が,第二次世界大戦を引き起こした日本の誤りを明確に指摘し,無条件降伏を突き
つけたものです。

日本は,敗戦を認め「ポツダム宣言」を受諾し,これに基づいて「戦後レジーム」が出発したのですが,安倍首相はどうしても「敗戦」という事実を認めたくない
のでしょう。

安倍首相が「戦後レジームからの脱却」というとき,「ポツダム宣言」を否定することになります。これが引き起こす問題については,別の機会に触れようと思い
ます。

こうして,国内的には日本は完全に負けたのだ,という「敗戦」の事実をごまかし,アメリカに対しては無条件降伏したのです。

言い換えると,日本の保守勢力はアメリカの許しの下で権力に留まっているのですから,アメリカに頭が上がるわけはありません。

こうして,敗戦時の状態がずっと続くことになり,これを白井氏は「永続敗戦」と呼んでいるのです。

次回は,「永続敗戦」が今も続いているその実態と問題点を,もう少し具体的に考えてみたいと思います。

(注1)レポートの原文は,以下のサイトを参照(2015年7月16日アクセス)
    http://csis.org/files/publication/120810_Armitage_USJapanAlliance_Web.pdf 
    
(注2)このスピーチについては www.webdice.jp/dice/detail/3946/ を参照(2015年7月15日アクセス)
スピーチの動画 You Tube https://www.youtube.com/watch?v=cd4KX0xVrcUで見ることができる

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安倍首相「応援団」(2)―言論弾圧「暴言」の背景と波紋―

2015-07-10 07:34:24 | 政治
安倍首相「応援団」(2)―言論弾圧「暴言」の背景と波紋―

前回取り上げた,百田氏の「沖縄の2紙はつぶさないといけない」という発言は,多くの波紋と反発を呼び起こしました。

名指しされた琉球新報と沖縄タイムスの編集局長は共同抗議声明を出しており,その一部はすでに前回紹介していますが,その中で,
百田氏の発言は「言論弾圧の発想そのもの」「民主主義の根幹である表現の自由,報道の自由を否定する暴言に他ならない」と批判
しています。

そして,この共同声明では「百田氏の発言は自由だが,政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合であり,むしろ出席
した議員が沖縄の地元紙への批判を展開し,百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め,看過できない」と問題視しています
(『東京新聞』2015年6月27日)。

「百田氏の発言を引き出した」経緯は,長尾敬衆院議員の以下の発言です。
    沖縄の特殊なメディア構造を作ってしまったのは戦後保守の堕落だった。沖縄タイムス,琉球新報の牙城の中で,
    沖縄世論を正しい方向にもっていくために,どのようなことをするか。左翼勢力に乗っ取られている現状において,
    何とか知恵をいただきたい。

7月2日の記者会見で2紙の編集局長は,百田氏の発言を引き出した長尾議員は,沖縄の住民を愚弄している,と改めて激しく非難
しました。

おそらく長尾議員は,百田氏の思想傾向を知った上で,かなり強引な「知恵」を引き出せることを予想して,上のような発言をしたのだ
と思われます。沖縄の2紙は,この点を批判しているのです。

7月1日の衆議院特別委員会の参考人として出席した鳥越俊太郎氏は,勉強会での発言は,居酒屋でおだを挙げて言っているのとは
わけが違う。絶対多数の与党議員の発言であり,非常に危険を感じる,と述べましたが,同感です。

勉強会の翌日の26日,民主党の岡田克也代表,維新の党,共産党,生活の党は,25日の会合での百田氏と,発言した国会議員の発
言は言論弾圧であり,民主主義の根幹である言論の自由を否定する暴言である,と一斉に批判しました。

26日の特別委員会で安倍首相は,野党議員から「発言者を処分すべきでは」と問われると「私的な勉強会で自由な議論がある。一つ一
つの意見をもって処罰することがいいかということだ」と答え,処罰を否定しました。

安倍首相はこの問題で,この時は国民に向かって一度も謝罪していません。「報道が事実なら大変遺憾だ。(勉強会は)党の正式会合で
はない。有志の会合だ。発言がどのように報道されたかは確認する必要がある」「成り代わって勝手におわびできない」などと言い訳する
ばかりです。

また,菅官房長官は記者会見で,「どう考えても非常識。政治家は誤解されるような発言を避けるべきだ」と「勉強会」での発言が不適切
であったことは認めました(『東京新聞』2015年6月27日)。

しかし,出席議員の発言は,「誤解される発言」の余地はなく,誰が聞いても報道圧力,言論の弾圧以外何物でもありません。

また,谷垣禎一自民党幹事長は当初,「メディアへの批判,反論はあっていいが,主張の仕方にも品位が必要」と発言者に苦言を呈しま
した。

しかし谷垣氏は,言論弾圧とも彼らの発言は「品位」が欠けているから問題だ,という「品位」の問題として捉えており,問題の本質を理解
していませんでした。

しかし,国会内外で懇話会でも発言に対する批判が急速に高まり,その波紋が安保法案の審議に影響を与えることを懸念して,谷垣氏は
27日,自由民主党青年局長の木原稔党の幹部を1年間の役職停止,問題の発言をした3人を「厳重注意」としました。

ところが,30日,大西議員は国会内で記者団の質問に対して、会合での発言に「問題があったとは思わない」,安全保障関連法案に批判
的な報道機関について、再び「(一部の報道機関を)懲らしめようという気はある」と述べました。

この発言が,批判の火に油を注ぐことになるため,谷垣幹事長は火消しに大わらわとなり,大西議員を再び厳重注意処分としました。

渡辺弁護士は,「結局、言論統制三人組は、本当は処分を受けていない可能性がある上に、安倍晋三・自民党総裁以下の幹部がむしろ後
ろから擁護し、党の代表者である安倍晋三氏が国民に対して謝罪すらしないため、大西英男議員による二度目の言論統制発言に至ったと
言えるでしょう」,と処分自体に疑問を呈しています(注1)。

事態はたんに「勉強会」での発言者に止まらず,自民党,とりわけ安倍首相の責任問題にまで及ぶようになりました。

安倍晋三首相(自民党総裁)は7月1日,公明党の山口那津男代表と会談し,自民党内の勉強会での報道圧力発言に関して、「わが党の
議員のことでご迷惑をおかけしていることは大変申し訳ない」と陳謝しました(注2)。

しかし,安倍首相は,沖縄の人にたいしても,国会に対しても,何より国民に対して陳謝はしでいません。

民主党の枝野幹事長は,「陳謝する相手が違うだろう」と悲観していますが,その通りです。

7月2日,外国人記者クラブで沖縄タイムスと琉球新報の編集局長の記者会見がありましたが,外国人記者は一様に,彼らの国では言論の
自由は非常に重要視されており,今回のような発言は考えられない,と語っています。

オーストリアの記者は,日本は民主主義国家だと思っていたが,自民党は非民主主義的になりつつあると感じた,と述べています。これが
世界の常識というものです。

勉強会で,自分たちと異なる見解をもつ報道機関を,有名人(この場合は百田氏)を通じて,さらに経団連に働きかけて抑え込んで欲しい,
といった,幼児的な発言をする人物が国会議員であることは,驚きを通り越して悲しくなります。

このような発言が飛び出す背景はなんだろうか? 

一つは,安倍政権が強行しようとしている安保法案にたいする理解がなかなか進まないどころか,むしろ日に日に批判が高まっていることに
対する,安倍側近のいらだちでしょう。

二つは,絶対多数をもつ自民党のおごりと,民主主義制度に対する理解が根本的に欠けていることです。

「勉強会」で,安保法案を批判する報道を非難する発言がでたことにたいして,元内閣官房副長官の柳沢協二氏は,「理屈でかなわないから
人格攻撃するのと同じで,事実と論理で説明が不可能だと事実上認めている。悪いのは批判するマスコミだから封殺すればいいというのは
民主主義の基本原理に反する多数党のおごりだ。」と述べています(『東京新聞』2015年6月27日)。

おそらく,厳重注意を受けた3人も,自分たちの発言がどのような意味を持ち,どのような非難を浴びるかを十分承知のうえで,敢て過激なこ
とを言ったのだと思われます。

その背景には,自民党が国会において絶対多数を占めているという背景と,自分たちの後ろには安倍首相がおり,最終的に守ってくれるだろう
との期待があったのかも知れません。

三つは,問題発言をした3人はいずれも当選2回で,国会議員としては2年半の,「新人」議員であり,国会議員としての経験が不足している上
に,民主主義という概念が欠落していることです。

もう少しきつい言い方をすると,彼らは国会議員としての資質に欠けているといわれても仕方ないと思います。

この背景には,若い議員は,自民党の「追い風」のおかげで当選した人が多く,彼らは違憲を異にする人たちとの厳しい議論や競争の経験が少
ないのです。

四つは,現在の自民党のあり方がこうした形で噴出したとも言えます。第二次安倍政権になって,政治は官邸主導となり,党としてはほとんど機
能していません。

このため,大多数の自民党議員,とりわけ若い議員は,採決の際の人数合わせ以外,存在感を示す場がありません。

こうした状況の中で,安倍首相への忠誠を示し,自分たちの存在をアピールしようとする意識が働いていたと考えられます。

大西議員が,「マスコミを懲らしめるには,広告収入をなくせばいい。われわれ政治家,まして安倍首相言えないことだ」と言いましたが,この背後
には,「だから自分たちが成り代わって言うのだ」という意味が含まれています。これこそ,安倍首相への忠誠心のアピールそのものです。

今回の報道圧迫発言は,偶然に出たのではなく,安倍政権の体質そのもの,本音であると思われます。

なお,世間の批判が日増しに強くなったため,安倍首相は最終的に,「勉強会」での発言に対して誤っていると陳謝しましたが,これは本心という
より,安保法案審議への影響をできるだけ少なくしようとの配慮からだと思われます。

(注1)「Yahoo ニュース」(2015年7月3日)(7月3日参照)
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150703-00047198/
(注2)「産経ニュース」(2015年7月1日)(7月3日参照)
    http://www.sankei.com/politics/news/150701/plt1507010012-n1.html

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安倍首相「応援団」の暴言(1)―驚くべき幼稚さと驕り―

2015-07-04 06:08:58 | 政治
安倍首相「応援団」の暴言(1)―驚くべき幼稚さと驕り―

改憲を目指す自民党の若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」は6月25日に自民党本部で初会合を開きました。

この会合の席上,参加者の一部とゲスト講演者の百田尚樹氏から報道機関に対する,驚くべき発言が飛び出しました。

この発言の内容に関しては後に詳しく書きますが,その前に「文化芸術懇話会」とはどんな集団で,なぜ,この時期に初会合が開かれ,
そして,そこになぜ百田氏が招かれたのかを見ておきたいと思います。

「勉強会」には加藤勝信官房副長官、萩生田光一党総裁特別補佐ら安倍首相側近を含めて37人の,いわば安倍首相「応援団」のメン
バーが出席し,自民と本部で行われました。

加藤氏と萩生田氏二人の党幹部の他は,主として当選2回の議員が中心でした。彼らは,議員経験は2年半で,実質的には1年生議員
と言えます。

このような「勉強会」には,本来の意味で政策研究を行う集団と,自分たちの勢力をアピールするための集団のとの二種類ありますが,
「文化芸術懇話会」は後者のようです。

今回の問題は,若手の「勇み足」では済まされない側面をもっていない側面もあります。

「懇話会」側は勉強会について事前に党執行部,首相官邸に開催を通知していました。

他方,先月25日にも自民党のリベラル派の勉強会が予定されていましたが、政権批判を展開する漫画家の小林よしのり氏が講師だと
知った党幹部が、「タイミングが悪い。安全保障関連法案が成立するまで待てないのか」と中止を要請し,最終的に開催を断念せざるを
得ませんでした(注1)。

首相も党幹部も「懇話会」は私的な集まりであり,党の正式な会合ではないと言い訳していますが,実際には,安倍首相の「応援団」だけ
を許可し,リベラル派の勉強会を潰しているのですから,やはり,今回の会合は安倍首相公認のものであったと言わざるを得ません。

しかも,勉強会を主宰する木原稔議員は会合後,総裁選で「首相を応援する」と記者団に明言しています(『東京新聞』2015年6月27日)。

こうした背景から,「懇話会」は安倍首相の「別働隊」とみられており,自民党内では、9月の総裁選で首相の無投票再選の流れを固めた
い官邸側の意向を受けた会合との見方もあります(注2)。

もう一つは,安保法案の審議で守勢に立たされている安倍首相を激励するという意図もあったと思われます。これは,安保法案に批判的
な報道を非難する発言にも表れています。

さらに,この「懇話会」が安倍首相の「別働隊」的性格をもっていたとすると,安倍首相が直接言えないことを代弁する役割も担っていると
考えられます。

なお,「勉強会」に講師として招かれた百田氏は安倍首相と懇意な,いわば「お友達」で『日本よ,世界の真ん中で咲き誇れ』(2013年)と
いう対談本を出版しています。

この会合での百田氏の冒頭部分は公開で,それ以後の講演はと出席議員による質疑は非公開という形をとっていました。

以上を念頭に置いて,「勉強会」での発言の内容をみてみましょう。大事なことなので,少し長くなりますが引用しておきます。

まず,勉強会の冒頭で,百田氏はマスコミに向けて次のように話します。
    マスコミの皆さんに言いたい。公正な報道は当たり前だが,日本の国をいかに良くするかという気持ちを持ってほしい。反日とか
    売国とか,日本を陥れるとしか思えない記事が多い。日本が立派な国になるかということを考えてほしい。

この挨拶に続いて百田氏は次のような話をします。
    政治家は国民に対するアピールが下手だ。難しい法解釈は通じない。気持にいかに訴えるかが大事だ。集団的自衛権は一般
    国民には分からない。自国の兵力では立ち向かえないから,集団的自衛権は必要だ。侵略戦争はしないということで改憲すべ
    きだ。攻められた場合は絶対に守るということを書けばいい。

百田氏の講演の後に,問題の質疑応答が続きました。

大西英男衆院議員(東京16区、当選2回)は,次のように発言します。
    マスコミを懲らしめるには,広告収入がなくなるのが一番だ。われわれ政治家,まして安倍首相は言えないことだ。文化人,
    あるいは民間の方々がマスコミに広告料を払うなんてとんでもないと経団連に働きかけてほしい。

これと関連して井上貴博衆院議員(福岡1区、当選2回)以下の発言をしました。
    広告収入とテレビの提供スポンサーにならないということがマスコミには一番こたえるだろう。

これに対して百田氏は次のように答えました。
    本当に難しい。広告を止めると一般企業も困るところがある。僕は新聞の影響は本当にすごく少ないと思っている。それより
    もテレビ。広告料ではなく,地上波の既得権をなくしてもらいたい。自由競争なしに五十年も六十年も続いている。自由競争
    にすれば,テレビ局の状況はかなり変わる。ここを総務省にしっかりやってほしい。

長尾敬衆院議員(比例近畿ブロック、当選2回)はさらに沖縄の具体的な新聞紙名を挙げて,以下の発言をします。
    沖縄の特殊なメディア構造を作ってしまったのは戦後保守の堕落だった。沖縄タイムス,琉球新報の牙城の中で,沖縄
    世論を正しい方向にもっていくために,どのようなことをするか。左翼勢力に乗っ取られている現状において,何とか知
    恵をいただきたい。

これに答えて百田氏は,
    沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが,沖縄のどこか
    の島が中国に取られれば,目を覚ますはずだが,どうしようもない(沖縄の基地問題は)根が深い。苦労も理解できる
と述べています(注3)。

つまり,基地問題は根が深いから,(批判を抑える)苦労も理解できると言っているのです。

百田氏は後に,2紙とつぶさないといけないとは「冗談だった。2紙はほとんど読んでいない」と語っています。

百田氏の発言に対して沖縄タイムスと琉球新報の編集局長は共同で抗議文を出しています。

百田氏が,米軍普天間飛行場の成り立ちについて「(米軍普天間=普天間飛行場は)もともと田んぼの中にあった。基地の周り
に行けば商売になると住みだした」と語りました。

これに対して抗議文は,「土地は強制的に接収され,人口増加に伴い周辺に住まざるを得なかった」,「戦前の宜野湾村役場は
現在の滑走路近くにあり,琉球王国以来,地域の中心だった。沖縄の基地問題をめぐる誤解が自民党内で振りまかれたことは
重大だ。その訂正も求めたい」とも述べています(『東京新聞』2015年6月27日)。

この抗議文に見られるように,百田氏は,沖縄の実態については事実を知らなかったのです。

ところで,「マスコミを懲らしめるには・・・」の発言があった時,報道陣は会場の外にいました。

しかし,元NHKプロデューサーの永田浩三武蔵大教授は,非公開の気安さで出た発言ではないと語っています。

というのも,外に記者がいるのは出席者も分かっているからだです。「伝わるように言ったのだろう。若手議員が鉄砲玉みたいに
親分が言えないことを言う。形勢が悪くなれば,党幹部が『若手が内々で冗談言っただけ』と収める。そして,「言ったもの勝ち。
メディア側の萎縮,忖度(そんたく)につながることがある」(『東京新聞』2015年6月27日)。

実際,発言者はマイクを使っていたために,発言の多くは室外まで聞こえていました。取材記者は,扉に耳を寄せて中の様子を聞き
取ります。

これは「壁耳」と呼ばれ,中の参加者は自分たちの会話が外に聞こえることを承知の上で,むしろ,外に聞かせる場合も珍しくあり
ません。

もし本当に会話を秘密にしたい場合には,ドアの外の取材者をも排除します。それをしない場合は,事実上の「半公開」であると
みなされます。

今回の会合ではマイクを使い,講演や会話を意図的に外の取材者に聞こえるようにし,それによって圧力をかけ萎縮させる意図
さえあったのではないか,とさえ思われます。

というのも,強権を発動しないで,マスコミが自主的に制限してくれるのが(政治家側の)理想だからです。

こうした事情を全て考慮すると,今回の暴言は,たまたま起きたというより,かなり確信犯的で,最初から意図されたものだと考え
るべきでしょう。

それにしても,3人の議員の発想は,驚くほど幼稚で傲慢です。

しかも,これが安倍首相の「応援団」「別働隊」の実態であることを考えると,そのような首相をもってことに暗澹たる気持ちになります。

次回は,上に引用した発言そのもの,こうした発言が飛び出した背景と,自民党内及び野党の反応,そして世間の反応を考えてみたい
と思います。


(注1)『朝日新聞 デジタル版』2015年7月2日(同日参照)
    http://www.asahi.com/articles/ASH715T44H71UTIL03S.html?ref=nmail
(注2)『日経新聞 デジタル版』2015年6月27日(7月2日参照)
     http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS27H3I_X20C15A6PE8000/ (2015/6/27 22:03 (2015/6/27 22:57更新)
(注3)以上は『東京新聞』2015年6月27日より引用しましたが,同紙では発言者は議員A,議員B,議員Cと表記されているので,具体名は,
    これらの発言を簡略化して掲載した『毎日新聞 デジタル版』(2015年6月28日)を引用しました。(7月2日参照)
    http://mainichi.jp/select/news/20150628k0000m010056000c.html?fm=mnm


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あじさいの花(またはがく)の色は生えている土の性質(酸性かアルカリか)によって,青から紫,赤へ変わります。



白いあじさいは,純粋に品種改良してできたものです。




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