大木昌の雑記帳

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アメリカ雑感(1)―ピッツバーグで感じたこと―

2019-12-29 09:18:12 | 社会
アメリカ雑感(1)―ピッツバーグで感じたこと―

思いがけない所用で12月16日から27日までアメリカのピッツバーグを訪問し、
考えさせられることを見聞きしました。

これら見聞きしたことの一部でも、文章にするととても長くなりますが、これから
何回かに分けて書いて行きたいと思います。

ピッツバーグは、アメリカ東部のペンシルバニア州の南西部にあります。ペンシル
バニア州は、 東をニューヨーク州と、北は五大湖の一つ、エリー湖を経てカナダ
と接するアメリカの北東部の一角を占めています。

歴史的には「鉄鋼王」「カーネギー・ホール」で有名なカーネギー家の本拠地の一
つであり、トマト・チャップをはじめ種々の調味料、スープなどの製造業で有名な
ハインツの本拠地でもあります。

都市部の人口は30万人ほど。ここにはピッバーグ大学を始め、カーネギー・メロ
ン大学を始め、いくつかの大学、さらにフェイスブック社の調査研究所などがあり、
市は、大学や私的公的な機関も含めて知識・情報産業の育成に力を入れています。

今回の渡米の一つの目的は、アメリカの医療事情、とりわけガン治療の現状を知る
ことでした。

これから、折を見てピッツバーグの生活の色々な面を書いてゆこうと思いますが、
今回は、家屋と日常生活で気が付いたことを幾つか思いつくままに書いてみます。

まず、私が強い印象を受けたのは、今回、私がお世話になった家の住宅地区にある
家屋が、一軒一軒、とても大きかったことと、それぞれが非常に個性的な建築物に
なっていることでした。

とりわけ特徴的なのは、6割くらいの家が赤茶色のレンガ作りか、ちょっと古そう
な家は、イギリスなどで見られる石作りでした。そして、大部分の家は屋根裏部屋
を含めて3階建てとなっています。

この住宅地区は、特別に富裕層が住む地区ではなく、主に中流階層が住む地区で一
軒の敷地の面積が、日本的に言えば、150~200坪くらいで、そこには母屋と、
前庭(道から5メートルほど)、母屋、車庫、そして裏庭があります。

そして、大部分の家には屋根裏部屋がついて、3階建てになっています。

車庫は、大きな車2台が入る家屋になっていて、これだけでも日本の小さな一軒屋
くらいあります。

ただ不思議なのは、大きな車庫があるにもかかわらず、家の前に道には路上駐車し
ている車がずらりと並んでいることです。これは、街の中でも商店街でも同じです。

道が広いので、路上駐車しても交通の妨げにならないのでしょう。

印象的だったのは、この前庭には多くの場合、樹木、樫の木(オーク)が、生えて
いることです。ピッツバーグにも「オークランド地区」があるので、北米は樫の木
に覆われた原野がひろがっていたようです。

私が見た一軒の家の前庭には、直径が80センチくらいもある巨木が3本も生えて
いました。しかも、枝切などしていないので、葉の落ちた木の枝がまるで空を覆う
ように伸び放題になっていました。樫の木に次いで多かったのは、これもしばしば
巨木となったマロニエでした。

私が行ったころは、雪も降っていてマイナス10度以下で、家の暖房は、薪の暖炉
(実際には、これは補助的)とガスや電気のヒーターが24時間作動していました。

こうした家が一体いくらいするのか聞いてみた所、大体、日本円で5000万円か
ら6000万円くらいだそうです。

このようなことをこまごまと書いたのは、アメリカの中流家庭の家のおおざっぱな
イメージをもってもらうことです。

アメリカ人は移動を面倒がらないので、他の地に仕事があれば、それほど抵抗なく
家を売って移動してゆくようです。

私が歩いてみて回った、ごく近くの家並みだけでも、「売り家」(For Sale)の家
が2軒ありました。

そして、ところどころに、家の前に下の写真にあるような小さな看板が掲げられて
います。これは、私たちは黒人や女性、同性愛者、ユダヤ人を差別しません、全て
の人を受け入れます、ということを外に向かって表現した住人のメッセージです。

一般的には、ピッツバーグは、古い産業が廃れて町が「錆び付いて」しまった、最
近の言葉で言えば「錆び付いた地域」(ラストベルト)の一角で、保守的でトラン
プ支持者が多い地域ですが、こうしたメッセージを堂々と外に向かって発している
人々もいるのです。

日常生活は、基本的には日本とそれほど変わりませんが、大きく変わるのは、買物
であれ通勤であれ、中流以上の階層の人たちは、基本的に移動は自家用車です。

しかし、全ての人が自家用車を持てるとは限りません。そのような人々は、バスを
利用することになります。

実際には、バス停でバスを待っているのは、ほとんどがアフリカ系の人びとでした。
今回は彼らが住んでいる住宅地に行く機会はありませんでしたが、次回に渡米する
きかいがあったら、是非訪ねてみたいと思います。

アメリカ社会は、1%の富裕層と99%の貧困層と、表現されることがあります。
それほど極端ではなくても日常の消費生活には貧富の格差がはっきりと表れます。

日常食品を買うスーパー・マーケットが中流以上と以下の階層の人によって、はっ
きり分かれます。

とりわけ、野菜や果物などの生鮮食品について言えば、無農薬で健康的な「有機」
(organic)の表示のあるものを主力とする店と、何も表示のない商品を売ってい
る店とがはっきりと分かれています。

もちろん、「有機」野菜や果物の値段は、そうでないものより、ずっと高くなって
います。

ピッツバーグにも、貧困層向けの生鮮食品をうっている店が集まっている区画があ
り、そこでは治安が悪かったそうです。

そこに、食料品や衣料、ホームセンター的な商品を扱う、大手の総合的大型店舗が
この地域の近くに進出して以来、この区画から徐々に貧困層向けの店が撤退しはじ
めて、今ではその面影もなくなっています。

このように、物理的に追い出すのではなく、“結果として”そのような店が撤退し、
それを利用していた人たちの姿が消えてゆくことを、 “gentlification” という
造語で表現しています。

これは造語なので、何とも日本語訳は難しいのですが、もじからすると「紳士的に
する」というほどですが、敢えてニュアンスを訳すると、「平静で、清潔で品格の
ある場所にする」といったほどの意味になるでしょう。

もっと露骨に言えば、私は、不潔で治安の悪い地区の「浄化」が本音なのではない
かと思います。

ところで、旅行者がピッツバーグのようなアメリカの都市で動き回る際に注意しな
ければならないのは、車にタクシーと書いていたり、車の屋根にタクシーの表示灯
を付けて街の中を流しているタクシーはめったにない、ということです。

実際、私の滞在中、このようなタクシーは1台しか見ませんでした。それでは住民
でタクシーを利用する時は、日本でも問題になっている「ウーバー」をフマホで呼
ぶことになります。

すると、近くにいたウーバーのタクシーが応答し、瞬時にスマホに顔と名前、車の
写真、そして、到着時間(分単位)で表示され、さらにGPS機能で、呼んだ場所
までタクシーがどこまで走っているかがリアルタイムで表示されます。

支払いは全て銀行口座からの引き落としなので、利用者は、まず銀行口座をもって
いることが前提で、ウーバーと予め契約していることが必要です。

ということは、旅行者がウーバーを利用することはできないし、現地の住民でも、
信用があってウーバーという会社が信用できる銀行口座をもっている場合でないと
利用できません。そのような人は、バスを利用することになります。

私を案内してくれた人と乗った時に聞いたところ、ほとんどのウーバーのドライバ
ーは定年退職した人たち(特に興味深いのは、退役軍人が何人かいたことです)で
した。

アメリカ社会では、富裕層はとても健康で快適な生活ができますが、貧困層にとっ
てはかなりの厳しく不便な生活を迫られる、という印象をもちました。

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住宅街の景観                                                 一軒の家の前庭に生えている3本の巨木 
 



赤レンガの家(もちろん個人の住宅です)                                    人気の石作りの住宅
 

家の前に掲げられた看板のメッセ―ジ(私たちは黒人、女性の権威は人間としての権利、     別のメッセージ版(あなたがどこから来た人であろうと、あなたは私たちの隣人です)
化学は真実であることを信じます)。                                       
 



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地球温暖化と日本の立場―小泉環境相への再度の失望―

2019-12-14 06:39:31 | 自然・環境
地球温暖化と日本の立場―小泉環境相への再度の失望―

国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議第(COP25)が12月2日、スペインの首都
マドリードで始まりました。

この会議は当初、チリのサンティチアゴで開催される予定でしたが、同国の政治的混乱のため
断念し、急遽、マドリードで行うことになりました。

この事自体、温暖化を中心とした環境問題が、いかに国際的に深刻で緊急性をもって受け取ら
れているかを物語っています。

世界各地で異常気象が相次ぐ中、今回の会議は、2020年に本格的実施が始まる地球温暖化
対策の国際的枠組み、通称「パリ協定」について、13日まで詰めの協議をすることになって
います。

来月からスタートする温暖化対策の新たな国際ルールである「パリ協定」は、世界の平均気温
の上昇を、産業革命前の2度未満に抑えるのが目標です。そうしないと、異常気象は破局的に
なるという。

その目標を達成するには、2050年までに温室効果ガス(二酸化炭素=炭酸ガス)の排出を、
正味ゼロにする必要がある。これが「科学の要請」である、というのが世界の共通認識です。

実際、日本ではすでに過去数年、異常気象の影響で、強大な台風や大雨で大きな被害が発生し
ており、この問題は他人事ではありません。

開幕にあたってグレデス国連事務総長は、
    世界が燃えている時に手をこまねき、現実逃避した世代として歴史に名を残してよい
    のか
と出席者に問い掛け、行動を呼び掛けました。

「パリ協定」は、激化する異常気象を背景に、全ての国がなんらかの削減目標を負う「全員参
加」を最優先としています。

そのため、先進国だけに削減目標数値を振り分けた旧ルール(京都議定書)とは違い、参加国
が自主的な削減目標を国連に提出して、それぞれに努力するという方式に変え、途上国も参加
しやすくしました。

各国は協定の発行を前提に「個別目標草案」を策定し、すでに国連に提出済みです。締約国(
日本も含む)は来年、草案より高い「個別目標」を提出するよう求められています。

今回の会議に先立って、今年9月の国連「気候行動サミット」では、77カ国が現状より目標
を引上げることを表明していますが、日本はまだしていません。

国連は、温室効果ガスの大量排出源である石炭火力発電を中止するよう求めていますが、日本
は現在22基の建設あるいは建設計画が進行中で、「温暖化対策に逆行している」との批判を
浴びています(以上、『東京新聞』2019年12月3日)。

それどころか、日本政府は火力発電所のインフラ輸出と石炭火力プロジェクトへの投資を成長
戦略に掲げており、このプロジェクトへ日本のメガ・がバンクが投資をしています。

石炭関係業界紙 World Coal によれば、日本の金融機関は、インド、インドネシア、ベトナム
の石炭火力に融資しており、稼働中11カ所、建設予定または建設中が10カ所となっていま
す(注2)。

こうした実態にたいして、すでに昨年来、現地でも反対運動が起こっており、日本の環境保護団
体や日本のエネルギー問題専門誌も、「途上国への石炭火力輸出 このままでは日本は世界の孤
児になってしまう」、と警告を発しています(注3)

日本が石炭火力発電の輸出に力をいれているのは、近年まで政府自ら先頭に立って売り込みを進
めてきた原子力発電プラントの輸出が事実上すべて行き詰ってしまい、政府はそれに代わる成長
戦略の目玉として石炭火力発電の輸出を推進しているからです。

日本は「パリ協定」に基づいて長期削減戦略として「50年までに80%の削減に取り組む」と
言ってきましたが、裏付けとなる具体策を何も示していません。

今や、日本の石炭火力発電の推進に対する国際社会の批判は厳しく、バルセロナの会場の外には、
「日本 石炭 ノー]のプラカードや、石炭ノーのメッセージを添えた安倍首相の人形などを持っ
て日本に抗議する人たちが大勢いました。 

今年9月に米ニューヨークの国連本部で開かれた「気候行動サミット」で、日本政府は安倍晋三
首相の演説を要望しましたが国連側から断られていたことが28日、分かりました。二酸化炭素の
排出が特に多い石炭火力発電の推進方針が支障になったようです。

主催したグテレス国連事務総長は開催に先立ち「美しい演説ではなく具体的な計画」を用意する
よう求めていたにもかかわらず、安倍首相には具体的計画を示していなかったからのようです
(『東京新聞』2019年12月3日「社説」)。

この会議で、環境相としてのデビュー舞台となった小泉進次郎氏が、環境問題は「セクシー」と
いう他人のフレーズを引用して話題になったものの、外国人記者から温暖化物質の削減に対する
姿勢を聞かれ、「減らす」と一言。

続いて、「どのようにして減らすのか」と問われると黙ってしまい、“私はまだ環境相になった
ばかりなので、具体的には言えない”、との言い訳を言うのがやっとでした(注4)。

もちろん、小泉氏は、日本の石炭火力発電の増設や輸出が世界から批判を浴びていることは、当
時でも知っていたはずですが、政府の本音、石炭、石油、天然ガスなど関連業界の利権に配慮し、
何も言えなかったのかもしれません。

もしそうだとすると、「若さ」が売り物の小泉氏も結局は他の議員と同じ、政権の意向を忖度し
て従う、並の自民党の政治家だったということになります。

それとも、小泉氏は、個人的な考えとしても、エネルギー政策と環境問題にたいする明確なビジ
ョンを持っていないのかも知れませ。

いずれにしても、前回は「セクシー」発言で、“受け”を狙ったはずが、国内外で全く相手にさ
れませんでした。私は、とても恥ずかしい思いをし、小泉氏に失望しました。

今回のCOP25では、予め日本の石炭火力発電に対する世界の批判は、十分に理解していたは
ずで、本人も会議に先立った日本人記者との会見で、“当然批判されるでしょうが、批判にはな
れています”、という趣旨の発言をしています。

さすがに今回は、環境大臣になったばかりなので、という言い訳はできないでしょうから、小泉
氏が批判にたいしてどのように答え、どんな具体的提案なり、それが無理ならせめて、自分なり
の展望を示すのかが問われていました。

確認しておきますが、今回の会議は、理念を語るのではなく、炭酸ガスの排出削減目標を掲げ、
どのようにしてそれを達成するのかの具体的行動を各国が提示することが目的でした。

これらの要請に小泉氏が国連の舞台でのスピーチで、どのように答えるかをテレビで見ながら注
目していました。

しかし、彼の第一声を聞いて、正直、驚いてしまいました。彼は、「今回の出席者の中で私がも
っとも若い環境大臣です」、と言ったのです。

この人は、こうした発言で何を言おうとしているのだろうか、とその先に不安を感じました。若
いかどうか、などだれも気にしていないし、問題は、彼がどのような削減目標とその具体的方法
を提示するか、だけに関心があるからです。

次に、“なぜそんなことを”と思ったのは、「私は来年、父親になりますから」といった趣旨の
ことを言ったときでした。

“一番若い”発言も、“来年父親になる”発言も、個人的なことで、今回の会議の目的を考えれ
ば、まったくの「的外れ」です。

小泉氏は、今回、チリのサンティアゴから急遽スペインのバルセロナに会場を変えてまで、世界
各国の代表が、緊急の課題として温暖化に取り組もうと集まっているのは、それだけの緊張感と
緊急性を感じているからです。

そんな時に、個人の話をするなど、事態の深刻さに対する真剣さも国際感覚のなさに、私は小泉
環境相にまたまた失望しました。

この人は所詮、本当に若さと好感度だけが取り柄の政治家なのでは、と思いました。

その反面、小泉氏は2030年の温室効果ガス排出削減目標の引き上げや、発展途上国への資金
増額にも言及しませんでした。

この公式スピーチ以外の場でも、小泉氏は首をかしげる発言をしています。

国連のグデレス事務総長が石炭火力発電の廃止を求めていることに触れ、「日本に向けたメッセ
ージだと受け止めている。今日は新たな石炭政策を共有できないが、私を含めて今以上の行動が
必要だと考える人が日本で増えている」、とまるで他人事、評論家的な発言しかしていません。

また、世界で対策強化を求める若者の抗議活動が広がっていることには、「未来への責任を果た
したい」とだけ言い、“どのようにして”、はまったく触れませんでした(『東京新聞』2019年
12月12日)。

案の条、外国人記者との会見でも、温室効果ガス排出量の具体的削減策を問われて、日本の各省
庁間の調整ができていないので、申し上げられない、と言い訳していましたが、これも各国の記
者に失望を与えたようです。

省庁間の調整をして日本としての方針を策定するのが大臣の役割ではないでしょうか。実態は、
どうやら政府(官邸)と官僚(特に経産省)と業界の意向で石炭火力発電の増設と輸出を推進す
る方向で小泉氏も動いている、という印象です。

彼のような若い政治家は、そうした意向に従うのではなく、自分なりの哲学なりしっかりしたビ
ジョンを示し、逆に周囲を説得して日本の環境政策をリードしていくべきです。

テレビ局のインタビューに答えて、現地のある外国人は、小泉氏は「大言壮語しているだけで、
中身が全くない」とのコメントをしていましたが、これが普通の評価でしょう。

外国のメディアは総じて、小泉のスピーチや記者会見での発言にたいして、「中身がなかった」
という評価を下しています。これは、9月の外交デビューの時と全く同じ評価です。

小泉氏は、国内では何を言っても注目され、好意的に受け取られるので、それが国際社会で、し
かも、環境問題に真剣に取り組む国際舞台でも通用すると、思い込んでいるのかもしれません。

比較するのは酷かも知れませんが、今回の会議に出席した16才の少女、グレタさんのスピーチ
の格調高さと、切迫感と、説得力と小泉氏のスピーチの差が、あまりにも大きく、この人がこれ
から日本の環境政策を担い、世界に向かって日本の立場を発信してゆくのかとおもうと、思わず
ため息がでてしまいます。


(注1)Yahoo ニュース11/29(金) 6:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191129-00000008-kyodonews-soci
(注2)NEW SPHERE (2019年9月30日)
  https://newsphere.jp/sustainability/20190930-2/2/
(注3)『エネチェンジ』(2019nen)8月13日)
    https://enechange.jp/articles/coal-fired-power-plant
(注4)これについては、このブログの今年10月12日の記事で、「小泉新環境相に託せるのか」という文章でコメントしています。

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朝焼け                                                 ふと後ろを見ると、見事な虹がかかっていました

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追悼 中村哲氏の死を悼む―銃弾ではなくクワで平和を―

2019-12-07 10:49:16 | 国際問題
追悼 中村哲氏の死を悼む―銃弾ではなくクワで平和を―

12月4日、何気なくインターネット・ニュースを見ていたら、突然、中村哲氏がアフガニスタン
で銃撃され、死亡した(73才)というニュースが飛び込んできました。

私は、中村氏の活動はずっと注目していたし、ささやかではありますが応援もしてきましたので、
本当に衝撃を受け、「信じられない。うそだ!」と反射的に叫びました。

現地の仲間が同日に追悼集会を催しましたが、その背景に掲げられた横断幕には、
    You lived as an #Afghan and died as one too. (あなたはアフガン人として生き、
    アフガン人として死んだ)と書かれています。

現地の人は、中村さんを「神のような人」と呼んでいます。そして、鶴見俊輔氏はかつて、「日
本の希望は中村哲だけだ」と彼を高く評価しました(『毎日新聞』2019年12月5日)。

中村さんのこれまでの活動や功績については、すでに多くのメディアで取り上げられていますが、
念のため、今一度振り返っておきます(『東京新聞』2019年12月5日)。

医師である中村さんは、1984年にパキスタンのペシャワルでハンセン病患者の医療活動に従
事しました。そして、このことが、その後30年近くもアフガニスタン支援に携わる始まりとな
りました。

当時、アフガン内戦の影響で多数の難民がペシャワルに流入してきたため、中村さんの関心は次
第にアフガンに向き、91年にはアフガン東部のナンガルハル州に診療所を開いて、名実ともに
この地に根を下ろすことになりました。

しかし当時この地域では内戦が続き、「若者が武装勢力に加わるのは貧困が背景にある。アフガ
ン和平には戦争ではなく、貧困解決が不可欠」との信念を抱くようになりました。

2001年、米国での同時多発テロを受けて「テロとの戦い」の舞台として、アメリカは当時の
タリバン政権に攻撃を開始しました。これ以後アフガニスタンはさまざまな組織を含めたテロ攻
撃や交戦が全土で相次ぎました。

2001年10月、自衛隊が米国によるアフガンでの対テロ戦争を後方支援するための「テロ対
策特別措置法」を審議する衆院特別委員会に参考人として出席し「自衛隊派遣は有害無益。日本
に対する信頼感が、軍事プレゼンスによって一気に崩れ去ることはあり得る」と、海外での活動
拡大に強い懸念を示しました。

これに対して自民党議員からは発言の撤回を求められましたが、中村さんは「無限の正義の米国
対悪の権化タリバンという前提がおかしい」と反論しました(『東京新聞』2019年12月5日)。

つまり、現地の状況を全く知らず、ただただアメリカの要請に応えることを金科玉条のように考
える自民党議員(おそらく自民党政権全体)に対して、中村さんははっきりと「ノー」を突きつ
けたのです。

中村さんは2007年に『東洋経済』のインタビューで、「非軍事援助こそ日本の安全保障」と
明確に語っています(注1)

こうして、中村さんの支援の内容が医療から干ばつや貧困対策へ徐々に移っていきました。その
大きな転機になったのは、2000年の大干ばつで、その時日本人の若者ボランティアを募り井
戸掘りや用水路の建設を始めました。

若者はイスラム教を尊重した生活習慣を貫き、地域に溶け込む努力を続けました。この際、近く
の米軍が援助を申し出ても断り、これによって住民の信用を得てきました。

しかし、2008年にもう一つの転機が訪れます。この年、一緒に仕事をしていた伊藤和也さん
(当時31歳)が武装勢力の凶弾に倒れたのです。これ以後、若者らの派遣を厳しく制限する一
方、自分だけは陣頭指揮を続けてきました。

中村さんの偉大な功績にたいして、2003年には「アジアのノーベル賞」といわれる「マグサ
イサイ賞」を、16年には「旭日双光章」を、18年2月にアフガニスタン政府から、日本の民
間人としては異例の勲章を授けられました。

この間に中村さんの陣頭指揮の下、1600本の井戸を掘り、そこから畑に水を送る灌漑水路を
建設し、1万6500ヘクタールもの乾いて貧しい土地を緑の農地に変えました(『朝日新聞』
2019年12月5日;『東京新聞』2019年12月5日)。

中村さんは、「誰もが行くところには誰かが行く、誰も行かないところにこそわれわれに対する
ニーズがある」との信念からペシャワールからアフガニスタンへという、危険地帯に身を投じた
のでした。

現地でボランティアを希望する看護師の問に、
    ペシャワールについて語ることは、人間と世界について総てを語ることであると言って
    も過言ではない。貧困、富の格差、政治の不安定、宗教対立、麻薬、戦争、難民、近代
    化による伝統社会の破壊、およそあらゆる発展途上国が抱える悩みが集中しているから
    である。
    悩みばかりではない。我々が忘れ去った人情と、むきだしの人間と神に触れることがで
    きる。我々日本人が当然と考えやすい国家や民族の殻を突き破る、露骨な人間の生き様
    にも直面する

と答えています(著著『ペシャワールにて』から。(『毎日新聞』2019年12月5日 夕刊から
の再引用)。

私もずっと昔、学生時代に、アフガニスタンを放浪していたことがあるので、乾ききって、山も
平地も白茶けた、みるからに不毛な大地のイメージが残像として残っています。

しかし最近の映像を見ると、灌漑された土地には緑の絨毯のように小麦が青々と育っています。
長いあいだ乾燥状態のままの土地には草木も生えず、栄養となる有機分の補給もなかったことを
考えると、多少、農業に手を染めている私からみると、信じられないほど凄いことです。

それでも、住民を貧困から救うために、この不毛の大地と30年間も格闘して、豊な実りをもた
らす土地に造り変えた情熱と献身は、本当に尊いと思います。

中村さんは、この地域の日本の評価と信頼を一身に引き受けていた、といっても過言ではありま
せん。この意味で、中村さんは、難民救済に貢献し最近亡くなった緒方貞子さんとともに日本の
宝です。

中村さんは、これまでいくつもの言葉を残しています。それら全てをここで紹介することはでき
ませんが、中村さんの気持を表現した素晴らしい言葉を幾つか引用します。

「武器を取る者は取れ。私たちはクワで平和を実現しよう。きざな言い方をすればそんな思いで
続けています」(『毎日新聞』2019年12月5日)

この言葉は、中村さんの思いを言い尽くしています。「武器ではなくクワで」が究極の理念です。

また、「100万発の銃弾より1本の用水路の方がはるかに治安回復に役立つ。(日本政府は)
米欧の軍事行動と一体とみなされない独自の民生支援を長期的に進めるべきだ」とも言っていま
す(2009年2月、オバマ米大統領=当時=がアフガニスタンへの増派を決めたことを受けての取
材で)(『毎日新聞』2019年12月5日 夕刊)。

各地の講演などでは、砂漠だった土地で稲作や果実栽培が可能になった経験を紹介すし、「戦争
のことが伝えられることが多いが、食べ物がなくて命を落とす人が大勢いる。目の前の一人を救
っていくことの積み重ねが、平和につながる」と語ります(『東京新聞』2019年12月5日)

中村さんは、自分自身の長年の現場での活動経験を通じて、憲法の理念を体現した人です。
   
    憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国(日本
    政府)は憲法をないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣―国益のため
    なら武力行使もやむなし―それが正常な国家だと政治家は言う。私はこの国に言いたい。
    憲法を実行せよと。
    天皇陛下と同様、これ(憲法9条)がなくては日本と言えない。近代の歴史を背負う金
    字塔。しかし同時になお位牌でもある。(『毎日新聞』同上)

中村さんは、日本が日本であることの証しは、天皇がいて憲法9条がある、ということで、それ
らがなければもう、日本とは言えない。しかし、憲法9条は死んで位牌となってしまっていると
言います。

現行の憲法、とりわけ第9条を変えようとしている安倍政権の姿勢は、中村さんの視点からする
と、日本を日本でなくする愚かな所業である、ということになります。

現地の長老からは、「(中村さんを)この地に招いてくれた神に感謝する」と、最大限の賛辞を
寄せています。

また、あるアフガン人は、メディアのインタビューで「ご遺族に伝えて欲しい。中村さんは死ん
ではいない。我々の心の中に生き続けている」と語っています。

中村さんが所属する「ペシャワール会」の福元満治広報担当理事は12月4日、福岡市内の事務
所での記者会見で、これまで取り組んだ農業用水の整備などは安定につながる」ことを指摘し、
「事業の中止になることはない」と力を込めました。

安倍首相は、型通りの「残念だ」との短いコメントを出していますが、もし本気で世界の紛争地
域の解決に取り組むのであれば、アメリカ追随一辺倒ではなく、実体験に基づく中村さんの言葉
をじっくりと噛みしめ、その遺志を継いで真の「地球を俯瞰する外交」に徹して欲しいと思いま
す。

中村さんのような日本人がいたことは私にとって誇りであり宝物でしたが、亡くなった今となっ
ては彼が残してくれた言葉が宝物です。

改めて中村さんのご冥福をお祈りします。

(注1)『東洋経済』ONLINE(2019年12月7日)https://toyokeizai.net/articles/-/318423


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アフガニスタン東部のジェララバードでスタッフと(『東京新聞』2019年12月5日)          ジャララバード郊外で整備された用水路の前に立つ中村哲氏(2016年11月)
         
  

        『東京新聞』(2019年12月5日)より転載                                  『東京新聞』(2019年12月5日)より転載



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