大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

川から日本を見る(3)-「塩の道」と文化の形成-

2013-11-29 04:58:02 | 思想・文化
川から日本を見る(3)-「塩の道」と文化の形成-


前回の記事では、日本における川の舟運についてその概略を書きました。そこでは、明治期以前(場所によっては大正
初期,さらには昭和初期まで)の日本では川が人や物の運輸交通に大きな役割を果たしていたことを説明しました。

とりわけ、川の舟運は、米や木材のように重いものを大量に運ぶ場合には、不可欠の運搬手段だったといえます。

海から内陸に物資を輸送する場合、人々は、川の舟運が利用できる遡行限界まで舟を利用し、そこからは馬や牛の背
に乗せて最終目的地まで運んだのです。

逆に内陸から海に向かう場合、舟が利用できる場所まで家畜や人間の背で運び、そこで舟に積み替えて下流に向かって
荷物を運びました。

この際、川沿いには幾つもの川の港、つまり「河岸」が発達し、これらは舟運と共に発展してやがて町や都市になって
ゆきました。

今日の内陸都市は、かつては直接間接に、川の舟運と関係し、河岸であった例が少なくありません。

たとえば、阿武隈川中流の福島、北上川上流の盛岡・現北上市・水沢市、利根川沿いの多数の町や都市がそうです。

下の写真は、荒川(または利根川)で使われていた「高瀬舟」(実物大に再建された舟。千葉県立関宿城博物館所蔵)で、
2013年8月に埼玉
県立川の博物館特別展示で公開された)。(注1)

写真 高瀬舟(大型の高瀬舟では1000俵の米俵を積んだ、という記録もある)




ところで、舟運が大きな役割を果たしたのは、米や木材の運搬や人の移動だけではありませんでした。人々の生活に
とっては、塩こそが絶対に欠かせない生活物資でした。

塩は生物としての人間にとって必要不可欠の物質であることは太古の昔から現代まで変わりません。アフリカでは
あの広大なサハラ砂漠を横断し、内陸のヒマラヤ山地のネパールやチベットには、はるばるインド洋から舟と家畜の
背で塩が運ばれました。

事情は日本でも同じです。岩塩が採れない日本では、内陸に住む人たちは海で作られた塩を手に入れる必要があります。

冷蔵庫の無かった時代に、野菜や魚などの海産物を保存するには、乾燥させるか塩漬けにするしか方法がなかったからです。

とりわけ、冬に野菜が採れない寒冷地では、春から秋にかけて収穫した野菜を塩漬け(漬物)にして冬を乗り切らなければ
なりません。

戦国時代に、今川氏と北条氏の経済封鎖で太平洋側からの塩を絶たれて困っていた武田信玄に、それまで敵対していた
上杉謙信が日本海の塩を送って助けた、「敵に塩を送る」という故事にもあるように、塩が絶たれると、人々の生活は成り
立たなかったのです。

そこで、人々は万難を排して、生活必需品である塩を手に入れようとしたのです。他方、沿岸で塩の生産をしていた地域
では確実に売れる商品として、塩の販売ルートを開拓してきました。

下の図1は富岡儀八『塩の道を探る』(岩波書店、岩波新書 1983年)より、図2は平島,裕正『塩の道』(講談社 1975)
引用した全国の「塩の道」の概略図です。

これらの図からも明らかなように、「塩の道」は全国に張り巡らされ、とりわけ内陸奥深くまで塩が川の舟運が利用されてい
たことが分かります。

図1 全国塩の道図(北海道を除く)





言うまでもなく、「塩の道」は、塩だけを運んでいたわけではありません。川を上る舟は塩以外にも前回紹介した、京都の
ひな人形や雑貨が最上川を上って運ばれたように、衣類や様々な加工品なども運ばれました。

ここで、興味深いのは、関東以西の「塩の道」と、いわゆる主要街道との関係です。たとえば、関東から西に向かってみて
みると、川はおおむね南北に流れています。これが、ほとんど「塩の道」となっていました。

ところが、東海道と山陽道は「塩の道」を直角に貫いています。川をそのもの、あるいは川と連結した「塩の道」は生活に
必要な物資や商品を運ぶ「民衆の道」だったのです。

これにたいして、江戸時代に整備された街道とは、主要な都市と都市を最短距離で結ぶ道で、主に政治の中心であった江戸
の幕府権力が地方を支配するために作った、「権力の道」「政治の道」でした。

ただし、関東から東の阿武隈川、北上川、最上川などは南北に走る脊梁山に沿って南北方向に流れており、これらの河川
では、「民衆の道」「生活の道」としての「塩の道」と「権力の道」とは機能的に重なっていました。

もっとも、全ての「塩の道」が川の舟運を経由していたわけではありません。舟が使えない浅くて小さな川しかないところ
では、人や物の運輸交通は陸路を使わざるを得ませんが、その場合でさえ、できる限り川筋に沿って道が作られていました。

なぜなら、川筋というのは山間部のもっとも低い場所を流れ、登り降りがもっと少ない、という地理的に有利な条件がある
からです。

こうした陸路も含めて、ここでは「川の道」という考え方も採用します。

「塩の道」は、物だけでなく、文化や宗教も伝えました。というのも、物が動くときには人も一緒に動いていたので、言語、
風俗、習慣、宗教、広い意味での文化なども伝わったからです。

たとえば、利根川と荒川の流域に現在までも継承されている大杉神社信仰をみてみましょう。

茨城県稲敷市阿波に大杉神社があります。ご神体が大着なすぎの木であることからこの名が付きました。

伝承によれば、「神護景雲元年(767年)、大和三輪で修行を終えて故郷の二荒山に向かう途中の勝道商人の勝道上人が,
疫病に苦しむ当地の惨状を救おうと巨杉に祈念しとところ,病魔を退散させた」。

これより以後,大杉大明神として祀られることになった。この大杉は霞ヶ浦や北浦を航行する船からもよく見えたため,船乗り
のランドマークにもなり,大杉神社は船乗りたちの航海安全の神として広く信仰を集めるようになりました。

各地からの人や物が往来する水路は物流の根幹であると同時に,疫病の伝染経路でもありました。大杉神社はやがて航海安全と
疫病退散の神として,舟運関係者によって利根川水系を中心に荒川・新河岸川,鬼怒川,渡良瀬川,久慈川,那珂川の流域全体
にひろまっていったのです。

現在でも,大杉神社信仰の勧請地は関東北部の河川流域に存在しています。興味深いのは,大杉神社信仰の伝播にあわせて
「大杉囃子」という芸能も広まったことです。

この囃子は元和年間(1615~1623年)に,十二座神楽とともに「悪魔払いの囃子」として紀州から伝えられたとの伝承があり、
現在でも大杉神社信仰がある幾つかの場所では,村を廻る厄払いのお囃子が祭りとして行われています(注2)。

これは,舟運を媒介として信仰と芸能がセットになり,流域文化を形成していった好例です。次に、方言や信仰の分布と河川
交通との関係を見てみましょう。

越中(現在の富山県)の方言は、隣接する越前(福井県)や越後(新潟県)よりも岐阜県の飛騨地方と同様の方言が多いのです。

また、信仰面でも、越後に信州戸隠山への信仰が伝播し,戸隠講が広く分布するが,越中では地元の石動山,立山への信仰が篤く,
戸隠信仰の分布はありません。

越中・加賀と飛騨・美濃方面との間には神通川その他多くの南北流する河川があり、越後と信州との間には信濃川をはじめとして
幾つかの河川が両地域とを結んでいて、民俗文化分布の諸相に行政区画とは別の地域の系統の境界線を形成させた重要な要因とな
ってきたことがわかります。(注3)

また、天竜川中・下流域では、南信州・愛知県東部、静岡県西部が一つの文化圏をなしており、そこでは方言も共通し、「花祭り」
という古来からの神事も共通しています。

このような例はたくさんあります。こうした事例から、近代以前の日本では川舟や川に沿って作られた道がヒト・モノ・文化の
移動と伝達の手段となって、長い年月をかけて地域文化が形成されてきたことが分かります。




(注1)「高瀬舟」の大きさは、全長が25メートルから30メートルほどです。なお舟の名称は場所によって異なります。「高瀬舟」の他に、
    同規模の舟としては「ひらた舟」などもある。
(注2)埼玉県立川の博物館『和船大図鑑~荒川をぐなぐ舟・ひと・モノ』2013年:26-27ページ。
(注3)北見,俊夫 1981 『川の文化』(日本書籍 1981)(205-6)

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川から日本を見る(2)-川の舟運ネットワーク-

2013-11-23 08:45:04 | 思想・文化
川から日本を見る(2)-川の舟運ネットワーク-


私はここ数年、「流域文化圏形成」という研究テーマを追いかけています。これは、日本の地域文化がどのように形成され
てきたのかという問題です。

日本は、単一民族による単一文化圏であるという、非常に大ざっぱな言い方をするときがあります。もし、日本語を共通語
とする、という意味でなら、そのような言い方も可能かも知れません。

また現代は、文化も情報もテレビやラジオ、インターネットが全国を覆っているので、あたかも日本全体が文化的に一枚岩
であるかのような印象さえもちます。


しかし、日本語という言語的な共通の被いを取り除いてみると、その下には多様で豊かな地域文化圏が幾つも息づいている
ことが分かります。

ここで「文化圏」とは、共通の文化を共有するゆるやかな地域というほどの、漠然とした概念です。たとえば、関西文化圏
とか、東北文化圏といった文化圏が考えられます。

もっとも、実際には、一口に「東北文化圏」といっても、青森県と、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県などでは、
それぞれ独自の文化をもっています。さらに、たとえば同じ山形県でも山形市周辺と、最上地方とではやはり違いがあります。

こうして細かく見てゆくと、地域文化圏というのは、県単位よりずっと狭い範囲まで分かれてゆきます。

私の関心は、それぞれの大小の文化圏はどのようにして形成されてきたのかという問題です。通常、文化に関する研究は、
すでに存在する文化を与えられたものと考えて、その特徴なり構造を解明することに焦点が当てられます。

ここでいう「文化」とは、茶道とか能とか日本画などの高尚な文化ではなく、人々の日常生活の中での食べ物、方言、祭り、
行事、習慣など民衆の文化を指します。

こうした民衆文化に関しては、はっきりとした起源などはわかりにくいため、どのようにして、ある文化が形成されてきた
のか、という歴史的な問いかけがなされることはめったにありません。

ただし、日常生活のうち、衣食住などの生活文化の多くは、それぞれの地域の自然(気候)条件によって大きく左右されます。

たとえば、北海道や東北地方と九州や沖縄とでは、気候の違いによる衣食住の違いがあります。

もちろん、地域文化の形成がすべて自然条件によって生まれたわけではありません。それは、人の移動や活動によって歴史的
に形成されるものでもあります。

つまり、ある地域の文化は、周囲からまったく孤立しているのではなく、人の行き来を通じて、他の地域とも何らかの影響を
受けたり与えたりしながら形成されてくるものなのです。

以上の、事情を考えると、文化の形成には人々の移動のルートや方法が大きく関係していることが分かります。

現代は、道路(車)、鉄道、さらには飛行機がヒト、モノ、情報の移動の主要な手段になっており、このことが、日本の文化
状況を、均一化へ推し進めています。

さらに、近代の日本は、東京圏、中京圏、阪神圏など、海に近い沿岸都市圏を中心に発展してきたため、沿岸部は先進地域、
そして内陸部は人々の動きから取り残された「後進地域」と考えられがちです。

しかし、現在の地域文化が形成された近代以前には、人は陸路を徒歩や馬に乗って移動するか、舟(船)で移動するしかあり
ませんでした。

今回は、河川の舟運を中心とした河川ルートに焦点を当て、ヒト、モノ、情報の移動について考えてみます。

河川ルートは、文字通り川舟(船)で、またある時は川に沿った陸路で、あるいは、最も一般的だったのは、川の舟運を利用
できる最上流まで舟で、そこから先は陸路で人や荷物で移動したのです。

現在の河川、とりわけ東京から西にある河川は、途中で発電や農業用水、工業用水、飲料水のために水を取られてしまっています。

さらに深刻なのは上流の森林が荒れているので、降った雨が直ちに海へ流下してしまいます。このため、平常時の河川では、
表面を流れる水は非常に少なくなってしまっています。

江戸時代には、「越すに越されぬ大井川」と言われた大井川でさえ、現在では見る影もありません。現代では、関東以西の本州の
河川の本流は、河床の下を流れる伏流水だと言われるほどです。

しかし、江戸時代と明治期くらいまで、ある程度の規模を持った河川では、程度の差はあっても、ほとんど舟運が利用されてい
たのです。

そして、舟運が行われていた河川では、川の港、つまり「河岸」が整備されていました。

川の舟運は、以下に触れる北上川の例に見られるように、江戸時代よりはるか昔から行われていました。

しかし、江戸時代になると、物の生産と流通が盛んになり、河岸が整備され舟運が組織的に運営されるようになりました。

また、江戸には各藩から幕府への年貢米、あるいは江戸屋敷の維持管理に必要な財政を賄うために大量の藩米が江戸に送
られました。

米は馬の背に乗せて運ぶこともできましたが、1頭の馬はせいぜい2俵(1俵は約60キロ)しか運べません。

したがって、年間に何万俵もの米を馬だけで運ぶことは、膨大な数の馬と馬子が必要となり、これは、不可能ではないにしても、
輸送コストと期間がかかりすぎ、現実的ではありませんでした。

また、建築資材の木材を運ぶには、遠く山から陸路で牛馬に引かせて運ぶことは事実上無理でした。

これにたいして、船がもつ輸送力は比較を絶して大きかったのです。米を川舟で運ぶ場合、100俵くらい(馬50頭分)は無理
なく運べたし、木材も筏流しと組み合わせて山から下流へ運ぶのがもっとも速くコストも安かったのです。

こうして、川の舟運が利用できるところまでは陸路で運び、そこからは舟で運ぶという陸路と舟運との組み合わせが、日本全国で
発展してゆきました。

舟運のその大ざっぱなイメージを描くために、まず、今回は江戸時代の東日本における河川の舟運と陸路とのネットワークを、
小出博『利根川と淀川』から引用します。

(地図をクリックすると拡大図になります)




この図からもわかるように、東北日本ではかなり多くの河川で舟運が行われていました。とりわけ注目に値するのは、今日、内陸都市
と考えられている都市がかつては舟運の主要な拠点としての河岸であったという事実です。

たとえば福島は、阿武隈川流域ではもっとも古く大きな港まちであったし、「杜の都」、といわれた盛岡は北上川上流部の最大の河岸
でした。

そして、現在でも、盛岡市内では川幅いっぱいに水が流れています(写真参照)




北上川に関しては、中流から下流にかけての河岸や航行に必要な情報が描かれた絵図(江戸時代)が今日も残されています。(注1)

注目すべきは、、平安末期から鎌倉初期にかけて、日本で三大都市の一つとして繁栄を極めた藤原三代の拠点都市、平泉も北上川の
河岸の一つだったという事実です。藤原氏は、平泉から北上川を上って東北の奥地から北海道、そして直接間接にシベリア大陸との
交易をしていとこと、またまた北上川を下って、太平洋に出て、京都、博多、そして宋との貿易もしていたことも最近の考古学的調査
で分かってきました。

次に、当時は日本で最大の人口を抱えた江戸と地方との交通運輸を支えた利根川を例に見てみましょう。下の地図(小出博『利根川
と淀川』より引用)には利根川水系の河岸の所在を示しています。

これで見ても分かるように、利根川は渡良瀬川や鬼怒川、そして江戸川などの支流や分流に主なものだけでも200近くの河岸があったのです。






江戸時代にも100万人の住民を抱えた江戸は、その人口を養うために膨大な物資を日本全国から集めていたのですが、その重要な交易は
利根川の舟運なしには考えられません。


利根川の本流の最も上流にある河岸は沼田で、そこから峠を越えると越後の国に到達しました。他方、信州との交易路としては、高崎城の
外港であった、倉賀野が遡行限界でした。

江戸から信州へは、ここで荷物を下ろし、馬や牛の背で碓氷峠を越えて、塩尻まで運ばれました。

逆に信州から江戸へは碓氷峠を越えて倉賀野で荷物を船に移し、利根川と江戸川の分岐点である関宿または境から江戸川に入り、行徳から
舟堀川と小名木川を経て隅田川にはいり、江戸市中の無数の運河や堀割に運ばれました。

時代劇などで、掘り割りに面して建ち並ぶ店や倉庫の光景がよく出てきますが、それはこのように長旅を経て江戸に到達した荷物の積み
下ろしをしていた河岸だったのです。

次に、支流としては渡良瀬川と鬼怒川が主要な川で、これらの河川を通じて東北南部の物産(特に米と木材)が江戸に運ばれました。

さらに、東北の沿岸地域からは、銚子から利根川を上り、関宿か境で江戸川を下り、上に述べたルートに従って江戸市中に入ったのです。
1671年には、東北から直接に江戸湾に入るルートが河村瑞賢によって開拓されますが、銚子沖を通過することが危険だったので、利根川
経由の河川舟運は後まで存続しました。

江戸には河川だけではなく、海路で江戸湾から直接に市中に入ることも可能でした。大阪などの西から来る船は、そのようなルートを
取っていましたが、それについては、日本の海運史として別に検討する必要があります。

次回は、舟運の様子、運ばれた荷物、とりわけ舟運と「塩の道」との関係についてもう少し詳しく紹介します。



(注1)北上市立博物館 2009(初版 1983)『北上川の水運』(北上川流域の自然と文化シリーズ 5)

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川から日本を見る(1)-富山和子著『水の文化史』を手掛かりとして-

2013-11-18 22:45:38 | 思想・文化
川から日本文化を見る(1)-富山和子著『水の文化史』を手掛かりとして-

日本が高度経済成長の真っ盛りにあった1980年、日本の歴史・文化・環境をセットで考える非常に重要な著作が出版
されました。それが、今回、ここで取り上げる、富山和子著『水の文化史』(文芸春秋社)です。

当時私は、森林保護の問題に関わっていて、出版されたばかりのこの本を読んで非常に感動しました。

当時、人々の心は高度経済成長と、次々に登場するクーラーや冷蔵庫などの家電製品や車の購入に奪われ、荒れる
一方の森林などに関心を持つ人はほとんどいませんでした。

また、このころ私はイワナやヤマメを追う渓流釣りにも熱中しており、長野県と岐阜県の県境を流れるある川の源流
に近い渓流をしばしば訪れていました。この渓流では時々大きなイワナが釣れたので、お気に入りの渓の一つでした。

ある時、その渓(たに)を訪れてみると、まったく様相が変わっていて、イワナの影さえ見えないどころか、深い渓
が土砂で埋もれてしまっていました。

近くの村の人の話では、数日前の台風で上流の土砂が渓に流れ込み、4メートルほども渓が埋まってしまったとの
ことでした。

私は、それを確かめるために、川の上流に向かって歩き、ついに土砂が流出した現場に行き着きました。

その現場を見て思わず、うなってしまいました。渓の山側の急斜面は杉の人工林だったところでしたが、まるで
バリカンで毛を刈るように、広い面積がきれいに刈られていました。いわゆる「皆伐」という伐採のやり方です。

太い木だけを選別して、間引くようにして伐採する方が山の斜面の表土を守るためには良いのですが、それは効率
が悪いので、皆伐が行われることもあります。表面が草や灌木で覆われる前に大雨が降ると、表土はたちまち渓に
押し流されてしまいます。

この時、森林と川との不可分な関係を身をもって感じました。森は、降った雨を一時吸収し、長い時間をかけて少し
ずつ川に流してゆくのだ、という当たり前のことを実感したのです。

このような体験もあったので、富山氏の著作は、森林の問題が、実は川の問題と密接に関連していることを、再確認
させてくれました。

最初にこの本を読んだ当時、私の関心は森林と川との関係に限られていました。しかし、あれから30年以上も年月
が経ち、今年(2013年)に中央公論社から新書版で再販されたのを機に、もう一度読み返してみて、この本は、
タイトルにあるように、あくまでも水の「文化史」であることを再確認しました。

これは私にとって、非常に重要な“発見”でした。というのも、私はここ3年ほど、「流域文化圏形成の研究」という
小さな研究プロジェクトを行っており、富山氏の著書の内容と深く関わっていることが分かったからです。

このプロジェクトについては、次回に少しくわしく説明します。

富山氏は、日本の交通体系において水運(主に河川の舟運と、それに連結する海運)に着目して、日本の歴史と文化の
成り立ちを解明した、この分野の研究の開拓者です。富山氏が切り開いた素晴らしい世界を、少しだけ紹介しましょう。

富山氏はまず、大和の地(現在の奈良県)に花開いた飛鳥・奈良の古代文化と国家とはどのようにして成立したのか、
そして成立し得たのかという問題を、淀川水系を例に説明します。

ここで「淀川水系」とは、最終的に淀川に注ぐ、桂川(加茂川と桂川)、瀬田川-宇治川、木津川を指します。

そして、これらの河川は、現在の山崎のあたりで合流します。ちなみに、サントリーの本拠地、山崎は、酒作りに欠
かせない水が集まる場所です。

富山氏は、とりわけ、ここで重要な役割を果たすのが琵琶湖で、琵琶湖-瀬田川-宇治川-木津川という、いわば
大和盆地の都を支えた幹線ルートに着目します。

まず、藤原京や奈良の都(平城京)の建設、さらには東大寺をはじめ何と七大寺建立都を造営するために必要な膨大な
木材は、琵琶湖の東側、大津市の南で瀬田川の上流に位置する田上山から切り出されました。

切り出された木材は、舟で琵琶湖との唯一の出口である瀬田川を下り、やがて宇治川と名前が変わり木津川と合流します。
そこで一旦、陸揚げされ、荷を整えて再び木津川を遡って大和の地に運ばれました。

軽い荷物は牛馬や人の背でも運べますが、木材は基本的に水路(川や湖)の水運を利用します。

木津川とは名前のとおり、木を運ぶ川で、地名の「木津」は「木の港」という意味です。これらの川は、もちろん、木を
運んだだけでなく、大陸からの貢物や庄園の年貢も運ばれた道でもありました。

やがて、都が京都に移ると、淀川水系のうち桂川が、京都を支えるもう一つの幹線ルートとして登場しました。

桂川は、真っ直ぐに下って淀川となり、大阪湾に注ぎます。

京都に都が置かれると、京都と奈良は木津川と桂川を介して結ばれたのです。そして、淀、桂、鳥羽は京都の外港(河港
=河岸)として栄えた港町でした。

ここまでは、古典的な歴史が教えるところですが、富山氏の発想のすばらしさは、この先です。

先に、淀川水系の説明の際に、琵琶湖を出発点として挙げておきましたが、実は、ここに大きな意味があるのです。

つまり、奈良や京都に入ってきた物資の多くは、日本海側の北陸、東北地方から若狭湾の若狭港や鶴賀で陸揚げされ、陸路
を経て琵琶湖の港、塩津へ運ばれ、舟で琵琶湖を大津へ渡り、奈良へ運ばれたので背鵜。

当時、奈良と北陸そして東北とは非常に密接な関係があり、東大寺建立のころ、東大寺の庄園の多くは北陸と東北にあったのです。

富山氏の言葉を借りると、奈良時代は日本海側こそが「表日本」でした。日本海側からは、木材だけでなく、さまざまな
海産物、米、絹などありとあらゆる物産が、海路と陸路を経由して琵琶湖に入り、大和に運び込まれたのです。

都が京都に移ってからも事情は同じで、京都に入る物産は、日本海から陸路で、あるいは琵琶湖経由で京都に運ばれたのです。

そして、京都は桂川の舟運も利用できたので、大陸からの物資や文化は瀬戸内海からも桂川を経由して京都に入ったのです。

こうして、淀川は瀬戸内海、奈良、京都という都、海路で北陸と東北とを結んでいたのです。

富山氏のもう一つの、優れた発想として、上記のルートを経由して、淀川は東北の大河川、最上川とも結ばれていたことを指摘します。

最上川流域は、古来「最上の紅花」で有名でした。紅花はエジプトや中東が原産といわれており、日本には6~7世紀に伝えられ、
平安時代には日本各地で栽培されました。最上川流域では、室町時代から栽培されるようになったようです。

紅花は非常に高級な染料で、同じ重さなら金と同じ価格だったと言われています。古代にあって、紅は神聖な色だったのです。

京都の商人が最上地方に買いに紅花を買いに来たり、在地の紅花商人が、京都に紅花を売りにもゆきました。こうした二重の
取引で、最上地方の紅花以外のさまざまな物産が京都に行き、京都の繰綿、木綿、水油、のちには砂糖、雛人形などの雑貨が
最上地方にもたらされました。

京都からもたらされた雑貨は最上の商人達によって、流域の各地で売りさばかれました。

最上を経由する物産は一旦河口の港、酒田で陸揚げされ、京都へは大型の外洋船に積み替えられ、京都からの物産は川船に積み
替えられました。

こうして、最上流域の奥深くに京都の文化が入り込み、現在「紅花博物館」となっているかつての紅花商人の館には、多数の京都
のひな人形が展示されています。そして、古い京都の言葉が現在でも最上地方には残っています。

富山氏は、淀川-琵琶湖-(海路)-最上川というルート、つまり川-湖--海-川を一つの糸で繋いだのです。これは素晴らしい
アイディアです。

しかも、そこでは単に物産の交易だけでなく、京都の文化が北陸に伝わり金沢が「小京都」と呼ばれたり、京染め(友禅)が、北陸
の加賀友禅となったり、あるいは京風のデザインが能登や北陸の漆器に使われたりしたことからも分かるように、京都と北陸、
東北地方は、後々まで文化の面でも深い関係を保ったのです。

富山氏の研究に付け足すことは余りありませんが、一つだけ、補足しておきたいと思います。

以前から私は、なぜ、奈良という内陸の孤立した場所に都が置かれたのか不思議でなりませんでした。

他方、奈良時代には中国、朝鮮など大陸との交流も盛んに行われ、それは仏像などを見ても明らかです。それにも関わらず、海に近い
場所ではなく、交通不便な内陸盆地に都を置いた理由が分からなかったのです。

しかし、川に関する文献を調べてゆくうちに、実は、奈良は大和盆地に流れ込む何本もの川が合流し、堺で大阪湾に注ぐ大和川の
舟運を利用していたことが分かりました。

つまり、上に述べた淀川水系の他に、大陸の文物や九州、四国、瀬戸内の物産は、大和川を遡り支流の佐保川に入り、何と平城京の
中まで舟で到達することができたのです。

今年の春に、このコースを大阪湾からたどり(ただし、大和川は江戸時事代に途中から淀川に付け替えられた)、奈良盆地に入り、
佐保川沿いに平城京跡地まで自動車で走りました。

大和盆地を流れる何本もの支流は「河合」という町で合流しますが、そこの廣瀬神社があります。この神社の境内に建っている看板
の説明書きによると、ここには、桓武天皇以来、毎年、洪水防止と豊饒を祈願に来ました。

そして、神社のすぐ隣が大和川の港で、古来から明治時代の初めまで市場があって賑わっていたことが書かかれています。

奈良の都は、孤立していたどころか、水の都といってもいいほど水と水運に恵まれた場所だった事が分かります。

これで、長年の疑問がようやく解けました。

次回は、富山氏の著作から離れて、私自身が調査した感想を中心に、「流域文化圏形成の研究」について書きたいと思います。

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ミツバチが警告するネオニコチノイド農薬の危険性

2013-11-13 12:00:44 | 健康・医療
ミツバチが警告するネオニコチノイド農薬の危険性

2010年、世界経済をゆるがすほどの大事件ではないかもしれませんが、大げさに言えば、ある意味で人類の
将来に関わる出来事が発生しました。

それは、日本、アメリカ、カナダ、中国、台湾、インド、ウルグアイ、ブラジル、オーストラリアなどの国で、ミツバチ
の大量死と大量の失踪が発生したことです。

当初、大量のミツバチが忽然と姿を消してしまったことの原因が分かりませんでした。その後の原因究明の努力の結果、
大量死の主要因は、ネオニコチノイド系の農薬が関係しているのではないか、と考えられるようになりました。

ネオニコチノイドとは、ネオ(新しい)ニコチノイド(ニコチン様物質)のことで、1990年ころに有機リン酸系の農薬
の後に開発された殺虫剤です。ネオニコチノイドはアセチルコリンと呼ばれる神経伝達物資の受容体と結合して、神経
を興奮させ続ける作用があることが知られています。

果物の栽培などでは大量の農薬が使われるので、それらの花の蜜を集める際、ミツバチがネオニコチノイド系の農薬を
同時に取り込んでしまい、脳神経系にダメージを受けてたために死に至ったり、帰巣行動が取れなくなったのではないか、
と推測されています。

もちろん、ネオニコチノイドのような毒性の強い農薬の影響はミツバチだけに限られるわけではありません。ミツバチは

いわゆる指標生物、つまり環境悪化の前兆を知らせてくれる生物なのです。ミツバチは養蜂家がか監視している群れが多く、
健康状態や増減が分かり易いのです。

ミツバチ大量死事件は,今から50年以上も前にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』という著作で,DDTをはじめと
する農薬などの化学物質の影響で鳥たちが鳴かなくなった春、というできごとを通してそれらの危険性を訴えたこととよ
く似ています。

ミツバチで起きていることは、多種多様な昆虫で起きている可能性があり、ミツバチの異常は環境破壊の警告とみること
ができます

たとえば、2009年には、ネオニコチノイド農薬の使用とアキアカネ(赤とんぼ)幼虫の減少との関係を示した論文が発表
されました。

また、全国のアキアカネ研究者たちが、このトンボの減少に注目し始めたのは2010年でしたが、このころからカメムシの
殺虫のためにネオニコチノイド系の農薬が全国の稲作地域で使われ始めたのです。(注1)


さらに、昆虫で起こっていることは、当然、人間にも影響を与えているはずです。2013年6月12日午後。頭痛や体調不良
を訴え、小、中学生らが群馬県前橋市にある青山内科小児科医院の青山美子医師のもとへ駆け込んできました。

その後、12日に高崎市、13日には甘楽(かんら)町で無人ヘリコプターによるネオニコチノイド系農薬(以下、ネオニコ
系農薬)・チアクロプリドの空中散布が行われていたことが分かりました。

実は、人体に対する影響にについてはしばらく前から一部の医師が警告していました。それらの幾つかを紹介しておきます。(注2)

まず、東京女子医大の平久美子医師によれば、ネオニコチノイド剤の使用が増え始めた2006年頃から、農薬散布時に自覚
症状を訴える患者が増加。中毒患者には、神経への毒性とみられる動悸、手の震え、物忘れ、うつ焦燥感等のほか、免疫系
の異常によると考えられる喘息・じんましんなどのアレルギー性疾患、皮膚真菌症・風邪がこじれるなどの症状も多くみら
れます。

日本では、果物の摂食、次いで茶飲料の摂取、農薬散布などの環境曝露と野菜からの摂取も多い。受診した患者では、果物
やお茶の大量摂取群に頻脈が見られ、治療の一環で摂取を中止させると頻脈が消失します。青山医院を訪れた農薬の慢性中毒
とみられる患者は06年8月から8カ月で1111人、うち549人が、果物やお茶、野菜を大量に摂取していました。

平医師はさらに、人体に取り込まれたネオニコチノイドは、人の意識、情動、自律神経を司る脳の扁桃体に存在する神経伝達
物質の一部に作用するため、動悸、手の震え、物忘れ、不眠、うつ、自傷や攻撃などの情動、焦燥感など、さまざまな症状と
なって現れます。

また、人の記憶を司る脳の海馬や、免疫を司るリンパ球に存在する神経伝達物質の一部に作用し、記憶障害や、免疫機能の障害
(風邪がこじれるなどの症状、喘息・アトピー性皮膚炎・じんましんなどのアレルギー性疾患、皮膚真菌症・帯状疱疹などウイ
ルスや真菌などの病原体による疾患、関節リウマチなど)の誘因と、述べています。


青山内科小児科医院 青山美子医師の報告によれば、医院のある群馬県前橋市で、松枯れ病対策としてネオニコチノイド系殺虫
剤が使用されるようになった2003年以降、ネオニコチノイド系殺虫剤が原因と思われる頭痛、吐き気、めまい、物忘れなどの
自覚症状や、頻脈・除脈等の心電図異常がみられる患者が急増しています。

青山氏は、患者の生活習慣として共通する特徴に、国産果物やお茶を積極的に摂取していることがあげられます。

日本のネオニコチノイド系農薬の残留基準は、欧米よりも緩い基準値(日本は、アメリカの10倍、欧州の100倍近い)である

ことが関係しているのではないでしょうか、と警告しています。

東京都神経科学総合研究所 黒田洋一郎氏は、ネオニコチノイド系農薬の人体への影響として、空中散布や残留した食品の多量
摂取による心機能不全や異常な興奮、衝動性、記憶障害など、急性ニコチン中毒に似た症状が報告されています。

また、ネオニコチノイド系は胎盤を通過して脳にも移行しやすいことから、胎児・小児などの脳の機能の発達を阻害する可能性
が懸念されます。

胎児への影響について東京都神経科学総合研究所の木村-黒田純子氏は、懸念されるのが、胎児、小児など脆弱な発達期脳への
影響であると警告しています。

両氏によれば、胎児期から青年期にいたるまで、アセチルコリンとニコチン性受容体は、脳幹、海馬、小脳、大脳皮質などの正常
な発達に多様に関わっています。ネオニコチノイドはニコチンをもとに開発された農薬です。

ニコチンは胎盤を通過しやすく、母親の喫煙と胎児の脳の発達障害との関連を指摘する報告は多いのです。タバコに由来するニコ
チンは禁煙で回避できるが、規制が不十分な食品中のネオニコチノイドは回避しずらいのが現状です。

また、東京都神経科学総合研究所 黒田洋一郎氏によれば、ヒトの脳の発達は、多種類のホルモンや神経伝達物質によって調整され、
数万の遺伝子の複雑精緻な発現によって行われます。

それを阻害するものとして化学物質の危険性があり、有機リン系やネオニコチノイド系など農薬類は、環境化学物質の中でも特に
神経系を撹乱し、子どもの脳発達を阻害する可能性が高いのです。

環境化学物質と発達障害児の症状の多様性との関係は綿密な調査研究が必要でありますが、厳密な因果関係を証明することは現状
では大変難しい。

生態系や子どもの将来に繋がる重要課題として、農薬については予防原則を適用し、神経系を撹乱する殺虫剤については使用を極力
抑え、危険性の高いものは使用停止するなどの方策が必要です。

以上の医師や研究者の臨床や研究結果が明らかにしているように、ネオニコチノイドがヒトや生態系に与える悪影響は深刻です。

とりわけ私は、医師たちが指摘しているように子どもたちの発達障害への影響に強い不安を感じます。

日本のネオニコ系農薬の食品中の残留基準はEUやアメリカと比べると、なんと数倍から数百倍も甘く、特に果物、茶葉については
500倍という顕著な差がみられたのです。しかも驚いたことに、日本では欧米と逆行して、一部のネオニコ系農薬についての残留
基準がさらに緩和されています。

例えば07年10月に基準が改定されたネオニコ系のジノテフランの残留基準は、ほうれん草で5ppmから15ppmに、春菊で5ppm
から20ppmに、チンゲンサイも5ppmから10ppmになった。

さらには2011年12月に改定されたネオニコ系のイミダクロプリドは、ほうれん草について従来の2.5ppmから15ppm、ナスで
0.5ppmから2ppmなどと緩くなりました。いずれもネオニコ系をより使いやすくする“規制緩和”です。

しかも、イミダクロプリドの数値が改定されたのは、11年3月の東日本大震災後です。5~6月にパブリックコメントを短期間募集して、
国民が放射能に怯えるドサクサにまぎれて改定していた格好です。

その後も似た症状の患者が後を絶たず、果物やお茶の摂取をやめさせると、症状は改善され、消えました。さらにはお茶を飲み、桃と
ナシを食べて胸が痛くなったと来院した30代の女性の尿からは、かなり高い数値のアセタミプリドが検出されたのです。

臨床結果から、お茶、果物などのネオニコ系の残留農薬が中毒の原因ではないかと疑った平医師が世界各国の残留農薬の基準値を調査し、
日本だけが突出して高すぎることを問題視しました。

青山医師と平医師は、厚生労働省食品安全部基準審査課に、残留基準を厳しくすることを求める手紙を書きましたが、今年2月に送られ
てきた返事は、期待はずれなものでした。

〈これら(手紙)については拝読させていただき、貴重なご意見として今後の業務の参考とさせていただきます〉などと書かれているだけで、
具体的な改善の兆しはまったく見られませんでした。そして冒頭に紹介した群馬県の“事件”が起こるべくして起こったのです。
( 以上、『週刊朝日』2013年7月12日号より)
    
ネオニコチノイドの危険性にたいして、欧米では強い警戒心をもって規制しています。2012年5月、ヨーロッパ連合(EU)が、ミツバチ
に被害を与えている可能性を否定できないネオニコチノイド系農薬のうち3種類を2年間の期限付きで使用禁止措置にすると発表しました。

これに関連して、同年9月12日にNHKの「クローズアップ現代」が「謎のミツバチ大量死 EU農薬規制の波紋」を放映し、この問題
が広く社会の関心を呼びました。

EUの理念は「予防原則」という考え方で、1993年に発効したEU条約は「予防原則」を次のように定義しています。 「何もしなければ
健康被害を生ずる科学的根拠(必ずしも完璧な証明でなくてもよい)があり、措置が費用対効果の合理的判断に基づいて正当化できるとき、
慎重な措置をとること」というものです。

2000年のヨーロッパ委員会はさらに「より包括的なリスク評価に必要な科学的根拠を提出する責任を課すことができる」としています。(注3)

「予防原則」は、ただ禁止措置をとるだけでなく、2年間のうちに農薬の有害性に関する科学的に検証することを義務づけています。

実際、その有害性が確認されて、EUは2013年12月より、3種類のネオニコチノイド農薬の使用禁止に踏み切りました。

こうした、ヨーロッパにおける趨勢にもかかわらず日本では、ネオニコチノイド農薬は禁止されないどころか、政府も厚生労働省も、
その規制を緩めようとさえしています。それはなぜでしょうか。

これを考える前に、ネオニコチノイド系農薬の特徴を見ておきましょう。ネオニコチノイド系農薬は、、①浸透性、②残効性、
③神経毒性、という特徴をもっています。

農薬としてみれば、これらの特徴は「有効性」でもあります。まず、浸透性ですが、ネオニコチノイドは水溶性で植物内部に浸透
することから、浸透性農薬とも呼ばれます。

つまり、この農薬を散布すれば、葉や茎、果実の表面から内部に浸透してゆきます。したがって、雨などで洗われても流れること
がありません。

残効性とは、浸透性とあいまって効果が長く続くという意味で。そして、神経毒というのは、これまでの殺虫剤とは異なり、昆虫
の神経系を破壊する毒性をもつということです。つまり、少量で殺虫効果は高い反面、その分毒性が強いのです。

浸透性と残効性という特徴によって、散布したネオニコチノイドは地中で1年くらいはその毒性を持続させるので、それは根から
吸収され、茎、葉、花、花粉、蜜、実のどこにでも浸透して長期間滞留しますから、どんなに洗っても落ちません。ここがもっと
も恐いところです。

このため、農業者からすると、少ない回数の散布で済むのでまことに効率的な農薬ということになります。

しかし、これは同時に、毒性がこれまでの農薬の数倍も大きいことをも意味しています。

このため、国内出荷量は過去10年間で3倍にも増加し、今後も増加し続ける傾向にあります。

ネオニコチノイド系農薬(殺虫剤)は、農業部門ではイネ、野菜、果物、菊バラなどの栽培に使用されていますが、このほか林業
ではマツクイムシによる松枯れ病の防除、家庭用ではシロアリ駆除、ペットの蚤駆除など、その使用範囲は拡大しており、私たち
の健康への悪影響が心配です。

問題の発端となったミツバチへの影響との関連で言えば、この農薬を散布した植物から摂った蜂蜜にはネオニコチノイドが含まれて
いる可能性が充分あります。

果樹栽培で、結実を確実にするためにミツバチを使って受粉させます。この時、もし果樹にオニコチノイド系農薬が使われていると、
それらの果樹から摂れた蜂蜜にもネオニコチノイドが含まれてしまいます。

時々、「減農薬」と表示した米や野菜が売られていますが、この場合の「減農薬」とは、散布回数や量について言っているのですが、
どんな農薬かは示していません。

もし、少量でも長期間有効なネオニコチノイド系農薬を使用していたとしたら、その米や野菜はとうてい健康な食べ物とは言えません。

ネオニコチノイドの使用が日本で異常に大量に使われているもう一つの重要な問題は、これらの農薬を製造しているメーカーの利害が
強く働いている可能性です。

今や、ネオニコチノイド系の殺虫剤は大きな産業になりつつあるのです。ネオニコチノイド系農薬の主要7製品のメーカーのうち日本

企業は、日本送達、住友化学、三井化学アグロの3社です。このうち、広く流通しているネオニコチノイド殺虫剤のクロチアニジン系、
とンテンピラム系の農薬は、現経団連会長の米倉氏が社長を務める住友化学です。

ところで、これだけ世界的にも国内でも危険視されているネオニコチノイドの使用に関して、政府・厚生労働省はどのような姿勢を
とっているのでしょうか。現在は、使用を制限するどころか、基準をますます緩くしています。

政府は、ネオニコチノイド農薬とさまざまな身体症状との因果関係が科学的に証明されていないから、という立場をとり続けています。

しかし、水俣病にしてもサリドマイド薬害にしても、公害の問題に関して日本の政府は一貫して同じ論法で、批判をかわし、結果
として甚大な人的被害、環境破壊をもたらしてきたのです。

確かに、病気の原因は複合的で、農薬と病気との因果関係を特定することは困難です。しかし、それでも、EUのように、疑わしい
場合には、まず使用を止めて、できる限りの原因究明を行うという「予防原則」は是非必要だと考えます。

農家の便宜・効率、企業万が一にでも、ネオニコチノイドの使用が企業利益のために規制を緩めたりすることがあってはならないと
思います。



(注1)http://no-neonico.jp/kiso_problem2/  

(注2)医師による臨床結果の発表については、ネオニコチノイド剤に反対するにたいする組織「Noネコチオ」のホームページ http://no-neonico.jp/kiso_problem1/ に抜粋が掲載されていますが、全文は、以下のNPO「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」のホームページのニュースレター、

http://kokumin-kaigi.sakura.ne.jp/kokumin/wp-content/uploads/2011/03/Letter59.pdf (NPOダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議ニュースレター vol.59 Nov.2009)

http://kokumin-kaigi.sakura.ne.jp/kokumin/wp-content/uploads/2009/12/newsletter58.pdf (上記ニュースレター Vol.58, August 2009)この号は、ミツバチと農薬との関係を何人もヒトが論じています。

http://kokumin-kaigi.sakura.ne.jp/kokumin/wp-content/uploads/2011/03/Letter64.pdf (同ニュースレター Vo.64 August 2010)
を参照されたい。
そのほか、インターネット情報誌『選択』の http://www.sentaku.co.jp/category/economies/post-2540.php を参照。
また、(『AERA』 2008/9/22号、2008/12/1号もネオニコチノイドの危険性について特集しています。
(注3)http://koide-goro.com/?p=2073

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偽装・隠蔽社会日本-企業・政治モラルの崩壊-

2013-11-07 10:27:09 | 社会
偽装・隠蔽社会日本-企業・政治モラルの崩壊-

最近,日本のホテルやレストランにおける素材の偽装が次々と明らかになっています。事の発端は,今年の5月末に,東京ディズニートランドと
ディズニーシーをもつディズニーレゾート内の3つのレストランで,安いブラックタイガーを高級な「車エビ」と,普通の国産鶏を地鶏と偽装して
いることが発覚したことでした。

ディズニーレゾートの事例が悪質なのは,一方で食べ物の持ち込みを禁止し,レゾート内のレストランでしか食事ができないようにしていて、
他方でこのような偽装をすることです。これは明らかに確信犯的な詐欺です。

ディズニーランドもディズニーシーも,人気が高く年間を通して常に満員の盛況です。それにもかかわらず,このようなケチくさいごまかしを
するのはなぜだろうか? どうやら,アメリカのディズニーランド本社へのロイヤルティーの支払いが非常に高く,少しでも経費を削り利益を
出そうとしたことが,このような偽装に走った原因のようです。

ディズニーレゾートの偽装事件以来,しばらく食材偽装は表面にでなかったので,私たちも,この問題について忘れていました。ところが,
10月になってプリンスホテルグループ18施設で,アブラガニをズワイガニと偽り,オーストラリア産牛肉を国産牛であると偽装していること
が発覚しました。

これに続いて同月,阪急阪神ホテルズの,トビウオの魚卵を「レッドキャビア」(マスの魚卵)と,バナメイエビを芝エビと,そして普通の
青ネギをブランドの「九条ネギ」していたことが判明すると,マスコミが一斉に食材偽装問題が報ずるようになり,社会問題といってもいい
ほどの広がりをみせるようになりました。(注1)

阪神阪急に続いて続々と偽装が発覚するようになりましたが,10月25日に発覚した,世界的にも高級ホテルとして知られているザ・リッツ・
カールトン(大阪)で,冷凍ジュースをフレッシュジュースと偽り,業者から買ったパンを自家製パンと偽装し、バナメイエビと「芝エビ」、
ブラックタイガー・エビを車エビと偽装していたことが発覚すると,さすがに、「あのザ・リッツ・カールトン」が、と思わずうなってしまい
ました。(注2)

札幌市のルネッサンスサッポロホテルでは中華レストランで「タイショウエビ」「シバエビ」としたメニュー表示と異なる単価の安いエビが使
われていたことが判明しました。

JR四国では、ホテルクレメント徳島(徳島市)の和食レストランなど3店舗で、既製品の漬物を「自家製」とするなどしていたことが判明。
同ホテルは11年4月から阪急阪神ホテルズの経営指導を受けていたにもかかわらず、です。

また浜松市の「ホテルコンコルド浜松」が、カレーのメニューで静岡県産食材の使用をうたいながら、実際には使っていないケースがあったと
公表し、大津市の大津プリンスホテルは「乳飲料」を「低脂肪牛乳」と誤った表示で提供していたことを認めました。

10月31日は近鉄ホテル・旅館システムズの9施設(6ホテル+3旅館)でオーストラリア産成型肉(油脂を注入したり小麦粉を混ぜるなど
の手を加えた肉)を「和牛」ステーキと表示したこと、またブラジル産鶏肉などを「地鶏「大和肉鶏」と表示していたことが発覚しました。

とりわけ、高級な和食レストラン、奈良万葉若草「三笠」では、「和牛朴葉(ほおば)焼き」「和牛ステーキ」の偽装表示だけでなく、
格安のタラやサメの魚卵を高級食材の「からすみ」(ボラの卵)、ブラジル産鶏肉を地鶏「大和肉鶏」と表示。中国・韓国産など産地が異なる
野菜を「大和野菜」としていたのです。

皮肉にも、「三笠」は3年連続で「ミシュランガイド」のホテル部門で優良レストランとして格付けされた有名店ですが、ミシュランガイドの
調査担当者もまんまとだまされていたわけです。調査官の舌もたいしたことはないと考えるべきなのか、あるいは、実は食材によって味には
それほど大きな違いない、と考えるか微妙なところです。
 
豪州産成型肉を「和牛」と偽った「三笠」の料理長は「和牛と思い込んだ」と説明しました。北田社長(後に辞任)は「あってはならないこと
で弁解の余地がない」と述べ、謝罪しました。確かにテレビの映像で見ると肉の容器には「豪州産」「牛脂 国産」と明記されています。
牛脂注入成型肉は牛肉の半額くらいです。

11月に入っても、偽装の発覚は止むことなく続き、1日には名鉄グランドホテルで、添加物が入った食パンを「無添加」と表示し、
「ロブスター」を「伊勢エビ」と表示していたことが発覚しました。

そして、11月5日になって、百貨店内にテナントで入っているレストランや食品売り場での偽装が次々と明らかになりました。たとえば、
高島屋、大丸松坂屋、三越伊勢丹、そごう、西武、東武鉄道、小田急の各デパートなど、世間の評価が確立しているデパートでも偽装が行
われてきたのです。

こうした偽装表示を法律で罰することには微妙な問題があります。JAS(日本農業規格)法の対象は主に容器・包装の状態でスーパーなどで
小売りされる食材、加工食品で、レストランメニューは詳細な表示基準を定めた同法の枠外にあります。しかも、冷凍魚を解凍してもJAS法
では「生鮮食品」にふくまれ、食品衛生法上も冷凍の魚は「鮮魚介類」に分類されています。

法的な問題とは別に、このような偽装に対して食品を提供しているホテルやレストラン側の弁解はまったく消費者を馬鹿にしています。

たとえば、今回の偽装発覚のきっかけとなった阪急阪神ホテルズのエビの問題で見てみましょう。バナメイエビを「芝エビ」と表示する例は、
ルネッサンスサッポロホテルでも行われていました。

同ホテルの原田博総支配人によると、営業を始めた約9年前から、当時、調理場に中国人スタッフが多く、大きいものを「タイショウエビ」、
小さいものを「シバエビ」と呼ぶ業界の習慣に基づいて表示したと弁明しています。

どこのホテルやレストランも、エビに関しては口裏を合わせたかのように。全く同じ弁解をします。業界でどのような慣習があったにしても、
それは消費者には関係ないことで、明らかに虚偽表示です。

しかも、意図的に行っている偽装表示を「偽装ではなく誤表記」と言い張っているのは、反省が全く感じられず、ずるさだけが伝わってきます。

バナメイエビの仕入れ値は、シバエビより100グラム当たり約40円も安いので、コスト削減という意図ももちろんあります。

それだけでなく、偽装表示は、料理に高級感を与えて高い料金を取るための意図的な虚偽以外なにものでもありません。

近鉄旅館ホテルズは、「値段相応の食材やサービスを提供していた」と述べており、「三笠」を除いては返金には応じないと開き直っています。

それにしても、偽装の多くがエビと牛肉に集中していることは、興味深いことです。エビの場合、ととえば車エビにしても、それに似た代替品が
何種類もあるため、調理してしまえば見た目も食べても一般のお客には分からない、という事情がありそうです。

しかも、伊勢エビや車エビなどは、高級感があるので、売る側からすると、高いお金が取れるという思惑があると思われます。

また、牛肉に関しても日本人は、ステーキにとても高級感を抱いているようで、「和牛ステーキ」と聞いただけで、消費者も「高級」と感じ、
高いお金を払います。

いずれにしても、食材偽装にはホテルやレストラン側の「どうせ、お客は分からないだろう」という思い上がりが感じられます。

そうだとすれば、事実を隠し、高級感を与える食材名を表示して儲けを大きくしようとして意図的に「誤表記」をしたことに疑う余地がありません。

これは、日本における企業倫理がもはや崩壊しつつあることを示しています。

たとえば、もし「ブラックタイガー・エビのフライ」では高い金額は取れないし利用者も払わなくても、「伊勢エビのフライ」と表記すれば
一挙に高額料理になってしまいます。

同様に、オーストラリア産の肉に和牛の牛脂を入れた「成型肉のステーキ」ではたちまち高級感はなくなり、高い値段は付けられませんし、
利用者も高いお金を払いません。

一方、これらの施設を利用する私たちは、ホテル、レストラン、百貨店の確立された名声を頼りに、品質を信用しているわけですが、
これからは、名前に騙されず、自分の舌で確かめる他はなさそうです。

ところが、偽装表記や倫理の崩壊は、食品の分野だけではありません。先日、新潟県の泉田知事がラジオ番組に出演し、柏崎刈羽原発
の再稼働に関して、東電を痛烈に批判していました。

泉田知事が絶対に許せないと指摘したのは、東電は3月11日の震災の日の夕方には福島の原発でメルトダウンが起こりつつあることを
知っていながら、その事実を2ヶ月も隠し続けたことです。

もし、最初からメルトダウンを公表していれば、犠牲はもっと少なくてすんだはずだ、と知事は述べています。

そして、誰がなぜそのような隠蔽を行ったかをはっきり公表しない限り、柏崎の原発再稼働など、もっての他である、と述べています。

その後の東電の事実を隠蔽する発言はご承知の通り、まだまだ重大な問題が隠されたままです。とり分け重要な問題は、東電はメルトダウン
と原子炉の爆発の原因をあくまでも、津波による電源喪失にしようとしていることです。

他方で、実際には津波による被害の前に、地震そのものによって原発の重要なシステムが破壊された可能性を隠し続けています。

もし、それを認めてしまうと、津波の可能性が無ければ、あるいは津波対策用の高い防波堤を作れば原発は安全という「神話」が崩れて
しまうからです。

そうすると、地震国日本にある全ての原発は、非常に危険な状況にあることになり、再稼働は不可能になってしまいます。

従って、これは東電だけでなく、日本全体の原発政策の根幹を揺るがすことになってしまうのです。

私の推測ですが、この点に関しては東電を経産省とは連携しているように思えます。

『朝日新聞』が連載した「プロメテウスの罠」の「追いかける男」の第1回(2013年9月10日)、第9回(9月19日)、10回(同20日)、
11回(21日)、17回(27日)は全て、津波の前に地震によるパイプその破断がメルトダウンと爆発の本当の原因であることを
明らかにしています。

このシリーズの第1回は『「津波で壊れた」疑え』です。記者が、地震による破壊を確認できる個所を見せて欲しいというと、あるゆる理屈を
持ち出て見せることを拒否しています。その時の状況を記者は、第11回で「東電にしてやられた」というタイトルで書いています。

隠蔽を偽装は、政治にも蔓延しています。オリンピック2020の開催地が東京に決まった9月7日(日本時間8日)に先だって行われた
プレゼンテーションで、安倍首相は、福島原発事故に起因する汚染水流出に関して、「湾内の0.3平方キロメートルの範囲に完全にコントロール
されている」と身振り手振りで述べました。

その後も、同じ言葉を繰り返してきましたが、一時期、「全体としてコントロールされている」と表現一部を変えました。しかし、再び
「完全にコントロールされている」と戻しています。

ところが、9月18日にウィーンで開かれた、国際原子力機関(IAEA)の科学フォーラムで、気象庁気象研究所の青山道夫主任研究館は、
原発北側の放水路から放射背物資のセシウム137とストロンチウム90が1日計600億ベクレル外洋(原発湾外)に放出されていると
報告しました(『毎日新聞』2013年9月19日)。

これらの数値は、1リットル当たりの値としては基準値以下であることも、付け加えられていますが、とにかく「0.3平方キロメートルの
範囲に完全にコントロールされている」状態とはほど遠い状態にあります。

東電にしても安倍内閣にしても、現状に関して事実を隠し真実とは異なる「安全」状態であると偽装しています。

今や日本は、企業も政府も、基本的な倫理が崩壊しています。私たちは、偽装を見破る目と判断力を持つ必要がありそうです。




(注1)(『毎日新聞』2013年11月2日)には偽装表示の一覧表が掲載されています。
(注2)食材偽装に関しては、新聞やテレビでその都度紹介されているほか、インターネットで多数の報道がなされている。
以下は、インターネットで簡単にみることができる一部の例です。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20131030-OHT1T00002.htm (『報知新聞』電子版 2013.10.31)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20131030-OYT8T00048.htm?from=popin (『読売新聞』電子版 2013.10.3)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013110202000146.html (『東京新聞』電子版 2013.11.2)

ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00256779.htm(フジFNN)

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20131101/1399087 ([『下野新聞』電子版 2013.11.1])

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20131031-OYT8T01421.htm (『読売新聞』電子版
2013.10.31)

http://www.asahi.com/articles/OSK201310310010.html(『朝日新聞』電子版 2013.10.31)

http://mainichi.jp/select/news/20131101k0000m040160000c.html (『毎日新聞』電子版 2013.11.1)

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131031/waf13103121570038-n1.htm (産経ニュース)

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特定秘密保護法案の危険性-露骨な国民支配と対米従構造の強化-

2013-11-02 05:10:14 | 政治
特定秘密保護法案の危険性-露骨な国民支配と対米従構造の強化-

2013年10月25日、阿部内閣は「特定秘密保護法案」を閣議決定し、今国会に提出することになりました。
この法案には多くの関連している問題があるので、これだけを単独で取り上げるのではなく、経緯と背景も
ふくめて考えてみたいと思います。

安倍政権はこの法案を、外交・安全保障政策の司令塔となる「国家安全保障会議」(日本版NSC)の設置
法案と「表裏一体」の関係と位置づけています。

NSCとはアメリカの国家安全保障会議(National Security Council)のことで、アメリカでは国家の最高
意志決定機関のひとつ。この会議は安全保障に関する大統領への政策提言、安全保障に関する戦略の立案、
そして軍事外交および安全保障に関わると判断された問題に関係する全ての各省庁の調整を主要な役割と
しています。
     
「国家安全保障会議」の設置案はすでに国会で審議入りしており、安倍首相は、この「国家安全保障会議」
の審議をより効果的に行うためには情報保全に関する法整備が必要だと考えています。

「特定秘密情報保護法案」の全文はすでに新聞に掲載されており、その骨子は後で検討するとして、この
法案が提出されるまでの経緯と背景をみておきましょう。

1985年、当時の中曽根首相は「国家機密法」(通称「スパイ防止法」)案を国会に提出しました。

これは、外国に機密を漏らした場合の最高刑を死刑とする、というものでしたが、世論の反対にあって廃案
に追い込まれました。

これ以後、国家機密の漏洩に関する法整備は下火になっていました。しかし2000年、後にブッシュ政権で
国務副長官を勤めることになるリチャード・アーミテージ氏(注1)らがまとめた対日政策(アーミテージ・
レポート)は、日本に集団的自衛権の行使を求める一方、インテリジェンス(諜報)分野で1項目を割いて
います。

そこでは、「日本のリーダーは新たな秘密保護法制定のため、国民と政治の支持を得る必要がある」と書か
れています。

つまり、秘密情報を提供するからには、日本にも相応の漏洩防止策をとって欲しいという意味です。

2007年には、アメリカから提供される軍事情報について同じレベルの秘密保全を義務づけた秘密保持包括
保護協定が日米間で締結されました。

同年、第一次安倍内閣の時、NSCの設置法案を国会に提出すましたが、病気のため首相を辞任したため
成立しませんでした。

翌2008年の福田政権下で秘密保護法の法制化に動き出しましたが、2009年の政権交代でこの時も頓挫して
います。

ところが、2010年9月に尖閣列島沖で起きた巡視船と中国漁船との衝突のビデオ映像が海上保安官の手で
インターネットに流出したことから、当時の民主党政権も罰則化のために有識者会議が発足させ、その時
の報告書が現在の法案の下敷きになっています。

有識者会議の報告書を受け取った枝野衆議院議員は「秘密保全法は意識的に動かさなかった。東日本大震災
の対応でそれどころではなく、動かすにしても情報公開法改正の後と考えていた」と述べています。

この時もアメリカから情報保護の法制化の要請がありましたが、3・11の大震災が発生し、法制化には到
りませんでした。(注2)

秘密保持を法制化する前に情報公開法を改正するというのは正しいあり方です。この点、安倍政権は全く
異なる姿勢をとっています。

考えてみれば、このビデオ流出事件は直接アメリカの安全保証を脅かすものではありません。

それでもアメリカは日本に対して秘密保護の法制化を要請してきたのです。ここにもアメリカの日本に対
する傲慢な姿勢が現れています。

2012年12月に第二次安倍内閣が成立しました。安倍内閣は、今年6月からNSCの設置と秘密保護法の
法制化に向けて本格的に動きだし、今回の法案提出となったのです。

こうしてみると、現在、安倍内閣が導入しようとしている集団的自衛権も、NSCと特定秘密保護法も、
日本政府は13年前から一貫してアメリカから法制化にむけて、要請という名の圧力を受けてきたことが
分かります。

自民党政権が特定秘密保護法制定に熱心な理由を党関係者は「日本が『スパイ天国』だからというより、
法制がないと向こう(米国)が情報をくれないから」と解説しています。(『毎日新聞』、注2と同じ)

この自民党関係者(恐らく安倍首相や他の党関係者も)は、日本が秘密保護法を制定すれば、アメリカが
本当に重要な情報をくれるとでも思っているのでしょうか。

もしそう思っているとしたら、彼らは全くアメリカという国を分かっていない、お目出度いとしか言いよ
うがありません。

アメリカが法制化に圧力をかけるのは、日本に重要な情報を安心して提供するためではありません。

日本が集団的自衛権を承認すれば日米合同で戦闘を行うことになり、日本の自衛隊はアメリカ軍の指揮下
に入ることになります。

アメリカの意図は、合同作戦の際、一方でアメリカの命令が迅速に伝わるよう作戦の情報を与えざるを得
ませんが、他方で作戦が外部に漏れてしまうことを恐れているだけなのです。

それ以外に、広い意味で重要な軍事やテロ情報一般を日本に提供するなどということはとうてい考えられ
ません。

そろそろ自民党も目覚めないと、ただアメリカに都合良く利用されるだけになってしまいます。

最近明らかになったように、アメリカの情報機関は同盟国のドイツのメルケル首相やフランス、スペイン
などのヨーロッパ諸国の首脳にたいては10年以上盗聴活動を行っており、アフリカ、アジア、中南米
諸国の大使館や領事館を拠点として70個所以上で盗聴活動をしてきた国なのです。

最近は、「世界銀行」のような機関にたいしても盗聴活動をしていたことをオバマ首相が認めました。

同盟国を平然と裏切っておいて、オバマ大統領は、「私は知らなかった。知っていたら止めさせた」と言
っていましたが、この弁解の直後に、少なくとも3年前から盗聴の事実を知っていたことがバレてしまい
ました。

さらに、アメリカ国家安全保障局(NSA)長官はつい先日否定した直後の11月30日、ワシントン
ポストの電子版は、NSAがグーグルやヤフーなどにも浸入して、個人の秘密をも収集していることを
暴露しました。

菅官房長官は、「日本は大丈夫」と言っていましたが、何を根拠に「大丈夫」と言っているのでしょうか。
もちろん、日本の首脳の電話は間違いなくアメリカによって盗聴されています。

恐らく日本の自民党を除いて世界のほとんどの国は、アメリカは情報面で信用できないと考えていますし、
アメリカ内部でも、広範な盗聴行為によってアメリカは世界の信用を失い、もはや「自由」の国とは言え
なくなったという声が広まりつつあるのです。

以上の事情を念頭においた上で、「特定秘密保護法」の内容と問題について考えてみたいと思います。

10月25日に明らかになった「特定秘密保護法案」ですが、全部で7章26条と附則から成っています。

章のタイトルだけ挙げておくと、第一章 総則;第二章 特定秘密の指定等;第三章 特定秘密の提供;
第四章 特定秘密の取扱者の制限;第五章 適性評価;第六章、雑則、第七章 罰則;附則、以上です。

このほか、新聞には、この法案を提出する「理由」が付されています。

これら全てについてここで細かく検討する余裕はありませんが、要点を整理するに留めることにします。

まず、「特定秘密」とは「漏れれば国の安全保障に著しい支障を与える恐れがある情報」で、その指定
は行政機関の長が行うことになっています。

その対象分野は①防衛、②外交、③特定有害活動の防止、④テロの防止、の4分野となっています。

自民党の意図する秘密保護法案には、以前から多くの問題点が指摘されています。

第一に、すでに上に書いたように、秘密保護法によって知る権利を制限するなら、その前に、あるいはそれと
セットで情報公開に関する法整備をすることが絶対条件ですが、情報公開に関してはまったく無視しています。

民主主義の原点である、「国民の知る権利」を著しく侵害している点で、この法案全体は国民にとって極
めて危険なものになっています。

第二に、何が「特定秘密」なのかについて明確な基準がありません。法案では、「特手秘密」とは、漏れ
れば「国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがある」情報であると定められています。

しかし、この規定も抽象的で、何が「国家の安全保障に著しい支障を与える」情報なのかは、大臣ら行政
機関の長、そして所管の官僚が自由に判断して指定できることになっています。したがって、特定秘密の
範囲はどこまででも拡大解釈することができます。

第三に、ところが、何が「特定秘密」に指定されたのかも秘密にされていることです。

第四に、上記第三の問題と関連しますが、「特定秘密」を漏らしたり、漏らすように働きかけたりした
場合の罰則が最高で禁固10年と、非常に重くなっていますが、何が「特定秘密」であるか分からない
まま、いきなり逮捕され処罰されてしまいます。

日本は「罪刑法定主義」をとっており、罰せられる場合には行為に対する犯罪要件が法律で定められて
いなければなりません。

しかし、どの点で法律に違反したかが明らかにされないのでは、本来、罰することはできないはずです。

さらに問題なのは、誰かがこの法律に違反したとして裁判にかけられても、どの秘密情報を漏らしたの
かは裁判でも明かされません。従って、裁判は、事実上、秘密裁判となってしまいます。

第五に、「特定秘密」の指定期間は5年間ですが、何度でも期間の更新はできます。

ただし、原則として30年で指定を解除することになっていますが、これも内閣の承認さえあれば、
永久に指定の解除をしないことも可能です。しかも、指定解除を判断する第三者機関もありません。

つまり、政府にとって、秘密にしたい情報を永久に秘密にしておくことができるのです。

これでは、後で検証する道を塞いでしまいます。たとえば、欧米のように、一定期間が過ぎれば、ほぼ
自動的に情報公開するルールが確立していれば、政府の行ったことが後で検証されるので、政府が勝手
なことができにくくなります。

この手段を、自民党の法案は国民から奪っています。

情報公開は国民の「知る権利」と自由にとって不可欠な制度です。逆に、自分たちの行為を検証され
たくない権力者は、不都合な情報を永久に秘密のままにしようとします。今の自民党政権が、まさに
その方向を目指しています。

第六に、今回の法案に対して新聞など報道機関の「公益を図る目的の正当な取材行為」にたいしては
処罰されない、としていますが、どこまでが公益なのか、そして正当な取材行為なのかの判断はあい
まいです。

これは政府によって勝手に解釈されてしまう余地を残しています。

たとえば、警察内部不正を警察官や警視庁、公安部の部員が暴露することも、テロを扱う警察の秘密
を漏らしたという罪で逮捕されかねないのです。

来れに関連して、「報道機関」という場合、フリーのジャーナリストなどは対象外になる可能性があります。

政府は、新聞社などの組織はコントロールし易いが、フリーのジャーナリストはコントロールしにくいと
考えています。

第七に、特定秘密に接する機会がある公務員および関連企業の社員に対して適性評価(犯罪歴、精神疾患、
飲酒の程度、経済状況など)を行うとしているが、これは明らかに個人のプライバシーの侵害にあたります。

第八に、特定秘密に接する機会がある公務員などは、処罰されることを考えて極力話さなくなるので、
その分、国民は知る機会が減ってしまいます。

第九に、私が非常に恐れていて、この法案が極めて悪質で危険なであると感じているのは、この法案の
先にある狙いです。

今回の法案は4分野に限った特定秘密保護を建前としていますが、この先には国民の言論・情報統制と、
戦前のような、国家権力による歯止めがきかない国民の強圧的かつ独断的な支配が想定されます。

安倍首相がNHK運営委員に充てる国会同意人事案を10月25日衆参両院に示しました。この人事案に
よれば、運営委員会は憲法改正に積極的な人物、安倍首相のかつての家庭教師など、安倍首相に近い人物
で固められています。

運営委員会はNHK会長の任命権限をもっており、来年1月に任期が切れる会長人事に大きく影響すること
は必死です。

こうしたところでも、じわじわと言論統制が進行していることに私は強い懸念をもっています。

要約すると、「特定秘密保護法案」は、一方でアメリカの圧力に進んで迎合する安倍政権の対米従属的な
姿勢と、他方で情報統制による国民の高圧的な支配欲求との両方の側面があることを忘れてはなりません。

最後に、憲法改正草案の策定、集団的自衛権の行使を可能にする法解釈、NSCの創設、そして今回の
「特定秘密保護法案」という一連の動きを総合して考えれば明らかなように、安倍政権は、一つの方向を
目指しています。

それは、強い日本の構築、そのために軍事力を強化し日本を戦争可能な国に組み換える方向です。

これこそ、安倍首相が掲げる「日本を取り戻す」というスローガンの中身なのです。

アベノミクスで景気が少し上向いた、などと浮かれている間に、日本は極めて危険な方向に走り出して
しまっています。

まず、今、日本で何が起こっているのか、そしてどこに行こうとしているのか、私たちが自分で考え判断
することが、本当に必要な時代になりました。


(注1)アーミテージ氏は、アメリカ政府の中でも「ジャパンハンドラー」(日本を操る担当者)と呼ばれる人物の一人で、
日本をアメリカの意に沿うように日本を操ってゆくことを主たる任務としている。彼は公職を離れた現在でも日本の
政治に大きな影響力をもっている。また、彼はブッシュ政権下でイラク、アフガン攻撃など戦争を積極的に進め、
強いアメリカを目指す新保守主義者、いわゆる「ネオコン」の主要人物の一人でもある。

(注2)以上は『毎日新聞』(2013年9月28日)、『朝日新聞』(2013年10月26日)を参照している。



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