死を悼む動物たち―動物は“死”をどのように認識しているのだろうか?
ヒトが仲間の死を悼み、埋葬するという高度に精神的な行為は、一般にネアンデルタール人
や現代のホモ・サピエンスに特有のものだと考えられています。
ところが、8年ほど前、南アのヨハネスブルクから北西に約40キロの距離にあるライジング・
スター洞窟系の内部で未知の新人類の骨が発見されたとの報告がありました。この新人類は
ホモ・ナレディと命名されました。
報告によると、洞窟から見つかった骨の年代は33万5000〜24万1000年前、つまり現生人類
がアフリカで出現しつつあった時期のものだと推定されています。
しかも、この洞窟の奥深くには死者を意図的に埋葬し、意味のある図形が壁に彫り込まれて
いた。
もしこの洞窟で埋葬の事実が確認されれば、知られている限りで最古の埋葬が行われた時代
が少なくとも10万年早まることになる(注1)。
事の真偽はこれからの調査を待たなければならないが、人は古くから“死”というものを認識し、
埋葬という行為で死者に哀悼を捧げてきたようです。
他人の死を認識するということは、当然のことですが、自らの死も認識することであり、これ
は人の精神世界にとって非常に大きな意味をもっています。
では、ヒト以外の動物は“死”についてどんな認識をもっているのでしょうか? 以下に2~3
の事例からこれを検討しますが、私たちは直接、動物に聞くことはできないので、以下の記述
はあくまでも人間の推測であることを予め断っておきます。
さて、ヒト以外の動物の中でも大型類人猿の一つ、ゴリラについては、ひょっとしたらヒトと
同様に仲間の死にたいする悲しみの感情があった可能性はあります。
たとえば、2011年4月、コンゴ民主共和国北東部のヴィルンガ国立公園で、息絶えた我が子に
寄り添う母親の周りに、若いゴリラや大人のメスも囲むように集まってきた、いわゆる「死を
悼む儀式」をレンジャーが目撃し撮影しています。
ゴリラの「死を悼む儀式」

出典 (注2)
母親が死んだ我が子に寄り添うのは、ごく自然な本能的行為かも知れません。しかし、そこに
他のゴリラも集まってきたことは、この子供ゴリラの死の悲しみが彼らの“社会”で共有されて
いることを示唆しています。
動物の行動を人間の側が勝手に感情移入し、擬人化してしまうのは危険ですが、当時の様子を
目撃したレンジャーは、「本当に死んでいるのか半信半疑の様子で、ファミリーの中からはす
すり泣くような声も聞こえてきた」と語っています。
そして「ゴリラたちが幼子を気遣う様子を実際に見ると、人間との類似性を感じざるを得なか
った」「死を悼む気持ちは何も変わらないようだった」とも同氏は振り返っています(注2)。
ゴリラという類人猿は進化系統図では人間とやや近いことを考えると、仲間の“死”を悼む感情
があっても不思議ではありません。
それでは、ゴリラ以外の動物の間で”死“がどのように扱われえいるのでしょうか。
まず、『ナショナルジオグラフィック 日本版』(電子版)に照会されているシャチの事例を
見てみましょう。
2025年1月1日、米ワシントン州のピュージェット湾に、4番目の子どもの亡骸を頭にのせて
運んでいるお母さんのシャチ(「タレクア」と命名され、時にJ35とも呼ばれる)の姿があ
りました。
しかも、このような行動はタレクアにとって今回で2度目でした。1回目は、2018年に死ん
だわが子を頭にのせて17日間も海を泳ぎ、世界の注目を集めました。
2024年のクリスマスの少し前に、タレクアに新しいメスの赤ちゃんがいることが初めて確
認されました。しかし、年が明けるのを待たずに子どもはまた死んでしまいました。
死んだ仲間を運ぶという行動は、ほかの海洋哺乳類でも報告されていますが、2018年のタレ
クアのように、子どもを運んで1600キロメートルもの距離を移動した例は珍しいそうだ。
子どもの亡骸を頭に乗せて泳ぐシャチ(タレクア)

出典 (注3)
というのも、死体を運んでいては狩りをすることもできないため、運び手にとって危険な行
為でもあるのです。
研究者たちは今回も十分に食べることができないのではと心配しているが、米クジラ研究
センターの主任研究員であるマイケル・ワイス氏によれば、タレクアのそばには息子のフェ
ニックスと妹のキキがついているという。
2018年にはタレクアの母親が同じように付き添っていましたが、その後母親は死亡した。
今回は、キキが家族とエサを分け合っていることが確認されています。
現在、この3頭はゆっくりと移動し、群れからわずかに離れているが、まだ群れの音が聞こ
える範囲内にいるとワイス氏は言います。
さて、これからタレクアがどれほどの日数を距離を、亡骸を頭に乗せたまま泳ぎ続けるの
かは分かりませんが、2018年の事例から見て、かなり日数と距離をこうして過ごすものと
思われます。
ワイス氏は、タレクアの本当の感情を知ることはできないが、と断ったうえで、3頭の動
きが遅いのは、死んだ子どもの体の重みと、水中でそれを運んでいるせいもあるが、タレ
クアの悲しみの表れである可能性もある、と推測しています。
シャチの母親と子どもの絆は驚くほど強いことで知られています。学術誌「Zoology」
(2018年6月号)に発表された論文は、さまざまなクジラ類の種が示す死んだ仲間に対
する反応を研究した結果、死んだ子どもを運ぶのは蘇生させようとしているからではな
いかと示唆しています。
また、母子の絆の強さから、母親が子どもの死を悲しんでいる可能性もある、とも述べ
ています(注3)。
ところで、死んだ子供を頭の上に置くことで、蘇生を願っていたのではないか、という
見方とよく似た見解がカバの事例で報告されています。
事の発端は 2018年9月、アフリカ、ボツワナのチョベ国立公園で、朝から野生動物を
観察していたビクトリア・インマン氏は、いつもと何かが違うことに気付いた。
時刻は、午前6時45分。チョベ川の近くの池には25頭のカバがいる。しかし、この日に
限って、池にはカバが1頭も見えなかった。そして、水面には何かが浮いていた。
生物学を専攻するインマン氏は、浮いているのが幼いカバの死骸だとすぐにわかったと
いう。
た生後6カ月ほどだろう、ブタほどの大きさの子カバの亡骸だったのだ。
突然、1頭の雌のカバが現れ、慌てた様子で死骸に泳ぎ寄った。インマン氏は池から離れて
観察することにした。
最初はこの「悲しみ、混乱した」雌のカバ(おそらく子カバの母親)だけだったが、その後
群れのすべてのカバが加わり、11時間にわたってナイルワニを追い払いながら子カバの死骸
を水に浮かせようとする様子を目撃したのだ。
雌のカバは、何度も子カバの死骸に泡を吹きかけていた。これはカバ同士の一般的なコミュ
ニケーション方法なのです。
インマン氏は2019年5月、学術誌「African Journal of Ecology」に上記のカバの行動に関する
論文を発表。彼女は「雌のカバが懸命に子カバの死骸を水面に浮かせようとする様子は、息を
していてほしいという気持ちの表れのように見えました」と当時を振り返って話した。
またインマン氏は、死骸の世話をしていた雌のカバは母親なのかそれ以外なのかはっきりしな
いとしながらも、乳腺の膨らみや子カバを守ろうとする行動から考えれば母親である可能性が
高いと考えている。
動物が病気やけがをした仲間の個体や、死んだ個体の世話をする介護行動は、ヒトや大型類人
猿のほかに、ゾウ、ペッカリー、シャチなどで知られている。
米コロラド州立大学の保全生物学者ジョージ・ウィッテマイヤー氏によると、そうした悲嘆行
動は高い社会性がある動物に特によく見られるもので、カバも社会性をもつ。
「私たちは動物を擬人化して、子を失ったことを嘆き悲しんでいると考えがちです」と同氏が
話すように、野生動物が何を考え、何をしようとして、仲間の死骸と一緒に過ごすのかは判明
していない。
カバはクジラ類と近縁と考えられているが、米ウィリアム・アンド・メアリー大学のバーバラ・
キング名誉教授はキング氏は「今回のカバの行動が悲嘆行動かは断定できない」と言う。
というのも、カバの行動の多くが水面下で行われていて、観察できないことがその一番の理由
です。
『死を悼む動物たち』(草思社)の著書もあるキング氏は「悲嘆行動だとする解釈は十分可能」
とし、雌のカバと群れが明らかに通常とは違う行動をしている点に注目している。
ウィッテマイヤー氏は、インマン氏の観察の中で最も興味深い点は、群れのほかのカバたちも
子カバの死骸の世話をした点だと指摘している。
インマン氏によれば、正午頃にカバの群れは川から池に移動し、そこで母親のカバがしていた
ように、死んだ子カバと一緒に泳ぎ、死骸が水面に浮かぶようにしたという。
ウィッテマイヤー氏は、今回の観察はカバの社会に複雑な絆があることの証拠であり、カバの
認知能力や全般的な感覚について、新たな謎が加わったと話す(注4)。
ところで、カバの子供の死の事例と、ゴリラの子供の死との間には、一つの共通点があります。
それは、ウィッテマイヤー氏も指摘しているようにカバの事例では、死んだ子供の母親だけで
なく、群れの他のカバたちも「死骸の世話」に加わっていたが、ゴリラの場合も、死んだ子供
の母親だけでなく群れや仲間も「死を悼む儀式」に加わっていたことです。
また、シャチの事例では、群れの他のシャチではなく、母親を助けるために雄と雌の実子が付
き添っています。
問題は、これら三つのケースでは、死んだ子供の母親(つまり親子関係)が中心となって、群
れや家族がそこに付き添っていました。
以上は、動物の間で、“死”が何を意味するのか(たとえば動かなくなる)ことは認識されていた
こと、そしてそれが周囲の仲間に悲しい感情を引き起こすこともほぼ認めていいのではないか、
と思います。
もちろん、こうした状況が全ての動物に当てはまるわけでなく、現段階では、少なくとも哺乳
類の一部には見られた、としておきます。
ただし、たとえ「死を悼む儀式」が行われていたゴリラの場合でさえも、仲間の死については“死”
と言うものの意味を理解し、悲しみの感情が起こっても、死は自分自身も必ずやってくる、という
認識はおそらくないでしょう。
ところが人類は、この世の絶対の真理として、自分を含めて生あるものは必ず死ぬことを知って
しまったのです。
こうした人間の認識は、(いつの時代かは分かりませんが)進化の過程で獲得したヒトに特有の
精神的な作用です。
“死”が避けられないからこそ“生”が一層意義深くなります。人類の文化の淵源の一つは、生と死
が一体であることを認識したことにあるのではないか、と私は思う。
そうであるとしても、死が不可避であることを知ってしまったことは、人類にとって幸福だった
のか、あるいは根源的な苦悩の淵源なのか。この答えを探求することは人類全体にとっても私た
ち個人個人にとっても永遠の課題です。
さて、あなたはどちらでしょうか?
注
(注1)『ナショナルジオグラフィック日本版』(電子版)(2011.05.25
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4332/
(注2)『ナショナルジオグラフィック 日本版』(2023.07.08
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/060800286/.
(注3)『ナショナルジオグラフィック 日本版』(電子版)(2025.01.08
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/010700010/?P=1
(注4)『ナショナルジオグラフィック 日本版』(電子版)2019.06.24
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/062100365/?P=1
ヒトが仲間の死を悼み、埋葬するという高度に精神的な行為は、一般にネアンデルタール人
や現代のホモ・サピエンスに特有のものだと考えられています。
ところが、8年ほど前、南アのヨハネスブルクから北西に約40キロの距離にあるライジング・
スター洞窟系の内部で未知の新人類の骨が発見されたとの報告がありました。この新人類は
ホモ・ナレディと命名されました。
報告によると、洞窟から見つかった骨の年代は33万5000〜24万1000年前、つまり現生人類
がアフリカで出現しつつあった時期のものだと推定されています。
しかも、この洞窟の奥深くには死者を意図的に埋葬し、意味のある図形が壁に彫り込まれて
いた。
もしこの洞窟で埋葬の事実が確認されれば、知られている限りで最古の埋葬が行われた時代
が少なくとも10万年早まることになる(注1)。
事の真偽はこれからの調査を待たなければならないが、人は古くから“死”というものを認識し、
埋葬という行為で死者に哀悼を捧げてきたようです。
他人の死を認識するということは、当然のことですが、自らの死も認識することであり、これ
は人の精神世界にとって非常に大きな意味をもっています。
では、ヒト以外の動物は“死”についてどんな認識をもっているのでしょうか? 以下に2~3
の事例からこれを検討しますが、私たちは直接、動物に聞くことはできないので、以下の記述
はあくまでも人間の推測であることを予め断っておきます。
さて、ヒト以外の動物の中でも大型類人猿の一つ、ゴリラについては、ひょっとしたらヒトと
同様に仲間の死にたいする悲しみの感情があった可能性はあります。
たとえば、2011年4月、コンゴ民主共和国北東部のヴィルンガ国立公園で、息絶えた我が子に
寄り添う母親の周りに、若いゴリラや大人のメスも囲むように集まってきた、いわゆる「死を
悼む儀式」をレンジャーが目撃し撮影しています。
ゴリラの「死を悼む儀式」

出典 (注2)
母親が死んだ我が子に寄り添うのは、ごく自然な本能的行為かも知れません。しかし、そこに
他のゴリラも集まってきたことは、この子供ゴリラの死の悲しみが彼らの“社会”で共有されて
いることを示唆しています。
動物の行動を人間の側が勝手に感情移入し、擬人化してしまうのは危険ですが、当時の様子を
目撃したレンジャーは、「本当に死んでいるのか半信半疑の様子で、ファミリーの中からはす
すり泣くような声も聞こえてきた」と語っています。
そして「ゴリラたちが幼子を気遣う様子を実際に見ると、人間との類似性を感じざるを得なか
った」「死を悼む気持ちは何も変わらないようだった」とも同氏は振り返っています(注2)。
ゴリラという類人猿は進化系統図では人間とやや近いことを考えると、仲間の“死”を悼む感情
があっても不思議ではありません。
それでは、ゴリラ以外の動物の間で”死“がどのように扱われえいるのでしょうか。
まず、『ナショナルジオグラフィック 日本版』(電子版)に照会されているシャチの事例を
見てみましょう。
2025年1月1日、米ワシントン州のピュージェット湾に、4番目の子どもの亡骸を頭にのせて
運んでいるお母さんのシャチ(「タレクア」と命名され、時にJ35とも呼ばれる)の姿があ
りました。
しかも、このような行動はタレクアにとって今回で2度目でした。1回目は、2018年に死ん
だわが子を頭にのせて17日間も海を泳ぎ、世界の注目を集めました。
2024年のクリスマスの少し前に、タレクアに新しいメスの赤ちゃんがいることが初めて確
認されました。しかし、年が明けるのを待たずに子どもはまた死んでしまいました。
死んだ仲間を運ぶという行動は、ほかの海洋哺乳類でも報告されていますが、2018年のタレ
クアのように、子どもを運んで1600キロメートルもの距離を移動した例は珍しいそうだ。
子どもの亡骸を頭に乗せて泳ぐシャチ(タレクア)

出典 (注3)
というのも、死体を運んでいては狩りをすることもできないため、運び手にとって危険な行
為でもあるのです。
研究者たちは今回も十分に食べることができないのではと心配しているが、米クジラ研究
センターの主任研究員であるマイケル・ワイス氏によれば、タレクアのそばには息子のフェ
ニックスと妹のキキがついているという。
2018年にはタレクアの母親が同じように付き添っていましたが、その後母親は死亡した。
今回は、キキが家族とエサを分け合っていることが確認されています。
現在、この3頭はゆっくりと移動し、群れからわずかに離れているが、まだ群れの音が聞こ
える範囲内にいるとワイス氏は言います。
さて、これからタレクアがどれほどの日数を距離を、亡骸を頭に乗せたまま泳ぎ続けるの
かは分かりませんが、2018年の事例から見て、かなり日数と距離をこうして過ごすものと
思われます。
ワイス氏は、タレクアの本当の感情を知ることはできないが、と断ったうえで、3頭の動
きが遅いのは、死んだ子どもの体の重みと、水中でそれを運んでいるせいもあるが、タレ
クアの悲しみの表れである可能性もある、と推測しています。
シャチの母親と子どもの絆は驚くほど強いことで知られています。学術誌「Zoology」
(2018年6月号)に発表された論文は、さまざまなクジラ類の種が示す死んだ仲間に対
する反応を研究した結果、死んだ子どもを運ぶのは蘇生させようとしているからではな
いかと示唆しています。
また、母子の絆の強さから、母親が子どもの死を悲しんでいる可能性もある、とも述べ
ています(注3)。
ところで、死んだ子供を頭の上に置くことで、蘇生を願っていたのではないか、という
見方とよく似た見解がカバの事例で報告されています。
事の発端は 2018年9月、アフリカ、ボツワナのチョベ国立公園で、朝から野生動物を
観察していたビクトリア・インマン氏は、いつもと何かが違うことに気付いた。
時刻は、午前6時45分。チョベ川の近くの池には25頭のカバがいる。しかし、この日に
限って、池にはカバが1頭も見えなかった。そして、水面には何かが浮いていた。
生物学を専攻するインマン氏は、浮いているのが幼いカバの死骸だとすぐにわかったと
いう。
た生後6カ月ほどだろう、ブタほどの大きさの子カバの亡骸だったのだ。
突然、1頭の雌のカバが現れ、慌てた様子で死骸に泳ぎ寄った。インマン氏は池から離れて
観察することにした。
最初はこの「悲しみ、混乱した」雌のカバ(おそらく子カバの母親)だけだったが、その後
群れのすべてのカバが加わり、11時間にわたってナイルワニを追い払いながら子カバの死骸
を水に浮かせようとする様子を目撃したのだ。
雌のカバは、何度も子カバの死骸に泡を吹きかけていた。これはカバ同士の一般的なコミュ
ニケーション方法なのです。
インマン氏は2019年5月、学術誌「African Journal of Ecology」に上記のカバの行動に関する
論文を発表。彼女は「雌のカバが懸命に子カバの死骸を水面に浮かせようとする様子は、息を
していてほしいという気持ちの表れのように見えました」と当時を振り返って話した。
またインマン氏は、死骸の世話をしていた雌のカバは母親なのかそれ以外なのかはっきりしな
いとしながらも、乳腺の膨らみや子カバを守ろうとする行動から考えれば母親である可能性が
高いと考えている。
動物が病気やけがをした仲間の個体や、死んだ個体の世話をする介護行動は、ヒトや大型類人
猿のほかに、ゾウ、ペッカリー、シャチなどで知られている。
米コロラド州立大学の保全生物学者ジョージ・ウィッテマイヤー氏によると、そうした悲嘆行
動は高い社会性がある動物に特によく見られるもので、カバも社会性をもつ。
「私たちは動物を擬人化して、子を失ったことを嘆き悲しんでいると考えがちです」と同氏が
話すように、野生動物が何を考え、何をしようとして、仲間の死骸と一緒に過ごすのかは判明
していない。
カバはクジラ類と近縁と考えられているが、米ウィリアム・アンド・メアリー大学のバーバラ・
キング名誉教授はキング氏は「今回のカバの行動が悲嘆行動かは断定できない」と言う。
というのも、カバの行動の多くが水面下で行われていて、観察できないことがその一番の理由
です。
『死を悼む動物たち』(草思社)の著書もあるキング氏は「悲嘆行動だとする解釈は十分可能」
とし、雌のカバと群れが明らかに通常とは違う行動をしている点に注目している。
ウィッテマイヤー氏は、インマン氏の観察の中で最も興味深い点は、群れのほかのカバたちも
子カバの死骸の世話をした点だと指摘している。
インマン氏によれば、正午頃にカバの群れは川から池に移動し、そこで母親のカバがしていた
ように、死んだ子カバと一緒に泳ぎ、死骸が水面に浮かぶようにしたという。
ウィッテマイヤー氏は、今回の観察はカバの社会に複雑な絆があることの証拠であり、カバの
認知能力や全般的な感覚について、新たな謎が加わったと話す(注4)。
ところで、カバの子供の死の事例と、ゴリラの子供の死との間には、一つの共通点があります。
それは、ウィッテマイヤー氏も指摘しているようにカバの事例では、死んだ子供の母親だけで
なく、群れの他のカバたちも「死骸の世話」に加わっていたが、ゴリラの場合も、死んだ子供
の母親だけでなく群れや仲間も「死を悼む儀式」に加わっていたことです。
また、シャチの事例では、群れの他のシャチではなく、母親を助けるために雄と雌の実子が付
き添っています。
問題は、これら三つのケースでは、死んだ子供の母親(つまり親子関係)が中心となって、群
れや家族がそこに付き添っていました。
以上は、動物の間で、“死”が何を意味するのか(たとえば動かなくなる)ことは認識されていた
こと、そしてそれが周囲の仲間に悲しい感情を引き起こすこともほぼ認めていいのではないか、
と思います。
もちろん、こうした状況が全ての動物に当てはまるわけでなく、現段階では、少なくとも哺乳
類の一部には見られた、としておきます。
ただし、たとえ「死を悼む儀式」が行われていたゴリラの場合でさえも、仲間の死については“死”
と言うものの意味を理解し、悲しみの感情が起こっても、死は自分自身も必ずやってくる、という
認識はおそらくないでしょう。
ところが人類は、この世の絶対の真理として、自分を含めて生あるものは必ず死ぬことを知って
しまったのです。
こうした人間の認識は、(いつの時代かは分かりませんが)進化の過程で獲得したヒトに特有の
精神的な作用です。
“死”が避けられないからこそ“生”が一層意義深くなります。人類の文化の淵源の一つは、生と死
が一体であることを認識したことにあるのではないか、と私は思う。
そうであるとしても、死が不可避であることを知ってしまったことは、人類にとって幸福だった
のか、あるいは根源的な苦悩の淵源なのか。この答えを探求することは人類全体にとっても私た
ち個人個人にとっても永遠の課題です。
さて、あなたはどちらでしょうか?
注
(注1)『ナショナルジオグラフィック日本版』(電子版)(2011.05.25
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4332/
(注2)『ナショナルジオグラフィック 日本版』(2023.07.08
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/060800286/.
(注3)『ナショナルジオグラフィック 日本版』(電子版)(2025.01.08
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/010700010/?P=1
(注4)『ナショナルジオグラフィック 日本版』(電子版)2019.06.24
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/062100365/?P=1