大木昌の雑記帳

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天才少年棋士現わる―藤井聡太四段(14才)の衝撃―

2017-06-25 10:22:27 | 思想・文化
天才少年棋士現わる―藤井聡太四段(14才)の衝撃―


最近の日本における、さまざまな分野で、若い、それも10代の若者の活躍が目立ちます。

卓球界では、伊藤美誠(16才)、張本智和(13才)、陸上界では短距離のサニブラウン・アブデル・ハキーム(18才)、
多田修平(20才)、女子レスリングでは須崎優衣(17才)などが、日本を代表する選手とし手活躍しています。

スポーツ選手に関していえば、25才ともなると、なんとなく、年齢を感じさせてしまいます。

スポーツの世界で若い世代が活躍するのは、ある程度理解できます。というのも、小さい時から英才教育をすることが一般的
になってきたこと、将来性のある若者が、専門スタッフによる科学的分析や研究に基づく、徹底したトレイ―ニングなどによ
って、かなり成績は伸びる可能性があるからです。

もちろん、飛び抜けて優秀な成績を残せるアスリートには、生まれもっての才能があることは大前提です。

そんな中で、スポーツ界ではなく、将棋界では、藤井聡太君(14才 四段)が昨年12月にデビュー戦で、将棋界最年長、
レジェンドと呼ばれる加藤一二三九段を破り、世間をあっと言わせました。

将棋の世界では、四段になって始めてプロになり、報酬をもらえるようになります。従って、藤井君は、史上最年少でプロに
なったばかりの少年棋士です。

私は、囲碁は趣味で、短期間ですが「日本棋院」に通っていましたし、テレビの「囲碁将棋チャンネル」を契約し、もっぱら
囲碁の番組だけを選んで見ています。

将棋は子どもころに遊んだことがあるので、基本的なルールや戦法は知っていますが、大人になってからは全く関心がなくな
ってしまいました。

ところが、今回の藤井君の躍進には、趣味の範囲外ではありますが、強い衝撃を受けました。。

プロ最初のデビュー戦で勝利して以降、あれよあれよという間に、勝利を重ね、6月21日には、神谷広志八段がもつ、歴代
最多の28連勝に並んでしまいました。

神谷八段の場合、プロになって何年も経った、いわば勢いのある年齢での記録ですが、藤井君の場合は、14才のデビュー戦
からの連勝ですから、ちょっと次元が違う気がします。

勝負ごとには勝ち負けはつきものですが、1回も負けず連勝を続けるのは至難の業です。

その姿をテレビなどで見た人も多いと思いますが、なんといっても彼はまだ中学生です。

その落ち着き払ったたたずまいといい、勝っても淡々として、“勝てたのは僥倖でした”、とか“幸運でした”という言葉に現れ
ているように、彼はとても謙虚で、思いあがったところがありません。

藤井君は5才から将棋を始め、小学校在学中から数々の優勝経験をもっていますが、特に英才教育を受けてきたわけではあり
ません。

ただ、幼いころから将棋に敗けると悔しくて号泣する、という負けず嫌いではあったようです。

藤井君の強さの秘密は、もちろん簡単に言えば、読みの深さと正確さです。

しかし、読みの深さと正確さにおいては、経験を積んだ棋士たちも決して劣ってはいないはずですが、藤井君の場合、それら
が並外れている天才である、としか言いようがありません。

対戦した棋士たち、あるいは将棋界のベテランが藤井君の将棋を評して一様に言うことは、とにかくミスが少ない、という点
です。

将棋は人と人とが勝負するゲームですから、精神的な動揺、見落とし、読み違いは常に起こり得ます。

しかし、ミスがほとんどない、ということは、あくまでも冷静に、客観的な精神状態を保っているということです。

もう一つ、特に悪い手を打った記憶はないが、気が付いてみると、もうどうにもならない状況に追い込まれている、というコ
メントをした人もいます。

私も、28連勝目の対戦、中盤から終局までテレビのLIVEで観戦しましたが、藤井君が特別に意表を突くすごい手を打っ
たような記憶はありません。

おそらく対戦相手の澤田真悟六段も、特に悪手を打った気はないようでした。

私が、藤井君のすごさを感じたのは、何気なく打っているうちに、気が付いてみると相手は負けを逃れられないところに追い
込まれている、という打ち回しです。

これこそが、天才的な能力の証です。

次に、藤井君といえども、彼の主観ではミスと思われる手を打つことがあります。テレビでは、(恐らくミスに気が付いて)
思わずヒザをたたいたことがありました。

しかし、通常なら、ミスに気が付くと、焦りや気持ちの動揺が起きるところですが、彼は、そこから冷静に最善手を考え、つ
いに勝ってしまいます。

これも、とうてい、並の中学生の少年にできることではありません。

28連勝がかかった棋戦の終盤で、将棋ファンのグループが、人工知能(AI)コンピュータの将棋ソフトで、藤井君の次の
手を予測させていました。

すると、コンピュータと藤井君が実際に打った手とが見事に一致していたのです。

おそらく藤井君は、コンピュータと同じように、感情に左右されず、あくまでも客観的に最善手を見出そうとする、冷静で強
い意志と、透徹した読みの力を持ち合わせている稀有な存在だと思います。

全国の将棋教室の入会者が激増したり、藤井君の筆になる「大志」の文字が書かれた扇子があっという間ン売り切れたり、その
他藤井君関連のグッズがたちまし売り切れたり、その経済効果も大変な金額にのぼるようです。

果ては、藤井君が幼いときによく遊んだという、キュボロという遊具は、注文が殺到し、現在は半年待ち、という状況です。

一人の中学生が巻き起こした、驚き、感動の旋風はどこまで続くのでしょうか?

26日はいよいよ、自らが史上最多の記録を打ち立てることができるかどうかの勝負の日です。この棋戦には目が離せません。

それにしても、やはり、これだけの成績を残すことができたのは、努力のほかに、天性の能力の部分の大きいのではないか、
と思わざるを得ません。

私は個人的に、この怪物のような天才にこれからも注目してゆきたいと思います。

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映画『TAP THE LAST SHOW』:すごい迫力に圧倒される

2017-06-19 10:02:01 | 思想・文化
映画『TAP THE LAST SHOW』:すごい迫力に圧倒される

17日に封切られた映画、水谷豊監督の『TAP THE LAST』を観ました。

この映画の監督でありメイン・キャストの一人として出演した水谷豊氏、この映画の構想を40年間もあたためてきた、
といっているように、相当の熱の入れようです。

今回の映画のため、水谷監督は300人のダンサーと会い、オーディションを通して選抜しました。

試写会を見た人の感想をテレビで見て、これは見に行かなければ、と思いたって見てきた次第です。

なかでも、最後の25分間の大勢でのタップは、まるで劇場で生で観ているような迫力と臨場感があった、というコメン
トに惹かれました。

タップダンスの格好良さには惹かれますが、普段あまり観る機会きかいはありませんでした。

タップダンスをテーマにした映画を私は見たことがありませんでしたので、どんなふうに仕上がるのか、興味津々でした。

正直に言うと、私は最後の25分に大勢のダンサーが勢ぞろいしてタップを踏むシーンだけを楽しみにしていました。

しかし、私の予想を見事に裏切り、オープニングにタップ・シューズの輪郭線が暗闇のなかで発光し、タップの足の動きと、
靴底の金属が床をたたくリズミカルで小気味良い音で、一気に映画の中に引き込まれてしまいました。

オープニングに続いて、この映画のストーリーの中心である、劇場最後のタップダンス・ショーに向けての、解説的なシー
ンが続きますが、これらのシー
ンは決して長すぎず、要領よくまとめられているので、退屈はしませんでした。

それが終わると、直ちにオーディションのシーンに移りますが、オーディションで応募者が披露するタップダンスだけでも
十分に見応えがあります。

そして、採用されたメンバーによる練習風景も、タップダンスの難しさや素晴らしさを存分に堪能させてくれます。

最後の、25分間の圧倒的な迫力は、到底、文字で表わすことはできないので、映画館で観ていただくしかありません。

この映画に登場したタップダンサーたちは、いずれもすでにダンサーとして活躍している人たちですから、誰が最も優れて
いるのか、という評価はしたくありません。

ただ、この映画でもっとも中心的ダンサー(5人)の中で、主人公的な存在であった、清水夏生氏のタップダンスは、私の
想像をはるかに超える迫力と芸術的な美しさを感じさせました。

清水氏のブログ(http://profile.ameba.jp/tapbeat/)の「自己紹介」によると、彼は7歳からタップダンスを始め、これ
までも多くの舞台・イベント・TV番組で活躍してきた。

彼はフランスへの留学を通じタップの新たな可能性を実感し、ダンスとしても音楽的にもより表現豊かな新しいタップのス
タイルを見いだしたという。

映画で演じる彼のタップダンスは、今まで見たこともない超絶技法の光速タップで、大げさに言うと、私は息をするのも忘
れさせるほど感動し、見入ってしまいました。

映画の中では、清水氏のライバル的存在であった濵地 正浩氏のタップも、清水氏に劣らず素晴らしく、二人の掛け合いも迫
力満点です。

監督の水谷氏は、この映画を「“ショービジネス”をしっかり描きたい」と語っているように、まさにこの映画そのものが
“ショービジネスとはこういうものだ”といことを、タップダンスを通じて観客に分からせてくれる。

今回は、あまりに衝撃的に素晴らしかったので、その良さをうまく表現できないのがもどかしいです。

その感動を興奮はいまだにずっと続いています。

私は、どちらかというと、俳優としての水谷豊はあまり好きではありませんでした。特に、『相棒』における水谷氏の演技は、
わざとらしさが気になって、一度も見たことがありません。

しかし、今回の水谷氏は、『相棒』でのいつも得意満面で気取った人物ではなく、怪我を負い、歳を取り、酒に溺れる、往年
の天才タップダンサーという設定で、とてもいい味を出していました。
私には監督としての水谷氏の裁量を評価する能力はありませんが、これだけは大いに評価したいとおもいます。

それは、タップダンサーとして出演した全員が、ダンスはうまくても、演技は一度もしたことがない人たちです。

水谷氏は、タップダンスができる俳優を集めたのではなく、まずダンスがうまいこと、その中で、演技もできそうな人を集め
たと言っています。

いわば、演技者としては“素人”に近いタップダンサーたちに、あれだけの自然な演技をさせたのは、監督としての水谷氏の
能力が優れていることを示しています。

この映画の主人公的存在である清水・濱地をふくめ、自閉症ぎみの西川大喜、父親の反対を押し切ってダンスに熱中する、お
嬢様タイプの太田彩乃、食べるのが大好きで太っちょの佐藤瑞希らを含めた5人は全て、それぞれの役割を十二分に果たして
います。

そして、この映画の最後に登場する、”その他大勢“的なタップダンサーたちも、決して端役というわけではなく、彼らを含
めて、この映画はタップダンスのすばらしさを演出してくれます。

最後に、水谷監督は、この映画の最初の1秒から最後の1秒まで、決して手を抜かず、観客を感動させ続けることに成功した
と思います。

オープニングで、暗闇の中を、タップシューズの輪郭線が夜光塗料で浮かび上がり、それが足の動きとともに目に飛び込んで、
最初の衝撃を与えたことは、冒頭でのべました。

そして、出演者などの字幕が延々と続くエンディングロールの最後の1秒まで、背後ではタップダンスの映像が流れ続けます。

これこそ、水谷氏のサービス精神、ショーマンシップの真骨頂です。

この映画を観て、どことなくフランス映画の終わり方を思い出させました。

アメリカ映画の基本は、ハッピーエンドと、映像として最後まで描き切ることですが、フランス映画はしばしば、最後まで描か
ず、観る人が想像する余地と余韻を残して終わります。

この映画でも、ラスト・ショーは大成功に終わり、観客の大拍手の場面となったに違いありません。しかし、そこは映像には出
てきません。それは、観る人が想像してください、ということなのでしょう。

また、主役の “まこと”が“ 果たして結婚して父親になって、それもでもタップダンサーとして生活できるかどうかを、水
谷演ずる”渡“に聞く場面があります。

観客としては、あの若いカップルがその後どうなるか気になるところですが、それについて渡は、最後の場面で、”まことは“
、といったきりで、言葉を飲み込んでしまいます。

この映画を観た人は、私も含めて、きっと二度、三度見たくなるに違いありません。

私にとっては、マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』以来の感動的で、楽しめた映画でした。


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スノーデン『日本への警告』を読んで(3)―監視を監視する必要―

2017-06-11 08:17:07 | 政治
スノーデン『日本への警告』を読んで(3)―監視を監視する必要―

ここからは、本書の第二に相当し、(1)で紹介した4人のパネリストが、スノーデンの『日本への警告』に関連して、司会者と聴衆
からの質問に答える、という形をとっています。

まず最初に、スノーデンの法律アドバイザーである弁護士・ワイズナー氏がアメリカの監視プログラムについて、簡単に説明します。

これは、日本人も知っておくべき基本的知識です。というのも、日本も近い将来採用するかもしれないからです。

一つは「バルク・コレクション」とよばれるもので、NSA(国家安全保障局)が電話のメタ・データをアメリカの電話会社に命じて、
アメリカと国外、アメリカ国内の通話を含む、全てのデータ(メタ・データ)を毎日提出させています。

二つ目は、プリズム(PRISM)と呼ばれるもので、フェイスブック、グーグル、アップルなどアメリカに本社を置くIT9社に命
じて電子メールやSNSによる通信内容などを秘密裏に提出させるプログラムです。

三つは、アップストリーム(Upstream)というプログラムで、外国人のインターネット上のありとあらゆる情報を収集するプログラムで
す。ただ、通信の相手が外国人であれば、アメリカ人も監視の対象となります。

アメリカの場合、実際には歯止めなく、情報の収集が行われています。

以上を念頭において、ワイズナー氏の警告を見てみましょう。

“実際にアメリカ政府は日本人同士の日本語のメールや電話であっても傍受しているのでしょうか?本当に内容をよまれているのでしょ
うか。”という司会者の問いに対して、
    そうです。それがNSAの仕事です。アメリカ市民であれば、NSAによる監視にたいして一定の保護が与えられます。
    アメリカの市民でない場合、何の保護もありません。

と答えています。つまり、日本人に関しては無制限に傍受・盗聴できるということです。

NSAは、「全てを集める」(Collect it All)の精神で、あらゆるデータ(メタ・データ)を集めていますが、その場合のメタ・デー
タとは、必ずしもいちいち内容を読む必要はないのです。
    メタ・データとは、電話で話した内容に関する情報ではありません。私たちが会話をしたという事実、通話の日時、通話時の
    場所などがメタ・データです。これは私たちの交際関係のすべてです。

NSAは、この交際関係の全てを保存しており、メタ・データは何年も過去にさかのぼることができる“監視のタイムマシン”です。

ある人に、何年か後に何らかの容疑が持ちあがると、ずっと以前に戻り、その人物がその間に何をしていたかを完璧に再現できるし、
その人と連絡を取った人も捜査の対象となるのです。

アメリカでは「9・11」事件以後、イスラム教徒に対する監視を徹底してきましたが、これに対する裁判で連邦の裁判所は、特定の
宗教に限定して実施された捜査は違反であることを認めました。

しかし、日本では2010年にインターネット上に流出した警察庁外事第三課の調査資料が明るみに出ました。これに関する裁判で、
昨年、最高裁がイスラム教徒の監視は合法であることを認めています。

日本のイスラム教徒の監視に関して、前出のワイズナー氏は次のように指摘しています。
    深刻な危機が存在し、これに対応するために監視システムが作られたのです。他方で、監視システムが存在するから危機を
    演出するということもあります。危機が去った後にも大規模な存在を正当化するために新たな危機を生み出すわけです。ム
    スリムの監視に関して日本で行われていることはこのようなことかも知れません。テロを防止するという目的のために監視
    が始まり、その後、監視を継続するために正当化を必要とするわけです(133-134ページ)。

これは、2016年6月4日のシンポジウムの際に語られた発言で、当時はまだ「テロ等準備罪」(共謀法)が国会に提出される以前でし
たが、その後の経過をみると、ワイズナー氏の危惧がそのまま現実になっているようです。

つまり安倍首相は、国連の国際組織犯罪防止条約(TOC)に加盟するために「共謀罪」は必要である、と繰り返して発言しています。

しかし、TOCは元来、マフィアのような犯罪集団の金銭的(経済的)詐欺や犯罪を阻止することが主目的で、テロ防止を目指したも
のではありません(『東京新聞』2017年3月26日) 参照)。

それは、政府も承知しているので、「東京オリンピック・パラリンピックを控え、テロ対策に万全を期すことは開催国の責務」と、別
の「脅威」を持ち出しています。

これは、客観的にみれば、国民総監視体制を合法化するための口実としてオリンピックを持ち出したとしか考えられません(『東京新
聞』2017年4月7日)。

深読みすると、政府は既に監視体制と、その手段(たとえば、スノーデン氏が暴露した、2013年にアメリカから提供されたとされるコ
ンピュータ監視ソフトのXKEYSCORE)を手に入れ、その使用を正当化するために「テロ等準備罪」を何が何でも導入しようと
していると推測できます。

シンポジウムに参加していた青木理氏は、監視体制と関連して、2016年5月に「盗聴法」(改正通信傍受法)が成立してしまったことに、
日本のメディアの警戒感が非常に薄い、と危機感を表明しています。

青木氏はかつて通信社に勤務していた時、日本の公安警察の内情を明らかにする著書『日本の公安警察』(講談社現代新書、2000年)
を出版しましたが、これが主な理由で、警備公安警察から排除されてしまった(つまり出入り禁止となってしまった)経験があります。

続いて青木氏は、最近の日本メディアは公安警察をはじめとする権力を監視する機能がますます弱まっている、と指摘しています。

その背景には、政府の持つ情報は、原則的には市民全員の共有財産であり、一時的には秘密が必要な場合があっても、それはいずれ公開
されて歴史の検証を受けなければならない、という原理原則が日本に根付いていないこと、政府に任せて守ってもらえば「安心・安全」
だというお上依存体質が非常に強いことも、現状をもたらしている要因だと指摘しています(144-145 ページ)。

以上の他にも、この本に関連して検討する問題はたくさんありますが、それは、別の機会にゆずり、以下に、世界と日本で、権力による
監視活動を国民の側が監視するシステムはどうなっているでしょうか?

実は、スノーデン事件をきっかけとして、国家が市民を監視することに対する歯止めを、21013年12月に国連決議で設けました。

この決議には、国連の全ての加盟国は、監視活動に対して独立して効果的な監視機関を設けるべきであるとする条項が含まれています。

これを実施するために、国連の特別報告者という人物が任命されており、彼らが日本を含む各国の国連決議の実施状況について調査をし
ています。

日本に対しては、このブログでも紹介した、国連の特別報告者のケナタッチ氏が、「共謀罪」が個人のプライバシーを侵害する危険性を
指摘し、さらにTOCを締結するため、というのは口実にすぎないことを安倍首相への公開書面で指摘しました。

安倍首相に懸念と見解を求めた公開書簡に関して、菅官房長官は今年の5月22日に、
    特別報告者は独立した個人の資格で、国連の立場反映するものではない。政府は(ケナタッチ氏に)直接説明する機会もなく、
    公開書簡の形で一方的に発出された、
と、あたかも一私人の個人的見解に過ぎない、と一蹴しました。

しかし、ケナタッチは国連から任命された、正規の調査報告者です。これに対して、日本政府の反論、といより単なる怒りと不満を綴っ
ただけで内容はない、とケナタッチ氏から再反論されています。

神奈川大学の阿部浩己教授は、この菅氏の対応にたいして、ケナタッチ氏の指摘には真摯に対応すべき、と言い、「ヒューマンライツ・
ナウ」の伊東和子弁護士は、「人権理事会の理事国なら範を示すべきなのに恥ずかしい」と批判しています(『東京新聞』2017年5月27
日)。

ケナタッチ氏と同じ国連特別報告者のデービッド・ケイ氏(言論と表現の自由に関する国連特別報告者)は来日し、6月2に記者会見しま
した。

そこで、ケイ氏は、5月30日に公表した対日調査報告書に関して、特定秘密保護法によりジャーナリストが処罰されないように、運用
基準ではなく、法的保護を明確にしてほしい、この法律によって報道の自由が萎縮することを懸念する、そして政府が放送局に電波停止
を命じる根拠となる放送法4条の廃止を勧告しまいた。

日本政府は「不正確で不十分な内容だ」と批判しましたが、「多くの人から話を聞いた。意見の違いはあるかも知れないが、報告書の事
実は正確だと自信を持っている」と述べました(『東京新聞』2017年6月3日)。  

ここでも、日本側の対応は、真摯さに欠けているようです。ケイ氏の報告書も6月12日の国連人権理事会で報告される予定です。

果たして日本は、民主主義国家として、人権と表現の自由が国際社会の中で胸を張って主張できるかどうか、国連の場でも試されます。

最後に、青木氏が紹介している、アメリカのもう一つの側面について紹介している部分を引用しておきます。

私はアメリカにおける監視体制には絶対賛成できませんが、紛争地取材にあたるジャーナリストやメディア記者たちを集めて国務省
長官のケリー氏が語った言葉は、これこそが国家とジャーナリズムのあるべき姿だと感じました。その趣旨は、
    危険地取材するジャーナリストの危険性をゼロにすることはできない。唯一の方法があるとすれば、それは沈黙することだ。
    しかし、沈黙は独裁者に力を与えることになるから、それはすべきではない。政府にできることがあったら言って欲しい
    (147-148ページ)。
これは、日本でシリアで拘束されたジャーナリストの後藤さんや、取材させないためにフリーのカメラマンのパスポートを取り上げ
てしまうなど、日本政府が自由な取材を抑え込もうとした時期に発せられた言葉です。彼我の違いに唖然とします



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スノーデン『日本への警告』を読んで(2)―プライバシーと知る権利―

2017-06-04 10:22:14 | 政治
スノーデン『日本への警告』を読んで(2)―プライバシーと知る権利―

スノーデン氏は、本書の冒頭「発刊にあたって」で、
    理念のために立ち上がることは、ときにリスクを伴います。私と同じこと、すなわち不正を暴くために自分の
    人生を完全に変えることを、誰もができるわけではありません。
と述べています。

彼のリスクとは、母国アメリカに帰れないこと、帰れば確実に逮捕・投獄されること、そして将来の人生を失うことです。

それでも彼が国家秘密情報を海外に持ち出した重要な動機の一つに、「犯罪と縁もゆかりもない世界中の市民のプライベー
トな活動を民主的な政府が監視していることの証拠」をジャーナリストに提供して世間に示すことだ、と言っています。

彼はプラバシーについて、「自分が自分であるために必要な権利」、「悪いことを隠すということではありません。プライ
バシーとは力です」「プライバシーとはあなた自身のことです。プライバシーは自分であるために権利」、「他人に害を与
えない限り自分らしく生きることのできる権利」など、繰り返し語っています。

ところが、アメリカにおいては、とりわけ「9・11事件」以降、政府は国民の通信を傍受することで監視するようになり
ました。

これほど重要なプライバシーを、政府などの権力をもった組織が、IT技術を駆使した監視システムを通して、常時、全て
の国民の通信の傍受し監視し、侵害していることに、スノーデンは危機感を抱いているのです。

前回も紹介したように、あらゆる電子情報を国民全体に網をかけて監視することをマス・サーベイランスと言います。

マス・サーベイランスの問題は、犯罪に関係していようがいまいが、国民の行動を無差別に監視し、それによってプライバ
シーを侵害していることです。

本書では詳しく語られていませんが、つい最近、スノーデンは共謀罪の危険性に関連して、マス・サーベイランスとその方
法について、『東京新聞』とのインタビューで、日本における実態を明らかにしています。

エックスキースコア(XKEYSCORE)―世界のインターネット上のデータを検索・分析するための大規模監視システ
ム。アメリカのNSAが使用している―は何ができるか、という質問に、
    私も使っていた。あらゆる人物の私生活の完璧な記録を作ることができる。通話で
    もメールでもクレジットカード情報でも。監視対象の過去の記録まで引き出すことができる『タイムマシン』のよ
    うなものだ
と答えています(『東京新聞』2017年6月2日)。

このエックスキースコアは、NSAから日本へ供与され、それを示す機密文書(スノーデンが持ち出した文書、2013年4月8日、
の中にある)は本物であることをアメリカ政府も認めている、という。

このシステムは日本国内だけでなく世界中のほぼ全ての通信情報を収集できるという。共謀罪が適用されると、「日本にお
ける(一般人も対象とする)大量監視の始まり。日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」とスノ
ーデンは危惧しています(『東京新聞』同上)

このシステムについては国会でも問題となりました。政府は、エックスキースコアが日本に供与されたことを否定していま
すが、スノーデンは、「日本だけが認めていないのは、ばかげている」と語っています(『東京新聞』同上)。

マス・サーベイランスに関与する官僚は、「隠すことがなければ恐れる必要はありません」と述べて監視を正当化するが、
このような説明は第二次大戦中、ドイツのナチスが用いたレトリックと全く同じだ」、また別の表現で、「隠すことがなけ
ればプライバシーの権利を気にする必要がないというのは、話したいことがなければ言論の自由は必要ないというのと同じ
くらい危険なことです」と述べています(66~68ページ)。

そういえば、安倍首相も、今回の共謀罪は一般の国民を監視対象とはしないと繰り返し言ってきましたが、言葉通りに受け
取ることはできません。

というのも、2月2日の衆議院予算委員会で金田法務大臣は、捜査で電話やメールなどを盗聴できる通信傍受法を使う可能性
を認めているからです。

これは、日本のさまざまなインターネット・プロバイダーや電話会社(代表的なNTTコミュニケーションズ)も、政府に
よる傍受を認めていることを、はからずも認めてしまったことになります。

エックスキースコアが日本の政府に供与されていたとすると、私たちの電話やメールは、すでに傍受されている可能性は十
分にあります。なぜなら、これこそがこの監視プログラムの目的だからです。

アメリカは日本をも対象として情報を傍受していたことが明らかになっています。たとえば、国際捕鯨委員会で日本の捕鯨
が批判の対象になることが分かっていた時、日本政府は、データを添えてそれに対する反論を準備していましたが、その情
報が筒抜けになっていて、全く意見を述べる機会もなかった、という苦い経験があります。

日本の捕鯨を批判していたニュージジーランドの元首相は、NSAからの方法は大変役に立ったと語っています(注1)。

また、NSAは日本の経済政策や気候変動対策に関する情報を収集するために、日本の大企業や政府の内部の会議を盗聴して
いたことが、ウィキリークスによって暴露されています(59ページ)(注2)。

アメリカはヨーロッパの要人の電話を盗聴していたことを認めました。メルケル・ドイツ首相は当時、オバマ政権に強い抗議
をし、それによって、一応は盗聴を止めたことになっています。

日本においても、首相を始め、要人の電話は盗聴されているはずですが、なぜか日本政府は全くアメリカに抗議していません。

国民の側は、自分についてどんなことが監視されているのかを知ることなく、政府の側は、政策の決定過程やその意図などに
ついての情報を秘密にしたままで、一方的に個人のプライバシーを覗く、という情報の非対象性にあります。

そこで、国民の側で政府の監視活動や政治・行政について知る権利があり、それは国会だけでなく、ジャーナリズムの大きな
責任である、というのがスノーデンの主張です。

しかし、スノーデンは、日本の報道は危機的状況にあると警告しています。

その態様は、ピストルを突きつけたり暴力的手段に訴えるのではなく、本当の恐怖は、静かな圧力、企業による圧力、インセ
ンティブによる圧力、あるいは取材源へのアクセスの圧力という形で表れるという。

スノーデンは危機的状況としている具体例として、「テレビ朝日(古館氏)、TBS(岸井氏)、NHK(国谷氏)といった
大きなメディアが、何年にもわたって視聴率の高い番組のニュースキャスターを務めた人を、政府の意に沿わない論調である
という理由で降板させた」ことを挙げています(カッコ内は筆者が補足した)。

また、政府はあたかも公平を装った警告のようにふるまう。「この報道は公平ではないように思われますね。報道が公平でな
いからといって具体的に政府として何かするわけではなりませんが、公平でない番組は報道規制に反する可能性がありますね」
などとほのめかします。(66~67ページ)

こうした類の脅迫はメディアの上層部に明確に伝わっており、事情は理解できるが、メディアはそれに屈してはいけない、と
スノーデンは日本のメディアに注文をつけています。

加計学園問題に関して、元文科省事務次官の前川氏が民法テレビ局のインタビューで、最近、NHKと1時間半ほどのインタビ
ューを受けたが、なぜか全く放送されなかった事実を語っていました。

これだけの時間、インタビューして全く放送しなかったのは、かなり異例で相手に失礼なことで、他の局では基本的に放映し
ています。

これについてNHKは何も言ってはいませんが(もっとも言えないでしょうが)、何らかの圧力なり忖度が働いたとしか考え
られません。

日本における報道の自由に関する疑念は、ケナタッチ氏や最近来日した、国連の「表現の自由」に関する特別報告者、デービ
ッド・ケイ氏も語っています。(注3)

今月、国連の人権委員会でケナタッチ氏とケイ氏の報告が検討されることになっています(ちなみに、日本はこの委員会の理
事国になっています)。

これまでの日本政府の対応を見ていると、「自由と民主主義を価値観」とする日本が国際社会を納得させるだけの反論ができ
るとは思えません。


(注1)NHKクローズアップ現代「スノーデンファイル」(2017年4月27日放送)
(注2)Wikileaks, “Tokyo Target”. https://wikileaks.org/nsa-japan/
(注3))『東京新聞』(2017年6月3日)
    http://news.livedoor.com/article/detail/13149798/ (2017.6.2)
なお、彼らの見解については、また別の機会に詳しく紹介したいと思います。

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奥入瀬渓谷の新緑は、目に沁みるような鮮やかさで、春ゼミの鳴き声とともに、久しぶりに初夏の自然を満喫しました。


新緑の奥入瀬渓谷(1)


新緑の奥入瀬渓谷(2)











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