伊勢志摩サミット(3)―宴の後:オバマ大統領の広島訪問―
2016年5月27日、オバマ米大統領は現役の大統領としては初めて、広島を訪問しました。
この訪問に関して『日本経済新聞』のデジタル版は、次のように書いています。
広島を訪れたオバマ米大統領が被爆者の肩を抱いた時、「核なき世界」を夢見る多くの
日本人のユーフォリア(熱狂的陶酔感)はピークに達したように映った(注1)。
確かに、あのオバマ氏の抱擁によって、多くの日本人は「熱狂的陶酔感」の絶頂に達した感があります。マスメディアも、
ほとんど「舞い上がっている」としか言いようのないはしゃぎぶりです。
しかし私たちは、この訪問に至る経緯と、オバマ氏が実際に広島に行ったこと、日本政府や日本人が示した反応を含めて、
オバマ氏の広島訪問の意義をもう一度冷静に振り返り評価し直す必要があります。
今回の広島訪問の経緯から見てみましょう。
2009年11月、オバマ氏は初来日しました。これに先立って、日本の外務省(担当は当時の藪中三十二外務次官)とルース
駐日米大使との間で、訪日中のオバマ氏の行動について折衝がありました。
その過程で、ルース大使が本国に送った電報メッセージが「ウィキリークス」で暴露されています。(注2)
それによると、ルース氏は、オバマ氏が来日したときの行動としては、東京で大学での講演などに限定すべきで、広島を訪れ
「謝罪」をすることを、ルース氏は、藪中氏から「時期尚早」であるという理由で強く反対された、と書いています。
この文面からみると、ひょっとすると、オバマ氏は広島訪問だけでなく、原爆投下への謝罪をも考えていたかも知れません。
それにしても、日本の外務省はなぜ、オバマ氏の謝罪に反対したのでしょうか?
薮中氏は、もし広島を訪問すると、反核運動団体の「期待」が高まるから、と述べていたのです。
この「期待」の中には、オバマ氏による「謝罪」が含まれている可能性がある、というのが薮中氏の懸念でした。
以上の経緯もあって、今回のオバマ氏の訪日にさいして、日本政府は最初から、謝罪を求めないことを、何度も表明してきました。
それでは、日本政府(特に外務省)は、なぜ今回もオバマ氏の「謝罪」を断り続けているのでしょうか?
これに対して、平和運動に長く携わってきた広島私立大学広島平和研究所(元教授)の田中利幸氏は、オバマ氏の訪日に先立っ
て、オバマ氏の「謝罪なき広島訪問」が、無邪気な歓迎ムードで進められることに危機感を募らせていました。
来年1月で退任するオバマ氏にとっては、原爆投下を正当化するアメリカの世論の反発を避けつつ、「核兵器なき世界」という理念
に基づく実績作りのパフォーマンスの場にこの訪問を利用しようとする意図が感がられます。
他方、安倍首相にとっては、オバマ氏の広島訪問を、一つの外交的成果としてアピールし支持率を高めて参院選に弾みをつける狙
いがありました。
ところが、被爆者たちは、これまで「二度と同じ被害を出さないために」、とアメリカに謝罪を求めてきました。
たとえば、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は1984年に発表した「基本要求」で、広島・長崎の犠牲がやむを得ないとされる
なら、核戦争を許すことになる」、と原爆投下が人道に反する国際方違反である」と断定し、アメリカに被害者への謝罪を求めること
を訴えています。
また、2006年と2007年には、市民団体が原爆投下の責任を問う「国際民衆法廷」を広島で開催し、原爆投下を決定したトルーマン
大統領ら15人を「有罪」としました。
さらに一昨年の2014には、広島の八つの市民団体がオバマ氏に「謝罪は核廃絶に必要」とする書簡を出しています。
こうした被爆者と広島住民の強い、謝罪への要求を無視して、日本政府はオバマ氏に謝罪を求めない、と公式に表明してきました。
その理由の一つは、被爆国でありながら、アメリカの核抑止力に依存するという矛盾を抱える日本にとっても謝罪はない方が都合が
よい、というものです。
もう一つは、第二次世界大戦で日本は、原爆に関しては被害者ですが、アジア諸国に対しては加害者の立場にある、という事情です。
田中氏は、「米国の加害責任を追及しなければ、アジアの人びとに対する戦争犯罪とも向き合わずに済むとの論理が潜んでいるので
はないか」と鋭い指摘をしています。
つまり、日本が、もしオバマ氏に謝罪を要求すれば当然、南北朝鮮、中国を始めかつて侵略した国々に対ても謝罪して回る必要がある
し、アメリカ側も日本の首相に真珠湾に来て謝罪をすべきだ、と要求するかもしれません。
そして田中氏は、もしオバマ氏に謝罪を求めないと、今回の訪問が日本の過去の侵略を否定する歴史修正主義を助長しかねないし、
さらに、原爆投下は正統であったという、誤ったメッセージを世界に送ることになると、懸念しています(『東京新聞』2016年5月18日)。
以上のような、日本政府にとって最も、「やっかいな問題」を避けるために、政府はオバマ氏に謝罪を求めないことにしたものと考えら
れます。
以上の問題の他に、今回の日米両政府の姿勢に、私がどうしても納得できない本質的な問題があります。
アメリカの政府も多くの国民は、原爆投下によって戦争が早く終わり、結果として日本人(そしてアメリカ人)の死者を少なくすることがで
きた、と主張してきました。
この議論は全く根拠を持ちませんが、それと同時に、あるいはそれ以上に問題なのは「もし、理由があれば核兵器を使用しても許される、
正当性をもつことができる」、という、核兵器の使用を事実上認めてしまうことです。
この「理由」は、使用した側が、どうにでも付けることができるのです。
しかし、オバマ氏も理想としている「核廃絶」とは、このような非人道的な兵器は、理由の如何を問わず、廃絶しなければならない、という
考え方なのです。
ここに、アメリカの欺瞞性があり、日本のご都合主義があります。
今回のオバマ訪日の意義を、外務省OBで政治学者、元広島平和研究所長、の浅井基文氏は、「変質強化された同盟関係を盤石なもの
に仕上げる最後のステップと位置づけられている」、と分析し、核兵器廃絶の第一歩となるとの期待は幻想で、「核兵器の堅持を前提とし
たセレモニーに過ぎないと」と鋭く批判しています。
次いで、日本は戦争加害国としての責任を正面から受け止めると同時に、無差別大量殺害兵器である原爆を投下した米国の責任を問い
ただす立場を放棄してはならない、そうすることによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類の歩みの先頭に立ち続けることができるだろう、
と述べています。(『毎日新聞』2016年5月25日)全く同感です。
今回の訪問時に、オバマ氏の数メートル離れたところにはSPが、世界のどこからでも核弾頭を搭載したミサイルの発射を指令できる通信
機器が入ったカバンを持って片時も離れずに待機していました。
また、オバマ政権下で削減された核弾頭は約五百発(削減率10%)で、これは冷戦後の歴代政権の中で最も低い数と率です(『東京新聞』
2016年5月28日)。
米国科学者連盟によると、アメリカは使用可能な核弾頭は4700発も保有しています。
それにも関わらず、オバマ政権は「臨界前核実験」を続行しており、今年度に入って、新型長距離巡航ミサイル「LRSO」の開発といった「核
戦力の更新」に対し、今後30年間で1兆ドル(110兆円)を投じる予算を承認しています(『東京新聞』(2016年5月18日)。
核軍縮に関して実効性のある進展を示すことなく任期も約八か月を残すだけとなったオバマ氏が、核廃絶を願って広島を訪問し、核廃絶の
誓いをする、ということは、虚しいパフォーマンスであり、ある意味ブラック・ユーモアですらあります。
そして、オバマ氏の広島訪問を大絶賛する日本のメディアは、もう少し冷静さを取り戻すべきでしょう。
(注1)『日経デジタル』(2016年6月2日)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02956030Q6A530C1000000/
(注2)Wikileaks: https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2033_a.html
『産経ニュース NSN』2011年9月26日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110926/amr11092618090007-n1.htm
https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2033_a.html
2016年5月27日、オバマ米大統領は現役の大統領としては初めて、広島を訪問しました。
この訪問に関して『日本経済新聞』のデジタル版は、次のように書いています。
広島を訪れたオバマ米大統領が被爆者の肩を抱いた時、「核なき世界」を夢見る多くの
日本人のユーフォリア(熱狂的陶酔感)はピークに達したように映った(注1)。
確かに、あのオバマ氏の抱擁によって、多くの日本人は「熱狂的陶酔感」の絶頂に達した感があります。マスメディアも、
ほとんど「舞い上がっている」としか言いようのないはしゃぎぶりです。
しかし私たちは、この訪問に至る経緯と、オバマ氏が実際に広島に行ったこと、日本政府や日本人が示した反応を含めて、
オバマ氏の広島訪問の意義をもう一度冷静に振り返り評価し直す必要があります。
今回の広島訪問の経緯から見てみましょう。
2009年11月、オバマ氏は初来日しました。これに先立って、日本の外務省(担当は当時の藪中三十二外務次官)とルース
駐日米大使との間で、訪日中のオバマ氏の行動について折衝がありました。
その過程で、ルース大使が本国に送った電報メッセージが「ウィキリークス」で暴露されています。(注2)
それによると、ルース氏は、オバマ氏が来日したときの行動としては、東京で大学での講演などに限定すべきで、広島を訪れ
「謝罪」をすることを、ルース氏は、藪中氏から「時期尚早」であるという理由で強く反対された、と書いています。
この文面からみると、ひょっとすると、オバマ氏は広島訪問だけでなく、原爆投下への謝罪をも考えていたかも知れません。
それにしても、日本の外務省はなぜ、オバマ氏の謝罪に反対したのでしょうか?
薮中氏は、もし広島を訪問すると、反核運動団体の「期待」が高まるから、と述べていたのです。
この「期待」の中には、オバマ氏による「謝罪」が含まれている可能性がある、というのが薮中氏の懸念でした。
以上の経緯もあって、今回のオバマ氏の訪日にさいして、日本政府は最初から、謝罪を求めないことを、何度も表明してきました。
それでは、日本政府(特に外務省)は、なぜ今回もオバマ氏の「謝罪」を断り続けているのでしょうか?
これに対して、平和運動に長く携わってきた広島私立大学広島平和研究所(元教授)の田中利幸氏は、オバマ氏の訪日に先立っ
て、オバマ氏の「謝罪なき広島訪問」が、無邪気な歓迎ムードで進められることに危機感を募らせていました。
来年1月で退任するオバマ氏にとっては、原爆投下を正当化するアメリカの世論の反発を避けつつ、「核兵器なき世界」という理念
に基づく実績作りのパフォーマンスの場にこの訪問を利用しようとする意図が感がられます。
他方、安倍首相にとっては、オバマ氏の広島訪問を、一つの外交的成果としてアピールし支持率を高めて参院選に弾みをつける狙
いがありました。
ところが、被爆者たちは、これまで「二度と同じ被害を出さないために」、とアメリカに謝罪を求めてきました。
たとえば、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は1984年に発表した「基本要求」で、広島・長崎の犠牲がやむを得ないとされる
なら、核戦争を許すことになる」、と原爆投下が人道に反する国際方違反である」と断定し、アメリカに被害者への謝罪を求めること
を訴えています。
また、2006年と2007年には、市民団体が原爆投下の責任を問う「国際民衆法廷」を広島で開催し、原爆投下を決定したトルーマン
大統領ら15人を「有罪」としました。
さらに一昨年の2014には、広島の八つの市民団体がオバマ氏に「謝罪は核廃絶に必要」とする書簡を出しています。
こうした被爆者と広島住民の強い、謝罪への要求を無視して、日本政府はオバマ氏に謝罪を求めない、と公式に表明してきました。
その理由の一つは、被爆国でありながら、アメリカの核抑止力に依存するという矛盾を抱える日本にとっても謝罪はない方が都合が
よい、というものです。
もう一つは、第二次世界大戦で日本は、原爆に関しては被害者ですが、アジア諸国に対しては加害者の立場にある、という事情です。
田中氏は、「米国の加害責任を追及しなければ、アジアの人びとに対する戦争犯罪とも向き合わずに済むとの論理が潜んでいるので
はないか」と鋭い指摘をしています。
つまり、日本が、もしオバマ氏に謝罪を要求すれば当然、南北朝鮮、中国を始めかつて侵略した国々に対ても謝罪して回る必要がある
し、アメリカ側も日本の首相に真珠湾に来て謝罪をすべきだ、と要求するかもしれません。
そして田中氏は、もしオバマ氏に謝罪を求めないと、今回の訪問が日本の過去の侵略を否定する歴史修正主義を助長しかねないし、
さらに、原爆投下は正統であったという、誤ったメッセージを世界に送ることになると、懸念しています(『東京新聞』2016年5月18日)。
以上のような、日本政府にとって最も、「やっかいな問題」を避けるために、政府はオバマ氏に謝罪を求めないことにしたものと考えら
れます。
以上の問題の他に、今回の日米両政府の姿勢に、私がどうしても納得できない本質的な問題があります。
アメリカの政府も多くの国民は、原爆投下によって戦争が早く終わり、結果として日本人(そしてアメリカ人)の死者を少なくすることがで
きた、と主張してきました。
この議論は全く根拠を持ちませんが、それと同時に、あるいはそれ以上に問題なのは「もし、理由があれば核兵器を使用しても許される、
正当性をもつことができる」、という、核兵器の使用を事実上認めてしまうことです。
この「理由」は、使用した側が、どうにでも付けることができるのです。
しかし、オバマ氏も理想としている「核廃絶」とは、このような非人道的な兵器は、理由の如何を問わず、廃絶しなければならない、という
考え方なのです。
ここに、アメリカの欺瞞性があり、日本のご都合主義があります。
今回のオバマ訪日の意義を、外務省OBで政治学者、元広島平和研究所長、の浅井基文氏は、「変質強化された同盟関係を盤石なもの
に仕上げる最後のステップと位置づけられている」、と分析し、核兵器廃絶の第一歩となるとの期待は幻想で、「核兵器の堅持を前提とし
たセレモニーに過ぎないと」と鋭く批判しています。
次いで、日本は戦争加害国としての責任を正面から受け止めると同時に、無差別大量殺害兵器である原爆を投下した米国の責任を問い
ただす立場を放棄してはならない、そうすることによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類の歩みの先頭に立ち続けることができるだろう、
と述べています。(『毎日新聞』2016年5月25日)全く同感です。
今回の訪問時に、オバマ氏の数メートル離れたところにはSPが、世界のどこからでも核弾頭を搭載したミサイルの発射を指令できる通信
機器が入ったカバンを持って片時も離れずに待機していました。
また、オバマ政権下で削減された核弾頭は約五百発(削減率10%)で、これは冷戦後の歴代政権の中で最も低い数と率です(『東京新聞』
2016年5月28日)。
米国科学者連盟によると、アメリカは使用可能な核弾頭は4700発も保有しています。
それにも関わらず、オバマ政権は「臨界前核実験」を続行しており、今年度に入って、新型長距離巡航ミサイル「LRSO」の開発といった「核
戦力の更新」に対し、今後30年間で1兆ドル(110兆円)を投じる予算を承認しています(『東京新聞』(2016年5月18日)。
核軍縮に関して実効性のある進展を示すことなく任期も約八か月を残すだけとなったオバマ氏が、核廃絶を願って広島を訪問し、核廃絶の
誓いをする、ということは、虚しいパフォーマンスであり、ある意味ブラック・ユーモアですらあります。
そして、オバマ氏の広島訪問を大絶賛する日本のメディアは、もう少し冷静さを取り戻すべきでしょう。
(注1)『日経デジタル』(2016年6月2日)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02956030Q6A530C1000000/
(注2)Wikileaks: https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2033_a.html
『産経ニュース NSN』2011年9月26日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110926/amr11092618090007-n1.htm
https://wikileaks.org/plusd/cables/09TOKYO2033_a.html