日本経済の本当の実力(3)―日本はもはや先進国ではない?―
日本経済の本当の実力に関して、前回と前々回の記事で、世界で挑戦を続けているソフトバンク社長
の孫正義氏とユニクロ社長の柳井正氏の見解を紹介し、検証しました。
孫氏も柳井氏も共に、日本はもはや「先進国ではない」「中進国」から、本当の先端技術(特に人工
知能や通信)においては途上国に落ちてしまっている、と語っています。
孫氏の発言も柳井氏の発言も、経営者としての「実感」ですが、それでは、一般の日本人はどのよう
に感じているのでしょうか?
もし、日本人100人に、「日本は先進国だと思いますか?」と聞けば、おそらく100人、あるい
はそれに近い人は、「先進国だと思う」、と答えるでしょう。
それでは、「日本はこれからも先進国であり続けると思いますか?」と聞くと、かなりの人は、一瞬、
答えに詰まってしまうのではないでしょうか。
ここで、一般的な意味での「先進国」とは、経済的に発展した国で、高度の工業化を達成し、高い技
術力と生活水準を維持している国、を指します。
さらに、その中でも経済が突出して発展している国としては、いるいわゆる「先進七ヵ国=G7」を
指し、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、イタリア、ドイツ(2000年の東西ドイツの統一後)、
そして日本が含まれます。
注意しなければならないのは、G7と称されるようになったのは1976年のことで、当時日本は経
済成長の真っただ中にあった、ということです。
もっとも、「先進国」であるかどうかは、何をもって判断するかによって異なるでしょう。
国の人口規模などがそれほど大きくなく、経済の規模ではあまり大きくはないが、高度な技術をもち、
豊かな生活水準を維持している、たとえば、オランダ、ベルギーのような国はたくさんあります。
これまで日本が間違いなく「先進国」であることに、多くの日本人は何の疑問を感じませんでしたが、
私の印象では、ここ10年くらいの間に、少しずつ認識が変わってきたように思います。
私は、1991年のバブル崩壊、2008年のリーマンショックという段階を経て、2010年に、
日本がGDP(国民粗総生産)で、世界第二位から、中国に抜かれて第三位に転落したころには、日
本経済の凋落がはっきりしました。いわゆる「失われた20年」です。
ますます勢いに乗る中国に対する脅威と、電気・通信の分野で日本と対抗する実力をつけてきた韓国
への警戒心が、「嫌中・嫌韓」という感情となって密かにまん延し、実際、出版物でもそのような本
がたくさん世の中に登場しました、
その一方、その不安や挫折感や敗北感を振り払おうとするかのように、テレビなどではさかんに「ニ
ッポン すごい!」的な番組が増えています。これら二つの現象は、コインの裏表です。
それでは、実際のところどうなのでしょうか?もう少し客観的な数字や分析から見てみましょう。
経済評論家の加谷珪一氏は「テレビ朝日」の「「羽鳥慎一のモーニングショー」(2019年10月31
日)の中で次のように述べています。
確かに日本は戦後、非常に頑張って豊かになりかかったんですけれども、すでに他国との比
較という観点からすると、かなり貧しい国になりつつあるという状況でして、今現在日本が
世界に冠たる先進国かと言ってしまうと無理があるんじゃないかというのが私の考えです。
その根拠は、いろんな面での数字が先進国ではないという数字に落ち込んでいるからだという。
たとえば、豊かさを表わす重要な指標である労働生産性(労働者一人が生み出す労働の成果)はG7
で最下位。日本は昔から最下位のままで、一度もトップに立ったことはありません。
しかも、G7の中で最下位であるだけでなく、1970年ころからずっとOECD36カ国中20位
くらいだったのです。
ただ、私たちの頭の中には、日本はGDP世界第三位、という考えが定着していますが、これにはち
ょっと注意が必要です。
GDPとは、1年間に生産された財とサービスの付加価値の合計で、国全体の経済規模を表わします
が、これと国民一人当たりが豊かさとは分けて考える必要があります。
国民の豊かさは、一人当たりGDPで、これはOECD加盟国の中で、2000年には2位に上りま
した。しかしこれは為替レートの計算方法によるもので、プラザ合意(1985年)で人為的に3倍
くらいの円高にさせられたため、ドル換算で一気に2位に上がっただけです。
本当の実力は購買力平価という、実質的に所得でどれほどの物やサービスが買えるか、と言う面から
見ると、OECD中18位にとどまっています。
日本は戦後ゼロから始まり、頑張って成長を遂げましたが80年代のバブル期がピークで、それ以後
はずっと落ち込んできているのが実態です。
日本は物作り立国で、製品を輸出して豊かになってきた、という認識がありますが、加谷氏は、これ
もやはり過大評価だという。
現時点で世界全部の輸出に対する日本のシェアは3.8パーセントしかないのです。これにたいして
1位の中国は10%以上、2位アメリカも10%を超え、3位のドイツで8%です。ドイツは日本よ
り人口は少ないのに輸出は2倍以上あります。
また、雇用や貿易などの主要経済指標を基に計算した世界競争力ランキングでみると、「先進国」と
いうからには、一ケタ内に入っていなければならなりません。
日本は1989~92年までは世界第一でしたが、その後下落を続け、今年は調査対象63の国と地
域の中で、昨年の25位から30位と下落してしまっています。
加谷氏は、日本は1980年代に先進国になりかかったのに、成熟した経済に成長できず、現在は昔
(1950~60年ころ)の貧しい国に逆戻りしているというのが正しい認識だ、と言います。
最近の賃金水準をみると、上位35カ国中19位、教育に対す公的支出のGDP比率、これは43カ
国中40位という悲惨な状況にあり、年金の所得代替率(現役時の所得のどれほどが支払われるか)
は50カ国中41です。
加谷氏は、資源のない日本が先進国になるためには、長期的視野に立って、教育に力を入れるしかな
いんじゃないか、と提言しています。
しかし、教育の重要性にもかかわらず、日本は教育への投資があまりにも貧弱な状況にあります。
加谷氏は、人口1人当たりの論文数は、世界で38位(2016年)です。これは、国全体が貧しく
なってきているので、教育投資をケチっているからだ、と言ったうえで、しかし、教育の部分は削っ
てはいけない、最優先課題として教育にお金を投資すべきだと強調します。
います。
日本における教育政策の問題については、同じく「テレビ朝日」の「羽鳥慎一のモーニングショー」
(2019年11月14日)に、ダボス会議、世界経済フォーラム元メンバーでかつて内閣官房参与を務
めた田坂応志氏(現・多摩大学大学院名誉教授)は、教育行政の問題点を3つ挙げています。
第一点は、教育の負担は国家か家庭か、という問題です。
田坂氏は、国は教育にもっと大きな投資をすべき、だと主張します。OECD各国の授業料負担の比
較(2016年)でみると、ノルウェー、スエーデン、フィンランドなど北欧諸国は100%が公費
負担。アイスランド95%、以下順次下がって、日本は31%に留まっています。
すでに引用したように、日本の教育の対する投資(GDP比)は43カ国中40位という、まさに中
進国から途上国並みの低さとなっています。圧倒的に公費負担が少ないのです。
第二点は、競争か自己目標の達成かという問題です。日本は、競争させれば学力は上がる、と考えて
きたが、OECDの長期の調査では、生徒・学生全体の学力は競争によっては上がらない、というこ
とが実証されています。
競争は一部のエリートはいいが、他の人は負け組として意欲をなくす。むしろ、その人の能力や適性
に合わせた自己目標を達成することが、社会全体の水準をあげることになる。
第三点は、若年学習は生涯学習か、という問題。最初のキャリアー(就職)から5年後には陳腐化す
るので、新しい知識と技能が必要。そのためには、適切な時期に、公費で最教育を受ける必要がある。
それが生涯学習で、それを本気でやらないと日本の経済・産業は危ない。
2012年度の、大学入学者の内25才以上の割合(つまり生涯学習者の割合)をみると、アイスラ
ンドが1位で32.4%、ニュージーランド・オーストラリアが25%、アメリカ・オーストリアが
25.4%、OECD加盟国全体は18.1%なのに、日本は何と、1.9%にすぎません。ちなみ
に韓国は18%、日本の約10倍です。
もう、結論ははっきりしています。日本が豊かになり(必ずしも物質的だけではない)、一人ひとり
の国民が充実した生活を営むためには、とりあえず、最低限かつ最優先で以下の2点を改善する必要
があります。
1 資源の乏しい日本が豊かになるには、時間はかかるけれど、国家の教育投資を、せめて中進国並
に増やすこと。一方で、1兆円以上もの戦闘爆撃機と8000億円以上もかかる言われるイージスア
ショアを、アメリカのご機嫌をとるために爆買いすることを止め、教育に振り向けること。文科大臣
が、教育を受ける機会は「身の丈に合った」などと言っているのは論外で、このレベルの人物が文科
大臣を務めることは国民として非常に不幸です。
2 企業の内部留保金は、日本の国家予算(一般会計)の5年分に相当する500兆円を超えていま
す。これは逆に労働者の賃金が低く抑えられていることを意味します。加えて消費税ははじめ国民の
負担は上昇しています。こうして、個人はますますじり貧になり、国内消費は伸びてゆきません。つ
まり企業は自分で自分の首をしめているのです。政府はこのような内部留保を優遇する施策を変え、
労働者への分配率を高めるよう法改正すべきです。国と企業は太り、個人はやせ細っています。
菅原文太さんは「政治の役割は2つ。国民を飢えさせないこと、絶対に戦争をしないこと」という素
晴らしメッセージを残してくれました。政治を預かる人たちの心に深く刻んでほしいと思います。
私はこれに、「政治の役割は国民の生命・財産をまもること」を付け加えたいと思います。
最近の台風や大雨で深刻な被害を受けた地域、たとえば台風19号による堤防の決壊のうち、少なく
とも5県の九河川10カ所は、水害のリスクが高いとして強化対策工事の対象になっていたが、予算
不足で実行されてこなかった事例です。政府は地方への投資を怠ってきたのです。
このため多くの人命、家屋・田畑などが失われています。本当に「国を守る」とは、戦闘機を増やす
ことではなく、何を置いても国民の生命と財産を守ることではないでしょうか。
日本経済の本当の実力に関して、前回と前々回の記事で、世界で挑戦を続けているソフトバンク社長
の孫正義氏とユニクロ社長の柳井正氏の見解を紹介し、検証しました。
孫氏も柳井氏も共に、日本はもはや「先進国ではない」「中進国」から、本当の先端技術(特に人工
知能や通信)においては途上国に落ちてしまっている、と語っています。
孫氏の発言も柳井氏の発言も、経営者としての「実感」ですが、それでは、一般の日本人はどのよう
に感じているのでしょうか?
もし、日本人100人に、「日本は先進国だと思いますか?」と聞けば、おそらく100人、あるい
はそれに近い人は、「先進国だと思う」、と答えるでしょう。
それでは、「日本はこれからも先進国であり続けると思いますか?」と聞くと、かなりの人は、一瞬、
答えに詰まってしまうのではないでしょうか。
ここで、一般的な意味での「先進国」とは、経済的に発展した国で、高度の工業化を達成し、高い技
術力と生活水準を維持している国、を指します。
さらに、その中でも経済が突出して発展している国としては、いるいわゆる「先進七ヵ国=G7」を
指し、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、イタリア、ドイツ(2000年の東西ドイツの統一後)、
そして日本が含まれます。
注意しなければならないのは、G7と称されるようになったのは1976年のことで、当時日本は経
済成長の真っただ中にあった、ということです。
もっとも、「先進国」であるかどうかは、何をもって判断するかによって異なるでしょう。
国の人口規模などがそれほど大きくなく、経済の規模ではあまり大きくはないが、高度な技術をもち、
豊かな生活水準を維持している、たとえば、オランダ、ベルギーのような国はたくさんあります。
これまで日本が間違いなく「先進国」であることに、多くの日本人は何の疑問を感じませんでしたが、
私の印象では、ここ10年くらいの間に、少しずつ認識が変わってきたように思います。
私は、1991年のバブル崩壊、2008年のリーマンショックという段階を経て、2010年に、
日本がGDP(国民粗総生産)で、世界第二位から、中国に抜かれて第三位に転落したころには、日
本経済の凋落がはっきりしました。いわゆる「失われた20年」です。
ますます勢いに乗る中国に対する脅威と、電気・通信の分野で日本と対抗する実力をつけてきた韓国
への警戒心が、「嫌中・嫌韓」という感情となって密かにまん延し、実際、出版物でもそのような本
がたくさん世の中に登場しました、
その一方、その不安や挫折感や敗北感を振り払おうとするかのように、テレビなどではさかんに「ニ
ッポン すごい!」的な番組が増えています。これら二つの現象は、コインの裏表です。
それでは、実際のところどうなのでしょうか?もう少し客観的な数字や分析から見てみましょう。
経済評論家の加谷珪一氏は「テレビ朝日」の「「羽鳥慎一のモーニングショー」(2019年10月31
日)の中で次のように述べています。
確かに日本は戦後、非常に頑張って豊かになりかかったんですけれども、すでに他国との比
較という観点からすると、かなり貧しい国になりつつあるという状況でして、今現在日本が
世界に冠たる先進国かと言ってしまうと無理があるんじゃないかというのが私の考えです。
その根拠は、いろんな面での数字が先進国ではないという数字に落ち込んでいるからだという。
たとえば、豊かさを表わす重要な指標である労働生産性(労働者一人が生み出す労働の成果)はG7
で最下位。日本は昔から最下位のままで、一度もトップに立ったことはありません。
しかも、G7の中で最下位であるだけでなく、1970年ころからずっとOECD36カ国中20位
くらいだったのです。
ただ、私たちの頭の中には、日本はGDP世界第三位、という考えが定着していますが、これにはち
ょっと注意が必要です。
GDPとは、1年間に生産された財とサービスの付加価値の合計で、国全体の経済規模を表わします
が、これと国民一人当たりが豊かさとは分けて考える必要があります。
国民の豊かさは、一人当たりGDPで、これはOECD加盟国の中で、2000年には2位に上りま
した。しかしこれは為替レートの計算方法によるもので、プラザ合意(1985年)で人為的に3倍
くらいの円高にさせられたため、ドル換算で一気に2位に上がっただけです。
本当の実力は購買力平価という、実質的に所得でどれほどの物やサービスが買えるか、と言う面から
見ると、OECD中18位にとどまっています。
日本は戦後ゼロから始まり、頑張って成長を遂げましたが80年代のバブル期がピークで、それ以後
はずっと落ち込んできているのが実態です。
日本は物作り立国で、製品を輸出して豊かになってきた、という認識がありますが、加谷氏は、これ
もやはり過大評価だという。
現時点で世界全部の輸出に対する日本のシェアは3.8パーセントしかないのです。これにたいして
1位の中国は10%以上、2位アメリカも10%を超え、3位のドイツで8%です。ドイツは日本よ
り人口は少ないのに輸出は2倍以上あります。
また、雇用や貿易などの主要経済指標を基に計算した世界競争力ランキングでみると、「先進国」と
いうからには、一ケタ内に入っていなければならなりません。
日本は1989~92年までは世界第一でしたが、その後下落を続け、今年は調査対象63の国と地
域の中で、昨年の25位から30位と下落してしまっています。
加谷氏は、日本は1980年代に先進国になりかかったのに、成熟した経済に成長できず、現在は昔
(1950~60年ころ)の貧しい国に逆戻りしているというのが正しい認識だ、と言います。
最近の賃金水準をみると、上位35カ国中19位、教育に対す公的支出のGDP比率、これは43カ
国中40位という悲惨な状況にあり、年金の所得代替率(現役時の所得のどれほどが支払われるか)
は50カ国中41です。
加谷氏は、資源のない日本が先進国になるためには、長期的視野に立って、教育に力を入れるしかな
いんじゃないか、と提言しています。
しかし、教育の重要性にもかかわらず、日本は教育への投資があまりにも貧弱な状況にあります。
加谷氏は、人口1人当たりの論文数は、世界で38位(2016年)です。これは、国全体が貧しく
なってきているので、教育投資をケチっているからだ、と言ったうえで、しかし、教育の部分は削っ
てはいけない、最優先課題として教育にお金を投資すべきだと強調します。
います。
日本における教育政策の問題については、同じく「テレビ朝日」の「羽鳥慎一のモーニングショー」
(2019年11月14日)に、ダボス会議、世界経済フォーラム元メンバーでかつて内閣官房参与を務
めた田坂応志氏(現・多摩大学大学院名誉教授)は、教育行政の問題点を3つ挙げています。
第一点は、教育の負担は国家か家庭か、という問題です。
田坂氏は、国は教育にもっと大きな投資をすべき、だと主張します。OECD各国の授業料負担の比
較(2016年)でみると、ノルウェー、スエーデン、フィンランドなど北欧諸国は100%が公費
負担。アイスランド95%、以下順次下がって、日本は31%に留まっています。
すでに引用したように、日本の教育の対する投資(GDP比)は43カ国中40位という、まさに中
進国から途上国並みの低さとなっています。圧倒的に公費負担が少ないのです。
第二点は、競争か自己目標の達成かという問題です。日本は、競争させれば学力は上がる、と考えて
きたが、OECDの長期の調査では、生徒・学生全体の学力は競争によっては上がらない、というこ
とが実証されています。
競争は一部のエリートはいいが、他の人は負け組として意欲をなくす。むしろ、その人の能力や適性
に合わせた自己目標を達成することが、社会全体の水準をあげることになる。
第三点は、若年学習は生涯学習か、という問題。最初のキャリアー(就職)から5年後には陳腐化す
るので、新しい知識と技能が必要。そのためには、適切な時期に、公費で最教育を受ける必要がある。
それが生涯学習で、それを本気でやらないと日本の経済・産業は危ない。
2012年度の、大学入学者の内25才以上の割合(つまり生涯学習者の割合)をみると、アイスラ
ンドが1位で32.4%、ニュージーランド・オーストラリアが25%、アメリカ・オーストリアが
25.4%、OECD加盟国全体は18.1%なのに、日本は何と、1.9%にすぎません。ちなみ
に韓国は18%、日本の約10倍です。
もう、結論ははっきりしています。日本が豊かになり(必ずしも物質的だけではない)、一人ひとり
の国民が充実した生活を営むためには、とりあえず、最低限かつ最優先で以下の2点を改善する必要
があります。
1 資源の乏しい日本が豊かになるには、時間はかかるけれど、国家の教育投資を、せめて中進国並
に増やすこと。一方で、1兆円以上もの戦闘爆撃機と8000億円以上もかかる言われるイージスア
ショアを、アメリカのご機嫌をとるために爆買いすることを止め、教育に振り向けること。文科大臣
が、教育を受ける機会は「身の丈に合った」などと言っているのは論外で、このレベルの人物が文科
大臣を務めることは国民として非常に不幸です。
2 企業の内部留保金は、日本の国家予算(一般会計)の5年分に相当する500兆円を超えていま
す。これは逆に労働者の賃金が低く抑えられていることを意味します。加えて消費税ははじめ国民の
負担は上昇しています。こうして、個人はますますじり貧になり、国内消費は伸びてゆきません。つ
まり企業は自分で自分の首をしめているのです。政府はこのような内部留保を優遇する施策を変え、
労働者への分配率を高めるよう法改正すべきです。国と企業は太り、個人はやせ細っています。
菅原文太さんは「政治の役割は2つ。国民を飢えさせないこと、絶対に戦争をしないこと」という素
晴らしメッセージを残してくれました。政治を預かる人たちの心に深く刻んでほしいと思います。
私はこれに、「政治の役割は国民の生命・財産をまもること」を付け加えたいと思います。
最近の台風や大雨で深刻な被害を受けた地域、たとえば台風19号による堤防の決壊のうち、少なく
とも5県の九河川10カ所は、水害のリスクが高いとして強化対策工事の対象になっていたが、予算
不足で実行されてこなかった事例です。政府は地方への投資を怠ってきたのです。
このため多くの人命、家屋・田畑などが失われています。本当に「国を守る」とは、戦闘機を増やす
ことではなく、何を置いても国民の生命と財産を守ることではないでしょうか。