大木昌の雑記帳

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日本学術会議問題にみる菅首相の本性(3)―全能感と「民主主義の壊し方」―

2020-10-27 20:18:22 | 政治
日本学術会議問題にみる菅首相の本性(3)
―全能感と「民主主義の壊し方」―

前2回に引き続き、今回も日本学術会議が推薦した105人のうち菅首相が6人の任
命を拒否した問題について検討します。

拒否に対する批判は、すでに多くのメディアで報じられていますし、私自身の見解も
示してきましたので繰り返しませんが、次の3点だけは指摘しておきます。

一つは、政府側には会議の会員資格についてそれぞれの学問領域に関する専門知識が
ないので、その知識と業績を根拠に推薦された人物の適否を判断することはできない、
という原理的・根本的な事情があります。だから、これまでは、会議が推薦してきた
科学者・学者をそのまま受け容れてきたのです。

もし、政府が学術的な条件以外で推薦された人物の任命を拒否するなら、その理由を
示す必要があります。前回引用したように、拒否の理由は誰が見てもこれまでの政権
批判しかないので、菅首相は「除外理由 言えるわけない」ということになるのです。

二つは、任命を拒否された一人、早大法学院学術院の岡田正則教授が指摘しているよ
うに、「学術会議」は学者の独立した機関なのに、(菅首相は)官僚組織の延長のよ
うに捉えているのかもしれない」という点です(『東京新聞』2020年10月2日)。

どうやら菅首相は、すべての権力を掌握して、自分に逆らう者は排除して、何でもで
きるという危険な全能感をもっているようです。

三つは、同じく拒否された一人、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)は、杉田和
博官房副長官があらかじめ名簿から6人を外し、菅首相に説明して6人の除外が決ま
ったことに関して、国民からの負託がない(つまり選挙で選ばれたわけではない 筆
者注)官僚による科学への統制と支配は国民の幸福を増進する道ではない。私は、学
問の自律的な成長と発展こそが、日本の文化と科学の発展をもたらすと信じている。

というメッセージを発表しています(『東京新聞』2020年10月24日)。実際、学
術というのは自由が保障されてはじめて発展するもので、政府が支配したり統制した
りすれば窒息してしまいます。菅首相は、この点がまるっきり分かっていません。

政府は、一方で政府に批判的な学者の排除を行い、他方で、政府の意に沿った研究者
には特別研究助成と行っています。

権力を持った者が科学者を軍事研究に協力させた戦前の日本やヒトラー支配下のドイ
ツをみれば分かるように、両国も膨大な数の犠牲者を出したうえ、最後は惨めな敗北
に終わっています。

また、敗者にはならなかったものの、アメリカにおいて政府の要請に応じて協力した
科学者たちが開発した原爆により日本人は多大な犠牲者を被りました。

日本学術会議の設立趣旨にもあるように、軍事研究、戦争につながる研究は行わない
というのが、学術会議のそして科学者の基本的立場なのです。

しかし、防衛省は2015年より「安全保障技術研究推進制度」を設け、軍事関連の研究
に研究予算をつけ始めました。当初は3億円だった助成金が、2017年には110億円、
その後は101億円で推移しています。

つまり、政府は軍事研究に協力する大学・研究者には多くの助成金を出すというので
す。これは、お金で研究者の選別をし、政府が望む軍事研究をさせようとする恐ろし
い企みです。

任命拒否問題も含めて、安倍政権時代から菅内閣に至る間に、表現の自由に対する規
制や、民主的とは言えない政権運営が行われてきました。

学術会議問題にみられるように、安倍政権下(一次、二次合わせて)の8年半、菅氏
はその大部分の期間に官房長官、つまり黒子として、影の実行部隊長として実質的に
政権を取り仕切ってきました。つまり、安倍政権とは、安倍・菅政権だったのです。

この期間を専修大学教授の山田健太氏は、「巧妙に異論封じた8年半」と表現し、表
現の自由を規制する方策として具体的に4点あげています(『東京新聞』2020年9月
15日)。

一つは、相次ぐ表現規制立法で、特に取材を制約する特定秘密保護法、安保関連法、
「盗聴法」改正、「共謀罪」法、憲法改正手続き法、さらに新型インフルエンザ特措
法、教育基本法なども表現を規制する仕組みを内包している法的措置です。

二つは、忖度社会の完成です。博物館・美術館における展示の中止や差し替え、市民
集会の中止や自治体の講演取り消しが頻発しましたが、これは政府その他の組織から
の圧力を忖度した結果です。また、政権発足当初から一貫して、安倍・菅コンビが放
送局に対してかけ続けてきた圧力は現場にまで浸透し、「政治的公平」という言葉に
よる呪縛にかかってしまっています。

三つは、情報公開の空洞化であり、知る権利の大幅な後退です。森友・加計問題や桜
を見る会、スーダンPKOの日報隠蔽に関する公文書の隠蔽、改竄、破棄は底なし沼の
状況にあります。法やガイドラインを意図的に曲解し、必要な記録を残さないことが
常態化しています。しかも、重要会議ほど正確な記録を残さないという悪習が完成さ
れてしまいました。

四つは、(私はこれがかなり深刻だと思いますが)メディアコントロールの徹底です。
政府によるさまざまな問題を、本来はチェックすべきジャーナリズ活動も、安倍・菅
内閣による巧妙な異論封じ、メディアの峻別の結果大きく後退してしまったことです。
言論の自由が弱いところから浸食され、今や、メディアの最も重要な使命である権力
監視のための批判の自由を奪いかねない段階まできてしまいました。

以上は安倍・菅政権が過去8年半にわたって異論を封じ込め、表現の自由を奪ってき
た過程とその要点です。こうした地ならしを経たうえで、今回、日本学術会議の会員
の任命問題が発生したのです。

これにたいして、『東京新聞』の論説副主幹の豊田洋一氏は、「菅政権と学術会議 
民主主義の『壊し方』」という署名記事を書いています。これは、『東京新聞』の、
この問題に対するスタンスであると考えてさしつかえないでしょう。

豊田氏は、今回の任命拒否に関連する政府側の説明を聞いて『「民主主義の破壊者」
は「民主主義の顔」をしてやってくる』という思いが頭をよぎったという。

どいうことなのでしょうか?豊田氏に倣って、この問題を原点に立ち返ってもう一
度検証してみましょう。

日本学術会議法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」
と定めており、政府はこれまで国会答弁で、会員任命が「形式的」であると繰り返
し説明してきました。

つまり、首相に裁量の余地があることを認めないのが立法の趣旨であり、国会審議
を通じて確立した法解釈 なのです。
しかし菅首相は、「推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲していい
のか考えてきた」と強弁しましたが、形式的任命は前例ではなく、法律の規定なの
です。

豊田氏は「自らが法を犯している自覚があまりにも乏しい」と断じています。

首相の論拠は、憲法第15条の「公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民
固有の権利である」との規定を持ち出して任命拒否を正当化しようとしました。

この考え方は、内閣府に置かれた学術会議事務局が2018年にまとめた内部文書
に基づく、という。

しかし、この内部文書が過去に国会(立法府)で説明され、審議された形跡はあり
ません。ということは、国会の審議を経ないで、政府の内部文書だけで立法趣旨や
法解釈を変更できないのは当然で、首相の任命拒否は法的根拠を欠いています。

これは、「あと出しジャンケン」のようなものです。もし、これが正当だというの
なら、法律の解釈をこっそり変えておきなながら国民にも知らせず国会での審議も
せず、いきなり、「実は2年前に内閣府で、解釈が変わっているから、お前を法律
違反で逮捕する」ということと同じです。

これら全てが、まさに民主主義のもっとも基本的な土台を壊していることになります。
しかも、その徹底ぶりは、安倍政権よりもさらに強くなっている印象を受けます。

三権分立制度の下で、国権の最高機関は、国民によって選ばれた国会議員によって構
成される国会(立法府)です。しかし、菅首相は、国会の審議よりは行政府の、説明
も審議もされない、陰でこっそり行われた法律解釈の変更が優先する、と開き直って
いるのです。

これは、豊田氏の表現をかりると、「表面的には憲法や法律に従う姿勢をみせる一方
で、唯一の立法府である国家の決定を事実上、無効化する狡猾な政治手法だ」という
ことになります。

豊田氏が最後に述べている部分がとても重要です。
    歴史を振り返れば、民主主義の破壊者は民主主義をいきなり破壊せず、形式
    的には民主主義の手続きを経て目的を達成しようとする。
    民主的とされたワイマール憲法を全権委任法によって骨抜きにしたナチスの
    ドイツしかり、帝国議会を翼賛議員によって埋め尽くそうとした日本の軍国
    主義しかりである。

私は、この8年半に日本の政治が限りなく劣化し、国民が置き去りにされ、民主主義
非常に壊されていると感じています。

この背景の一つは、2014に内閣官房に「内閣人事局」が新設され、人事を内閣官房
(官邸)が省庁の審議官・部長級以上の幹部600人の幹部人事を一元管理するよう
になったことです。

これにより官僚は官邸に対する忖度を強め、森友・加計、桜を見る会の問題で文書の
隠蔽や改竄まで手を付けるようになったのです。

つまり官邸は、官僚組織を思い通りに動かせるようになったのです。他方、国会にお
いては政権与党が絶対多数を占めているので、こちらも数の論理で押し通すことがで
きます。菅首相には、もう、怖いものはない、というでも菅首相は全能感があるよう
に見えます。

こうした中で政治家、官僚、特定の企業一部の人物や組織が既得権益を得る構造が出
来上がってしまったのです。

今回の事態を海外ではどのようにみているのでしょうか?一つだけ紹介しておきます。
英科学誌『ネイチャー』(電子版)は6日付の「ネイチャー誌が政治を今まで以上に扱
う必要がある理由」と題した社説で言及しています。少し長くなりますが、貴重な指
摘なので、要点を引用しておきます。

まず、トランプ米大統領による科学軽視などに触れたうえで、「脅威に直面する学術的
自律」との小見出しが付いた一節の中で、学問の自由を保護するという原則を「政治家
が押し返そうとしているとの兆候がある」と強い懸念を示しています。この原則は「近
代の科学の核を成すもので、数世紀にわたり存在してきた」ものだと強調しています。

そして、その維持には「研究者と政治家がお互いを尊重する信頼」が必要だが、この信
頼が世界各地で「相当な圧力にさらされている」と続け、具体的な最新事例として紹介
したのが菅首相による任命拒否なのです。

対象となった6人については「政府の学術政策に批判的だった」などと説明。日本学術
会議の独立性や、任命拒否が現行制度になった2004年以降初めであることにも触れ、
今回の措置の異例さを示唆しています(注1)。

これが、少なくとも世界の先進国における常識です。イギリスの科学誌がわざわざ日本
の菅首相の任命拒否問題を取り上げたのは、やはり日本の独裁化に対する警告と警戒が
あったものと思われます。

学術会議は政府と異なる意見を提出するかもしれませんが、異なる意見が存在すること
が、民主主義にとって死活的に重要なことで、もし、今の日本に政府と異なる意見を、
科学的・倫理的根拠をもって言える組織がなければ、日本は独裁国家になってしまいま
す。学術会議を事実上、無力化しようとする菅政権は、民主主義を壊そうとしていると
しか思えません。


(注1)https://mainichi.jp/articles/20201008/k00/00m/040/141000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201009



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学術会議問題に見る菅首相の本性(2)―「除外理由 言えるわけない」―

2020-10-20 12:17:08 | 政治
学術会議問題に見る菅首相の本性(2)
―「除外理由 言えるわけない」―

10月16日、日本学術会議の梶田隆章会長と菅首相とが会談しました。この会談は梶田
会長の方から申し入れたということです。

多くの人は、学会の意志として、新会員6人の任命拒否に反対し、改めて任命するよう決
議書を採択していたので、会長はさぞ、そうした学会の意志を代弁して、菅首相に、任命
拒否の理由を糺し、その上で6人を任命するよう要請するものと考えていたのではないで
しょうか。

しかし、会談はわずか15分ほど、拒否問題に触れることさえなかったという。

会談後梶田氏は記者に、「(6人の拒否理由を)聞かなかったのか、という質問には会長
就任のあいさつをし、六人が任命されていないことについて、学術会議総会の決議書を渡
した。その後、学術会議の今後のあり方について意見交換をした。(決議書)は渡したが、
それよりも未来志向で、学術会議が学術に基づいて社会や国にどう貢献していくかについ
て話した。

さらに梶田会長は「今日は回答を求めるという趣旨ではなかった」、6人を改めて任命す
ることに関して「踏み込んだお願いをしていない」と述べています。

梶田会長の言動からは、学術会議の総会で採択された決議書の重み、そして、拒否された
6人の名誉と精神的な苦痛にたいする配慮がまったく感じられません。

もし会長就任のあいさつという位置付けだとしていたら、「決議書」を持ってゆく必要は
ないでしょう。

未来志向も必要ではありますが、今、現在発生している問題に目をつぶって、未来の学術
の発展などあり得ません。これで本当に学術会議を代表しているといえるのでしょうか?

梶田会長は会談の前日、15日の夜、会員にメールを送っていますが、そこには任命拒否
問題に「責任をもって対応する」と言及し、同時に「会議の役割や活動について社会に伝
えていくことが必要だ」とつづられていました(『東京新聞』2020年10月17日)。

しかし、現段階では、菅首相にご機嫌伺いに出向いた「御用聞き」のような印象しか持て
ないのが悲しいです。

梶田氏は現在東京大学宇宙線研究所の所長で、ニュートリノの研究で2015年にノーベル物
理学賞を受賞しており、一人の科学者としては、立派な業績を残しています。

しかし今回は、学術会議という組織の長でもあるわけですから、引き受けた以上は総会の
決議をもっと尊重すべきだし、日本学術会議の会長の背後には87万人の科学者、そして
日本人全ての存在があることを忘れて欲しくないです。

私としては、次回以降、この任命拒否問題に「責任をもって対応」してくれることを期待
しています。

今回の会談で菅首相は、学術会議なんてたいしたことない、と自信を持ったことでしょう。
“会議組織のあり方を検討する”、と脅しの姿勢を見せれば、対立を避けて融和姿勢でやっ
てくる、との心証をもったのではないでしょうか?

では、誰がいつ、どのように6人の任命拒否を決めたのでしょう?いうまでもなく、拒否
を決定したのは菅首相です。ただし、105人のなかから6人を排除することを“助言”し
たのは、杉田和博官房副長官であることは、ほぼ間違いなさそうです。

杉田官房副長官は、警察官僚出身。2012年の第二次安倍内閣発足とともに官房副長官に就
任した。2017年からは中央省庁の人事を一元的に管理する内閣人事局の局長も兼務してい
ます。

しかし、これは菅首相が6人の排除に無関係ということではありません。菅首相は、決定
するまで名簿を見ていないと言っていますが、もしそうだとしたら、それ自体が問題です。

しかし、加藤官房長官は、99人の名簿に、105人の名簿を参考資料として付けた、と
公式に言っています。おそらく、菅首相が見ていない、とうっかり口が滑ってしまったこ
とのつじつまを合わせるために、慌てて、参考資料のことを話したのでしょう。

しかし、もしそうなら、菅首相は、添付されていた“参考資料”を敢えて見ないで、99人
の名簿だけをみたのでしょうか?あまりにも不自然です。

どこかに、不自然や都合が悪いことがあり、それを隠そうとすると、次々とつじつまの合
わないことが出てきて、さらに不自然な説明が付け加えられます。

いずれにしても、この推薦名簿は首相宛てに出された「公文書」なのですから、もし、誰
かがその「公文書」を勝手に書き換えたとしたら、それは「公文書」の改ざんになります。

杉田氏は菅首相に、なぜ6人を削除したことを説明したということですが、その時、杉田
氏はどんな言葉で説明したのでしょうか。いずれにしても、国民から選ばれたのではない
官僚が、政治に大きな影響を与えているとしたら深刻な問題です。

菅首相は、拒否の理由については今もって明らかにしていませんが、「6人除外の個別の
理由は言えるわけがない」と周囲に漏らしています(『朝日新聞』202010月17日)。

もし、本当の理由(実は自民党や国民の誰もが知っていることなのですが)を口にしたら、
その時点で菅首相の命運は尽きてしまいます。だから、口が裂けても「政府の方針に反対
したから」などとは言えません。

10月5日のインタビューで、記者に6人が(安全保障関連法等)政府提出法案に反対だ
ったこととの関連を問われ、「学問の自由とは全く関係ない」と、官房長官時代の常套句
的な言葉に続いて「六人についていろんなことがあったが、そういうことは一切関係ない。
総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断した。これに尽きる」、と答えています。

ルポライターの鎌田慧氏は、“語るに落ちる”、と一刀両断。「六人についていろんなこと
があった」と知っていたのです(『東京新聞』2020年10月13日。「本音のコラム」)。

なお、「総合的・俯瞰的」という言葉をここで持ち出したのは、官僚の入れ知恵なのかも
しれませんが、その後、ほとんどの政治家が質問されると、「壊れたテーブレコーダ」の
ようにこの言葉を口にします。

しかし、菅首相は自分では気が付いていないのかも知れませんが、この言葉がブーメラン
となって自分に向かってきます。ある意味で、これはヤブヘビとも言えます。

1997年から2003年まで会長を務めた吉川弘之・東京大学名誉教授は、菅首相のこの言葉
に、実に見事に反論しています。長くなりますが、重要なことなので引用します。

    自分の学説にしがみついたり、所属学問分野の利益をかたくなに主張する人では、
    俯瞰的な視点を持っているとは言えない。それは、その人の論文を読めば判断で
    きる。学術会議が本当に苦労して「いま日本にいる研究者で、このメンバーなら
    俯瞰的な視点を出せる最良の人なんだ」と会員に選んだのが105人。一部の人
    だけが任命されずに削られてしまうと、科学者が出した「俯瞰的視点」が変わっ
    てしまう。政府は行革の時、存続の条件に俯瞰的を挙げたのに、俯瞰的でなくし
    ている。

実に明瞭で見事な菅首相への批判です。つまり、菅首相は、「総合的・俯瞰的」観点から
人事を決めた、といっているのですが、学術会議はまさに、「総合的・俯瞰的」観点から、
苦労して1年もかけて人選をしているのです。

したがって、6人を除外したことによって、総合的・俯瞰的な構成を菅首相が壊している
ことになります。菅首相はこの矛盾にしっかりと答えられるのでしょうか。

菅首相は5日のインタビューで、6人の任命拒否を正当化する論拠して、「現在の会員が
自分の後任を指名することも可能。推薦された方をそのままに任命してきた前例を踏襲し
てよいのか考えてきた」と話しました。

しかし、日本学術会議の事務局によれば、現会員が自身の後任を指名することはできない。
というのも、選考では、現会員らの推薦を基に先行委員会で議論。幹事会や総会の承認を
経て、会長が首相に推薦した上で任命される、というプロセスを経るからです(『東京新
聞』2020年10月10日)。

したがって、菅首相の正当化は正当性を持たない、ということになります。

また、菅首相は、会議の性格と政府との関係について、「会議は政府の機関で年間約10
億円を使って活動し、任命される会員は公務の立場になる」と発言し、その管理や運営に
関しては他の公務員と同様、政府が権利をもつ、という立場をとっています。

しかし、学術会議は、他の諮問会議やさまざまな政府機関とは全く異なる独立機関です。
しかも、10億円といいますが、うち、5.5億円は職員人権費や事務経費です。

総会や分科会に出席すると支給される手当は、会長で日額2万8800円、会員は1万
9800円で、交通・宿泊費は実費清算となります。したがって、自腹出張もしばしば
だという(『東京新聞』2020年10月10日)。

いずれにしても、公務員とはいえ月の給与がでるわけではなく、とても「甘い汁を吸え
る」状況にはありません。

菅首相は6人の任命拒否について誰もが納得できる説明をしていません。科学者やメデ
ィアの批判があっても、高支持率を背景に、異論を排除し、「押し切るつもり」のよう
です(『東京新聞』2020年10月9日)。

しかし、官邸内には、「学術会議の問題は「ボディーブローのように効いていくる」
(幹部)との不安が広がっているようです(『朝日新聞』2020年10月17日)。

その不安はすでに、支持率の低下となって現実のものとなりつつあります。時事通信が
9日~12日に実施した菅内閣発足後初めての10月の世論調査によると、内閣支持率
は51.2%でした。発足時には、高い調査結果では74%もあったのに、一挙にご祝儀相
場がなくなって、本体が現れた感じです(『東京新聞』2020年10月17日)


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日本学術会議問題に見る菅首相の本性(1)―「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」―

2020-10-11 06:34:13 | 政治
日本学術会議問題に見る菅首相の本性(1)
―「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」―

日本学術会議(以下、「会議」と略す)が推薦した105人の新規会員のうち、6人が菅首相
によって拒否されたことが、今月初めに明らかになりました。

これにたいして、当事者である「会議」はいうまでもなく、多くの識者から抗議の声が上がり
ました。抗議の理由は後で述べるとして、まず、日本学術会議とは、どのようにして生まれ、
どんな法的な根拠をもち、何を目的とするのか、という基本を押さえておく必要があります。

上記の点を理解すると、今回6人の任命を拒否した菅首相は、「会議」設立の趣旨と経緯を無
視し、科学や学問にたいする敬意も理解がいかに希薄であるかが明になります。

まず、設立の経緯ですが、日本学術会議は昭和24年(1949)に設立された日本の科学者
を代表する機関で、その趣旨は発足時の「決意表明」に述べられています(注1)。

くわしくは、「決意表明」をみていただくとして、その中でも特に重要な部分は、「これまで
わが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し」という個所で、この具体的内容はは
発足の翌年1950と1967の声明に、より明確に示されています。

1950年に「会議」が出した宣言には、次のように書かれています。

    われわれは、文化国家の建設者として、はたまた世界平和の使として、再び戦争の惨
    禍が到来せざるよう切望するとともに、さきの声明を実現し、科学者としての節操を
    守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわ
    れの固い決意を表明する。(注2)

すなわち、決意表明の「反省」とは、戦前、科学者が戦争へ協力してきたことへの反省を指し、
二度出された声明は今後、軍事目的の研究を行わないことを宣言したものです。

この姿勢は、「会議」の法的根拠となる現行の「日本学術会議法」にもはっきり表れています。

まず、「日本学術会議法」の条文の前に、「前文」(元の法律には「前文」の文字はありませ
んが)に相当する文章があり、そこで、「会議」の理念が述べられています。

「日本学術会議法」は、一種の個別法ではありますが、その理念から説き起こしている点が、
「家族法」や「道路交通法」のような他の個別法と異なり、むしろ憲法に近い構成になってい
ます。

何よりこの法律は、「会議」が独立した特別な組織であることを示しています。以下に、「前
文」に相当する部分を示しておきます。

    日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の
    下に、 わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の
    進歩に寄与する ことを使命とし、ここに設立される。

この部分からもうかがえるように、科学が文化国家の基礎であることの確信に立って、わが国
の平和的復興だけでなく、人類社会や世界の学会と提携の福祉に貢献する、という崇高な理念
がこの会議を支えているのです。次に、「会議」の設立及び目的につては

第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。 (平一一法一〇二・平一六法二九・一部
改正)

第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を 図
り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

そして、重要な第二章の「職務および権限」では

第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

と定めている。つまり、「会議」の最も重要な性格は、その「独立性」あるいは「自律性」であ
ることを、謳っています。この「独立して」という部分は、単に個人が己の心情にしたがって、
という意味に留まらず、「日本学術会議」として、政治権力や軍部や企業などの干渉を受けずに、
という強い主張が込められているのです。

この学術の独立性こそが、仮にも日本が文化国家を名乗るならば、尊重されるべき最も重要な点
なのです。

それでは「会議」の具体的な組織の構成その他をみてみましょう。

第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、こ れを
    組織する。
第二項 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

その第十七条は、「推薦」に関して、「 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研
究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内
閣総理大臣に推薦する ものとする」と規定しています。(平成一六法二九・全改)(注3)

なお、補足しておくと、「会議」は210人の「会員」の他に2000人ほどの「連携会員」が
おり、かれらは「会員」から選ばれて、会議の会長により任命されます。任期はいずれも6年で
3年毎に半数が入れ替わります

一般会員も連携会員(非常勤ではありますが)特別国家公務員という地位が与えられ、一般会員
と同様、日当と経費が支払われます。

以上を念頭において、改めて菅内閣が、6人の任命を拒否した問題を考えてみましょう。

まず、「会議」が、菅首相による任命拒否に対して強く反発していますが、それはなぜなのでし
ょうか。

学会側の反発の根拠は幾つかあります。第一は、1983年11月、中曽根首相(当時)が、国
会で、「政府が行うのは形式的任命」「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない」
といった政府答弁があり、政府は「会議」が推薦した新会員を拒否することはない、と明言し、
それは公文書として残っていることです。

第二は、もし、「会議」が推薦した人の任命を拒否するなら、その理由をはっきり説明すべきだ、
という点です。これまで、政府側は誰一人、理由を明らかにしていません。

第三は、安倍政権の時から、一般の研究助成予算は徐々に減っているのに、軍事研究へはますま
す多額の予算をつける政策をとっていることに対する「会議」としての危機感があります。

具体的には、2017年には、軍事応用できる基礎研究に費用を助成する防衛省の「安全保障技術研
究推進制度」の予算を大幅に増やしている、という実態があります。

この制度のもとで、2015年度の予算は3億円だったものが、16年度には六億円、そして17年
度には110億円と激増しました。

これにたいして「会議」は17年、50年ぶりに軍事研究に関する声明を発表し、その中で「政
府による介入が著しく、問題が多い」と批判しました。

つまり、政府に協力して軍事研究をすれば研究費をつけてやるという、お金を通じて研究に介入
することを全面的に推進してきています。

これは、「会議」の根底にある、「学問の自由と独立」、そして軍事研究を絶対に行わない、と
いう発足の理由となった理念と真正面からぶつかり、これらの点は絶対に譲れないでしょう。

以上の背景を考えると、6人の任命がなぜ拒否されたのかが、浮かび上がってきます。

任命を拒否された6人とは、①宇野重規教授(東京大学 政治思想史)、②芦名定道教授(京都
大学 キリスト教学)、③岡田正則教授(早稲田大学大学院 行政法)、④小沢隆一教授(東京
慈恵会医科大学 憲法学)、⑤加藤陽子教授(東京大学大学院 日本近現代史)、⑥松宮孝明教
授(立命館大学大学院 刑事法)です。

この6人は、上記の順に、①特定秘密法を批判、②安保関連法に反対する学者の会等の賛同者、
③安保関連法に反対、④国会で安保関連法案について反対、⑤憲法学者でつくる「立憲デモクラ
シー」の呼び掛け人で改憲や特定秘密保護法に反対、⑥国会で「共謀罪」を「戦後最悪の治安立
法」と批判した、という背景があります。

一言でいえば、政府が強硬に推進してきた、これらの法律は「戦争への準備」という性格をもっ
ています。

これら拒否された人物と彼らの過去の言動を対応させれば、外形的には誰が見ても、そして、菅
首相をはじめ他の政府幹部が、どんな「理屈」をつけようが、拒否の背景に政府の施策に反対し
た学者を排除する意図があったとしか思えません。

「理由の説明もなく、到底承服できない。学問の自由への侵害ではないか」、もしそうでないな
ら、はっきりとした根拠を示すべきだ、もし、示せないなら拒否した6人を任命すべきだ、とい
うのが「会議」側の主張です。

任命を拒否した菅首相は、5日行われた内閣記者会によるインタビューで、ほとんどは官僚が書
いたと思われる文章を棒読みするだけでした。

そして、拒否の理由については「総合的、俯瞰的な活動を求めることになった。総合的、俯瞰的
な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」「個別の人事に関するコメントは
控えたい」、とついに、本当の理由を一言も言っていません。

これ以後、政府側の答えには「総合的、俯瞰的」という言葉が、まるで「壊れたレコード」のよ
うに繰り返されました。

しかし、全体を通してみると、菅首相が、学問の自由とか独立、ということにほとんど関心がな
いことが分かります。

こうした首相の一連の言動をみて、静岡県の川勝平太知事は7日の定例会見で、「菅義偉という
人物の教養のレベルが露見した。『学問立国』である日本に泥を塗った行為。一刻も早く改めら
れたい」と強く反発しました。
 
川勝知事は早大の元教授(比較経済史)で、知事になる前は静岡文化芸術大の学長も務めた、い
わゆる「学者知事」です。川勝知事は6人が任命されなかったことを「極めておかしなこと」とし、
文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」と述べています
(注4)。

次回は、任命拒否の問題点を、さらにくわしく検討し、合わせて、この問題に対する内外の反応を
みてみます。

                (注)
(注1)設立の際の声明は http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/01/01-01-s.pdf を参照。
(注2 http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/gunjianzen/index.html
(注3)http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf
(注4)『朝日新聞』デジタル版(2020年10月7日18時24分)
    https://www.asahi.com/articles/ASNB761QMNB7UTPB00D.html?ref=mo r_mail_topix3_6


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コロナは収束に向かっているのか?―「Go To」 キャンペーンのリスクと効果―

2020-10-01 22:22:26 | 健康・医療
コロナは収束に向かっているのか?―「Go To」 キャンペーンのリスクと効果―

2019年12月に中国の武漢で確認された新型コロナウイルスの感染者は、その後猛烈な勢い
で世界に拡散してきました。

この間ウイルスがヨーロッパに広まると、「武漢株」は「ヨーロッパ株」に変異しています。

今年の1月にクルーズ船とともに日本に上陸したウイルスは「武漢株」で、これはその後、急速
に抑え込まれて、3月以降に爆発的に増加したのは、ヨーロッパからの帰国者や訪問者が持ち込
んだ「ヨーロッパ株」ウイルスです。

ここで、最新の状況を確認しておきましょう(いずれも2020年9月30人現在までの累積人数)。

全世界の感染者は3380万人、死者は101万人です。日本の感染者総数は8万4306人、
死亡者は1588人です(ただし、この他、ダイヤモンド・プリンス号関連の感染者712人、
死者13人)。

日本における新型コロナウイルスの感染者は、東京、大阪、愛知、福岡などの大都市とその周辺
に集中しています。

政府は、「感染を防ぎつつ経済を回す」との掛け声の下、コロナ禍で落ち込んだ経済を何とか持
ち上げようと、あの手この手で巨額の税金をつぎ込んでいます。

企業にたいする持続化給付金や休業補償などに加えて、いわゆる「Go To」キャンペーンなるも
のが大々的に宣伝され、人びとの外出と消費を煽り立てています。

現在、国が推進しているGo Toキャンペーンは、①トラベル、②イート(飲食)、③イベント、
④商店街の4種です(注1)。

実際には、これらに加えて、各自治体は商店街、あるいはホテルなどが独自に行っているさまざ
まなキャンペーンがあります。

これまで、日本の消費全体に大きな比重を占める東京がGo To キャンペーンの対象から除外され
ていましたが、10月1日から全面対象となり、東京発着の旅行、都内での飲食・宿泊も割引や
特典が受けられるようになります。

確かに、こうした「お得情報」を毎日、これでもか、というほどメディアで流されていると、こ
の際、今まで我慢してきたから、思い切って高級ホテルに泊まり、高級料理を食べてみたい、と
言う人はいるでしょう。

実際、9月末の街でのインタビューでも、若いカップルは、コロナも収まってきているみたいだ
し、と答えていました。

しかし、医療関係者で、現在、コロナの感染が収束に向かっていると判断している人は、おそら
くいないでしょう。

人が動けば、ウイルスも動く。人が会食をすれば、唾液の飛沫でウイルスも拡散します。

というのも、9月の4連休(19~22日)に(東京を除く)Go Toトラベルを前倒しにして、多
くの人がどっと、観光地に繰り出しましたが、その結果、感染がどうなったかは2週間後、つまり
10月7日ころから出ることになるので、医療関係者は慎重になっているからです。

しかも、東京都の新規感染者は、9月29日の新規感染者は221人、9月30日は194人、
そして東京都がGo To キャンペーンの対象なった10月1日は235人にも達しているのです。

これだけの数字をみても、東京都の感染は決して収束に向かっているとはとても言えません。

思い出して欲しいのですが、政府が7都府県に緊急事態宣言を出した4月7日でさえ、東京の新規
感染者数は87人だったのです。そして、第1波が収束傾向となり、東京都が休業要請を解除した
6月19日の新規感染者数はわずか35人だったのです。

1日の感染者が100人を超えた、というニュースが流れると、私自身もそうでしたが、本当に
恐怖を感じました。

当初は、夏になれば、通常のインフルエンザと同じで、新型コロナウイルスの感染も自然に下火
になると、と予想されていました。

しかし、実際には、4月5月よりも、酷暑の7月、8月の方が感染者ははるかに多いのです。

このような状況下で、政府が積極的にGo Toキャンペーンを推進することで、人びとに根拠のな
い安心感を与え、結果として感染を拡大してしまうのではないか、と取り越し苦労をしてしまい
ます。

実際、すでにみたように、みんなが安心して旅行に出かけ、飲食を楽しむほどコロナの感染が収
まっているとは思えません。

いずれにしても、私は、今回の Go To キャンペーンの経済効果は一過性の線香花火のようなもの
で、長期的には日本経済全体の回復にはあまり効果はないと思います。

一方で、「お得」に惹かれて旅行に出かけ、高級ホテルやレストランを楽しむ人もいますが、多
くの日本人は、いくらお得だからといって何回も旅に出たり豪華な食事をすることはないでしょ
う。

働く人の賃銀は上がらず、コロナ関連の失業・雇止めは6万人を突破しており、これからはさら
に飲食店や宿泊施設などで、閉店や廃業が増えてゆくことが考えられるからです。

加えて、世界と日本の全般的景気低迷で、製造業そのたの主要産業・企業は新規の投資を渋って
います。これでは、いかに Go To キャンペーンを推し進めても、日本経済の根幹は相当傷んでお
り、それを修復しさらに強化することにはならないでしょう。

もう一つ忘れてはいけないことは、Go To キャンペーンで「得した」分は、私たちの税金なのです。

具体的には、赤字国債を発行して、言い換えると借金して作り出したお金です。したがって、この
キャンペーンで使われたお金は、いずれ私たちが税金(増税)で埋め合わせることになりますし、
現在の世代で埋め合わせることができない分は、次世代に借金を付け回すことになるのです。

これはタコが自分の足を食べるような構図で、私たちは自分の肉を食べていることになるのです。

それでは、「感染を抑えつつ経済を回す」(政府が好んで使う言葉でいえば、ウイッズ・コロナ)、
の「感染を抑える」方はどうなっているのでしょうか?

私が見る限り、これといって積極的な方策は講じていませんし、少なくとも「経済を回す」ことほ
ど力を入れていないことははっきりしています。

政府が行っているのはただ、三蜜を避ける、手洗い、マスクをしましょう、という掛け声だけです。
これで感染が防げるのなら、話は簡単で苦労は要りません。

今まで抑えてきた欲望を一挙に開放してしまえば、その後で何が起こるのか、ヨーロッパの例をみ
れば明らかです。

私には、Go To キャンペ―がもたらす「経済が回る」メリットよりも、リスクおよび感染拡大のデ
メリットとの方が大きいように思えます。

最大で最良の経済対策は、ウイルスを抑え込みであることをしっかり認識し、政府は大都市を中心
に、徹底的なPCR検査を希望者全員に無料で行い、陽性者を隔離する施設を準備することが重要
です。その費用は大したことではありません。

感染のリスクが減れば、Go To キャンペーンなどなくても、人びとは旅に出るし、飲食も楽しむで
しょう。

私が、さらに恐れているのは、政府が経済の回復に向けて入国制限をさらに緩和し、10月1日から
全世界を対象に、3か月以上の中長期の在留資格を持つビジネス関係者、医療や教育の関係者それ
に留学生などの外国人に日本への新規入国を認めることです。

水際対策の一環として、政府は、159の国と地域からの入国を原則として拒否していますが、すでに、
ベトナムや台湾など比較的、感染状況が落ち着いている一部の国や地域との間で、ビジネス関係者
を対象に往来を再開させています。

ただ、政府内では入国制限の緩和が国内での感染拡大につながらないか懸念もあることから、今回の
措置による日本への入国者は、陰性証明、14日間の外部との接触を断った待機(もちろん、ホテル
代などは自己負担)などの措置を確約できる受け入れ企業や団体がいることを条件とし、入国者数も
限定的な範囲にとどめることにしています。

しかし、14日間の待機も、基本的には性善説に立った「お願い」で、どこまで外国人がこれを守る
のか疑問です。

政府は今後、各空港でのPCR検査などの体制拡充を図るなどして、徐々に日本への入国者数を増やし
ていくとともに、各国の感染状況を見極めながらそれぞれの政府と往来再開の協議を進め、日本から
入国できる国を増加させていきたい考えです

これについても、医療者の間では、時期尚早で、もっと慎重に少しずつ門を開くべきだ、という見解
が多数です。

これから、ウイルスの活動が活発になる季節に入ってゆきます。新型コロナウイルスが拡大するのは、
これからが本番です。それに備えて、政府も自治体も、私たち一人一人が、Go To に浮かれることな
く、ウイルス感染に注意しましょう。

(注1)さし当り、環境庁のホームページを参照されたい。
https://www.mlit.go.jp/common/001339606.pdf


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