日本学術会議問題にみる菅首相の本性(3)
―全能感と「民主主義の壊し方」―
前2回に引き続き、今回も日本学術会議が推薦した105人のうち菅首相が6人の任
命を拒否した問題について検討します。
拒否に対する批判は、すでに多くのメディアで報じられていますし、私自身の見解も
示してきましたので繰り返しませんが、次の3点だけは指摘しておきます。
一つは、政府側には会議の会員資格についてそれぞれの学問領域に関する専門知識が
ないので、その知識と業績を根拠に推薦された人物の適否を判断することはできない、
という原理的・根本的な事情があります。だから、これまでは、会議が推薦してきた
科学者・学者をそのまま受け容れてきたのです。
もし、政府が学術的な条件以外で推薦された人物の任命を拒否するなら、その理由を
示す必要があります。前回引用したように、拒否の理由は誰が見てもこれまでの政権
批判しかないので、菅首相は「除外理由 言えるわけない」ということになるのです。
二つは、任命を拒否された一人、早大法学院学術院の岡田正則教授が指摘しているよ
うに、「学術会議」は学者の独立した機関なのに、(菅首相は)官僚組織の延長のよ
うに捉えているのかもしれない」という点です(『東京新聞』2020年10月2日)。
どうやら菅首相は、すべての権力を掌握して、自分に逆らう者は排除して、何でもで
きるという危険な全能感をもっているようです。
三つは、同じく拒否された一人、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)は、杉田和
博官房副長官があらかじめ名簿から6人を外し、菅首相に説明して6人の除外が決ま
ったことに関して、国民からの負託がない(つまり選挙で選ばれたわけではない 筆
者注)官僚による科学への統制と支配は国民の幸福を増進する道ではない。私は、学
問の自律的な成長と発展こそが、日本の文化と科学の発展をもたらすと信じている。
というメッセージを発表しています(『東京新聞』2020年10月24日)。実際、学
術というのは自由が保障されてはじめて発展するもので、政府が支配したり統制した
りすれば窒息してしまいます。菅首相は、この点がまるっきり分かっていません。
政府は、一方で政府に批判的な学者の排除を行い、他方で、政府の意に沿った研究者
には特別研究助成と行っています。
権力を持った者が科学者を軍事研究に協力させた戦前の日本やヒトラー支配下のドイ
ツをみれば分かるように、両国も膨大な数の犠牲者を出したうえ、最後は惨めな敗北
に終わっています。
また、敗者にはならなかったものの、アメリカにおいて政府の要請に応じて協力した
科学者たちが開発した原爆により日本人は多大な犠牲者を被りました。
日本学術会議の設立趣旨にもあるように、軍事研究、戦争につながる研究は行わない
というのが、学術会議のそして科学者の基本的立場なのです。
しかし、防衛省は2015年より「安全保障技術研究推進制度」を設け、軍事関連の研究
に研究予算をつけ始めました。当初は3億円だった助成金が、2017年には110億円、
その後は101億円で推移しています。
つまり、政府は軍事研究に協力する大学・研究者には多くの助成金を出すというので
す。これは、お金で研究者の選別をし、政府が望む軍事研究をさせようとする恐ろし
い企みです。
任命拒否問題も含めて、安倍政権時代から菅内閣に至る間に、表現の自由に対する規
制や、民主的とは言えない政権運営が行われてきました。
学術会議問題にみられるように、安倍政権下(一次、二次合わせて)の8年半、菅氏
はその大部分の期間に官房長官、つまり黒子として、影の実行部隊長として実質的に
政権を取り仕切ってきました。つまり、安倍政権とは、安倍・菅政権だったのです。
この期間を専修大学教授の山田健太氏は、「巧妙に異論封じた8年半」と表現し、表
現の自由を規制する方策として具体的に4点あげています(『東京新聞』2020年9月
15日)。
一つは、相次ぐ表現規制立法で、特に取材を制約する特定秘密保護法、安保関連法、
「盗聴法」改正、「共謀罪」法、憲法改正手続き法、さらに新型インフルエンザ特措
法、教育基本法なども表現を規制する仕組みを内包している法的措置です。
二つは、忖度社会の完成です。博物館・美術館における展示の中止や差し替え、市民
集会の中止や自治体の講演取り消しが頻発しましたが、これは政府その他の組織から
の圧力を忖度した結果です。また、政権発足当初から一貫して、安倍・菅コンビが放
送局に対してかけ続けてきた圧力は現場にまで浸透し、「政治的公平」という言葉に
よる呪縛にかかってしまっています。
三つは、情報公開の空洞化であり、知る権利の大幅な後退です。森友・加計問題や桜
を見る会、スーダンPKOの日報隠蔽に関する公文書の隠蔽、改竄、破棄は底なし沼の
状況にあります。法やガイドラインを意図的に曲解し、必要な記録を残さないことが
常態化しています。しかも、重要会議ほど正確な記録を残さないという悪習が完成さ
れてしまいました。
四つは、(私はこれがかなり深刻だと思いますが)メディアコントロールの徹底です。
政府によるさまざまな問題を、本来はチェックすべきジャーナリズ活動も、安倍・菅
内閣による巧妙な異論封じ、メディアの峻別の結果大きく後退してしまったことです。
言論の自由が弱いところから浸食され、今や、メディアの最も重要な使命である権力
監視のための批判の自由を奪いかねない段階まできてしまいました。
以上は安倍・菅政権が過去8年半にわたって異論を封じ込め、表現の自由を奪ってき
た過程とその要点です。こうした地ならしを経たうえで、今回、日本学術会議の会員
の任命問題が発生したのです。
これにたいして、『東京新聞』の論説副主幹の豊田洋一氏は、「菅政権と学術会議
民主主義の『壊し方』」という署名記事を書いています。これは、『東京新聞』の、
この問題に対するスタンスであると考えてさしつかえないでしょう。
豊田氏は、今回の任命拒否に関連する政府側の説明を聞いて『「民主主義の破壊者」
は「民主主義の顔」をしてやってくる』という思いが頭をよぎったという。
どいうことなのでしょうか?豊田氏に倣って、この問題を原点に立ち返ってもう一
度検証してみましょう。
日本学術会議法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」
と定めており、政府はこれまで国会答弁で、会員任命が「形式的」であると繰り返
し説明してきました。
つまり、首相に裁量の余地があることを認めないのが立法の趣旨であり、国会審議
を通じて確立した法解釈 なのです。
しかし菅首相は、「推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲していい
のか考えてきた」と強弁しましたが、形式的任命は前例ではなく、法律の規定なの
です。
豊田氏は「自らが法を犯している自覚があまりにも乏しい」と断じています。
首相の論拠は、憲法第15条の「公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民
固有の権利である」との規定を持ち出して任命拒否を正当化しようとしました。
この考え方は、内閣府に置かれた学術会議事務局が2018年にまとめた内部文書
に基づく、という。
しかし、この内部文書が過去に国会(立法府)で説明され、審議された形跡はあり
ません。ということは、国会の審議を経ないで、政府の内部文書だけで立法趣旨や
法解釈を変更できないのは当然で、首相の任命拒否は法的根拠を欠いています。
これは、「あと出しジャンケン」のようなものです。もし、これが正当だというの
なら、法律の解釈をこっそり変えておきなながら国民にも知らせず国会での審議も
せず、いきなり、「実は2年前に内閣府で、解釈が変わっているから、お前を法律
違反で逮捕する」ということと同じです。
これら全てが、まさに民主主義のもっとも基本的な土台を壊していることになります。
しかも、その徹底ぶりは、安倍政権よりもさらに強くなっている印象を受けます。
三権分立制度の下で、国権の最高機関は、国民によって選ばれた国会議員によって構
成される国会(立法府)です。しかし、菅首相は、国会の審議よりは行政府の、説明
も審議もされない、陰でこっそり行われた法律解釈の変更が優先する、と開き直って
いるのです。
これは、豊田氏の表現をかりると、「表面的には憲法や法律に従う姿勢をみせる一方
で、唯一の立法府である国家の決定を事実上、無効化する狡猾な政治手法だ」という
ことになります。
豊田氏が最後に述べている部分がとても重要です。
歴史を振り返れば、民主主義の破壊者は民主主義をいきなり破壊せず、形式
的には民主主義の手続きを経て目的を達成しようとする。
民主的とされたワイマール憲法を全権委任法によって骨抜きにしたナチスの
ドイツしかり、帝国議会を翼賛議員によって埋め尽くそうとした日本の軍国
主義しかりである。
私は、この8年半に日本の政治が限りなく劣化し、国民が置き去りにされ、民主主義
非常に壊されていると感じています。
この背景の一つは、2014に内閣官房に「内閣人事局」が新設され、人事を内閣官房
(官邸)が省庁の審議官・部長級以上の幹部600人の幹部人事を一元管理するよう
になったことです。
これにより官僚は官邸に対する忖度を強め、森友・加計、桜を見る会の問題で文書の
隠蔽や改竄まで手を付けるようになったのです。
つまり官邸は、官僚組織を思い通りに動かせるようになったのです。他方、国会にお
いては政権与党が絶対多数を占めているので、こちらも数の論理で押し通すことがで
きます。菅首相には、もう、怖いものはない、というでも菅首相は全能感があるよう
に見えます。
こうした中で政治家、官僚、特定の企業一部の人物や組織が既得権益を得る構造が出
来上がってしまったのです。
今回の事態を海外ではどのようにみているのでしょうか?一つだけ紹介しておきます。
英科学誌『ネイチャー』(電子版)は6日付の「ネイチャー誌が政治を今まで以上に扱
う必要がある理由」と題した社説で言及しています。少し長くなりますが、貴重な指
摘なので、要点を引用しておきます。
まず、トランプ米大統領による科学軽視などに触れたうえで、「脅威に直面する学術的
自律」との小見出しが付いた一節の中で、学問の自由を保護するという原則を「政治家
が押し返そうとしているとの兆候がある」と強い懸念を示しています。この原則は「近
代の科学の核を成すもので、数世紀にわたり存在してきた」ものだと強調しています。
そして、その維持には「研究者と政治家がお互いを尊重する信頼」が必要だが、この信
頼が世界各地で「相当な圧力にさらされている」と続け、具体的な最新事例として紹介
したのが菅首相による任命拒否なのです。
対象となった6人については「政府の学術政策に批判的だった」などと説明。日本学術
会議の独立性や、任命拒否が現行制度になった2004年以降初めであることにも触れ、
今回の措置の異例さを示唆しています(注1)。
これが、少なくとも世界の先進国における常識です。イギリスの科学誌がわざわざ日本
の菅首相の任命拒否問題を取り上げたのは、やはり日本の独裁化に対する警告と警戒が
あったものと思われます。
学術会議は政府と異なる意見を提出するかもしれませんが、異なる意見が存在すること
が、民主主義にとって死活的に重要なことで、もし、今の日本に政府と異なる意見を、
科学的・倫理的根拠をもって言える組織がなければ、日本は独裁国家になってしまいま
す。学術会議を事実上、無力化しようとする菅政権は、民主主義を壊そうとしていると
しか思えません。
(注1)https://mainichi.jp/articles/20201008/k00/00m/040/141000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201009
―全能感と「民主主義の壊し方」―
前2回に引き続き、今回も日本学術会議が推薦した105人のうち菅首相が6人の任
命を拒否した問題について検討します。
拒否に対する批判は、すでに多くのメディアで報じられていますし、私自身の見解も
示してきましたので繰り返しませんが、次の3点だけは指摘しておきます。
一つは、政府側には会議の会員資格についてそれぞれの学問領域に関する専門知識が
ないので、その知識と業績を根拠に推薦された人物の適否を判断することはできない、
という原理的・根本的な事情があります。だから、これまでは、会議が推薦してきた
科学者・学者をそのまま受け容れてきたのです。
もし、政府が学術的な条件以外で推薦された人物の任命を拒否するなら、その理由を
示す必要があります。前回引用したように、拒否の理由は誰が見てもこれまでの政権
批判しかないので、菅首相は「除外理由 言えるわけない」ということになるのです。
二つは、任命を拒否された一人、早大法学院学術院の岡田正則教授が指摘しているよ
うに、「学術会議」は学者の独立した機関なのに、(菅首相は)官僚組織の延長のよ
うに捉えているのかもしれない」という点です(『東京新聞』2020年10月2日)。
どうやら菅首相は、すべての権力を掌握して、自分に逆らう者は排除して、何でもで
きるという危険な全能感をもっているようです。
三つは、同じく拒否された一人、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)は、杉田和
博官房副長官があらかじめ名簿から6人を外し、菅首相に説明して6人の除外が決ま
ったことに関して、国民からの負託がない(つまり選挙で選ばれたわけではない 筆
者注)官僚による科学への統制と支配は国民の幸福を増進する道ではない。私は、学
問の自律的な成長と発展こそが、日本の文化と科学の発展をもたらすと信じている。
というメッセージを発表しています(『東京新聞』2020年10月24日)。実際、学
術というのは自由が保障されてはじめて発展するもので、政府が支配したり統制した
りすれば窒息してしまいます。菅首相は、この点がまるっきり分かっていません。
政府は、一方で政府に批判的な学者の排除を行い、他方で、政府の意に沿った研究者
には特別研究助成と行っています。
権力を持った者が科学者を軍事研究に協力させた戦前の日本やヒトラー支配下のドイ
ツをみれば分かるように、両国も膨大な数の犠牲者を出したうえ、最後は惨めな敗北
に終わっています。
また、敗者にはならなかったものの、アメリカにおいて政府の要請に応じて協力した
科学者たちが開発した原爆により日本人は多大な犠牲者を被りました。
日本学術会議の設立趣旨にもあるように、軍事研究、戦争につながる研究は行わない
というのが、学術会議のそして科学者の基本的立場なのです。
しかし、防衛省は2015年より「安全保障技術研究推進制度」を設け、軍事関連の研究
に研究予算をつけ始めました。当初は3億円だった助成金が、2017年には110億円、
その後は101億円で推移しています。
つまり、政府は軍事研究に協力する大学・研究者には多くの助成金を出すというので
す。これは、お金で研究者の選別をし、政府が望む軍事研究をさせようとする恐ろし
い企みです。
任命拒否問題も含めて、安倍政権時代から菅内閣に至る間に、表現の自由に対する規
制や、民主的とは言えない政権運営が行われてきました。
学術会議問題にみられるように、安倍政権下(一次、二次合わせて)の8年半、菅氏
はその大部分の期間に官房長官、つまり黒子として、影の実行部隊長として実質的に
政権を取り仕切ってきました。つまり、安倍政権とは、安倍・菅政権だったのです。
この期間を専修大学教授の山田健太氏は、「巧妙に異論封じた8年半」と表現し、表
現の自由を規制する方策として具体的に4点あげています(『東京新聞』2020年9月
15日)。
一つは、相次ぐ表現規制立法で、特に取材を制約する特定秘密保護法、安保関連法、
「盗聴法」改正、「共謀罪」法、憲法改正手続き法、さらに新型インフルエンザ特措
法、教育基本法なども表現を規制する仕組みを内包している法的措置です。
二つは、忖度社会の完成です。博物館・美術館における展示の中止や差し替え、市民
集会の中止や自治体の講演取り消しが頻発しましたが、これは政府その他の組織から
の圧力を忖度した結果です。また、政権発足当初から一貫して、安倍・菅コンビが放
送局に対してかけ続けてきた圧力は現場にまで浸透し、「政治的公平」という言葉に
よる呪縛にかかってしまっています。
三つは、情報公開の空洞化であり、知る権利の大幅な後退です。森友・加計問題や桜
を見る会、スーダンPKOの日報隠蔽に関する公文書の隠蔽、改竄、破棄は底なし沼の
状況にあります。法やガイドラインを意図的に曲解し、必要な記録を残さないことが
常態化しています。しかも、重要会議ほど正確な記録を残さないという悪習が完成さ
れてしまいました。
四つは、(私はこれがかなり深刻だと思いますが)メディアコントロールの徹底です。
政府によるさまざまな問題を、本来はチェックすべきジャーナリズ活動も、安倍・菅
内閣による巧妙な異論封じ、メディアの峻別の結果大きく後退してしまったことです。
言論の自由が弱いところから浸食され、今や、メディアの最も重要な使命である権力
監視のための批判の自由を奪いかねない段階まできてしまいました。
以上は安倍・菅政権が過去8年半にわたって異論を封じ込め、表現の自由を奪ってき
た過程とその要点です。こうした地ならしを経たうえで、今回、日本学術会議の会員
の任命問題が発生したのです。
これにたいして、『東京新聞』の論説副主幹の豊田洋一氏は、「菅政権と学術会議
民主主義の『壊し方』」という署名記事を書いています。これは、『東京新聞』の、
この問題に対するスタンスであると考えてさしつかえないでしょう。
豊田氏は、今回の任命拒否に関連する政府側の説明を聞いて『「民主主義の破壊者」
は「民主主義の顔」をしてやってくる』という思いが頭をよぎったという。
どいうことなのでしょうか?豊田氏に倣って、この問題を原点に立ち返ってもう一
度検証してみましょう。
日本学術会議法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」
と定めており、政府はこれまで国会答弁で、会員任命が「形式的」であると繰り返
し説明してきました。
つまり、首相に裁量の余地があることを認めないのが立法の趣旨であり、国会審議
を通じて確立した法解釈 なのです。
しかし菅首相は、「推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲していい
のか考えてきた」と強弁しましたが、形式的任命は前例ではなく、法律の規定なの
です。
豊田氏は「自らが法を犯している自覚があまりにも乏しい」と断じています。
首相の論拠は、憲法第15条の「公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民
固有の権利である」との規定を持ち出して任命拒否を正当化しようとしました。
この考え方は、内閣府に置かれた学術会議事務局が2018年にまとめた内部文書
に基づく、という。
しかし、この内部文書が過去に国会(立法府)で説明され、審議された形跡はあり
ません。ということは、国会の審議を経ないで、政府の内部文書だけで立法趣旨や
法解釈を変更できないのは当然で、首相の任命拒否は法的根拠を欠いています。
これは、「あと出しジャンケン」のようなものです。もし、これが正当だというの
なら、法律の解釈をこっそり変えておきなながら国民にも知らせず国会での審議も
せず、いきなり、「実は2年前に内閣府で、解釈が変わっているから、お前を法律
違反で逮捕する」ということと同じです。
これら全てが、まさに民主主義のもっとも基本的な土台を壊していることになります。
しかも、その徹底ぶりは、安倍政権よりもさらに強くなっている印象を受けます。
三権分立制度の下で、国権の最高機関は、国民によって選ばれた国会議員によって構
成される国会(立法府)です。しかし、菅首相は、国会の審議よりは行政府の、説明
も審議もされない、陰でこっそり行われた法律解釈の変更が優先する、と開き直って
いるのです。
これは、豊田氏の表現をかりると、「表面的には憲法や法律に従う姿勢をみせる一方
で、唯一の立法府である国家の決定を事実上、無効化する狡猾な政治手法だ」という
ことになります。
豊田氏が最後に述べている部分がとても重要です。
歴史を振り返れば、民主主義の破壊者は民主主義をいきなり破壊せず、形式
的には民主主義の手続きを経て目的を達成しようとする。
民主的とされたワイマール憲法を全権委任法によって骨抜きにしたナチスの
ドイツしかり、帝国議会を翼賛議員によって埋め尽くそうとした日本の軍国
主義しかりである。
私は、この8年半に日本の政治が限りなく劣化し、国民が置き去りにされ、民主主義
非常に壊されていると感じています。
この背景の一つは、2014に内閣官房に「内閣人事局」が新設され、人事を内閣官房
(官邸)が省庁の審議官・部長級以上の幹部600人の幹部人事を一元管理するよう
になったことです。
これにより官僚は官邸に対する忖度を強め、森友・加計、桜を見る会の問題で文書の
隠蔽や改竄まで手を付けるようになったのです。
つまり官邸は、官僚組織を思い通りに動かせるようになったのです。他方、国会にお
いては政権与党が絶対多数を占めているので、こちらも数の論理で押し通すことがで
きます。菅首相には、もう、怖いものはない、というでも菅首相は全能感があるよう
に見えます。
こうした中で政治家、官僚、特定の企業一部の人物や組織が既得権益を得る構造が出
来上がってしまったのです。
今回の事態を海外ではどのようにみているのでしょうか?一つだけ紹介しておきます。
英科学誌『ネイチャー』(電子版)は6日付の「ネイチャー誌が政治を今まで以上に扱
う必要がある理由」と題した社説で言及しています。少し長くなりますが、貴重な指
摘なので、要点を引用しておきます。
まず、トランプ米大統領による科学軽視などに触れたうえで、「脅威に直面する学術的
自律」との小見出しが付いた一節の中で、学問の自由を保護するという原則を「政治家
が押し返そうとしているとの兆候がある」と強い懸念を示しています。この原則は「近
代の科学の核を成すもので、数世紀にわたり存在してきた」ものだと強調しています。
そして、その維持には「研究者と政治家がお互いを尊重する信頼」が必要だが、この信
頼が世界各地で「相当な圧力にさらされている」と続け、具体的な最新事例として紹介
したのが菅首相による任命拒否なのです。
対象となった6人については「政府の学術政策に批判的だった」などと説明。日本学術
会議の独立性や、任命拒否が現行制度になった2004年以降初めであることにも触れ、
今回の措置の異例さを示唆しています(注1)。
これが、少なくとも世界の先進国における常識です。イギリスの科学誌がわざわざ日本
の菅首相の任命拒否問題を取り上げたのは、やはり日本の独裁化に対する警告と警戒が
あったものと思われます。
学術会議は政府と異なる意見を提出するかもしれませんが、異なる意見が存在すること
が、民主主義にとって死活的に重要なことで、もし、今の日本に政府と異なる意見を、
科学的・倫理的根拠をもって言える組織がなければ、日本は独裁国家になってしまいま
す。学術会議を事実上、無力化しようとする菅政権は、民主主義を壊そうとしていると
しか思えません。
(注1)https://mainichi.jp/articles/20201008/k00/00m/040/141000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201009