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大木昌の雑記帳

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驚くべき生命の智慧-ガン転移抑制ホルンモンの発見(注)-

2012-10-29 21:48:43 | 健康・医療
驚くべき生命の智慧-ガン転移抑制ホルンモンの発見(注)-


iPS細胞の人工的な作成方法を発見した中山氏がノーベル賞を受賞したことは久々のあかるい
ニュースでした。

あまり注目されませんでしたが,つい最近,医学の分野もう一つ,ヒトの命にかかわる重要な
発見がありました。

それは,ガン転移抑制ホルモンの発見です。

もっと正確に言えば,これまで知られていたホルモンにガンの転移・再発を抑制する働きがあ
ることを発見したことです。

これについて説明する前に,ガンについて簡単に整理しておきます。

このブログの10月13日と16日の「病気はなぜ,あるのか」という記事で,進化論的医学
について紹介しました。

ここで,今回の説明にとって重要な点だけをもう一度示しておきます。

私たちの体の構造や働きは,以下の3つの法則で進化してきました。すなわち,

1)数百万年かけて進化してきたこと,

2)その際遺伝子は,生存の可能性(正確には子孫を残す,生殖の可能性)を高める方向を選
択してきたこと,

3)しかし,ある能力を選択することによって,逆に他の病気や不都合を生じさせることもあ
る,という3点です。

これらの法則が正しいとすれば,ヒトの命を奪う危険性が高い病気であるガンを引き起こす遺
伝子は,進化の過程でずっと昔に排除(淘汰)されていたはずです。

しかし,現在の日本では2人に1人が生涯に一度はガンに罹り,3人に1人はガンで死亡して
います。

この謎を解く一つの要因は,私たちの体の基本は400万年ほど前の設計図に基いている,と
いう事情です。

このころには,ヒトの寿命は40才前後と考えられています。

大部分の人は,免疫力が弱まって,カンが発病する前に感染症で死んでいったのです。

このため,ヒトはガンを引き起こす遺伝子を排除する必要がなかった,というのが進化論的
医学の解釈です。

この意味では,ガン患者が増えたといいうことは,日本人が長生きするようになったから,
とも言えます。


ところで,それでは,ヒトの基本設計にはガンに関する対抗手段は全くなかったのでしょ
うか。

ここで,ガンに関して不思議な事実があります。

人間の体でガンにならないのは心臓と髪の毛だけ,と言われています。

髪の毛はともかく,心臓がガンに発生しないというのは,驚きくべき命の智慧と言うべきでしょう。

もし,心臓がカン化するとしたら,ガンによる死亡は現在よりはるかに多くなっているはずです。

とうのも,心臓の停止をもって死と認定することからもわかるように,心臓は,生命現象そのもの
といっても言いすぎではありません。

人体のうち,心臓以外の臓器はガン化することがあり,それに対する有効な対抗手段をもっていま
せん。

しかし,心臓だけはガンに冒されない防御システムがあるのです。

これまでの医学は,「ヒトはどのようにしてガンになるのか」という観点からガンを考え,治療
(特異抗ガン剤)を模索していきました。

これに対して今回のチームは発想を逆転させて,「心臓はなぜガンにならないのか」という問いか
ら出発し,この観点からヒトとガンとの関係を考えたのです。

なぜ,今までこの事実に気が付かなかったのは不思議なくらいです。

今回,国立循環器病研究センター(国循研)は10月23日,大阪大学の協力を得て、心臓から分
泌されるホルモンである心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)」が血管を保護することによっ
て、さまざまな種類のガンの転移や再発を予防・抑制できることを突き止めたと発表しました。

ANPは,1984年に見つけられた心臓ホルモンで,現在心不全に対する治療薬として使用され
ています。

この意味では,特に新たに発見されたホルモンではありません。

ただし,このホルモンがガン転移を抑制するホルモンであり,ガン治療にも有効であることは
これまで知られていませんでした。

ガンの転移は,血中に漏れ出たガン細胞が,炎症などで傷ついた血管の壁にくっつき,その場
で増殖するとされています。

このチームは,ANPによって血管が正常な状態になり,ガンが壁にくっつきにくくなると見
ています。

センターの追跡調査によれば,肺ガンの手術後2年以内に再発する確率は,通常,約20%で
すが,不整脈などを予防するためANPを投与すると,4%(最初のわずかに低下しました。

このセンターの寒川所長は,「あらゆる種類のがんの転移や再発を予防できるとみられ,世界
初の治療法になると期待される」と述べています。

また,このチームは動物実験によって,乳がんや大腸がんといったほかの種類のがんに対して
も、ANPが転移を抑制する効果があることを動物実験で確認しておりさらなるメカニズムの
解明を進めているとしています。

それにしても,人体の心臓だけがガン化しないように進化してきたことは,まさに命の智慧と
しか言いようがありません。

現在の到達点は,ANPホルモンが,ガン転移や再発にたいする抑制効果をもつことがマウス
の実験で確認できた,という段階で,

必ずしもガンの発生そのものを抑制することが確認されたわけではありません。

それでも,日本人の3分の1がガンを発症することを考えると,ガンの転移と再発は非常に重
要な問題です。

たとえ手術をしてガンを取り去ったとしても,ほとんどの人がその後の再発を恐れて生活して
います。

この状況を考えると,今回の発見は大きな意義があると思います。

さらに,可能性としては,転移や再発だけでなく,体のどこかで生成されたガン細胞が血液に
乗ってどこか,炎症の起きている臓器に取り付き,そこで増殖を始めることをある程度防いで
くれるかも知れません。

これらの可能性も含めて,既にガンを発症してしまっているいる人にとっても,いったんは克
服した人にとっても,さらには,現在までガンとは無縁であった幸運な人にとっても,大きな
朗報であることは間違いありません。


(注)本稿は『東京新聞』(2012年10月24日),
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121025-00000050-mycomj-sci (2012/10/29 日参照)に
基づいています。

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戦後史の不愉快な現実(2)-「独立」以降の日本政治-

2012-10-26 23:08:18 | 政治
戦後史の不愉快な現実(2)-「独立」以降の日本政治-


1952年のサンフランシスコ講和会議をもって,日本は連合軍(実態はアメリカ)の占領から開放され,形式的には「独立」したことになります。

しかし,前回の記事の冒頭でも書いたように,孫崎享『戦後史の正体』を読んで,日本は本当に独立し,独立国になっているのか,
という点に根本的な疑問を抱くようになりました。

敗戦と同時に日本の政治は,アメリカに追随することを基本方針とする「追随路線」と,日本の自立を目ざす「自主路線」とに別れました。

そして,両路線の対立を繰り返しながら,おおよそ1960年代末以降は,対米追随派が日本の政治・軍事・官僚・財界を牛耳るようになりました。

両路線の対立の詳細をここで紹介することは無理なので,まず,大ざっぱに,戦後の政官財界の主要人物を,孫崎氏にしたがって分類しておきます。

 自主派 重光葵 石橋湛山  芦田均 岸信介 鳩山一郎 佐藤栄作 田中角栄
     福田赳夫 宮沢喜一  細川護照 鳩山由紀夫 (小沢一郎)

 対米追随派 吉田茂 池田勇人 三木武夫 中曽根康弘 小泉純一郎 海部俊樹,
     小渕恵三  森喜郎  阿部晋三  麻生太郎  菅直人 野田吉彦 

 一部(対米)抵抗派  鈴木善幸  竹下登  橋本龍太郎, 福田康夫

以上は,首相になった人物だけですが,私は自主派として小沢一郎を加えました。

それは,孫崎氏も主張しているように,現在まで尾を引いている”小沢裁判”がなければ,おそらく彼が首相になっていたであろうと思われるからです。

また,首相にならなくても,相当大きな影響力をもってアメリカに対抗していったであろうと思われるからです。

これについてはこのブログの5月11日投稿分「小沢一郎裁判-何が裁かれているか-」も読んでいただければ幸いです。

さて,1990年以降,積極的な自主派の首相は細川,鳩山の二人だけです。しかも,どちらも9ヶ月という,きわめて短命な政権に終わりました。

それ以前の「自主派」と見られる首相は,佐藤首相を除いて,孫崎氏によれば,だいたいアメリカの関与によって短期政権に終わっています。

これは,自主派の首相を引きずりおろし「対米追随派」にすげかえるためのシステムが日本社会に埋め込まれていたからでした。

その代表的なシステムの一つが検察庁特捜部です。

特捜部の前身は占領期にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指揮下にあった「隠匿退蔵物事件特捜部」です。

この組織の役目は,占領期に日本人が隠した「お宝」を探し出しGHQに差し出すことでした。

検察庁捜部は創設当初からどの組織よりもアメリカに奉仕しアメリカと密接な関係を維持してきました。

あとで紹介するように,検察はアメリカと追随派にとって大きな役割を果たすことになります。

次に,報道です。

アメリカはマスコミの役割を強く意識し,占領期から今日まで,大手マスコミの中に「米国と特別な関係をもつ人びと」を育成してきました。

アメリカの意向に反することとは,基地問題(アメリカの基地の縮小ないしは返還を唱える),中国問題(アメリカに先んじて中国との関係を築こうとする),

その他アメリカの意向に逆らい,アメリカの政策に反する「自主路線」を唱えることでした。

外務省,防衛省,財務省,大学にも「米国と特別な関係をもつ人びと」が育成されてきたようです。(以上は,孫崎『戦後史の正体』366-370ページ)

孫崎氏は,追随派の政治家だけでなく,官僚,検察,マスコミなどが一丸となって,アメリカの意向に反する自主派を追い落とす事例を幾つか挙げています。

こうして排除された代表的な例は,芦田均首相,田中角栄首相,竹下登 橋本龍太郎,小沢一郎(民主党代表)などです。

これら全ての事例を詳しく紹介することはできませんが,何人かの事例を取り上げてみたいと思います。

1人は芦田均首相です。彼の在任期間は1948年3月10日~同年10月15日)とわずか7ヶ月で,した。

当時,日本はまだアメリカの占領下にありましたが,芦田首相は,在日米軍を「有事駐留」(必要な時だけ駐留する)とする案をGHQに提示していました。

いうまでもなく,日本の米軍基地を,事実上永久に使用することを狙っていたアメリカにとって,芦田首相は許し難い存在でした。

彼が首相に就任して間もなく,いわゆる「昭和電工事件」と呼ばれる,政治家への汚職事件が地検特捜部によって摘発されます。

芦田氏は実際にはこの事件には関係していませんが, 嫌疑をかけられ,6月3日には『読売新聞』が,10月1日には『朝日新聞』が彼を批判しました。

それでも彼は道義的責任がある,との理由で10月15日に辞職します。

しかし,特捜部は辞職後にも,追い打ちをかけるように芦田氏を逮捕します。

この裁判は1962年11月に最高裁の判決で無罪になるまで14年半という長期間,彼を被告の状態にしておいたのです。

ちなみに,当時のGHQ情報・諜報部の責任者ウィロビーが後に自著で書いているように,この事件は占領軍が特捜部を使って仕掛けた事件でした。

孫崎氏によれば芦田内閣崩壊のパターンには次の要素があります。

1 米国の一部勢力が日本の首相に不満をもつ。
2 日本の検察が汚職などの犯罪捜査を首相および近辺の者に行う。有罪にならなくても,政治上の失脚があれば目的が達せられる。
3 マスコミがその汚職事件を大々的に取り上げ,政治的,社会的失脚に追い込む。
4 次の首相と連携して,失脚した首相が復活する可能性を消す。
 
芦田首相の場合は,まだ日本が占領下にあった時代だから,乱暴な方法が採られたとも考えられます。

もう1人,ロッキード事件と1976年の田中角栄氏の失脚の経過が酷似しています。

これは,アメリカ証券取引委員会から会計事務所へ送られた書類が議会のチャーチ委員会に誤まって配達され,公聴会で審理が始まりました。

もし書類が誤送されたのなら,当然,本来の宛先である会計事務所に転送しなければならないのに,

なぜかチャーチ委員会が中を見たことが発端となり,それを証拠に公聴会に持ち込まれたのです。

当時私は直感的に,「これはおかしい」と感じました。誤送された郵便物を無関係の組織が見ることはあり得ないことだからです。

当時は,こんな幼稚な手法がアメリカで堂々と行われ,日本のマスコミも全く気が付いていなかったのか,意図的に沈黙していたのです。

この事件のさらに詳しい経過をここで書くことはできませんので,孫崎氏『戦後史の正体』(270-274ページ),

および彼が引用している平野貞夫著『ロッキード事件「葬られた真実」』(講談社 2006)を見てください。

当時の首相,田中角栄氏がアメリカを激怒させたのは,1972年9月アメリカに先んじて中国と日中国交正常化を実現したことでした。

当時アメリカのキッシンジャー補佐官は秘密外交でニクソン訪中を実現させました。

しかし,米中国交樹立が実現したのはようやく1979年のことでした。

米中国交樹立を最大の業績にしようとしていたキッシンジャーは,田中氏に先を越された怒りを,

「汚い裏切りどものなかで,よりによって,日本人野郎ガケーキを横どりした」(Of all the treacherous sons of bitches, the Japs take the cake)
とののしりました。

ここで,”the Japs” とは田中首相のことで, 「汚い裏切り者」と訳されている “sons of bitches” とは,
相手を罵倒する際に使う非常に下品なスラングです。

最近の事例では,ハワイの第七艦隊がいれば日本の米軍基地は要らないと発言した小沢一郎氏,

沖縄の普天間基地を「最低でも県外」へ移すと発言した鳩山由起夫元首相が,アメリカの意向を優先する「追随派」派に引きずり降ろされました。

小沢氏の場合,検察庁特捜部が積極的に動き,失脚まで持ち込んだ事例で,芦田首相,田中首相の事例と構造的に全く同じであることが分かります。

しかも,検察庁特捜部が,偽の調書を作成してまで,小沢氏を起訴し,長期にわたって被告のしておいた点など,そっくりです。

そして,新聞が来る日も来る日も執拗に小沢氏のお金の問題を取り上げてきたことも芦田首相の場合とよく似ています。

先日,テレビである,元外務相の幹部だった人物が,現在の尖閣諸島問題,竹島問題がこじれた原因の一つが,外務省の体質にあると述べていました。

彼によれば,日本の外務省ではアメリカ・スクール,チャイナ・スクール,ロシア・スクールなど主要な国や地域ごとに担当分野が決まっているそうです。

それぞれの分野には,その国や地域の専門家がいて,時には他の分野の外交問題についても意見を闘わせたりアドバイスをしてきました。

しかし現在では「アメリカ・スクールにあらざれば人にあらず」と言えるほど,アメリカ一辺倒になり,追随派によって占められているようです。

反対に,アジア(中国,韓国,東南アジアなど)の専門家が極端に少なく,外交的に弱くなっているようです。

このため,政治家であれ官僚であれ,もし誰かアメリカの意向に逆らおうとすると,アメリカ・スクールの集団が,

よってたかって引きずり降ろそうとします。

もし,以前のようにチャイナ・スクールが健全であれば,今日の尖閣諸島問題も違った展開になったでしょう。

もし,自主派がもう少ししっかりしていれば,沖縄の基地問題も,今よりずっと住民の権利が守られていたでしょう。

対米自主派と追随派を軸にして全ての日本の外交(そしてかなりの程度内政も)を理解できるわけではありません。

しかし残念ながら,この視点はかなり有効であることは間違いありません。

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戦後史の不都合な現実(1)-敗戦・占領期-

2012-10-24 06:32:09 | 政治
戦後史の不都合な現実(1)-敗戦・占領期-


「日本は独立国でしょうか?」と聞けば,日本人の100人のうち100人が,「そんなこと当たり前だ,独立国に決まってるじゃないか」と答えるでしょう。

もちろん,国際法的にも事実としても日本はれっきとした独立国です。

独立国というのは,他国の支配を受けず,他の国と対等な関係を維持しつつ,自国の安全と繁栄を追求する能力を有する自立した国家である,
と私は考えています。

しかし,孫崎享『戦後史の正体-1945-2012-』(創元社,2012年)を読んで,今まで抱いていた「独立国家日本」というイメージが,
音を立てて崩れてゆく思いでした。

孫崎氏の上記の著作をテクストとして,私自身の見解や感想を交えて,日本という国がどんな戦後史を歩んで今日に至っているのかを,
少し歴史を遡って考えてみたいと思います。

歴史をたどることによって初めて,私たちは現在の日本,将来の日本のことを考えることができるのです。 

本書の内容に入る前に,孫崎氏の経歴を簡単に紹介しておきます。

孫崎氏は1934年生まれ。1966年に外務省に入省。駐ウズベキスタン大使,駐イラン大使,モスクワ駐在,
国際情報局局長を歴任した外交官で,2009年まで防衛大学で7年間教授職に就いていました。

以上のごく簡単な経歴からも分かるように,孫崎氏は政治・外交,軍事,国際情報に関するプロ中のプロです。

ご自身も実際の外交に深くかかわってきており,多くの文書や情報に接することができる立場にありました。

孫崎氏には本書の他にも,『日米同盟の正体-迷走する安全保障』『不愉快な真実-中国の大国化』『日本の領土問題-尖閣・竹島・北方領土』などがあります。

孫崎氏は,序章で「高校生でも読める」戦後史として書いたと述べています。実際,誰が読んでも分かり易い,平易な文章で書かれています。

一見,極端な見方と感じるかも知れませんが,この著作は,たんなる個人のイデオロギーや憶測ではありません。

平易な文章ですが,内容は,外交官および国際情報局局長としての経験,さまざまな著作や外交文書などの証拠に基づいています。

本書は戦後の日本の政治,軍事・経済,社会,領土問題など相互に関連する多様なテーマを含み,時代も敗戦直後から現在までをカバーしています。

本書の一貫した主張は,戦後の日本外交を動かしてきた原動力は,アメリカの圧力に対する「自主路線」と「追随路線」を軸に展開してきたというものです。

「自主路線」とは,アメリカとの対立や摩擦はある程度覚悟の上で,日本の国益を優先する立場です。

これに対して「追随路線」とは,日本はアメリカには対抗できないのだから,アメリカに追随してゆくべきだと考え,
政治・軍事的には日米安保を金科玉条と考える立場です。

著者は,この視点を軸に日本の戦後史を見ると,今まで理解できなかったさまざまな出来事の背景と意味がはっきりと理解できると考えています。

私自身も,これまで疑惑として考えていたことが,確かな根拠を示されて,やはりそうだったのか,という思いを随所で感じました。

今回は,日本の政治,経済(財界),官僚,マスコミが,アメリカ追随路線をとる出発点となった,占領期に焦点を当ててみたいと思います。

孫崎氏がこの時期を重視するのは,この時に出来上がってしまった日本の対米従属構造が,現在まで基本的に変わっていないと考えるからです。

さて,日本は1945年8月15日に「ポツダム宣言」を受け入れることを発表し,国内的にはこの日を「終戦」記念日と呼び習わしています。

日本は無条件降伏し,9月2日に,戦艦ミズーリ号で「降伏文書」に調印したわけですから,この日は「終戦」ではなく正しくは「敗戦」と呼ぶべきです。

この調印をもって,日本の命運は連合軍最高司令官,マッカーサーの手に握られることになりました。

しかし,実際には8月15日には,連合軍は日本に上陸し占領を始めていました。

この日を境に,支配の構造と,日本の旧勢力の態度が一変したのです。

それまで「鬼畜米英」と敵意をむき出しにしていた日本の旧支配層・エリート層(政治家,官僚,軍人,財界人,)やマスコミが態度を一変させました。

彼らの多くは,事実上の支配者であるアメリカの占領軍にこびへつらうようになたのです。

早くも8月18日(何と「終戦」3日後です!),内務省警備局長は,占領軍に性的サービスをするための「特殊慰安施設」
の開設を各都道府県に通達を出しました。

慰安婦募集が直ちに行われ,慰安施設の第一号は27日に東京の大森で開業しました。

「特殊慰安施設」の開設のために国庫から資金を出したのは,当時大蔵官僚で後に首相になった池田勇人氏でした。

内務省の警備局長とは治安分野の最高責任者で,その人が占領軍のために売春施設を先頭に立って作ったのです。

こうした状況について,敗戦時に降伏文書に署名した当時の外務大臣,重光葵氏は,

「結局,日本民族とは,自分の信念をもたず,強者に追随して自己保身をはかろうとする三等,四等民族に堕落してしまったのではないか。」
と『続重光葵日記』で懐述しています。

また,孫崎氏は,

「歴史上,敗戦国は多々あります。占領軍のための慰安婦が町に出没することはある。慰安施設が作られることもあります。

しかし,警備局長やのちの首相という国家の中核をなす人間が,率先して占領軍のために慰安施設を作る国という国(ママ)があったでし

ょうか」と痛烈に批判しています。(41ページ。以下ページ数は孫崎氏の著書のもの)

こんな国の例は皆無でしょう。当時の支配層は,戦争に負けたので,自国の女性を勝者に差し出すことをまず考えたのです。

これは,旧支配層の発想がいかに卑しく,なりふり構わずアメリカ占領軍のご機嫌をとるためにすり寄っていったかを示す象徴的な例です。

1952年にサンフランシスコ講和会議により,日本の敗戦処理の一環として戦犯の裁判が始まると,また,旧支配層はアメリカへすり寄るようになりました。

戦犯には戦争の計画,準備,開始および遂行の責任者,ならびに戦争法規違反の現地責任者および直接下手人がふくまれます。

戦犯になれば銃殺の可能性もあります。

戦犯の恐怖におののいて右往左往する当時の日本のエリートやマスコミの醜い様子を,重光葵氏は『続重光葵日記』の中で,次のように嘆いています。

”「戦争犯罪人の逮捕問題が発生してから,政界,財界などの旧勢力の不安や動揺は極限に達し,

特に閣内にいた東久邇宮首相や近衛大臣などは,あらゆる方面に手をつくして,責任を逃れようと焦り,いらだつようになった」。

「最上級の幹部達が,ひんぱんにマッカーサーのもとを訪れるようになり,みな自分の立場の安全をはかろうとしている」。

多くの人が何とか戦犯を逃れようと占領軍と接触して「自分には罪がない」「罪があるのは別の人間だ」と訴えた。

「最近の朝日新聞をはじめとする各新聞のこびへつらいは,本当に嘆かわしいことだ」。

どれも理性を喪失した占領にたいするこびへつらいであり,口にするのもはばかられるほどだ」。”

(以上,『続重光葵日記』からの孫崎氏の引用は35-36ページより)

重光氏が「口に出すのもはばかられるほど」のこびへつらいがどんな内容であったかは分かりませんが,
恥ずかしくてとても言えない卑屈な行為だったのでしょう。

ここで注意すべきことは,『朝日新聞』をはじめとする各新聞のこびへつらいが,「本当に嘆かわしいこと」だと言わせるほどひどかったことです。

このマスコミの姿勢は,その後もずっと,ある意味では現代まで引き継がれて,重要な問題のさいに,その本性を現すことがあります。

戦犯者のリストを占領軍に提出したのは吉田茂首相でした。大げさにいえば吉田氏は,人々の命を左右することができる立場にあったわけです。

こうして,対外的には戦犯を逃れるために占領軍もうでをした旧エリートはアメリカには頭が上がらなくなり,
対内的には吉田氏に逆らえない状態が出来上がったのです。

ここで,吉田氏は「追随路線」の元祖で,その後いわゆる「吉田学校」と呼ばれる政治家集団の創始者でとなったことは心に留めておく必要があります。

(ちなみに,孫崎氏はNHKのドラマ『吉田茂』の理解は根本的にまちがっていることを週刊誌で指摘しています。)

そして,この「追随路線」を継承する政治家たちが自民党の「保守本流」となって今日まで続いているのです。

対米追随派は,売春施設の開設に見られるように,アメリカに喜んでもらうために,自ら進んで奉仕したり,ある場合には日本の国益をも犠牲にします。

その一方で彼らは,アメリカの意向に反したり,逆らう日本人を排除する行動に出るのです。 

ここで,断っておかなければならないのは,戦後の全ての政治家がアメリカ追随派ではなかったことです。

アメリカと追随派と闘いながらも「自立路線」をとる政治家もいました。

この意味で,戦後史はアメリカ追随派と自立派との対抗を軸に展開してきたといえます。

しかし,孫崎氏の結論を先取りしていえば,1970年代以降,対米追随派が自立路線派をほぼ抑え込むか排除してしまい今日に至っています。

これについては次回,具体的に見てゆきたいと思います。

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米兵の集団強姦致傷事件-沖縄がレイプされているんです-

2012-10-21 12:09:59 | 政治
米兵の集団強姦致死傷事件沖縄がレイプされているんです-


10月16日に,沖縄で帰宅途中の女性を強姦した米兵二人が,集団強姦致傷容疑で逮捕されました。

最初に言葉の問題について述べておきたいと思います。

このような事件の場合,マスメディアは「暴行」という言葉を使います。

しかし,「暴行」(時には「乱暴」)という言葉は,殴る蹴るなどの暴力を想像させます。

ここには,事件をなるべく穏便な形で報道しようとする姑息な意図が感じられます。

私は,強姦が被害者である女性に与える肉体的・精神的苦痛は,想像を絶するほど大きく,殺人に継ぐ重大犯罪だと思っています。

今回の事件を起こした二人の米兵は14日に来日し,16日に帰国することになっていました。

しかし,住民からの通報が早く,米兵二人がホテルに荷物を取りに行ったところを逮捕されたのです。

今回は,幸いにも米兵が帰国する直前に沖縄県警が逮捕できたので,二人を拘束できました。

しかし,一旦アメリカに帰国してしまえば,あるいは基地の中に逃げ込んでしまえば,日米地位協定(昭和35年)(注)により,
日本の警察および裁判所は事実上逮捕も裁判もできなくなってしまうところでした。

彼らは,このような特殊な事情を充分に知った上で,翌朝,帰国してしまえば罪には問われないことを計算して犯行に及んだに違いありません。

米兵による強姦事件が,現在まで,どれほど起こっているのかの実態はわかりません。

というのも,表面化した事例は氷山の一角で,多くは女性が泣き寝入りしているからです。

性犯罪も含めて,現在,米兵が犯した犯罪の検挙率は17%ほどなのです。

私たちの記憶に,今でも痛ましく残っている事件は,1995年9月に,米兵による小学生にたいする強姦事件です。

こ事件は日本国中に大きなショックを与え,沖縄では激しい抗議運動が展開されました。

このような事件が起きる度に,米軍当局は謝罪し,「綱紀粛正」「再発防止」を言い,一時的な夜間外出禁止措置をとります。

しかし,これらが言葉だけの謝罪で,実態は何も変わっていません。

そして今回の集団強姦事件です。

抗議集会に集まった人たちの口からは,米軍に対する激しい怒りの声が発せられました。

この抗議は同時に米軍の横暴,やりたい放題を許している日本政府にも向けられています。

沖縄の人たちが,強姦などの性犯罪の他にも騒音,航空機の墜落にたいする不安など,これまで受けてきたさまざまな苦痛を受けてきました。

しかし,アメリカは基地の使用と,特権的な地位協定を捨てたくないため,その場しのぎのポーズで反省をしますが,
本気で犯罪をなくそうとはしていません。

もし,その気があるなら,米本国で強姦罪が罰せられると同じ重さの罪を科すはずです。

しかし,現実にはアメリカに逃げてしまえば,罪を問われていません。

地位協定は自民党政権の下で昭和35年に締結されましたが,自民党政権はアメリカに遠慮して,抜本的に変える努力をしてきませんでした。

この姿勢は,民主党政権になっても引き継がれています。

今回の事件に対して,激しい抗議行動が起こったのは当然です。

私がテレビ報道で聞いた,切実な怒りの声を幾つか拾ってみましょう。


「沖縄がレイプされているんです!」

これは,今回の集団強姦事件から受けた怒りを,皮膚感覚から,魂の底から最も鋭く表現した言葉だと感じました。

もちろん,強姦された女性は最大の犠牲者ですが,この言葉には,沖縄全体が米軍の横暴によって安全と安心が蹂躙されている,
という構造的問題が鮮明に表現されています。

この構造的問題を,ある主婦は「沖縄がレイプされているんです」と言ったのです。

この言葉を聞いたとき私は,二つの意味で「日本がレイプされている!」と感じました。

一つは,沖縄の人がレイプされている,ということは同じ日本人がレイプされているとことでもあります。

たとえて言えば,自分の家族や友人がレイプされたと同じ感覚です。

二つは,日本が「地位協定」のような全く不平等で屈辱的な協定を結ばされ,アメリカに押し付けあられているという現状を,
象徴的な意味でレイプという言葉で表現したものです。

極端に言えば,この地位協定に限らず,日米関係における日本の従属的状況そのものが,まさに「レイプされている」状況だと言えます。

「沖縄は日本ですか?」 この言葉に私は強い衝撃を受けました。

ここには,同じ日本という国にありながら,沖縄は他の地域とは明らかに差別されている,という思いが込められています。

そして,米軍に対する怒りとともに,日本政府,そして「本土」に住んでいる私たち日本人に対しても,
「どうして私たちだけを犠牲にして平然としているのですか」,という抗議でもあります。

「これほどの犠牲を払ってでも日米同盟を強化する必要があるのですか?」

これは,根本的な問題で,そもそも「日米同盟」とは沖縄の犠牲を前提として初めて成り立つ同盟です。

沖縄の人にすれば,そのような前提をもつ日米同盟は,政府や「本土」の人にとっては好都合かもしれませんが,
根本的に間違っていることになります。

「沖縄は植民地ですか?」 これも,ある意味では本質を突いた言葉です。

犯罪を犯しても,基地に逃げ込んだり帰国してしまえば,日本の警察権力は,米軍の協力がなければ事情聴取すらできないとうのは,
どう考えても植民地の状況です。

これは,アメリカが日本に「治外法権」である基地を持っていると言うことです。

ドイツは,日本と同じように敗戦国で,米軍を中止とする連合国の占領を経験しました。

しかし,ドイツは戦後,国内の米軍基地の縮小と裁判における主権を回復する努力を積み重ね,現在では完全にこれを確立しました。

しかし,日本はほぼ完璧にアメリカに抑え込まれ,対米従属路線をとり続けています。

このような日本側の態度を見透かして,アメリカは,強く押せば日本は間単に黙る,と見くびっています。

本国では住民の反対で飛行訓練ができない,オスプレイを日本で大ぴらに行っています。

しかも,当初の約束では,人家の上空では飛行モードからヘリコプター・モードへの転換は行わないはずなのに,実施しています。

また低空飛行を行わないはずのコースも堂々と飛んでいます。

この意味では,日本の空はオスプレイによって強姦されているともいえます。

東日本大震災の際に,「絆」とか「つながろうニッポン」といっった言葉がもてはやされました。

しかし,「本土」の人たちは,本当に沖縄の人たちと繋がっているのか,現在,ここが問われているのではないでしょうか。


(注)日米地位協定による規定 
全文 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/pdfs/fulltext.pdf
(17条5議事録)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/kyoutei/pdfs/17_00_06.pdf

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森口尚史氏の虚偽発表とマスメディアの権威主義

2012-10-19 06:12:29 | 社会
森口尚史氏の虚偽発表とマスメディアの権威主義

 本年9月,京都大学の山中伸弥氏が,ノーベル賞医学生理学賞を受賞したことは,日本人に大きな喜びと誇りを与えてくれました。

医学の素人の私でさえ,iPS細胞(人工多能性幹細胞)を作ることに成功したことは画期的なことだと思いました。

私たちの体は,たった1つの受精卵から,分裂を繰り返しながら,体のあらゆる組織に分化した結果として出来上がります。

というのは,受精卵とは,さまざまな細胞に分化できる能力をもった万能細胞だからです。

かし,たとえば一旦,皮膚となった細胞は,もう元の受精卵と同様の能力をもった細胞には戻れない,というのがこれまでの常識でした。

もし,これが可能なら,理論的には,体の一部から,全身,少なくとも臓器の再生が可能となります。

すでに,受精卵を使った,万能細胞の培養には成功していました。

これに対して,受精卵はすでに一つの「命」であるから,これは倫理的に問題あると言われてきました。

ところが,山中氏は,受精卵を使わずに,体の一部の細胞を「初期化」し,さまざまな臓器を作ることができる多能細胞(受精卵に近い細胞)
に戻すことに成功しました。

この意味で,山中氏の成功は画期的と言えるでしょう。科学の勝利とも言えます。

ただ私には,たとえ受精卵を使わなくても,クローン臓器を作ること(そして理論的にはクローン人間をつくること)に,
多少の疑念がないわけではありません。

この方法が治療に使えるようになれば,特定臓器の機能不全やガンの治療にとっては大きな貢献となるでしょう。

山中氏のノーベル賞受賞というニュースに日本中が湧いていたその直後に,突に,森口氏が,
iPS細胞を使った手術を6例行ったとの発表をしました。

時期だけに,多くのマスメディアが森口氏の発表に飛びついたのもむりがありません。

とりわけ,『読売新聞』は,この手術の成功をスクープ記事として大々的に書きたてました。

後に,森口氏自身が手術6例のうち5例はウソであったことを認め,残りの1例についても証拠を提示することができませんでした。

こうして,『読売新聞』は手術の成功が「誤報」であったことを認め,訂正・検証記事を掲載することになったのです。

ただ,私がここで問題にしたいのは,森口氏のウソの発表ではありません。

『読売新聞』側の説明にもあったように,記者は森口氏の経歴や所属大学の名前から,すっかり彼を信用してしまったのです。

ちなみに,森口氏は,自称ハーバード大学客員講師であり,日本での所属は東京大学医学部特任研究員であると言っています。

現職の東京大学の特任研究員(特定の研究のため期限付きの職位)という職位は事実です。

しかし,ハーバード大学客員講師(fellow) というのは1999年から2000年にかけてのことで,現在はまったく関係ありません。

後に,この森口氏を取材した記者が,彼は「ハーバード大学」と「東京大学」という名前を信用した,と述べています。

つまり,彼は本人自身や,語られたことの内容よりも大学の権威を信用したのです。

もし,森口氏の言うように,実際彼がiPS 細胞を使って心筋を作り,患者への移植手術に成功したとしましょう。

もし本当なら,これは世紀の大事件であり,世界中が大騒ぎしたはずです。

しかも,この手術は,ハーバード大学傘下のマサチューセッツ総合病院で行われたことになっているので,アメリカでは大騒ぎになっていたはずです。

しかし,世界はおろかアメリカでもまったく話題にならなかったのです。

さらに,この分野の第一人者である山中氏がまったく知らないことにも,『読売新聞』の記者は疑問をもたなかったのでしょうか。

初歩的な問題として,森口氏は看護士資格しかもっておらず,医師免許をもっていません。

誰が考えても,看護士が手術をすることはあり得ません。

以上,どの点からみても,最初から森口氏の説明は,矛盾だらけです。

しかも,これが取材した記者だけの問題ではないところが深刻です。

新聞社には,記者が取材した内容をチェックするスタッフがいるはずです。

それにもかかわらず,『読売新聞』は森口氏のウソや矛盾を見抜けなかったのです。

今回,手術の成功を報道したのは『読売新聞』だけですが,『日経産経新聞』,共同通信,日本テレビ放送網,がこのニュースを後追いしています。

森口氏は,日本社会の権威主義を知った上で,有名大学名を使ったはずです。

森口氏の目論見は,当初は見事に当たって『読売新聞』に取り上げてもらったことが,皮肉にも彼を窮地に追いやっていったのです。

森口氏の一連の言動は,ますます哀れに見えてきてしまいますが,彼自身も権威の虜になってしまったのでしょう。

自らの権威を振りかざしたい人は,同時に他の人や大学などの権威の前には弱いという特徴があります。

『読売新聞』という組織事自体に,無意識の権威主義があったのではなでしょうか。

いずれも典型的な権威主義者,エリート主義者のメンタリティーです。

ところで,今回の騒動とは直接には関係ありませんが,どうやら日本人,特に男性,は一般に権威主義が強く,肩書きを非常に重視します。

タレントやアナウンサーなど,名前と顔を知られた著名人などが,テレビのコメンテータとして登場するとき「~大学客員教授」
という肩書きがついていることがあります。

客員教授(あるいは客員講師)というのは,時間給で働くパートタイムの教員で,一回でも講義をすればこの肩書きをもらえることもあります。

大学側とすれば,人件費はほとんどかからなく,著名人を宣伝広告搭として使えます。

また,「客員教授」という肩書きをもらった人は,それで権威付けをすることができます。

こうして,両者の利害が一致して,「客員教授」が増えてゆきます。

そして,一般の人は「教授」という肩書きから,どのような学問的な実績があるかは分かりません。

しかし,その肩書きだけから,なんとなくその人物の言うことを信用してしまう傾向があります。

ここにも,権威に弱い日本人の精神構造が見られます。

今回の一連の騒動の背景には,新聞社のスクープ競争で功を焦ったという側面の他に,
有名大学の権威に盲目的にひれ伏してしまったマスメディアの側の問題を浮き彫りにしました。

しかし権威主義は,これは肩書きにこだわり,有名大学にこだわる私たちの姿勢と,どこかでつながっているような気がします。

この意味では,他人事ではないな,と感じています。

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「病気はなぜ,あるのか?」-進化医学が解き明かす病気の謎(2)-

2012-10-16 06:01:07 | 健康・医療
「病気はなぜ,あるのか?」-進化医学が解き明かす病気の謎(2)-


前回の記事で,進化論的医学について,その原理をごく簡単に説明しました。

それは,病気との関係を言えば次の二つに要約できます。

一つは,自然淘汰の過程では,生存に有利な遺伝子が選択され,それが繰り返し次世代へ受け継がれてゆくことです。

二つは,同じ原理で,生存に不利な遺伝子は,長い年月をかけて,徐々に排除されてゆくことです。

したがって,この原理に従えば,人間に死をもたらす病気の遺伝子は,自然淘汰の原理で,排除されてきてもよさそうですが,
現実には無数の病気があります。

というのも,たとえ自然淘汰の原理が働いたとしても,生存に不利な遺伝子を完璧に排除することはありません。

さらにやっかいなことに,生存に有利な遺伝子は常に良いことばかりではなく,不利な面ももっていることがある,という事実が重要です

逆に,一見,生存には不利な遺伝子に見えても,他の面で何らかの働きをしているかも知れません。

つまり,生物の進化は,有利な面と不利な面を差し引きして,有利な方が少しでも多ければ,それを選択します。

二足歩行により物を運んだり,道具を作り・使う点では有利で,生存の可能性を高めますが,腰痛というやっかいな問題をももたらします。
これは設計上の妥協です。

このように考えると,現在私たちが抱えている病気が「ある」ということは,次の幾つかの理由の結果ということになります。

一つは,ある確率で,明らかに生存に不利な遺伝子が排除されないで病気が受け継がれてしまうこと。
これは通常,先天的・遺伝的な病気となります。

二つは,ある遺伝子は生存に有利な面と同時に,病気を引き起こす不利な面をもっているが,
差し引きして有利な面の方が大きいので,その遺伝子が選択されていること。

三つは,人間が原始の社会で生活していたときには害がなかったのに,後に生活環境が変わって,不利な面が強く出てしまうこと。

たとえば,食べ過ぎ,お酒の飲み過ぎ,脂肪を摂りすぎ,過労,ストレス,運動不足などなど,
現代の社会の生活が不健康な要素が新たに加わることです。

四つは,これはとても重要なことですが,寿命が長くなったという生物にとっては根元的な変化が起こったことです。

これまで,「生存」にとって有利な遺伝子が選択されると書いてきましたが,ここには単に早死にしないとか,
深刻な病気にならない,ということだけではありません。

遺伝子にとって,あくまでも個人の生存ではなく,ヒトという「種」の生存が第一です。

「種」の生存にとって大事なことは,繁殖(子孫を残す)成功率が高いことです。

たとえば,繁殖成功率を高める病気として知られているのは躁鬱病です。

この病気の「躁」の状態を作る遺伝子が活性化状態にあると,性的活動が非常に活発になることが分かっています。

遺伝子はとても自分勝手で,それをもっている個々のヒトの病気にはそれほど関心がありません。

このような遺伝子の性質を擬人化して『利己的な遺伝子』という著名な本もあります。

さて,以上を頭において,まずは,ガンの問題を考えてみましょう。

ガンは,現代の日本人の3人に1人がこの病気で亡くなっています。

この意味では,現代の日本では,ガンはもう特殊な病気ではありません。

人間の体内では,古い細胞が死んでゆき,新しい細胞が誕生するという生と死の交代が日々行われています。

その際に,新しい細胞は古い細胞の遺伝子をコピーします。

しかし,一定の割合で必ずミスコピーが起こり,ここに,正常でない,異質な細胞,つまりガン因子をもった細胞ができます。

体はこのような異質の細胞を「異物」と認識し,免疫システムで排除しようとします。

若いうちは,免疫力が強く,ガン因子をもった「異物」を排除できます。

しかし,人間も年齢と共に,免疫力は低下し,不幸にしてガン因子を持った細胞が結晶化して,ガン細胞になると,いわゆるガンという病気になります。

この意味では,ガンは老化現象の一つとも言えます。

ただし,ガンが実際に発症するかどうかは,さまざまな条件に影響されます。

まずは,そのような体質(遺伝子)を親から受け継いだ場合があります。

「ガン家系」という言葉がありますが,それは,遺伝子を引き継いでしまった家系です。

もちろん,「ガン家系」の人が必ずガンを発症させるとは限りません。

そのほか,強いストレスも遺伝子を傷つける要因です。

タバコ,食品に含まれる合成保存料,着色料,残留農薬などの有害物質の摂取などなど,ガンを引き起こすと考えられる要因は多数あります。

それにしても,もし,ガンが人間の命を奪い,あるいは寿命を縮める大きな原因となっているとしたら,
なぜ,ガンをもたらす遺伝子が排除されないで現在も「ある」のでしょうか?

この疑問を解くには,進化論的な視点が必要です。

既に書いたように,ガン因子がガン細胞になるかどうかは,その人の免疫力との関係によって決まり,その免疫力は年を取ると共に弱まります。

ところが,現代人の直接の祖先が成立し,体の基本設計図が出来上がった旧石器時代(200万年前)から新石器時代にかけての寿命は,
せいぜい40代と考えられています。

寿命が短かった最大の理由はさまざまな感染症です。そのほか栄養の不足(不安定),寄生虫,怪我などで若年のうちに死んでいったからです。

つまり,免疫力が低下してガンで死ぬ年齢に達する前に大部分の人は感染症で死んでいったのです。

すると,ガンが主要な死因ではないので,ガンを引き起こす遺伝子を排除する必要がなく,結果として,現代までこの遺伝子は残っていると考えられます。

このような長寿は,遺伝子からすると「想定外」だったのです。

しかも,遺伝子からすると,すでに生殖を終え,子孫を残した後なら,若年死もそれほど問題ではありません。

医学の発達により感染症による死亡は激減し,寿命が延びた代わりに,私たちはガンの発症というやっかいな問題を抱えてしまったのです。

さて,ガンの中でも,乳ガン,子宮がん,卵巣ガンなど,婦人科系のガンの増加については,
近代の繁殖パターンの変化が大きく関わっていることが分かってきました。

どの年齢においても,婦人家系のガンになる確率は,女性がそれまでに経験した月経周期の数と直接に比例して増加するという事実があります。

石器時代の女性は,15才に始まる初潮から閉経まで,長く生きた場合でも月経は平均で150回以下だったようです。

というのも,妊娠・出産,授乳のたびに3~4年間は月経が中断されたからです。

しかも,女性が生殖年齢に達すると,かなり連続的に妊娠・出産を繰り返していたようです。

現代の日本の女性の場合,石器時代の女性の2~3倍の月経周期を迎えています。

現代はさらに,避妊という人為的な妊娠の回避が行われ,妊娠の機会が減り,月経回数が増加し,
そしてガンが増えるという循環を生み出しています。

これにはさらに詳しい説明が必要ですが,全体の仕組みは以上の通りです。

最後に一つだけ,病気に関する興味深い仕組みを紹介しておきます。

マラリアという,高熱を発し,悪化すれば死に至る熱帯病があります。

高熱は確かに苦痛ですが,その高熱が体内のさまざまなウィルスや細菌を殺し,病気を防いでいる可能性が大きいのです。

私たちは,個々の病気を,マイナス面だけを見がちですが,ひょっとすると,ある病気に罹ることで,
他の病気を防いでいるのかもしれません。

現代の医学ではこのような発想はまったくありませんが,進化論的医学の観点からは,充分に考えられることです。

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「病気はなぜ,あるのか?」-進化医学が解き明かす病気の謎(1)-

2012-10-13 14:02:15 | 健康・医療
「病気はなぜ,あるのか?」-進化医学が解き明かす病気の謎(1)-


今回は,R・M・ランドルフほか『病気はなぜ,あるのか-進化医学による新しい理解-』
(新曜社,2001年)を手掛かりに,そもそも「病気はなぜ,あるのか」を考えます。

2001年に翻訳出版されたこの本は,出版以来今日まで,日本ではほとんど話題になっていません。

「人はなぜ,病気に罹るのか」は,これまで医学が一生懸命解明を試みてきた問題です。

たとえば,喫煙と肺ガンとの因果関係とか,コレラ菌とコレラの発病との関係などです。

また,病気になると,私たちの身体の「何がどうなること」をいうのかといった問題もこれまでの医学の得意分野です。

つまり従来の医学は,病気の原因を突き止め,次に,それではどのように治療すべきなのかを考えます。

しかし,これまでの医学では,そもそも病気は,なぜ「あるのか?」という問いを発想することさえありませんでした。

現実に,おびただしい数の病気が存在しているのだから,いちいち,それらがなぜ「あるのか」を問うのは意味がない,
ということでしょう。

ここで,「なぜ,あるのか」という問いは,哲学的あるいは宗教的な意味での「なぜ」ではありません。

この問いは,生物学的な進化論,とりわけダーウィンの自然淘汰の原理から,なぜ病気が存在するのかを問いかけているのです。

まず,この問いの背景となった進化論的医学の考え方を簡単に紹介しておきます。

現在の私たちの体は,数十億年もかけて海中の微生物から次第に進化の結果,たどり着いたものです。

そして,その間に経験してきたの全ての変化を,遺伝子の中に何らかの形で引き継いでいます。

たとえば魚類の時代を考えると,母親の胎内の赤ん坊は,「海」(羊水)の中で,魚の時代の鰓(えら)呼吸をします。

400万年以上も前にホモサピエンス・ホモサピエンスとして地上に登場した後でも,環境の変化に適応して進化を続けてきました。

たとえば,暑い地域で生きてきた人たちは,暑さに耐える遺伝子を,そして北極圏の寒冷地に住む人は寒さに耐える遺伝子を獲得してきました。

この過程を進化論的に説明すれば次のようになります。

たとえば視力の良い人のほうが,ほんのわずか(たとえば0.001%)でも,他の人より生き残る確率が高ければ,

数百万年という長い年月のうちには,そのような遺伝子をもった人が生き残り,そうでない遺伝子をもった人は淘汰され排除されてしまいます。

これが,自然淘汰と呼ばれる,生物進化を説明する基本原理です。ここでは進化と病気について考えてみましょう。

なぜ病気になるのか,という問いに対しては二種類の説明が可能です。

一つは,通常の病気の因果関係的な原因論で,至近要因(直接的要因)と呼ばれる説明で,もう一つは進化的要因です。

たとえば,動脈硬化症という病気を考えてみましょう。

この場合,脂っこいものを食べ過ぎ,それが血管の内側にアテロームと呼ばれる粥状の脂肪が付着することが至近要因です。

これにたいして,進化論的医学は,そのような害を人体に与えるのに,なぜ,自然淘汰は,脂肪を欲しがったり,

コレステロールを蓄積させたりする遺伝子を排除してこなかったのだろうか,と問います。

私たちは悪いと分かっても脂肪を欲しがります。油が乗った肉や魚を美味しいと感じます。

それはなぜでしょうか? このような問いかけ,通常の医学ではしません。

進化論的医学では,脂肪を欲しがり,コレステロールを蓄積させることには,その害よりも大きな利点があり,
より生存の可能性が高まるからだ,と考えます。

まず,私たちの活動の源であるカロリーの問題から考えてみましょう。

脂肪は1グラム当たり9キロカロリーありますが,炭水化物やタンパク質は4キロカロリーです。

もし,炭水化物やタンパク質だけで必要なカロリーを賄おうとすると,ヒトは2.25倍の体重が必要になり,それに相当する大量の食糧を必要とします。

人類がこの地上登場したころ,大量の食糧を日々確保することは現実には難しかったのです。

脂肪に含まれるコレステロールにしても,60兆個の細胞膜を保護したり,ホルモンを合成したり,人間の生存に欠かせません。

実は,人類が,もっと自然に生活していたときには,脂肪もコレステロールも無害でした。

しかし,カロリーを必要以上に摂取するようになったり,運動不足,ストレスが加わって,脂肪やコレステロールが病気の一因となったのです。

このように人体には,一つのことが,良い方向に向かうと同時に悪い方向に向かう場合が少なくありません。

このため,ある目的に必要なことを得るために,不要どころか,害も取り込んでしまうことも珍しくありません。

しかも,ある段階では無害だった物事が,人間の生活状況の変化によって害になることはたくさんあります。

遺伝子は原則として少しでも生存に有利な性質を残すように進化しますが,いつも良いことばかりではなく,時には妥協も必要になります。

たとえば人類が二本足で立つようになることによって,食糧を確保・運搬すること,手で道具を作ることを可能しました。

しかし,それにより腰痛という問題を抱えることになりました。つまり,トレード・オフの関係ですね。

時には,状況に急いで適応するために,設計上の問題が起こることもあります。

たとえば,生物が海から陸に上がる過程で,その変化が体の構造を適応させるには,進化という面からすると。あまりにも短期間に行われました。

このため,ヒトの体は,食道と気管とが隣接してして,喉を通るものが,空気の場合と食べ物のとによって,食道と気管に振り分けます。

しかし,時にはこの振り分けがうまく行かないで,食べた物が気管に入ってしまうこともあります。

これは,体の設計上の問題を抱えています。

以上の説明からも分かるように,進化論的医学は,特定の個人が,なぜその病気になったのか,という問題は直接には扱いません。

またそれは,医学の具体的な目的である,病気治療の方法を探求したり開発することもありません。

そうではなくて,ヒトという一つの生物種が進化の過程で引き継いできた遺伝的特質から考えて,

そもそも,ある特定の病気が「なぜ,あるのか」,という根元的な問題を考えます。

この際,あくまでも「自然淘汰」という生物進化の観点から病気を考えることが,出発点です。

ここで「自然」淘汰とは,環境の緩やかな変化に,ゆっくりと適応しながら,生存にとって,より有利な遺伝子が選択され,
不利な遺伝子が排除される,という原理です。

しかし,病気は「自然淘汰」という生物進化の原理だけで,説明できるわけではありません。

私たちの生活習慣の変化や,環境の悪化,薬物の常用,ストレス,運動不足など,身体に影響を与える,ありとあらゆる変化が,病気を促進します。

これらは,個人の病気の「至近要因」となります。

説明が長くなりましたが,以上は,進化医学という,非常に新しい病気の考え方を理解する上でどうしても必要なことです。

次回は,進化論からみた病気のうち,ガンを中心に,「病気はなぜ,あるのか」を具体的な事例についてみてみたいと思います。

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老・病・死とどう付き合うか-死から生を考える-

2012-10-10 07:34:48 | 健康・医療
老・病・死とどう付き合うか-死から生を考える-


今回は,中村仁一著『大往生したけりゃ 医療とかかわるな-「自然死」のすすめ-』(幻冬新書,2011年)の紹介をとおして,
「生きること」と「死ぬこと」という問題を考えてみたいと思います。 

仏教用語に「四苦八苦」という言葉があります。うち,「生・老・病・死」の「四苦」は,すべての人が逃れることができない苦悩であるとされています。

とりわけ「死」は,最大の恐怖と苦悩と言えるでしょう。
 
人は誰も,頭の中では,いつか自分が死ぬことを知っています。しかし私たちは,本音では,自分が死ぬとは本気で考えていないのではないでしょうか。

あるいは,正面きって考えるのはあまりに恐ろしいので,できる限り自分の死を考えないようにしているのではないでしょか。
 
私たちが心のどこかで,死は自分のことではなく誰か他の人のこと,と考えたくなるのも無理がありません。

しかし,いくら死を頭から追い出し,死から目をそむけても,死はすべての人に例外なく発症する病なのです。
 
死を恐れる理由は人によって異なりますが,共通しているのは,死に至るまでに味わうであろう病の苦しみや激しい痛みの恐怖ではないでしょうか。
 
だから「ピンピン コロリ」,つまり,死ぬ直前まで元気でピンピンしていて,死ぬときは苦しまずにあっという間にコロリと死ぬことが万人の理想となるのです。

しかし実際には,理想どうりにはゆきません。 

著者の中村氏は現在,京都の特別養護老人ホーム「同和園」付属診療所の所長を務める医師で,1996年(平成14年)から市民グループ「自分の死を考える会」を主催しています。

本書の目的の一つは,この市民グループの会や,医師としての経験から,避けることのできない死をどのように受け止めたらよいのか,

どうしたら大往生できるのかを,具体的に示すことです。

それも常識破りの,かなり意表をつく考え方が次々と示されます。
 
ただし,中村氏が本書で訴えたかったことは,大往生の方法を説くことではありません。

自分の「死」「死」を直視することによって,「生」を見直し,生き方を変えることを訴えています。
 
著者の主張は,章や節のタイトルを見れば,説明が要らないほど明らかなので,以下に,それらを示してゆきたいと思います。
 

第一章のタイトルは,“医者が「穏やかな死」を邪魔している”,です。

このタイトルだけでも,現代医療に対してかなり挑戦的ですね。

この章は「医療にたいする思い込み」「本人に治せないものを,他人である医者に治せるはずがない」,「『自然死』の年寄りはごくわずか」,

「介護の『拷問』を受けないと,死なせてもらえない」など,かなり挑戦的な内容になっています。

一言で言えば,不要な医療行為が,年寄りを苦しめ,本来なら穏やかな「自然死」を邪魔している,というのです。


第二章は “「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」”,がテーマです。

「極限状態では痛みを感じない」,「自然死のしくみとは」,「家族の事情で親を生かすな」,「長期の強制人工栄養は,悲惨な姿に変身させる」,

「食べないから死ぬのではない,『死に時』が来たから食べないのだ」,「死に時をどう察知するか」,「「年のせい」と割り切った方が楽」,

「「看取らせること」が年寄りの最後の務め」,「死ぬときのためのトレーニング」などです。

この章の結論は,「死に時」がくれば食物も水分も摂らなくなり,死の間際でも痛みも苦しみもなく枯れるように穏やかな「自然死」に向かうというものです。


第三章のテーマは“がんは完全放置すれば痛まない”です。

その内容は,「死ぬのはがんに限る」,「がんはあの世からの『お迎えの使者』」,「がんで死ぬんじゃないよ,『がんの治療』で死ぬんだよ」,「早期発見の不孝,手遅れの幸せ」,

「手遅れのがんでも苦痛なしに死ねる」,「最期を医者にすがるのは考えもの」,「がんにも『老衰死』コースあり」,「安易に「心のケア」をいいすぎないか」などです。

今や,がんは2人に一人がかかり,3人に一人は死ぬ病気」と言われているように,がんは今や国民病であり死因のトップになっています。

しかも多くの人は,がんは激しい痛みをともなう,恐ろしい病だと思っています。

しかし,著者がかかわった8年間についてみると,「同和園」でのがんによる死者52名のうち,麻薬を使うほど痛んだケースは一例もなかったとのことです。

これが事実のもつ強みで,説得力があります。
 
著者は実際の経験から,がんは手術,放射線,抗がん剤などの攻撃を受けなければ,暴れて激しい痛みを伴うことがないと確信しています。

しかも,がんの場合,あっという間に死ぬことはほとんどなく,人生の締めくくりの整理をしたり,親しい人にお別れの挨拶をすることができます。

そこで著者は,「死ぬのはがんに限る」という結論に達するのです。
  

第四章のテーマは“自分の死について考えると,生き方が変わる”です。

ここでは著者自身の体験を踏まえて,「『生前葬』を人生の節目の『生き直し』の儀式に」,「延命の受け取り方は人によって違う」,

「死を考えることは生き方のチェック」,最後に「自分の死を考えるための具体的行動とは」が語られます。
 
たとえば「余命6ヶ月」を想定し,したいことの優先順を書き出す」という提案です。

先に書いたように,私たちは自分が死ぬことを本気で信じていないので,日々の生活において何が大切なことなのかを考える手掛かりがありません。

しかし,「余命6ヶ月」といいう年限を定めることによって,俄然,優先順位をつける必要に迫られます。これは老人であろうと,若者であろうと同じことです。

私は,この考え方は非常に重要で,大いに参考になる方法だと感じました。


第五章のテーマは,“「健康」には振り回されず,「死」には妙にあらがわず,医療は限定利用を心がける”,です。

この章は,「生きものは繁殖を終えれば死ぬ」,「医者にとって年寄りは大事な『飯の種』」,「健康のためならいのちもいらない」,「生活習慣病は治らない」,

「年寄りはどこか具合の悪いのが正常」,「病気が判明しても手だてがない場合もある」,「人は生きたように死ぬ」など,

人間の正常なサイクルとしての「死」が語られます。

著者は人の一生を「繁殖期」と「繁殖を終えた年代」とに分けます。

その上で,繁殖を終えたら,病にあまり振り回されず,最終的には天寿をまっとうする「自然死」に至ることを理想としています。

ちなみに著者によれば,「繁殖を終えた」年代とは,子供を産み一人前に育て終えた人,とは,男性は還暦のころ,女性は閉経が一応の目安です。

すでに還暦を越えてしまった私自身,もう天寿をまっとうした,という心境になるのは簡単ではありません。

中村氏の実践に基づく主張は説得力がありますが,もし,現実に自分がガンを宣告されたら,中村氏のいうように冷静に対処できるかどうか,分かりません。

しかし,それを差し引いても,「同和園」で,ガンで亡くなった患者さんの誰一人として麻薬を使うほどの痛みを感じなかったという事実は勇気を与えてくれます。

本書には,ここで紹介しきれない,たくさんの興味深い事実や,著者の考え方が示されています。

自分の「死」と,そして何よりも「生」を考えたい人に,是非,一読をお勧めします。

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「交渉」ができない日本政府-「交渉」は0対100から始まる-

2012-10-07 08:58:57 | 政治
「交渉」ができない日本政府-「交渉」は0対100から始まる-


日本は今,国益をかけた重要な外交案件をたくさん抱えています。

たとえば,北方四島,尖閣列島,竹島などの領土問題,TPP参加問題,など,重要な問題が山積みです。

このような問題が発生するたびに私は,日本政府や外務省は,本当に「交渉」ということが分かっているのだろうかと心配になります。

というのも,日本の長い歴史の中で,外国との粘り強い交渉をしてきた実績が余り無いからです。
 
外交問題で「交渉」ができない日本政府の無力さ・無能さを,オスプレイ配備の問題を例に考えてみましょう。

アメリカ政府は,2012年6月末に,オスプレイという垂直離着陸形輸送機を沖縄の普天間基地へ実践配備することを日本政府に通告しました。

そして,オスプレイは7月には予定通り岩国の米軍基地に陸揚げされ,10月始めには12機全てが沖縄の普天間基地に移されました。

普天間基地の周辺は住宅が密集しており,アメリカでさえ「世界一危険」であることを認めています。

そんな危険な地域に,これまでも何回も事故を起こしている航空機を配備し,おまけに低空飛行訓練を始めてしまいました。

オスプレイの飛行訓練は,アメリカ本土でも,当初予定された区域では住民の反対によって行われないことになっています。

さらに,ハワイでは環境保護と先住民ゆかりの施設があるから,という住民の反対で,これも中止が決定しました。

これらの動きをみていると,アメリカは日本に対しは,住民の反対に耳を傾ける意志は全くないことが分かります。

それでは,この迷惑なオスプレイの配備にたいして日本政府はどのように対応してきたのでしょうか。

アメリカ政府はオスプレイの配備を「接受国通告」という形で日本に通告してきました。

これは,日米安全保障条約に基づく,受け入れ国(日本)に対するアメリカの一方的な「通告」です。

したがって,通常兵器の追加へ変更に関して法律的には,アメリカは日本政府の了承を取る必要も,事前に交渉する必要のない問題であると考えています。

他方,野田首相は,この問題はアメリカが決定した以上,日本は条約上何かを言う権利はない,という態度を取り続けています。

ただし形式的には,「オスプレイの安全性が確認されないかぎり飛行訓練をしない」,という点は日米で合意されていました。

政府は,たびたび事故を起こしている,オスプレイの安全性が確認されたら,という条件付きではありますが,
政府は,飛行訓練も含めてアメリカの「通告」を受け容れると発表しました。

しかし,アメリカが安全性を疑わせるような報告書を日本に渡すはずもありません。

なく,日本政府がアメリカの報告書を検討した結果,「安全性は確認されました」という結論を発表することは最初から決まっていました。

どうやら歴代の日本の首相も官僚も,国際社会の場で行われる「交渉」ということが分かっていないのです。

安保条約で決まっているから,というところで,粘り強く交渉することを最初からあきらめていて,交渉する発想さえないのです。

これでは,そもそも外交交渉という政府にとっての重要な責任を果たすことなどできません。

私が,「交渉」とはこのようなものなのか,を知ったのは,私の研究分野である,東南アジア,特にインドネシアの歴史を通してでした。

第二次世界大戦の初期に,シンガポールを陥落させた日本軍は,当時,この地域を管轄していたイギリス軍との降伏交渉に入りました。

この時,日本側は山下奉文陸軍大将で,相手はイギリス軍司令官のアーサー・パーシバル中将でした。

パーシバルは,降伏を受諾する権限は自分にはない,との主張を繰り返し,なかなか降伏には応じませんでした。

これ対して業を煮やした山下奉文はパーシバルに,「イエスかノーか」を迫ったと言われています。

実際には,通訳を通しての交渉で,言語的な問題もあり,強圧的に降伏を迫ったというより,端的に結論を聞きたかっただけのようです。

しかし,そのような事情を考慮しても,「降伏」という重大案件に関してはあまりにも性急すぎます。

次に,戦前にはインドしネシアを植民地化していたオランダ勢力との戦闘で勝利した日本軍は,オランダ側に降伏を迫りました。

この時,オランダ軍の代表団と日本側の代表団とがジャカルタで降伏交渉を行ないました。

オランダの代表団は銃を構えた日本軍によって囲まれ,降伏を迫られたのですが,ここでも彼らは,
降伏を受諾する権限をもっているのは国家元首だけで自分達にはない,と降伏を拒否し続けました。

シンガポールのイギリス軍もインドネシアのオランダ軍も,立場としては0対100の関係で,とうてい抵抗できる状態にはありません。

それでも,とにかく可能な限り頑張る,という姿勢は共通しています。

実態としては,イギリス軍もオランダ軍も日本軍に降伏した形になりました。

しかし,彼らは,このような絶対的に不利な立場に置かれながら,軍人の扱い,捕虜の待遇,食事,武器の管理などなど,
細かな問題について一つ一つ,粘り強い交渉をしていったのです。

西欧社会では,どんな小さなことでも,一つだけでも譲歩を勝ちとる条件闘争が「交渉」だと考えているのです。

そもそも「交渉」とはそのために行われるもので,両者の見解が一致していれば,あるいは一方が相手の要求を丸飲みするなら,「交渉」は要らないのです。

ヨーロッパ諸国は,あの狭い地域の多数の国がひしめき合い,歴史を通じて戦争と戦後の交渉をずっと繰り返してきました。

そのような長い伝統が,戦争における敗北という究極の場面でも発揮されたのです。

これにたいして,日本は外国との外交交渉の歴史と経験が,ヨーロッパ諸国と比べてはるかに短く浅いのです。

第二次世界大戦の敗戦で,「無条件」降伏をし,そして,その後の占領軍(実態は米軍)による占領中も,粘り強い交渉はしませんでした。

この姿勢は現在でも変わらず,アメリカに対しては,ほとんど粘り強い交渉をしていません。

「安保条約で,そのように決まっているから」,という野田首相の姿勢にあるように,最初から,交渉しない理由を考えて発言しています。

これほど危険で,アメリカ本土では人家のある場所での飛行訓練ができないようなオスプレイの配備を,
「通告だから」の一言で「交渉」を放棄してしまうなら,政府も外務省も必要ありません。

対米関係で言えば,交渉力のなさは,民主党に限らず,むしろ60年以上にわたる自民党政権時代にしっかりと根付いてしまった外交姿勢でもあります。

英語で,粘り強い交渉人のことをタフ・ネゴシエーター(tough negotiator) と呼びます。

日本の外務省も政治家も「イエスかノーか」の二者択一的な発想が強いように思われます。

強い相手に対して,そして自分たちの方が圧倒的に弱い立場にあっても,粘り強く交渉できるタフ・ネゴシエーターがいません。

沖縄に配備されたオスプレイは,基地内でしかヘリモードで飛行しないことになっていましたが,現在は住宅密集地の上空をヘリモードで飛んでいます。

一歩譲れば,相手は一歩こちらに踏み込んでくる,というのが外交交渉です。

もうアメリカは,日本は何でも受け容れると高をくくっています。

アメリカは,オスプレイの次はステルス戦闘機の配備も予定しています。

これからの日本の国益を守るためには,政府,官僚,財界,そして何よりも市民が粘り強い交渉に耐える精神の強さを持つ必要があります。

外交とは,強気で出るということではなく,粘り強い交渉をすることです。

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尖閣問題の背後で(2)-日・中・米の危険なチキンレース-

2012-10-03 17:31:57 | 政治
尖閣問題の背後で(2)-日・中・米の危険なチキンレース-


今回は前回の続きである日・中対立の陰の主役であるアメリカの戦略と,日・中・米3国の危険なチキンレースがテーマです。

まず,アメリカの日本と中国に対するスタンスを確認しておきましょう。

冷戦期のアメリカは,ソ連と対決するために,東アジアにおける基軸を確かに日米同盟に置いてきました。

そして,アメリカは中国の共産党支配体制にも警戒心をもっていました。

しかし,冷戦が終わり,中国はもはや共産主義イデオロギーと体制を広める言動は陰をひそめました。

最近では中国の経済力は急激な成長を遂げ,政治・軍事的影響力も増大しました。

アメリカは中国を力で抑えることを止め,むしろ協調する方向に転換したのです。

特にオバマ政権以降は,はっきりと日本重視から中国重視へ軸足を移しました。

アメリカの貿易相手としても,2007年くらいから,日本より中国の方が大きな比重を占めるようになったのです。

尖閣問題に関してアメリカは1996年以降,日本,中国,どちらの側にも立たないことを明言して以来,一貫してこの姿勢を維持しています。

日本は,尖閣諸島が日米安保の対象になっていることをもって,いざと言うときには中国を軍事的にも抑えてくれるだろう,
と信じていますが,はたしてそうでしょうか。

安保条約の第五条がこの点について規定していますので,少し長い引用となりますが,大切なところなので全文を下に示しておきます。

第五条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、

 自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 
 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて
 
 直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。
 
 その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。(注1)


この条文をみると,一見,尖閣諸島およびその周辺で武力衝突が起きた場合に,アメリカは「自動的に」軍事出動するように見えます。

問題は,「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という箇所です。これは,アメリカ議会の承認手続きを経て,ということになります。

果たして,アメリカ議会は,日本のために中国と武力衝突に踏み込むことを承認するでしょうか。ここは,大きな疑問が残ります。

次に,「日本国の施政の下にある領域」という箇所には注意する必要があります。

「施政の下にある領域」とは,法律的には,管理している領域(実行支配している領域)のことで,必ずしも「主権の下にある」とか「領土」を意味しません。

これは沖縄返還時に,尖閣諸島を含む沖縄県に属する領域の「施政権」を返還する,となっていることと同じです。

現在,アメリカは尖閣諸島が日本の「施政の下にある」ことは認めていますが「領土」であるとは認めていません。

つまり尖閣諸島は,領土としての帰属は不確定で,その領有権を日・中が係争中(つまり領土問題は存在する)であるという認識です。

すると,中国の尖閣諸島にたいする武力攻撃にたいしてアメリカが軍事行動をとるためには,法理論的には,二つの条件が満たされなければなりません。

まず,現在の尖閣諸島の問題は「領土問題ではない」(係争中ではない),ということをアメリカ政府・議会が認める必要がありますが,
これはかなり難しい問題です。

次に,「領土問題ではない」ことを認めたとして,議会が軍事介入を承認しなければなりません。

これら二つの条件は,日本政府が楽観的に考えるより,はるかに高いハードルです。

以上の3国の戦略と主張を頭において,現在,尖閣諸島を巡って展開している事態の構図を考えてみたいと思います。

結論的にいえば,この3国の言動は危険なチキンレース(チキンゲーム)に入り込んでしまった,というのが私の印象です。

以下は,私の推測によるもので,必ずしも,正しい解釈というわけではありません。


まず,日本です。日本は,尖閣諸島については「領土問題は存在しない」という前提を貫いてゆくでしょう。

9月11日に尖閣諸島を「国有化」してしまいましたので,中国がどれほど強く非難しようとも,元に戻すことはできないでしょう。

日本は,外交努力によって,できる限り対立を解決しようと努力することが最重要の解決策であると考えています。

しかし,現状では,日本は従来の立場を変えず,中国も方針を変えなければ,妥協の余地はありません。軍事衝突に向かう可能性もあります。

不幸にして中国が軍事的な攻勢をかけてきた場合,日本としては,まずは警察(海上保安庁)などで対応することになるでしょう。

しかし,それでも対応しきれない事態になると,簡単に自衛隊が出動することもできず,現在のところ打つ手はなさそうです。

政府が唯一,頼りにしているのが米軍の介入ですが,既に述べたように,これはかなりハードルが高く,実現するかどうか全くわかりません。

ちなみに,日本に駐留している米軍は海兵隊で,これは日本を守るための軍隊ではありません。

太平洋,インド洋での攻撃用の部隊で,陸上戦を闘う米軍の実践部隊は日本にはいません。


次に中国の戦略です。前回も紹介したように,中国はアメリカに,この問題に介入しないよう申し入れをしました。

アメリカもどちらの立場にも立たないという原則は述べたと思いますが,その具体的な会談の内容は公表されていません。

このような手を打っておいた上で,中国は日本にありとあらゆる方法で尖閣諸島の実行支配を,おそらく実現するまで続けるでしょう。

たとえば,台湾,香港,中国の「漁船」と巡視船を何度も何度も尖閣諸島周辺か領海内に浸入を繰り返すなどは,日常化する可能性があります。

実際,国慶節という最大の祝賀期間にも,10月2日と3日には連続して巡視船が日本の領海に浸入しました。

さらには,現在は漁業監視船や巡視船ですが,いざ上陸となったら,日本の当局(現在は海上保安庁)との衝突を想定して,
さらに軍事的な艦船を動員する可能性もあります。

中国は,アメリカの介入にはクギを刺しつつ,日本にはあらゆる手段を使って執拗に圧力をかけ続けると思われます。

中国の国家主席は軍の最高指揮官でもありますから,現主席と次期主席を怒らせてしまった軍部が,計画的にか偶発的にか軍事行動にでる可能性もあります。

しかし中国側には,軍事行動を起こした場合,本当にアメリカが本当に出動しないのか確信が持てない,疑心暗鬼があると思われます。

というのも,アメリカは尖閣諸島も安保条約の対象であることを明言しているからです。

中国は,日本との経済関係が壊れることからくるダァメージは覚悟の上のようです。

というのも,中国から見て日本の市場はそれほど大きくありませんが,日本にとって中国はかなり大きな比重を占めているからです。いわば差し違え覚悟です。

ただし,日本との関係悪化が中国の雇用問題に波及すると,国民の不満が日本と同時に政府にも向けられます。これは何としても防がなければなりません。

中国政府は,反日と愛国精神の高揚は大歓迎ですが,国民の不満が政府に向うようになったら直ちに鎮圧に乗り出すでしょう。

愛国精神と政府への不満をコントロールも中国政府のチキンレースの一つです。

アメリカは以上の日本と中国の事情をにらみつつ,自国の利益を最大限に拡大しようとしています。

日本に対しては,尖閣諸島は安保条約の対象に含まれると言いつつ,中国に対しては,領土問題には介入しないという,いわば二枚舌外交を展開しているのです。

アメリカは日本に対して,以前はソ連の脅威を,現在は中国・北朝鮮の脅威を煽っておいて,軍事基地の提供とその費用負担(75%~80%も!)
を日本に飲ませた上,巨額の兵器を購入させています。

その見返りは,日本が攻撃された場合の軍事行動を取ることですが,これは「領土問題」には適用されないことはすでに述べた通りです。

しかし,万が一,尖閣諸島で中国が軍事行動を起こした場合,アメリカは重大な局面に立たされます。

もし,中国に対して何の反撃もしなければ,日本としては,基地提供と経費負担をしているのに,何のための日米安保条約なのかと,
その存在自体が根底から疑問視されます

いくらお人好しの日本でも,この時には日米関係の根本的な見直しをするでしょう。

しかし,もし日本の側に立ってアメリカが中国に対して軍事行動を起こせば,東アジアでもっとも重視している中国との関係を決裂させることになります。

こうなると,アメリカの二枚舌外交は破綻します。

現在は,日本の手詰まり感・米軍に対する不確かな期待,中国の強硬路線とアメリカに対する若干の疑心暗鬼,
アメリカの二枚舌外交という,3者の思惑が微妙なバランスの上にチキンレースを展開していると言えます。

しかし,このバランスは非常の脆く,いつ何時,崩れるか分かりません。

尖閣諸島は,日本の国内法では疑う余地のない「日本の領土」ですが,中国も自分たちの主権を,記録に基づいて領有権を主張しているのが現状です。

そうである以上,いつまでも,「領土問題は存在しない」と対話を拒否しては,さらに深刻な事態になる可能性があります。

このような時,勇ましい発言は一時,大衆受けするかも知れませんが,どこに最終決着をもってゆくのかの明確な展望と,
確かな出口戦略がなければ,多くの国民を危険にさらすことになりかねません。

日本は中国との交渉を恐れず話し合う次期に来たと思います。

(注1)外務省のホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.htmlに日本語の全文が掲載されています。

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