大木昌の雑記帳

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「だましてほしい国民」?―思考停止と現実逃避―

2014-04-27 05:28:34 | 政治
「だましてほしい国民」?―思考停止と現実逃避―

『東京新聞』3月18日(朝刊)の「だましてほしい国民」という,やや挑戦的なタイトルの記事は,多くの人
何となく思い当る節があるのではないでしょうか。

その署名入り(白名正和,榊原崇)の記事は次のような書き出しから始まっています。
   社会のたがが外れてしまったように感じるのはおおげさだろうか。けれども,右を
   向いても左を見ても「ウソ」が横行している。
   ここ数年,世の中にウソがまん延している。確かにウソは昔からあった。
   だが,これほどまでに人びとがウソに慣らされてしまった時代は記憶にない。

確かに,最近はウソが社会問題になる事例が目立ちます。まず,ばれることはない,あるいは,事実を隠し通せるという想定のも
とで,堂々とウソを言う場合もあります。

そうではなくて,ばれることを承知の上で開き直ったウソを言う場合もあります。

たとえば,かつての東京都知事の猪瀬直樹氏が医療法人「徳州会」側から5000万円を受け取ったとされる問題に関して,猪瀬
氏はあくまでも「個人的」な借金で,政治資金ではないと説明しました。しかし,どう取り繕ってもウソを維持できず,ついには
辞任に追い込まれました。

同じように,「みんなの党」代表の渡辺喜美氏は,化粧品会社大手のDHC会長,吉田嘉明氏から,選挙の直前に計8億円を「個人的
に」借りたと説明してきました。

しかし渡辺氏の弁解は,誰が聞いても説明になっていないし,高額な「熊手を買った」といった部分は,聞いているほうが恥ずか
しくなるような子供じみた弁解でした。

猪瀬氏の場合も渡辺氏の場合も,まさかばれることはないだろうとの想定の上で,実際には選挙資金を受け取り,それがばれてし
まった事例です。

これらの金銭問題がどんな法律に違反し,どのような罰則があるのかは別として,彼らの言動には,たとえばれても,言い逃れが
できなくなるまでは,ウソをつき通してゆこう,という姿勢が伝わってきます。

こうしたウソは,政治家に多いようですが,一般人でも世間をだまし続け,ウソを言い続ける場合もあります。

「現代ノベートベン」ともてはやされた佐村河内氏の作曲とされてきた楽曲が,実は新垣隆氏の作曲であったことを新垣氏が暴露し
てしまったために,これまでの,手の込んだ演技やウソがばれてしまいました。

それにしても,佐村河内氏のように日本社会全体にむかってこれほど堂々とウソをついたのは,一般人としては近年ちょっと例を
みません。

猪瀬氏のウソも,渡辺氏のウソも,そして佐村河内氏のウソも,それなりに社会に対して大きな影響をあたえましたが,それでも,
問題の深刻さという点では日本社会に大きく関わるというわけではありません。

しかし,原発に関しては多くの人の命と健康に影響を与えるだけに,ウソは許されません。古くは,「原発は絶対に安全です」と
いう政府と東京電力の「安全神話」というウソは,2011年3月11日の東日本大震災で原発の爆発事故が起きてしまったことで見
事に覆されました。
 
こんなこともあって,前回の衆議院議員選挙の自民党の公約集には,将来的に脱原発を目ざすといいながら,現在では脱原発は完
全に否定され,むしろ「ベースロード電源」(基本的な電源)として位置づけています。ということは,選挙公約はウソだったこ
とになります。

選挙で圧勝したあとの安倍政権は,現在運転を中止している原発の安全性が確認できれば,再稼動を積極的に進め,必要なら原発
の新設さえ認めようとしています。

この場合の「安全性」とは,原発が立地している場所の下に活断層がないこと,津波から原発を守ることができる防波堤があるこ
と,非常用電源が安全な高台にあること,などです。

この背後には,もう一つの重要なウソがあります。福島第一原発の爆発の原因として政府と東京電力は,津波による非常用電源の
全喪失が原因であると主張しています。

しかし,さまざまな状況証拠からみて,すくなくとも1号機については津波が原因ではなく,地震の衝撃そのものにより原発の配
管その他の部品に破断が発生したと考えられます(『東京新聞』2014年3月5日,朝刊)。(注1)

しかし,これを認めてしまうと,地震国日本では,どこでも地震による原発事故が起こり得ることになるので,東電も政府も,た
とえウソでも津波による事故といい続けているのです。

原発事故に関して,も一つ世界に向かって発してしまったウソがあります。それは,2020年のオリンピックの開催地として名乗り
を上げた日本のプレゼンテーションで,安倍首相は,現在,汚染水は0.3平方キロメートルの湾内に閉じ込められている(under
control)と断定的に言いました。

しかし,これもまったくのウソで,当時から現在まで,放射能汚染水は湾外の海洋に流れ出しています。

原発関連で,もう一つ見逃せないのは,核燃料サイクルを稼動させ,使用済み核燃料を再利用するというウソです。1993年から建
設が始まり,現在まで,青森県六ヶ所村の再処理工場も実用段階に入っていないし,再処理された燃料を利用する高速増殖炉
(もんじゅ)も稼動していません。

政府は,核燃料サイクルを稼動させるから,今後も原発を再稼動させることができる,という虚構の説明をしています。これらは
官僚の天下り先,老後の糧としても手放せないようです。   

国家的な規模の大きなウソはまだまだあります。一昨年,民主,自民,公明の三党合意で,2014年4月1日から消費税を5%から
8%に上げることを決めた際,国民に負担を押し付けるだけでなく,国会議員も身を切る改革として,議員定数の削減をすること
になっていました。

しかし,原発再稼動の問題と同様,自民党が選挙で圧勝して1年以上経った今日,消費税は予定通り上がりましたが,国会議員の
定数は減っていないどころか,議題にすらあがっていません。ここにも大きなウソがあります。

TPPにしても,主要5品目は「聖域」として絶対に守る,「聖域」なきTPPには参加しないとまで言って日本も参加しましたが,
この約束は事実上,反故にされています。

問題は,時の権力者である首相や政府のウソにたいして,国民の大きな批判と糾弾が起こってよさそうなのに,その声や力は政府
を動かすほど大きくなっていません。

これは,安倍政権の支持率が依然として60%近くあることに示されています。

おそらく,大部分の日本人は,政治家や民間人のウソには気づいているとは思いますが,それらにいちいち抗議したり問題視する
ことはほとんどありません。

冒頭に引用した「だましてほしい国民」という記事は,なぜ日本人は,こうもやすやすとだまされてしまうのかという疑問に対し
て,結局,日本人は「だましてほしい国民」なんだと言っています。

しかし,このような表現は日本人の不変の国民性であるかのような決めつけであり,私は賛成できません。

この記事では東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授の以下の説を引用しています。
  だましてくれるなら,それでいいという風潮が広まっている。テーマパークのファンタジー空間が人気を博すのも,
  作りものを見て満足したいという心理。根本は同じだ。
  汚染水をめぐる安倍首相の発言は明らかにウソだったし,国民も『本当ではない』と,
  心では思っていた。だが,実際に五輪招致が決まるや,うやむやになった。国民として
  開催を歓迎しないわけにはいかないと思ったからだ。

安冨氏によれば,巨大な財政赤字が存在するのに,高速道路やダムを造り,年金を払い続ける状況にも通じるという。

「いわば,国と国民が共犯関係にある。これは立場主義の弊害だ」ということになります。

そして,「立場主義」が日本社会の根幹にあり,これが諸悪の根源だ」と指摘しています。

私も,「国と国民が居藩関係にある」という点は同感ですが,その理由は安冨氏とは異なります。安冨氏は,日本で
「共犯関係」ができてしまうのは,「立場主義」があるからだという。

上の汚染水問題に関する安倍首相の発言について言うと,「言っていることはウソだけど,五輪招致を進める安倍首相
としては立場上,あのように言わなければならなかったのだろう」と納得してしまいます。

そして「国民という立場」では,いちいち批判せず,五輪開催を歓迎しないわけにはゆかない,と考えることを指します。

つまり,個人の考えより,妻,会社員,公務員など立場から導かれる思考を個人の意見を重んじる傾向だと定義します。

ここに国と国民の共犯関係が出来上がるというのです。

確かに,「人を殺すのはいやだと思ったが,軍人という立場上やむをえなかった」という風に,立場主義は自分をも他人
をもごまかすのに便利だし,日本人はこのような言い訳をつかってきました。

しかし,私は,「だましてほしい」という心理の背景には,安冨氏とは違い,「思考停止」と,それと密接に結びついた
「現実逃避」もあると思っています。

たとえば,私たちが政府のウソに気づいても,そのウソの原因や影響について考え続け,さらに批判・追求することには,
とても辛抱強い思考が必要であり,追求ということになると時間もエネルギーも,金銭的にも大きな負担が必要になります。

多くの国民は,ウソはウソとして,問題は問題として認識はするものの,それ以上は考えないことにしよう,という意識的
な「思考停止」を決め込んでいるのではないでしょうか。

「立場主義」という思考方法も,思考を停止する,一つの方便だと思います。「あんな風に言うのも,立場上仕方がない」
と思えば,
それ以上考える必要はなくなります。

むしろ,だまされていたほうが,「楽」なのです。これは思考停止と同時に現実逃避の姿勢でもあります。

言い換えると,なまじ真実を突きつけられるよりは,「だましておいてほしい」,あるいは「だまされていたほうが楽」
と思うようになった,という意味なら冒頭の記事のタイトルは理解できます。

一方,政府にしても,そのような国民の心情を十分に分かった上で,平然とウソを通すことになります。こうして,国全体
でウソが再生産され,まん延してゆくのだと思います。

しかし私は,「立場主義」を日本人の不変の国民性とは思っていません。戦後の日本を見ただけでも,たとえば,田中角栄
元首相の不正とウソにたいして,決して「立場上,しかたがない」とは認めませんでした。やはり,「立場主義」が顕著に
でてくるには,その時々の歴史的な条件があったのだと思います。

これを裏付けるように,記事を書いた二人の記者は「ここ数年」とも「これほどまでに人びとがウソに慣らされてしまった
時代は記憶にない。」と言っています。

「これほどまでに・・・時代は記憶にない」と言う際の「時代」とは「最近」のことを指しているのだと思われます。

最近のウソとして,記者たちが最初に挙げているのは,野田首相(当時)が2年ほど前に福島原発事故の「収束宣言」です。
ただしこれは,意図的なウソというより,事態を正確に把握していないために「結果的に」ウソとなった事例です。

しかも,国民は,決してこのウソにだまされたわけではなく,むしろ猛烈な批判が起こりました。

雲行きが怪しくなってきたのは,上に挙げた実例が示すように,安倍政権が国会で絶対多数を占めるようになってからだと
思います。

政府には,前言を翻そうが,明らかなウソを言おうが,野党の反発も国民の批判も無視しえるだろう,という姿勢が露骨に
なってきました。

一方,国民の方も,何をしてもどうせ無駄だからという無力感にとらわれ,自分の日常生活の保全を最優先とするようにな
ったのではないでしょうか。

この背景には,国民の間に貧富の格差が広がり,身の保全を優先せざるを得ないほど,現在の生活にも将来の生活にも危機
感をもっている層が増えているという状況があります。

いずれにしても,国(国会で絶対多数を持つ与党政府)と,思考を停止した国民との共犯関係が生まれているのだと思いま
す。しかし,この共犯関係によって国民は将来,大きな犠牲と過酷なツケを払わされることになるでしょう。

たとえしんどくても,やはり思考停止をせず現実を見つめ続ける努力は必要だと思います。





(注1)これについては,このブログの2012年7月28日の「原発はなぜ再稼働させてはいけないのか-原発は未完成技術-」で詳しく書いています。

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STAP細胞騒動(2)-第二幕の行くへは?-

2014-04-20 06:36:14 | 健康・医療
STAP細胞騒動(2)-第二幕の行くへは?-

4月16日,小保方氏の上司である理研の発生・再生科学総合研究センター副センター長の笹井芳樹氏は,3時間半に及ぶ会見を行いました。
今回の会見は,民法テレビ局では,日本テレビが一部を放送しただけで,他局はライブで放送しませんでした。

小保方氏の会見の際には既存の番組をつぶしてまで,各社が会見を実況で伝えたのとは対照的です。私は,USTREAMで最初から最後まで見て
いましたが,今回の会見で分かったこと,分からなかったことがさらにはっきりしました。

まず,分かったことは,小保方氏が写真の取り違いについて気づき笹井氏に報告したのは2月18日であり,それ以前笹井氏はこの事実を
知らなかったことです。

この点は,小保方氏の主張が正しいかもしれません。ただし,同月13日に調査委員会が発足して調査を始める際に,写真の取り違いに関
する他からの指摘があったかどうかは分かりません。

もう一つ,はっきりした重要な事実がありました。会見の出席者が「第三者は作製に成功したのか」と質問したのに対して笹井氏は:
  「理研内で発表前に少なくとも一人,発表後に一人,多機能性を示す目印が発現するところまでは確認した。次の段階のキメラマウス
まで一貫してやらないと統一的な解析にならない。 そこまで行ったものは知らない」
と答えています。つまり,現段階では,多機能性を示す目印が確認できた,という段階だということです。

ところで,STAP現象とSTAP細胞という言葉の意味が同じなのか違うことなのかという言葉の混乱も,今回の事態の理解を混乱させている一つの
要因になっています。

笹井氏は「体細胞筋肉やリンパ球などから逆戻りして,刺激によって多機能性細胞ができることをSTAP現象と呼ぶ」と明瞭に定義した上で,
「STAP現象」と「STAP細胞」とは同じ意味だ,とも言っています。ただ,今のところ,これを確認するのは,たんぱく質に仕組んだ目印の確認
にとどまっています。

なお,現在まで本当の意味でのSTAPP細胞の作製に成功した事例は一つもありませんが,それには難しい問題があるといいます。

笹井氏によれば,体細胞(皮膚とか筋肉とか,すでに分化を終えた細胞)が多機能性を示すまでの7日間に4ステップの段階がある。

このステップのどこで止まってもSTAP細胞はできない。

「何がステップを促進し,また阻害するのか,まだ分かっていない」とも答えています。(注1)どうやら,STAP現象は,ある段階で進行が止
まってしまっているようです。

つまり,まだ,4段階に変化することの因果関係も解明されていないし,第三者が再現実験できるための手順書も完成していないという状況です。

このように考えると,小保方氏が「200回以上成功している」ことの内容が,4段階のどこまでなのかが問題となります。

極端に言えば,緑色の蛍光が確認できるという第一段階のSTAP現象が発現していれば,それは「STAP細胞」が存在すると言えるというのが小保方
氏と笹井氏の立場です。

言い換えると,「STAP細胞が存在します」という時,何をもって「STAP細胞」というのかの定義によって,存在するとも,しないとも言えるのです。 

小保方氏が代理人弁護士を通じて14日に発表した文書によると、小保方氏以外の第三者がSTAP細胞作製に成功し、それを「理研も認識している」
と主張しました。

理研はSTAP細胞論文の著者以外に2人が作製したとの情報があることを認めましたが、「部分的な再現にとどまる」としています。

このことは,笹井氏の説明からも分かるように,多機能性を示す目印を確認した,という段階にとどまっていることがはっきりしました。

しかし,この目印だけでは、できた細胞が本当に,さまざまな臓器に分化し得る万能細胞(幹細胞)だと証明するには不十分なのです。
 
笹井氏は「STAPという現象は,非常に不思議な現象。

今でも信じられないが,その現象がなければ説明できない」という論理で,これを乗り越えようとしていますが,結論としては,STAP現象はもっとも
合理的で有望な「仮説]という見解に立っています。したがって,理研としては「仮説」を証明する必要があることになります。

笹井氏は,今回『ネイチャー』に掲載された論文はその部品にいろいろなヒビが入っているので,一旦,撤回して150パーセント確実な論文に仕上げ
てから再度,投稿すべきだと主張しています。

の点は,私もまったく同意見です。しかし,意地悪く考えると,笹井氏は「仮説」の段階で,『ネイチャー』誌への論文作製を手伝い,共著者として
投稿したことになります。

これにたいして小保方氏は,「仮説」ではなく,実証された「真実」だと主張し,論文撤回を拒否しています。

いずれにしても,今回の笹井氏の説明は,そつのない釈明ではありましたが,小保方氏および笹井氏の主張を裏付ける,新たな科学的根拠は何一つ示
されませんでした。

私は,今回の小保方氏の論文に関する限り,やはりこれは科学論文としては未完成で不正があり,直ちに撤回すべきだと思います。しかし,外部からの
刺激(ストレス)を与えることによって,細胞に多機能化への変化(たとえ不完全でも)を引き起こすことができるかもしれない,という発想は非常に
魅力的です。

これは,麻酔医であるチャールズ・バカンティが20年以上も前から唱えているアイディアですが,小保方氏は,その刺激として弱酸性の溶液に細胞を
浸す,というシンプルな方法を試みたわけで,この因果関係の説明ができれば,それだけでノーベル賞に値する発見だと思っています。

STAP細胞があるのかないのか,という問題とは別に,今回の一連の騒動で,私が非常気になった問題がいくつかあります。

その一つは,若い研究者に対する研究指導が甘く,もっと言えば「いいかげん」になっているのではないか,といいうことです。

まず私が驚いたのは,小保方氏が早稲田大学に提出した博士論は,100ページのうち20ページが,引用元を明示せず,コピーアンドペースト
(通称コピペ)であったことです。

この事実を審査員が発見できなかったのか,分かっていながら博士号を与えてしまったのかは分かりません。私の関係する歴史や社会科学の論文で,
ここまで露骨にやれば,その論文は「盗作」となり,著者は身分が問われます。

さらに驚くのは,小保方氏の博士論文の審査員の一人であった,チャールズ・バカンティ氏は,英科学誌ネイチャーの関連サイトの取材に「論文のコピー
をもらったり、読むように頼まれたりしていない」と話していることがわかったことです。(注2)

これは,信じられない話で。教育研究機関として早稲田大学は大学としての体をなしていない,と言われても仕方ありません。

小保方さんの博士論文を審査した早稲田大学の生命医科学科・常田聡教授の研究室で、彼女以外にも6人の博士論文にコピペ疑惑が浮上しました。

大学は第三者調査委員会を設けて博士論文全般にわたった再調査する方針です。しかし,今のところが具体的な内容は明らかではありません。

疑惑が指摘されているこれら6人の「博士」たちは現在、それぞれ大学や研究機関に所属しています。

東大医科学研究所の上昌広特任教授は「小保方さんは(論文盗用の)常習犯だった可能性が高い。
彼女はどこでそれを覚えたのか」と疑問を呈しています。小保方疑惑は日本科学会を揺るがす「パンドラの箱」を開けてしまったのではないだろうか。(注3)

大学院時代に,研究者としての基本的な倫理や方法の指導を受けてこなかったことが,今回の『ネイチャー』への論文に17行にわたってコピペが行われて
いることにも現れています。

しかし早稲田大学だけでなく,理研の調査委員会は,小保方論文のコピペにたいして「不正なし」との判定くだしています。これでは,若い研究者は,
他人の文章やアイディアを無断で借りることを当たり前と考えるようになってしまいます。

実際,小保方氏は,画像に別の画像を切り貼りしても,「してはいけないという認識がなかった」と平然と答えています。早稲田時代の教育指導の欠如に加えて,
理研においても基本的な指導が行われていないことを物語っています。

こうして「悪意なく」さらりとやってしまうことこそが,本当は最も深刻な問題であるという認識がないのです。

ちなみに,私は人文系ゼミを担当してきましたが,学部生の卒論に対しても,他人の文章をそのまま引用する場合には「  」をつけ,脚注で出所を示すこと,
アイディアを借りた場合にも,同様にその根拠を示すこと,それをしない場合には,盗作となるから注意するよう繰り返し指導してきました。

小保方氏が主筆となっている論文のチェックが内部でできなかったことは,理研という組織の監督・指導体制,共同執筆者にも大きな問題があったことを示して
います。

どう考えても,『ネイチャー』への投稿は時期尚早だったのではないかと思われます。というのも,一旦は『ネイチャー』側から採用を拒否された論文ですから,
どこからも疑義が生じない論文として万全を期すべきだったと思います。

投稿を急いだのは,4月の半ばには国会の承認を得て決定するはずだった,「特定国立研究開発法人」の指定が迫っているため,世間の評価を得るための業績
として,STAP細胞の衝撃的な論文を急いで出版する必要があったのかもしれません。

理研はこれを否定していますが,小保方論文が問題となった後,理研の理事長以下の幹部が特定法人の指定を受けられるよう,自民党の複数の国会議員に陳情
しています。

しかし,菅官房長官は4月9日,特定法人指定の閣議決定を先送りする考えであることを表明しました。この一事をみても,小保方論文が理研にとっていかに
マイナスに働いたかがわかります。

それどころか,今回の一連の問題が世界中に明るみに出てしまい,日本の科学研究の信頼性や,日本の大学が出す博士号にたいする信頼性を大きく損なったこと
は,日本にとって大打撃です。

ところで,日本において,小保方論文に関してさまざまな疑念や問題が指摘されているのに,当の『ネイチャー』誌が,今のところ何のアクションも起こして
いません。

これは,『ネイチャー』の査読機能が働いていないことを示しています。

「世紀の発見」といわれる衝撃的な論文であるにもかかわらず,「捏造」や「改ざん」が指摘されている論文を,なぜそのままにしているのでしょうか?

ある科学ジャーナリストは,「理研の対応を見極めているのでしょう」と述べています。『ネイチャー』にとって理研は大事なスポンサーなのです。
「ネイチャー・ジャパン」の英文広報誌のネットコンテンツ,小冊子の作製費に理研は年間7000万円ほど拠出しています。(『日刊ゲンダイ』2014年4月9日)
す。ここにも,純粋に科学とは離れた金銭の問題が見え隠れしています。

小保方氏の不服申し立て,論文の撤回,『ネイチャー』誌の対応,そして小保方氏の「研究不正」にたいする理研の再調査があるのかないのか,この騒動は当分,
続きそうな雲行きです。

(注1)私は会見の模様を見ていますが,活字媒体としては,『東京新聞』(2014年4月16日,朝刊)を参考にしています。
(注2)「朝日新聞 デジタル」(2014年3月20日) http://www.asahi.com/articles/ASG3M5WRDG3MULBJ00N.html
(注3)http://woman.infoseek.co.jp/ (Woman 2014年3月26日号) さらに,早稲田大学でのコピペ問題に関して,『AERA』(2014年3月31日号)は,
    審査員は実際にはよく読んでいないのではないか,ともコメントしています。
    また,第3章では,本文にない引用文献が参照文献欄では38の文献が突如,著者名,タイトル,引用雑誌とページが現れます。「朝日新聞 デジタル」3月12日号。
    http://www.asahi.com/articles/ASG3D32NBG3DULBJ002.html
    また,小保方氏が所属していた早稲田大学先進工学研究科がこれまで博士号を授与した280本すべての論文を対象に,盗用などの不正の有無を専門家が調査する委員会を設置することを決めました。
    『YOMIURI ONLINE』(20144月7日号)inehttp://www.yomiuri.co.jp/science/20140406-OYT1T50132.html;「朝日新聞 デジタル」(2014年3月18日)http://www.asahi.com/articles/ASG3X5CRBG3XULBJ00S.html

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【「いぬゐ郷」だより6】最近は,借りた田んぼの両側に連なる里山の整備に集中しています。
里山は,昔から人が手入れをして維持してきた人工林です。放置しておくと,藪となり,特に笹と竹が進入してしまいます。
最近,チェーンソーを購入し,村の人の同意を得て里山の整備を進めています。
これらを切り日の光が入るようにすると,さまざまな植物やきのこ類が繁殖します。今は,里山の端に,「のびる」が大繁殖しています。


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STAP細胞騒動(1)―後味の悪い小保方春子氏の反論会見―

2014-04-13 07:02:23 | 健康・医療
STAP細胞騒動(1)―後味の悪い小保方春子氏の反論会見―

4月9日に行われた小保方氏の反論会見は,多くの人々の注目を集めていました。今回の会見は,小保方氏が『ネイチャー』誌に発表した論文に,
「改ざん」と「捏造」があり,論文を撤回すべきとの理研の調査委員会の結論に対して不服申し立てをした理由と釈明でした。

私も,1時から最後までテレビ局のチャンネルを変えつつ,150分の会見をほぼすべて見ました。

素人の私もこの問題に大きな関心をもっていたため,1月28日のSTAP細胞の作製成功という衝撃的なニュース以来,ずっと注視してきました。
このブログでも3月20日に,“STAP細胞騒動の背景―小保方氏は成果競争の犠牲者?―”という記事を書いていますので,
経緯と背景については是非そちらを御一読ください。

小保方氏の万能細胞(多機能細胞)作製の方法は,外部から遺伝子を組み込む山中教授のiPS細胞と異なり,体細胞を弱酸性の液に浸しておくという,
夢のような方法に意表を突かれ,上記のブログ記事で書いたように世界は非常に興奮し期待しました。

しかし同時に,小保方氏の論文が2014年1月30日付けのイギリスの権威ある科学雑誌『ネイチャー Nature』に掲載された直後からさまざまな疑問
が指摘されました。

そして,理研調査委員会の最終報告に対して小保方氏が反論会見を行うことになったのです。今回の反論会見をみて,論文の正当性や妥当性に関して
疑念が晴れたというより,むしろ私の個人的な印象では,さらに深くなったし,「後味の悪さ」と感じたと言った方が正直な印象です。

ただし断っておくと,私は小保方氏が作製したとされるSTAP細胞が本当に存在するのかどうかについては,期待を込めて保留ということにしてお
きます。

というのも,今回の問題は,『ネイチャー』に掲載された論文の正当性にかんする疑義だからです。

さて,今回の会見をみて「後味の悪さ」を感じたことの一つは,不服申し立てを小保方氏に勧めた弁護団が持ち出した,法律的な論理にたいする違和感です。

弁護団が持ち出した,「改ざん」と「捏造」にたいする反論の主要な論点で私が違和感を覚えたのは二点あります。一つは,遺伝子写真に本来は無かった
写真を切り貼りしたことは,見やすくするためで,写真の切り貼りは「悪意ある」改ざんでも,捏造でもない,という主張です。

理研の規定では,「改ざん」とは本来良好な結果がないのにあったかのように手を加えることで,「捏造」とは「データ研究成果を作り上げ,これを記録,
または報告すること」ですが,「悪意のない間違いは除く」とされています。

代理人の弁護士は,あくまでも「改ざん」,「捏造」,「悪意」という言葉を法律的に解釈し,理研の規定からみて,小保方さんの論文は,研究不正でも,
改ざんでも,
捏造にも当たらないし,もちろん「悪意」などなかったという概念を法律用語として用い,法律論に徹しています。この場合の「悪意「とは,「人をだます
意図」というほどの意味です。これは法律の論理です。

小保方さんの画像の切り貼りに関して言えば,結果は正しかったので,それを見やすくするために画像を追加しただけで,「悪意」はないと主張していました。

小保方氏自身も,こういうことをやってはいけないという認識はなかったと言っています。

しかし,愛知淑徳大学の山崎茂明教授が言うように,これは科学論文においては,明らかな「改ざん」「捏造」そのものです(『東京新聞』2014年4月
10日 朝刊)。

分野を問わず研究や学問に携わる人なら,結論が正しければ証拠となる資料に手を加えても問題ないと主張することはとうてい受け入れられないでしょう。

ここでは,学問の世界で共通認識となっている方法論や倫理に照らして,「不正かどうか」,「改ざんか捏造か」が問題になっていのです。弁護団は,
科学論文としての正当性の問題に一般社会の法律の論理を持ち込んで,問題をすり替えているとの印象を拭えません。

次に,最も重大視されている,STAP細胞の多様性を示す画像の取り違え問題に関する弁護団の主張です。

これについては「外部から一切の指摘のない時点で」彼女が自ら点検する中でミスを発見し,『ネイチャー』と調査員会に報告したという小保方氏の主張を,
弁護団もそのまま受け入れ,単純な画像の取り違えミスであって,この点を意図的な捏造ではないことの根拠としています。

しかし,厳密に時系列を調べると,これも論拠が怪しくなります。小保方さんの論文が1月末に発表されるや否や,あまりに大きな発見だったので,発表
直後からたちまち世界中の関係者が論文を精査しました。

早くも発表直後の「2月の初め」(正確には2月5日)にはインターネット上(科学論文をチェックするサイト)で画像の不自然さが指摘され,さらに,
理研にも直接,画像が不自然であることの指摘が寄せられました。

疑惑を放置できなくなった理研は「2月13日」には調査委員会を発足させ,調査を開始したのです(『東京新聞』2014年4月2日,朝刊)。

ただし,この時点で理研が把握していた「画像の不自然」さが,切り貼りしたDNA写真だけだったのか,取り違えた画像をも含むのかは,現時点では分か
りません。

会見で記者から,「これは重要な点ですから答えてください。小保方さんはいつ,画像の取り違いに気づいたのか」との質問に,「写真の取り違いに気付いた
のは「2月18日」で,(取り違えた)写真の生データがなかなか見つからず,古いデータまでさかのぼったら学生時代に撮った写真であることに気づいた」
と述べています。(『東京新聞』2014年4月10日 朝刊)。

これは,たんなる日にちの記憶違いの問題ではありません。小保方氏の言動の信頼性に関わる重要な部分で,弁護団の立論も,「他から指摘される前に自ら気
が付いて訂正した」という点が,意図的な改ざんや捏造ではなかったことの根拠の一つになっているのです。

弁護団が小保方氏を守るろうとする意図は分かりますが,小保方氏の言葉を注意深く検討し,事実関係を確認の上れからの弁護に備えた方がよいと思います。

いずれにしても,弁護団はこの問題で,ゆくゆくは小保方氏の地位保全と名誉毀損で裁判に持ち込むことを視野においていると思われますが,
その場合,長期間のドロ試合の裁判になることは間違いないでしょう。

以上2点だけでも,今のところ弁護団の主張に私は違和感と,若干の正確さに対する疑問を持っています。

さて,これまでの小保方氏の発言も念頭に置いた上で,9日の会見から分かったこと,分からなくなったこと,疑問を感じたこと,などの感想を書いてみたい
と思います。

まず分かったことですが,小保方さんはSTAP細胞の存在に絶対的な自信をもっていること,今後もこの研究を続けて生きたいという強い希望をもっている
こと,そして,自分がまだ未熟で不勉強な研究者で研究の仕方も自己流であることを認めている点です。

しかし,疑問も多く残りました。たとえば,『ネイチャー』に送った画像は,博士論文に使われたものと酷似していると指摘されましたが,会見では,研究者
の研究会で使ったパワーポイントの写真(ただしいつどのような条件で撮ったは不明)で,本来の正しい写真は別にある,とも語りました。

もし真正の写真があるなら,疑惑を晴らす絶好の機会でありプロジェクターも用意してあった会見の場でなぜ示さなかったのでしょうか?この点は不可解です。

さらに問題なのは,この画像の元データが見つからなかったので,2月にもう一度写真を撮り直し『ネイチャー』に送ったことです。

画像は,あくまでも論文を掲載した時点のものでなけれならず,後から,「実は,ほかにこんな画像があります」とうのは科学論文ではありえません。

次に,多くの科学者やジャーナリストの疑惑を生んだ,「私自身STAP細胞の作製に200回以上成功している」,「インディペンデントでSTAP細胞の
作製に成功した人がいる」という小保方氏の発言です。

まず,この問題を考える上で,確認しなければならない重要なことがあります。それは,STAP細胞が作製された,ということはどのような事実を指すのか,
という問題です。

STAP細胞が作製される第一段階は,「STAP現象」といわれる現象の確認です。

これは,多機能性が現れると細胞が緑色に発光する仕組みを目印となるたんぱく質に作っておくことです。

小保方氏は,リンパ球などに刺激を与えたら多機能性を示す目印の緑色の蛍光が現れたと言います。ただし,蛍光は死に際の細胞でも出ることがあります
(『東京新聞』2014年4月2日 朝刊)。

しかし,本当の多機能性を示すには,STAP細胞を別のマウスに移植して,両者の細胞が混在した「キメラマウス」ができることを実証しなければなり
ません。

これには,多くの実験とかなり長い時間が必要です。

このように考えると,「200回以上成功した」という小保方氏の発言に,ほとんどの科学者が疑問をもつことは当然です。九州大学の中山敬一教授(分子
生物学は,「信じてもらおうとするなら証拠がいる。

二百回分の実験ノートは千ページくらいになるだろう。ノート十冊以上だ。実験期間が1回一週間としても,4年かかる。ありえない」と語っています
(『東京新聞』2014年4月10日,朝刊)。

今のこところ,小保方氏は,実験ノートは4~5冊はあると会見で答えていましたが,その内容は自分にしか分からない,とのことです。

しかも,「秘密実験もあるので,ノートは公開しない」とも述べています。

したがって,小保方氏がSTAP細胞の作製に成功したことを,第三者が実験ノートで確認することはできません。
しかし,実験ノートは科学者が実験結果の正当性を証明する重要な根拠なのです。

今回の会見で,非常に重要な発言は,小保方氏の方法で第三者が独自にSTAP細胞の作製に成功した人が1人いる,とのことです。

しかし,その人の個人名を公の場で言うことはできないと,名前を明かすことを拒否しました。これを除くと,現在までのところ,「再現実験」に成功
した事例は世界に一つもありません。

私が,かすかにSTAP細胞作製に関して期待をもっているのは,おそらく実際の作製にあたっては,職人技的な特別な技術があり,小保方氏はそれをも
っているのではないか,という可能性です。

実際,彼女はその作製に関するコツとレシピのようなものもあると語っています。会見の出席者から,そのレシピやコツを明かすことはできないのか,
との質問に,それも含めて現在,論文を準備しているので,それらを公開することはできない,と断っています。

ひょっとしたら,このレシピやコツは,これから取得しようとしている特許を盗まれないために,実験ノートとともに現段階では明かせないのかも知れません。

以上は私が会見から得た印象の,一部にすぎませんが,それでも私にはさらに疑問が深まった,という印象は拭えません。

NHKが会見後に20人の専門家に出したアンケートの結果をみると,多くの専門家が小保方氏のSTAP細胞作製に疑念を抱いたと答えています。(注1)

小保方氏の論文や会見の内容には多くの疑問が残りますが,しかし,責任を小保方氏一人に押し付けて幕引きを図る理研にも,大いに問題はあります。

さらに,これまでの小保方氏を指導してきた大学や研究所の指導者の問題,さらに科学を取り巻く社会の問題なども見てゆく必要があります。

次回は,これらの問題も含めて,もう少しSTAP細胞作製の問題について考えてみたいと思います。



(注1)(NHK『ニュースウォッチ9,2014年4月10日』


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解けない連立方程式―安倍政権の親米(対米従属)と日本ナショナリズム―

2014-04-06 20:16:37 | 政治
解けない連立方程式―安倍政権の親米(対米従属)と日本ナショナリズム―

安倍首相は自分の立ち位置が抱える自己矛盾に気が付いていないのかもしれませんが、ますます出口のない隘路に
はまっていっているおうです。

その隘路とは、新米と、国家主義・民族主義とが結びついたナショナリズムとの矛盾です。この二つは、あたかも解く
ことができない連立方程式のように、安倍首相の政治戦略と日本の進路に立ちはだかっています。

たとえば、安倍首相は憲法解釈の変更によって、日本も集団的自衛権を行使できるよう、遮二無二に突き進んでいます
が、これは一方ではアメリカに追随し、アメリカに喜んでもらうための必死の努力の一つです。

集団的自衛権は、日本の友好国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃を受けたものとみなし、友好国と一緒に戦うことがで
きる権利です。

この場合の「友好国」とは現実には軍事同盟を結んでいるアメリカを指します。

こうした動きはアメリカの保守層やタカ派、共和党派の人々を喜ばせています。安倍首相の姿勢について日本のテレビ
局のインタビューに答えて、

彼らは隠すことなくはっきりと、これからはアメリカの戦争に日本が参加できるから、と語っています。

一部の人たちかもしれませんが、こうしたアメリカの空気を、日本の政治家や一般国民は知っているのだろうか?

アメリカは「世界の警察」を自認していましたが、それの費用の負担に耐えられなくなっており、日本も費用と兵力
(兵士と兵器)を負担するよう、ずっと圧力をかけてきました。

しかし、歴代の政権は、憲法9条の制約を理由に、海外派兵はできないと断ってきました。

アメリカから見ると、安倍首相は戦後初めて、憲法解釈の変更という手法でこの制約を取り払ってくれる首相なのです。

しかし、安倍首相には、日本を独自に戦争ができる国にしようとする意図と、「対米自立」、つまりアメリカから自立
して日本独自の道を歩むという理念もあります。

この後者の点が、アメリカの安倍政権への疑念の原因となっているのです。日本の軍事力が完全にアメリカのコントロ
ール下にあるうちはいいのですが、アメリカは、日本がまたナショナリズム色の強い軍国主義に戻るのではないかとい
う警戒心を抱くようになっています。

安倍首相が靖国神社を参拝しようとしていることが分かった時、アメリカは思いとどまるよう、何度も圧力をかけ、
高官を派遣して説得をしましたが、安倍首相は無視して、昨年12月に靖国参拝を強行したのです。

ここは、安倍氏の対米自主路線が前面にでています。

このときアメリカ政府は、「失望した」(disappointed) との声明を出しましたが、本当は「深く失望した」(deeply
disappointed)となっていたのを、外務省が必死の努力で、何とか「深く」(deeply)という文言をはずすことが精一杯
だったといういきさつがあります。

しかし、今年2月、衛藤晟一首相補佐官が、動画サイトで、その後問題となった発言をしました。重要なのは次の3点です。
(『東京新聞』2014年2月20日朝刊)

   1.米国が「失望した」と表明したが、むしろわれわれが失望だ。米国はちゃんと中国に物が言えないようになりつつ
     ある。声明は中国に対する言い訳にすぎない。
   2.安倍政権は、民主党政権で崩れた日米関係修復に非常に大きな力を割いてきた。米国は同盟関係にある日本をなぜ
     大事にしないのか。
   3.昨年12月初め、在日米国大使館に行き「首相が参拝したときには、できれば賛意を表明してほしいが、無理なら反
     対しないでほしい」と伝えた。これに対して主席公使からは「慎重に」という言葉が返ってきた。

衛藤氏は、現在のアメリカの対日観の変化をまったく理解しておらず、こうした発言がどれほどアメリカの怒りを買うこ
とになるのかまったく理解していません。

衛藤氏は、首相補佐官の中でも「国政の重要課題担当」という重要ポストにあり、体外的には首相の代弁者とみなされま
す。

問題が大きくなったため衛藤氏は「誤解を与えるなら取り消す」と述べました。また影響を心配した菅官房長官は衛藤氏
の発言を「個人的見解」として政権への批判をかわそうとしました。

問題発言を「個人的見解」「取り消したから問題ない」と言い訳するのは、現政権の特徴です。籾井NHK会長が就任会
見で、慰安婦が「どこでもあった」と述べ,これも問題となると、後で「取り消す」と訂正しました。

これに対して菅官房長官は、「取り消す」と言っているので問題ない、との見解を示しました。

しかし対外的には、安倍氏周辺の人物に本音を「個人的な見解」という形で語らせ、批判が首相本人に及ばないようにす
るための役割分担ではないか,との疑念を与えています。

少なくとも首相補佐官の言葉は、首相の見解でもあると解釈するのが常識というものです。

衛藤氏のメッセージが公開され問題となった2月21日、『朝日新聞』(2014年2月21日 朝刊)は「米国から見る安倍政権
1年」と題する、米国在住20年の作家・ジャーナリスト冷泉彰彦氏の長文のインタビュー記事を掲載しました。

冷泉氏は、「靖国参拝と国家主義的な言動に対する危機感が日本では薄すぎる」と警告します。今や国際社会では安倍首
相こそが「面倒を起こす人」とみなされつつあり、「それがどれほど国益を損なうか、分かっているのでしょうか」とも
述べています。

とりわけ米国は安倍首相に3つの強い懸念を抱いているというのです。

一つは、日韓関係がこれほど険悪だと、北朝鮮情勢に対する情報交換や態勢作りで日韓が一枚岩になれず、米国にとって
大きなリスクとなる、という問題です。

二つは、経済的混乱への懸念です。今や、中国がくしゃみをすると世界が肺炎になりかねないという現状にあります。そこ
で、日中関係が悪化し、中国経済の足を引っ張り、アジア発の世界的株安が起きたら、その原因は安倍首相だと言われかね
ない、という懸念です。

三つは、米中関係に対する悪影響です。アメリカは,中国とは価値観が異なり、気に入らなくても、貿易相手および国債引
き受け手として共存共栄を目指すしかありません。

それなのに、安倍首相の無分別な言動が米中の微妙な均衡を狂わせ、ひいては現在の世界秩序を壊してしましかねません。
米国はこれを恐れています。

安倍首相は、集団的自衛権の行使、辺野古への基地の移転、アメリカでは拒否されているオスプレイの飛行訓練の受け入れ、
TPPへの参加など、アメリカにたいする過剰なサービスをしている反面、韓国、中国にたいしてむき出しのナショナリズム
的な敵対姿勢をとっています。これこそが、アメリカの利益に反する行為であることが理解できていません。

安倍政権の日本ナショナリズムを支えている背景について冷泉氏は鋭い指摘をしています。まず、「中韓だけでなく米国も
気に入らない」、「堂々と孤立の道を歩め」、とういうような雰囲気が日本の一部にあり、安倍首相はそんな支持層に引き
ずられているのではないか、という点です。

こうした雰囲気は、グローバル化により、言語、文化、価値観の国際化に適応する努力が求められていることに反発して、
国内にとどまる方が安心という感情から発しているというのです。

また冷泉氏は、第二次世界大戦で悪者なった過去をひっくり返して、国際化への不適応を帳消しにしようとする精神的な
作用が出てきているのではないか、とも指摘しています。

これは、従軍慰安婦問題に関する本音や「侵略」の定義は学会でも定まっていない、といった安倍氏の言動にはっきり表れ
ています。

以上に加えて、人口減少や産業競争力の低下からくる閉塞感や個人の将来にたいする不安を、イデオロギーのゲーム(ナシ
ョナリズム的感情をあおること)で鬱憤をはらしている、という背景も指摘されています。

冷泉氏は、その背景には、戦後日本の文化・思想を担ってきたリベラルなエスタブリッシュメントの知性主義にたいする反
発もある、と述べています。

最近問題となったヘイトスピーチやサッカー場での「Japanese Only」の横断幕などは、このような背景から考えるとよく
理解できます。

最後に、日本の将来に関して、冷泉氏の知人の金融関係者によれば「日本は突然破綻するのではなく、時間をかけて衰退
するだろう、崩壊前に逃げられると思っているので、まだ日本に投資する人がいる」のだそうです。

ところで、安倍首相が敬愛する祖父の岸信介氏も対米自主路線をとっていました、。彼は1955年に渡米し、対米自主路線
の実現に向けて日本からの米軍の撤退を米側に打診しました。

しかし、米側の激しい反発を受けて、自主路線を全面的に貫くことは無理だと考えるに至りました。

そこで、「米側の協力を得る」という形で米側の顔を立てながら、日本の軍備を強化する方向を打ち出しました。

高野孟氏は、「親米を装いながら自立を目指す」という、このスタンスは安倍氏も同じですが、安部氏には岸氏のような
政治家としての駆け引きがない、と述べています。

しかも、岸氏の時代は冷戦の時代で、旧ソ連や中国は日米の仮想敵国で、日米共同の軍事強化を語れました。

現在、安倍氏は中国や韓国を仮想敵国に仕立てていますが、アメリカはそうは思っていません。このアメリカの戦略変化を
読めないところに、安倍首相の危うさがあります。

社会学者の宮台真司氏は安倍政権のジレンマ(矛盾)について次のようにコメントしています。

   見かけ上のことをのぞけば、岸氏と安倍首相との間には共通項はない・・・。(岸氏は)日本の立場を少しでも対等
   にもっていくため、まず米国の信頼を得た上で、タフな政治的駆け引きを繰り広げた。しかし安倍首相は「戦略的思
   考よりも、情緒的思考に走っている。
   「強い国」を目指すというが、具体的な戦略が無いので、結果的に「強い国みたいな国」になっている。安倍首相の
   目指す「強い国」の姿は対米自立、対米従属の継続のいずれだろうか?。
   どちらにしても安倍首相は逆スロットルを踏んでいる。(どちらに対しても反対の言動をしている)

また、ジャーナリストの斎藤貴男氏は、岸氏と安倍首相との大きなちがいは、「戦犯として処刑されかけた岸氏は、大日本
帝国の復活を目指していると危ぶまれないよう、米国の怒りを買わない工夫をしてきた。

安倍首相は戦争体験がない分、想像力をはたらかせる必要があったが、靖国参拝ひとつとってもそうした知性がみられない」
ことだと述べています。(注1)  

言い換えると、新米(対米従属)であり日本ナショナリズムでもある、という連立方程式を解くことができないまま、今日の
ちぐはぐな日本の状況が生み出されているのです。

そんな中で、政府は武器輸出三原則を47年ぶりに全面的に見直し、4月1日の閣議で決定し、名前も「防衛装備移転三原則」
に変更しました。これは、実質的に武器輸出を解禁す。

さらに、自民党幹事長の石破氏は、4月5日の民法テレビ番組で、集団的自衛権の行使を容認した場合、自衛隊の活動範囲
に地理的な制限を設けるべきではなく、との見解を示しました。

石破氏は、地球の裏側まで行くことは普通は考えられないが、日本に対して非常に重大な影響を与える事態と評価されれば、
完全に排除はしない、と述べています。

つまり、政府の判断次第で地球の裏側であっても、アメリカ軍とともに戦争ができることを示唆したのです。

こうした一連の動きは、アジアや世界の緊張を高めることになり、安倍政権はますます引き返すことができない、のっぴき
ならない状況へのめり込んでいっています。


(注1)以上の高野氏、宮台氏と斎藤氏のコメントは、『東京新聞』(2014年3月14日、朝刊)から引用しています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【「いぬゐ郷だより」5】

4月5日、佐倉市に耕作放棄された田んぼがある、里山の整備をしました。
里山のすその部分には笹や竹が進入してきているので、それらを切り払い、
本来の里山の姿に戻す作業をしました。
田んぼのほうは、本田となる土地にを溝を掘って区画を分ける作業をしました。









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大アザラシにみる自然の厳しさと優しさ

2014-04-01 05:45:29 | 自然・環境
大アザラシにみる自然界の厳しさと優しさ

自然界は,植物であれ動物であれ,常に生存競争にさらされています。そこでは,それぞれの個体は,ま
ずは自分自身の生存を確保し,次に自分の子孫を残し,また,自分が属する群や種の存続をはかります。

植物の場合,自ら動いて生存に適した場所に移動することはできないので,生存競争はより多くの日光を得ようと他の
植物より高くあるいは広く枝葉を伸ばすという形をとります。

植物の生存競争は人の目には,それほど激しくは映りません。この一つの理由は,植物界にあっては,それぞれの土壌
や気候や,日光の当たり具合などで,個々の植物が「棲み分け」ている面が強いからです。

つまり,ある植物は,とにかくたくさんの日光を我先に得ようと幹や枝葉の構造を作りますが,別の植物は,半日陰や
日陰の間接的な日光を好んで生存する道を選びます。

これに対して動物は,他の生物を食べることによってしか自分の命を維持することはできません。もっとも穏やかに見
える草食動物にしても,草木という他の命を食べています。

しかも,草食動物や雑食動物以外の生き物は,程度の差はあっても,他の動物を捕まえて食べる,補食という行為が欠
かせません。

この際,ある動物は捕食者であり,また同時に他の動物のから「餌」として捕食される対象になる,という二重性をも
っています。これが,自然界の一般的なルールです。

ところが,人間はこの自然界のルールから大きくはずれる面をもっています。人間は道具や武器をもって,他の動物を
補食したり,あるいは家畜のように動物を飼うことによって食糧を得たり,農耕によって植物性の食べ物を生産します。

他方,他の生物から命を守るために,道具や武器を作り出してきました。また,病原菌のような微生物には医学的な手
段によって対抗してきました。

もちろん,医学的な手段で完全に病原菌に勝てるわけではありませんが,他の動物に比べれば,格段に有利な立場にあ
ります。

ところで,私たちは映像で,ライオンや虎が他の草食動物を追いかけ,ある場合には壮絶な闘いの末,あるいは逃走と
追跡の末,捕まえた獲物の肉を荒々しく食べてしまうシーンなどを見ることがあります。

このようなシーンを目にした時,私たちは,食べられてしまう動物の側に感情移入し,肉食動物は何と残酷なのか,と
憎々しささえ覚えます。

しかし,ひるがえって,捕食者たちの家族に焦点を当てた映像をみると,情況はまったく異なります。

特に,何日も食べ物にありつけず,お腹を空かしたライオンなどの子どもたちのところに,必死の思いで捕らえた獲物
を子どもたちに食べさせるシーンをみると,“やれやれ,これで生き延びた”とほっとします。

食べられてしまう草食動物にしても,一定数の仲間を食べてもらわなければ,個体の数が増えすぎて,かえって草木の
餌不足で群が危機におちいってしまいます。

草食動物は,肉食動物に食べられる(間引いてもらう)ことによって,群の生存を図っているとも言えます。

こうして自然界では,捕食する側もされる側も,それぞれ過不足なくバランスが保たれています。少なくとも一つの種
だけが長い時代を経て圧倒的に優位に立つことはあり得ません。

自然は確かに厳しい生存競争の場です。しかし,先日,偶然に見た大アザラシのドキュメンタリー映像は,動物の生き
るための知恵と優しさをも見せてくれて,感動的でした。

まず,母親は子どもたちがある程度成長すると,お乳をねだる子どもたちを無慈悲に追い払います。事情が分からない
子どもたちは母親を追うのですが,母親は決して受け容れることはありません。子どもの自立をうながす子離れの時期
がやってきたのです。

母アザラシは沖の方に泳ぎ出してゆく途中で一旦止まり,陸の方を振り返り,残してきた子どもたちの姿を心配そうに,
愛情あふれるまなざしで見つめていました。

ここには母親としての厳しさと優しさが同時に現われています。

母親が去ってしまった後,子どもたちは自分で餌を獲ってこなければならないのです。しかし,子どもたちが大きくな
るまでの間に,周辺の海には子どもたちを狙うサメがうようよいて,サメの餌食になってしまう危険がいっぱいなのです。

次に、ボスの行動と地位の問題です。よく知られているように,アザラシやオットセイなどの海獣の集団では,1匹の
オスのボスが,その集団のメスを独占的に支配し交尾します。これはさながらハーレムに君臨するキングのような存在
です。

男性なら,こんなボスが何ともうらやましく思うかも知れませんが,実態はそれほど単純ではありません。

ボスがメスと交尾に精を出しているとき,1匹のメスが海に向かって歩き出し,新天地を目指して海に泳ぎ出してゆき
ました。

それを見たボスのアザラシは,交尾を中断して一生懸命,そのメスを追いかけ始めました。最初,ボスはメスを引き戻
そうとあわてて追いかけたのだと思ったのですが,実際には全くちがっていました。

上に書いたように,この大アザラシの群の生息地(コロニー)の周辺の海には,サメがたくさんいて,小型のアザラシ
を狙っているのでした。

しかし,サメは大きくなったアザラシは襲わないことを知っているので,この巨体のボス・アザラシは,海に泳ぎだした
メスが安全な場所にたどり着くまで,ずっと横についてメスを守りながら送ったのです。

これは,単に本能に従っているだけかも知れませんが,このボス・アザラシは”何と優しいんだろう”,と人間に置き換
えてと感情移入してしまいました。

アザラシのボスは,かなり長期間その地位を保っているのかと思っていましたが,せいぜい1年か2年しか続かないの
だそうです。

その理由は,はっきりとは分かりませんが,一つは,自分の子孫を残そうとしてボスの座を狙う若いオスが常にボスに
攻撃を仕掛けてくることです。

実際,その映像の中でも,若いオスのアザラシの攻撃を受けてボスが死にものぐるいの闘の末,この時は何とか撃退し
たシーンが映されていました。

こうした闘いに勝利して,ようやくボスの地位を獲得し,維持することができるのです。実際,ボスのアザラシの身体に
至る所に傷跡があり,さながら満身創痍です。

いずれにしても,強いオスの遺伝子を残すことは,その群(さらに大きな視点で見れば「種」の生存にとって大切なこと
です。

だからボスは常に,若くて強いオスの挑戦を受けることになるのです。

もう一つ,これは私の推測ですが,1匹のオスがボスでいる期間がせいぜい2年ほどである,ということには別の意味が
あるような気がします。

一つの群の中ではボスしかメスと交尾できないため,他のオスはボスを倒してその地位を得る以外,自分の遺伝子を残す
ことはできません。

もし,1匹のボスが長い間その地位を維持してしまうと,その間に生まれてくる子どもたちは,みんな同じオスの遺伝子
を引き継ぐことになります。

しかし,群のそれぞれの個体は,できるだけ多様な遺伝子をもっていた方が,環境の変化に適応し,群が生存する可能性
を高めます。

このような事情を考えると,2年くらいでボスが交代し,それまでとは異なるオスの遺伝子をもった子どもが生まれるのは,
群にとっては望ましいことです。

これはひょっとすると,大アザラシが長い時間をかけて獲得してきた遺伝形質(本能),自然の知恵ではないかと思います。

つまり,二年間という時間は,その時,その時に最も力の強いオスの遺伝子を受け継ぎ,しかも,群の個体の多様性を維持
するという群(あるいは種)の生存にとって,二つの重要な要請を満たしているのではないか,と思われるのです。

人類の場合,必ずしも力の強い男が多くの女性を独占することはありません。それは恐らく,女性にとっての配偶者を選ぶ
基準には,男性(オス)の肉体的な力だけではなく,知的,経済的,政治的な力,さらに人間的な魅力など複雑な要素が関係
しているからです。

今回観た映像は,時間にして15分ほどですが,ボスの座を巡る激しい闘争,子どもを突き放し自立を促す母親の強さと優
しさ,メスを守りながら安全なところまで送り届ける,ボス・アザラシの優しさなどなど,大アザラシのおかれた厳しさと
優しさを十分に感じさせてくれました。

それにつけても現代の日本人は,大アザラシがもっている厳しさも優しさも失いつつあるような気がしてなりません。



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