「だましてほしい国民」?―思考停止と現実逃避―
『東京新聞』3月18日(朝刊)の「だましてほしい国民」という,やや挑戦的なタイトルの記事は,多くの人
何となく思い当る節があるのではないでしょうか。
その署名入り(白名正和,榊原崇)の記事は次のような書き出しから始まっています。
社会のたがが外れてしまったように感じるのはおおげさだろうか。けれども,右を
向いても左を見ても「ウソ」が横行している。
ここ数年,世の中にウソがまん延している。確かにウソは昔からあった。
だが,これほどまでに人びとがウソに慣らされてしまった時代は記憶にない。
確かに,最近はウソが社会問題になる事例が目立ちます。まず,ばれることはない,あるいは,事実を隠し通せるという想定のも
とで,堂々とウソを言う場合もあります。
そうではなくて,ばれることを承知の上で開き直ったウソを言う場合もあります。
たとえば,かつての東京都知事の猪瀬直樹氏が医療法人「徳州会」側から5000万円を受け取ったとされる問題に関して,猪瀬
氏はあくまでも「個人的」な借金で,政治資金ではないと説明しました。しかし,どう取り繕ってもウソを維持できず,ついには
辞任に追い込まれました。
同じように,「みんなの党」代表の渡辺喜美氏は,化粧品会社大手のDHC会長,吉田嘉明氏から,選挙の直前に計8億円を「個人的
に」借りたと説明してきました。
しかし渡辺氏の弁解は,誰が聞いても説明になっていないし,高額な「熊手を買った」といった部分は,聞いているほうが恥ずか
しくなるような子供じみた弁解でした。
猪瀬氏の場合も渡辺氏の場合も,まさかばれることはないだろうとの想定の上で,実際には選挙資金を受け取り,それがばれてし
まった事例です。
これらの金銭問題がどんな法律に違反し,どのような罰則があるのかは別として,彼らの言動には,たとえばれても,言い逃れが
できなくなるまでは,ウソをつき通してゆこう,という姿勢が伝わってきます。
こうしたウソは,政治家に多いようですが,一般人でも世間をだまし続け,ウソを言い続ける場合もあります。
「現代ノベートベン」ともてはやされた佐村河内氏の作曲とされてきた楽曲が,実は新垣隆氏の作曲であったことを新垣氏が暴露し
てしまったために,これまでの,手の込んだ演技やウソがばれてしまいました。
それにしても,佐村河内氏のように日本社会全体にむかってこれほど堂々とウソをついたのは,一般人としては近年ちょっと例を
みません。
猪瀬氏のウソも,渡辺氏のウソも,そして佐村河内氏のウソも,それなりに社会に対して大きな影響をあたえましたが,それでも,
問題の深刻さという点では日本社会に大きく関わるというわけではありません。
しかし,原発に関しては多くの人の命と健康に影響を与えるだけに,ウソは許されません。古くは,「原発は絶対に安全です」と
いう政府と東京電力の「安全神話」というウソは,2011年3月11日の東日本大震災で原発の爆発事故が起きてしまったことで見
事に覆されました。
こんなこともあって,前回の衆議院議員選挙の自民党の公約集には,将来的に脱原発を目ざすといいながら,現在では脱原発は完
全に否定され,むしろ「ベースロード電源」(基本的な電源)として位置づけています。ということは,選挙公約はウソだったこ
とになります。
選挙で圧勝したあとの安倍政権は,現在運転を中止している原発の安全性が確認できれば,再稼動を積極的に進め,必要なら原発
の新設さえ認めようとしています。
この場合の「安全性」とは,原発が立地している場所の下に活断層がないこと,津波から原発を守ることができる防波堤があるこ
と,非常用電源が安全な高台にあること,などです。
この背後には,もう一つの重要なウソがあります。福島第一原発の爆発の原因として政府と東京電力は,津波による非常用電源の
全喪失が原因であると主張しています。
しかし,さまざまな状況証拠からみて,すくなくとも1号機については津波が原因ではなく,地震の衝撃そのものにより原発の配
管その他の部品に破断が発生したと考えられます(『東京新聞』2014年3月5日,朝刊)。(注1)
しかし,これを認めてしまうと,地震国日本では,どこでも地震による原発事故が起こり得ることになるので,東電も政府も,た
とえウソでも津波による事故といい続けているのです。
原発事故に関して,も一つ世界に向かって発してしまったウソがあります。それは,2020年のオリンピックの開催地として名乗り
を上げた日本のプレゼンテーションで,安倍首相は,現在,汚染水は0.3平方キロメートルの湾内に閉じ込められている(under
control)と断定的に言いました。
しかし,これもまったくのウソで,当時から現在まで,放射能汚染水は湾外の海洋に流れ出しています。
原発関連で,もう一つ見逃せないのは,核燃料サイクルを稼動させ,使用済み核燃料を再利用するというウソです。1993年から建
設が始まり,現在まで,青森県六ヶ所村の再処理工場も実用段階に入っていないし,再処理された燃料を利用する高速増殖炉
(もんじゅ)も稼動していません。
政府は,核燃料サイクルを稼動させるから,今後も原発を再稼動させることができる,という虚構の説明をしています。これらは
官僚の天下り先,老後の糧としても手放せないようです。
国家的な規模の大きなウソはまだまだあります。一昨年,民主,自民,公明の三党合意で,2014年4月1日から消費税を5%から
8%に上げることを決めた際,国民に負担を押し付けるだけでなく,国会議員も身を切る改革として,議員定数の削減をすること
になっていました。
しかし,原発再稼動の問題と同様,自民党が選挙で圧勝して1年以上経った今日,消費税は予定通り上がりましたが,国会議員の
定数は減っていないどころか,議題にすらあがっていません。ここにも大きなウソがあります。
TPPにしても,主要5品目は「聖域」として絶対に守る,「聖域」なきTPPには参加しないとまで言って日本も参加しましたが,
この約束は事実上,反故にされています。
問題は,時の権力者である首相や政府のウソにたいして,国民の大きな批判と糾弾が起こってよさそうなのに,その声や力は政府
を動かすほど大きくなっていません。
これは,安倍政権の支持率が依然として60%近くあることに示されています。
おそらく,大部分の日本人は,政治家や民間人のウソには気づいているとは思いますが,それらにいちいち抗議したり問題視する
ことはほとんどありません。
冒頭に引用した「だましてほしい国民」という記事は,なぜ日本人は,こうもやすやすとだまされてしまうのかという疑問に対し
て,結局,日本人は「だましてほしい国民」なんだと言っています。
しかし,このような表現は日本人の不変の国民性であるかのような決めつけであり,私は賛成できません。
この記事では東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授の以下の説を引用しています。
だましてくれるなら,それでいいという風潮が広まっている。テーマパークのファンタジー空間が人気を博すのも,
作りものを見て満足したいという心理。根本は同じだ。
汚染水をめぐる安倍首相の発言は明らかにウソだったし,国民も『本当ではない』と,
心では思っていた。だが,実際に五輪招致が決まるや,うやむやになった。国民として
開催を歓迎しないわけにはいかないと思ったからだ。
安冨氏によれば,巨大な財政赤字が存在するのに,高速道路やダムを造り,年金を払い続ける状況にも通じるという。
「いわば,国と国民が共犯関係にある。これは立場主義の弊害だ」ということになります。
そして,「立場主義」が日本社会の根幹にあり,これが諸悪の根源だ」と指摘しています。
私も,「国と国民が居藩関係にある」という点は同感ですが,その理由は安冨氏とは異なります。安冨氏は,日本で
「共犯関係」ができてしまうのは,「立場主義」があるからだという。
上の汚染水問題に関する安倍首相の発言について言うと,「言っていることはウソだけど,五輪招致を進める安倍首相
としては立場上,あのように言わなければならなかったのだろう」と納得してしまいます。
そして「国民という立場」では,いちいち批判せず,五輪開催を歓迎しないわけにはゆかない,と考えることを指します。
つまり,個人の考えより,妻,会社員,公務員など立場から導かれる思考を個人の意見を重んじる傾向だと定義します。
ここに国と国民の共犯関係が出来上がるというのです。
確かに,「人を殺すのはいやだと思ったが,軍人という立場上やむをえなかった」という風に,立場主義は自分をも他人
をもごまかすのに便利だし,日本人はこのような言い訳をつかってきました。
しかし,私は,「だましてほしい」という心理の背景には,安冨氏とは違い,「思考停止」と,それと密接に結びついた
「現実逃避」もあると思っています。
たとえば,私たちが政府のウソに気づいても,そのウソの原因や影響について考え続け,さらに批判・追求することには,
とても辛抱強い思考が必要であり,追求ということになると時間もエネルギーも,金銭的にも大きな負担が必要になります。
多くの国民は,ウソはウソとして,問題は問題として認識はするものの,それ以上は考えないことにしよう,という意識的
な「思考停止」を決め込んでいるのではないでしょうか。
「立場主義」という思考方法も,思考を停止する,一つの方便だと思います。「あんな風に言うのも,立場上仕方がない」
と思えば,
それ以上考える必要はなくなります。
むしろ,だまされていたほうが,「楽」なのです。これは思考停止と同時に現実逃避の姿勢でもあります。
言い換えると,なまじ真実を突きつけられるよりは,「だましておいてほしい」,あるいは「だまされていたほうが楽」
と思うようになった,という意味なら冒頭の記事のタイトルは理解できます。
一方,政府にしても,そのような国民の心情を十分に分かった上で,平然とウソを通すことになります。こうして,国全体
でウソが再生産され,まん延してゆくのだと思います。
しかし私は,「立場主義」を日本人の不変の国民性とは思っていません。戦後の日本を見ただけでも,たとえば,田中角栄
元首相の不正とウソにたいして,決して「立場上,しかたがない」とは認めませんでした。やはり,「立場主義」が顕著に
でてくるには,その時々の歴史的な条件があったのだと思います。
これを裏付けるように,記事を書いた二人の記者は「ここ数年」とも「これほどまでに人びとがウソに慣らされてしまった
時代は記憶にない。」と言っています。
「これほどまでに・・・時代は記憶にない」と言う際の「時代」とは「最近」のことを指しているのだと思われます。
最近のウソとして,記者たちが最初に挙げているのは,野田首相(当時)が2年ほど前に福島原発事故の「収束宣言」です。
ただしこれは,意図的なウソというより,事態を正確に把握していないために「結果的に」ウソとなった事例です。
しかも,国民は,決してこのウソにだまされたわけではなく,むしろ猛烈な批判が起こりました。
雲行きが怪しくなってきたのは,上に挙げた実例が示すように,安倍政権が国会で絶対多数を占めるようになってからだと
思います。
政府には,前言を翻そうが,明らかなウソを言おうが,野党の反発も国民の批判も無視しえるだろう,という姿勢が露骨に
なってきました。
一方,国民の方も,何をしてもどうせ無駄だからという無力感にとらわれ,自分の日常生活の保全を最優先とするようにな
ったのではないでしょうか。
この背景には,国民の間に貧富の格差が広がり,身の保全を優先せざるを得ないほど,現在の生活にも将来の生活にも危機
感をもっている層が増えているという状況があります。
いずれにしても,国(国会で絶対多数を持つ与党政府)と,思考を停止した国民との共犯関係が生まれているのだと思いま
す。しかし,この共犯関係によって国民は将来,大きな犠牲と過酷なツケを払わされることになるでしょう。
たとえしんどくても,やはり思考停止をせず現実を見つめ続ける努力は必要だと思います。
(注1)これについては,このブログの2012年7月28日の「原発はなぜ再稼働させてはいけないのか-原発は未完成技術-」で詳しく書いています。
『東京新聞』3月18日(朝刊)の「だましてほしい国民」という,やや挑戦的なタイトルの記事は,多くの人
何となく思い当る節があるのではないでしょうか。
その署名入り(白名正和,榊原崇)の記事は次のような書き出しから始まっています。
社会のたがが外れてしまったように感じるのはおおげさだろうか。けれども,右を
向いても左を見ても「ウソ」が横行している。
ここ数年,世の中にウソがまん延している。確かにウソは昔からあった。
だが,これほどまでに人びとがウソに慣らされてしまった時代は記憶にない。
確かに,最近はウソが社会問題になる事例が目立ちます。まず,ばれることはない,あるいは,事実を隠し通せるという想定のも
とで,堂々とウソを言う場合もあります。
そうではなくて,ばれることを承知の上で開き直ったウソを言う場合もあります。
たとえば,かつての東京都知事の猪瀬直樹氏が医療法人「徳州会」側から5000万円を受け取ったとされる問題に関して,猪瀬
氏はあくまでも「個人的」な借金で,政治資金ではないと説明しました。しかし,どう取り繕ってもウソを維持できず,ついには
辞任に追い込まれました。
同じように,「みんなの党」代表の渡辺喜美氏は,化粧品会社大手のDHC会長,吉田嘉明氏から,選挙の直前に計8億円を「個人的
に」借りたと説明してきました。
しかし渡辺氏の弁解は,誰が聞いても説明になっていないし,高額な「熊手を買った」といった部分は,聞いているほうが恥ずか
しくなるような子供じみた弁解でした。
猪瀬氏の場合も渡辺氏の場合も,まさかばれることはないだろうとの想定の上で,実際には選挙資金を受け取り,それがばれてし
まった事例です。
これらの金銭問題がどんな法律に違反し,どのような罰則があるのかは別として,彼らの言動には,たとえばれても,言い逃れが
できなくなるまでは,ウソをつき通してゆこう,という姿勢が伝わってきます。
こうしたウソは,政治家に多いようですが,一般人でも世間をだまし続け,ウソを言い続ける場合もあります。
「現代ノベートベン」ともてはやされた佐村河内氏の作曲とされてきた楽曲が,実は新垣隆氏の作曲であったことを新垣氏が暴露し
てしまったために,これまでの,手の込んだ演技やウソがばれてしまいました。
それにしても,佐村河内氏のように日本社会全体にむかってこれほど堂々とウソをついたのは,一般人としては近年ちょっと例を
みません。
猪瀬氏のウソも,渡辺氏のウソも,そして佐村河内氏のウソも,それなりに社会に対して大きな影響をあたえましたが,それでも,
問題の深刻さという点では日本社会に大きく関わるというわけではありません。
しかし,原発に関しては多くの人の命と健康に影響を与えるだけに,ウソは許されません。古くは,「原発は絶対に安全です」と
いう政府と東京電力の「安全神話」というウソは,2011年3月11日の東日本大震災で原発の爆発事故が起きてしまったことで見
事に覆されました。
こんなこともあって,前回の衆議院議員選挙の自民党の公約集には,将来的に脱原発を目ざすといいながら,現在では脱原発は完
全に否定され,むしろ「ベースロード電源」(基本的な電源)として位置づけています。ということは,選挙公約はウソだったこ
とになります。
選挙で圧勝したあとの安倍政権は,現在運転を中止している原発の安全性が確認できれば,再稼動を積極的に進め,必要なら原発
の新設さえ認めようとしています。
この場合の「安全性」とは,原発が立地している場所の下に活断層がないこと,津波から原発を守ることができる防波堤があるこ
と,非常用電源が安全な高台にあること,などです。
この背後には,もう一つの重要なウソがあります。福島第一原発の爆発の原因として政府と東京電力は,津波による非常用電源の
全喪失が原因であると主張しています。
しかし,さまざまな状況証拠からみて,すくなくとも1号機については津波が原因ではなく,地震の衝撃そのものにより原発の配
管その他の部品に破断が発生したと考えられます(『東京新聞』2014年3月5日,朝刊)。(注1)
しかし,これを認めてしまうと,地震国日本では,どこでも地震による原発事故が起こり得ることになるので,東電も政府も,た
とえウソでも津波による事故といい続けているのです。
原発事故に関して,も一つ世界に向かって発してしまったウソがあります。それは,2020年のオリンピックの開催地として名乗り
を上げた日本のプレゼンテーションで,安倍首相は,現在,汚染水は0.3平方キロメートルの湾内に閉じ込められている(under
control)と断定的に言いました。
しかし,これもまったくのウソで,当時から現在まで,放射能汚染水は湾外の海洋に流れ出しています。
原発関連で,もう一つ見逃せないのは,核燃料サイクルを稼動させ,使用済み核燃料を再利用するというウソです。1993年から建
設が始まり,現在まで,青森県六ヶ所村の再処理工場も実用段階に入っていないし,再処理された燃料を利用する高速増殖炉
(もんじゅ)も稼動していません。
政府は,核燃料サイクルを稼動させるから,今後も原発を再稼動させることができる,という虚構の説明をしています。これらは
官僚の天下り先,老後の糧としても手放せないようです。
国家的な規模の大きなウソはまだまだあります。一昨年,民主,自民,公明の三党合意で,2014年4月1日から消費税を5%から
8%に上げることを決めた際,国民に負担を押し付けるだけでなく,国会議員も身を切る改革として,議員定数の削減をすること
になっていました。
しかし,原発再稼動の問題と同様,自民党が選挙で圧勝して1年以上経った今日,消費税は予定通り上がりましたが,国会議員の
定数は減っていないどころか,議題にすらあがっていません。ここにも大きなウソがあります。
TPPにしても,主要5品目は「聖域」として絶対に守る,「聖域」なきTPPには参加しないとまで言って日本も参加しましたが,
この約束は事実上,反故にされています。
問題は,時の権力者である首相や政府のウソにたいして,国民の大きな批判と糾弾が起こってよさそうなのに,その声や力は政府
を動かすほど大きくなっていません。
これは,安倍政権の支持率が依然として60%近くあることに示されています。
おそらく,大部分の日本人は,政治家や民間人のウソには気づいているとは思いますが,それらにいちいち抗議したり問題視する
ことはほとんどありません。
冒頭に引用した「だましてほしい国民」という記事は,なぜ日本人は,こうもやすやすとだまされてしまうのかという疑問に対し
て,結局,日本人は「だましてほしい国民」なんだと言っています。
しかし,このような表現は日本人の不変の国民性であるかのような決めつけであり,私は賛成できません。
この記事では東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授の以下の説を引用しています。
だましてくれるなら,それでいいという風潮が広まっている。テーマパークのファンタジー空間が人気を博すのも,
作りものを見て満足したいという心理。根本は同じだ。
汚染水をめぐる安倍首相の発言は明らかにウソだったし,国民も『本当ではない』と,
心では思っていた。だが,実際に五輪招致が決まるや,うやむやになった。国民として
開催を歓迎しないわけにはいかないと思ったからだ。
安冨氏によれば,巨大な財政赤字が存在するのに,高速道路やダムを造り,年金を払い続ける状況にも通じるという。
「いわば,国と国民が共犯関係にある。これは立場主義の弊害だ」ということになります。
そして,「立場主義」が日本社会の根幹にあり,これが諸悪の根源だ」と指摘しています。
私も,「国と国民が居藩関係にある」という点は同感ですが,その理由は安冨氏とは異なります。安冨氏は,日本で
「共犯関係」ができてしまうのは,「立場主義」があるからだという。
上の汚染水問題に関する安倍首相の発言について言うと,「言っていることはウソだけど,五輪招致を進める安倍首相
としては立場上,あのように言わなければならなかったのだろう」と納得してしまいます。
そして「国民という立場」では,いちいち批判せず,五輪開催を歓迎しないわけにはゆかない,と考えることを指します。
つまり,個人の考えより,妻,会社員,公務員など立場から導かれる思考を個人の意見を重んじる傾向だと定義します。
ここに国と国民の共犯関係が出来上がるというのです。
確かに,「人を殺すのはいやだと思ったが,軍人という立場上やむをえなかった」という風に,立場主義は自分をも他人
をもごまかすのに便利だし,日本人はこのような言い訳をつかってきました。
しかし,私は,「だましてほしい」という心理の背景には,安冨氏とは違い,「思考停止」と,それと密接に結びついた
「現実逃避」もあると思っています。
たとえば,私たちが政府のウソに気づいても,そのウソの原因や影響について考え続け,さらに批判・追求することには,
とても辛抱強い思考が必要であり,追求ということになると時間もエネルギーも,金銭的にも大きな負担が必要になります。
多くの国民は,ウソはウソとして,問題は問題として認識はするものの,それ以上は考えないことにしよう,という意識的
な「思考停止」を決め込んでいるのではないでしょうか。
「立場主義」という思考方法も,思考を停止する,一つの方便だと思います。「あんな風に言うのも,立場上仕方がない」
と思えば,
それ以上考える必要はなくなります。
むしろ,だまされていたほうが,「楽」なのです。これは思考停止と同時に現実逃避の姿勢でもあります。
言い換えると,なまじ真実を突きつけられるよりは,「だましておいてほしい」,あるいは「だまされていたほうが楽」
と思うようになった,という意味なら冒頭の記事のタイトルは理解できます。
一方,政府にしても,そのような国民の心情を十分に分かった上で,平然とウソを通すことになります。こうして,国全体
でウソが再生産され,まん延してゆくのだと思います。
しかし私は,「立場主義」を日本人の不変の国民性とは思っていません。戦後の日本を見ただけでも,たとえば,田中角栄
元首相の不正とウソにたいして,決して「立場上,しかたがない」とは認めませんでした。やはり,「立場主義」が顕著に
でてくるには,その時々の歴史的な条件があったのだと思います。
これを裏付けるように,記事を書いた二人の記者は「ここ数年」とも「これほどまでに人びとがウソに慣らされてしまった
時代は記憶にない。」と言っています。
「これほどまでに・・・時代は記憶にない」と言う際の「時代」とは「最近」のことを指しているのだと思われます。
最近のウソとして,記者たちが最初に挙げているのは,野田首相(当時)が2年ほど前に福島原発事故の「収束宣言」です。
ただしこれは,意図的なウソというより,事態を正確に把握していないために「結果的に」ウソとなった事例です。
しかも,国民は,決してこのウソにだまされたわけではなく,むしろ猛烈な批判が起こりました。
雲行きが怪しくなってきたのは,上に挙げた実例が示すように,安倍政権が国会で絶対多数を占めるようになってからだと
思います。
政府には,前言を翻そうが,明らかなウソを言おうが,野党の反発も国民の批判も無視しえるだろう,という姿勢が露骨に
なってきました。
一方,国民の方も,何をしてもどうせ無駄だからという無力感にとらわれ,自分の日常生活の保全を最優先とするようにな
ったのではないでしょうか。
この背景には,国民の間に貧富の格差が広がり,身の保全を優先せざるを得ないほど,現在の生活にも将来の生活にも危機
感をもっている層が増えているという状況があります。
いずれにしても,国(国会で絶対多数を持つ与党政府)と,思考を停止した国民との共犯関係が生まれているのだと思いま
す。しかし,この共犯関係によって国民は将来,大きな犠牲と過酷なツケを払わされることになるでしょう。
たとえしんどくても,やはり思考停止をせず現実を見つめ続ける努力は必要だと思います。
(注1)これについては,このブログの2012年7月28日の「原発はなぜ再稼働させてはいけないのか-原発は未完成技術-」で詳しく書いています。