大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

聖火リレーへの強い違和感―無責任で無神経な人集め―

2021-04-25 10:59:03 | 社会
聖火リレーへの強い違和感―無責任で無神経な人集め―

聖火リレーは3月25日から7月23日に新国立競技場で行われる開会式まで121日間をかけ、
約1万人のランナーが全国の859市区町村を巡りますが、海外メディアも、聖火リレーのス
タートを次々と報じました。

テレビでは毎日のように、聖火ランの映像が放送されています。しかし、私はどうしよも
なく強い違和感、というよりむしろ憤り感じます。

まず、このコロナパンデミックの最中、一方で、多くの医療従事者は自らの命の危険をさ
らしてコロナ患者の治療にあたっているのに、笑顔でトーチをもって走っているというイ
ベントを強行する無神経さです。

昭和大学の二木芳人客員教授(感染症学)は
    医療従事者は、命の選別をしなければならないような状況の中で、死に物狂いで
    対応している。そんな中で、笑顔で手を振って走る聖火ランナーの姿は申し訳な
    いが場違いだ。
    聖火リレーにかける時間とお金があるなら、医療現場や貧困の現場に回してほし
    い。いったん中止してください。
と、聖火リレーの中止を訴えています。これが良識というものでしょう。

同じく医師でNPO法人医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏も、
    なぜ五輪は行われ、一生に一度の就学旅行は中止なのか。なぜ屋外の聖火リレー
    はよくて、飲食を伴う花見はだめなのか。全てがダブルスタンダードで、誰も合
    理的な説明ができない。
と聖火リレーの矛盾を指摘しています(『東京新聞』2021年4月21日)。
  
こうした意見は、多くの医療従事者が心に抱いている気持ちでしょう。聖火リレーの映像
を見て、日夜患者の治療に格闘している医療従事者は、気持ちを逆なでされる思いでいる
のではないでしょうか?

同様に、コロナウイルスに感染して苦しんでいる人、またその家族にとっても、そして、
コロナかで仕事を失い経済的に苦境に立たされている人にとっても、この聖火リレーの光
景は、あまりに無神経で無責任に映ると思います。

この聖火リレーが無責任であるというのは、一方で政府も小池都知事も事あるごとに「蜜」
を避けて」と、この1年間、国民に言い続けてきました。というのも、「蜜」になることが
ウイルスの感染を拡散する大きな要因になるからです。

実際、リレーが始まる前には、もし聖火リレーで「蜜」が発生したら、そこは「スキップ」
つまりその区間を飛ばす、と言ってきました。

しかし、実際にリレーが始まってみると、明らかに「蜜」を作り出す聖火リレーに対しては、
菅首相も、丸川オリンピック担当相も、オリンピック組織委員化も、政府のアドバイザリー
委員会も、尾身分科会会長も、中止勧告も、注意勧告さえ発していません。

これは、建前とは別に、政府も組織委員会も、聖火リレーをテコに、一向に燃え上がらない
オリンピック熱を盛り上げるこことに利用しようという意図があるからでしょう。

事実、聖火リレーを囲む沿道宇には人が詰めかけ、異常なくらいの「蜜」となっています。
これは、明らかに無責任です。

この聖火リレーは、東京五輪が「復興五輪」を掲げて始められたことのシンボルとしてフク
シマのJビレッジか出発しました。

しかし、この聖火リレーは、どう考えても「復興五輪」を思わせる影も形もありません。そ
れどころか、現在のコロナ禍の状況を全く無視したお祭り騒ぎの様相を呈しています。

最初に小型車が来て、「もう少しでランナーが来ます。大声は控え、拍手で応援しましょう」
とアナウンスされました。

続いて、有力スポンサー企業(つまり多額の寄付をした企業)の大型トラックを改造した宣
伝カーが大音量で音楽を流しながらの“お祭り騒ぎ“です。

宣伝カーの車列は、聖火リレー最上位スポンサー企業のコカ・コーラを先頭にヨタ自動車、
日本生命、NTTグループなどの有力企業からなるの「コンボイ」(警備車両も含めて30
台ほど)という、まるで車による“大名行列”のような異様な光景です。

マスクを付けたDJが負けじと声を張り上げる。いくつもの音楽と掛け声が重なり、かなり
うるさい。

「これはちょっと違うんでねえか」。隣で地元の一人がしきりに首をひねっていた。「復興
五輪って感じはないですね」、記者がそう聞くと、「全然違う。しらけてしまう」との答え
が返ってきたそうです(注1)。

異様と言えば、4月1日、聖火が長野県善光寺を出発した1分後、沿道から「オリンピック
はいらないぞ」「オリンピックに反対」といった声が聞こえると、放送していたNHKの音声
が突然消え、30秒続いた後、音声が徐々に戻った、という“事件”が発生しました(注2)。

これは、NHK側が“政治的判断”で音声を消した事件でした。

これ以外にも、報道にも大いに問題があります。毎日毎日、聖火リレーの模様を、何の躊躇
もなく、ましてや疑問を呈することなく、むしろオリンピックを盛り上げために、垂れ流し
ています。

この状況は、海外からは異常にみえているようです。東京五輪の気運を高めることへの期待
もあるのだが、巨額な放映料をIOC(国際オリンピック委員会)に支払い、多大な影響力を
持つ米NBCははっきりと、「新型コロナウイルスの恐怖がある中、東京五輪大会の聖火リレ
ーが始まる。これは廃止されるべき」という厳しい意見記事を掲載した。

そして記事は、
    (新型コロナウイルスの)パンデミックのまっただ中で始まった東京の聖火リレー
    は、ずばりナチスによって始められた五輪の伝統儀式だ。(今回も)公衆衛生を犠
    牲にするリスクを冒している。特にナチスの宣伝活動に由来するような伝統のいく
    つかは廃止されるべきだ、
と聖火リレーの廃止を主張した(注3)。

ひょっとすると政府やオリンピック委員会は、聖火リレーの最後のランナーとして池江璃花
子氏やゴルフのマスターズで優勝した松山英樹氏を起用し、聖火台への点火をおこなって、
開会式という儀式のクライマックスを演出しようとしているのではないか、と私は邪推して
います。

オリンピック開催そのものの是非については別の機会に考えてみたいと思います。

追記 一方で緊急事態宣言やまん延防止措置を適用しつつ、明らかに「3蜜」が起こる
   聖火リレーでオリンピックを盛り上げようする政府やオリンピック組織委員会の
   思想性というか無節操ぶりに呆れるばかりです。これでは、「人の流れを止める」
   という言葉が空しく響き、誰も従おうとは思わないでしょう。


(注1)『東京新聞』デジタル版 2021年3月26日 https://www.tokyo- np.co.jp/article/94041
(注2)『東京新聞』デジタル版 2021年4月7日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/96386
(注3)Yahoo ニュース 3/26(金) 6:37 https://news.yahoo.co.jp/articles/ab908f3e11c44ad366220f8b3e7162d65df79833


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「フクシマ」「コロナ」は日本の「敗戦」?―周回遅れのワクチン獲得競争―

2021-04-18 17:51:01 | 健康・医療
「フクシマ」「コロナ」は日本の「敗戦」?
―周回遅れのワクチン獲得競争―

『文芸春秋』(2021年4月号)の表紙には、船橋洋一氏の“日本の敗戦「フクシマ」
「コロナ」という論文のタイトルが大きな文字で掲げられています。

「フクシマ」と「コロナ」とは、まさしく現代日本が抱える二つの深刻な問題をズバリ
と取り出しています。

「フクシマ」と「コロナ」を日本の「敗戦」と位置付けた船橋氏の問題意識は本質を突
いていると思います。

「フクシマ」とは、爆発するはずのない原子力発電所が福島の第一原子力発電所でおこ
ったことに端を発します。地震と津波が原因であることは間違いありませんが、完全に
自然災害とは言えません。

津波の高さも事前の調査で15メートルほどに達する可能性が指摘されていたからです。

原発については別の回に書こうと思いますが、今回は、もう一つの「敗戦」である爆発
的な「コロナ」のまん延について考えてみたいと思います。

船橋氏は、なぜコロナのまん延を「敗戦」と表現しているのでしょうか。

その代表的な問題は、コロナウイルルと闘う、もっとも強力な武器ともいえるワクチン
の獲得競争において、諸外国との間で決定的な敗北を喫していることです。

その結果、全国で感染者と死者が増え続く事態となっているのです。

しかも、これは避けることに出来ない敗北というより、政治と行政の現状認識の誤りに
原因があると言えます。

野球の野村監督は、“勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし”という名言を
残しています。

つまり、勝利や成功には、“運”も含めて偶然的な要素が作用するが、負けや失敗には必
ず必然的な原因がある、ということです。

今回の、“敗戦”にも匹敵するワクチンの確保・入手の大幅な遅れという失敗には、日本
政府と行政の必然的な原因があったと言えます。

一言でいえば、先を見通す想像力がなかったために事態を甘くみた油断につきます。

検証することが嫌いな安倍・菅政権ですが、ここはしっかりと“必然的”な原因を検証し
ておく必要があります。

最初の原因は、昨年3月~4月にかけての第一波が“幸運にも”1か月半で収束した“成
功体験”です。これが、菅政権になってもずっと後を引きます。

この時安倍首相は、ロックダウンのような強制手段を用いないコロナを抑え込んだ“日
本モデル”だと言って国内外に誇らしげに吹聴しました。しかし、この時の成功体験で、
新型コロナは恐れるに足りず、という誤った認識を政府も行政ももってしまったので
はないでしょうか。

しかし、この時は、多くの国民にとって初めて経験で、小池東京都知事3月下旬に発
した「ロックダウン」(都市封鎖)という言葉に多くの国民が驚愕したこと、そして
4~5月にかけての初めての緊急事態宣言に敏感に自ら反応したからでした。

当時、東京の銀座や渋谷などでも人通りが途絶え、ゴーストタウンのようになってい
ました。しかし、思えば、第1回目の緊急事態宣言が発令された4月7日東京の感染
者は。わずか87人でした。

この時にはまだ、ワクチンの必要性は政府も考えておらず、ひたすら三蜜を避け、マ
スクの着用と手洗いが推奨され、マスクが店頭から消え値段が暴騰しました。

しかし、周囲を見渡せば、1月には中国の武漢では阿鼻叫喚の悲劇が展開していたの
です。それでも、政府は習近平首相の訪日をおもんばかって、中国からの旅行者の入
国を2月まで禁止しなかったのです。この間に大量のウイルスが旅行者から持ち込ま
れました。

第一波が収まった五月ころ、夏になればコロナは収まるだろう、という楽観論が政府
内にも国民の間に広まりましたが、6月からじわじわと新規感染者が増え始めました。

しかも、7月にGo To トラベルが実施されやや遅れてGo To イート が実際されると、
人は動き、レストランで食べまくり、ウイルスは拡大し放題となりました。

しかし、当時も今も、政府は、Go To トラベルがウイルスの拡大をもたらしていると
いうエビデンスはない、と強弁し続けています。

Go To イートに至っては問題外で、食事に伴う飛沫感染が主要な感染経路であること
を考えれば、補助金まで出して積極的に外食・会食を勧めたのは、コロナの感染拡大
という火に油を注ぐ政策です。

案の定7~8月は期待も空しく、真夏にもかかわらずコロナ感染は拡大を続けました。

しかし、欧米では昨年の4月ころからさまざまな形のワクチン開発に乗りだしていま
したが、日本では、どうせ1年か2年はかかるだろう、とのんきに構えていました。

この時の日本政府のワクチン獲得への立ち遅れが、現在まで日本のワクチン接種率が
世界で50番目以下にしてしまっているのです。

今日(4月18日)に河野ワクチン担当大臣は、ファイザー社が16歳以上の日本人
全員分が9月末までに入手できることになった、と発表しました。

このスケジュールでゆくと、10月から各自治体に配布が始まり、接種が終わるのは
年末か年を越す可能性が大です。

イスラエルやイギリスではもう十分なワクチン接種を終え、マスクなしでの日常が戻
りつつあり、アメリカでも5月末までに全員が接種を終えて日常が戻るとしています。

アメリカやイギリスでは増産に拍車をかけているので、6月以降には自国の必要分を
超える量のワクチンを保有することが予想されます。

すると、そうしたワクチンはどうなるのでしょうか?ワクチン・メーカーが慈善事業
的に開発途上国・貧困国に無償で提供するでしょうか?

あるいは先進国がワクチンを買い上げて貧困国に配布してあげるでしょうか?

一部にはそのような無償の配布は行われるかもしれません。しかし、最も考えられる
のは、ワクチン・メーカーが、できるだけ高く買ってくれる富裕国に売ろうとするの
ではないでしょうか?

私の偏見も交えた推測では、“ワクチン飢餓状態”にある日本は、メーカーが売ってや
ると言っただけで大いに感謝して、高いワクチンを買わされることになるのではない
かと、思います。

しかし、年内いっぱいでワクチン接種が日本で終われば、大きな救いになることは間
違いないし、今は買える限りは買っておいた方が良いことは言うまでもありません。

なにしろ、現在の爆発的な感染拡大と重症者と死者の増加を食い止める唯一の希望は
ワクチンですから。

ひとつだけ、老婆心ながら、ワクチンに関して気になっていることがあります。

現在、日本で主流になりつつある変異型のウイルス(イギリス株)に対するワクチン
は、何とか目途が立ったようですが、これが行き渡るころには、さらなる変異型が出
現している可能性があります。

実際、現在では次の変異型に対応するワクチンの開発が英米で進んでおり、日本がよ
うやくイギリス株までのウイルスに関しては大丈夫になった時、欧米では次世代のワ
クチンに中心が移っているかもしれません。

日本はもともとワクチンに関しては周回遅れなので、ようやく欧米に追い付いた時、
また、ワクチン獲得競争で“敗戦”を味わうことになるかもしれません。

以上は、あまりにも悲観的な見通しですが、私はこの悲観的は見通しが杞憂に終わ
ってくれることを祈っています。
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                              気が付いてみると、季節はいつの間にか、ハナミズキとツツジに代わっていました。
 

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本の紹介 森永卓郎『マイクロ農業のすすめ』(2)―小規模農業は社会的にも意義がある―

2021-04-11 09:50:20 | 食と農
本の紹介 森永卓郎『マイクロ農業のすすめ』(2)―小規模農業は社会的にも意義がある―

前回は、森永卓郎さんが実体験に基づいて感じた、「トカイナカ」(都会田舎―都会と田舎の中間地域―)
でマイクロ農業をすることが楽しく、農作業自体が健康的で、安全・安心の食物を得ることができる、自然
と近いことで精神的にも癒されるなど、個人にとって良い点を紹介しました。

こうした個人にとってのメリットと同時に、表題の本で森永さんは、マイクロ農業は社会的にもいくつかの
面で大きな意義があることを主張しています。以下に3点に絞って考えてみたいと思います。

第一点は、「トカイナカ」に住みマイクロ農業を行うことによって、大都市の人口集中を和らげることがで
きることです。

現代の資本主義経済(グローバル資本主義)は、国際的な競争圧力の下、何よりも効率と利益の拡大を追求
します。そのため経営手法としては大規模・集中・集権を促進します。

社会的には人口と経済社会機能の大都市一極集中という現象となって現れます。というのも、資本が利益を
生むためには大量の労働力が不可欠で、大都市に人を集めるからです。

これは大都市における土地の高騰を生み、家賃をはじめとする生活費の高騰をも引き起こします。しかも、
コロナのまん延が都市に集中していることからも分かるように大都市は健康面マイナスが多くあります。

こうした点から森永さんは、資本主義の府の側面をもつ大都市を「レッドゾーン」と呼びます。この対局に
あるのが、本格的田舎で、その中間にあるトカイナカは「グリーンゾーン」と呼びます。「トカイナカ」で
のマイクロ農業は、小規模・分散・分権です。

第二点は、日本の農業と食料の将来を考えたとき、マイクロ農業は大きな意義があります。

2020年から10年後には、「農業就業人口は36%減少し」「農家数は160万戸から105万戸へ」
「離農によって51万ヘクタールの土地が放出」される大離農時代を迎えると予想されています。これによ
り、この事態がもたらす問題は二つあります。

一つは広大な耕作放棄地の発生であり、二つは日本の食料不足です。引き受け手のない耕作放棄地が増える
ことは荒れ地の拡大となってしまいます。これは、必然的に日本の食料事情に影響を与えます。

現在、日本の食糧自給率は38%(カロリーベース)にまで落ち込んでいます。日本政府はこれまで一貫し
て、日本は工業製品を輸出して農産物は輸入に依存する政策を続けてきました。

しかし、今は食料を売ってくれている国がこれからもずっと日本が必要とするだけの量を安定的に売ってく
れるとは限りません。しかも、日本が国際市場で食料の輸入に走ることによって、食料の国際価格は上昇し、
食料不足に悩む開発途上国をさらに窮地に追い込みます。

こうした耕作放棄地を生かし、予想される食料不足を少しでも補う方法として、多くの日本人がマイクロ農
業に従事し生産物を地産地消すれば、いくぶんかでも両方の問題を緩和することができます。

第3点は、上の第2点と密接な関係にありますが、耕作放棄された農地がどうなってゆくのか、あるいは農
業に踏みとどまっている農家の人たちはどのような農業経営をするようになるのか、という問題です。

日本の農家は小規模経営大部分です。政府は、断片化された農地をまとめて大規模農地を作り、そこで効率
的な農業を推進しようとしています。

しかもその場合、海外の巨大企業(森永さんは、利益だけを追求するハゲタカと呼ぶ)が、大規模農業の経
営に乗り出す可能性もあります。

ただし、ここで想定されている大規模農場は平地の場合で、実際には山地や傾斜地の棚田状の田畑が多い日
本では、大規模化しにくい土地が多くあります。ここは耕作放棄地として残ってしまいます。

ここで効率的な農業とは、高額な農機具を使う機械化、農薬と化学肥料を多用する企業的農業を指します。
とりわけ森永さんが危惧しているのは、こうした農業が果たして私たちに安全で栄養価の高い食べ物をもた
らすかどうか、という点です。

森永さんは、あるラジオ番組で、自分が今やっている畑はたかだか20坪ほどしかない狭い土地なのに、雑
草を手で抜く除草作業がもっともきつい労働で、2週間に一度草取りをすると、3時間かけ抜いた草が一輪
車に一杯になるそうです。

まして、大規模化して数ヘクタール、あるいは数百ヘクタールの農地となれば、当然、手で除草することは
考えられません。

そこで登場するのが除草剤です。森永さんが非常に問題視しているのは、アメリカのグローバル企業(化学
薬品・種苗メーカー)のモンサント社(最近、バイエル社に吸収合併された)が販売している「ランドアッ
プ」という商品名の除草剤です。

この除草剤は発がん性があるということで、アメリカで消費者から裁判を起こされて敗訴しています。ヨー
ロッパでは原則輸入も使用も禁止されていますが、なぜか日本は使用を許可するだけでなく、その基準値を
5~400倍まで品種ごとに引き上げています。

「ラウンドアップ」(その主原料はグリホサートという化学物質)の元は、ベトナム戦争時に「枯葉作戦」
として森林を枯らして解放軍や北ベトナムの兵士が隠れる場所をなくすために開発されたものです。

樹木をも枯らしてしまう薬品ですから、当然、この除草剤を散布した土地に種を播き、苗を植えても作物は
枯れてしまいます。

そこで、モンサント社は、除草剤に耐性を持たせた遺伝子組み換え種子を開発し、日本などに売り込んでい
ます。しかし、遺伝子組み換え作物の身体への影響については、また安全性が確認されてはいません。

しかも、雑草も同時に除草剤に耐性をもつようになるので、さらに強力な(ということは毒性が強い)除草
剤が開発されています。

加えて、このような大規模農業では化学肥料、殺虫剤(ネオニコチノイド系が最悪です)、収穫後の農産物
に散布する防カビ剤、防腐剤などのポストハーベストを使うことが想定されます。

問題は、こうした農業が大規模化した農場だけでなく、個人の農家によっても実施される可能性が大きいの
です。とりわけ除草剤については農業従事者の高齢化とともに、多くの農家で使われており、これは長期に
土に残留し、土壌の汚染をもたらします。これは、環境問題でもあります。

農薬関係以外でも、最近はビニールで耕地を覆う農法(通称マルチ)やビニールハウスが一般的になってい
ますが、これもマイクロプラスチックの増加という環境問題を引き起こします。

山積する問題を考える時、マイクロ農業は、確かに規模は小さく、日本や世界の農業問題を解決する力がな
いように見えます。

しかし、森永さんは、それでもマイクロ農業は、食料問題、農業、環境を考えるきっかけ与えてくれる、と
いう大きな意義がある、と主張します。

森永さんは、偶然あるラジオ番組で、「1億総農家になろう」とも言っていましたが、少なくとも自分たち
が食べる食料は自分たちでできるだけ作ろうと呼びかけていますが、私はこれに賛成です。

最後に、森永さんが発している農業に対する基本的な考え方を紹介しておきます。

最近、日本でも関心が高まっている、アメリカのグーグル社などが参入している「スマート農業」を批判し
ています。これは巨大資本をもつ企業が、ITや情報通信技術を利用して省力化し、高品質な作物を作ろう
とする農業経営方法です。

これに対して森永さんは
    ただ、私は企業が経営する農業を信用していません。あくまでも、私個人の考えですが、もっとは
    っきり言うと、「株式会社」は農業をやってはいけないと考えています。それは彼らが基本的に資
    本主義の下で活動しているからです。
    農業は消費者の命を守る産業で、営利目的とは相反することが多くあります(153ページ)

森永さんは、命を守る産業である医療機関に株式会社が基本的に存在しないのは、利益を追求する企業医療
を行うと患者に被害が及ぶ危険性があるからだ、と言います。

こうした主張は、極端で非現実的に聞こえるかも知れませんが、正論だと思います。

農業の中でも水田稲作は、食料の確保や経済的利益だけでなく、それを超えた、保水や土壌保全、大きな意
味で自然環境の保環に重要な役割をはたしていることを忘れてはなりません。





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本の紹介 森永拓郎著『マイクロ農業のすすめ』(1)―トカイナカの農業は楽しい―

2021-04-05 15:03:47 | 食と農
本の紹介 森永拓郎著『マイクロ農業のすすめ』(1)
―トカイナカの農業は楽しい―

私は通算で10年以上、畑と、一時は稲作もしましたし、現在は100坪ほどの畑で農業をやって
いるので農業には強い関心があります。

そんな中で、たまたま森永卓郎さんがラジオで『マイクロ農業のすすめ』(農分協、2021年3月
15日)という本を出版したことを知り、すぐに買い求め一気に読んでしまいました。

森永卓郎さんは、テレビやラジオでおなじみの経済アナリストで、いまさら紹介するまでもあり
ませんが、一応、簡単に書いておきます。

森永さんは1957年生まれ、東京都の出身。東京大学経済学部を卒業後、日本専売公社、経済企画
庁、UFJ総合研究所を経て、現在、経済アナリストとして活躍中です。

TBS系の日曜日、朝の「がっちりマンデー」という番組に、ほぼ毎回、最近の「儲かりビジネス」
の紹介をしているので、見たことがある方も多いのではないでしょうか。

ところで、この本の全体は、大きく二つのテーマから成っています。一つは、今回紹介しようと
している、“農業は楽しい”という点が強調されます。

二つは、「マイクロ農業」がもつ社会的意義として、現在日本や世界で支配を強めつつあるグロ
ーバリズムと巨大農業資本が、農業のあり方を根本的に歪めてしまいつつあることの危険に対す
る警告と、それへの対抗行動という側面を議論しています。

以上の二つの主題は、章によって分かれているわけではなく、二つの主題が織り混ざって書かれ
ています。

さて、著者は埼玉県の所沢に近い町に住んでいますが、しばらく前まで群馬県昭和村に土地を借
りて農業を行っていましたが、昨年から家から歩いて3分のところに20坪ほどの畑を近所の農
家から借りて農業を実践しています。

森永さんは、所沢あたりを「トカイナカ」と呼んでいますが、これは、都会(この場合は東京)
と田舎(イナカ)の中間地点を指します。

つまり、都会から完全に切り離すことなく、しかも自然に触れ、農地も安く、しばしば無料で貸
してもらえる、絶好の立地だという。

というのも、最近の日本では農家の高齢化にともなり農業をやめた人が多く、かといって農業を
継ぎたいという後継ぎもなく、大量離農時代をむかえつつあります。

こうして耕作放棄された田畑は荒れ放題になっており、雑草だらけの荒れ地にしておくより、ち
ゃんと管理してくれるなら、無料で貸してもいいという農家も珍しくないようです。

しかも、耕作放棄された土地を抱えた市町村には、そのような農家を紹介してくれる部局(たと
えば農政課)や、農業委員会のような組織があります。

多くは、田畑を借りるだけではなく、家や土地を借りたり買ったりして、地方移住を考えている
人も増えてきているようです。

ただ、農地を買うには、各市町村で農業者として認定される必要があり、それには法律で定めら
れた条件を満たさなければなりません(自治体によって条件は異なりますが、例えば耕地面積が
一定以上であることなど)。

次に、「マイクロ農業」という言葉について、著者は独特の意味を込めています。

一般には「小規模農業」と表現できるのですが、森永さんは日本の状況を考えて、自家消費だけ
を目的とした家庭菜園よりは規模が少し大きく、しかし、プロの農家が経営する規模よりはずっ
と小規模な農業というほどの意味を込めています。

「マイクロ農業」の場合、自分の家族で食べる以上の収穫があり、運が良ければ地域の直売所や、
「道の駅」で売ることもできるし、さらには優れた野菜なら特定のレストランなどで使ってもら
える可能性もあります。

ただし、そのためには自分でも相当勉強したり、プロに手ほどきを受けたり、それなりの努力を
してセミプロくらいのノウハウは身に着ける必要はあります。

森永さんは東京へ“出稼ぎ”に出て現金収入を得て、家に帰っては畑で農作業にいそしんでいます。

昨年からのコロナ禍の影響もあって、リモートで仕事ができる人が自然の中で仕事をしつつ農業
もしてみたい人が増えてきているようです。

ただし、完全に都会を離れて田舎に引っ越すのは、自然の中で暮らすことは、一つの理想ですが、
それには相当の覚悟が必要だ、と森永さんはクギを刺しています。

本当の田舎の場合、現金収入の機会は少ない、共同体のさまざまな義務(たとえば水路の清掃な
ど)、濃密すぎる人間関係など)、医療や教育環境など、都会では当たり前に得られる便宜が得
られにくいこと、なども考えなければなりません。

この点、「トカイナカ」では都市機能へはせいぜい1時間半くらいでアクセス可能で、家賃は都
内の3分の1とかそれ以下で、食べ物などの物価は安い。隣人との人間関係もほどほどで、それ
でいて自然との距離も近いというメリットがあります。

森永さんの場合には、現金収入には問題ないので、彼の事例を一般化することはできません。彼
もそのことは十分承知していて、とりあえずは、特に退職して年金で最低の生活費が確定してい
る人たちにたいして「マイクロ農業」を推奨しています。

この場合、利益を出す必要もなければノルマもない、生産性は低いが、膨大なエネルギーを消費
するわけではない、などある意味で余裕のある人が対象になるかもしれません。

ただ、農業というのは、自然相手ですから思い通りにならないから楽しい。どんなに習熟しても
成功率はせいぜい3分の2くらいだそうです。

私は、苗を植えたのに、その後日照りが続いて苗が全滅してしまった苦い経験があります。

それでも、自分で作ったものを自分で収穫する喜びは、誰がどのようなどのような形で行っても、
間違いなく味わうことが出来る喜びです。

森永さんは経験から、農業には多くの楽しみや生きがいがあると感じています。いくつか本から
引用します。

たとえ一部でも、自分で作った食べ物を食べることは、それだけでも、たとえようもない喜びで
す。しかも、森永さんは農薬を一切使わないので、健康的な食べ物を食べられるというのはとて
も恵まれているし、ある意味で贅沢でもありま。

農業を始めて森永さんのライフスタイルも変わりました。コロナ禍のためリモート出演で済んで
しまうので、自宅での滞在時間が長くなり、その代わり毎朝3時間ほど農作業が増えました。

森永さんは農薬を使っていないので、2週間も放っておくと雑草が生い茂ってしまうので、手作
業で1本1本抜いてゆくのですが、完了までに3時間はかかるそうです。この作業はスクワット
をやっているのと同じで、ずいぶん鍛えらる言っています。

しかも、農作業中は「マスクしないでいい」「空気よし」「水おいしい」、そして「何より楽し
い!」感じています。

こうした感覚を彼は、「大地と向き合うよろこび」と表現しています。

また、近所の人とのコミュニケーションが増えたことも大きな収穫です。畑をいじっていると、
通りかかった近所の人が声をかけてくれる。

日々育ってゆくのを見るのは近所の人も楽しみのようで話がはずみます。また、近くに定年退
職後に森永さんと同じようにマイクロ農業をしている人が何人もいて、彼らとの交流もできた。

彼らは作物の育て方のアドバイスをくれたり、野菜や稲や苗を分けてくれたり、作物を「獲れ
すぎちゃったから」といって分けてくれることもある。

こうした交流や人間関係は、都会ではなかなかできないことで、現代では貴重な財産です。

農業は精神的にも大きな喜びを与えてくれる。それは「全部を自分で決められるということで
す」。

サラリーマン生活は、思い通りにならないことの連続で、多少理不尽と感じていても唯々諾々
と従うしかありません。だから「給料は我慢料」だと言われるのです。

しかし、農業の場合、全て自分の考え通りに事を選べるのです。

実際、私もこの春、今年は、畑のどこに何をいつ頃植えるのか、そして春・夏野菜が終わった
後で、秋から冬にかけて何を栽培しようか、など年間の計画をたてました。これは農業をおこ
なうことの楽しみであり、醍醐味でもあります。

今回は、森永さんが、本で書きたかったことのうち、個人としての楽しみや喜びに焦点を当て
ましたが、次回は、こうした「マイクロ農業」の社会的意義について、私自身の考えも含めて
紹介します。
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桜の花びらが散って道を桜色に化粧しています。                               桜に代わってヤマブキが一斉に咲き始めています。
    



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