大木昌の雑記帳

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ムヒカ前ウルグアイ大統領(3)―日本訪問:政治を語る―

2016-04-30 21:51:49 | 思想・文化
ムヒカ前ウルグアイ大統領(3)―日本訪問:政治を語る―



この度の大地震に被災した熊本県と大分県の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

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ムヒカ氏は今回の訪日の間に、あまり政治的な発言はしてきませんでした。

それは恐らく、彼がすでに大統領を引退し、一人の人間として、日本という社会を見てみたかった、という気持ちがあったからでしょう。

それでも、前回の記事で紹介したように、

    現状に不満があるのなら,何か行動を起こして下さい。勇気を持って新しいことを提案し立ち上げてください。それはあなたたち
    とその後に続く世代のために。皆さんもいつかは子供や孫ができるでしょう。考えなければいけないのは,子供や孫が生きていく
    世界。彼らにどんな世界を残すのか?

という表現で、間接的ながら、若者にたいして、行動を起こすよう呼びかけています。この「行動」という言葉には、もちろん、政治的な行
動が含まれます。

東京外国語大学の講演では、もう少し具体的に、かつ、積極的に政治的な発言をしています。
   
    この世界に紛争は必ずある。だからこそ、社会全体に心をくだくことが大切になる。
    「政治に関心がない」「政治は重要じゃない」という人がいるが、政治を放棄することは少数者による支配を許すことにつながる。

この言葉はおそらく、故国ウルグアイにおいて、かつて独裁的な支配が行われていたこと、それに反対して、反政府ゲリラ活動に身を投
じた経験から、政治に無関心になると、どれほどひどい支配や暴力が少数の権力者たちによって行われるかを、彼は身をもって経験し
たからでしょう。

    民主主義には限界がある。それでも社会をよくするために闘わなければならない。皆さんのようにすばらしい大学で学んでいる者は、
    社会をよくするために闘わなければならない。最も重要なことは勝利することではなく、歩き続けること。何かを始める勇気をもつこと
    だ。

現在日本は、少なくても形式上は「民主主義」国家ということになっています。しかし、民主主義というのは、黙っていても十分に機能するも
のではない。

たとえば、選挙によってある政権が成立したとすると、形式的には「民主主義」に基づいた政権であると言える。

しかし、だからといって、選挙に勝てば何をしてもよい、というわけではない。こうして成立した政権でも、間違いを起こすことがある。

たとえば、ヒットラーが率いる「ナチ党」政権は、選挙で選ばれた合法的な政権でした。それでも、あのように悲惨なユダヤ人の殺りくを行い、
自国と周辺国の人々に甚大な損害を与えたのです。

もう一つ、ムヒカ氏が、闘わなければならない相手として、「グローバル化した社会」があります。

といっても、「グローバル化」とは、ひとつの社会現象であって、それ自体が行為主体であるわけではありません。

行為主体の実態は、グローバル化を推進しようとする勢力、つまりその時々の政権と、政権と結びついた勢力ということになります。

なぜグローバル化が問題かと言えば、それは資本が爆発的に大きくなっているからです。そこでは国境がなくなり、人々が忙しく働きます。

それによって生活を大きく変えられ、お金が重要で、そのための人生になってしまっているからです。だから、

    お金のために自分の人生をぶちこわしていいのか。そうした世界と若い人は闘わなければならない。


現在の安倍政権は、アメリカの圧力もあり、新自由主義という名のグローバリズムを積極的に推進しています。

この流れに抵抗することは、大変なことです。自らの仕事や生活を危機に陥れるかもしれません。実際、ムヒカ氏には、日本の若者は政治から
逃げているように映っているようだ。

    日本では若者が希望を持てないと聞いた。若い世代の投票率が30%程度だと聞いた。政治や社会を信じていないのだろう。それでも、
    信じられるようにしてほしい。不満を持つのはいいことだ。どうか同じ気持ちの人と何かを始めてほしい。生きるには希望が必要。そうで
    なければ人生なんて意味がない。

世界に目を向けると、

    今、世界では一分間に二百万ドルの軍事費が使われているというが、誰もそれを止められない」状況にある。そして、極めて少数の者に、
    世界の富が集中している。

つまり、一方で国家は、平和ではなく軍事に巨額のお金を使い、他方で、グローバル化の中で、金融・資本が爆発的に暴れまわり、ごく一部の人
たちに富が集中してしまっている。

現在は分配の仕方が悪いので、社会的な弱者に恩恵が及ばず、格差が拡大しています。(注1)

以上は、大学での講演ということで、若者向けにムヒカ氏らしい表現で、政治を語った内容となっています。

これとは別に、記者会見では戦争を放棄しない国や人々にたいして、次のような言葉で批判しています。

    いまだに人類は先史時代を生きている。戦争を放棄する時が来たら、初めてそこから脱却できる。
    私たちには戦争を終わらせる義務がある。それは世界の若者が完成させなければならない大義であり、可能なことだ。

人類は、いまだに戦争を放棄できない「先史時代」にあるが、そこから脱却して始めて「文明社会」へ入ることができる、しかし、それは長い道のり
で、若者が完成させるべき大義であり課題である、と展望を述べています。

この記者会見の後で、ムヒカ氏は都内で一部メディアの取材に応じて、安倍政権を批判しています。

日本が憲法解釈を変更し、他国を武力で守ることを可能にした安全保障関連法を制定したことについて、

    日本が先走って大きな過ちを犯していると思う

と、単刀直入に安倍政権を批判しています。(『東京新聞』2016年4月7日)

彼の目には、なぜ安倍政権が、自分の国を守るのではなく、他国(具体的にはアメリカ)をまもるための法律を先走って制定するのか理解できない、
と言っているのです。

記者会見との続きで言えば、日本は文明に背を向けて「先史時代」に戻ろうとしている、ということになります。

ムヒカ氏はこれまでの間接的、一般的なコメントをしてきましたが、この安倍政権の安保法制にたいしては「先走って」、と辛らつな言葉で批判して
います。

安倍首相は、この「世界一貧しい」前大統領の言葉をどのように受け止めるでしょうか?    




(注1)以上は、東京外国語大学での講演で語ったことに、私が少し補足とコメントをしたものです。講演そのものの要旨は、『東京新聞』(2016年4月
    9日)に掲載されています。




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ムヒカ・前ウルグアイ大統領(2)―日本訪問:日本人は本当に幸せですか?―

2016-04-23 07:40:07 | 思想・文化
ムヒカ前ウルグアイ大統領(2)―日本訪問:日本人は本当に幸せですか?―

この度の大地震に被災した熊本県と大分県の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
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ホセ・ムヒカ夫妻は、今年4月、永年の念願だった、日本への訪問を実現しました。

これを期に、フジテレビは8日の夜『ムヒカ来日緊急特番:日本人は本当に幸せですか?』という特番を組みました。

ムヒカ氏が日本を訪問した重要な動機の一つは、戦後に奇跡的な復興を遂げ、非ヨーロッパ世界では、いち早く先進国の仲間入りを果たした日本の、
とりわけ若者は幸せなのか、を確かめることでした。

ムヒカ氏が、こんな問いかけをした背景には、経済的な繁栄を誇っているかに見える日本人の幸福度が世界の中でとても低い、という現実があるから
だと思われます。

コロンビア大学地球研究所2016「2015年度世界幸福度ランキング」によれば、幸福度ランキングは以下の順です。
1位(デンマーク)、2位(スイス)、3位(アイスランド)、4位(ノルウェー)、5位(フィンランド)、・・・、13位(アメリカ)・・・23位(イギリス)、29位(ウルグアイ)、
53位(日本)、そして83位(中国)となっています・・・(注1)

このようなランキングがどれだけ信用できるか、という問題はあるにしても、気になるのは、日本の幸福度ランキングが、なんと前回より7ランクも下がっ
て53位となっている点です。ということは、このままゆくと、将来はさらに下がるのではないか、と考えられます。彼は、問いかけます。
    
    私は聞いてみたい。若者たちはお年寄りたちよりも幸せなのか、と。イエスなのかノーなのか。

そして、優しい口調ではありますが、日本の現状にたいして文化的な疑問をも率直に投げかけています。
    
    日本はあまりにも西欧化し過ぎてしまい、本来の歴史やルーツはどこへいってしまったのかと問いたくなる。ちがうかね?

ムヒカ氏の目には、日本人が幸福を感じられない一つの原因は、文化的なルーツを失っていることではないか、と映っています。たとえば、車窓から見え
る看板にはヨーロッパ人女性の写真が写っていますが、「美しい日本人女性がいるのになぜヨーロッパ人モデルを使うのか」、といぶかります。

彼は、日本の発展をもたらした科学技術の進歩が、全てを破壊しかねない「危険なほどの欲望」を生み出してしまったのではないか、感じています。

    人間は一人では生きられない。エゴイズムは競争を生み、だし、科学技術の進歩を生みだしました。だが、同時に危険なほどの欲望も生みだした
    のです。その欲望は全てを破壊しかねません。
    私たちは地球上のすべての人々がいきてゆけるだけの資源をもっているんです。それなのに私たちは地球に“借金”をしている状態です。こんな
    愚かな間違いを若者に伝えなければいけない。

池上彰氏との対談では、池上氏が、日本とウルグアイの人に聞いた「今一番欲しいもの」の表を示して、ムヒカ氏のコメントを求めました。

日本            ウルグアイ
1 時間 17.3%     治安の良さ 16.2%
2 お金  16.3%     健康 13.7%
3 特にない 14.1%   時間 10.3%
4 健康(若さ)8.3%   お金 7.7%
5 車 5.1%       子ども・孫の幸せ 5.5%;家 5%

池上:  日本の多くの人は,もっと時間が欲しい,言っていますが?
ムヒカ: 何のための時間でしょうか。問題は何のために時間を使うのか,ということです。何をする時間を欲しいのですか? 子どもと過ごす時間?
     家族と過ごす時間?友人と過ごす時間? あるいは自分の人生を生きる時間?それならOKです。それとも,もっと働いてもっとお金を稼ぐ
     ための時間が欲しいのですか?それは消費社会に支配されています。
     人生は一度きりで瞬く間に過ぎてゆきます。人間としての時間をどう使うべきか。人生は時計のようなものです。ぜんまいはやがて止まりま
     す。だから何に時間をつかうのか。一人ひとりが自分に問いかけるべきなんです。なぜなら、生きることは死に向かうことだから。これは変え
     ようのない事実であり私たちの存在において最も大事なことなのです。

実は、この表を見たムヒカ氏は、お金が一番にきていないことに少し疑問をもったようで、「日本もウルグライも本当のことを言っていない。みんなお
金が欲しいでしょう」、と皮肉っぽくコメントしています。

経済的豊かさと幸福、幸せとはどんなことなのか、に関して、次のように語っています。

    富が幸福をもたらすと思わないでください。比較的豊かになると失うことへの恐怖が生まれます。富を失うことへの恐れが・・そうするとお金が
    あっても幸せを感じられません。失うことを恐れるからです。これがまさに中流階級の苦悩なのです。目標に向かって前進し戦う者は恐れるも
    のがないのでとても幸福です。なぜなら希望があるから。幸せであるということは,生きていることに心から満足していることです。毎日太陽が
    昇るのを見て感謝する。幸せとは人生を愛し憎まないこと。でもそのためには大義が必要で情熱を傾ける何かが必要なのです。

高齢化が進む日本社会についても提言しています。
    
    たとえば日本では高齢化が急速に進んでいます。一人暮らしの高齢者がたくさん孤独に苦しんでいるのです。以前のように家族は高齢者を支
    えられなくなっています。日本はこういう高齢者に公共の施設を作るべきです。どれだけお金がかかっても。国は施設を作って住まいを用意し、
    孤独な老人をサポートするべきです。日本は先進国。だから国民と政府が一体となって行動すべきです。彼らに寄り添い,高齢者を置き去りに
    してはいけない。そのために税金を使うべきです。これは社会全体で決めることです。個人も家族も1人で生きてゆけません。

現安倍政権は、老後の問題は個人個人で、各家庭で解決すべき、という方針で、「どれだけお金がかかっても」孤独な老人を社会が税金でサポート
することは考えていません。

投票に行かない、政治に無関心な日本の若者に対しては、

    現状に不満があるのなら,何か行動を起こして下さい。勇気を持って新しいことを提案し立ち上げてください。それは、あなたたちとその後に続く
    世代のために。皆さんもいつかは子供や孫ができるでしょう。考えなければいけないのは,子供や孫が生きていく世界。彼らにどんな世界を残
    すのか?
    政治の“病気”というのは,お金に執着しすぎることです。詳しく言えば政治に利害関係がないわけではありません。あるのです。しかし政治の
    真の利害はお金ではありません。人々から慕われる名誉です。人生はお金がすべてではありません。人々の愛情,名誉そして人々が決めたこ
    と。それはある人問にとってはお金よりも価値があるのです。問題は,お金の好きな人物が政治家になろうとすること。これは非常に危険です。
    汚職の原因なのです。そういった政治家を見ると,国民は政治を信じなくなります。「結局誰も同じだ」と思うようになる。それは試合を捨ててしま
    うことです。すなわち試合場をあとにするということこの絶望感こそがまさに汚職を可能にしてしまうのです。しかし,ゆっくりでも人間は少しずつ
    良くなっていけるものです。ですから皆さん,どうぞ失望しないでください。若者は世の中を新しくする希望そのものなのです。ただ・・・肉体は若く
    ても魂が老いていることがあります。これも危険です。

日本はどのように映ったか、という問いに対しては、
    
    ポジティブ、礼儀正しい,規律正しく,働き者,親切,祖先からの文化を反映している。愛すべき国民性。世界全体,特に先進国において。多くの
    不安定さを抱えています。仕事が不安定。中長期的な仕事のことを考えています。日本も失うことに恐怖をいだく。
    さまざまな困難を乗り越えてきた。日本はナショナリストで国を愛している。若い人たちは忘れないでほしい,過去に築かれたものが強さを与える
    ということを。

日本の若い人は,どのように希望を持ったらいいかわからない、という問題に対しては、「現代という文明は,多くのものを彼らに求めるからです。そして
彼らを窒息させてしまうのです。多くを望むあまり,人生の最高の時を失ってしまう」と、日本の若者に同情しています。

また、番組の司会者である宮根氏が、物があふれている世の中で,どういう風に幸せゆたかさを見つけてゆくか、と問いかけたところ、

    物欲に引っ張られてしまったら社会は存在しません。そして私たちは辛い思いをするでしょう。私たちは,分けなければなりません。基本的なもの
    とそうでないもの。
    ギリシャには中庸思想が合った。屋根が合って必要最低限の物があればよい。物欲に走ったら幸せになれない。クレバーに節度をもって生きる。

「後悔することはあいませんか?」との問いかけにムヒカ氏は、

    いつも後悔している。あれはもっとうまくやれたんではないか、と。しかし、生きることとは間違えるということ,生きるということは学ぶということです。
    同じ過ちを犯さないように。肯定的に人生を生きようと思います。毎日その朝を迎えられたことに感謝しながら生きています。 

以上の他にも、私が感銘を受けたムヒカ語録、言葉はたくさんありますが、以下に三つだけ挙げておきます。
    
    スーパーマーケットに行けばいろいろな物を買うことができます。しかし人生の“歳月”を買うことはできません・・・。買って、買って,買って,物を買い
    集めていく“儀式”に人生の時間を費やす。それが社会なんです。

大学での講演で、学生が、「本当に全世界が幸せになれると思いますか?」と質問したのに対して、次のように答えています。

    確かに私たちは神ではありません。自分にとっての幸せを探してください。世界を変えられるわけではありませんが,あなた自身は変わることがで
    きるんですよ。

13年間の投獄で悟ったことについて、

    人間の文化を変えないと何も変わらないことに気づいた。

この言葉には、いくつかの意味があるように思いました。まず、彼が投獄され拷問にあっても、彼の意志をくじくことはできなかった、つまり暴力は自分を変え
ることとはできなかった、という意味です。

も一つは、彼もかつて身を投じたゲリラ活動では結局社会を変えることはできなかった、という思いです。

いずれも、彼自身の実体験から出ている貴重な言葉だと思います。この点が、彼の言葉に力と説得力を与えているのです。さて、日本の政治家は?

次回は、ムヒカ氏が日本政府に対してモノ申した、言葉を考えてみます。


(注1)この部分は、テレビ局の側が用意したもの。

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ムヒカ前ウルグアイ大統領(1)―国連演説の衝撃―

2016-04-16 08:50:57 | 思想・文化
ムヒカ前ウルグアイ大統領(1)―国連演説の衝撃―

この度の大地震に被災した熊本県と大分県の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

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2016年4月5日、ホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領夫妻が訪日しました。そこで、今回は予定の『本の紹介』を先に延ばし、ムヒカ氏について書くことにしました。

「世界で一番貧しい大統領」との愛称で知られるムヒカ氏は、かつてはゲリラに身を投じ、13年間も投獄され、過酷な拷問を受けてきました。政治体制が変わ
って釈放されるや、国民から大統領に推され、2010年から15年まで、大統領を務めました。

その間、ムヒカ氏は給料の9割を寄付し、財産と言えば古ぼけたフォルクスワーゲン1台だけ、大統領時代も官邸には住まず、質素だ自宅で暮らすなど、伝説
的な人物です。

ムヒカご夫妻は、日本に到着直後から、各地で大歓迎をうけ、夫妻は多くのマスメディアや大学での講演やインタビューに忙しい日々を送っています。

ムヒカ氏が全世界の人々の注目を集めたのは、2012年6月20日、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」において行
われたスピーチでした(注1)。

この会議では、多くの国の代表が自分のスピーチを終えると会場を去ってしまい、小国ウルグアイ大統領のスピーチが行われた時には、あまり人は残っていま
せんでした。

しかし、この時のスピーチの内容が非常に感動的で衝撃的だったため、瞬く間に世界に広まり、現在では「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」として知られて
います。

ムヒカ氏の演説は、会議の開催に尽力した、各国の代表者と組織の代表者への感謝に続いて、次のような問いかけから始まりました。

    わたしはみなさんに問いかけます。
    もしもインドの人たちが、ドイツの家庭と同じわりあいで車を持ったら、
    この地球に何がおきるでしょう。私たちが息をするために酸素がどれだけ
    残るでしょうか?
    もっとはっきり言います。
    70憶や80憶の全人類が、いままでぜいたくの限りをつくしてきた西洋
    社会と同じように、ものを買ったりむだづかいしたりできると思いますか。
    そんな原料(資源)が、いまのこの世界にあると思いますか。・・・

まず、一方で、これまで西欧社会が「ぜいたくの限り」を尽くしてきたことを批判し、他方、開発途上国が西欧社会と同じようなぜいたくをしようとすることに警告を発
しています。

続いて、現代文明が、もっと便利で良いものを作ってきたたかげで、世の中は驚くほど発展したが、その過程で、より多くを売りより多くの利益を得ようとする社会を
生み出してしまったことを指摘しました。

人はより豊かになるために、情けようしゃのない競争をくりひろげる世界にいながら、「心をひとつに、みんないっしょに」などという話ができるのでしょうか。    

現実にはそれぞれの国が情け容赦のない競争関係に巻き込まれており、そんな状況で「心をひとつに、みんないっしょに」と言っても、本当にそんなきれいごとは
可能でしょうか、と言いにくい「現実」をずばり指摘しています。

もちろんムヒカ氏は、だからといってこのような会議が無意味であるといっているのではなく、挑戦すべき壁はとてつもなく巨大だ、といっているのです。

そして、眼の前にある本当の危機は、地球環境の危機ではなく、私たちの生き方の危機である、と強調しています。

この会議は、そもそも、環境を破壊しないで持続的な発展を目指すにはどうしたらよいかを国際的に話し合う場でした。

ところが、ムヒカ氏は、その「発展」そのものにも疑問を向けます。続けて、次のように語りかけます。
    
    人の命につてはどうでしょうか。
    すなおに考えてみましょう。私たちは発展するためにこの世に生まれてきたのではありません。
    この惑星に、幸せになろうと思って生まれてきたのです。
    人生は短く、あっというまです。そして命よりも大事なものはありません。命は基本的なものです。しかし、必要以上にものを手に入れようと働きづめに働
    いたために、早々と命がつきてしまったら・・・?

つまり、「発展」という名のもとに、人はより多くの物を手に入れようとし、結局、大切な命をも危険にさらしてしまうことを懸念しているのです。しかしムヒカ氏の目に、
これは、多くの発展途上国が陥りがちな、一種の「ワナ」だと映っているのでしょう。

というのも、飽くことなく物を手に入れ、物を作り続けるという仕組みが社会を動かしているからです。

もし、この動きがストップしたらお金の流れもストップし、不景気という妖怪が人々を襲うことになります。

しかし、世界を襲っている本当の妖怪とは、人間の欲深さ、という心のありようだ、とムヒカ氏は言います。

その欲望を満たすために、働いて、物をつくり、買い使い捨てるのが現代の消費文明ですが、ムヒカ氏は、「いままでとはちがった文化をつくるために、たたかい始
める必要があるのです」、と強い口調で消費社会への「戦い」を宣言しています。

ただし、彼は、人類が洞穴に住んでいた時代の生活にもどろう、と提案しているのではありません。

そうではなくて、私たちの生き方がこのままでよいのか、考え直さないと。そう問いかけているのです。

この背後には、古代人や民族の叡智が念頭にあったようです。国連のスピーチの最後の方で、世界中の人々に感動を与えた言葉が発せられました。

    古代の賢人エピクロスやセネカ、そしてアイマラ民族は、つぎのように言いました。
    「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっととほしがることである。」
    このことばは、人間にとって何が大切かを教えています。

成長戦略、成長戦略と叫び、もっともっと多くを欲しがる日本の政府は、今一度、ムヒカ氏の言葉をかみしめて、人間にとって何か大切かを考えてほしいものです。

日本の巨大企業は、法人税・所得税のないイギリス領ケイマン諸島やパナマの銀行にお金を移して税金を逃れています。

法的に違法ではありませんが、やはり飽くなき利益確保、利益隠しにあの手この手を使う企業や富裕層は、ムヒカ氏の言葉をどのように聞くでしょうか?

次回は、ムヒカご夫妻の日本滞在中の言動を中心に書きたいと思います。


(注1)この演説の日本語訳は、http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ でも見れますが、『世界で一番貧しい大統領のスピーチ』(くさばよしみ編、
    中川学絵、汐分社)という絵本でも、やさしい言葉で読むことができます。このブログでは、絵本の訳を引用しています。

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本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(1)―日本メディア自己崩壊の危機―

2016-04-09 10:35:31 | 本の紹介・書評
本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(1)―日本メディア自己崩壊の危機―

マーティン・ファクラー著『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(双葉社2016)が発売されたのは今年の2月でしたが、たちまち、メディア部門での売り上げ
部数のトップに上りました。

著者のファクラー氏は米国出身で、東京大学大学院に留学し、1996年にブルームバーグ東京支局を皮切りに、AP通信、ウォールストリート・ジャーナル、
ニューヨークタイムズの東京支局(2015年7月まで)に勤務し、約20年にわたって日本で仕事をしてきたジャーナリストです。

この経歴からも分かるように、本書は外国人が表面的に日本のメディアについて書いたものではありません。著者は、日本のメディア(特に大手のテレビ、
新聞)の慣例や制約にとらわれることなく、自由で公平な立場で、日本のメディアの実態について書いています。

彼の日本のメディアに対する批判は厳しすぎると感じるかも知れませんが、彼の批判は、「自由と民主主義」を自称する国では、常識的な見解といえます。

というのも、欧米世界の常識では、言論の自由こそが民主主義を保障する根幹である、という原則が政府、メディア、一般の国民に浸透しているからです。

著者は、日本のメディアは以前から問題が多くあったけれど、第二次安倍政権になってから、より問題は深刻になったと指摘しています。

その問題とは大きくわけると、日本の「記者クラブ」という独特のシステムと、安倍政権による、露骨な圧力にひれ伏しているメディアの現状の二つです。

記者クラブとは、官公庁に記者室を間借りして、政府や行政機関、あるいは経団連のような業界団体にたいして取材をするために、新聞、テレビ、通信社
など大手メディアで構成されている任意団体です。

この制度の問題の一つは排他性にあります。つまり、記者クラブの会員は、一種の特権意識を持ち、フリーのジャーナリストや会員以外のメディアが記者
会見に参加することを原則として排除します。

こうした、特権意識とセットになっているのが、取材対象とのなれ合いです。とりわけ、首相や官房長官などの記者会見では、記者の方から予め官邸に質
問事項を提出しておくことが慣例となっています。

これは官邸による一種の検閲です。この段階で、記者の側に、厳しい質問を避ける心理的な抑制が働く可能性があります。

つまり、受験者(首相や官房長官など)は予め「問題」を知らされ、その「模範解答」を官僚が作文し、受験者が読む、というシステムです。

いわば、首相や官房長官などは、模範解答というカンニング・ペーパーを与えられた試験、「出来レース」です。

しかし、想定外の質問がくると、カンニング・ペーパーがないので、どんでもないことになります。

ファクラー氏が冒頭で紹介している事例は、記者クラブの実態を赤裸々に示しています。

2015年9月15日、政府が参議院で安保関連法案を強行採決した後、安倍首相はニューヨークでの国連総会に出席しました。

帰国の途につく前の29日に行われた記者会見では、NHK、ロイター通信、共同通信、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)の4社が順に質問をしました。

一番手のNHKの記者は、予定通りの質問を棒読みし、安倍首相は準備してきたかのように、よどみなく回答しました(実際、準備してきたでしょう)。

次に、ロイター通信の記者が、事前に官邸に提出しておいた、「アベノミクス2・0」についての質問のあと、予定にはなかった質問項目を付け加えた時、
「事件」はおきました。

この記者は「シリア難民については、日本は新しいお金をイラクにも出すとのことだが、日本が難民を受け入れるという可能性についてはどう考えるか」
と質問しました。

予定されていなかった質問に、安倍首相はあわてたように、アドリブで次のように答えます。少し長くなりますが、首相の記者会見の悲喜劇的な実態を
知る絶好の事例なので引用します。

    今回の難民の問題であります。これはまさに国際社会で連帯して取り組まなければならない問題であろうと思います。人口問題として申し上げ
    れば、我々はいわば、移民を受け入れるよりも前にやるべきことがあり、それは女性の活躍であり、あるいは高齢者の活躍であり、そして出生
    率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるといことでもあります。同時にこの難民の問題については、日本は日本としての責任を果たして
    いきたいと考えておりまして、それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本は貢献していきたいと考えております(首相
    官邸議事録より。赤字部分は筆者による強調)。

この安倍首相の答えは、シリア難民の問題から始まり、首相も「難民」と言っていましたが、すぐに「移民」の問題に変わってゆきます。

そして、話は、日本の人口問題、女性と高齢者の活躍、出生率を上げること、など純粋な国内問題に移り、そして、最後にまた難民問題に日本も貢献
してゆく、と結んでいます。

つまり、難民問題で始まり、本体は日本の人口問題で、最後がまた難民問題で終わっており、これら二つの問題がごちゃまぜになっているのです。

おそらく、予め「問題」が知らされていないため、パニックになってしまったのでしょう。

ファクラー氏は「安倍首相が難民問題について日ごろきちんと考えていないことが、ニューヨークを舞台とした記者会見で明るみになった」と論評して
います。

私も当時、この間の抜けた回答の記事を読んで笑ってしまいましたが、日本の主要なメディアは、このことを大きな問題として報道しませんでした。

ファクラー氏はこの事にも驚いています。

たとえば、アメリカの大統領やドイツの首相がこのような回答をしたことを想像してみましょう。それは、世界の笑い者になり、しかも国際的評価を下げ
たという意味で、国益を大きく損ねることになります。

しかし、幸か不幸か、寂しいことに安倍首相の的外れな答弁は、外国のメディアからは全く無視され、ニュースにも話題にもなりませんでした。

しかも、一国のリーダーが想定問答のような記者会見を開くなど、民主主義国家では考えられれません。アメリカの大統領が記者会見を開く時には、
質問項目など誰も事前に提出しないし、記者はあらゆる角度からさまざまな厳しい質問をぶつけ、政府に批判的な質問は当然のこととしています。

しかし、安倍政権下の日本では、官邸が記者クラブをがっちりコントロールしているため、「想定外の質問が飛んでくる」という緊張感はうまれません。

つまり、大手メディアは、政府から得られる情報でなければ報道する価値はないし、外務省が発表しないニュースは無修正・無批判で流してしまいます。

残念ながら、この状況に危機感をもっている日本のメディア関係者はほとんどいないようにみえます。

記者クラブという日本独特のメディアのあり方には、他にも幾つか問題があります。

たとえば、記者クラブでの記者会見において、誰が質問できるかは、官邸または首相や官房長官など、その時に答える人が指名します。

この時、政権にとって有利となるようなメディア、少なくとも厳しい質問をしそうもないメディアを指名する傾向があります。

あるいは、政府が宣伝し強調したい答えを引き出すような質問を、意図的にするメディアさえあります。

いずれにしても、こうした仕組みによって、記者会見では官邸側によって完全にコントロールされています。

このため、記者クラブでの記者会見が、実質的に政府・官邸に都合が良い、宣伝の場となってしまっているのです。

ファクラー氏の経験では、民主党政権時代には、記者会見をフリーのジャーナリストにも開放していたのに、安倍政権になって、情報のコントロール
が非常にきつくなってきたと書いています。

こうした大手メディアによる、政権側からのメッセージの垂れ流しが行われている反面、例外的な事例を除いて、メディアやジャーナリストによる独自
の調査取材がどんどん減っているのが現状です。

こうした状況をファクラー氏は「メディアが政府から完全にコントロールされている現在の日本のジャーナリズムは、およそ健全ではない」、そして、
本当に深刻な問題は、メディアの側が、この異常さに何ら危機感をもっていないことだ、と指摘しています。

次回は、政権の側が仕掛けているメディア戦略がどのように行われ、メディアが屈服しているかを、ファクラー氏の著書からみてみたいと思います。


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保育園落ちた日本死ね(3)―男性保育士の「寿退職」―

2016-04-02 04:51:23 | 社会
保育園落ちた日本死ね(3)―男性保育士の「寿退職」―

前回の記事でも書いたように、ブログに端を発した待機児童問題は、この夏の選挙を考えて、政府も何らかの対策を打ち出さざるを
得なくなっています。

平成28年度予算は3月29日に可決・成立しましたが、それに先立つ28日、政府は待機児童問題の緊急対策を発表しました。

まず、待機児童の数ですが、厚生労働省は昨年4月で2万3167人と公表してきましたが、29日の発表では、保護者が育休中など
の理由で、待機児童と扱っていない子どもが1万人いることを明らかにしました。

潜在的な待機児童数は、判定済みの5万人と合わせて約6万人となりました。これらの数字から、政府は「待機児童」の定義を変える
ことにより、実態を隠そうとしてきたことが分かります。

塩崎恭久厚労相は28日の記者会見で、「待機児童の定義は変えるつもりはないが、」と語っていますが(『東京新聞』2016年3月29
日)、前回書いたように、定義は既に小泉政権時に変えられているのです。

安倍首相は、今後、保育所の受け入れ人数を40万人から50万人へ増やしてゆくと、公言していますが、それは、この問題の改善と
はほど遠く、むしろ事態を悪化させる内容となっています。

その施策の中心は、小規模保育所の定員や認可保育所の受け入れ拡大などを通じて受け皿を増やすというものです。

具体的には、たとえば、ゼロ~2歳児を受け入れている小規模保育所の定員を19人以下から、22人に広げ、3歳以降も次の受け
入れ先が見つかるまで利用できるようにすることです。

つまり、入れ物の収容能力は変えず、実際に受け入れ人数を増やす、「詰め込み」策です。

東京都板橋区の民間認可保育所で働く女性保育士の一人は、「詰め込み保育から生まれるものは何もない」と断言します。

この女性の勤務先保育所では、一歳児四・五人に対して一人の保育士という割合ですですが、それでも「一歳児は想いや欲求を伝
えるために手が出る年ごろ。先生たちはぎりぎりの状態で、これ以上担当する子が増えたら、子どもの安全を守ることが難しくなる」
と懸念しています。

事態を悪化させる「規制緩和」―机上の空論―

世田谷区の女性保育士も、「五対一の今でも保育士は疲労困憊。政府の対策には怒りを感じる」と述べています。

定員の増加を、政府は「規制緩和」と称していますが、この場合、現場を無視し、誤った、そして的外れな政策です。

「問題の焦点は保育士不足で、その理由は低収入など処遇の悪さ。規制を緩和すれば、保育士はさらなる負担増を強いられるだけ
だ」(『東京新聞』2016年3月30日)

しかし、保育士の賃上げについては緊急対策には盛り込まれませんでした。

ある世田谷区の女性保育士によると、「実習にきても、きつくて安い給料を知り、保育士試験を受けない学生は多い。(緊急対策でき
つくなれば)ますます人があつまらなくなるのではないか」と懸念しています。

つまり、政府は待遇の改善(給料の増額)をしないどころか、保育士の負担がより重くなる子どもの詰め込みを進める「規制緩和」は、
保育士の減少と待機児童の増加をもたらすだけです。

男性保育士の「寿退職」という言葉を知っていすか?


保育士の賃金が低い理由の一つは、この仕事の専門性にたいする評価が低いことが挙げられる。

定年を迎える、ある男性保育士は、保育士の専門性をもっと評価すべきだと、訴えています(『東京新聞』2016年3月30日)。

低賃金は、さらに、男性保育士の「寿退職」をもたらしています。つまり、男性保育士が結婚すると、保育士の給料では家庭を維持で
きなくなるので、結婚と同時に退職してしまうことを指しています。

おそらく政府は、保育士というものは、一定の時間、子どもの相手をするだけの専門性の低い職業だと感がえているのでしょう。

しかし、子どもを保育するということは、託児所での一時預かりとはわけが違います。子どもの安全はいうまでもなく情操にも専門性を
活かした工夫が必要なのです。

以上の制度的問題の他にも、現政権には保育に関する根本的な問題があります。

匿名主婦のブログの訴えが社会に大きな影響を与え始めると、政府はあわてて対応策を打ち出してきました。

その際の基本的なコンセプトが「働くお母さんの気持ちを受け止める」というものでした。

しかし、ここにも自民党という政党の抜きがたい時代錯誤の認識が現れています。

保育はなぜ「働くお母さん」だけの問題だというのでしょうか?

確かに、国会前のデモにはほとんどがお母さんでしたが、保育は「お母さん」だけでなく「お父さん」の問題でもあるはずです。

政府は、育児はもっぱら女性の責任であると考えているのです。

この問題に関連して、『毎日新聞』の記者がノルウェーの事情を取材し、その報告は非常に参考になります。

まず前提として、ノルウェーでは保育の問題を女性だけに焦点を当ててはいけない、という理念が根底にあります。これを念頭におい
て、少し長くなりますが、ノルウェーの事情に関するレポートの主要部分を以下に引用します。

    ノルウェーでは、そんな1歳過ぎの子供を含め、9割を超える幼児が保育園に通っている。どんな子供でも保育園に入る権利が
    ある、と国が保障しているからだ。・・・ボーホルム園長は「子供は誰も差別されてはならないという国の意欲の表れです」と
    誇らしげに話す。人口約7万人のトロムソには約100カ所もの保育園があるという。
    そもそも保育園に入るのは「権利」なので、希望者は入園を断られない。満員を理由に拒否される待機児童は存在しない。行政
    側が「ご期待に沿えませんでした」などと入園不可を通知するだけで誰も責任を問われず、母親が泣く泣く仕事をあきらめよう
    が、あとは自分で手当てを、と放っておく国とは“根底”が違う。
    しかも、保育園は学童期前の重要な教育機関だとしっかり位置づけられている。ノルウェー語ができない移民の子も積極的に受
    け入れ、他の子供たちと遊ばせながら言葉を学ばせたりする。単に子供を預かる場所とは誰も思っていない。ボーホルム園長は
    「うちは行動計画を作り、戦略を立てて職員をリクルートしています」と胸をはる。大学で専門に教育を学んだ職員を各クラスに配
    置し、かなり高額な給料も出している。(『毎日新聞』2016年3月30日 東京版 夕刊)

日本でも、小学校が義務化されているのだから、保育所へは希望者全員が入所できる権利をもっているべきです。

政府が、選挙目当てのお題目ではなく、本気で少子化をくい止め、女性活躍社会、1億総活躍社会を目指しているならば、保育にもっと
税金を使う必要があります。

ノルウェーのような考え方と実践こそが「文明国」、本当の意味で「先進国」だと思います。

経済的成長戦略と軍備の増強に力を入れる一方で、肝心の少子化対策、子どもの保育と教育への抜本的な改善への予算配分はなされ
ていません。

これでも日本は「文明国」でしょうか、「先進国」でしょうか?
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桜の花が終わっても、山野や庭にはいろんな花が咲いています。



鮮やかな黄色の花をつけるレンギョウ



控えめながら存在感のあるコメザクラ



庭にはモクレンが満開です


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