大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

検証「コロナの時代を生きる」(2)―船長不在で漂流する日本丸―

2020-07-25 16:55:32 | 健康・医療
検証「コロナの時代を生きる」(2)
―船長不在で漂流する日本丸―

7月始めに東京都の感染者数が100を超えて、多くの人がショックを受けましたが、
あっと言う間に200人台が続き、23日にはついに366人、と300人台に上がっ
てしまいました。

恐らく、これとても控えめな数字で、検査を拡大すればすでに500人台、あるいはそ
れをはるかに超える感染陽性者がいることは間違いありません。

皮肉にも、7月23日は4連休の初日で、「Go To トラベル」キャンペーンを前倒して
設定した初日でもありました。

ところで、現在のコロナまん延状況をどのようにみるべきでしょうか。医療者も市民も
「(第二波は)とっくに来ている」とみなしているのに、政府は頑なに、第二波である
ことを認めようとしません(『東京新聞』2020年7月22日)。

5月に一旦、感染者が減った時、安倍首相は、欧米諸国のように強制的なロックダウン
(都市封鎖)などせずにコロナを抑え込んだのは、これぞ「日本モデル」と内外に向か
って豪語しました。

実際にはロックダウンをしたくても、現行の「新型コロナウイルス対策特別措置法」
(「特措法」と略す)では、強制力をもった都市封鎖ができないから、やらなかっただ
けなのです。

それでも、欧米に比べて感染者数も死者も圧倒的に少ないことは確かで、安倍首相が豪
語したくなるのも分からないではありません。

ただし、このブログ(6月22日の記事)でも指摘しておいたように、人口10万人当
たりの死者数をみると、東アジア諸国の中では、日本は劣等生であることを安倍首相は
決して口にしませんでした。

「日本モデル」を豪語して1か月ほど経った6月末から、コロナ感染者の数は徐々に増
え始め、7月から今日まで激増しています。しかし、安倍首相は「日本モデル」につい
てはおろか、新型コロナウイルスに関してはほとんど積極的な発言をしていません。

現状をみれば、恥ずかしくて言えないのかもしれません。

最近の日本政府の方策はあまりにも一貫性も有効性も欠いており、日本は本当に一人前の
国家なのか、果たして今の内閣でこのコロナ禍を克服できるのか、との危機感をいだかざ
るを得ません。

まず、第一に指摘しなければならないのは、現在の日本には、コロナ問題に関して全体を
把握し、国家としての基本方針を示すべきリーダーが不在だという致命的な問題です。

いうまでもなく、国家のリーダーは、日本の場合、安倍首相です。そして、国民を代表し
て議論し、必要なら立法化をする機能は国会にあります。

しかし、まだ日本の新型コロナの感染がどうなるか全くわからなかった6月17日、政府
は国会を閉じてしまいました。

この背景には、今年2月に定年に達し定年退職となるはずだった黒川弘務元検事総長を、
1月31日の閣議決定で半年延長としたこと、警察庁法の改訂問題、「桜を見る会」の名
簿の一部削除などなどに対する安倍政権への批判が噴出することが想定されること、など
の要因があったと思われます。

こうした問題を批判されることを恐れて(あるいは避けるために)国会を閉じて逃げ回っ
ているのは、首相としての責務を放棄したことになります。

これだけ新型コロナウイルスが蔓延した現状では、ある程度強制力をもった方法が必要で、
そのためには特措法の一部改正をしなければなりません。

しかし法律の改正には国家に審議と決議が必要ですが、国会を閉じてしまっている現在、
立法機能や停止されられてしまっています。

第二は、コロナ問題に関して安倍首相あるいは安倍政権は当初、あまり深刻にとらえてい
なかったことです。

本来、コロナ禍への対応は厚生労働省の管轄のはずですが、加藤厚労相はカヤの外で、経
済産業省出身の西村康稔氏が閣府特命担当大臣(経済財政政策)、経済再生担当大臣が、
安倍首相に意向を受けて前面にでています。

これは、日本のコロナ対策にとって大きな問題を持ち込むことになっています。

政府は“with corona”(コロナと共に)という表現を良く使います。これは元来、感染症対
策をやりながら「経済も回す」という意味ですが、コロ西村大臣の口から出てくるのは、
感染症対策にはほとんど熱意が見られず、もっぱら「経済を回す」方に力点が置かれてい
ます。

東京だけでなく全国的に感染者が激増している最中の7月22日からGo To キャンペーン
を強行したことにも現れています。

しかも、このキャンペーンの実施に関しても一貫していません。当初は日本全国に適用す
るはずでしたが、途中で東京都を除外し、さらに、赤羽国交相は、それによるキャンセル
料を国は払わない、と明確に否定したのに、世間の批判を浴びると、舌の根も乾かないう
ちに、やはり払う、と方針の転換をします。

もちろん、こうした発言は赤羽国交相が独自に発言しているわけでなく、安倍首相からの
指示です。

その安倍首相が、感染の抑え込みにはあまり熱心ではないのです。以前、PCRの検査能力
を1日2万件まで増やす、と言ったことがありましたが、その後、一向にこの方針を先頭
に立って推進することがありませんでした。

昨日(24日)に、記者からコロナ禍にたいする方針を記者から聞かれて、コロナ陽性者
の激増を「高い緊張感をもって注視する」、「緊急事態宣言を出す考えはない」と答えて
います。

つまり、緊急事態宣言を出さないで経済を回すことに力を入れる一方、コロナ感染者の増
加にたいしては、「緊張感をもって注視する」だけなのです。

もっとはっきり言ってしまうと、コロナに関しては、「我関せず」で傍観しているだけな
のです。

安倍首相が経済にこだわるのは、彼が支持されるのは、「アベノミクス」(実態は実にあ
やふやなものですが)という経済政策の成功であると、思っているらしいことです。

さらに、安倍首相は、自民党のスポンサーである経済界に意向を十分、忖度しているから
でもあります。そうでなければ、この状況でGo To キャンペーンを強行することはないで
しょう。

しかし、「経済をまわしつつ感染症を抑える」、という表現には根本的な誤りがあります。

この表現には、あたかも経済の活性化と感染症の制圧とを同時進行的に追及してゆけば両
者を両立が可能であるかのような印象を与えるからです。

Go To キャンペーンを管轄する国交省の幹部は、実施すれば「多少の感染者がでることは
想定内」と言い放っています。(注1)おそらく安倍政権の本音でもあるのでしょう。

安倍首相は、一日当たりで過去最多の720人を上回ったことに関連して、「医療提供体
制は逼迫した状況ではないと承知しております」と発言しました。

これに対して東京都のモニタリング会議で杏林大学医学部の山口芳裕主任教授は「逼迫し
ていないのは誤りだ」と、安倍首相の発言を真正面から否定し、実情を説明しました。つ
まり、安倍首相は現状認識がまったく欠如しているのです。

また、日本医師会の中川俊男会長は22日の記者会見で、新型コロナウイルスの感染が再燃
している状況から、23日からの連休について「我慢の4連休としてほしい。国民のみなさま
まには初心に帰って不要不急の外出を避けてほしい」と呼びかけました。これが正常な感
覚でしょう。

実際、現在の全国的な感染者の増加が続けば、回り回って、経済活動どころではなくなって
ゆくことは十分考えられます。そのことに想像力が及ばない人たちが政権や政策を担当して
いることは、実に不安です。まずは、感染の克服です。

今回は国の問題を取り上げましたが、実は感染の震源地になっている東京都の小池知事に関
しても問題があいます。

小池氏は、ロックダウン、東京アラートなどの言葉を連発し、最近では、「感染拡大警報」
を出すべき段階にある、など、次々と言葉を発して、警戒を訴えていますが、それでは具体
的に何をするのか、というとほとんど傍観状態であることは、安倍首相と同じです。

政府も小池氏も、感染の予防は皆さん一人一人でやってくださいね、と自己責任を押し付け
る一方、それでは政府や行政は感染を食い止めるために何をするのか、の具体策を提示して
いません。

船長なき日本丸の漂流がいよいよ始まった、という印象です。

このまま徹底的な対策が採られないと、8月末には1日3300人ほどの
感染者がでるだろう、との試算もありあります。

また、東大児玉教授も、早く抜本的な策を示して、それを実施しないと来月には「目を覆う」
ほど悲惨な状態になるだろうと、警告ししています。しかし、政府からも都知事からも何の
飯能もありません。

いよいよ船長不在の日本丸の漂流が始まったようです。

(注1)Livedoor ニュース 2020年7月15日 13時16分
https://news.livedoor.com/article/detail/18574145/
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一緒に「行く」のはだれか。                                   結局、ステイ・ホームが一番だ
 

『東京新聞』2020年7月18日                                       『東京新聞』(2020年7月25日)
自分は気を付けるから大丈夫、と言って、多数の感染者を出している大都市圏から地方に出かける人は、   Go To 4兄弟(トラベル、 イート、 イベント  商店街)兄弟に踊らされてへとへと
行った先にコロナウイルスを持ち込む危険性には無自覚であることを皮肉っている。


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「自然と共に生きる」とは―「ヒグマを叱る男―36年の記録―」

2020-07-16 11:17:19 | 自然・環境
「自然と共に生きる」とは
―『ヒグマを叱る男―36年の記録―』


新型コロナウイルスのパンデミックに直面して、当初は多くの国で、「コロナとの闘い」
「これは戦争だ」といった、戦闘的ムードが各国の指導者が強く叫びました。

しかしコロナの完全な排除は事実上不可能であることが分かり、最近では「コロナと共に
生きる」(with corona) 、あるいは「ニュー・ノーマル」(新しい生活様式)が一種の合言
葉となっています。しかし、これらの言葉はなぜか私には空疎に響きます。

同じような印象を「自然と共に生きる」という言葉にも感じています。

こんな事を考えていた時、ドキュメンタリー『ヒグマを叱る男―36年の記録―』(NH
KBS1 2020年6月7日)を改めて見て、改めて「自然と共に生きる」ことに意味を考
えさせられました。

「ヒグマを叱る男」といういささか不思議なタイトルのドキュメンタリーに登場する男性
は、大瀬初三郎さん(現在83才)で、北海道の自然遺産に指定されている知床半島のル
シャの番屋(漁のための拠点となる家や小屋)で56年間も主にサケ、マス漁を行ってい
る漁師です。

ルシャは、知床半島の中ほど、ウトロの少し先端よりにある、ルシャ川の河口付近にあり
ます。

大瀬さんは青森の漁師の家に生まれたが生活が厳しく、23才の時故郷の青森県を離れて
出稼ぎ漁師として知床にやってきました。

しかし、条件の良い漁場はすでに他の漁師の手にあり、残されていたのがルシャだった。
ここは、吹き出し風と呼ばれる強風が吹くため、船を出せない日が頻繁にあるのです。

しかも、ルシャはヒグマの巣窟だった(この狭い区域だけでも60頭はいると見込まれて
いる)。最初のころ、漁の妨げになるヒグマをハンターに頼んで駆除してもらった。しか
し、他方で命を奪うことに後味の悪さを感じていた。

ルシャに落ち着いて10年ほど経った時、ある出来事が起りました。夢中で漁の準備をし
ている時、背後から音もなくヒグマが忍び寄ってきました。

驚いた大瀬さんは、思わず大声で怒鳴りつけました。するとヒグマは静かにその場を去っ
て行ったという。

それ以後、ヒグマが近づくと、「こらー」と大声で叱ると逃げてゆくようになり、これな
ら殺さなくても大丈夫だと思うようになった。

やがて、大瀬さんは自分なりの考えに行きます。大瀬さんは子連れのヒグマに目をつけま
した。大瀬さんに叱られたら逃げる母グマの姿を見て、子グマに、人間は怖い存在だとい
うことを繰り返し学習させることで、世代を超えてヒグマは人間を恐れ、人間に危害を加
えなくなる。これが、大瀬さんの結論だった。

大瀬さんはヒグマと共存するために3つの原則をもっています。1つは、決して食べ物を
あたえないこと。ヒグマと親しくしてはいけない。一度、食べ物を与えると、ヒグマはい
つでもそこに来れば食べ物を与えられる、と考えてしまうからだという。

2つは、ヒグマと目があったら、決して目をそらしてはいけない。にらめっこに負けたら
ヒグマは自分より人間の方が弱い、と見なして襲ってくるかもしれないから。

3つは、ヒグマと出会って叱る時は腹の底から声を出すこと。そして、勇気をもって一歩
前に足を踏み出すこと。

食べ物がなくて飢えた母グマと2頭の小グマが番屋の近くを歩いていたことがあった。

たまたま大瀬さんは石ごろの浜辺で大きなイルカの死骸を見つけます。すると、イルカが
波に流されないように、ロープでイルカの尻尾と岩とを結びます。

そこへ、飢えたヒグマの家族がやってきて、そのイルカを食べ尽くします。それをじっと
見ていた大瀬さんは、ヒグマたちが腹いっぱい食べた、腹いっぱい食べた、と満足げにつ
ぶやいてその場を立ち去ります。

決してヒグマに食べ物を与えない、という原則をもっている大瀬さんがヒグマにしてあげ
ることができる精一杯のことなのです。

野性の母グマは、餌を獲ってもほとんど子供にあたえないそうです。親についてこれない
子グマは捨てられてしまいます。

このドキュメンタリーの撮影中にも、飢えた親子のヒグマが食べ物を探していた時、母グ
マが魚の死骸を見つけます。しかし、それを子グマに与えませんでした。そのため子グマ
は栄養失調で間もなく死んでしまいます。これも、自然の中で生きてゆく厳しさだと、大
瀬さんは言います。

知床半島は2005年ユネスコの世界遺産委員会によって世界自然遺産として登録が認め
られました。

2015年、世界遺産を審議するユネスコの会議で知床の保全が議論されました。その時
問題となったのは、番屋から1.2キロメートのところにあるルシャ川の河口近くに架け
てある橋と道路、その上流に設置された三つの砂防ダムでした。

自然遺産審議会の責任者であるアメリカ人の国際自然保護連合のピート・ランド博士(ち
なみに彼はサケ科の魚に関する専門家)は15年に現地調査に来て、自然遺産としては、
自然そのものの姿をそのまま残すべきであり、川に架かる橋と砂防ダムは撤去すべきであ
る、との考えを強く主張しました。

これらの砂防ダムは、以前ルシャ川から流れてきた樹木が、川の沖合に仕掛けてある定置
網を破ってしまったことから、仕方なく設置したものです。

橋の設置に関しては、人工物を設置してはならないという理由の他に、ランド氏によれば、
それによって川の流れが早くなり、産卵のためにサケの遡上が妨げられるから、という点
も指摘しました。

映像でみると、確かに橋げたの部分は川の両岸(見たところ差し渡し6~7メートル)にあ
り、川幅を30センチほどは狭めるかも知れませんが、サケの遡上を妨げるほど流れを急に
しているとは思えません。

ランド博士は2019年9月にも再度、ルシャを訪れ、前回と同じ要請と指摘をしました。

それに対して、番屋の漁師を代表して大瀬氏は、サケが遡上できるのであれば、砂防ダムを
撤去することは考えてもいいが道路は病人が出た時とは、海が荒れて外部に出ることができ
ない時のために、漁のため、つまり生活のために必要だから撤去することは難しい、と譲り
ませんでした。

ユネスコが最終的にどのような判定を下すのか、現段階では連絡は来ていませんが、19年
の現地調査でランド博士の主張は変わりませんでしたが、“自然”にたいする自分の考えと大
瀬さんの考えと根本的な違いがあることに気が付きます。

調査団がルシャ川の付近を歩いていた時、それを取り囲むように3頭のヒグマが出てきて歩
きまわりました。ランド博士は危険を感じて身構えたのですが、大瀬氏は全く動じることな
くヒグマを見つめます。すると、ヒグマはゆっくりと去ってゆきました。

ランド氏が驚いたのは、この番屋の人たちはヒグマが近づいても、平然と網の手入れをした
り漁の準備をしていることでした。

大瀬氏に、今までヒグマに襲われた事故はなかったと、問いかけます。大瀬氏は、ここの漁
師はだれもヒグマを恐れていないし、襲われてもいない、と答えます。

アメリカのカトマイ国立公園では、ヒグマ(グリスリー)を観るための展望台が設けられて
いて、人と自然(グマ)とが距離を保って、決して接触しないようになっています。

しかし、ルシャでは人とヒグマが同じ空間で共存しており、こんなことはアメリカでは考え
られない、とランド博士は驚きます。

つまり、西欧的な世界観では人間と自然とは峻別すべきである、ということになります。

大瀬さんは、ルシャが世界に誇るのは、人とヒグマがこうした共に生きる距離感だという。
つまり大瀬氏は、ルシャが世界に誇れる本当の価値は、人間とヒグマがごく自然に生活の場
を共有している点なんだ、と言っているのです。

大瀬さんは言います。
    アイヌは自然と共に生きてきた。人間もヒグマも雄大な自然の一部。人間がそこにい
    るのも一つの自然の姿だから・・・。山の木や草だけが自然ではない。そこで働いて
    いる人たちも一つの自然の中で働いている。(知床の自然は)生活の場でもあるから、
    それも自然の成り立ち。

大瀬さんがルシャに来て56年、2018年は2番目医にサケの水揚げ量は少なかったし19
年はさらに少なかった。それにたいして大瀬氏は、
    不漁だといっても(自分たちが)生活する分だけは獲れた。安心ということではない
    けれど、クマはクマで生活できているから、俺らは俺らで・・・・

大瀬さんの生き様や言葉をとおして、“自然と共に生きる”、とはこういうことなんだ、と心の
底から納得すると同時に、本物の人間に出合った、本物の言葉を聞いた、という思いに胸が熱
くなりました。日本の政治家も肝に銘じてほしいと思います。

こういう日本人が知床の僻地で生きていることに深く感動しました。

最後に、このドキュメンタリーで、感動した場面を紹介します。ある程度成長した子グマを連
れた母グマが、海のほうで出てきます。子グマは甘えたくて母親の後を追ってゆくのですが、
なぜか、この時母グマは子グマを邪険に追い払います。いよいよ親離れ、乳離れの時が来たの
です。

しばらく子グマを追い払った後、母グマは子グマを呼び寄せて乳を与えます。子グマはたっぷ
りと乳を飲んだ後、悟ったように母グマのところから静かに離れてゆきます。
たのです。

母グマも子グマも、自然の優しさと厳しさと、そしてその中に生きることの覚悟ができている
ことがヒシヒシと伝わってきました。母グマと子グマの気持に思いを馳せて、思わず泣きそう
になってしまいました。
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妖艶さを誇る百合の花は、圧倒的な迫力です。                                  その名の通り、トランペットに似たトランペット・フラワー
 


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検証「コロナの時代を生きる」(1)―コロナ禍の現状から何が見えるか―

2020-07-08 11:12:56 | 健康・医療
検証「コロナの時代を生きる」(1)
   ―コロナ禍の現状から何が見えるか―

かつて、ペストが中世ヨーロッパ(特に西ヨーロッパ)にまん延し、国によっては人口の
3分の1から半分が死亡しました。

ペストはたんに疫病による多数の死者を出しただけではありませんでした。

ペストは社会の基本構造(政治・経済体制)に多大な打撃を与え、さらに新しい価値観や
文化・芸術、人間性の「復興」「再興」を目指す文化運動(ルネサンス)によりキリスト
教会による支配をはねのけ、ヨーロッパ文明を中世から近世への扉を開けたのです。

それでは、今回の新型コロナウイルス禍は、これまで、どのような打撃を日本や世界に与
え、それは、果たして新たな世界、大げさに言えば新たな文明への転換を引き起こすので
しょうか?

あるいは、かつてのペストほど劇的ではなくても、今回のコロナ禍は、これから長い時間
をかけて展開するかも知れない文明の転換への一つのきっかけ、「一押し」になるのでし
ょうか?

こうした、文明の転換というほど大げさではなくても、現代世界を形作っている構造の基
幹的な部分における重要な変化、パラダイム・シフトが起こるのでしょうか?

これに関して、もうコロナ以前には戻れないと考える人と、やがて、世界は元通りに戻る、
と主張する人もいます。それは、何を基幹的な部分とみるかによっても異なります。

どちらの意見が説得的かは現時点では何とも言えませんが、少なくとも今回のコロナ禍は
全世界を巻き込んだ歴史的大事件であることは間違いありません。

その意味で、歴史の時代区分の一つとして、従来の「BC」(Before Christ)=キリスト誕
生以前=紀元前と、「AD」(Anno Domini)=「主の年に」=紀元後、に加えて新たに、
BC(Before Corona)=コロナ以前と、AC(After Corona)という言い方が使われるよ
うになるかもしれません。

新型コロナウイルスのまん延が未だに収まっていない現在、ポストコロナについて語るの
は、あまりにも無謀だとは思います。

何よりも、現在のところ新型コロナウイルスの正体さえ、まだ分かっていないのですから。

それでも、現段階までに、どんな領域にどのような影響を与えたかを検証することで、そ
の後にやってくるであろうポストコロナの時代をある程度予想することができるのではな
いか、と考えています。

以上の判断から今回は、現在までにコロナ禍がもたらしているさまざまな影響を、4つの
領域に分け、その中に含まれる検討すべき問題を挙げておきました。後日、それぞれの項
目を検証してゆくことにします。

I コロナウイルスの感染拡大と対応
1)コロナウイルスの感染者と死者数。2020年7月7日現在における日本の感染者は累計
  で2万人強、死者は980人弱です。世界では感染者は1160万人、死者は53万
  7000人です。しかも、これらの数字は増加し続けています。
2)現在、ワクチンも未完成で、特効薬も開発されていません。これが、今後、どうなっ
  てゆくのか、ほかにコロナに対抗する手段はあるのか?
3)外出自粛や補償を伴う休業要請は一時、コロナのまん延を抑えたが、これから秋以降
  に再燃が起きた場合、もう国にも地方政府にも補償を支給する余力はない。
4)ベッド数と医療スタッフ、医療資材(機械、防護服、マスクなど)を含めた医療体制
  は十分か。
5)PCRによる検査は十分か?
6)日本では、ほとんどの病院が赤字に転落しており、コロナの患者だけでなく、一般の
  患者の健康維持は大丈夫か?

II コロナ禍と経済
1)一言でいえば、経済規模の「縮小」の状態。大量の失業者の発生と外出自粛のため、と
  りわけ経済を支える消費(総需要)の落ち込みが激しく、それが事業の不振、収入の減
  少、賃金低下をもたらし、さらに消費の落ち込みをもたらす、負のスパイラルが起こっ
  ている。
2)多くの国ではこの春から失業や事業の損失にたいして財政的な支援をしてきたが、これ
  らの措置もこの秋からの財政的余力はなくなっている。
3)これから国からの支援があてにできなくなると、これまで何とか踏ん張ってきた中小企
  業の倒産が増えてゆく。これは当然、失業の増加にもつながる。
4)世界のサプライ・チェーン(部品調達の国際的分業体制)が寸断されていて、生産活動
  が部分的に滞っている。
5)各国が自国第一に走り、グローバル経済、グローバリズムが今後も維持されるのか。
6)米中の貿易摩擦(貿易戦争)は、これまでグローバル経済を支えてきた二大支柱を破壊
  しかねない状況にいたっている。
7)これまでの経済を推し進めてきた新自由主義(市場原理主義)は今後、どうなるのか?
8)GAFAのような巨大なIT企業の独占や寡占化が進み、実際に物を作ったり、体を動かして
  働くサービス部門の収益の上前を、これらIT企業が吸い上げている。
9)コロナに対する恐怖と収入の減少は、心理的な「萎縮」を生み、さすがに欧米でも消費
  より貯蓄へ向かう傾向を生み出している。この心理的萎縮が、これからの世界にどのよ
  うな影響を与えるか。

III コロナ禍と政治
 1)絶対的な覇権国家がない状況の中で、各国は自国第一主義に走っている。これで国際的
   な安全保障は維持できるのか?
 2)コロナ禍に由来する米中貿易戦争が、政治的な対立、新たな「冷戦」の段階に入ったと
   考えられる。これが新たな国際的緊張を生み出している。
 3)経済がひっ迫してくるなかで、移民や他人種にたいする偏見が強まり、最悪の場合、彼
   らに対する攻撃が行われ、政治不安を醸成する。
 4)上記の政治と関連して、コロナ危機に乗じて、人びとを煽るポピュリズムと排他的なナ
   ショナリズムが台頭する危険性がある。
 
IV コロナ禍と社会・文化
 1)富裕層と貧困との格差、人種的な差別が浮き彫りになり、社会に分断が生じた。
 2)ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離を保つこと)の風潮は、必要ではあるが人と
   人との心理的な距離感を広げているのではないか。
 3)いつ終わるとも分からないコロナの脅威に長期間さらされて、人びとの間に精神的な問題、
   とりわけ鬱病的な傾向が浸透するのではないか。
 4)コロナの感染を避けるため、人と人との接触を避ける事務的な作業のテレワークやオンラ
   イン会議が推奨されている。これらは移動時間の節約という点では合理的である。他方、
   電子媒体への依存はバーチャル世界と現実世界との区別をあいまいにさせる。この傾向は
   コロナの収束後もいっそう進むと思われる。これが、次の時代の文化の一旦を担うように
   なるのかどうかは現段階では分からない。

以上、思いつくままに、コロナの時代を生きる私たちの置かれた状況を挙げておきました。もち
ろん、これらが全ての領域や問題を網羅しているわけではありませんが、取敢えず、上記のI~IV
の問題を検証してゆきたいと思います。

その際、まずは日本の事情を検証し、その後で世界の状況を検討します。
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気の早いサルスベルがもう花をつけ始めました                             今はムクゲの花が最盛期です
 



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