金足農業高の快挙―“純”なるものが呼び起こす感動―
今年の夏の全国高等学校野球選手権大会(略して甲子園)は100回目を迎え、8月5日にスタート
しました。
優勝はすでに報道されているように、大阪桐蔭高でした。しかし、感動を与えてくれたのは、何とい
っても秋田県代表の金足農業高の大健闘でしょう。
恐らく多くの野球ファンは、決勝戦は大阪桐蔭高と横浜高になるだろう、と予想していたと思います。
しかし、金足農業が次々と勝ち進んで行くにつれて、“一体、何が起こったんだ”、という驚きと感
動が広がってゆきました。
今年の金足農業の何が人々を感動させたのでしょうか? これを考える前に、少しだけ金足農業の甲
子園での成績を振り返ってみましょう。
金足農業は、決して甲子園の“新参者”ではありません。昭和58年に初めて甲子園出場を果たして、
今年で9回目の甲子園です。もはや、常連校といってもいいでしょう。
今年の金足農業が決勝戦まで勝ち進んだのは、たまたま対戦相手に恵まれたからなのでしょうか?
そうとは言い切れません。というのも、一回戦の相手は、スポーツでは名門の鹿児島実業で、5対1
で破っています。二回戦の相手は、甲子園出場8回目の大垣日大高でした。出場経験は金足農業とほ
ぼ同じで、平成19年には準優勝もしています。その大垣日大高を6対3で破っています。
三回戦の相手は、名門横浜高校で、今年も優勝候補の一角を占めていました。実際、一回戦、二回戦
とも二ケタ安打で圧勝してきました。
この試合では、“奇跡”が起きました。それは、これまで公式戦ではホームランを打ったことがなか
った金足農業の高橋選手が3ラン・ホームランを打って逆転したことです。
もう一つ、金足農業のピッチャー、吉田輝星が最速の150キロを出し、横浜高を相手に14奪三振
を成し遂げたのです。金足農業は強豪横浜高を5対4で下しました。
この横浜戦に勝ったあたりから、人々は、金足農業について、俄然、関心を持ち始め、メディアは一
斉に、金足農業について連日報道するようになりました。
おそらく、普段は高校野球に関心などなかった人たちまで、金足農業というチーム、とりわけ投手の
吉田輝星君に関心を持つようになったようです。
金足農業は準々決勝で近江高と対戦しましたが、この時も、誰も想像できなかった劇的なツーラン・
スクイズを成功させて2点をもぎとり、3対2で逆転勝ちしました。
準決勝の対戦相手は日大三高でした。日大三高は今回、春夏の大会合わせて37回目の出場、優勝2
回という、大会屈指の強豪です。
この試合の結果は2対1で金足農業が勝ちましたが、その勝因はなんといても、吉田投手が、ヒット
を打たれながらも要所で相手を1点だけの最小得点で抑えたことです。
この時点で、決勝進出が決定し、世の中は、興奮の絶頂に達しました。“金農フィーバー”はもはや社
会現象といっても過言ではないほどの熱狂ぶりです。
スポーツ紙は6紙が、この「金農」(このように呼ぶようになりました)の快挙を大きく報じました。
以上みたように、ここまでの闘いそのものがドラマチックすぎるほどドラマチックでした。
秋田出身の小倉智昭氏は、朝の情報番組「とくダネ」で、“おれたちは100年待ったんだ”、と興奮
ぎみに語っていました。
決勝の相手は大阪桐蔭高でした。大阪桐蔭高といえば、優勝の常連校です。
しかし、恐らくこの試合に関心をもった人の8割以上が心の中で、金農に勝って欲しい、と願っていた
のではないでしょうか?
これは、金農への応援の気持ち込めた寄付が全国から寄せられ、あっと言う間に1億9000万円に達
したことからもわかります。
さて、試合ですが、吉田投手は、6回に、自分はもう投げられないから代わってくれ、と打川君に頼み、
マウンドを降りました。打川君は期待に応えて1点で抑えましが、結果は2対13の大差で敗けました。
これで大阪桐蔭は二度目の春夏連覇という偉業を達成したことになります。これは、大変な大記録です。
優勝して当たり前とのプレッシャーをはねのけて優勝した大阪桐蔭を称えるべきしょう。
金農ナインは、当然のことながら悔しさで泣いていましたが、球場で金農の応援をしていた人たちの間
にはそれほどの落胆ぶりは、見られず、むしろ晴れ晴れとした雰囲気が漂っていました。テレビ観戦を
していた人も同じでしょう。
さて、優勝校も決まって、高校野球の話題も一段落つくかと思っていたら、逆に終わってから後が大変
な騒ぎで、スポーツ紙だけでなく、一般紙までこれでもかというほど、大阪桐蔭の優勝よりも金農の準
優勝を称える内容を怒涛のごとく報じました。
通常は、準優勝校にたいしてこれほど注目が集まることはありません。しかし、メディアは、あたかも
金農が優勝したかのような扱いです。
しかし、この「金農フィーバー」はメディアが一方的に作り上げたものではなく、多くの国民が受けた
感動でもあったのです。
それでは、何が多くの人を、これほどまでに感動させたのでしょうか?
結論から言えば、多くの日本人は、金農の野球部、とりわけ吉田投手のひたむきさに、私たちが失って
しまった“純”なるものを感じ、感動したのだと思います。
いくつもの要因があるとおもいますが、思いつくままに挙げてみます。
①私学全盛の高校野球界にあって、公立高校である金農が決勝まで勝ち進んだことです。しかも、農業
高校という、スポーツとはあまり結びつかない高校です。
②金農の選手全員が秋田県の出身者であるという点です(つまり”純”秋田県産です!)。最近は、私
立の強豪高が全国から優秀な選手を集めて強化することは珍しくありません。
実際、優勝した大阪桐蔭は北海道から九州まで全国から選手を集めています。しかも、今回の大阪桐蔭
ナインのうち、6人までがU-18の日本代表になる選手であることが、これを物語っています。金農
はここまで、とにかく地元の選手を鍛え上げて、最善を尽くすことをモットーにしてきました。
③公立高校ですから、おそらく授業もしっかり出ていたのだと思われます。近年、野球の名門私立高で
は、選手は合宿所生活で、授業もあまり出ていない場合もあります。
企業でいえば大阪桐蔭は大都市の大企業で、金農は地方の中小企業のようなチームです。その金農が並
みいる強豪を倒して決勝まできたのですから、これは本当に快挙です
④1年のうち半年近くは雪のため、グラウンドで練習ができない不利な自然環境の中で、金高野球部の
選手たちは雑草のごとくただひたすら練習に励んできました。多くの人は、雪の中で長靴を履いて走り
込みをしている選手の姿を見て、一層、思いを熱くしたのでしょう。
⑤吉田投手が秋田の県大会か決勝までずっと一人で投げてきたことに対する驚きです。県大会ではすで
に5試合で636球、甲子園きにきてからも決勝までに749球も投げていたのです。しかも4試合連
続二桁奪三振、という素晴らしい結果を残していました。ちなみに大阪桐蔭には投手が16人もいます。
しかし、横浜戦が終わった時点で、「股関節が痛くて先発辞退しようか」と思うほど、体はボロボロ、
悲鳴を上げていました。それでも、決勝戦では、自らを奮い立たせて先発したことが、やはり胸を打ち
ます。(もちろん、これが良いか悪いかは別問題です)
⑥金農ナインは県大会からずっと、同じメンバーで闘ってきました。私たちは、そこで培われてきた信
頼関係、強いきずな、団結力を感じ取っていました。
⑦決勝戦で吉田君に代わって投げた打川君は、中学時代はピッチャーで4番でした。打川君は高校は別
の学校へ進学を考えていたのですが、吉田君に誘われて金農に進学しました。
この時、打川君は、“吉田と一緒ならエースにはなれないけど甲子園へはいける”との気持ちから、金
農のエースの座を吉田君に譲る決意で金農に進学した、という経緯があります。この二人の友情と相互
の信頼関係も私たちに、心温まる感動を与えてくれます。
以上を総合すると、公立高校という枠を踏み外さない金農野球部のあり方、選手それぞれが胸に秘めた
“純粋さ”、“ひたむきさ”に私たちは、“これこそ高校野球のあるべき姿だ、高校野球は、本来、こ
うでなくっちゃ”という思いを共有していたのではないでしょか。
一言でいえば、私たちが高校野球に求めていた“純なるもの”を金農の選手たちに感じ取ったからこそ、
多くの日本人は感動したのだと思います。
現実の大人の社会では“純なるもの”は、“青臭い”、“未成熟”と鼻で笑われてしまいますが、それでも
心の奥底では、“純なるもの”に対するあこがれを抱いています。
雪深い東北の「雑草軍団」にこれほどの称賛が寄せられたのは、心の奥底に眠っていた、このような日
本人の心情が呼び起こされたからでしょう。
例えは適切ではないかもしれませんが、かつて『冬のソナタ』という“純愛”を描いた韓国ドラマが大
ヒットしたことがありました。現実には、“純愛”なんてあり得ない、と思っている人でも、心のどこ
かで、純愛にあこがれを夢想していることの証です。
“純なるもの”"純粋”が私たちを惹きつけるのは、それが人間として、本来そうありたいと願う“原点”
だからでないでしょうか。
今年の夏の全国高等学校野球選手権大会(略して甲子園)は100回目を迎え、8月5日にスタート
しました。
優勝はすでに報道されているように、大阪桐蔭高でした。しかし、感動を与えてくれたのは、何とい
っても秋田県代表の金足農業高の大健闘でしょう。
恐らく多くの野球ファンは、決勝戦は大阪桐蔭高と横浜高になるだろう、と予想していたと思います。
しかし、金足農業が次々と勝ち進んで行くにつれて、“一体、何が起こったんだ”、という驚きと感
動が広がってゆきました。
今年の金足農業の何が人々を感動させたのでしょうか? これを考える前に、少しだけ金足農業の甲
子園での成績を振り返ってみましょう。
金足農業は、決して甲子園の“新参者”ではありません。昭和58年に初めて甲子園出場を果たして、
今年で9回目の甲子園です。もはや、常連校といってもいいでしょう。
今年の金足農業が決勝戦まで勝ち進んだのは、たまたま対戦相手に恵まれたからなのでしょうか?
そうとは言い切れません。というのも、一回戦の相手は、スポーツでは名門の鹿児島実業で、5対1
で破っています。二回戦の相手は、甲子園出場8回目の大垣日大高でした。出場経験は金足農業とほ
ぼ同じで、平成19年には準優勝もしています。その大垣日大高を6対3で破っています。
三回戦の相手は、名門横浜高校で、今年も優勝候補の一角を占めていました。実際、一回戦、二回戦
とも二ケタ安打で圧勝してきました。
この試合では、“奇跡”が起きました。それは、これまで公式戦ではホームランを打ったことがなか
った金足農業の高橋選手が3ラン・ホームランを打って逆転したことです。
もう一つ、金足農業のピッチャー、吉田輝星が最速の150キロを出し、横浜高を相手に14奪三振
を成し遂げたのです。金足農業は強豪横浜高を5対4で下しました。
この横浜戦に勝ったあたりから、人々は、金足農業について、俄然、関心を持ち始め、メディアは一
斉に、金足農業について連日報道するようになりました。
おそらく、普段は高校野球に関心などなかった人たちまで、金足農業というチーム、とりわけ投手の
吉田輝星君に関心を持つようになったようです。
金足農業は準々決勝で近江高と対戦しましたが、この時も、誰も想像できなかった劇的なツーラン・
スクイズを成功させて2点をもぎとり、3対2で逆転勝ちしました。
準決勝の対戦相手は日大三高でした。日大三高は今回、春夏の大会合わせて37回目の出場、優勝2
回という、大会屈指の強豪です。
この試合の結果は2対1で金足農業が勝ちましたが、その勝因はなんといても、吉田投手が、ヒット
を打たれながらも要所で相手を1点だけの最小得点で抑えたことです。
この時点で、決勝進出が決定し、世の中は、興奮の絶頂に達しました。“金農フィーバー”はもはや社
会現象といっても過言ではないほどの熱狂ぶりです。
スポーツ紙は6紙が、この「金農」(このように呼ぶようになりました)の快挙を大きく報じました。
以上みたように、ここまでの闘いそのものがドラマチックすぎるほどドラマチックでした。
秋田出身の小倉智昭氏は、朝の情報番組「とくダネ」で、“おれたちは100年待ったんだ”、と興奮
ぎみに語っていました。
決勝の相手は大阪桐蔭高でした。大阪桐蔭高といえば、優勝の常連校です。
しかし、恐らくこの試合に関心をもった人の8割以上が心の中で、金農に勝って欲しい、と願っていた
のではないでしょうか?
これは、金農への応援の気持ち込めた寄付が全国から寄せられ、あっと言う間に1億9000万円に達
したことからもわかります。
さて、試合ですが、吉田投手は、6回に、自分はもう投げられないから代わってくれ、と打川君に頼み、
マウンドを降りました。打川君は期待に応えて1点で抑えましが、結果は2対13の大差で敗けました。
これで大阪桐蔭は二度目の春夏連覇という偉業を達成したことになります。これは、大変な大記録です。
優勝して当たり前とのプレッシャーをはねのけて優勝した大阪桐蔭を称えるべきしょう。
金農ナインは、当然のことながら悔しさで泣いていましたが、球場で金農の応援をしていた人たちの間
にはそれほどの落胆ぶりは、見られず、むしろ晴れ晴れとした雰囲気が漂っていました。テレビ観戦を
していた人も同じでしょう。
さて、優勝校も決まって、高校野球の話題も一段落つくかと思っていたら、逆に終わってから後が大変
な騒ぎで、スポーツ紙だけでなく、一般紙までこれでもかというほど、大阪桐蔭の優勝よりも金農の準
優勝を称える内容を怒涛のごとく報じました。
通常は、準優勝校にたいしてこれほど注目が集まることはありません。しかし、メディアは、あたかも
金農が優勝したかのような扱いです。
しかし、この「金農フィーバー」はメディアが一方的に作り上げたものではなく、多くの国民が受けた
感動でもあったのです。
それでは、何が多くの人を、これほどまでに感動させたのでしょうか?
結論から言えば、多くの日本人は、金農の野球部、とりわけ吉田投手のひたむきさに、私たちが失って
しまった“純”なるものを感じ、感動したのだと思います。
いくつもの要因があるとおもいますが、思いつくままに挙げてみます。
①私学全盛の高校野球界にあって、公立高校である金農が決勝まで勝ち進んだことです。しかも、農業
高校という、スポーツとはあまり結びつかない高校です。
②金農の選手全員が秋田県の出身者であるという点です(つまり”純”秋田県産です!)。最近は、私
立の強豪高が全国から優秀な選手を集めて強化することは珍しくありません。
実際、優勝した大阪桐蔭は北海道から九州まで全国から選手を集めています。しかも、今回の大阪桐蔭
ナインのうち、6人までがU-18の日本代表になる選手であることが、これを物語っています。金農
はここまで、とにかく地元の選手を鍛え上げて、最善を尽くすことをモットーにしてきました。
③公立高校ですから、おそらく授業もしっかり出ていたのだと思われます。近年、野球の名門私立高で
は、選手は合宿所生活で、授業もあまり出ていない場合もあります。
企業でいえば大阪桐蔭は大都市の大企業で、金農は地方の中小企業のようなチームです。その金農が並
みいる強豪を倒して決勝まできたのですから、これは本当に快挙です
④1年のうち半年近くは雪のため、グラウンドで練習ができない不利な自然環境の中で、金高野球部の
選手たちは雑草のごとくただひたすら練習に励んできました。多くの人は、雪の中で長靴を履いて走り
込みをしている選手の姿を見て、一層、思いを熱くしたのでしょう。
⑤吉田投手が秋田の県大会か決勝までずっと一人で投げてきたことに対する驚きです。県大会ではすで
に5試合で636球、甲子園きにきてからも決勝までに749球も投げていたのです。しかも4試合連
続二桁奪三振、という素晴らしい結果を残していました。ちなみに大阪桐蔭には投手が16人もいます。
しかし、横浜戦が終わった時点で、「股関節が痛くて先発辞退しようか」と思うほど、体はボロボロ、
悲鳴を上げていました。それでも、決勝戦では、自らを奮い立たせて先発したことが、やはり胸を打ち
ます。(もちろん、これが良いか悪いかは別問題です)
⑥金農ナインは県大会からずっと、同じメンバーで闘ってきました。私たちは、そこで培われてきた信
頼関係、強いきずな、団結力を感じ取っていました。
⑦決勝戦で吉田君に代わって投げた打川君は、中学時代はピッチャーで4番でした。打川君は高校は別
の学校へ進学を考えていたのですが、吉田君に誘われて金農に進学しました。
この時、打川君は、“吉田と一緒ならエースにはなれないけど甲子園へはいける”との気持ちから、金
農のエースの座を吉田君に譲る決意で金農に進学した、という経緯があります。この二人の友情と相互
の信頼関係も私たちに、心温まる感動を与えてくれます。
以上を総合すると、公立高校という枠を踏み外さない金農野球部のあり方、選手それぞれが胸に秘めた
“純粋さ”、“ひたむきさ”に私たちは、“これこそ高校野球のあるべき姿だ、高校野球は、本来、こ
うでなくっちゃ”という思いを共有していたのではないでしょか。
一言でいえば、私たちが高校野球に求めていた“純なるもの”を金農の選手たちに感じ取ったからこそ、
多くの日本人は感動したのだと思います。
現実の大人の社会では“純なるもの”は、“青臭い”、“未成熟”と鼻で笑われてしまいますが、それでも
心の奥底では、“純なるもの”に対するあこがれを抱いています。
雪深い東北の「雑草軍団」にこれほどの称賛が寄せられたのは、心の奥底に眠っていた、このような日
本人の心情が呼び起こされたからでしょう。
例えは適切ではないかもしれませんが、かつて『冬のソナタ』という“純愛”を描いた韓国ドラマが大
ヒットしたことがありました。現実には、“純愛”なんてあり得ない、と思っている人でも、心のどこ
かで、純愛にあこがれを夢想していることの証です。
“純なるもの”"純粋”が私たちを惹きつけるのは、それが人間として、本来そうありたいと願う“原点”
だからでないでしょうか。