激変する世界と日本再生の道(1)
―「失われた30年」と「日本の没落」-
現代の日本は、激動する世界と国内の中で、これから進むべき確固たる道を定めることが
できないまま、揺れ動き翻弄されています。
この状態は、国家としても個人としても同様で、さながら荒波の中を羅針盤なき航海を続
けているようです。
筆者の表現を使うと、現在の日本は国家の「大きな物語」も個人個人の「小さな物語」も描
くことができないでいる、という状況です。
今回から、日本はどのような道を進むべきかを考えてみたいと思います。そのための手掛か
りとして、以下の寺島実郎氏の2冊の著作を取り上げ、紹介しつつこの問題を考えてゆきま
す。
① 寺島実郎『日本再生の基軸―平成日本の晩鐘と令和の本質的課題』岩波書店。2020
② 寺島実郎『21世紀未来圏 日本再生の構想:全体知の時代認識』岩波書店。 2024
寺島氏の上記2冊の著作を取り上げたのは、私も同感することが多いからです。上記2冊のうち
②は①の4年後に出版されており、そこには視できない状況の変化があります。
その変化については次回以降に書きますが、両者のタイトルに「日本再生」という言葉がある
ことからも分かるように、寺島の関心が「日本再生」という課題にあることに変わりはありま
せん。
ただし今回はまず①の『日本再生の基軸―平成日本の晩鐘と令和の本質的課題』だけを取り上
げます。この著作は、最初に平成の始まりの1989年から令和元年の2019年の30年間の世界と
日本の現状を整理して、公判で「日本再生の基軸」を議論しています。
本の中身に入る前に、寺島氏について簡単に紹介しておきます。寺島氏は1947年8月生まれ、
現在77才、多摩大学学長・教授、一般財団法人日本総合研究所会長、一般社団法人寺島文庫の
代表理事などを務めています。
彼は大学卒業後三井物産に入社し、ワシントン事務所長などを歴任し、現在は国際関係、経済、
社会問題などをテーマに、著書、講演、メディア出演などを通じて発信しています。
寺島氏はしばしばテレビのコメンテータとしても登場しますので、ご存じの方も多いかと思いま
す。また、東京MXテレビとYoutube で「世界を知る力」講演シリーズを2020年から25年6月
まで毎月一回更新し、現在56回、他に「対談」シリーズを33回放映しています。
しかも、「世界を知る力」の1回1回、分かり易いデータと要約を記したフリップを準備してお
り、密度の濃い説得力のある講演となっています。Toutube ではいつでもみることができま
すから関心のあるかたは是非見てください。
寺島氏の議論の進め方の大きな特徴は、常に歴史的な流れの中で全体状況を整理し、その上で
個々の問題の評価を行う、という手法を一貫して採っていることです。
まず、平成から令和への30年とはどんな時代であったかを、彼に従って見てみましょう。
平成のスタート1989年11月にベルリンの壁が崩壊し翌12月には米のブッシュとソ連のゴルバチ
ョフ首相との間で、「冷戦の終焉」宣言が行われました。
そして、1991年にはソ連が崩壊し、名実ともに政治経済システムとしての自由主義・資本主義
体制が世界の主流となりました。ただし、これをもって、資本主義が社会主義に“勝った”と断定
することはできません。
こうしてみると、平成の始まりは、戦後の世界政治体制が大きく変わったタイミングだったので
す。
一方の西側の資本主義諸国では「金融革命」と金融資本主義の肥大化(IT革命と金融工学が貢献)
が進行し、1999年以降には金融工学を駆使した金融商品が市場に出回ります。
同時に、国家干渉を可能な限り排除し、経済を市場の動きに任せるべきだという「新自由主義」の
主張が世界経済に大きな景況を与えるようになりました。
しかし、物作りで経済を潤すのではなく、金融商品の売買で経済を動かそうとする金融資本主義は、
実体経済とは関係ない投機資本主義(もっと露骨に言えば「ギャンブル経済」)の要素をもっており、
その「危うさ」と「虚構性」を含んでいます。
その虚構性がはじけたのが2008年の「リーマンショック」でした。それでも金融資本主義は後戻り
できず進行し続けました。
こうした風潮は、ミルトン・フリードマンが提唱し、1980年代の思潮となった「新自由主義」という
考え方で、「規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任」を基調としています。
これは、王政と戦った古典的自由主義とは異なり、国家が介入することに反対します。しかし、「リー
マンショック」後には、破綻の影響があまりに大きかったので国家が介入するようになりました。
「金融革命」に続いて「IT革命」(「デジタル革命」)が起きました。これは冷戦後の軍事技術の民生
転用で、冷戦期 ソ連からの核攻撃で中央制御のコンピューターが破断されるリスクを回避するため、
「開放系・分散系の情報ネットワーク技術」(1969 ARPNET)が民生用のインターネットとして世界に
広まりました。
この技術は1989年には学術ネットへ技術解放され、この年は「インターネット元年」と呼ばれ、1990
年代には、今やなじみのあるアップル、マイクロソフト(ウィンドウズ3.0)、アマゾン(1994年)、
グーグル(1998年)などの、いわゆる巨大テック企業が設立されました。
2019年3月(令和元年)のGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソ
フト)の株式時価総額は4.0兆ドル(約440兆円)に達しました。
金融と情報革命は、先進国では製造業が海外へ転出したり、海外製品の輸入によって国内では職を奪わ
れる労働者を生み、あるいは国内製造業の衰退を招きました。
こうして、一方でITや金融で豊かになった富裕層と、欧米では移民労働者の流入も加わって、職を奪
われた貧困層の二極文化と格差の拡大がみられました。
では日本にとっての平成の30年とは何だったのでしょうか?
平成の初頭から世界で始まった「金融革命」と「IT革命」、そして「新自由主義」は日本経済をも大き
く変えました。
日本では1980年代末に、いわゆる「バブル経済」で地価が高騰し、1978年には東京圏で前年比76%、
88年には69%上昇しました。
ところが1990年をピークとして「バブルがはじけ」、以後地価は急激に下落(商業地76%、宅地48%)
しました。
土地の売買と同時に、そして株への投資ブームが起こりました。つまり、日本ではバブル期にだぶついた
資金が土地と株に向かったのです。
こんな状況が続いた後、平成は株価のピークアウトから始まりました。平成元年(1989)の年末の日
経平均株価は3万8915円でしたがその後、急落し、リーマンショック後の2009年には何と6994円まで、
わずかの間に七分の一まで下落してしまったのです。
その後、“異次元の金融緩和で株価を上げる”ことを目論んだ「アベノミクス」(金融政策に依存した人為的な
調整インフレ)で株価だけは2万2000円まで上げましたが、金融政策に極端に依存した景気浮揚政策は
経済の歪みをもたらし、実態経済にかえって害を与えていることが次第に明らかになりました。
すなわち、「異次元の金融緩和」の方針のもと、政府は異常な量の資金を市中に流し、行き場のない資金が株
に向かい、実体経済の裏付けがないまま株価だけが上昇する、という非常に不健全な経済状態が安倍政権下で
続いたのです。
他方、プラザ合意(1985)により、1984年の1ドル251円から86年には160円の円高に進みま
した。この時、いくつかの日本企業がアメリカの不動産を買いあさりましたが、それらの多くは不良物件をつ
かまされ、後で安く買いたたかれ大損をしたという苦い経験があります。
先に令和元年の時点でアメリカのGAFAMの株式時価総額は4.0兆ドル(約440兆円)にまで成長した
ことを述べました。これに対して、「モノつくり国家・日本」を代表するトヨタ自動車はわずか21兆円、日立
作所は3兆円、新日鉄住金(現・日本製鉄)2兆円という金額が平成30年間の実績です。
以上が、寺島氏が「日本再生の基軸」を論じようとするための前提として、平成の30年間に起こった出来事
を私見も交えて整理したものです。
以下に、寺島氏の記述に関連して、私自身が重要だと考える2、3の点を補足しておきます。
一つは、寺島氏は指摘していませんが、日本がバブル景気に沸いていたさ中、国内のだぶついた資金は、他に
有望な投資先がないため土地と株に流れていったのですが、アメリカではIT技術に関する研究開発とそのた
めのインフラ整備への投資を国家と企業を挙げて進めていたことです。
私は、この違いが後に日米両国の経済力に大きな差を生んだと考えています。というのも、地価と株価がいく
ら上がっても、それは将来の産業の「種」となって日本全体の産業・経済を発展させる原動力にはならないか
らです。
二つは、日本でも平成の初めから「金融革命」と「IT革命」(デジタル革命)の波に洗わましたが、その基本
技術(システムやアプリ)は日本が独自に開発したものではなく、ほとんどがアメリカの巨大テック企業が開
発したものを有料で加工・利用したものだったことです。
実際、現在日本のITの水準は世界の中で圧倒的に立ち遅れ、たとえばアメリカとの間だけでもITアプリ(例
えばクラウドやAIアプリなど)の利用料の支払いが毎年6兆円以上もの(「デジタル赤字」となっています。こ
の金額は2025年には10兆円という巨額に達するという予測もあり
ます。
以上は、主として経済に着目した平成の30年の状態でしたが、この間の日本経済を「失われた30年」とも呼
ばれています。
「失われた30」という場合、引き合いに出される指標の一つは労働者の実質賃金で、この間ほとんど横ばいかむ
しろ減少しています。
また、今からおよそ30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」(年頭の取引)から日経平均株価がい
きなり200円を超える下げを記録しました。
1989年12月29日の「大納会」でつけた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その
後30年が経過した今も史上最高値を約4割ほど下回ったままです。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷
を続けていると言えます。
その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40ドル(1989年末)
から3230.78ドル(2019年末)へと、この30年間でざっと9.14倍に上昇した。かたや日本は1989年の最高値を30
年間も超えることができずに推移しています。
マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た2022年には557兆円に
なっています(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計)。一見すると国内総生産は順調に伸び
てきたかのように見えますが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れま
す。
●1989年……15.3%
●2018年…… 5.9%(2024年では3~4%と予測されています)
アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日
本の落ち込みがいかに大きいかがわかります。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上
昇し、新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大しています。
日本の国力の低下は明らかです。日本の「失われた30年」を的確に示している指標には日本全体の「国際競争力」
や日本企業の「収益力ランキング」があります。
例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、
アメリカを抜いて日本が第1位となっていましたが。それが2002年には30位に後退し、2024年には中国、韓国より
ずっと低い38位に転落しています。
こうしが現実を、寺島氏は「日本の埋没」と表現しています。
それでは、「日本の埋没」という現実を踏まえたうえで、どのように「日本の再生」を考えているのか、次回は2020
年の著作の後半で見てゆきます。
(注1)『東洋経済 ONLINE』 2020/01/26 8:00 2025.6.6 閲覧
https://toyokeizai.net/articles/-/325346?display
『日本経済新聞』電子版 2024年6月18日 20:08 2025.6.6閲覧
2024年6月18日 20:08
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新緑の間に咲く藤の花 初夏を代表するツツジ

―「失われた30年」と「日本の没落」-
現代の日本は、激動する世界と国内の中で、これから進むべき確固たる道を定めることが
できないまま、揺れ動き翻弄されています。
この状態は、国家としても個人としても同様で、さながら荒波の中を羅針盤なき航海を続
けているようです。
筆者の表現を使うと、現在の日本は国家の「大きな物語」も個人個人の「小さな物語」も描
くことができないでいる、という状況です。
今回から、日本はどのような道を進むべきかを考えてみたいと思います。そのための手掛か
りとして、以下の寺島実郎氏の2冊の著作を取り上げ、紹介しつつこの問題を考えてゆきま
す。
① 寺島実郎『日本再生の基軸―平成日本の晩鐘と令和の本質的課題』岩波書店。2020
② 寺島実郎『21世紀未来圏 日本再生の構想:全体知の時代認識』岩波書店。 2024
寺島氏の上記2冊の著作を取り上げたのは、私も同感することが多いからです。上記2冊のうち
②は①の4年後に出版されており、そこには視できない状況の変化があります。
その変化については次回以降に書きますが、両者のタイトルに「日本再生」という言葉がある
ことからも分かるように、寺島の関心が「日本再生」という課題にあることに変わりはありま
せん。
ただし今回はまず①の『日本再生の基軸―平成日本の晩鐘と令和の本質的課題』だけを取り上
げます。この著作は、最初に平成の始まりの1989年から令和元年の2019年の30年間の世界と
日本の現状を整理して、公判で「日本再生の基軸」を議論しています。
本の中身に入る前に、寺島氏について簡単に紹介しておきます。寺島氏は1947年8月生まれ、
現在77才、多摩大学学長・教授、一般財団法人日本総合研究所会長、一般社団法人寺島文庫の
代表理事などを務めています。
彼は大学卒業後三井物産に入社し、ワシントン事務所長などを歴任し、現在は国際関係、経済、
社会問題などをテーマに、著書、講演、メディア出演などを通じて発信しています。
寺島氏はしばしばテレビのコメンテータとしても登場しますので、ご存じの方も多いかと思いま
す。また、東京MXテレビとYoutube で「世界を知る力」講演シリーズを2020年から25年6月
まで毎月一回更新し、現在56回、他に「対談」シリーズを33回放映しています。
しかも、「世界を知る力」の1回1回、分かり易いデータと要約を記したフリップを準備してお
り、密度の濃い説得力のある講演となっています。Toutube ではいつでもみることができま
すから関心のあるかたは是非見てください。
寺島氏の議論の進め方の大きな特徴は、常に歴史的な流れの中で全体状況を整理し、その上で
個々の問題の評価を行う、という手法を一貫して採っていることです。
まず、平成から令和への30年とはどんな時代であったかを、彼に従って見てみましょう。
平成のスタート1989年11月にベルリンの壁が崩壊し翌12月には米のブッシュとソ連のゴルバチ
ョフ首相との間で、「冷戦の終焉」宣言が行われました。
そして、1991年にはソ連が崩壊し、名実ともに政治経済システムとしての自由主義・資本主義
体制が世界の主流となりました。ただし、これをもって、資本主義が社会主義に“勝った”と断定
することはできません。
こうしてみると、平成の始まりは、戦後の世界政治体制が大きく変わったタイミングだったので
す。
一方の西側の資本主義諸国では「金融革命」と金融資本主義の肥大化(IT革命と金融工学が貢献)
が進行し、1999年以降には金融工学を駆使した金融商品が市場に出回ります。
同時に、国家干渉を可能な限り排除し、経済を市場の動きに任せるべきだという「新自由主義」の
主張が世界経済に大きな景況を与えるようになりました。
しかし、物作りで経済を潤すのではなく、金融商品の売買で経済を動かそうとする金融資本主義は、
実体経済とは関係ない投機資本主義(もっと露骨に言えば「ギャンブル経済」)の要素をもっており、
その「危うさ」と「虚構性」を含んでいます。
その虚構性がはじけたのが2008年の「リーマンショック」でした。それでも金融資本主義は後戻り
できず進行し続けました。
こうした風潮は、ミルトン・フリードマンが提唱し、1980年代の思潮となった「新自由主義」という
考え方で、「規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任」を基調としています。
これは、王政と戦った古典的自由主義とは異なり、国家が介入することに反対します。しかし、「リー
マンショック」後には、破綻の影響があまりに大きかったので国家が介入するようになりました。
「金融革命」に続いて「IT革命」(「デジタル革命」)が起きました。これは冷戦後の軍事技術の民生
転用で、冷戦期 ソ連からの核攻撃で中央制御のコンピューターが破断されるリスクを回避するため、
「開放系・分散系の情報ネットワーク技術」(1969 ARPNET)が民生用のインターネットとして世界に
広まりました。
この技術は1989年には学術ネットへ技術解放され、この年は「インターネット元年」と呼ばれ、1990
年代には、今やなじみのあるアップル、マイクロソフト(ウィンドウズ3.0)、アマゾン(1994年)、
グーグル(1998年)などの、いわゆる巨大テック企業が設立されました。
2019年3月(令和元年)のGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソ
フト)の株式時価総額は4.0兆ドル(約440兆円)に達しました。
金融と情報革命は、先進国では製造業が海外へ転出したり、海外製品の輸入によって国内では職を奪わ
れる労働者を生み、あるいは国内製造業の衰退を招きました。
こうして、一方でITや金融で豊かになった富裕層と、欧米では移民労働者の流入も加わって、職を奪
われた貧困層の二極文化と格差の拡大がみられました。
では日本にとっての平成の30年とは何だったのでしょうか?
平成の初頭から世界で始まった「金融革命」と「IT革命」、そして「新自由主義」は日本経済をも大き
く変えました。
日本では1980年代末に、いわゆる「バブル経済」で地価が高騰し、1978年には東京圏で前年比76%、
88年には69%上昇しました。
ところが1990年をピークとして「バブルがはじけ」、以後地価は急激に下落(商業地76%、宅地48%)
しました。
土地の売買と同時に、そして株への投資ブームが起こりました。つまり、日本ではバブル期にだぶついた
資金が土地と株に向かったのです。
こんな状況が続いた後、平成は株価のピークアウトから始まりました。平成元年(1989)の年末の日
経平均株価は3万8915円でしたがその後、急落し、リーマンショック後の2009年には何と6994円まで、
わずかの間に七分の一まで下落してしまったのです。
その後、“異次元の金融緩和で株価を上げる”ことを目論んだ「アベノミクス」(金融政策に依存した人為的な
調整インフレ)で株価だけは2万2000円まで上げましたが、金融政策に極端に依存した景気浮揚政策は
経済の歪みをもたらし、実態経済にかえって害を与えていることが次第に明らかになりました。
すなわち、「異次元の金融緩和」の方針のもと、政府は異常な量の資金を市中に流し、行き場のない資金が株
に向かい、実体経済の裏付けがないまま株価だけが上昇する、という非常に不健全な経済状態が安倍政権下で
続いたのです。
他方、プラザ合意(1985)により、1984年の1ドル251円から86年には160円の円高に進みま
した。この時、いくつかの日本企業がアメリカの不動産を買いあさりましたが、それらの多くは不良物件をつ
かまされ、後で安く買いたたかれ大損をしたという苦い経験があります。
先に令和元年の時点でアメリカのGAFAMの株式時価総額は4.0兆ドル(約440兆円)にまで成長した
ことを述べました。これに対して、「モノつくり国家・日本」を代表するトヨタ自動車はわずか21兆円、日立
作所は3兆円、新日鉄住金(現・日本製鉄)2兆円という金額が平成30年間の実績です。
以上が、寺島氏が「日本再生の基軸」を論じようとするための前提として、平成の30年間に起こった出来事
を私見も交えて整理したものです。
以下に、寺島氏の記述に関連して、私自身が重要だと考える2、3の点を補足しておきます。
一つは、寺島氏は指摘していませんが、日本がバブル景気に沸いていたさ中、国内のだぶついた資金は、他に
有望な投資先がないため土地と株に流れていったのですが、アメリカではIT技術に関する研究開発とそのた
めのインフラ整備への投資を国家と企業を挙げて進めていたことです。
私は、この違いが後に日米両国の経済力に大きな差を生んだと考えています。というのも、地価と株価がいく
ら上がっても、それは将来の産業の「種」となって日本全体の産業・経済を発展させる原動力にはならないか
らです。
二つは、日本でも平成の初めから「金融革命」と「IT革命」(デジタル革命)の波に洗わましたが、その基本
技術(システムやアプリ)は日本が独自に開発したものではなく、ほとんどがアメリカの巨大テック企業が開
発したものを有料で加工・利用したものだったことです。
実際、現在日本のITの水準は世界の中で圧倒的に立ち遅れ、たとえばアメリカとの間だけでもITアプリ(例
えばクラウドやAIアプリなど)の利用料の支払いが毎年6兆円以上もの(「デジタル赤字」となっています。こ
の金額は2025年には10兆円という巨額に達するという予測もあり
ます。
以上は、主として経済に着目した平成の30年の状態でしたが、この間の日本経済を「失われた30年」とも呼
ばれています。
「失われた30」という場合、引き合いに出される指標の一つは労働者の実質賃金で、この間ほとんど横ばいかむ
しろ減少しています。
また、今からおよそ30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」(年頭の取引)から日経平均株価がい
きなり200円を超える下げを記録しました。
1989年12月29日の「大納会」でつけた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その
後30年が経過した今も史上最高値を約4割ほど下回ったままです。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷
を続けていると言えます。
その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40ドル(1989年末)
から3230.78ドル(2019年末)へと、この30年間でざっと9.14倍に上昇した。かたや日本は1989年の最高値を30
年間も超えることができずに推移しています。
マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た2022年には557兆円に
なっています(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計)。一見すると国内総生産は順調に伸び
てきたかのように見えますが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れま
す。
●1989年……15.3%
●2018年…… 5.9%(2024年では3~4%と予測されています)
アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日
本の落ち込みがいかに大きいかがわかります。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上
昇し、新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大しています。
日本の国力の低下は明らかです。日本の「失われた30年」を的確に示している指標には日本全体の「国際競争力」
や日本企業の「収益力ランキング」があります。
例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、
アメリカを抜いて日本が第1位となっていましたが。それが2002年には30位に後退し、2024年には中国、韓国より
ずっと低い38位に転落しています。
こうしが現実を、寺島氏は「日本の埋没」と表現しています。
それでは、「日本の埋没」という現実を踏まえたうえで、どのように「日本の再生」を考えているのか、次回は2020
年の著作の後半で見てゆきます。
(注1)『東洋経済 ONLINE』 2020/01/26 8:00 2025.6.6 閲覧
https://toyokeizai.net/articles/-/325346?display
『日本経済新聞』電子版 2024年6月18日 20:08 2025.6.6閲覧
2024年6月18日 20:08
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新緑の間に咲く藤の花 初夏を代表するツツジ

