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大木昌の雑記帳

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“運動会は中止 オリンピックはいいの?”

2021-05-30 10:29:28 | 社会
“運動会は中止 オリンピックはいいの?”

TBS系の午後の情報番組「Nスタ」(25日)で紹介された、小学生1年生が親に発した
ある質問が、話題を呼んでいます。

それは「なんで運動会は中止なのにオリンピックは開催されるの?」という、素朴で本質を
突いた鋭い質問です。

これは、小学校ではよく発せられる質問だそうです。現場の先生たちは、子どもたち納得さ
せる説明はできない、ということでした。

羽生田文科相は、「秋になれば景色が変わるので、その時に運動会を移す」と言っています
が、もし、秋になっても運動会ができなかった場合、どうするのでしょうか?

いずれにしても、このコロナ禍の下で、オリンピックを強行しようとしているのは、自らの
権威と地位とお金を確保しようとしているIOCの幹部たちの野心と、オリンピックを政権
浮揚の道具として利用しようとしている現政権の意図が、本当の理由なのですから、それを
隠したまま言い訳をしても、子どもだけでなく、多くの日本人の大人をも説得できるはずは
ありません。

つまり、事の本質を表に出すことはできないので、もっともらしい理由を語るか、有無を言
わせず強引に開催に突き進むしかない、というのが現状です。

今回のオリンピック開催については、当初から疑惑や矛盾が付きまとっています。これにつ
いては、このブログですでに2回にわたって書いています(注1)

思えば、今回のオリンピックの大義・理念は「復興オリンピック」で3.11からの復興だ
ったはずでした。しかし現在、この大義が語られることはありません。

それに代わって「人類がコロナに打ち勝った証として、完全な形で行われる」という安倍前
首相が語った言葉に置き換えられ、菅首相は、自ら大義を考え出すことなく、ひたすら、安
倍首相の言葉を繰り返すだけです。

人類とは言わないまでも、日本においてはまだ緊急事態宣言が発令されている最中なのに,
「コロナに打ち勝った証」などとは到底言えないはずです。

菅首相は事あるごとに、「安心・安全」なオリンピックを準備していると繰り返すだけで、
一向にコロナ感染者は安心・安全なレベルに減ってはいません。

この矛盾を、小学生は的確に感じていて、それが表題に示した「なんで運動会は中止なのに
オリンピックは開催されるの?」という質問となって表現されているのです。

小学生にとっては運動会だけでなく遠足や学芸会のような行事、中学・高校生たちにとって
は、クラブ活動の禁止、卒業旅行、さらに言えばごく当たり前の入学式や卒業式もできない
という、事態に置かれているのです。

こうした学校での行事というのは、一生のうち1回限りのもので、少年期から思春期にある
生徒・学生の人間としての精神的・文化的な成長にとって、かけがえのない非常に重要な体
験です。

それが、コロナ禍という事情のため中止させられるとしたら、大人の側からの、とりわけ政
策を実施する政府や自治体による、それなりの説明と代替措置が必要です。

しかし「蜜」を避けよ、と言いながら、運動会よりもはるかに多くの人を集めることが前提
となっているオリンピックは、何が何でもやる、という。

子どもたちの大人に対する不信感は、決して軽いものではありません。

東京都の小池知事は「3蜜を避ける」との言葉を発して、コロナのまん延防止の先頭にたっ
ている、というイメージを与えてきました。

しかし、その小池知事がオリンピックに関しては、東京都の施設である代々木公園に、オリ
ンピック組織委員会と共同で、パブリック・ビューを設置するという。

これにたいしては多くの反対署名が集まっていますが、そんな反対を物ともせず、すでに工
事を始めています。

これは国も同じで、全国で6か所、パブリック・ビューイングの会場を設置することが決ま
っています。

そして都は、これ以外に都独自で4か所、50億円をかけてパブリック・ビューイング会場
を設置することにしています。

言うまでもなく、パブリック・ビューイングの意義について都は、「大会の感動を共有でき
る重要な機会」だからと説明しています(注2)。

しかし、たとえば、代々木公園の場合、定員は当初、1600人でしたが、あとで710人
に削減しました。しかし、これをもって、都民全体が感動を共有する、というのは、いくら
何でも言いすぎです。

しかも、この場所は、桜の季節には。「蜜を避ける」ためにフェンスで隔離されていたのに。
今度は、「蜜を作って」盛り上がる場所として、邪魔な木の枝を切り払っています。

これでは、子どもたちも大人も納得するわけがありません。

これに対して、分科会会長の尾身氏は、PVは人の流れを増やすので望ましくない、と発言
しており、田村厚労相も、オリンピックは家でテレビ観戦を、と訴えているのに、です。

こうしたちぐはぐさ、矛盾は、たとえば大声を出して飛沫が飛び散る歌舞伎と演劇は通常
公演が認められてきたのに、黙ったスクリーンを見ているだけの映画館は、ダメという。

これについては最近、若干の修正が行われているようですが、これまでの政府の施策には
どう考えても一貫性がなく、説明不能な矛盾があります。

もう一つ、奇妙なことがあります。何でも、大会期間中に訪日する外国人選手のために、日
本の4社がそれぞれ4万個のコンドーム、計16万個を選手村に配布するという。

しかし、組織員会の説明では、選手村の宿舎にいる選手は互いに濃厚接触は禁止されている
はずなのに(もちろんセックスは禁止)、なぜコンドームを配布するのだろうか?

組織委の一つの弁解は、これはオリンピックに関する慣習だから、というものです。しかし、
緊急事態宣言が出ている現在、たんなる慣習では説得力がありません。

そこで持ち出した組織委員会の説明は、子どもでも笑い出してしまうほど、ばかばかしいも
のです。

一部では「濃厚接触を助長する」との声もあるが、との声に組織委は
    選手村で使うというものではなく、母国に持ち帰っていただき啓発にご協力いただ
    くという趣旨・目的のもの」
と説明し、その上で
    HIV(エイズ)はアスリートをはじめ若者の未来を奪う病気であり、差別や貧困
    も生んでいる。IOC(国際オリンピック委員会)がその撲滅のための啓発活動の
    一環として行っている
と話しました。2004年からは国連とも連携した取り組みになっているという。組織委は
「IOCからは引き続き実施するよう求められている」としたうえで「東京大会においては、
こうした趣旨・目的を踏まえながら、配布方法等について現在検討中です」と話しています
(注3)。

私は、IOCがエイズ撲滅活動を積極的に行っていったことは知りません。ただ、今問題に
なっているのは新型コロナウイルスのまん延防止なのに、なぜ組織委員会が突然、エイズを
持ち出したのか、そしてそのことのばかばかしさに気が付いていないのか、理解できません。

こうした言い訳は官僚が考えるのでしょうが、そうだとすると、官僚の能力に深い失望を感
じます。

そう言えば、当初ははなばなしく宣伝された「聖火リレー」は、今では人々の関心は薄れ、
メディアでもほとんど取り上げません。

ほとんどの県では行動を走らず、どこかの公園や競技場で、ひっそりと点火の儀式が行われ
ているだけです。

聖火リレーが尻つぼみになっている実態は何となく、今回のオリンピックがたどりそうな
「竜頭蛇尾」を象徴しているように思えます。

(注1)2019年11月2日の記事「混乱の東京オリンピック―全ては出発点のウソと無理にあ
    った―」でも、2021年3月23日の『「人類が新型ウイルスに打ち勝った証として」
    “無観客でも”というブラック・ジョーク』を参照されたい。

(注2)『毎日新聞』デジタル版 (2021年5月29日)
    https://mainichi.jp/articles/20210529/k00/00m/040/139000c
(注3)Yahoo ニュース (2021年5月27日)
    https://news.yahoo.co.jp/articles/ba090fe7f9d2cbd65283ad20a3fb9a23687f0f10

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東京五輪の強行―コーツ氏・バッハ氏への拭い難い疑念―

2021-05-24 06:53:59 | 社会
東京五輪の強行―コーツ氏・バッハ氏への拭い難い疑念―

5月19日から3日間にわたってリモートで行われた調整委員会の合同会議の冒頭で国際オリン
ピック委員会(IOC)のバッハ会長は、「IOCはすべての人たちのために安全な形で大会を
運営することに完全に注力している」と宣言しました。

そして「日本の友人の皆さんとともに、私はすべての人にとって安全なオリンピック・パラリ
ンピックを開催するというIOCの完全な決意を、改めて強調することができる。この約束を実
現すべく、われわれはいま開催に全力を注いでいる」とも述べました(注1)。

今朝のテレビ朝日の情報番組で、さらに驚いたことに、バッハさんは、何のためにオリンピッ
クを開催するのか、という質問に、一生に一度の機会でもある「選手のために」開催する、と
答えたというのです。

インド変異株がまん延する危険が指摘されている中、「選手のために」とは冗談ではない、と
言いたいです。(タイムス・オブ・インディア)

また、こういうイベントには、ある程度の犠牲は仕方がない、とも言っているのです。バッハ
さんの頭の中は、日本人の不安や命よりも、もうお金のことしかないようです。

21日に終了した合同会議後、日本組織委の橋本聖子会長と会見を行ったコーツ調整委員長は、
開幕までに緊急事態宣言が解除されない状況でも五輪は開催するのかと問われ「答えはイエス
だ」と明言、「WHOなどから、緊急事態宣言下であってもなくても、十分安全で安心な大会
を開催できると助言を受けている」と理由を示した。

ここで注意しなければならないことは、彼らが「十分安全で安心な大会を開催できる助言を受
けている」という場合、誰の安心・安全なのか、という点です。

確かに、選手に関しては、事前のワクチン接種やホテルでの隔離によって安全は保たれるかも
知れませんが、5万~6万人ともいわれるメディアやスポンサー、政府要人などは隔離されず、
市中に出歩く可能性は十分あります。

彼らが、新たにウイルスを持ち込む可能性もあり、逆に感染する可能性もあります。

いずれにしても、これらの人たちの管理とケアをどうするのか具体的には決まっていません。

コーツ氏はまた、日本国内で開催反対が80%にも高まっている状況に関し、「ワクチン接種
が増えていけば、世論調査の結果も良くなっていくのではないか。もし支持率が改善しなけれ
ば、安全な大会になるようにわれわれの仕事をやるだけだ」との認識を語りました(注2)。

ワクチン接種が増えてゆけば世論調査の結果も良くなってゆく、と言いますが、現状では65
歳以上の高齢者でさえ、7月末までに接種を終えることは難しいのです。

その後で、65才以下の、最もオリンピックに関心があり観客としても参加の可能性がある人
たちへは8月から接種を始めるわけですから、少なくともオリ・パラの期間に大半の日本人が
ワクチン接種を終えて、安全な状況になることはありません。

バッハ会長とコーツ委員長の発言を聞いて、私は非常に憤りを感じました。とりわけ、コーツ
調整委員長が、支持率が改善しなくても、自分たちは開催を推し進める、と言い切っています。
彼の頭の中には日本人のの国民感情には一顧だにせず、無視しているだけでなく、逆なでして
います。

日本人が東京オリ・パラを望んでいようがいまいが関係なく、そんな日本人の心情など考慮に
値しない、自分たちは予定通り開催する、と、まるで植民地の総督にでもなったような傲慢さ
です。

ちなみに、最近の調査ではオリ・パラを積極的に支持しているのは、NHKの調査では5月に
は35%まで下がっています(注3)。

ちょっと待って欲しい。開催地は日本で、日本が緊急事態宣言下にある、ということはコロナ
禍の下で人々は感染を恐れ、大阪では感染しても病院にたどり着けるのは10人に1人にすぎ
ないのです。

つい最近、3月以降の第四波で大阪では5月22日時点で、医療をうけることなく在宅のまま
亡くなった方が19人もいることが発表されました。

すでに感染した人はもちろん、感染していない多くの日本人が感染におびえて、我先にワクチ
ン接種を求めて、予約を取ることさえ大変な状況です。

一言でいえば、日本人の多くが感染の危険におびえ、命の危機に直面している状況で、そして
休むこともできずに懸命に患者の治療に当たっている医療従事者の現状を考えれば、どうして、
「そんなの関係ねー」、と言えるのだろうか?

そもそもIOCは、国連の一部というような国際組織ではなく、れっきとした民間NPOなの
です。それが、日本という国家主権の上に立って、開催するかどうかはIOCだけが権利を持
っている、と主張するのは、規約に書かれているとはいえ、あまりにも傲慢です。

以下は私の個人的な偏見かも知れませんが、私はどうしてもバッハ氏とコーツ氏の言動にある
種の疑念を拭い去ることはできません。

まず、彼らにとっては、何がなんでもオリ・パラを開催することが自分たちの地位と実利を守
ることが最大の目的なのです。

その際、万が一、日本で多くのコロナ感染者が出ようが死者出ようが、それは自分及び自分た
ちの母国には関係ない、という意識がどこかにあるような気がしてならないのです。

バッハ氏はドイツ人ですが、もしドイツが非常事態宣言下にあったら、果たしてオリ・パラを
強引に開催するでしょうか?

私は、ドイツ国民は、何が何でも開催を支持するとは思えないし、政府も国民の意思を無視し
て開催を推し進めることはないでしょう。

そしてコーツ氏はオーストラリア人ですが、オーストラリア国民の多くがオリ・パラに反対し
ていたら、開催を強行するでしょうか?

オーストラリアでは、最近ごく少人数の感染者がでただけでメルボルンにロックダウンを実施
しており、そのような国が非常事態宣言下でも開催を強行するとは考えられないし、国民も政
府も開催を支持しないでしょう。

悪く癇癪すれば、彼らは母国開催ではなく、日本での開催だから、このような態度に出ている
のではないか、という疑念を私はもってしまいます。

万が一、オリンピックの開催後に日本で感染爆発が起きて、多数の死者を出す状況になったら、
バッハ氏もコーツ氏もどう責任を取るのでしょうか?もっとも、そうなっても実際には、責任
といっても取りようがないと思いますが・・・。

現在、日本で進行しているコロナ禍は、まさに人の命に係わる国難といっていい状況です。こ
のような状況下では、オリンピック・パラリンピックは戦争や大災害と同様、中止もやむをえ
ないと考えるのが常識ではないでしょうか。

もう一度、言わせてもらいますが、オリンピックは世界の平和と融和という崇高な理念に基づ
いていることは十分理解しています。

しかし、それでも敢えて言わせてもらえば、オリ・パラはIOCという民間NPOのイベント
なのです。

日本では、菅首相は政権浮揚のためにも、何が何でも開催を強行するつもりのようだし、オリ
ンピック組織委員会も、菅首相の方針と一体化しています。

では開催都市の東京都はどうでしょうか?

もちろん、小池都知事は、開催に向けて最善を尽くす、と言っていますが、本心はどうか分か
りません。

というのも、もし、開催して東京での感染爆発が起きたら、彼女の都知事の地位はいうまでも
なく、政治生命を失いかねないからです。

私は、オリンピック開催期間中は、ほとんど他のことはできず、テレビ画面にかじりついてい
るほどのファンなので、「安心・安全」に行われる条件が整っていれば、是非開催してほしい
と思っています。

ただ、今回だけは、お祭りよりも、命を重視し、開催は慎重にしてほしいと思います。

今や、日本社会の中に開催賛成派と反対派の分断が生じています。そして、かつて原発推進派
の研究者や支持勢力が「原子力村」と呼ばれたように、オリンピック推進派の「オリンピック
村」ともいうべき、政治家や評論家が出現しています。

稿を改めて、彼らの主張に耳を傾けてみたいと思います。


(注1)Yahoo News 5/20(木) 9:32( Reuter)
https://news.yahoo.co.jp/articles/490c78b25fe81c7c72bcca209b496546dfde862a
(注2)Yahoo News 2021年5月22日  https://news.yahoo.co.jp/articles/fadfcbff9a88c1f0b969840e21efbe837ec6a286
(注3)https://news.yahoo.co.jp/byline/suzukiyuji/20210512-00237573/ 



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何か変だぞペットブーム―コロナ禍とペットの関係―

2021-05-16 22:08:03 | 社会
何か変だぞペットブーム―コロナ禍とペットの関係―

最近のペットブームは、どこか違和感があります。

横浜市戸塚区で、体長3.5メートルもあるアミメニシキヘビがカギの外れたケージから
逃げ出し、連日の捕り物にも関わらず、未だに捕獲されていません。

付近の住民にとっては安心して生活できない状況に置かれています。

私たちが驚いたのは、こんなに大きなヘビが個人の家(というよりアパートの部屋)で飼
われていたことです。

このように大きな動物をペットとして飼うこと自体は今に始まったことではありません。
ワニやオオトカゲを飼っている人はこれまでもいました。

ただ、こうした“危険”な動物は、めったに一般の目に触れることがないだけです。

しかし、今回のニシキヘビ“脱走事件”は、コロナ禍で不要な外出を控えるステイホームの
状況下で、突如、近隣住民の日常生活の中に這い出して“野生”の迫力、恐怖を呼び起こし
ました。

人間からすると“脱走”なのですが、狭い空間に閉じ込められていたニシキヘビにとっては
ごく自然な動きです。

人は、手も足もなく、音もなく動くヘビに対して本能的な恐怖を感じる傾向があるようで
す。今回のニシキヘビは見た目にも、恐怖を掻き立てますが、他方、目に見えない超ミク
ロのウイルスにも私たちはおびえています。

一方で巨大なニシキヘビの姿と目に見えないウイルスに恐怖し、他方でステイホームを求
められる人間と、これまで強制的にステイ・ホームさせられてきたニシキへビが自由に動
き回る、という二重の対称的組合わせが実に皮肉な構図です。

ところで、今回のニシキヘビ脱走事件は、改めて私たちの生活に入り込んでいるペットと
いう存在の意味を考えさせました。

これまでペットといえばイヌとネコが代表ですが、最近のテレビなどでは、番組の始まり
の部分でイヌやネコの愛くるしい姿や動きの映像がよく使われていますし、イヌとネコを
特集した番組もあります。

確かに、多くの子犬や子猫の純粋で好奇心に満ちた目は無条件で可愛いし、見ているだけ
で癒されます。

ところが、私は最近のペット事情を知って驚きました。

昔は、犬や猫を飼うという場合、子供が近くで捨てられた子犬や子猫を家に連れ帰ってし
まい、親に頼み込んで飼わせてもらうか、どこかの家で何匹も産まれた子犬や子猫を貰っ
てくる、という形が普通でした。

あるいは、野良犬や野良猫がいつの間にか居ついてしまった例も珍しくありませんでした。

しかし、今は、こんな牧歌的な状況はほとんどあり得ません。今、ペットは「買うもの」
となっています。

しかもペットの値段が驚くほど高騰しているのだそうです。以下に『東京新聞』(2021
年5月16日)の記事を参考に最近の異常なペット事情を見てみましょう。

記者がペットショップを訪れて見た生後3か月のチワワは40万円の値がついており、
人気のトイプードルは80万円を超えていました。

猫も高く、垂れた耳が可愛いらしいスコティッシュフォールドが50万円、人懐っこい
とされるアメリカンショートヘアは約40万円だったという。

ペットショップの店員によれば「二十万円で犬や猫を買える時代はかなり昔に終わりま
した。ペット人気が長年続く間、値段も上がり続けています」という状況だそうです。

ペット流通協会の会長によれば、20年前に3万円ほどだったのが今は10倍の30万
円になっている。

値上がりの最大の要因は取引数の減少で、国の基準が変更され一定数以上の繁殖には届
け出が必要になり、素人が繁殖させられなくなったからだという。

加えて、動物愛護法が2019年に改正され、その柱の一つが飼育数上限の新設でした。
環境省は昨年7月に飼育数上限案を示しました。それによれば繁殖業者の場合、従業員
1人当たり犬の飼育は15匹、猫は25匹まで、販売業者の場合は1人当たり犬20匹、
猫30匹を上限としています。

しかし、これには業界の反対が強く、昨年の12月には繁殖業者の場合犬の上限は25
匹、猫25匹、販売業者の場合、犬30匹、猫40匹でスタートすることになりました。

しかし、繁殖数の上限が決められ、今後さらに減らされる可能性を見越して値段がさら
に上昇するという悪循環が生じているようです。

こうした事情に加えて、コロナ禍のため家で過ごす時間が増え、ペットを飼おうとする
人が増えました。

社団法人ペットフード協会の推計によると昨年(2020年)10月時点で新たに飼わ
れた犬は5万8000匹、猫は6万7000匹増え、過去5年間で最も多かった。

私が驚いたのは、中には100万円を超える例もあったそうで、そんな値段でも店頭に
出したその日に買い手がつくことは珍しくないそうです。こうした高額のペットを購入
するほぼすべての客がローンを組むのが実態だという。

ペットをローンを組んでまで買う、というのは、私の感覚では尋常ではありません。

それでは、こんな高額な値段で買ったペットは、大切に飼われているかというと、飼育
放棄も相変わらず多い。

環境省によれば、自治体の動物愛護センターが引き取った飼い犬や飼い猫は2019年
度の1年間で1万4000匹も達しました。

芦屋市の公益座師団法人「どうぶつ基金」理事長は、「高額のペットを買うのは経済的
に余裕がある人で、『旅行や飲食などでお金を使う機会が減った』『浮いたお金でペッ
トでも』」と飼い始めたように思う、とコメントしています。

上記記者が書いているように、コロナで家にいる時間が増えたからペットを飼い始めた
人が、コロナ後に、今度は仕事が忙しくなり、ペットと過ごす時間がない、と飼育放棄
するようになることが心配だ、とコメントしています。

最近のペットは、子ども時から飼えば10年、15年と生きます。それまで、責任をも
って飼い続ける覚悟がなければ、やはりペットを飼うべきではないと思います。

私の知り合いの年配のご夫婦は最近子犬を飼い始めましたが、事前に自分たちが死んだ
ら息子さん夫婦が引き取って育てる、との確約を取っておいたそうです。

さて、以上に書いたように、現在のペットの高騰の背景には法律的な変更に加えて、コ
ロナ禍でのペットブームという特殊事情があったことは間違いありません。

しかし、ペットの価格上昇は過去20年間くらいの傾向だという前出のペット流通協会
会長の言葉を信ずるなら、コロナによる影響とは別の要因があると背景もあったと考え
るべきでしょう。

私は以前、このブログで「当世ペット考」と題して2019年5月26日(1)、6月
24日(2)、7月3日(3)と3回にわたってペットの問題について書きました。

当時はすでにペットブームは始まっており、その背景として、人びとがペットに「癒し」
と求めるようになっていったことを強調しました。

確かに、それは間違いではないし、今でも人がペットを飼うのは「癒し」を求めている
からです。

問題は、なぜ、人は家族や友人、知人、あるいは趣味ではなくペットに癒しを求めるよ
うになっていったのか、という点です。

これにたいする確実な根拠があるわけではありませんが、私は長期的趨勢として、日本
社会の変質があると思います。

具体的には、地域社会が崩壊したこと、家族関係が以前のように無条件で安らぎを与え
てくれる場ではなくなったこと、そして社会的には貧富の格差が拡大しつつあること、
これらの要因は、全体として人と人との関係性が薄くなっている方向に私たちを追いや
っているような気がします(注1)。

その分を、ペットで埋めようとしてきたのではないか、もっとはっきり言えば、人が精
神的な安定のために、ますますペットに依存するようになってきているのsと思います。

一つの象徴的な例を紹介しましょう。私のゼミ生から聞いた話が非常に象徴的でした。

その学生によると、飼っていた犬が死んでしまったことから、家族がバラバラになって
しまったという。その学生によると、今まで家族を結び付けていたのは、実は犬だった
ということに気が付いたというのです。

これはちょっと極端な例かも知れませんが、私には、今の日本人の生活で、ペットはも
うなくてはならない存在、家族の一員になっているのかもしれません。

(注1)筆者は、この問題については『関係性喪失の時代―壊れてゆく日本と世界―』
(勉誠出版、2005)でくわしく論じている

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「ぼったくり男爵」トーマス・バッハIOC会長の野心と傲慢

2021-05-09 09:54:39 | 社会
「ぼったくり男爵」トーマス・バッハIOC会長の野心と傲慢

この夏に行われている東京オリンピック・パラリンピックに対しては、内外から逆風がふいています。

その発端の一つは国際オリンピック委員会(IOC)会長のトーマス・バッハ氏の、無神経で傲慢な発
言です。

たとえば「緊急事態宣言は五輪と無関係」というバッハ氏の発言は日本では多くの反感を呼びました。

というのも、日本および東京で緊急事態宣言が出されるほどと事態が深刻になり、重症者や死者が出
るようになっても、オリンピックは決行する、という本音がつい出てしまったことを多くの日本人が
感じ取ってしまったからです。

バッハ氏にとっては、とにかくオリンピックを実際に開催されることが彼の地位と業績を積み上げる
ために絶対に必要だからです。

この数日後、橋本聖子オリ・パラ組織委員会会長、小池東京都知事、丸川オリ・パラ担当大臣、バッ
ハIOC会長、パーソンズ国際パラリンピック委員会(IPC)会長の五者会談(リモート)では、さす
がに、不用意に“本音”を漏らすことはありませんでした。

その代わり、
    われわれは日本国政府の決定、都が要請された緊急事態宣言を尊重している。日本の国を守
    ろうという勤勉な精神を非常に称賛している。五輪コミュニティーは日本とともに歩んでい
    る。日本国民とともに歩み、思いを寄せている。
    日本の社会は連帯感をもってしなやかに対応している。大きな称賛をもっている。精神的な
    粘り強さ。へこたれない精神をもっている。それは歴史が証明している。逆境を乗り越えて
    きている。五輪も乗り越えることが可能だ。献身的な努力で未曽有のチャレンジをしている。
    ・・・・リスクを最小化し、日本国民に安心してもらえる五輪になる。
と、日本人の「勤勉な精神」、「精神的な粘り強さ」、「へこたれない精神」と、今度は短いスピー
チの中で3回も日本人の「精神」を持ち上げました。(注1)

コロナのまん延による緊急事態は、精神論で克服することはできません。ここまで露骨に日本人の精
神性を褒めたたえるのは、コロナ禍から話題をそらせて、ただただオリンピックを開催したいからで
しょう。

ここに、バッハ氏の節操のなさが余すところなく表れています。

もし今回、オリ・パラを中止すれば、IOCとIPC収入の大半を占める放映権料をはじめ、多くの協賛
金をもらえなくなる。バッハ氏にとっては、金こそが全てで、自らの死活にかかわることなのです。

何がなんでもオリ・パラを開催することにこだわっている、という点では日本の菅首相も同様ですが、
菅首相は、オリ・パラの開催を政権浮揚に利用しようとしています。

ところで、日本ではバッハ氏の影響力はかなり強いように思われていますが、海外では彼の金にたい
する執着と野心にたいする悪評は折り紙付きなのです。

しかも、バッハ氏はノーベル平和賞の受賞という野心をもっている、との噂が絶えません(注2)

また、最近では日本のテレビなどでも紹介された『ワシントン・ポスト紙』(2021年5月5日)の
「日本は損失をカットし、どこかほかにオリンピックの略奪場所を見つけるようIOCと話し合うべき
だ」というタイトのサリー・ジェンキンス氏の入りコラムを掲載しました(注3)。

このコラムでジェンキンス氏は、バッハ氏を「ぼったくり男爵」と呼んで、痛烈に批判しています。
「ぼったくり男爵」の原語は Baron Von Ripper-off で、Baron は男爵、Von はドイツの貴族の家柄
を示すタイトル、Ripp-off は「搾取」「詐取」の意味で、Ripp-erは、「そのような人」となります。
日本のメディアでは「ぼったくり」と訳しています。

このコラムは次のように書いています(以下は私の仮訳です)。
    「ぼったくり男爵」とその取り巻き偽善者たちは、国際オリンピック委員会において日本を
    彼らの踏み台とすることを決定した。・・・・・・
    もし、夏の東京大会が日本の脅威となったなら、日本のリーダーたちは、略奪するどこか他
    の領地(duchy)を探すようIOCに伝えるべきだ。
    このパンデミック(世界的大流行)の中で国際的メガイベントを開催するのは非合理的。    
    中止は大変かもしれないが、救い(cure)にもなる。

ここで「略奪するどこか他の領地」の原文は another duchy to plunder となっており、plunder と
いう、戦争あるいは豪雨等の襲撃などで暴力的に他人の領土や家に押し入って奪い取る(略奪する)
という、かなりきつい言葉です。これを「食い物にする」と訳している新聞もありますが、原文の表
現は、もっと強烈な意味を伝えています。

批判はさらに続きます。「ぼったくり男爵」とその取り巻きは、「旅行中に小麦を食べ尽くすどこか
の王族のように、ホスト(オリンピック主催地や主催国)を「麻痺させるような借金で」「破滅させ
てしまう悪癖がある」「五輪開催は常に不合理な金額の出費がかかり、そのため不合理な決定をする」、
さらにオックスフォード大学が9月に出した報告を引用して、「IOCは一貫してホスト国が負うリ
スクとコストに関して“欺いて”きた」というも批判しています。

IOCは収益を得るための施設建設やイベント開催を義務付け「収益のほとんどを自分たちのものにし、
費用は全て開催国に押し付けている」と強調した。

ここで「麻痺させるような」の原文は crippling で、もともとは手足など身体の自由が利かなくなる」
というほどの意味で、この文脈では日本経済が破綻するような、というニュアンスを伝えています。

日本はすでに巨額の資金をオリンピックに投ずることになっており(注4)、新型コロナウイルス感
染拡大下のバブル開催で1万5000人以上の訪問者を受け入れ、防疫や大規模な物流と運用コスト
提供にさらにコストがかかることなどを指摘したうえで、今すぐ損失をカットすべく開始を中止すべ
きだと言及しています。 

コロナとの関連で言えば、日本ではまだ国民の2%以下のワクチン接種率であること、政府やオリン
ピック組織委員化は開催中に1万人の医療スタッフを動員しようとしており、それに対する医療側か
らの猛反発が巻き起こっていることを指摘している。

こうした状況の中で、次のように問いかけています。

    このパンデミックの最中に、15000人もの外国人選手と関係役員を持てなすことに国民
    の72%が反対ないしは消極的であるというのに、はっきり言って、IOCは一体どのような
    立場で、オリンピックを開催に向けてすすめなければならないと、威圧的に主張するのか?

『ワシントン・ポスト』というアメリカのメジャーな新聞が、国際オリンピック委員会の会長をここ
まで、こき下ろすのは、よほどバッハ氏に強い嫌悪感を持っているからでしょう。

五輪に否定的な報道は米国で相次いでおり、ニューヨーク・タイムズ紙は4月、コロナ禍の五輪開催
は最悪のタイミングで「一大感染イベント」になる可能性があると指摘。サンフランシスコ・クロニ
クル紙は5月3日、世界で新型コロナの影響が長期化する中、東京五輪は「開催されるべきではない」
との記事を掲載しました(注5)。

また、イギリスの高級紙『ガーディアン』(2021年4月12日)は、このコロナ・パンデミックの中
で看護師協会に500人のボランディアを派遣するよう要請したことに対する森田会長の「私は、患
者と看護師の健康と命を危険にさらしてまでオリンピックを開催しようとしていることに激怒してい
る」、また、名護市の看護師の「怒りを感じるだけでなく(要求)の鈍感さに驚いた。それは人間の
生命がいかに軽視されているかを示している」という言葉を引用しています。

そして尾崎東京都医師会会長の、オリンピック開催は「極めて難しい」とのコメントも付け加えてい
ます(注6)。

ここでは直接に中止を呼び掛けているわけではありませんが、間接的にはやはり開催に否定的です。
その後、同紙(2021年5月3日)は「このショー(オリンピック)は進めなければならないのか?」
というタイトルの社説を掲げて、オリンピックの開催に疑問を投げかけています(注7)

ところで、政府は5月8日、東京など大都市への緊急事態宣言を5月末まで延長することを決定しま
した。バッハ会長は17日に来日の予定でしたから、当然、緊急事態宣言下の訪日ということになり
ます。

橋本オリ・パラ組織委員会会長は、もし受け入れれば国民からの非難は必至で、来て欲しくないとい
うのが本音でしょう。このため、8日の会見では、バッハ会長の訪日は難しくなった、との見解を示
してしめしています。

「緊急事態宣言と五輪は無関係」と言った手前、バッハ会長はどうするのでしょうか?

(注1)『デイリー』(2021年4月28日) Yahoo ニュース経由   https://news.yahoo.co.jp/articles/549c40bc4f5b2c650906ed3db6ca7b79d36ac670
(注2)『J-cast』 (2021年4月30日)
  https://www.j-cast.com/kaisha/2021/04/30410757.html?p=all
(注3)Wasihngton Post (May 5,2021)
https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic- contract/
(注4)日本側の投資についていて言えば、本来“コンパクト五輪”のはずだった東京五輪の予算があっというまに膨れ上がり、さらにコロナ禍が追い打ちをかけて、当初の6倍に上る1兆7000億円が見積もられている。
(注5)『産経新聞』デジタル(2021年5月6日)
https://www.sankei.com/tokyo2020/news/210506/tko2105060002-n1.html
(注6)The Guardian (3April 2021.08/07)
   https://www.theguardian.com/sport/2021/may/03/japan-nurses-voice-anger-at-call-to-volunteer-for-tokyo-olympics-amid-covid-crisis
『東京スポーツWeb』(2021年5月3日)
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3112722/
(注7)The Guardian (3May 2021 08 07) https://www.theguardian.com/commentisfree/2021/apr/12/the-guardian-view-on-the-tokyo-olympics-must-the-show-go-on


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オンライン授業について―個人的感想―

2021-05-02 21:20:20 | 社会
オンライン授業について―個人的感想―

昨年の3月、大学から、新型コロナ禍のため、本年度の私の授業はオンラインでお
願いします、という連絡がきました。

私の授業は9月末から始まる秋学期に行われることになっていたので、当時はまだ、
ひょっとしたら夏にコロナ禍も収まり、対面で行われるのではないか、というかす
かな希望がありました。

しかし、コロナのまん延は夏に向かって収まるどころか、ますます拡大してゆき、
ついに、秋からの授業がオンラインになることは決定的になりました。

オンライン授業をどのように行うのかについて大学もほとんどの教師は経験がな
かったので、当初は大混乱でした。

とりわけ、4月から始まった春学期は、大学はシステムの構築に大わらわで、教師
は新たなシステムの使い方を試行錯誤しながら講義を行ったようです。

そんな経験の蓄積があったため、秋学期には大学も教師もかなりの程度問題を解決
して使いこなせるようになっていました。

以下に、私自身の経験や個人的な感想も含めて、オンライン授業について書いてみ
たいと思います。

まず授業を行う教師の立場からすると、授業の度に電車で大学に足を運ぶ必要がな
いので、身体は楽で、コロナへの感染リスクをさけることができるというメリット
は確かにあります。これはある程度、学生にとっても同じことがいえるでしょう。

その反面、講義の進め方には相当の工夫が必要だと思いました。まず、講義の全体
が分かるように、私は、自作の簡易テキスト「講義ノート」を4月くらいから準備
して作成し、受講生が予め「講義ノート」を自分のパソコンに取り込んで(プリン
トもでき)、予習も復習も、いつでも読むことができるようにしました。

次に、私の場合、文化の問題を扱うので、授業では動画や写真などの映像資料、さ
らには音楽などの教材を多用します。

最初のうち、動画教材のうち音声が消えてしまうなどのトラブルはありましたが、
全体を通して何とかこれらの教材を組み込んだ授業ができたと思います。

しかし、これはあくまでも私から見た一方的な感想で、学生が満足していたかどう
かは分かりません。

なお、インターネットのアプリ(Teams)を通じた講義で、受講生は全員がカメラを
オフにしているので、顔は見えず、反応を見ることもできません。

このため、私はただただ、名前だけが表示されている自分のパソコンの暗い画面に
向かって話すことになります。これは、結構、虚しさをかんじました。

ただ、少しでも受講生とのコミュニケーションをはかり、同時に反応を知るために、
私はできる限り双方向通信機能を利用して質疑応答を行いました。

私は、時間割に設定された時間でのリアルタイム授業をしていましたので、受講生
はその時間に、パソコンの前で授業を聞く必要があります。

これに対して、予め録画してある講義を、学生が好きな時に呼び出して講義を聞く、
というオンデマンド方式を採用していた先生もいました。

この場合、学生を特定の時間に拘束しないで、空いた時間に講義を聞けるという良
さがある反面、講義の臨場感も緊張感もないので、私はこれを採用しませんでした。

私が半年のオンライン授業を終えて最も強く感じたのは、インターネットを通じて
かなりのことは伝えられるが、その反面、教室の対面授業では、同じ時間に同じ空
間で同じ空気を共有している教師と学生によって、ごく自然に形成される「場」の
雰囲気が、リモートの場合には存在しないことです。

私は、文字や映像資料では伝えられないこの「場」こそ、教育においてとても重要
な要素だと考えており、この点、オンライン授業に一種の物足りなさを感じました。

具体的には、教師から見て受講生のちょっとした反応、どんな服装で、教室全体に
どんな空気がながれているか、また学生から見て、教師の話す息遣いから、教壇を
歩きながら講義をしている様子や服装にいたるまで教師が醸し出す雰囲気が「場」
をつくりあげているのです。

一方、オンライン授業では受講している学生同士の触れ合いがないことも大きな
「欠落」です。

もちろん、新型コロナがまん延している日本の現状を考えれば、オンライン授業は
仕方がありませんが、あくまでもこれは「次善の策」であるとの印象を持ちました。

以上は私の個人的な感想ですが、もう少し視野を広げてみると、教育の未来に関し
て少し心配な面があります。

たとえば、以前、一部の塾で「サテライト授業」のような形で、講師がカメラの前
で講義を行い受講生がモニターを通して聴くという形式が活用されていましたが、
今はそれもなく、講義を録画したDVDを受講生に買ってもらい、都合の良い時に見
て学習するという方式が一部で採用されています。

これは、塾だからまた仕方ないとして、普通の公教育の現場としての学校の授業で
はありえないし、あって欲しくありません。

しかし、ひょっとすると公教育の場でもオンライン授業は今よりもっと普及するか
もしれません。

以下に、オンライン授業を受けた大学生が何を感じているのか、ある組織がおこな
ったアンケートから彼らの声の一部を引用してみます(注1)。

まず、オンライン授業ばかりで、何のために大学に通っていたのか分からなくなっ
たし、改めて大学の授業は楽しくないと感じた、このまま大学に通うことが正解な
のか何度も考えさせられた、という奈良県の大学2年生(男性)の声です。

これは程度の差はあっても、かなり多くの学生が感じた率直な意見のようです。

同様に、よく聞かれる声は、地方から上京してきたのに授業がオンラインになって
しまい、友達も作れず、ひたすら授業をこなすだけで何のために大学に授業料を払
っているのか分からなくなってしまい退学も考えた(東京都 大学2年生 男性)、
というかなり深刻な声もあります。

まさに、キャンパス・ライフなき大学生活に対する嘆きが聞こえてきます。オンラ
イン授業によって失われたことも多いけれど、それを少しでポジティブにとらえよ
うとする学生もいます。

授業が全てオンラインになってしまったうえ、大学では他県からの友達、サークル
仲間との出会いの機会が失われ、また留学に胸を膨らませて入学したのに、これら
全が失われてしまった。

しかし、将来を考える良い時間になったとも考えている。そんな中で。プログラミ
ングのプロジェクトに出会いことができ、これを良い変化につなげていきたいと思
う(福岡県 大学2年生 女子)。

オンライン授業は、学生の心身の健康にも影響を与えているようです。

ある学生は、オンライン授業で、家に一日中閉じこもってパソコンの画面に向き合
う生活となり、授業に集中できないばかりでなく、腰痛に悩むようになったそうで
す。また、オンラインで授業中に出た疑問もすぐに質問できないため不安が増えた、
といいます(宮崎県 大学3年生 男性)。

それでは対面授業を受けた学生にとって不満はなかったのかというと、必ずしもそ
うではありません。

大学生活では常にマスク着用で、食事中も距離を空け、周囲の人とコミュニケーシ
ョンをとる機会が減った。教室でも距離を空けて座るため、人との距離との対話は
限られる(京都府 大学4年生)。

ここでもやはりコロナ禍は大学生に大きな負荷をかけていることが分かります。

オンライン授業とは直接関係ありませんが、このコロナ禍が大学生の生活全般、
さらには将来設計にも大きな影響を与えていることは間違いありません。

大学としても社会としても、将来を担う大学生にコロナ禍の下でどのように希望を
与えてゆくかを真剣に考える必要があると思います。

ちなみにアメリカでは、コロナのまん延が最も激しかったころ、学校はほぼオンラ
インに切り替えられました。そのころマイクロソフトやグーグルは教育用アプリを
開発し、大々的にテストする機会を得ました。

いわゆる「スクリーン・ディール」と言われるもので、「スクリーン」とはパソコ
ンの画面を指し、公教育をも含めた教育を新たな産業としてIT大手が取り込むこ
とを意味しています。いかにも資本主義の総本山、アメリカ的な動きです。

アメリカでは授業料が払えない階層の子弟は、オンライン授業だけで大学卒業資格
を得て、高い授業料を払える富裕層の子弟は、これまでどおり対面授業を中心とし
た大学教育を受けることができるという、経済的格差が教育面での格差につながる
方向にむかいつつあるようです。

私は、日本がこのような方向に向かわないことを願っています。

(注1)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000049664.html

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