大木昌の雑記帳

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出入国管理法改正案の問題―ただ低賃金労働力を求める産業界―

2018-11-25 21:21:28 | 社会
出入国管理法改正案―ただ低賃金労働力を求める産業界―

政府は11月2日、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法案改正案を閣議決定し、
これを受けて21日、衆議院法務委員会で実質審議入りしました。

この改正案の趣旨を山下貴司法相は2日の閣議後の記者会見で、「人手不足が深刻で、今回の
法改正は重要かつ急務だ。成立に向け丁寧にご説明したい」と述べました。

つまり、企業は人手不足で困っているから何とか外国人労働者を、それも外国人労働者一般
ではなく、低賃金の労働力(労働者ではなく)をもっと大量に受け入れられるよう法律改正を
して欲しい、という産業界からの要請を受けたものです。

念のため、法案の骨子を確認しておきましょう。法案は、来年の4月から、外国人労働者に
対する新たな在留資格を与えるというもので、「特定技能1号」と「特定技能2号」の二つ
に分かれます。

「特定技能1号」とは、「相当程度の知識または経験を要する技能」を持つ外国人に就労可
能な「特定技能1号」を与える。最長5年の技能実習を修了するか、技能と日本語能力の試験
に合格すれば資格を得られる。在留期間は通算5年で、家族の帯同は認めない。

「特定技能2号」とは、さらに高度な試験に合格し、熟練した技能を持つ人に与えられる在
留資格で、1~3年ごとに更新が可能で、更新回数に制限はない。配偶者や子どもなどの家族
の帯同も認める。更新時の審査を通過すれば長期の就労も可能となる。さらに10年の滞在で
永住権の取得要件の一つを満たし、将来の永住にも道が開ける。

しかし、初年度には、熟練した技能を持つ志願者が集まらないとみられ、政府は、数年間、
「特定技能2号」の受け入れを行わない見通しで、初年度は受け入れる見込みはなく、さら
に数年間は技能試験も行わないという(注1)

結局、この法案は、実質的に「特定技能1号」労働者だけを目的としていると言える。

それでは「特定技能1号」ではどのような業種・分野に適用されるのでしょうか?

建て前としては、受け入れは生産性向上や女性、高齢者など日本人の労働者を確保する努力
をしても人材が足りない分野に限定し、具体的には介護、ビルクリーニング、素形材産業、
電気・電子機器関連産業、建設、造船・船用工業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、
飲食料品製造、外食、の14業種としています。

なし崩し的な受け入れを防ぐため、人材が確保されれば受け入れを停止する措置を盛り込、
み、景気の悪化も想定し、国内の働き手を前提とした補助的な受け入れにとどめる、とし
ています。

さらに、待遇については、受け入れ先機関は日本人と同等以上の報酬を支払うなど、雇用契
約で一定の基準を満たす必要があるとわれ、直接雇用を原則とします。

生活や仕事の支援計画を作り、日本社会になじめるよう後押しする。政府は日本語教育など
環境整備の具体策を盛る「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策(仮称)」を年
内にまとめる予定です。

以上は全て、政府の建て前で、しかも具体的な内容についてはこれから考える、という、中
身が詰まっていない、法案としては不完全なものです。

政府で労働者の受け入れ拡大を経済財政諮問会議で検討し始めたのが、今年2月20日でした。
そして4か月後の6月15日には、この拡大方針は「2018骨太方針」に盛り込まれました。

高橋洋一氏も言うように、この種の法改正を行う場合、通常1〜2年をかけて検討するが、受
け入れ拡大が「2018骨太方針」に盛り込まれたのは4ヵ月後の6月15日と、超ハイスピードだ
ったのです。

しかも、専門家が十分に検討した形跡がない。実務を行った外国人材の受け入れ・共生のた
めの総合的対応策検討会のメンバーは官僚ばかりです(注2)。

つまり、外国人労働者がどのような問題を抱え、彼らを受け入れた地域でどのような問題が
生じているか、などについての実態を知らない官僚が机上のプランとして描いた絵にすぎな
い、という状況です。

次に、安倍首相は今回の法改正は決して「移民政策」ではない、と繰り返し否定しています
が、「特定技能2号」として10年働けば将来的に移民への道を開いています。

安倍政権になって、外国人労働者70万人から130万人へ60万人も激増しています。そ
の内訳をみると、30万人は「留学生アルバイト」という、実質的な「労働者」と、25万
人が「技能実習生」という、これもまた、実質的な低賃金労働者でした。

今度法改正では、上記の「特定技能1号」と「特定技能2」というカテゴリーをつくって彼
らに「在留資格」を与える、というものです。

政府の予測では、今後5年間で130~150万人の労働者が不足するとみられ、そのため
に34~35万人を受け入れる「見込み」のようです。

そして来年度は60万人の労働力不足が見込まれ、最大で4万7000人を受け入れること
を予定しています。

しかし、国会答弁において、法務大臣は、人数についてはあくまでも「目安」であり、これ
まで挙げた人数が絶対的な上限というわけではないことを強調しています。

ということは、産業界の要請があればさらに増やす可能性がることを言外に語っているので
す。

いずれにしても、政府はさまざまな名目を付けて外国印労働者を受け入れる報告であること
は間違いありませんが、問題は山済みです。

まず、人数的に大部分を占める「特定技能1号」の場合、5年間の「在留資格」を与えられ
ますが、家族の帯同は認められていません。これは、人権問題で、家族がいる人たちにとっ
ては非常に大きな壁です。

次に、現在の法案では、3か月以上滞在して労働すれば、その外国人に、日本人と同じ「国
民健康保険」を発給するとしていますが、そのための医療費に充てる予算が組まれていませ
ん。これは将来、大きな問題になるでしょう。

しかも、11月26日の国会において安倍首相は、今回の措置は「相当程度の知識または経
験を要する技能」を有する外国人を受け入れるものであって、単純労働者の受け入れにはな
らない、と答弁しています。

しかし、「相当程度の知識または経験を要する技能」をどのように判定するのかは未定であ
るというのです。

実態は、農魚、サービス業、建設現場、工場での単純作業、ビルクリーニングなど、それほ
ど技能と経験を必要としない単純労働分野での労働力の受け入れになることは間違いないで
しょう。

さらに、現在は、外国人労働の受け入れに民間の仲介者が介入して、中間搾取が横行してい
ますが、果たして彼らを排して、受け入れの際、国家が厳格に管理しえるかどうか、いまの
ところしっかりとして制度的な裏付けがありません。

建て前として、「待遇については、受け入れ先機関は日本人と同等以上の報酬を支払うなど、
雇用契約で一定の基準を満たす必要があると」していますが、これまでの事態をみると、こ
れはかなり、疑わしいと思われます。

というのも、企業が求めているのは「労働者」ではなく、「安い労働力」だからです。

現在、政府が想定しているのは、受け入れ枠の半分ほどを、技能実習生を横滑りさせて「特
定技能1号」とすることを想定しています。

しかし、その実態に関して、政府が国会に提出したデータがめちゃくちゃで、捏造といわれ
ても仕方ないほどひどいものです。

11月21日に行われた衆議院法務委員会で、このいい加減さが明らかになりました。すな
わち、昨年だけで技能実習生の失踪は7000件を超えているのです。

政府は、居場所が確認できた2870人から聞き取り調査をした結果、「より高い賃金を求
めた失踪」が87%だったと説明しました。つまり自主的な職場放棄というニュアンスです。

しかし、野党側がその調査結果を精査したところ、失踪者の80%は低賃金以下で働かされ
ていたことが明らかになりました。

野党の指摘を受けて山下法相は、「より高い賃金を求めた失踪」は87%ではなく67%で
あったと訂正しましたが、これでもまだ高すぎます。

そこで法相は「契約賃金以下」「最低賃金以下」に「不満を持ち」という文言を追加したの
ですが、この追加の文言もひどいものでした。

実態をみると、失踪した人たちは、信じられないような低賃金(時給100円台から600
円台以下)が大部分を占めています。(グラフ参照)

          失踪した技能自習性の理由となった低賃金
       
 
         『東京新聞』(2018年11月22日)     


立憲民主党の山尾議員は、「(最低賃金の保証という)正当な権利を主張しているのに、な
ぜ『不満』という表現を使うのか」と批判していますが、全く同感です。

政府の姿勢には、アジア諸国の人びとに「日本で働かせてやる」という意識が露骨に表れて
います。

しかし今や、中国やフィリピンの場合、日本との賃金格差がもはや非常に小さくなり、かつ
て賃金格差が非常に大きかったベトナム、ネパールなども急速に格差が小さくなっています。

家族を帯同できないこと、賃金が必ずしも良くないこと、さらに、アジア系の労働者にたい
する日本企業の扱いがひどい、など、日本の実情にたいする評判が急速に落ちています。

加えて、アジア系の労働者を受け入れようとしている国は、日本だけではありません。

「韓国や台湾の企業もベトナムの労働者を求めており、これらの国と獲得競争がはじまって
いる」のが実情です。

もう、呼べば来てくれるという状況がこれからも続く保証はないのです(『東京新聞』2018
年11月22日)。

今のままで、日本はアジアの人びとから見捨てられる可能性もあるのです。

以上のように制度的・法律的不完全な法案が、だれが見ても根拠のないデータに基づきな
がら、政府は来年の4月の導入のため、12月中には国会での通過を強行しようとしてい
ます。

これは、現政権が何回も繰り返してきた、どんな無理な法案でも、数の力で押し通してし
まう手法です。

(注1)FNN PRIME 2018年11月20日 火曜午後0:21
     https://www.fnn.jp/posts/00405885CX
(注2)DIANOND ONLINE 2018.11.15
  https://diamond.jp/articles/-/185535?page=1





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たねは誰のものか:「たねの危機」は「農業の危機」(2)―日本の農と食の安全は大丈夫?―誰

2018-11-18 06:48:36 | 食と農
たねはだれのものか:「たねの危機」は「農業の危機」(2)―日本の農と食の安全は大丈夫?―

前回は、近年、インドの農業で起こっている悲惨な現状を、インド人の女性活動家、ヴァンダナ・
シヴァさんの論文を通じて紹介しました。

しかし、問題はインドだけではありません。実は、日本においても、食と農の分野で深刻な問題で
起こっています。

一つは、農業の基礎である「たね」の危機継承が農家の手から次第に外国の巨大の種子会社の手に
移りつつあることです。二つは、たねの問題と関係しているのですが、遺伝子組換え食品が浸透す
る危険性。三つは、農薬の使用の増加がもたらす健康被害です。

これら三つの問題のうち、今回は「たね」に焦点を当てようと思います。

言うまでもありませんが、たねがなければ食物は生産できません。この意味で、たねは農業の基盤
であり、農業にとって最も重要な資源です。

ところが、日本では今、たねが危機に瀕しています。それも、多くの国民が知らないうちにひっそ
りと、しかし、後戻りできない形で進行しています。

日本に限らず、人類は長い歴史を経て、野性の植物に改良を加えて、乾燥に強い、寒さに強い、そ
して収量が多い食物を作り上げてきました。

その方法には、たとえば、冷害の年、あるいは雨が少なかった年でも良く実が付いた稲の株を選別
し、そこから採った「たね」を翌年の栽培に使う、という方法があります。

さらには平常の年でも、とりわけ実が大きくたくさん付いた株を選別してその種を翌年から播く方
法もあります。

これらは、個人個人の栽培者が自然界の中からその土地に適したたねを選別する方法でした。

また、個人の努力によってできた「たね」を農民同士で交換し合うことも、ずっとおこなわれてき
ました。

自然界での選別であれ、農民同士のたねの交換であれ、その背後には、「たね」は人類共有の財産
(コモンズ)であり、特定個人のものではない、という素朴な、それだけにごく当たり前の観念に
基づいています。

近代に入り、育種学が発達すると、品種改良のためにさまざまな実験が行われてきました。中でも、
同種の作物の異なる品種を掛け合わせて新た品種を作ることが広まりました。こうした試みは、農
民個人というより、日本でいえば農林試験場のような公共施設が行われてきました。

以上のような形での品種改良と、近年、盛んに報じられている「遺伝子組換え」とは根本的に異な
ります。

今回は触れませんが、遺伝子組換えとは、人工的に他の生命体の遺伝子(時には植物に動物系の遺
伝子)を組み込んでしまう方法です。


「遺伝子組換え生物の規制に関するカルタヘナ議定書締約国会議」(生物多様性条約締約国会議の
一部)では、遺伝子組換え植物を「生命操作生物」、つまり、「生命」そのものを操作して出来上
がった、「異体」とみなしています。

以上を念頭において、今、たねに関して安倍政権下の日本で起こっていることを整理しておきます。

安倍政権は昨年から日本の農業と、さらには将来、私たちの食と健康に深刻な影響を与える可能性
のある重要な法的措置や制度変更を矢継ぎ早に講じてきました。

第一弾は、2017年3月に「主要農産物種子法」(通称「種子法」を廃止する法律を成立させたこと
です(実施は18年4月1日)。

「種子法」は1952年5月に制定された法律で、戦後すぐに、国は、国民に食料を供給す責任を負う」
という理念の下で米、麦、大豆といった主要作物について、優良な種子の安定的な生産と普及を国
の役割、と定めている法律です。

種子法に基づいて、それぞれの地域に合った良質な種子を農家に提供するために農業試験場の運営
などに必要な予算の手当などは国や県が責任を持って担ってきました。

「種子法」を廃止するということは、優良品種を開発・生産するための予算と法的根拠を失うこと
を意味します。廃止の理由を農水省は、「多様なニーズに対応」して「民間のノウハウも活用して
品種開発を強力に進める」と説明しています。しかし現実には、国や県の補助がなくなれば、地方
自治体は優良品種を開発し安価で提供することが困難になります。

これと関連して農業関係者が心配しているのは、各地の農業試験場などで品種改良にとりくんでき
た技術者や研究者がモンサントやシンジェンタなど外国の多国籍企業(種子会社)に引き抜かれて
しまうことです。

農業問題にくわしいジャーナリストの天笠啓祐氏は、「実際、民間レベルで多国籍企業は食品メー
カーや化学メーカーの種子開発部門をまるごと買収している。日本の研究者が多国籍企業に引き抜
かれると、外資による種子支配が強まる恐れがある」と警告しています(『日刊ゲンダイ』2018年
11月14日)。

こうなると、今まで自家採種してきた農家は毎年タネを買わざるを得なくなり、タネの供給体制が
追いつかなれば農協などはコストや規模の面から外国の企業にタネの増殖を委託するようになるか
もしれません。

種子法の廃止が国会で可決されたとき、ほとんどの自民党議員がその重要性に気付て言いませんで
した。

自民党亘前総務会長ですら「私自身も(種子法廃止の)中身が分からず(賛成に)起立した一人だ」
と懺悔しています(『日刊ゲンダイ』2018年11月14日)

第二弾は、同年5月に「農業競争力強化支援法」を成立させたことです。この法律では、自治体や
農業試験場が持つ種子生産の技術や知識を民間に提供するよう定めています。

農水省OBの篠原孝議員は「種子生産の技術が無制限に民間企業や他国籍企業に開放されれば、今
後は日本の種子を巨大資本の外国企業が牛耳ることにもなりかねない」と危惧しています。

日本の税金を使って、たてえば、10年以上もかけて開発したコメ種子を基に民間企業が新品種を
開発し、特許をとると知的財産として権利が保護され、その結果種子の価格が大きく値上がりする
可能性があります。

実際、北海道の農業試験場で開発された『きらら397』は20キロで7000円程度ですが、民間で開
発された種子はその10倍以上するものもあります(注1)。

第三弾は、「種苗法」の適用を厳格化する方針を決めたことです。「種苗法」は、1998年に制定さ
れた法律で、簡単に言えば、新品種を作った人(育成者。個人または企業その他の法人)に品種登
録をしてもらうことで、育成する権利(育成者権)を与えるという法律です。

現在、年間1000件くらいの登録があります。登録されると25年(樹木は30年)は権利者以
外が無断で販売、譲渡、増殖ができなくなります。

農家はその種や苗を購入して農作物の生産や販売を行ないますが、収穫物から種を採取したり挿し
木で増やすこと(自家増殖)は原則禁止されています。

これに違反すると、10年以下の懲役か1000万円以下の罰金が科せられ、共謀罪の対象になり
得ます。新品種は特許権を取得すれば知的財産(実際には遺伝子構造)としてその権利が保護され
ます。

ただし「例外措置」が設けられていて、農家が経営のために増殖させることは原則として認められ
ています。しかし、自家増殖が厳格に禁止されている(したがって、「例外措置」の対象外の)野
菜や果物はトマト、ナス、大根など289種にも及び、これからも順次増やしてゆく方針に舵を切
りました。(注2)

この政府方針の問題は、新たに法律を制定するのではなく、(したがって国会での審議を経ずに)農
水省の政令や省令で「例外措置」として自家増殖が認められている作物をその対象から外すことが
できる、という点にあります。

第四弾は、17年6月15日に可決された「共謀罪」の五類型(全部で277項目)の「類型4」の
中に「特許権の侵害」と「種苗法」(育成者権の侵害)を、そっと潜り込ませたことです。

「共謀罪」は本来、テロ防止を目的とした法律なのに、“なぜ”これら、テロとは関係ない二つが
含まれているのでしょうか? 答えは一つ。特許を取得するであろう外資の利権を守ることです。

以上にみたように、安倍政権下で着々と進められている「たね」に関する農業政策は、たねの支配
を、栽培者である個々の農家から外部の多国籍企業の手に集中させ、その権利を日本政府が守る、
という方向です。

来年1月から始まる、日米FTA交渉で、日本はアメリカに農畜産品の問題で、大幅な譲歩を迫ら
れるでしょう。

それでも、日本人は自らの食べ物を、どう確保するのかが問われます。その際に、「たねに自由」
は守れるでしょうか?

私個人は、「たね」という生命体を特許の対象とすることは、基本的に倫理に反している、と考え
ています。


(注1)『週刊朝日』(2017年6月30日号)。また、同じ北海道の「ユメピリカ」の開発秘話に
    ついては『朝日新聞』デジタル版(2017年11月23日05時00分)
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S13240864.html?rm=149

(注2)「種子法」の厳格な適用と例外措置の撤廃方針については、『週プレNEWS』(2018年08月24日 15時40分)
     https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12176-073755/ を参照
 


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たねは誰のものか:「たねの危機」は農業の危機(1)―インドの悲劇から学ぶ―

2018-11-11 09:04:59 | 食と農
たねは誰のものか:「たねの危機」は農業の危機(1)―インドの悲劇から学ぶ―

今年9月に行われた日米貿易交渉で、日本は二国間のFTA交渉に入ることに合意させられたことを書きました。

この合意に基づいて、来年の1月から実際の交渉がスタートします。そこでは日本からの自動車の輸出に対する
高関税とともに、アメリカから日本への農産物の市場開放がテーマになることは間違いありません。

農畜産物の市場開放も日本の農業に大きな打撃を与えることは確かですが、私はそれと同様、あるいはそれ以上
に、安倍政権が行ってきた、農業、とりわけ「たね」に関する法律と制度変更の長期的な影響を心配しています。

この問題を説明する前に、インドで起こっている悲劇の実態を見ておく必要があります。というのも、後に詳し
く説明するように、インドで起こっていることは、日本でも着々と進行しているからです。

インドで農業や民衆の権利を守りそして高めるために闘っているヴァンダナ・シヴァ氏が、日本の雑誌『世界』
(2012年12月号:220~229ページ)に寄稿した、「危機に瀕する『たねの自由』」という論文を簡単に紹介
したいと思います。というのも彼女の言動は日本にとって大いに参考になるからです。少し長くなりますが、重
要な部分なので引用します。
   
「 たねは、ただ生命のはじめというだけではありません。わたしたちの存在基盤そのものです。何百万年もか
けて、たねはさまざまな進化をとげ、多様で豊かな生命を地球上にもたらしました。何千年ものあいだ、農
民、中でも女性たちは協働し自然と手をたずさえて、思うままに種子を育て進化させ、自然の贈り物をいっ
そう多様にし、さまざまな文化に適応させてきました。生物多様性が文化の多様性を生み、文化の多様性が
生物多様性を育んだのです。いま自然と文化が多様に発展する自由は、すさまじい脅威にさらされています。
この「たねの自由」の危機は、人間存在の根本と地球の存在を揺るがせています。」

上に引用したヴァンダナ・シヴァ氏の言葉で言い尽くされていますが、たねは食物連鎖の鎖の最初の輪であり、生命
の青写真の格納庫です。

したがって、「たねを守り、将来の世代に手渡すことは、私たちに課せられた義務であり責任です。いつの世もかわ
らず農民はたねを蒔き育てて互いに交換し、こうして生物の多様性と私たちの食糧安全保障はまもられてきました」。

しかし、インドで近年起こっていることは、「たねの自由」が農民の手から巨大多国籍企業(インドの場合、とくに
世界の遺伝子組換え(GM)種子の90%を供給するモンサント)の手に移ってきています。

その方法は、農民がたねを保存することを違法とし、たねを特許と知的財産権の対象とすることです。これは一般に
「種苗法」という形で法制化されます。

この法的手法により、人類共有の財であったたねは、私企業である種苗会社が市場で取引する商品となったのです。

インドでは、過去20数年、急速にたねの多様性は失われ、企業のたねにたいする寡占化が進みました。とくに、
GMトウモロコシ、ダイズ、ナタネ、ワタの作付面積が激増しました。

たとえば、インドの主要産業を歴史的に支えてきたワタの栽培をみると、かつてインドには1500種のワタがあ
りましたが、2012年ころには、作付面積の95パーセントは、モンサント社がロイヤルティを徴収するGMワ
タになっています。

これは作付面積の話ですが、さらに深刻なことは、在来種はそのGMワタと交配してしまい、事実上在来種は絶滅し
てしまったことです。

たねは、一度絶滅してしまうと、二度と人工的に作ることはできません。この意味で、在来種の絶滅は、非常に深
刻な事態です。

作物は、一旦特許登録されると、農民は自分たちもたねを継ぎ育て保存し交換する権利(たね主権)を奪われてし
まうのです。

最近、ヴァンダナ・シヴァの主催する農園で実習をしてきた知人によれば、現在、インドでは、モンサントが販売
するGMワタのるたねしか手に入らないそうです。

インドに限らず、世界中の国々で、新たな種苗法制定がはじまっています。これによって、小農民のたね継ぎ(自
家採種、自家増殖)の道は閉ざされ、農民は巨大種苗会社に依存せざるを得なくしています。

企業は、種子は自分たちの「発明」であり、発明に対する当然の特許を取得した財産である、と宣言しています。

工業製品と同様、特許保有者は、いかなる人に対しても、その製品の生産・販売・頒布・利用を禁止することがで
きます。こうして、種子特許は、たねを保存し分かち合う農民の権利を、「盗取」、「知的財産に対する犯罪」と
してしまいました。

こうした企業は、各国内での種苗法に加えて、「植物の新品種の保護に関する国際条約」(UPOV条約 1991年)、
さらに1995年に見直しが行われたWTOの知的財産を保護する「TRIPS協定」(生命特許を認める条項を含む)
などの法制度を作って、彼らの利益を守ろうとしています。

そもそも生命体に特許を私企業に与えて保護する、ということは許されるべきなのでしょうか? 私が、生命特許
にたいして最も疑問を抱くのはこの点です。

生命特許は、「生物多様性と土着の知恵のハイジャックです・・・・。生命特許は生命そのものに対する独占的支
配のための道具です」、「生物資源と土着の知恵を特許の対象とすることは、生物学的、知的な共有物(コモンズ)
の私的な囲いこみにほかなりません」、とヴァンダナ・シヴァは怒りを込めて語っています。

彼女によれば、今や、インドの農民は三つの暴力に取り囲まれています。

第一は農民の品種づくりへの貢献が帳消しにされ、特許の対象とされたことです。多国籍企業は生命体をたんなる
「物質」「製品」に変換し、それらに対する排他的な特許権を行使しています。ヴァンダナ・シヴァ氏はこれを、
「バイオパイラシー」、つまり生物学的海賊行為として非難しています。

第二の暴力は、特許取得後に認められるロイヤルティの徴収で、名目は技術革新に対する支払とされていますが、
インドでの実態は、強要・恐喝です。本来は、たねの価格だけで済むはずなのですが、これに特許使用料ともいえ
るロイヤルティを徴収するため、その支払いができない26万人の農民を自殺に追い込みました。

ブラジルの例はさらに悪質で、住民が何世紀にもわたって自家採種によって栽培し続けてたねを、モンサントは自
社の遺伝子組換え作物から得られた種子であるといって、農民からロイヤルティの支払いを徴収しています。ここ
でも支払いができない農民は返済不可能な借金へと駆り立てられています。

第三の暴力は、「汚染者被賠償原則」です。GM作物が近隣の農場を汚染しても、汚染者(実態は企業)はその被
害に対する負担を免れているだけでなく、特許をかざして汚染者が支払いを受けるべきだ、と主張し始めたのです。

たとえば、ある企業が特許をもつ植物の花粉が飛んで周囲の農作物が受粉したとします。これを「汚染」といいま
すが、汚染者(その企業)が汚染に対する賠償を農民に払うどころか、逆に自分たちの作物が汚染されたから、そ
れに対する一種の罰金を払え、といっているのです(注1)。同様の事態に対してアメリカでもカナダでも訴訟が
起こっています。

これは非常に深刻な事態をひきおこしつつあります。ヴァンダナ・シヴァ氏は、いまや企業は、農民が継承してき
た在来品種のたねも特許の対象としようとしていることに、強い危機感をもっています。

実際に種苗会社が作り出したGM作物のたねを押し付けるだけでなく、いわゆる在来品種も、もし地元の農民が特
許を取っていなければ、他国籍企業が特許を取得してしまえば、それまで何世紀にもわたって栽培し利用してきた
農民は、自由に栽培することができなくなってしまうのです。

ヴァンダナ・シヴァ氏はこれを、かつてイギリスがインドを植民地化したとき、西欧の概念で「所有権」が確立し
ていない土地を「無主の土地」として、そこに新たな地主制度を導入して税金を農民から徴収し、200万人の餓
死させたことと同じだ、と言います。

同じことがたねの問題でも起こっています。つまり、農民にとってたねは自由に自家採種したり交換したりできく
共有財産(コモンズ)であったのですが、そこに突然、企業がはいってきて「特許」を取得して、企業の知的財産
であるから、それに対するロイヤルティ(税金)を徴収していることと同じなのです。

ここで、もう一度、問題の本質を考えてみたいと思います。一言でいうと、「たねは誰のものか」という根源的な
問題です。

企業の論理は、「たね」は遺伝子工学により「発明された」商品であり、その権利は特許によって保証される、と
いうものです。

これは企業倫理としては当然かもしれませんが、そもそも生命体に特許を設定することは倫理的にゆるされること
なのでしょうか?

かつてヨーロッパ世界が中南米からトマト、ジャガイモ、トウモロコシをはじめ多数の野菜を持ちこんで、飢えか
ら救われたように、私は、「たねは万人の共有財産」である、と考えます。

しかし、今、日本において種苗法の名のもとに、たねの生体特許が外国の巨大多国籍種苗会社の手で進められよう
としており、安倍政権は進んでそれをサポートしています。

これについては、次回に書きたいと思います。






(注1)具体的な事例は、『モンサントの不自然な食べ物』(DVD)監修 マリー・モニク・ロバン、UPLI
    NKでみることができます。なお、モンサントに関しては、ロバン,マリー=モニク 『モンサント:世
    界の農業を支配する 遺伝子組み換え企業』(杉澤真保呂,上尾真道 訳,戸田清 監修,作品社,201)
    に詳しい。



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安田純平さん解放(2)―国と社会はどのように対応したか―

2018-11-04 06:35:42 | 国際問題
安田純平さん解放(2)―国と社会はどのように対応したか―

安田さんの解放に関して安倍首相は「世界各国の指導者、友人たち、協力いただいたすべての関係者に、
日本国民を代表して感謝申し上げたい」と、日本政府開放が実現したことを強調しました。

また、菅官房長官も「官邸を司令塔とする『国際テロ情報収集ユニット』を中心にトルコやカタールなど
関係国に働きかけた結果」、と官邸の果たした功績を自画自賛しました。

首相と官邸の発表では、トルコとカタールにアプローチすることが有効だと知ったのは、あたかも独自の
情報網による分析結果だったかのような印象を与えますが、本当でしょうか? 私は、少し疑問をもって
います。

というのも2015年にジャーナリストの後藤健二さんがシリアでIS(イスラム国)に拘束された時、安部
政権は、事もあろうにISと敵対するヨルダンに交渉を依頼したのです。

全くの的外れ、絶対に避けなければならない国に交渉を依頼したのです。

安倍政権の中東に関する情報がいかに貧弱であるかを露呈してしまいました。

そのことが決定的であったかどうかは分かりませんが、結果として後藤さんは殺害されてしまいました。

今回の安田さんの解放に際して、日本政府はいつの時点で、どのようなルートで、どのように、どの程度
関わったのか、まだまだ不明な部分がたくさんあります。

テレビでも報道されたように、拘束されてまもなく、開放のための動きがあり、安田さんと奥様との間に
本人確認のための手紙がやり取りされました。

安田さん記者会見で、このやり取りは在米日本領事館を経由して行われたと言っています。とすると、早
い段階から日本政府も拘束の事実は知っていたことになります。

ただ、これに対して本気で日本政府が解放に向けて積極的に動くのかどうか、また、もし、その意思があ
るとしたら、どのようなルートで交渉するかについて日本政府がはっきりとした方針があったかどうか、
これらの点について疑問が残ります。

今回の安田さんの件に関して、安田さんと交流のあるジャーナリストの志葉玲氏は次のように経緯を説明
しています。

    安田さんの安否を案じた民間の支援者がトルコ入りし、過激派組織に近いトルコやシリアの関係
    者の協力を得ながら情報をかき集め、外務省にたびたび報告していたのです。その過程でトルコ
    のエルドアン大統領に近い組織が安田さんを拘束した組織に影響力をもつことが分り、外務省に
    トルコ系組織を通じた開放交渉を提案したのですが、働きかけた形跡はない。・・(外務省は)
    支援者の情報を吸い上げるばかりで、安倍政権の本気度は正直言って疑わしいものでした(『日
    刊ゲンダイ』2018年10月27日号)。

つまり、政府はある意味で民間の情報にタダ乗りして、成功した場合にのみ、自分たちの手柄として自画
自賛しているように思えます。

安田さんの解放と日本政府とのかかわりの中で、身代金を払ったのか否かが議論となっています。

日本政府は「テロ行為や外国人拉致を助長する」という理由で身代金による開放交渉はしない方針を明ら
かにしています。

一方、ロンドンにあるシリア人権監視団のアブドルラフマン氏は『東京新聞』に、「解放のために三百万
ドル(約3億三千万円)が支払われた」と語っています。

ただし、実際に払ったのは日本政府ではなく、シリア反体制派を支持し続けてきたカタールが支払った、
可能性もあります(『東京新聞』2018年10月25日)。

というのも2012年にシリアで拘束されたアメリカ人ジャーナリストのテオ・パドノスさん(50才)
の場合、カタールが身代金を払っているからです(10月28日 フジテレブ『ミスター・サンデー』)

この場合でも、一旦はカタールが払って、後でアメリカ政府がカタールに、何らかの形で返礼した可能
性はあります。

日本政府はこれまで、紛争地域に入って拘束された日本人に対しては、少なくとも表向きは、一貫して
「自己責任論」を通してきました。

政府の「自己責任論」は、一般社会の自己責任論を反映しているのか、逆に一般社会の中に政府の自己
責任論が投影されているのかは分かりません。

2004年4月に取材で訪れたイラクで武装勢力に人質となった写真家の郡山総一郎さんに対して当時、
小泉内閣の自民党の幹事長だった安倍晋三氏は「税金を使っているし、政府も危険を冒して交渉しなけ
ればならない。自覚があったかどうか少し疑問だ」と発言しました。

また、官房長官だった福田康夫氏は自分の責任で行くというかもしれないが、どれだけの人に迷惑がか
かるものか考えてほしい」、文部科学相だった河村建夫氏は「自己責任を考えて行動しないといけない」
と述べています。

日本政府は、「テロにたいしは身代金を払わない」との姿勢は崩していません。これは、「9.11」
以後、アメリカが「テロには屈しない」「テロには身代金を払わない」ように他の国に呼び掛けていた
からで、日本は忠実にそれを守っていることになっています。

ところで、紛争地に入るジャーナリストにたいして、欧米では日本とはかなり評価がことなります。郡
山さんは以前、外国人記者から「「自己責任」という言葉のニュアンスが良く分からない。どう英訳し
ていいのか」という質問を受けたという。「自分もよく分からない」と答えると、「日本に特有の言葉
なのか」と困惑されたという。

2015年にはシリアでスペイン人ジャーナリスト三人が武装勢力に拘束され、翌16年五月に解放されま
した。14年8月には武装組織に22か月間拘束されていたアメリカ人ジャーナリストが解放されてい
ます(『東京新聞』2018年10月26日)。これらの解放には、国家が身代金を含むさまざまな形
で努力したと考えられています。

最も典型的な事例は、フランスの場合で、2013年6月、4人のジャーナリストやカメラマンがシリ
アで拉致された、14年に解放されました。解放までの間、フランス国内では、救出を求める様々な動
きがありました。

4人は、大手ラジオ局に属する記者とカメラマン、そしてフリージャーナリストだったが、会社の垣根
を越えて、ジャーナリストたちが連帯し、集会を開くなどした。拉致された4人と関係のないメディア
も、ネットを通して支援を呼びかけ、特別放送を設けるなどをして支援しました。

こうしたジャーナリストに加えて、身代金の支払いも含めて国家もかなり積極的に開放の努力をしたよ
うです。(金額などは公表しませんでしたが)これは、彼らが解放されてフランスに戻ってきた時、オ
ランド大統領(当時)が空港に出迎えたことからも分かります。(写真)

解放後の機内で、記者団に話す安田さんの様子を見て少し違和感を覚えたジャーナリストの石井梨奈恵
さんが安田さんの行動について同乗していたフランス人記者について聞いたところ「彼は、反省する必
要はない」と答えたそうです。

その理由は、「彼のような人がシリアに行かなかったら、そこで何が起きているのか、真実が分からな
い。真実を知ることは、私たちにとって、とても大事なことだ」とも語った。

このことがきっかけで、今回の件について石井さんが他のフランス人にも聞いてみると、複数回にわた
って拘束されていることについては、呆れた表情を見せた人もいましたが、それでも10人に尋ねたら、
10人とも同じことを言ったという。

その理由は、「真実を知ることは大事」「真実を知らなければ、民主主義を保てない」「彼のような人
がいなければ、誰が真実を教えてくれるのか」「お金を払っても、どんな人であろうと、政府が助ける
のは当然のこと」というものだった。つまり、フランスでは、こうしたジャーナリストの活動を必要だ
と考え、国がお金を払うのも当然だと考えられているのです(注1)。
 
私個人としては、ジャーナリストの義務として、安田さんが時期を見て、今回の一連の経過や体験、そ
こで見聞したことをまとめて本を出版して欲しいと思います。

なお、日本における安田さんの解放をめぐる、「自己責任論」に関して、東京在住のメディアが『毎日
新聞』(2018年11月4日)に寄稿していますので簡単に紹介しておきます。

英『タイムズ』東京支局長のリチャード・ロイド・バリ氏は、解放されたのだから国を挙げて帰国を祝
福するべきで、彼を批判するという発想はない。できる限り現場に近づき何が起こっているか正確に伝
えるのがジャーナルズムの役割。時にはリスクを取る必要がある。安田さんのような被害者を責めては
、と書いています。

フランス『ルモンド』東京特配員のフィリップ・メスメール氏は、安田さんは正確な情報を届けるため
に命をかけて危険な紛争地域に行った。日本に内向きのナショナリズムの高まりがあるのでは、と心配、
日本も中東と無関係ではないのっだから。

『朝鮮日報』東京支局長の李河遠氏は、「国に迷惑をかけた」という発想になるのは日本だけではない
か。非難されるべきは安田さんではなく拉致した武装集団でしょう。

以上三人のメデイァの見解が、安田さんに関する国際社会の一般的な評価ではないでしょうか。

国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」によると、昨年の時点で、拘束が確認されているジャーナ
リストは54人です(開放された安田さんを除けば53人)。そのうち29人がシリア、2人がウクラ
イナ、11人がイラク、12人がイエメンとなっています(『東京新聞』2018年10月25日)。

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 空港で解放されたジャーナリストを出迎えるオランド大統領  




(注1) FNN PRIME 2018年10月31日 (写真も)
https://www.fnn.jp/posts/00381320HDK


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