大木昌の雑記帳

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太陽光発電と売電ビジネスへの疑問-エコとエコノミー?-

2013-09-27 06:42:20 | 原発・エネルギー問題
太陽光発電と売電ビジネスへの疑問-エコとエコノミー?-


1997年12月に締結された「京都議定書」(正式名称は「気候変動に関する国際連合枠組み条約」)において,地球温暖化を防止するために,
その大きな要因となっている二酸化炭素排出量を各国それぞれの目標値まで減らすことを義務づけられました。

日本を例にみると,主な第一次エネルギー源として水力,原子力,石油・石炭な,天然ガスなどの化石燃料が電気を作るために利用されます。
これらのうち石油と(液化)天然ガスは車などの燃料としても利用されます。問題は,石油,石炭,天然ガスは燃料として利用される限り,
燃焼によって二酸化炭素と環境を汚染する窒素酸化物や硫黄酸化物を排出します。

以上の事情から,「京都議定書」のころには,二酸化炭素も汚染物質も排出しない原子力エネルギーは,温暖化防止の鍵になるクリーン・エネ
ルギーとして期待されていたのです。同時に,世界的な潮流として,太陽光や風力などの再生可能エネルギーも,本当の意味でクリーン・エネ
ルギーとして,その開発が期待されていました。

しかし,日本におけるエネルギーをめぐる社会的環境は「京都議定書」の時と現在では大きく事情が変わりました。2011年3月11日の震災に
続く福島第一原子力発電所の事故以来,原子力発電に対する社会の目は厳しくなる一方,再生可能エネルギーに対する世間の関心がにわかに高
まりました。

これは日本ばかりでなく,世界的な潮流でもあります。

ところが,安倍首相は現在でも「安定した電力供給は成長戦略にとって原子力発電は必要」という姿勢をはっきりと打ち出しています。

さらに安倍首相は,原発を輸出しようと自らセールスに回っており,また国内の原発も何とか再稼働させようとしています。これは主に,産業
界からの強い要請があるためだと思われます。

また,一部には原発を稼働することによって精製されるプルトニウムを保有し,核兵器製造の潜在力を保持しようとする政治家もいます。

さらに,アメリカの原発メーカーも日本企業と組んで原発輸出を望んでいるので,アメリカからの圧力もあります。(これについては既にこの
ブログの2012年11月6日の「原発輸出の危険な罠」で詳しく書いています。)

政府は原発利用を推進する一方,個人や法人が再生エネルルギーの活用を検討した結果,2012年7月から「再生可能エネルギー特別措置法」が
法制化され,電力会社が民間で作られた電力(取りあえずは太陽光発電電力)を固定価格で買取ることが可能となりました。

この制度の施行は,民間の個人や法人の間で,電力事業への参入(具体的には売電)にたいする大きな関心を呼びました。

その背景には,たとえば東京電力管内についていえば,3・11の東日本大震災の際に停電が起こり多くの人が不自由さを味わったという経験が
あります。

いざと言う時に,せめて家の明かりくらいは確保したい,という思いが広く行きわたったことも,太陽光発電と売電への動きを刺激した一つの要因
でしょう。

さらに,個人でも電気を作り売ることができるという,エコ(環境に優しい)とエコノミー(利益を得ることができる)の一石二鳥が広い関心を
呼んでいます。

この買取制度の手続きとしては,まず売電しようとする個人または人が電力会社に申請し許可を受け,同時に経済産業省に設備設置の許可をとる
必要があります。現在は,太陽光発電の設備設置にたいして,都道府県はそれぞれの補助制度をもっています。

この際,二通りの契約があります。一つ目は,できた電力をまず自分で使って,余った電力を売る「余剰電力買取制度」で,これは個人が自宅の
屋根などに太陽光圧電パネルを設置して発電する場合が大部分です。

この背契約では10年間は申請許可を受けた時の固定価格で買い取ってもらえます。

二つ目は,発電した個人ないしは法人は,自分たちでは発電した電力を使わず,全て電力会社に売る「全量電力買取制度」で,実際にはほとんどが
法人です。

この契約でも,発電を開始した時点ではなく,申請が許可された時の固定買取価格で20年間買い取ってもらえます。たとえば,1kWh当たりの買取
価格が42円の時に許可を得た企業は,発電の開始時期と関係なく莫大な潜在的利益が20年間保証されているのです。

それでは,幾らくらいで買い取ってもらえるのでしょうか。2012年には,1kWhあたり42円と非常に高かったのですが,その後2013年7月には
37.88円に引き下げられています。

これらの買取価格と,私たちが電力会社から買う電気料金と比較してみましょう。電気料金は契約のタイプ(総アンペア,夜間電力使用かどうか,
個人か法人か)によって異なりますが,たとえば東京電力から標準的な家庭で電気を使うときの電気料は1kWh当たり25円前後です。

両者を比較すれば分かるように,日本の買取価格は世界的にみても非常に高い買取価格です。では,誰が一体,こんな高い買取価格を設定したので
しょうか?

もちろん,形式的には経済産業省・政府ということになるのですが,その根拠は分かりません。(注1)

固定価格買取制度の大義名分は,クリンーンで再生可能なエネルギー利用の推進です。まず,太陽光発電は二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー
で環境に悪影響を与えません。さらにそれは,太陽エネルギーですから化石燃料のように使用すればそれだけ資源が減少することもない,再生可能
エネルギーです。

これらの点では良いことづくめでケチの付けようがないように見えますが,固定価格買取制度には問題もあります。

単純に考えてみましょう。

電力会社は,現在でも37.8円で買って各家庭には25円前後で売ります。すると1kWh当たり13円弱のマイナスになります。

42円の時にきょうかを得た個人や法人が打った場合,その差額は17円にもなります。それでは電力会社が負担しているのでしょうか?

実は,電力会社は1円も負担していないのです。この差額は電気を使っている全ての消費者の電気料金に上乗せされているのです。

現在の電気料金の算定は「総括原価方式」を採用していますので,すべてのコストは合算され,それが電気料金に加算されます。電力会社が太陽光発電
の電気を購入した時には,当然,その購入代金もコストに加算されます。

家庭に送付される電気料金の請求書を見ると「再生エネ課賦金等」という欄がありますが,この名目で私たちはしっかりと,買取に支払われた金額を徴収
されています。

つまり,個人や法人が太陽光発電の売電によって得られる収入は全て,一般消費者の負担によって賄われているのです。

ここに目を付けたのが,いわゆる「売電ビジネス」です。現在では,太陽光発電の設備(主に発電パネル)に対する初期投資を売電によって償却し,メイン
テナンス・コストが計算出来れば,それ以後は,固定価格で長期間買い取ってもらえます。

したがって売電ビジネスは,電気を売れば売るほど確実に利益を得ることできる,とても有利なビジネスといえます。

問題は,何年くらいで初期投資を回収できるのか,です。現在,多くの売電を目的とする企業の試算では13年くらいを一応の目安としています。

しかも,この13年間も高い買取価格で電気を買い取ってもらえます。すると,法人の「全量買取契約」の場合,残りの7年は,メインテナンス費用を除
けば,ほぼまるまる儲けになる,というわけです。

20年という契約期間が切れても,すでに設備投資の償却は済んでいますから,多少,買取価格が下がっても,ずっと利益を生み続けることになります。

そこで,目先の利く企業家はいち早く,大容量の発電・売電の許可を取っておいて(つまり高い買取価格の権利を確保しておいて),太陽光パネルの価格
が下がるのを待っています。もちろん,資本力のある企業は,直ちに発電と売電を始めています。

現在では,すでに許可をとってある太陽光発電の売電企業が一般の人から投資資金を募集する動きがにわかに活況を呈してきました。インターネットで
「太陽発電 売電」という項目で検索すれば,このような投資企業がたくさん出てきます。

具体的な例を二つだけ紹介しておきましょう。一つ目は,このビジネスを行っている人から直性聞いた方式です。

れは,農地を利用した新たな発電ビジネスで,畑の上に面積の60%くらいを占める太陽光パネルで覆い,発電をするという方法です。

作物は,自然の太陽光の40%を取り込むことができれば作物の収量には影響ない,とのことです。

彼によれば,初期投資は12~13年くらいでは回収できるので,後の7~8年は確実に利益が得られるとのことです。ただ,この時に説明では,トータル
でどれくらいの利回りになるのかは聞けませんでした。

二つ目は,書類一式を私の自宅に送ってきたNという社会投資会社の場合です。この会社は既に北海道に広大な土地を取得し,そこにソーラー発電所を建設し,
2013年7月から発電を開始しています。

パンフレットの説明によれば,1kWh当たり42円で売っていると書かれていますから,この企業は買取制度が始まった2012年,直ちに許可を得ていたこと
がわかります。

出資は1口1万円で100口以上(つまり100万円以上)で10口単位となっています。現在,投資に対する利回りは,年率8.23%となっています。

ただし,利益目標として年8~15%と書かれています。

この会社の場合,発電事業の拡大だけでなく,地域の活性化のため次世代農業,観光事業,地域通貨などの事業をセットにした総合的な計画を持っているようです。

そこで,さらなる事業の拡大のために個人や企業へ投資を勧めています。

インターネットで投資を勧誘しているある企業の場合,投資額(発電量で表示してある)に応じて,初期投資とメインテナンス,保険を含めても年間7~9%,
8~10%,12~15%と非常に高い利回りを謳っています。

さて,太陽光発電を推進すること自体は何ら問題は無いどころか,当然進むべき方向だと思います。そのために,奨励策,刺激策として高い買取価格を設定する
ことも社会的なコストとしては,ある程度許されると思います。

それにしても,銀行や郵貯の金利が0.03%とか0.035%といった,超低金利の今日,8%以上の利回りがあるということは驚きです。もちろん,貯金と
投資とは全く性格が違います。それでも,上記のような利回りを確実に保証できるのは,この売電ビジネスがいかに儲かるということを意味しています。

そして,その利益というのは,まったく関係ない私たち一般の電力消費者の犠牲によって賄われているという点が,今ひとつ納得出来ません。現状では,大きな
資本を持っている企業や,他人や銀行から資金を集めることができる事業体だけが,この制度を利用して利益を得ることができるのが実態です。

個人の場合でも,ある程度まとまったお金があれば,売電企業への投資は有利かも知れません。しかし,たとえば台風や突風などでパネルが壊れてしまうリスク
も当然負うことになります。

それでは,再生可能なエネルギーはどのように推進してゆくのがよいでしょうか? 私は,電力に関しても地産地消を原則とすべきだと思います。個人の家庭で
作った電気をその家で使うのは,もっとも直接的な地産地消です。

また,個人で設備を設置するのが負担も大きく効率も悪ければ,市町村単位で発電設備を設け,コストもそこの住民が負担し,発電した電気も電力会社に買い取
ってもらうのではなく,コミュニティ内部で消費するというタイプの地産地消が理想だと思います。

現在は,再生可能なエネルギーといっても,太陽光だけでなく風力も地熱発電もありますが,私は小水力発電が多くの点で優れていると思います。これは,小さな
流れでも水車を回し,それで電気を起こす方法です。すでに,長野県の松川町のように小水力発電を稼働している町もあり,山梨県の都留市や奈良県の吉野町の
ように小水力発電による電力の地産地消に取り組んでいるでいる地方自治体もあります。

もちろん小水力発電は,まったくの平地ではできないので,現在は山地地域に限られています。しかし,山地でなくても,ちょっとして高低差がある場所で,ある
一定以上の水量があり,水車を回すだけの水勢をもった流れがあれば,この発電は可能です。

消費地と遙かに離れた場所で集中的に発電し,それを長い送電線で消費者に送るというのは,非常に不経済です。というのも,電線を使って送電すると,超高圧
送電でも10%くらいは送電ロスがあるからです。また,長い送電線のメインテナンスにも膨大な費用がかかります。

消費地から遠く離れた場所で集中的に発電し遠くまで送電するもっとも典型的な例は原発です。これは一見,経済的に見えますが,送電のコストとメインテナンス
を割り引いて考える必要があります。さらに,3・11の福島第一原子力発電所のように,一旦,事故が起これば取り返しのできない危険をもたらします。

命を支える食物と,生活を支えるエネルギーはできるだけ地産地消を目指すべきだと思います。

最後になりますが,もう一度,現在の固定価格買取制度はこれでいいのかな,という疑問はぬぐえません。


(注1)太陽光発電機器に関わる企業と,太陽光発電のビジネスを考えていたソフトバンクの孫社長の提言を政府がそのまま受け容れたという説もありますが,私は確認していません。

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婚外子 相続差別は違憲-時代錯誤の民法の改正-

2013-09-21 20:25:56 | 社会
婚外子 相続差別は違憲-時代錯誤の民法の改正-


「子,直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは,各自の相続分は,相等しいものとする。ただし,嫡出でない子(婚外子)の相続分は,嫡出である子の相続分の
二分の一とし・・・」。これは民法九〇〇条四号但し書きの文言で,婚外子の相続格差を規定してきました。

何と,この既定は家族制度が色濃い115年前,明治時代の1898年の旧民法に盛り込まれ,第二次大戦後も引き継がれてきたのです。当時は,結婚そのものが
「家」の存続を優先する考えが支配的でした。

つまり,正妻の産んだ子とそれ以外の女性との間の子を区別し,原則的には正妻の子に「家」を継がせ,亡くなった場合などにはそれ以外の子に継がせようと
したころから,婚外子に2分の一という相続権を保障したのです。つまり,婚外子は家を継ぐための「予備」としての地位しか与えられなかったのです。

今回の判決は,2001年7月と11月に亡くなった男性の遺産相続が争われた2件の家事審判に関する最高裁の判断です。訴えは,婚外子の側から,現在の民法
規定が法の下の平等を保障した憲法第14条に違反するとして起こされていたものです。

最高裁大法廷は2013年9月4日,14人の裁判官全員一致で「規定の合理的な根拠は失われており,法の下の平等を保障した憲法に違反する」との決定を下し
ました。

つまり,「法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても,子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由として,その子に不利益を及
ぼすことは許されない。」という判断です。

それにしても,第二次大戦で敗戦し,価値観や家族のあり方に大きな変化があったにもかかわらず,この規定が明治・大正・昭和と115年間もずっと存続し続
けたことは,驚きでもあります。

このような法律が現在でも存続しているのは先進国では日本だけです。世界的にこうした規定は撤廃されて,少なくとも欧米にはありません。先進国でこのよう
な規定があったドイツでは1998年に,フランスでは2001年に法改正が行われ,平等化が進んでいます。日本も,早急に法改正を行うべきでしょう。

1993年,国連自由権規約委員会は「差別を禁じる国際規約に違反している」として日本の規定を撤廃するよう勧告しましたが,日本政府はこれを受け入れません
でした。

日本の大法廷は1995年に,現行の民法が結婚の届け出を前提とする法律婚主義を採用していることを根拠に,この規定を合憲としたのです。したがって,今回の


判決は現民法を合憲とした1995年の最高裁の判例を見直したことを意味します。

現在まで,何とか合憲論が維持されてきましたが,その内容を見ると,婚外子に対する差別は社会的にも法律の世界でも,次第に説得力を失ってきました。

1995年の最高裁大法廷では,裁判官15名のうち10人が差別規定を合憲,5人が違憲と判断して従来の民法規定は存続しました。違憲論者の裁判官の見解は
「婚外子には出生に責任がなく,差別は婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超える」というものでした。

この時の判決は結論としては合憲ということで結審したのですが,護憲論者の裁判官も含めて9人は,法律と実態および人権尊重という原理とが合わなくなって
いることことを指摘し,法律の改正が必要であることを指摘しました(『東京新聞』2013年9月2日)。

1996年には政府の法制審議会は,相続格差規定を撤廃する民法改正案答申しました。しかし,自民党の国会議員から「不倫を助長する」「家族の絆を弱める」
といった声が上がり,法案の提出は見送られました。(『東京新聞』2013年9月2日)

それにしても,相続の格差を撤廃すると「不倫を助長する」という発想は,どこからくるのか理解に苦しみます。婚外子を差別しておけば不倫を抑止できると
いうことなのでしょうか?

もっと言えば,不倫をする人たちは,子どもが産まれた時の相続の問題まで考えるだろうか?このような見解をする人自身の中に,そういう気持ちがあるのでは,
と勘ぐりたくなります。

そもそも,この民法が最初に制定された明治時代以来,政治家や財界の有力者が「妾」をもち,婚外子をもつことはそれほど珍しくありませんでした。

このような人たちが,「家族の絆を弱める」という理由で婚外子を差別することに影響力を持っていたとしたら,まったくのご都合主義です。

自民党内では,今でも婚外子の格差撤廃に反対する人たちがいます。最高裁の違憲判決をうけて,菅官房長官は9月4日の記者会見で,民法の改正に「できる限り
早く対応する」と述べ,秋の臨時国会への法案提出に前向きな考えを示しました。

しかし,「伝統的な家族観」を重視する自民党は,簡単には動きそうもありません。高石早苗政調会長は「政府と緊密に連携し,十分な法案審議を通して真摯に
対応したい」との談話を発表しました。つまり,法案提出を止めさせようとしています。(『東京新聞』2013年9月2日)

最高裁の判断の背景には,国連からの再三の警告(これは日本の法の番人として恥ずかしいことではあります)の他に,家族や結婚形態の多様化し,人々の意識
や価値観の変化などが影響していたと考えられます。

まず,未婚の母の増加が挙げられます。未婚の母は,2000年には6万3000人でしたが,2010年には13万2000人へ増加しています。全出生数に占める婚外子の割合
も1990年の1.1%(1万3000人)から2011年の2.2%(2万3000人)まで倍増しました。

国の世論調査で,この規定について「現在の制度を変えない方がよい」と答えた人は1994年の49.4%(約半分)から2012年の35.6%へ,約三分の一弱へと減少して
います。(『毎日新聞』2013年9月5日)

これ以外にも,結婚届けを出さない,いわゆる「事実婚」も増えており,結婚の形態そのものも大きく変わっています。また,離婚した後に,法律婚という形態を
とらず,事実婚を選択する人もいます。このような状況で子どもが産まれることも十分あり得ます。

今回は相続に関する法律的な平等を実現するという観点からの変化でした。しかし,このような変化の背景には,個人を尊重するという価値観の変化があったに違
いありません。

たとえばシングルマザーの増加を考えてみましょう。以前ならば,シングルマザーでいることは肩身が狭い,あるいは恥ずかしいことだったかもしれません。

しかし最近では,最初から結婚を考えないで子どもだけを産む女性もおり,彼女たちはそれが恥ずかしいという意識はありません。

また,社会もシングルマザーを差別的に見ることは,昔に比べればずっと少なくなっています。

相続の問題を複雑にしているもう一つの要因は,離婚の増加です。1980年代には結婚したカップルの5組に1組が離婚していましたが,2012年は3組に1組が離婚
しています。

離婚した人が再婚することも多くなっています。海外では,両親とその二人から産まれた子どもから成る家族を「生物学的家族」(Biological Family)と呼ぶことが
あります。当然のことですが,離婚率が高まると,結婚するカップルのどちらかに子どもがいるケースは増えます。

イギリスの小学校でかつて調査したところ,この「生物学的家族」は全体の25%(四分の一)ほどしかなかったそうです。

統計はありませんが,日本も今のような離婚率を考えると「生物学的家族」ではない家族の割合は相当高いのではないかと思います。

保守的な人たちが「伝統的な家族」という場合,それは上に述べた「生物学的家族」を想定していると思われます。しかし現実問題として,このような家族が日本の
「典型的な」「最も代表的な」家族の形態であるとは言い切れない状況があります。

逆に,それでは形の上だけで法律婚が維持されていれば,家族の絆が強いと言えるかどうかも大いに疑問です。夫婦間で言えば,離婚率の高さから推測すれば,
「仮面夫婦」も相当多いことが推定され,親の子殺しや,子の親殺しなどの悲惨な事件をみると,親族間の絆にも深刻な溝が存在することが分かります。

要するに,「家族」に対するイメージも実態も非常に多様化し変質している現在,嫡子に対して婚外子を差別する根拠はますます弱くなっています。

このような状況で,「婚外子」の相続を嫡出子の二分の一とすることによって,家族の絆が強まると言う議論はまったく意味をなしません。

こうした内外の変化を考慮すると,もはや婚外子を差別し続けることは限界にきたとの判断が裁判官の間で支配的になったということでしょう。

今回の裁判では問題になりませんでしたが,この民法規定の背後には「戸籍制度」という,もう一つの旧制度があり,これが間接的に古い相続制度を支えてきました。

現行の戸籍制度では,一家の戸主が記載されており,さらに出生届の記載には「嫡出子」「嫡出でない子」のチェック欄が存在しています。これは明らかに「家」制度
の名残りです。

現在,先進国の中で日本と同様の戸籍制度を設けているのは台湾と香港だけで,韓国では2008年に廃止されています。この問題は,夫婦別姓の問題とも関連し,制度と

しての家族のあり方に大きな変化をもたらすと同時に,私たち1人1人の結婚や家族に対する意識にも大きな変化をもたらすでしょう。

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汚染水問題(続)-日本が払わされる「倍返し」-

2013-09-16 09:38:36 | 原発・エネルギー問題
汚染水問題(続)-日本が払わされる「倍返し」-

安倍首相はオリンピック開催地のためのプレゼンテーションで,「汚染水問題はコントロールされている」「放射線物質の影響を
港湾内に留まっている」と断定的に述べました。

しかし,9月13日に福島県郡山市で開かれた民主党の福島第一原子力発電所対策本部の会合に出席した,東京電力の山下和彦
フェローは,安倍氏の発言を真っ向から否定する発言をしました。その時の主なやりとりは次のようなものでした。
(『毎日新聞』2013年9月9日)

増子輝彦副代表
  安倍晋三首相が「ちゃんとコントロールされていて全く問題ない」と説明したその通りなのか。東京電力,経済産業省,
原子力規制庁は答えて欲しい。
山下和彦東電フェロー
  コントロールする手当てはしている。ただ,想定を上回ることが起きていることは事実であり申し訳ない。
増子氏
  だから今の状態でコントロールされていないとはっきり言ってちょうだい。
山下氏
  申し訳ありません。今の状態はコントロールできていないとわれわれは考えます。
中西宏典資源エネルギー庁審議官
  まず事実に基づいて・・・・
増子氏
  いいから明快に答えなさい。
中西氏
  最大限の対策をやります。その意味でコントロールする意志をしっかりと・・・
増子氏
  コントロールされていないから今後コントローするってことでしょう。
中西氏
  その意味では,今後しっかりとしてコントロールができるようにやります。
小坂淳彦原子規制庁地域統括管理官
  コントロールは科学的合理的な判断とは別の次元であり,はっきり言えないが,タンクについて管理できるところが管理
  できていなかったということは言えます。

以上のやりとりを,改めて文字で読んで,どんな感想をおもちでしょうか? 東電の山下氏は「想定を上回ることが起きていて」
「コントロールできていない」と明快に述べています。

面白いのは,行政側の資源エネルギー庁審議官の中西氏の発言で,コントロールできていない,という実態を何とかして他の言葉
で逃げようとします。

いかにも役人らしい言葉で「最大限の対策をやります」と苦しい返答をします。

もちろん,コントロールできていれば「最大限の努力」は必要ないのですから,これは事実上,コントロールされていない,
と白状しているのです。

これが同じ役人でも,小坂氏になるとさらに必死で別の表現で逃げようとします。実際,小坂氏の発言を素直に読み返してみて,
何を言いたいのかよく分かりません。

ただはっきりしているのは,汚染水タンクから高濃度の放射能を含む汚染水が漏れていることは公表されているので,その点だけに
発言をもってゆこうとする意図がありありとうかがえます。

安倍首相の,オリンピック招致を勝ちとりたいために,実態もよく分からないまま「安全宣言」を国際舞台で出してしまったので,
上に書いた会合での発言は大きな波紋を投げかけました。

菅官房長官はその後の記者会見で「放射能物質の影響は発電所の港湾内にとどまっている」と述べ,さっそく事態の沈静化を
はかりました。

これは事実に反しますが,それについては後ほど述べるとして,興味深いのは東電側の山下氏の発言に対する弁解的な反応です。

東京電力は13日、山下和彦フェローの発言の真意について、「汚染水の影響は港湾内にとどまっており、外洋は検出限界値以下で
継続的な上昇も認められない」,というこれまでの主張を繰り返したうえで、「発言はそうした状況をふまえ、汚染水の港湾内への
流出や貯水タンクからの漏洩(ろうえい)などのトラブルが発生しているという認識について言及したもの」との見解を示しました。
(「産経ニュース」電子版,2013年9月13日23時45分)(注1)さらに別のところで,この点では安倍首相と同じ見解だ,
とも述べています。

ここには何とか安倍首相の言葉と矛盾しないように東電があわてて弁解している様子が手に取るように分かります。

菅官房長官の発言にせよ,後で弁解した東電の発言にせよ,問題は幾つもあります。まず,放射能の影響は港湾内に留まっている,
という発言です。

前回も書きましたが,港湾内の海水は毎日半分は外洋の海水と入れ替わっているのです。従って,港湾内にブロックされているわけ
ではありません。

現在は原子炉建屋とタービン建屋の地下を通過する地下水は高濃度の放射能に触れて汚染水となり,湾内に流れ込んでいます。

この際湾内に入る前に放射性物質がそのまま湾内に流出しないようにシールドで濾過はしています。

しかし,このシールドは完全に放射性物質を湾内に出ないようにブロックすることはできません。

こうして,発電所の湾内には放射性物質がどうしても流れ出るのですが,政府と東電の立場は,それが湾の外に出ていない,といものです。

安倍首相の発言も,東電の弁明も,港湾の外の海水からは放射能の値は基準値以下である,だから影響はない,と弁解しています。

しかしこれはとんでもない事実の隠蔽です。まず,湾の外の放射能の値が低いのは,汚染水が外洋の海水で薄められているからで,当然です。

東電の弁解には,もうひとつ見過ごすことのできない意図的なごまかしがあります。それは,山下フェローが「コントロールできていない
という認識」

といったのは,貯水タンクからの漏洩などのトラブルが発生しているという認識について言及したもの」というくだりです。

つまり,汚染水問題の本質は,海に放出される放射能物質の問題であり,現在は湾内に閉じ込められているからコントロールされているといえる。

そして貯水タンクからの汚染水の漏洩は,部分的な問題で,たいした問題ではないと言っているのです。

これも汚染水問題の深刻な側面を隠蔽した発言です。私はむしろ,この貯水タンクの漏洩こそが,これから深刻な問題を引き起こす元凶になる
と考えています。

現在,貯水タンクには,事故当初の極めて放射能濃度の高い物汚染水が入っているタンクがたくさんあります。そこから漏れている汚染水の
一部は地下水となって原子炉建屋とタービン建屋の地下を通り,その際,放射背物質に触れて汚染水となります。

他の一部は,最初に貯水タンクから漏洩が発覚した時に明らかになったように,汚染水は排水溝を通って建屋を迂回するルートで直接に海に
流れ込んでしまいます。この漏洩が海水を汚染していることについて,東電も政府も触れていません。

東電がタンクからの漏洩による地下水への影響を調べるために4号機の北側に新たに掘った2本目の井戸から8日に採取した水からは,

ストロンチウムなどのベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり3200ベクレルという高い値が検出されたのです。

さて,以上に書いた,それぞれの立場からの発言を時間を追って要約すると,①安倍首相の「状況はコントロールされている」
「汚染水は湾内にブロックされている」と言う発言,②東電の山下フェローの「コントロールはされていない」という発言,③菅官房長官の
「放射線物質の影響は発電所の港湾内にとどまっている」という発言,④そして,東電の,山下フェローは貯水タンクからの汚染水漏洩のこと
をもってコントロールされていない,東電は政府の見解と同じ,とい経過をたどりました。

この一連の経過を見ると,政府は一貫して,汚染水問題はコントロールされているから問題ない,との立場をとっています。

おそらく,7年後のオリンピックまでには何とかなるだろう,という根拠のない発言です。

現実に汚染水と格闘している東電の立場はまさに,現実と政府とのはざまであたふたとしていています。

東電は,この汚染水の問題は簡単には解決出来ない,むしろ不可能に近いことを知っているのだろうと思います。

加えて,汚染水問題に関しては貯水タンクからの漏洩が実際に起こっているので,現段階で「コントロール」されていると言い切ってしまうと,
後で非難を浴びることは確実です。

この点は認めた上で,東電は,政府見解とも口裏を合わせなければならないので,汚染水は発電所湾内にブロックされているという点では,
政府と同じ見解であるという声明を出したのです。

東電としては,汚染水対策だけでなく,放射能汚染地域から避難した人たちにたいする補償,農漁村の被害に対する補償,除染費用(既に1兆円も
使われている)など,いつまで続き,どれほどの費用がかかるか分からない費用を国,つまり税金で負担して貰うためには,政府に逆らうことは
できません。

こうした配慮から,一方で汚染の事実は認めながらも,政府見解とも対立しないように発言者を分けて,発表しているのです。当事者は必死ですが,
外から見ていると,この東電の言動は,漫画的でさえあります。

政府は,オリンピック招致のプレゼンテーションの際に安倍首相が国際公約してしまった「コントロールされている」という発言内容を,
どんなに現実と矛盾していようと,これからもなんとか言い逃れる発言を繰り返すことでしょう。

政府は,国が前面に出て汚染水問題を解決する,と大見得を切ったのですが,それが470億円の対策費なのです。もちろんこれは国民の税金です。
しかし,この金額で解決できるとはとうてい思えません。

政府は,東電は私企業だからという建前を楯にして,事故対策費用は東電が払うべきであるとの立場をとり続けています。
しかし,今回の事故処理には数十兆円あるいはそれ以上の天文学的な金額が必要になるでしょう。それでも,お金をかければ解決する
という保証はありません。

もし汚染水問題が解決できなければ,安倍首相に対する信用は失墜し批判は強まるでしょう。まさに,半澤直樹の決め台詞,「倍返し」
を国民から受けることになります。

もう一つ,現在はあまり表面化していませんが,世界は日本の汚染水問題の危険性にかなり強い懸念をもっています。
海はつながっているので,将来,日本に対する賠償請求がこないとも限りません。その時は「倍返し」どころか「十倍返し」を受けることになります。

放射能レベルが検査値が基準値以下であっても,放射能物質は確実に公の海に流れ出て蓄積してゆくわけですから,海は確実に汚染を強めてゆきます。

震災後のストレスや体調悪化で亡くなる震災関連死と認定されたのは,福島県が突出して多く1497人,宮城県が872人,岩手県が413人です。

『東京新聞』(2013年9月11日)の集計によると,そのうち910人は「原発関連死」だった。この認定は非常に厳しいので,実際の「原発関連死」
の数はもっとずっと多いでしょう。20万人以上の人々が今も故郷を離れ厳しい避難生活をしています。

日本のマスメディアは,オリンピック招致の成功に浮かれて連日このニュースを垂れ流し,オリンピックの経済効果が150兆円に上る,とソロバンを
はじいている経済学者や評論家さえいます。そして,電力会社も政府も企業も原発の再稼働に向けて動き,さらに,原発の輸出で儲けようとさえしています。

自分に直接被害が及ばない限り関係ない,という姿勢です。こんな日本とは一体,どんな国なのかと首をかしげてしまいます。

「つながろう日本」も「きずな」も「お・も・て・な・し」も虚しく響きます。


(注1)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130913/dst13091321480010-n1.htm

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汚染水問題の真実-隠蔽と虚偽がもたらす危険性-

2013-09-11 05:58:59 | 原発・エネルギー問題
汚染水問題の真実-隠蔽と虚偽がもたらす危険性-

安倍政権はその成立当初から,震災復興が最優先課題の一つとして挙げていました。その中には当然,福島の原発事故にかかわる
放射性物質対策も含まれているはずです。

ところが,最近になってようやく政府はあわてて放射能汚染水問題を緊急の課題として取り上げるようになりました。このこと自体,
汚染水問題の危険性と安倍政権の無関心ぶりがはからずも暴露しています。

汚染水問題を考える場葵,二つの問題を分けて考える必要があります。

一つは,山側から絶えず原子炉建屋の地下に流れ込んでいる地下水の問題です。この地下水は放射性物質と触れて水放射能汚染水と
なりますが,それが海に流れ込むのをどう防ぐかという問題です。在,汚染水は一旦,地下水槽に貯めてポンプで汲み上げ,
地上のタンクに移されます。

もう一つは,汚染水を収容しているタンクの問題です。後に説明するように,このタンクから汚染水が漏れだし,それが海に流れ込んで
いることが発覚したのです。しかも,このタンクでさえ数が足りなくなり,新たなタンクを設置する場所そのものがなくなっています。

今年の9月3日,政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍首相)は,これら二つの問題を,東電に任せるのではなく,国が前面に出て
解決に乗り出すことを宣言しました。

そのために,合計470億円を税金から支出することを決めました。

先日のテレビ番組のインタビューに,管義衛官房長官は,とにかく緊急課題であるから,今は責任の所在だとか,税金を支出することの
是非を論じている場合ではない,ただちに政府が行動しなければならない,と言っていました。これを聞いて驚き,非常に憤りを感じました。

よーく思い出してほしい。福島第一原子力発電所の地下貯水槽から汚染水が漏れていることが発覚したのは今年の4月のことで,この問題の
深刻さが顕在化しました。

そして経産省は4月下旬に対策委員会を設置したのです。したがって,汚染水問題の実態とその深刻さについての認識は4月にはあったのです。

問題が発覚して,これは大変なことになったと認識してから,すでに半年経っているのです。

それでは,問題の深刻さがわかっていながら,なぜ最初から国が前面に出ないで,最近になってあたふたと乗り出そうとしたのでしょうか? 

この一つの原因が,オリンピック開催地の決定が真近に迫っていたことです。政府内にも「五輪招致もある。いつまでも放置できない」
という危機感が高まっていたのです。

事実,9月4日にブエノスアイレス入りした日本オリンピック委員会委員長の武田氏の記者会見で6つ質問が出ましたが,うち4つは福島の
汚染水問題だったのです。

彼は,これまで放射能の影響は1人も出ていないし,絶対安全だと言っていましたが,何を根拠にこんなことが言えるのでしょうか?

しかも,東京は福島の原子力発電所から250キロも離れており,放射線量も低いから安全だ,とも言っています。

東京が安全ならそれで問題はない,という本音も漏らしてしまいました。言い換えると,福島の人たちは中央(東京)から見捨てられた「棄民」
となってしまったのです。

このような政府の姿勢にたいして福島の漁民と仮設住宅に住む住民は,「東京はオリンピックのお祭り騒ぎに沸いているが,汚染水で世界的に
注目される前に,国は威信をかけて早期に把握して手を打つべきだ」,また「当初から(国が)対応していれば,海外から心配されることも
なかったはず。口先だけにならないよう,すぐ実行してほしい」と怒っていましが,この怒りは当然です。

それでは,なぜ,政府はこの半年も前面にでなかったのでしょうか?はっきり言ってしまえば,安倍政権はこの問題にかかわりたくない関わり
たくなかったのだと思います。

安倍政権は発足当初から,「アベノミクス」を売り物にして今日まで,「異次元の金融緩和」を核とするデフレ脱出の経済政策を最優先に考えて
きました。

これに対して汚染水処理の問題はどう考えても暗い,ネガティブな問題で,抜本的な解決差が見つかっていません。つまり,国民に明るい希望
を与える性質の問題ではないのです。

そこで政府はこれまで,汚染水処理の問題は東電の責任とし,政府としてはできるだけかかわらない姿勢を取り続けてきたのです。

しかし,そのような責任回避を続けていることができない事情が幾つか出現したのです。

ひとつは,上に述べたオリンピック招致の問題です。次に,東電は8月19日には地上の貯水タンクから120リットルの汚染水が漏れだしている
ことを東電が認めましたが,21日になって,実はその2500倍の300トンの汚染水が漏れ出ていた,と修正したのです。

最初の発表は,東電による作為的なウソとしか言いようがありません。しかも,修正した数値を出したのは,国会が閉会となった翌日で,
この問題を国会で取り上げられないように発表の日時を選んだと思われます。

東電,経産省,政府が一体となって,深刻な漏えい発覚の発表を国会の閉会に合わせて非難を避けようとした構図が見えてきます。

地上の貯水タンクの問題については後にもう少し詳しく見るとして,現在,政府が税金を使って「根本的に解決する」方法として考えているのは二つです。

一つは,地下水が原子炉建屋の地下に流れ込むのを防ぐために,原子炉建屋の周りの土を冷却して凍土遮蔽壁を作り,地下水が建屋周辺に流れ込まない
ようにすることで,これに300億円の経費を見込んでいます。

しかし政府の計画でも,この凍土障壁の効果が出るまで1年から1年半はかかります。その間の汚染水はどうするのでしょうか?

 また,土の壁を凍土にするといっても,これは電気で凍らせるのでしょうが,24時間365日,一時も休まず,今後,半永久的に膨大な量の土を電気
で凍らせたままにしておくのでしょうか?

何しろ,地下水は永久に流れ込むのですから。この維持費は誰が負担するのでしょうか?この費用についても全く当てがないのです。
とても,現実的だとは思えません。

実は,地下水対策として凍土遮蔽壁を構築する案は,東電が早くも震災の年2011年の10月に検討した結果,「効果が見込みづらい」として設置を
見送った案です。

これは前例のない大工事であるばかりでなく,耐用年数も不明です。(『毎日新聞』2013年9月4日)すでに東電で検討済みで放棄した案を今頃,

政府が取り上げるというのは,他に有効な案がないからです。

もう一つの目玉は,汚染水から放射性物質を取り除く浄化装置(ALPS)の増設と改良で,現在170億円を予定しています。

現在,この装置は腐食のため停止しています。さらに,これを改良したとしてもトリチウムは除去できないことが分かっています。

以上みたように,政府が打ち出した「解決策」は,すでに2年前に放棄された凍土障壁と,除去能力に問題がある装置の増設と改良なのです。

現実問題として,汚染水の問題は,解決策がないのです。

現在は除去装置が稼働していないため,汚染水はただひたすらタンクに移して貯めておくしか方法がありません。しかし,このタンクが問題なのです。

上に書いたように,8月にはボルト締め式のタンクから,たった1基だけで300トンもの汚染水がもれていたことが分かったのです。

これ以後,別のタンクからも汚染水漏れが見つかっています。

このタイプは円筒形のタンクで,鉄鋼板でできたパーツとパーツをパッキンを挟んでボルトで締める方式です。

前回の汚染水漏れの原因が,ボルトが緩んでいたという初歩的な問題でした。現在,ボルト式のタンクは350基もあります。

現在,東電のタンク貯蓄量は合計で39万トンで,2016年までに80万トンまで増やす計画です。つまり,現在の倍のタンクを倍にすることです。

現在でもすでに敷地内の森を半分潰してタンク置き場にしていますが,これから先,どこに置くのでしょうか。

しかも,汚染水は原子炉建て屋周辺だけでも毎日400トンずつ増えてゆきます。タンクには1基1000トン入りますから,2日半で1基が
満杯になります。ということは,たとえ,あと41基新設しても,17日ほどで一杯になってしまうのです。これでは「いたちごっこ」です。

この新設のタンクの費用は政府の予算に計上されていませんので,東電が負担することになるのですが,現在の経営状態ではとうてい負担しきれません。

貯水タンクにはまだまだ問題があります。現在使用しているパッキンの耐用年数は5年だそうですから,350基のタンクはもうじき交換しなければ

なりません。

しかし,交換するにはタンクを解体しなければなりません。その場合,中の汚染水を海に捨てるわけにはゆきませんから,他のタンクに移す必要があります。
しかし,そんなタンクの余裕はありません。

タンク内の汚染水だけでなく,解体したタンクそのものも高濃度の放射能汚染物質ですから,これをどこに持ってゆくかの方針もありません。

タンクにかんしてもう一つの問題は,現在のボルト式のタンクは錆びやすい鋼鉄製で工期が短く安上がりなので,東電はこのタイプを採用したのです。

しかし,今回のタンクの汚染水漏れは,事故当初の海水冷却水が入っており,腐食が進んでいたために穴が開いてしまった可能性があります。

最近,他のタンクからも汚染水漏れが見つかっているので,350基のタンク全てで汚染水漏れが起こる可能性があります。

これからはボルト式ではなく,水漏れが起きにくい溶接式のタンクにし,材質も腐食がおこりにくいステンレス製にすべきなのですが,これには膨大な
費用がかかります。

しかも,上に書いたように,その場合でも,既存のタンクに貯められている汚染水と,解体されたタンクそのものの処置はまったく未定なのです。

政府と東電は,タンクがたちならぶ場所と原子炉建屋との間に井戸を掘り,地下水が原子炉建屋の下に届く前にくみあげてALPSで放射物質を除去して
海に捨てることを考えていました。

しかし,地元の漁民は,風評被害を恐れてこの計画には大反対で,実現はかなり厳しい状況にあります。

加えて,9月5日の調査で,井戸から汲み上げた地下水には,政府が海洋投棄を認めている放射線量の基準である,1リットル当たり30ベクレル,
の20倍に相当る650ベクレルにも達していたことが判明しました。

さらに深刻な事態として9月8日に,別のタンクの周辺の地下水からは何とストロンチウムの値が3200ベクレルというとんでもない放射能が検出されました。
(「朝日新聞デジタル版」,2013年9月9日」)。

これは,地下水の汚染が広範囲にひろがっていること,他のタンクからも実は高濃度の汚染水が漏れていることを示しています。これで,海洋への放出計画は
完全に破綻しました。

以上,具体的にみてきたように,国が前面に出るといっても,政府が考えている汚染水処理の計画はことごとく実現性がない,「絵に描いた餅」に過ぎないのです。

もし,政府が税金を使ってこの問題に取り組むなら,まず最初に東電を法的な破綻処理をした(倒産させ)上で,国が直接にこの問題の解決に当たる必要があります。

その時には,東電に4兆円を貸している銀行,社債を持っている会社や個人はほとんど戻ってきませんが,それをしないで,東電を存続させたままで,
必要な経費を電気料金の値上げと税金の投入で賄おうとするのは,決して国民の理解が得られません。

日本航空の場合には,実際,このような破綻処理をしたのです。しかし,東電の場合,もし倒産となれば銀行が受けるダメージは相当深刻です。
(「半澤直樹」のドラマに出てくるように,貸した相手が破綻すると,貸した金が戻ってこないだけでなく,銀行は巨額の倒産引当金を積みたてなければならない
のです)

おそらく政府は,銀行の救済も兼ねて破綻させないのでしょう。皮肉なことに,東電は借金があまりに巨額なので,かえって倒産を免れるという事態になっています。
 
安倍首相は7日夜(日本時間8日午前),ブエノスアイレスでTBS番組に出演し,国際オリンピック委員会総会で,汚染水漏れを解決できると説明したことについて,

「自身があるからそう言った」「あとはしっかりと(汚染水対策を)実行していきたい。今の段階でも,原発の港湾の0.3平方キロメートルの中に完全に汚染水は
ブロックしている」と強調しました。(注1)

安倍首相の発言にたいして東電側はとまどいを隠せません。9日の会見で東電の今泉典之原子力・立地本部長代理は,首相の発言主旨を経済産業庁に確認したことを
明らかにした。

また,1号機から4号機の取水口にはシルトフェンスという膜が張られているものの,港湾内の海水は毎日半分は入れ替わっているので,放射性物質の流出は完全には
止めれ等れないとも語った。

肝心の,「汚染水問題の状況はコントロールされている」という首相の発言に対する考えを聞かれて今泉氏は「一日も早く安定した状態にしたい」との言葉を繰り返す
だけでした。

つまり,まだとてもコントロールされた状態ではないので,一日も早く安定した状態にしたい」と言っているのであって,安倍首相の発言は,東電から見ても肯定出
来ないことがよく分かります。


しかし,実際には,汚染水は決して港湾の0.3平方キロメートルの中にブロックされてはいないのです。港湾内とはいえ,海水は1日に半分は入れ替わるので,
確実に外に漏れだしているのです。

しかも,タンクに貯められた汚染水の処理に関して上に書いたような解決が極めて困難な問題があり,さらに今後も絶え間なく流入する地下水の処理をどうするのかも,
まだ決定的な方針さえ出されていません。オリンピック招致には成功しましたが,福島第一原発の汚染水問題で成功する保障は今のところ何もありません。

汚染水問題は実際には八方塞がりで,解決の方法が見つかっていません。現在考えられている方法は,あたかも坂道で後ろに下がってくる車を人が必死で押し戻そうと
している不毛な行動に例えられます。

今,政府ができること,やるべきことは,事実を全て明らかにし,世界中から叡智を集めることです。

何よりも,現在では炉心に近づけないので,炉心で何が起こっていて,どうなっているかが全く分からないのです。現実は,それを見るためのロボットをこれから開発
しようとしている段階なのです。

安部首相は公の場で,汚染水は完全にブロックされていて,コントロールされている,と見栄を切ってしまいましたから,いまさら公表はできないでしょう。

しかし,海は世界に繋がっており汚染水は世界の海を汚染します。この深刻な事態を直視するのを避け,オリンピックとアベノミクスで,目くらましをしているのが
安部政権の実態です。これは日本にとっても,世界にとっても悲劇です。


(注1)http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY201309080074.html

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イチローの本当のすごさ(3)―人間イチローとアメリカ社会―

2013-09-06 05:20:10 | スポーツ
イチローの本当のすごさ(3) ―人間イチローとアメリカ社会―


イチローにかんして前回まで,主にアスリートとしての類いまれな運動能力と成績について書いてきましたが,今回は,
人間イチローについて考えてみたいと思います。人間イチローの問題は,彼の社会的な影響と,個人としての苦悩と克服
の物語との二つの側面から考えてみたいと思います。

まず,イチローの社会的な影響から見てみましょう。それは,人々の関心や注目をどの程度集めたのか,簡単に言えば人気
という形で表れます。

アメリカに渡る前のイチローは,1994年に年間安打記録更新しました。そして,彼が属するオリックス・ブルーウエ-ブは
96年には巨人を破って日本一になりました。この時,新生オリックスの象徴は,20才そこそこのイチローだったのです。

この年の観客動員数は179万6000人で,東京・大阪の人気チーム,の巨人・阪神を上回りました。

しかし,このブームが過ぎると,翌97年からは観客数は激減し,1人1人の観客が数えられそうなほど閑散とした状況
になります。

それでもイチローの飛びぬけた能力に対する世間の評価は非常に高く,オールスター選には94年から7年連続で出場し,
その間に集めた票は630万票近かったのです。同時期に松井秀喜選手が獲得した票の1.5倍以上でした。名実ともに
日本のスーパースターでした。しかし97年以降,このスーパースターを見るためにわざわざ球場に足を運ぶ観客は減り
続けました。(注1)

このように,日本においては,天才的な(イチローはこう呼ばれることをとても嫌いますが)野球選手として,誰にも負け
ない評価を得ているものの,社会的な存在感はまだまだ低かったのです。

一つには,日本で世界最大の発行部数を誇る読売新聞社と,日本テレビという日本最大の民放の影響で,巨人の人気が圧倒
的に強かったのです。

人々の関心は再び,その巨人のヒーロー松井秀喜選手に戻っていったのです。松井選手は,連日のようにマスコミでイチロー
よりも大きく扱われていました。それは,1996年に巨人がオリックスに日本シリーズで負けた時でさえそうだったのです。

「僕が四割打ったとしても,観客は見に来ないだろうな」とイチローは不満を述べていました。(注2)

これが,アメリカに渡る前の日本におけるイチローの社会的なポジションでした。イチローは決して口に出しませんが,
彼がメジャーに移ることを強く望むようになった理由の一つは,全てが巨人中心に仕組まれている日本のプロ野球界に
対する絶望と反発だったのではなかと,私は推測しています。

イチローがアメリカに渡った当初,多くの日本人は,メジャーリーグの他の選手と比べて体格が劣るイチローがどれだけ
活躍できるかについて疑問視していました。

しかし,このような疑念を振り払うかのように,イチローがシアトル・マリナーズで大活躍をするようになると,日本で
急にイチロー・ファンがふえました。

ほとんど全てのマリナーズの試合は日本で放映されるようになりました。また新聞などのマスコミは,イチローの一
打席一打席を詳しく報じるようになりました。「今日のイチローはどうだった?」という会話がサラリーマンの間で挨拶
代りに交わされるようになったのです。

当時,長く続く不景気にあえぐ日本には明るい話題はなく,アメリカで活躍するイチローは,一躍,日本人に誇りを取り
戻してくれたヒーローとなったのです。そこには多分に,ナショナリズム的な感情も含まれていたに違いありません。

株価は暴落し,出口の見えない不景気は一向に回復の兆しがない。これにより凶悪な事件,犯罪も増加傾向にありました。

こんな時,海外に出たアスリートの活躍は,日本人が失っていた「自信」や「誇り」を思い起こさせてくれたのです。(注3)

イチローに対する日本人の関心は,記録を塗り替えるたびに再燃し,それをこれまで繰り返してきました。そのもっとも
最近の出来事が,前回の記事で扱った4000安打の達成でした。しかも,一般的にはアスリートとしては峠を越えたと
思われている39才という年齢でこの記録を達成したことは,多くの日本人に驚きと,畏敬の念を呼び起こしました。

一言でいえば,「イチロー」という存在と彼の活躍は,ベースボールという世界を超えて,一種の社会現象になったのです。
それでは,現地のシアトルあるいはアメリカ社会では,イチローはどんな存在となったのでしょうか?

日本のマスコミの巨人びいきとは異なり,アメリカに移った後のイチローは,最初はシアトル社会で,そして次第に全米
で大きな関心を集めることになってゆきました。

イチローがマリナースに移った2001年,チームは快進撃を続け,ついに地区優勝さえしました。この間のシアトルにおけ
るイチロー人気は,日本では想像できないほどの高揚ぶりでした。

前に紹介したNHKで放映された,「イチロー・イン・USA」では「夕食を作る主婦の手を止めさせるのはイチローが
はじめてだ」と驚きをもって紹介しています。イチローが登場する試合が始まる夕方になると,主婦までもテレビの実況
にくぎ付けになってしまったのです。

小柄な(といっても身長は180センチ以上はあります)日本人が,右に左に打ち分けたり,俊足を飛ばして内野ゴロ
を安打にしてしまう,しかも,時にはホームランさえ打つ,という多才ぶりにシアトル市民は熱狂したのです。

太平洋に面したシアトルには多数のアジア系の住民がいますが,彼らはイチローの活躍に,同じアジア系の住民として,
自信と誇りを与えてくれた,と口々にいっています。

日本でもイチローの活躍が,自信喪失に陥っていた日本人に自信と誇りを思い起こさせたことを書きましたが,シアトル
では,日本人以外のアジア系住民にも自信と誇りを与えたのです。

確認できたわけではありませんが,同様のことはシアトル以外の地域に住むアジア系住民も多かれ少なかれ感じたのでは
ないでしょうか。

日本ではあまり知られていませんが,イチローは子どもたちに絶大な影響を与えました。彼が小学校を訪れた時の映像を
みると,イチローが登場する前から,子どもたちは興奮を抑えられず,騒然となります。

イチローは子供たちに,「目標をもって努力しましょう」という内容のメッセージを述べた後,試合の映像を一緒に見る
ために子供たちの中に入ってゆくと,興奮した子どもたちが一斉にイチローに抱きついてゆきます。

なにしろ子ども達にとって,イチローはあこがれのスーパースターでした。ネクストバッターボックスで,屈伸運動に
続いて,バッターボックスで行う,あの侍が剣を抜くときのような一連の儀式は,大人も子供も魅了し,リトルリーグ
の子供たちは,みな真似していました。

手元に資料がないので確実なことは言えませんが,(多分)シアトルの子供たちにもっとも尊敬する人物はだれか,とい
うアンケートをとったところ,イエス・キリストに続いて2位か3位になっていました。(これについては後日,資料を
確認して報告します)

いずれにしても,イチローが野球の選手として第一級の選手であることは,シアトルを離れても今やだれも疑いません。

しかし,イチローへの関心は,人間としての魅力に負うところが大きいのです。

イチローが元TBSアナウンサーの福島弓子さんと婚約した時,アメリカのマスコミに言わせれば,アメリカのニュース
は“ロイヤルウエディングなみ” に派手に報じたのです。(注4)このことからも,イチローの婚約が,すでにシアトルと
いう地方都市を超えて,アメリカの社会現象になっていたことがわかります。

次に,私がイチローの本当のすごさを感じるのは,社会的な評価や人気とは別に,彼個人のすさまじい自己抑制と精神力
です。

イチローが4000安打を達成した時,多くの選手は,彼が13年間もずっとメジャーリグで活躍し続けてきたことに大
きな尊敬の念をいだいていました。しかし,その道のりは決して簡単だったわけはなく,むしろ修行僧のように厳しい状
況の中で闘ってきたといえそうです。

私は,精神的な強さことが,彼の本当のすごさだと思っています。

まず,オリックス時代のイチローを考えてみましょう。

前に書いたように,オリックスが日本一になった1996年を別にすれば,オリックスという球団はまったくのマイナー・チー
ムで,「観客の1人1人が数えられるほど」しかいない閑散とした状況で試合をしていたのです。

また,オリックスの試合が全国ネットでテレビ放映されることは,年に数回しかなかったのです。これは,巨人をはじめ
セントラル・リーグの属する球団では考えられない状況です。

こうした厳しい環境でも,気持ちの上で投げやりになったり腐ったりせず,イチローはひたすら自らの技術を磨き,コツ
コツとヒットを重ね,次々と記録を更新していったのです。

優勝を望めず,自らを奮い立たせるファンの応援もほとんどない状況で,普通なら野球への意欲は薄れがちになってしま
います。

それでもモチベーションを維持し続けたところに,私はなみなみならないイチローの精神力を感じます。

同じことは,マリナーズに移ってからのイチローにも言えます。移籍当初こそは地区優勝もして黙っていてもモチベーシ
ョンは上がりましたが,チームは次第に下位に低迷してゆきました。そんな中でも,彼は手を抜くことなく常に全力でや
るべきことを実践してゆきました。

この間ずっとモチベーションを維持し,メジャーリーグ史上の記録を次々と塗り変えていったのは,やはり並の精神力で
はありません。

その心境をイチローは,「ペナントレースに参加できないチ-ムというのは,集中するために,自分でアプローチしないと
いけない」と語っています。(注5)

つまり,日本でいえば「日本シリーズ」に参加できないチームにいると,モチベーションを維持し高めるには,自分自身
でそこへ意識をもってゆかなければならない,と言っているのです。

人材豊富なヤンキースに移ってからも,競争相手が多く,球場入りしても毎回試合に出れるかどうかは,その日の朝にな
らないと分からない,という状況の中でモチベーションを維持することは,非常に難しい,と述べています。

折れそうになる気持ちを奮い立たせて,おそらく40才を過ぎてもユニフォームを着て,野球少年のように,必死でボー
ルを追いかけているイチローが目に浮かびます。

最後に,ひとつだけイチローに関するエピソードを紹介しておきます。それは,私が野球通のアメリカ人二人と食事をし
たときのことです。

私が,「イチローと松井とどちらがすごいと思うか」と聞いたとき,彼らはそろって、「そんな質問はイチローに対する侮
辱だよ」と答えました。

つまり,イチローは松井とは次元の違う優れたアスリートで,二人を比べること自体,イチローに対する侮辱だ,というこ
とです。私も,同感でした。

もし二人を比べるなら,メジャーリーグの打者としてタイトル(最高打率,最多安打数)を,守備ではゴールデングラブ
賞を獲ったかどうか(イチローはこれら全てのタイトルを獲っています),また松井のように長距離打者ならば,年間ホー
ムラン王を獲ったかどうかが問題です。

こうした実績を考慮して初めて比較する意味があるのではないでしょうか。



(注1)小西慶三『イチローの流儀』(新潮社 2006):38-41。
(注2)ロバート・ホワイティング『イチロー革命』(松井みどり訳,早川書房,2004):88-89。
(注3) :同上書:94-95。
(注4)同上書:57。
(注5)イチロー監修『自己を変革するイチロー262のメッセージ』(ぴあ,2013):34。さらに,イチローの精神面まで含めて,
    渡米初期のイチローの内面を知るには,石田雄太『イチロー,聖地へ』(文芸春秋,2002)を読むことをお勧めしま
    す

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イチローの本当のすごさ(2)―ベースボールに「野球」を持ち込んだ男―

2013-09-01 06:36:36 | スポーツ
イチローの本当のすごさ(2) ―べ-スボールに「野球」を持ち込んだ男―

イチローは2001年,シアトル・マリナースに入団しました。

イチローは日本を代表するバッターであるということは,アメリカでも一応知られていました。

しかし,体格からいっても,ホームランを量産する長距離ヒッターになるとは期待されてはいませんでした。

シーズンが始まってみると,イチローはコツコツとヒットを量産しつづけ,初年度が終わってみると,692打数
242安打,打率3割5分(第一位),という驚異的な成績を残しました。

2004年のシーズンには262本のヒットを放ち,1920年にジョージ・シスラーが打ちたてた257本という記録を
84年ぶりに更新しました。さらに,2001年から2010年まで,200安打連続10年というとんでもない記録を達成し
ました。

それまではウィリー・キーラが1894年から1901年までに打ちたてた連続8年間が最高記録でした。こちらは116年
ぶりの記録更新です。

これらに加えて,今回の日米通算4000本安打という大記録です。

イチローは以上の他にも数々の記録を塗り替えてきましたが,いちいち数え上げるときりがないほどたくさんの記録
をもっています。

今回は,これらの数字に表れた記録の話ではなく,文化としてのベースボールに対してイチローが果たした意義につ
いて書きたいと思います。

というのも,イチローの評価に関して,日本とアメリカではかなりの違いがあり,日本では正しい評価が行われて
いないと思われるからです。

イチローは渡米以来,アメリカのメジャーリーグのベースボールそのものに大きな影響に与えましたが,それ以外にも,
アメリカへの社会的な影響も非常に大きかったのです。これらの点について,これまで日本の野球解説者もスポーツ
ジャーナリズムもほとんど関心をもってこなかったし,したがって実際に取り上げていません。

今回は,イチローがマリナーズに移った翌年に制作され,NHKのBSで放映された,『イチロー・イン・USA』
というドキュメンタリーを参考に,ベースボールへの影響について考えてみたいと思います。ちなみに,このドキュ
メンタリー映像は,シアトルのシアトル新聞記者でスポーツ担当の新聞記者の目を通して作成されたもので,アメリ
カのスポーツ界の目から見たイチロー評となっています。

まず,イチローのアメリカでの活躍を語る前に,アメリカで発展した「ベースボール」と日本の「野球」とでは,
大きく異なることを理解する必要があります。

『菊とバット』の著者ロバート・ホワイティング氏は,日本の「野球」の特徴を,「和」を大事にする集団主義,精
神主義(武士道)という視点で捉えました。(注1)

この本の詳しい内容は上記の書を読んでいただくとして,この本は基本的に日本人論,日本文化論を論じるために,
日本の野球を題材としてかかれたものです。

それは,本のタイトルが,日本文化論を書いたルース・ベネディクトの『菊と刀』をもじったものになっていること
からも分かります。

さて,近代アメリカのベースボールでは,バッターなら,極端に言えばホームランを何本打ったかが評価されます。

ピッチャーなら,剛速球でバッターをねじ伏せてしまうことが高い評価を得ます。あるいは,相手に投げるボール
の球種が分かってしまっていても,得意なボールで勝負します。

たとえば,イチローが4000安打を記録した時のピッチャーは,ナックルボールを得意としていたので,イチロ-
がそれを待っていることは分かっていました。それでも彼はナックルボールで勝負し,イチローは見事に打ち返し
てヒットにしました。

ベースボールは,もともとは,イギリスの貴族的・紳士的なスポーツであったクリケットが,アメリカの社会・労
働環境に合わせて次第に庶民,特に労働者のスポーツへと発展してきたものです。

その当初の特徴は,投げて,打って,走って,という単純明快なスポーツで,ある意味では大らかなものでした。

しかも,盗塁,ホームスチール,ダブルスチール,隠し球など,あまり紳士的ではないプレイもルールとして認め
られていったのです。

しかし,次第に,ホームラン至上主義の,大ざっぱで大味なスタイルに変化してゆきました。ホームラン・バッタ
ーがべ-スボールのヒーローとなったのです。(注2)

イチローが渡米したころには,まさにマッチョな選手のホームランがもてはやされていました。これにたいして日
本の「野球」は,データに基づく緻密な作戦の下で,犠牲バンド,盗塁,ホームスチール,ヒット・エンド・ラン,
ダブルスチール,隠し球などの小技を駆使して勝つことを目指します。

時にはベンチにいる監督がバッターに,一球一球指示をあたえることさえあります。

日本のピッチャーは,自分の得意とする球を投げることも重要ですが,それと同時に,あるいはそれ以上にバッタ
ーの苦手なボールやコースを狙います。

小技を駆使する日本のような「野球」は,アメリカでは「スモール・ベースボール」と呼ばれ,あまり良い評価を
与えられていませんでした。

しかし,イチローがマリナースに移籍したことによって,結果としてアメリカのベースボールに大きな変化を引き
起こしたのです。

イチローは日本的な緻密な野球の良いところに加えて,俊足,抜群のバッティング技術,守備力を1人で体現して
いる,希な選手です。

イチローが引き起こした変化を一言で言えば,ベースボールに「野球」を持ち込んだこと,といえまず。これによ
って,アメリカのファンは,忘れていた昔のベースボールのスリルと興奮を思い起こさせられたのです。以下,具
体的に見てゆきましょう。

渡米の当初,ほとんどのマスメディアはイチローの内野安打をまったく評価せず,むしろ軽蔑さえしていました。
しかし,ファンはたちまちイチローに魅了されてしまいます。

まず,バッターとしてのイチローがファンの心をとらえたのは,長打ではなく内野安打でした。上に紹介したシア
トルのスポーツ記者は次のように言います。

    だれもイチローがホームランを打たないことは知っている。そうではなくて,ファンはイチローのゴロを
    見に来るんだ。普通なら簡単にアウトになってしまうゴロが,イチローが俊足を飛ばせばセーフになるの
    ではないか,というそのスリルをファンは期待して興奮するんだ。

何でもないゴロがスリルを生む。これは,アメリカのファンにとって,今までのベースボールでは味わえなかった
新しい楽しみとなったのです。しかし,日本のスポーツ界やマスコミは,ベースボールの歴史や文化的な背景には
ほとんど関心を示しません。

このため,イチローのこのように大きな貢献も正当に評価できないのです。

イチローのゴロに衝撃を受けたのは,選手も同様です。現役最多の3808安打を放っているヤンキースのジータは
    
    相手としては,バックハンドではアウトにはできないから浅めに守っていた。
    初めての対戦はニューヨーク(2001年4月24日)だったと思うが,いきなりショートにゴロが飛んできて捕
    ったら,もうほとんど一塁の近くにいた。その時,どれだけ速いかが分かった」と述べています。

こうした事情はさらに,もう一つの効果を生みます。

ある選手は,イチローがゴロを打つと,イチローは足が速いので,守備の選手はあわてて捕球し,一塁に投げようとし
て,捕球しそこなったり,投げそこなったりして,結局イチローをセーフにしてしまうことがあるんだ,と告白してい
ます。なにしろ,バッターボックスから一塁まで走る時間が,メジャーリーグ最速の3.6秒だったのです。「球を打
つ前に走り出しているようだ」というジョークも生まれるほど早かったのです。

ピネラー監督も,イチローには積極的にゴロを打たせるよう指示していました。数字で見ると,これによってマリナー
スの得点力ははっきりと上昇したのです。

メジャーリーグの試合を実況している現地のアナウンサーは,塁から塁へ走るイチローを見て,まるで足に羽が生えて
いるようだ,と驚きの声を発していました。

イチローの走る姿には無駄がなく,美的ですらあります。私は,速さだけでなく,走るフォームの美しさも,プロとし
ては大切だと思います。

イチローの俊足は守備のあり方をも変えていったのです。次に,守備についてみてみましょう。

イチローの名を全米に轟かせたのは,渡米初年の2001年4月11日のアスレチック戦でした。イチローがライトの深いと
ころで守っていた時,彼の前にボールが飛んできました。

彼は走りながら前進し,3塁に向かって走っているランナーを見ると,素早く3塁手に向かって投げました。このボー
ルは地上1メートルの高さを維持したまま真っ直ぐに3塁手のグラブの収まり,ランナーをアウトにしました。

これが後にイチローの「レーザービーム」と呼ばれる名プレーで,このプレーひとつだけでもベースボール史上に残る
だろうと言われました。

また,イチローは,ホームランになりそうなボールを,垂直な壁を駆け上がって捕ってしまうことがあります。イチロ
ーは,1年に一回あるかないかのプレーのために,日頃何十回も練習をしているのだそうです。決して偶然ではないの
です。

さらにフェンスギリギリのファウルボールや,守備の前の方に落ちそうなボールを全力で走って捕ってしまうこともし
ばしばありました。

こうして,イチローの守備範囲は,彼のマリナース時代の背番号の「51」を採って,敬意を込めて「エリア51」と
呼ばれるようになりました。

「エリア51」にボールが飛ぶと,バッターもあきらめたり,ランナーはアウトになることを恐れて先に進むことを思
いとどまるようになってしまいます。

これは,イチローの流れるような送球技術と肩の強さという個人的な能力の高さによるものですが,やはり彼が新たに
ベースボールに持ち込んだスリリングな要素でした。

もうひとつ,イチローの,これぞプロと思わせる光景が,毎試合ごとにみられます。彼は,試合前や,試合の途中でも,
時々,守備位置周辺の芝を手で触って長さや硬さ、滑りやすいかどうかをチェックしています。これは,前に突っ込ん
で捕球したりスライディングしながらボールを直接捕ろうとするときなど,滑ったり,手や足が芝に引っかかったりし
ないように用心しているからです。

以前,松井秀喜選手が打球を追ってスライディングしながら捕球しようとしてグラブが芝に引っかかってころび,腕を
逆にひねって大けがをしたことがありましが。

もし,イチローのように芝の状態を確認しておけば怪我を避けられたかも知れません。

いずれにしても,イチローの守備が,ある意味で攻撃的なプレイとして注目され,ファンはそこに新たなスリルと興奮
を味わうようになったのです。

最後に,イチローの盗塁について触れておきます。盗塁はイチローに限らず,メジャーリーグの選手ならば,塁に出れ
ば誰でも試みます。

しかし,イチローの場合,少し事情が異なります。

一塁から二塁への盗塁は普通ですが,イチローの場合,続いて二塁から三塁への盗塁を狙っています。

彼は塁に出ると,常に一つでも先の塁へ行こうとします。しかも,イチローの足が速いことは誰も知っているので,例
えばイチローが一塁にいると,一塁手はイチローが塁を離れ過ぎた時にアウトにするべく,塁についていなくてはなり
ません。

また二塁手もイチローが盗塁で走ってくるのを阻止するために二塁ベースから離れられません。こうして,一塁と二塁
の間を守りが手薄になり,次のバッターのヒット・ゾーンが広くなります。

同様に,イチローが二塁にいると,二塁と三塁の間の守備が手薄になり,次のバッターはその空間へのヒットがしやす
くなります。

また,ピッチャーはイチローの盗塁を警戒して,バッターへの投球に集中できなくなってしまいます。

マリナースの監督は,こうした目に見えないイチローの貢献を常に強調していました。

バントを積極的に行い,内野安打で出塁し,素早く盗塁することなどの小技を多用することは,当時のアメリカのベース
ボールとは異なる,日本で発達した「野球」のスタイルです。

日本は,アメリカのベースボールというスポーツ文化ををそのまま「模倣」するのではなく,自分たちの感性に合うよう
に,変化と加工を施してきました。

これを「文化の再解釈」と言います。

「文化の再解釈」はほとんどの国や地域社会で行われてきたことで,それは食文化,ファッション,音楽,絵画,スポー
ツなど,全ての領域についていえます。

日本の「野球」は,アメリカのベースボールというスポーツ文化を「再解釈」して出来上がったものです。もし,イチ
ローの登場によって,アメリカのベースボールが少しでも変化したとしたら,今度はベースボールが「野球」の影響を
受けて自分たちのスタイルを「再解釈」したことになります。

やや大げさに言えば,イチローは,「野球」をベースボールに持ち込むことによって,ベースボールを「再解釈」させ
たと言えます。

私が「イチローの本当のすごさ」を感じるのは,ベースボールというアメリカのスポーツ文化に対して,「文化の再解釈」
を1人でやってしまったことです。

これが,まさしくホワイティンブが言う,「イチロー革命」の本質なのです。

この点は,日本のスポーツ界では全く評価されていいません。その理由は,マスコミも含めて日本のスポーツ界は,勝
ち負けにとらわれすぎ,「野球」を「文化」としてとらえる視点が希薄だからではないでしょうか。



(注1)ロバート・ホワイティング『菊とバット(完全版)』(松井みどり訳,早川書房,2004年)英語の初版は1977年出版。
(注2)ベースボールの成立に関する詳しい説明は, 小田切 毅一『アメリカスポーツの文化史:』(不昧堂,1982)を参照。
(注3)ローバート・ホワイtゲィング『イチロー革命:日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代』(松井やよい訳,早川書房,2004年):64-66ページ。


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